【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
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切妻無機質のオハネフ25-100
独房オロネ25
食堂車は新製無しでオシ24と改造オシ14
あの頃の東京ブルトレは全く魅力がなかったが、
それでも食堂車や個室があるだけで
東北ブルトレや関西ブルトレより豪華に見えた不思議 昭和30年代の20系は画期的な寝台列車にしようと、あらゆる面で国鉄技術陣と車両メーカーが開発に奮闘した
だが昭和40年代になると製造される20系も簡素化が施され、合理化もプラスされてそれが25形まで続く
経済成長が続き大量輸送問題、労使問題、台頭した航空機との競争等あったものの、僅か10年で運んでやるだけで満足だろお客よ?みたいなこんな劣化現象が起きる国鉄という組織が実に何とも言えんなあ 東京発着だけヘッドマーク付いてた期間があったからね。
1975年〜1984年くらいだっけ? 東京の25形は銀帯の中に白帯オシとか統一性が無かったが、
どうせなら電源車は新製しないで旧客改造、
食堂車も各地で留置されて色褪せてたキサシやサシ、サハシの改造で賄って
凸凹編成好きにアピールして欲しかった >>327
東京発着だから付いてたんじゃなくて、東京機関区の特急運用だけ付けてたはず。
だから踊り子 や サロン〜そよかぜ にも付いてたと記憶してるんだが。 >>328
関西ブルトレでは寝台車が25形で電源車はカヤ24がなかばデフォだったし東北では逆に寝台車は24系で電源車がカニ24というパターンが多かった。
あとはやぶさ、富士、出雲で1年だけ24形時代があったが電源車はカニ24だったはず。
>>329
設定当初は東京機関区運用でなかった(確か浜松のEF58が担当?)いなば(→出雲)+紀伊もHMはなかったね。 EF58のブルトレ牽引は
65にない魅力も認めるが
なんか遜色特急な感じがしてしまう >>331
そうか?カニも含めて編成全車が銀帯な編成の牽引機が車体載せ代え組のオンボロEF58なのは味がある。
24系ではないが14系15形あかつきが登場した最初の1年は直流区間はEF58牽引だったな。
この場合もポンコツEF58+マッサラの14系15形という組み合わせもあっただろう。 昭和30年代には花形な存在だっただろうが、40年代に東京ブルトレ運用からほぼ撤退し、急行運用が多くなっていってからは古典的なデザインと最高速度95kmが相まって、東北や上越の田舎運用ならまだいいが、山陽ブルトレ運用にはふさわしくなかったな
機関車不足と平行ダイヤ化で仕方なく再び山陽ブルトレに入ったり、急行運用にほとんどつかなかったEF65に比べると、もともと急行と荷物運用も多かった58はやっぱりブルトレには泥臭いカマだよな >>334
EF65はSGが無いから、旧型客車を使用した急行や荷物は原則牽かなかったな。
個人的には、関西ブルトレのような実用本位の編成には、案外EF58が似合っていたと思う。
色は前面クリームの青でいい、機関車の存在感を示していた。
ちょうど蒸機末期、ハドソントリオが20系を牽いたように。
まあ様々な意見はあるだろう。 子供の頃に読んだコロタン文庫のブルトレ百科では、
25形100番台は、個室が独房、オハネフ無骨過ぎなど、
軽く批判されてたな
あと14系寝台車も共通だが、梯子が邪魔、
昼間の座席が座り難いなど
コロタン文庫の鉄道本は、
結構マニアックで好きだった オハネフ24とオハネフ25の0番台の丸妻側テールライト横にジャンパ栓と受けが付いた顔が好きなのは俺だけ?
20系の丸妻を初めて見た時は、禿げたオッサンのデコに見えたな。
実際知り合いにそんな感じの頭をした人が居る。 カニ25は小学館のブルートレイン大百科(ガキ用とは思えない20系からの歴史をあらゆる面から取り上げた素晴らしい完全保存版百科)見て、25形用の新型電源車かと思ったが、写真見ると35年前でも古臭く見えたカニ22だったから、何じゃこりゃ!?と思ったな
老朽化しててどうせ15形出るまでのショートリリーフだったんだし、新形式にせずカニ24の番台区分でよかったと思うんだがな
100番台は固定ハネ用電源車に想定されてただろうから、50番台とかよ
当時組合対策で、新形式出すのを躊躇してた当局が認可したのも意外だな 小学館がコロタンで全百科だったな
54、56年改訂版持ってたが、当時運転してたブルトレの牽引機関車や各駅通過時間を2ページに渡ってグラフみたいにしたり、20系からの全車両の車歴を表にしたりとにかく凄かった
東海道山陽ブルトレのどれかとEF66高速貨の、抜きつ抜かれつつの競争ネタがあったり、24系ページ扉の「エポックメーキングな形式」には痺れたな
写真も良くて、水銀灯に照らされた深夜の雪の水上駅にたたずむ北陸のEF641000を斜め後ろから撮ったのや、上野駅で中間のスハネフが連結してるショットがあったり、完全にコアなマニア向けな内容だった コロタンのブルトレ百科だが、
後半の各車両紹介で、マヤ24が何故か後ろ向きの写真なんだよな
カニ22もパンタ撤去後だし >>340
てか本来カニ24-100こそカニ25を名乗っても良かった気がする。 昭和49年、寝台特急を見に良く大阪駅に行ったがこのころが最盛期かな?
20系、14系、24系、25型、583系に急行ロネ、ハネ >>344
その頃なら銀河はスハ44連結していた。 「コロタン文庫22 ブルートレイン全百科」、さっきネット検索してたら
「まんだらけ通販」に古本(約1300円)があったからポチっちゃった。
小学生の時に持ってた記憶があるんだけど・・・見るのはそれ以来だわ。届くの楽しみ。 >>346
俺も大人になってから再購入したよ。古本屋で100円だった(汗) 九州へ行くのに最新式2段ハネのあかつき3・6号取れず、
元祖ともいえる20系西鹿児島・長崎行あかつき1号も取れず、
食堂車営業する2号も取れず
門司から食堂営業するあかつき4号も取れず、
結局彗星併結の14系という特徴のないあかつきの中段に乗車
安くて快適な2段ハネに乗りたかったあのころ オレはそのころ生まれたジュニア世代だが、1974年が関西ブルトレのピークだったが、そんな状況だったのか
前年にオイルショックが起きて日本経済にダメージがあったころだが、旺盛な需要があったんだな 正規のオシ24が必要な分作られなかった時点で
もう国鉄凋落の形式なんだよな
食堂車を既存の改造で賄った485系1000番台と同類というか
二段固定の味気ない二等寝台
独房の個室寝台
旧客に退行した切妻緩急車
食堂車だけ白帯という変則編成 >>351
オシ24ー100にされてもなんとなく違和感あった。
宮原の24系みたいに銀テープだったと気づいたのは廃止されたあとでした。 ビジネスホテルなどわずかしかない時代、
省力化、安っぽさよりも1600円での
2段ハネはありがたかった。
寝台の中で浴衣に着替えられるんだから。 三段が583下段と晩年の20系団体一度しか経験ないから、二段ハネは当たり前な感覚だな
それより開放寝台のセキュリティの低さがとにかく嫌だったぜ
昭和時代よりは泥する悪い輩いなかっただろうが、睡眠中全く無防備だから財布とか貴重品は枕元に置いたな >>354
乗ったことない人がイメージで書き込んでいるように見えるな >>355
だな。俺は、ある一度を除き窓側枕で一貫してたけどな。
ある一度と言うのは道内の急行寝台で冬場の暖房が暑すぎて夜中に脳ミソが沸騰しそうになって、通路に頭を向けたのが唯一。 354だが、イメージでってなんだw
乗ったことも無い奴が、20系団体に一度とかって書くのかよ
オレははやぶさA個室で東京ー西鹿児島乗り通しあるし、はくつる、あけぼのは数回利用してんだよ
マイナーなとこじゃまりものキハネフもあるな
オレも頭は窓側派だな
あけぼのの上越線沿線夜景を見るのが好きだったぜ 1976年のRFを入手したんだが、1976年10月改正の富士・はやぶさ・出雲への24系25型投入に伴う運用変更が詳しく
出ていて、その中にはじめて知った意外な点を書いてみる
【51-10改正の概要】
24系25型102両を新製投入し、24系24型使用の富士(7・8レ)・はやぶさ(3・4レ)・出雲(2001・2002レ)を置き換え
捻出した24系24型112両で20系使用のゆうづる4往復を置き換え
・食堂車オシ24は引き続き富士・はやぶさ・出雲で使用するため、24系24型から24系25型へ組換えが必要となったが、
組換えは所属の品川運転所だけで行われたのではなく、一部は鹿児島運転所において、下り3レで到着した24系
24型から、回送で別途送り込んであった24系25型へ組換えが行われていた
・新製された電源車のうち新製配置が青森となっている資料が多いカニ24-19〜21は、実際は新製後品川に回送と
なり、改正前のはやぶさ・出雲に先行使用され、東京到着後に移り変わりでそのまま編成ごと尾久へ回送となり、
ゆうづるに充当されてそのまま青森へ移っていった
カニ24-19 9/1落成、9/2品川回着、9/24東京→3レ→西鹿児島、9/26西鹿児島→4レ→東京→尾久、9/27上野17レ
カニ24-20 9/14落成、9/17品川回着、9/26東京→3レ→西鹿児島、9/28西鹿児島→回→東京→尾久、9/30上野5007レ
カニ24-21 9/24落成、9/25品川回着、9/30東京→2001レ→浜田、10/1浜田→2002レ→東京→尾久、10/2上野5017レ >>361
国鉄時代のこととはいえすごい方法だな
しかもカニ24-19〜21が品川で一時的に運用に入っていたとは 西鹿児島発東京・上野経由青森行って、一時日本海に充当されてた早岐の14系も真っ青だな >>362
そのカニ24-19〜21だが、RFの車両の動きには新製配置箇所がなんと品川になってる
その後のRFが手元にないので確認できないが、これが本当だとするとカニ24-19〜21は品川への新製配置から
1ヶ月経たないうちに青森へ転属したことになるんだが、こんなことがあるんだろうか? その後のRFの車両の動きを確認したら1976.9.30付で以下の車両が品川から青森へ一斉転属してたのが確認できた
オロネ24-1〜9
オハネ24-1〜67
オハネフ24-1〜27
カニ24-1〜5・8・19〜21
カヤ24-9・10
つまり、カニ24-19〜21の新製配置は品川で、新製配置から1ヶ月経たないうちに青森へ転属していたのが正当で
あることになる
もうひとつ興味深いのが、この一斉転属の頃に大宮工場でスハネフ14-101〜103に改造され、品川に2両と早岐
に1両がそれぞれ配置となったオハネフ24-16〜18が、一旦は他の車両と共に品川から青森へ転属していたこと
改造が品川に近い大宮なので、青森への転属は帳簿上の話だけではと思ったが、RFに1976.9.27の17レ(ゆうづる
7号)の5号車にオハネフ24-16が充当されていた記載があり、帳簿上の話ではなかったと考えるのが自然ですな 薄幸だったオハネフ24-17→スハネフ14-102の最期
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/36825641.html
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/36830448.html >>357
乗るときは好きに乗りゃいいけど、
枕木方向の寝台の頭向きのデフォを
通路側にしてあるのは、
不測の事態で横転なんかしたときに
少しであっても頭部へのダメージを
緩和させることが期待できるから >>309
カニ24−100が方向転換可能になったこととオハネフ25−100が方向転換不可能になったこととは関係ないだろ
この池沼がっ!! >>317
俺が小坊の頃は、オハネフ25−100こそブルトレを代表する顔だったんだが。
昭和55年頃は銀帯(ステンレス帯)の24系25形の中に白帯の押し24−0が入っていて編成美を乱していると思っていた。 変なのが湧いてきたなあ
カニ24は0番代だろうが100番代だろうが500番代だろうが片渡りで方転不可なのは常識なのに >>372
トワイライトは下り列車の展望確保のために編成内でカニ24だけを方転使用していた唯一の列車だったけど、
あれは片渡りのカニ24を両渡りのオハネフ25-500かスロネフ25-500との連結に限定することで編成として成立
させてたからね
方転可能ってのは編成内のどこに組み込んでも編成が成立するということであって、トワイライトは
あくまでも裏技だよ >>370
関西〜九州ブルトレでは電源車だけ白帯のカヤという格好がデフォだったな。
逆に東北ブルトレやはやぶさ・富士で1年だけ24形を使ってた時は電源車だけ銀帯のカニ24がデフォ。 >>374
東北ブルトレはカヤもそれなりにあったぞ >>373
トワイライト色のカニが他の列車に連結されたり
トワイライトに青色のカニとカヤが連結された場合はどうしたの >>376
トワイライトカニを日本海1・4号や銀河などトワイライト以外の列車に充当するときは所定の向きに戻す
青色のカニとカヤをトワイライトに充当するときはトワイライトカニの向きに方転 >>369
>カニ24−100が方向転換可能になったこと
これ、初耳なんですけど
ソースよろしく
ブルドックとかおたふくとかは要りませんので カニは0も100もカヤでも乗務員室側にジャンパ栓出てないから連結方向は固定だろ 24系の日本海に開放A寝台が連結されていた時期は
国鉄時代だと実はあまりないんだよな そういえばカニの発電エンジンは通常は1基のみ使用して
2基を同時に使用した例はあるのかな あまりしられてないけど24系24形は
A寝台車両以外は定期では急行に担当されたことがほとんどないんだな
そのA寝台車両も3両中2両は14系改造車だった >>386
オハネ24-500 「…」
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b3/14c367ee98935d3f6b782313a4021753.jpg
ttp://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d7/d74ad752fab50b1ef50e446bc3d7b510.jpg
ttp://www.jnrsite.net/pc24k/ohane24_502.jpg
ttp://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/ee3cd1d579672343c5f79fb183cfdffa >>387
それは元々14系14形の車両だから少し違う
ちなみにはまなす用のスハネフ14も元々は25形だった
14系は14形も15形もメインとしての定期急行担当経験があって
24系も25形はメインとしての定期急行経験がある >>388
>それは元々14系14形の車両だから少し違う
基準は全て自分だということですね
そうとは知らずレスつけてしまい失礼しました
乗れる車両じゃないとか、また条件を後出しで追加して否定されるでしょうからあえて触れないでおきますね、
電源車カヤ24のことは >あまりしられてないけど
こんな枕詞つけるようなレス乞食のお爺ちゃんにレスしちゃダメだろw 急行なんか無いんだから当たり前じゃんとしか言いようがw >>391
傍観してたけど、こいつの言ってる急行って銀河のこととちゃうの?
特別急行も旅規上は「急行」だけどさ。 >>387
開放ハネ車で個室化とかを除いた単純な開放ハネの状態で
14形→24形
15形→25形
24形→14形
25形→15形の4パターンがどれも存在しているんだよな >>46
>>54
超遅レスだけど
日本海のカニ24-100は一時期ほとんど見られなくて>>382で言われているように
一時期開放A寝台の連結もなかった カートレイン北海道には銀帯車だけじゃなくて
白帯車も担当されていたけど
それを見た人いるの 日本海にA寝台が増結号車に入り、A寝台2両の日があったが、目撃者の方いますか? 折妻だろ。切妻に半分あるなら、半丸妻とかもありか?w
半折妻もおかしな言葉だけどな >>401
オハネフ25-200に両側面大窓なんてない オハネフ25の0番台が東京駅口に定期の特急として来たこともあるんだよな 九州ブルトレで14系と24系が併合運転されるようになった時に
九州の14系側にはスイッチが取り付けられたけど
西日本の14系や九州の24系側にも取りつけられたのだろうか 一時期関西地区配置組にはカニも含めて25形の0番台しかいなかったんだな >>407
>>410
あとカヤ以外がすべて25形0番台だった時期もあった
100番台が来たのはトワイライトに車両を回した分の補填と
瀬戸のサンライズ化によるものがあった 日本海の電源車は国鉄,JR初期時代はカニの0番台かカヤのイメージしかないが、
トワイライトやサンライズの登場以降は100番台が取って代ったイメージがある。 >>412
東担当の日本海もカニの100番台が当初はあまり担当されていなかったけど
あとから増えてきたからな >>413
100番台はあけぼのと出羽限定だったからな スハ25は架線の電力を有効利用とか画期的だったが消費電力が大きく停車中に架線が溶断したという話はないな
交直両用パンタ付き電源車があったら面白いだろうがEF81から指令線を引き通さないといけないため無理だったはず
カニ22でもパンタ緊急降下用の「カニパンスイッチ」を搭載した機関車に限定されていた >>407
向日町は新製配置から山陽新幹線博多開業の50-3までの約1年が全車0番台
50-3で向日町はカニ全部持っていかれてカヤだけに
53-10の安芸廃止で100番台転入
55-10で100番台新製して0番台半数以上とカヤ全車青森へ
一方宮原は57-11で青森からカヤが来るまでずっと0番台だけ そういえば青森の24形と25形の開放ハネが共通運用の状態に事実上なったのって
いつぐらいだっけ? >>418
25形主体だったはくつるの廃止後じゃないか
90年代後半から24形の廃車を出し始めてはいるが 平成の初期には北斗星用の耐寒耐雪改造の対象にならなかったオハネ25/オハネフ25が数両青森にあって、
オリジナルの銀帯のまま大所帯の24形と共通運用されていたわけだが >>420
オハネ25-3〜6・140 と オハネフ25-1・116 だな カニ24の100番台の向日町新製配置車は向日町に全然いなかったな
ただのちに関西口に来ることはあったけど 列車内にピアノ据え付けたのは夢空間が最初だがアップライトピアノだな
振動で変な音が鳴ったりとかする懸念があったのでは?
流石にグランドピアノ据え付ける冒険はしなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています