【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! そんなんで感動するのか
高崎の12系乗ればいいんじゃね >>934
こちらは関西住みだから、なかなか乗れなくてねぇ・・・
去年、急行津軽の12系を10時打ちで取れた時は、うれしくてうれしくて言葉にできない感動を覚えたよw 関西なら北びわこの12系でも乗ればいいだろ。ほんとヲタは色々言うよな >>933
東武の14系に乗ったら失禁しそうだなお前 >>936
北びわこの12系は青モケットじゃないんで 12系客車を特急に流用した時料金を100円安くしたって聞いた事があるが、
これと、583系の昼間の状態(通常の料金)と、どっちが座り心地良かったんだろう。 >>939
583系の昼間の状態は等級制時代の並ロのボックスシート(オロ40とかサロ85)とほぼ同等だったらしい。
だが12系の座席はシートピッチが若干広くなったとはいえ、所詮はオハ35やスハ43の延長線上だからな。 以前から583のボックスシートを目の敵にしている奴が居るが
そこまで対面座席を嫌がる理由がわからん。 スハ43 ボックス ピッチ1470(間470)
スハ44 固定クロス シートピッチ835
ナハ10 ボックス ピッチ1480(間480)
モハ20とか 回転クロス(のちの151系) シートピッチ835
モハネ580とか ふんわかボックス ピッチ1970(間不明・壁70)
モハ182とか 簡易リクライニング(悪名高きバッタンコシート「R51(ノーマル)」) シートピッチ910 あ、いけねー
12系 ボックス ピッチ1580(間不明)
14系 簡易リクライニング(悪名高きバッタンコシート「R51(ノーマル)」) シートピッチ910 >>939
昼間で4人掛けなら間違いなく583。シートも大きいしクッションも深い
窓際でも通路側に声かけなくても席を立てる
まぁ個人的には1ボックスを一人なら12系がいいかな。前の席に足を投げ出せる
583は前の席が遠すぎてそれができん >>946
そういう時は向かいの座席の座面を引き出して(ry 山陽新幹線博多開業の直前には、
20系「はやぶさ」 東京―西鹿児島・長崎
14系「みずほ」 東京―熊本
だった。
分割併合が容易な14系がその機能を活用せず、20系が電源車を増解結って状態だった。
それが博多開業時の改正で、
24系「はやぶさ」 東京―西鹿児島(付属編成は熊本で増解結)
14系「みずほ」 東京―熊本・長崎
に変わったから、車両の使われ方としては合理的になったって事なんだろうな。
博多開業前は何で不合理な使われ方だったのか、知らないけど。 >>950
はやぶさは西鹿児島発着の基本編成は所要3本、長崎発着の付属編成は所要2本
熊本発着のみずほは(基本+付属共に)所要2本
マヤ20の解結は解消出来るが日々の輸送力は増えないのに追加で必要な基本編成分8両+予備車を敢えて新車で作るのが良いのかって話だわな >>950
当時のはやぶさは20系のあかつきと共通運用してたというのもある。
因みに当時の20系あかつきも新大阪−西鹿児島・長崎の運転だったからな。 >>952
これか
基本 カニ+ロネ22+ハネ+ハネ+ハネ+シ+ハネ+ハネフ23
品川〜東京1645→3レ→1429西鹿児島
西鹿児島1940→22レ→1037新大阪〜向日町
向日町〜新大阪1828→21レ→0911西鹿児島
西鹿児島1230→4レ→1030東京〜品川
付属 ロネ21+ハネ+ハネ+ハネ+ハネ+ハネ+ハネフ22
品川〜東京1645→3レ〜4003レ→1220長崎
長崎2201→4022レ〜22レ→1037新大阪〜向日町
向日町〜新大阪1828→21レ〜4021レ→0718長崎
長崎1505→4004レ〜4レ→1030東京〜品川
確かにこの運用ではやぶさだけを14系化するのはデメリットが多すぎるわな 72.10〜75.3までは、
20系(品川はやぶさ組):はやぶさ・あかつき・富士・出雲(基本のみ)・瀬戸(基本編成の瀬戸は73.10でナシが外されて別組化)
はやぶさ・あかつき 基本西鹿児島・付属長崎
富士 基本西鹿児島(西鹿児島では、はやぶさ・あかつきとは向きが逆)・付属大分
14系(品川):さくら、みずほ、あさかぜ
みずほ 全車熊本
あさかぜ 基本博多・付属下関
という、めちゃくちゃな時代
ただ、時刻表をみれば合理的で
みずほや14系あさかぜは、はやぶさの熊本客や殿様あさかぜの客を分散させるため、それらの後に運転・しかも幅広の14系 オハフ13って需要あったの?発電機無いから長大編成には要らないし >>960
スハフ+オハ×4+オハフの6両編成が基本で
12両ならこれを2本つなぐから計算が合う
12両編成だと中間に乗務員室欲しいよね
まあ最終的にはスハフでいいじゃんって感じになったけど 初期車は5両給電でオハフ無しで無かったっけ?
後で6両給電にしたからオハフ要るよねって造ったと思ったけど。 オハネフ24→スハネフ14の改造は、かなり大変だったんじゃなかろうか。
発電機・燃料タンク(・自動消火装置)を新たに床下に搭載して、
更に制御回路を14系用に交換、って事だと思えるが。 北海道、50系にエンジン載せるようなやつらだからな。そのくらい余裕でしょ
14系と24系の制御回路なんか電源系以外、そんなに変わらんし
>>962
逆じゃね。オハフが要るからじゃなくて、電源付きを減らしたいから容量あげたんでしょ >>962
当初は両端スハフ12の10両で使ったけど運用のしやすさ考慮すると6両を基本にしたほうが有利となってオハフ13を作ることに
その後スハフ12が100番台になると汚物処理装置の追加や主に東北方面へ投入することもあって電源確保上オハフを製造せず増備した >>964
>>963はスハネフ14-100のことを言ってるのでは >>967
北海道のはオハネフ25だね
963のは大宮工場らしい >>958
はやぶさとあかつきを共通運用することで、
はやぶさ基本編成の下りをそのまま折り返すとほぼ丸一日寝るが、
到着当日の上りあかつきに入れることで効率が良くなってんのな。うまいやりくりだな。 >>963
オハフ13はスハフ化が準備されていたのに1両も実施されなかった一方、
準備工事のないオハフ15やオハネフ24が後に
エンジン積んで電源車化してるのを見て
先を読むのは難しいと思う。 >>969
確かに効率はいいが、「あかつき」に充当するのにふさわしい編成かどうかは意見が分かれるような気がする
>>970
12系は短編成での運用が珍しくなかったが14系はそうではなかったからね 一度、スハネフ14の発電機の音から逃れようと思って、敢えて喫煙車を予約したことがあったけど、
あの音を忌避する動向はどの程度あったんだろうか。 試作車10両はただ単に発電用機関が5両までしか対応していなかったから
当時、キハ181系も量産先行車が作られていた頃であり、12系量産先行車と同じDMF15H-Gを発電用機関として使っている
キハ181 1 富士重工1968/9/1 新製配置:名古屋 DMF15H-G
スハフ12 1 新潟1969/6/10 新製配置:宮原 DMF15H-G
キハ181 5 1969/11/24 DMF15HS-G >>972
あれは寝相にもよるだろうね
俺は横向きつまり片耳を寝台につけて寝るから床下の音が増幅されて聞こえるのでエンジン音は厳しい >>972
マルスでもオハネを先に売るようにプログラムされていたと聞いたことがあるから、早めに寝台券を買えば避けられるはず。 >>333を再掲
333 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2016/05/28(土) 04:02:59.07 ID:+x9Po6NO
分散電源方式客車の給電両数は当時想定されていた負荷の総量から逆算して運用上定められてたものであって、
当時の時代背景と製造時期、技術の進展を考慮せずにスハネフの給電を6両にすべきだったと言うのは愚論そのもの
キハ181 .1〜 1968 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6 5両給電
スハフ12 1〜 1969 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 5両給電、後180kVA化
キハ181 .5〜 1969〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6
スハフ12 9〜 1969〜1971 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 6両給電対応
スハネフ14 1〜 1971〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU76(15,000kcal/h)×2 3段寝台、汚物処理導入
スハフ14 1〜 1972〜1974 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
スハフ12 101〜 1977〜1978 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
高速道路も航空路線もまだまだ整備されておらず、国鉄の輸送力が逼迫していて編成長を最大限に活用して1名
でも多く定員を稼ぎたかった時代に、マヤ24みたいな電源車から給電し分割後に電源車がなくなる編成だけスハ
ネフの発電エンジン始動で良かったんじゃないかとか、あまりにもバカバカしすぎて開いた口が塞がらんわ
その後北陸トンネル列車火災事故で分散電源方式を見直さざるを得なくなったのは国鉄にとって不幸だったがな >>950
>博多開業前は何で不合理な使われ方だったのか、知らないけど。
14系寝台車は20系に代わる寝台特急用の標準形式として分割併合も容易な分散電源式で新製された客車であり、本格的に営業を開始した
1972年3月の時点では北陸トンネル事故も起きておらず、24系なんて形式は構想すらなかったわけで、1972年3月当時としては別に不合理でも
ないのでは
1975年3月の博多開業時点では24系も登場しており、分割併合が容易という長所を活用できる寝台特急に新製中止となった14系が優先的に
使われるようになったのは、当然といえば当然かと >>976
言葉はともかく経過は分かりやすいまとめ
そしてまとめにはない1978年製造のスハネフ15だがスハネフ14と出力が変わらないんだよな
14形とは異なり分割併合列車への投入を前提に造られ、電源装置無しの緩急車は造らなかった15形は、最長だと
編成内にスハネフ15が4両入るので電源装置にスハフ14並みの出力は要らないと判断されたってことかな 24系は大電流対応・単電源のみ対応なので、
スハフ12+オハ12+オハネ25+オハネフ25
という編成は一応は組めるけど、こんな馬鹿げた編成は組まんやろう
と寝台特急全盛の頃は思われていた
という理解で良いの? 12/14系と24系じゃあ給電系統の思想はもちろんジャンパ栓の形式も異なるからな
新製当初は混結なんて想定してない >>979
日南とかいもんでやってたから出来るでしょ ↑「組めるけどやらないでしょ」に「出来るだろ」と突っ込むヤツの文章読解力のヤバさに気付かないさらにヤバイヤツ 「ゴーマルサン」改正で、14系の「あさかぜ」が廃止されたけど、
あれに充てられていた車両は何処に回ったんだろう。 いなばと紀伊になっただけ
3両のオシ14はオシ24 100番台になったけど、早岐から5両オシ14が入っているため、2両増えている 1975年3月改正
早岐→品川
オロネ14×3
オハネ14×24
スハネフ14×12
オシ14×5
品川→早岐
オロネ14×3
オハネ14×24
スハネフ14×12
オロネ・オハネ・スハネフは同数が相互に入れ替わる形で転属しており一見不思議な手配だが、この転属により編成単位で営業しながら
転属先へ移動が出来ただけでなく、オロネ・オハネ・スハネフはいずれも初期車は品川、後期車は早岐に集約された
オロネ14 品川1〜7 早岐8〜14
オハネ14 品川1〜53 早岐54〜106
スハネフ14 品川1〜27 早岐28〜54
オシ14→オシ24-100
早岐 5・6→101・102
品川 10・11・14→103・104・105 >>987
サンクス。
そう言えば、「いなば」は、食堂車営業休止だったな〜。
で、「紀伊」は、登場の7年後(この時「いなば」は「出雲2・3号」に改名)にあの事件。
あれで、スハネフ14の発電機に消火装置が未整備だったら、どうなってた事か。 北陸トンネル火災はオシ17の石炭コンロが本当の原因なの?タバコの不始末や電気暖房説もあった。 14系と24系でも単純に混結はできないとなると、
「12系と20系を混結させる(それ用に、20系を改造)」
なんていう発想が何処から出てきたのかという気がする。 >>997
登場当時の鉄道雑誌にそうするに至った経緯が全て書かれている
・急行列車の座席車は12系化による近代化が行われつつあったが、編成内に2〜3両だけ組み込まれていた寝台車は置き換えが進まず老朽化が進行
・24系の増備と新幹線博多開業による寝台特急需要の減少により車令の若い車両も多かった20系寝台車に大量の余剰車が発生
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