【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
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正規のオシ24が必要な分作られなかった時点で
もう国鉄凋落の形式なんだよな
食堂車を既存の改造で賄った485系1000番台と同類というか
二段固定の味気ない二等寝台
独房の個室寝台
旧客に退行した切妻緩急車
食堂車だけ白帯という変則編成 >>351
オシ24ー100にされてもなんとなく違和感あった。
宮原の24系みたいに銀テープだったと気づいたのは廃止されたあとでした。 ビジネスホテルなどわずかしかない時代、
省力化、安っぽさよりも1600円での
2段ハネはありがたかった。
寝台の中で浴衣に着替えられるんだから。 三段が583下段と晩年の20系団体一度しか経験ないから、二段ハネは当たり前な感覚だな
それより開放寝台のセキュリティの低さがとにかく嫌だったぜ
昭和時代よりは泥する悪い輩いなかっただろうが、睡眠中全く無防備だから財布とか貴重品は枕元に置いたな >>354
乗ったことない人がイメージで書き込んでいるように見えるな >>355
だな。俺は、ある一度を除き窓側枕で一貫してたけどな。
ある一度と言うのは道内の急行寝台で冬場の暖房が暑すぎて夜中に脳ミソが沸騰しそうになって、通路に頭を向けたのが唯一。 354だが、イメージでってなんだw
乗ったことも無い奴が、20系団体に一度とかって書くのかよ
オレははやぶさA個室で東京ー西鹿児島乗り通しあるし、はくつる、あけぼのは数回利用してんだよ
マイナーなとこじゃまりものキハネフもあるな
オレも頭は窓側派だな
あけぼのの上越線沿線夜景を見るのが好きだったぜ 1976年のRFを入手したんだが、1976年10月改正の富士・はやぶさ・出雲への24系25型投入に伴う運用変更が詳しく
出ていて、その中にはじめて知った意外な点を書いてみる
【51-10改正の概要】
24系25型102両を新製投入し、24系24型使用の富士(7・8レ)・はやぶさ(3・4レ)・出雲(2001・2002レ)を置き換え
捻出した24系24型112両で20系使用のゆうづる4往復を置き換え
・食堂車オシ24は引き続き富士・はやぶさ・出雲で使用するため、24系24型から24系25型へ組換えが必要となったが、
組換えは所属の品川運転所だけで行われたのではなく、一部は鹿児島運転所において、下り3レで到着した24系
24型から、回送で別途送り込んであった24系25型へ組換えが行われていた
・新製された電源車のうち新製配置が青森となっている資料が多いカニ24-19〜21は、実際は新製後品川に回送と
なり、改正前のはやぶさ・出雲に先行使用され、東京到着後に移り変わりでそのまま編成ごと尾久へ回送となり、
ゆうづるに充当されてそのまま青森へ移っていった
カニ24-19 9/1落成、9/2品川回着、9/24東京→3レ→西鹿児島、9/26西鹿児島→4レ→東京→尾久、9/27上野17レ
カニ24-20 9/14落成、9/17品川回着、9/26東京→3レ→西鹿児島、9/28西鹿児島→回→東京→尾久、9/30上野5007レ
カニ24-21 9/24落成、9/25品川回着、9/30東京→2001レ→浜田、10/1浜田→2002レ→東京→尾久、10/2上野5017レ >>361
国鉄時代のこととはいえすごい方法だな
しかもカニ24-19〜21が品川で一時的に運用に入っていたとは 西鹿児島発東京・上野経由青森行って、一時日本海に充当されてた早岐の14系も真っ青だな >>362
そのカニ24-19〜21だが、RFの車両の動きには新製配置箇所がなんと品川になってる
その後のRFが手元にないので確認できないが、これが本当だとするとカニ24-19〜21は品川への新製配置から
1ヶ月経たないうちに青森へ転属したことになるんだが、こんなことがあるんだろうか? その後のRFの車両の動きを確認したら1976.9.30付で以下の車両が品川から青森へ一斉転属してたのが確認できた
オロネ24-1〜9
オハネ24-1〜67
オハネフ24-1〜27
カニ24-1〜5・8・19〜21
カヤ24-9・10
つまり、カニ24-19〜21の新製配置は品川で、新製配置から1ヶ月経たないうちに青森へ転属していたのが正当で
あることになる
もうひとつ興味深いのが、この一斉転属の頃に大宮工場でスハネフ14-101〜103に改造され、品川に2両と早岐
に1両がそれぞれ配置となったオハネフ24-16〜18が、一旦は他の車両と共に品川から青森へ転属していたこと
改造が品川に近い大宮なので、青森への転属は帳簿上の話だけではと思ったが、RFに1976.9.27の17レ(ゆうづる
7号)の5号車にオハネフ24-16が充当されていた記載があり、帳簿上の話ではなかったと考えるのが自然ですな 薄幸だったオハネフ24-17→スハネフ14-102の最期
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/36825641.html
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/36830448.html >>357
乗るときは好きに乗りゃいいけど、
枕木方向の寝台の頭向きのデフォを
通路側にしてあるのは、
不測の事態で横転なんかしたときに
少しであっても頭部へのダメージを
緩和させることが期待できるから >>309
カニ24−100が方向転換可能になったこととオハネフ25−100が方向転換不可能になったこととは関係ないだろ
この池沼がっ!! >>317
俺が小坊の頃は、オハネフ25−100こそブルトレを代表する顔だったんだが。
昭和55年頃は銀帯(ステンレス帯)の24系25形の中に白帯の押し24−0が入っていて編成美を乱していると思っていた。 変なのが湧いてきたなあ
カニ24は0番代だろうが100番代だろうが500番代だろうが片渡りで方転不可なのは常識なのに >>372
トワイライトは下り列車の展望確保のために編成内でカニ24だけを方転使用していた唯一の列車だったけど、
あれは片渡りのカニ24を両渡りのオハネフ25-500かスロネフ25-500との連結に限定することで編成として成立
させてたからね
方転可能ってのは編成内のどこに組み込んでも編成が成立するということであって、トワイライトは
あくまでも裏技だよ >>370
関西〜九州ブルトレでは電源車だけ白帯のカヤという格好がデフォだったな。
逆に東北ブルトレやはやぶさ・富士で1年だけ24形を使ってた時は電源車だけ銀帯のカニ24がデフォ。 >>374
東北ブルトレはカヤもそれなりにあったぞ >>373
トワイライト色のカニが他の列車に連結されたり
トワイライトに青色のカニとカヤが連結された場合はどうしたの >>376
トワイライトカニを日本海1・4号や銀河などトワイライト以外の列車に充当するときは所定の向きに戻す
青色のカニとカヤをトワイライトに充当するときはトワイライトカニの向きに方転 >>369
>カニ24−100が方向転換可能になったこと
これ、初耳なんですけど
ソースよろしく
ブルドックとかおたふくとかは要りませんので カニは0も100もカヤでも乗務員室側にジャンパ栓出てないから連結方向は固定だろ 24系の日本海に開放A寝台が連結されていた時期は
国鉄時代だと実はあまりないんだよな そういえばカニの発電エンジンは通常は1基のみ使用して
2基を同時に使用した例はあるのかな あまりしられてないけど24系24形は
A寝台車両以外は定期では急行に担当されたことがほとんどないんだな
そのA寝台車両も3両中2両は14系改造車だった >>386
オハネ24-500 「…」
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b3/14c367ee98935d3f6b782313a4021753.jpg
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d7/d74ad752fab50b1ef50e446bc3d7b510.jpg
ttp://www.jnrsite.net/pc24k/ohane24_502.jpg
ttp://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/ee3cd1d579672343c5f79fb183cfdffa >>387
それは元々14系14形の車両だから少し違う
ちなみにはまなす用のスハネフ14も元々は25形だった
14系は14形も15形もメインとしての定期急行担当経験があって
24系も25形はメインとしての定期急行経験がある >>388
>それは元々14系14形の車両だから少し違う
基準は全て自分だということですね
そうとは知らずレスつけてしまい失礼しました
乗れる車両じゃないとか、また条件を後出しで追加して否定されるでしょうからあえて触れないでおきますね、
電源車カヤ24のことは >あまりしられてないけど
こんな枕詞つけるようなレス乞食のお爺ちゃんにレスしちゃダメだろw 急行なんか無いんだから当たり前じゃんとしか言いようがw >>391
傍観してたけど、こいつの言ってる急行って銀河のこととちゃうの?
特別急行も旅規上は「急行」だけどさ。 >>387
開放ハネ車で個室化とかを除いた単純な開放ハネの状態で
14形→24形
15形→25形
24形→14形
25形→15形の4パターンがどれも存在しているんだよな >>46
>>54
超遅レスだけど
日本海のカニ24-100は一時期ほとんど見られなくて>>382で言われているように
一時期開放A寝台の連結もなかった カートレイン北海道には銀帯車だけじゃなくて
白帯車も担当されていたけど
それを見た人いるの 日本海にA寝台が増結号車に入り、A寝台2両の日があったが、目撃者の方いますか? 折妻だろ。切妻に半分あるなら、半丸妻とかもありか?w
半折妻もおかしな言葉だけどな >>401
オハネフ25-200に両側面大窓なんてない オハネフ25の0番台が東京駅口に定期の特急として来たこともあるんだよな 九州ブルトレで14系と24系が併合運転されるようになった時に
九州の14系側にはスイッチが取り付けられたけど
西日本の14系や九州の24系側にも取りつけられたのだろうか 一時期関西地区配置組にはカニも含めて25形の0番台しかいなかったんだな >>407
>>410
あとカヤ以外がすべて25形0番台だった時期もあった
100番台が来たのはトワイライトに車両を回した分の補填と
瀬戸のサンライズ化によるものがあった 日本海の電源車は国鉄,JR初期時代はカニの0番台かカヤのイメージしかないが、
トワイライトやサンライズの登場以降は100番台が取って代ったイメージがある。 >>412
東担当の日本海もカニの100番台が当初はあまり担当されていなかったけど
あとから増えてきたからな >>413
100番台はあけぼのと出羽限定だったからな スハ25は架線の電力を有効利用とか画期的だったが消費電力が大きく停車中に架線が溶断したという話はないな
交直両用パンタ付き電源車があったら面白いだろうがEF81から指令線を引き通さないといけないため無理だったはず
カニ22でもパンタ緊急降下用の「カニパンスイッチ」を搭載した機関車に限定されていた >>407
向日町は新製配置から山陽新幹線博多開業の50-3までの約1年が全車0番台
50-3で向日町はカニ全部持っていかれてカヤだけに
53-10の安芸廃止で100番台転入
55-10で100番台新製して0番台半数以上とカヤ全車青森へ
一方宮原は57-11で青森からカヤが来るまでずっと0番台だけ そういえば青森の24形と25形の開放ハネが共通運用の状態に事実上なったのって
いつぐらいだっけ? >>418
25形主体だったはくつるの廃止後じゃないか
90年代後半から24形の廃車を出し始めてはいるが 平成の初期には北斗星用の耐寒耐雪改造の対象にならなかったオハネ25/オハネフ25が数両青森にあって、
オリジナルの銀帯のまま大所帯の24形と共通運用されていたわけだが >>420
オハネ25-3〜6・140 と オハネフ25-1・116 だな カニ24の100番台の向日町新製配置車は向日町に全然いなかったな
ただのちに関西口に来ることはあったけど 列車内にピアノ据え付けたのは夢空間が最初だがアップライトピアノだな
振動で変な音が鳴ったりとかする懸念があったのでは?
流石にグランドピアノ据え付ける冒険はしなかった >>424
ピアノを基準に車体を作るんだよ
そんな事言わせんな ボディと屋根の間にマイナスドライバー差し込んでツメを外せば、屋根が丸ごと外れるだろうが 車輌程度のスペースにグランドピアノ入れると、音の反射スゴイかも。小さな音で弾く事も可能だけどグランドピアノの意味が削られるし。 京阪大津線でもアップライトピアノ持ち込んで車内で演奏会やったな
しかしアップライトピアノは音の響きが悪くカバーを外していた
家で演奏する時は響きが悪い方がマンションで隣に響かず良いが録音する時は蓋を開けてマイクをピアノの中に突っ込むと良い
https://www.youtube.com/watch?v=EAFWkmDJA6w HOだと14系15型との差異が(少しだけ)明確だがNでは解りにくい
だから15型のエンジンには他の床下機器とは違う色差しして煙突部と同様に汚れた表現
あっ実車スレでしたな このサイトに1985年にあったEF65-513のPF代走が出てるんだが、それよりも2枚目の写真にある1両だけポツンと
組み込まれたオハネ24らしき車両が気になって仕方がない
ttp://rail.travair.jp/?p=76 >>432
まだロビーカーが連結される前に、
富士で先行使用されてたオハネ24カルテット。
その後、オハネ24-700番台(金帯)になり、博多あさかぜで使用。 >>433
thx
この写真は3両目がオハネフ25なんだけどこの当時の富士は3両目がオハネ25なんだよなあ オハネ24カルテットは、金帯あさかぜに組み込まれる前は、銀色のテープ貼っていた。ステンレス帯の25形ばかりの富士編成に混ざるとやっぱり浮いてたね。 >>432
これEF66のダイヤのスジに乗れたのだろうか? EF65 513は「さくら」もEF66のマーク付けて代走してたよね(画像検索で出てくると思う) オハネ24カルテットの銀帯時代の写真があまり出てないような 博多あさかぜのデュエットとカルテットは夢空間編成にも連結されていたな もし14系と24系の併合が国鉄時代から始まっていたら
どうなっていたのだろうか >>317
一応は特急用だし電源車は必要だろw
オハネフ両端に車掌室なら、ただカニ24の100番台も、
もう他の24系と外観を合わせず、両端切妻、車幅は50系客車と同様の裾絞りナシ、
塗装は青20号で帯ナシ・・・という実用一点張りな外観が良かったなw
パッと見には「あれ?ブルトレにマニ50が連結されてる?」と勘違いさせる様な
マヤ20を連結した佐世保さくらを彷彿させる様な編成を見せて欲しかったw
まあ編成美に拘るヲタには大不評だったろうがなw >>437
牽引定数がー、って言ってもブルトレはそれなりに余裕があるダイヤ設定だったからね。
当時のダイヤ見ても富士は他の列車と比べてもキツそうでないスジだったし、加減速が多いワケでもないし。
定常的に運行するには過負荷かもしれんが、代走程度なら回復運転する様なつもりで走れば問題ない。
両数が減ったとは言え停車駅も増えてスジも当時より早くなった末期の富士ぶさでもPFが問題なく代走したしね。。。 >>447
千歳線を走るDD51北斗星やカシオペアは結構余裕がなかったかも
(これは貨物でもいえることで
DD51の重連を貨物でもしたのも千歳線の過密ダイヤが理由) >>420
青森の銀帯25形はあまり目立たないまま白帯になっていたり金帯車が大量に入ってくるようになったよな 24系で最も短命だったのは事故廃車のオハネフ25-18? オハネフ25-18 落成1974.3.18 廃車1976.2.26 (1976.? 川尻構内入換中衝突事故)
2年ないのか…
オハネフ24-17→スハネフ14-102 落成1973.9.28 改造1977.3.31 廃車1982.4.27 (1982.3.15 名古屋列車衝突事故)
オハネフ25-104 落成1976.7.26 廃車1985.1.20 (1984.10.19 西明石列車脱線事故) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています