【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 暇な時間、最後尾に如何にもベテランの車掌が2人、向かい合う乗務員室の扉を開けてタバコを吸って内輪話をしている
光景は12系や14系の風物詩でもあったかなw あなたのあの頃は良かったって時代で
もし臨時急行が14系だったら
ほう、奢ったなと思う?
それとも妥当だと思う?
この辺で年齢が判断出来そうな気がするが
快速が12系でブーブー言ってるのは論外か 今でも臨時快速の189系で得した気分になるぐらいだな なるな
ガキの頃のすりこみは怖い。つばさ51で14系見てたから、北海道行った時にワイドで14系夜行に乗りまくった時は得した気分になった
まぁ気分だけで、実際は簡リク寝にくい上に、バッタンバッタンうるーから旧客の方がよかったんだけど 簡リクも確かに使いにくかったが、出始まりは「新しい時代の新しいもだから慣れなければ…」みたいなのがあって、
まぁ、使いにくいのは自分が悪いのかなぁ…、見たいに思っていたし、なんとかコツみたいなものを身に付けて慣れた頃に
「あれはあまりよくない」みたいな事を書かれたり、言われたりするようになった気がする。 そんなかんじだね。
なにか厄介だなと思いかけたときも
心のなかで「仕方ない」で収めてた感じ
タバコは嫌いな側だけど
パブリック施設での禁煙が今ほど叫ばれなかった当時は
すぐ前の席で紫煙が登り始めたときでも
そんな感じですぐ収めてた。 ガラガラで4席独占できるなら、たとえ急行でも12系の固定クロスの方が良かった気がする。
加えて、静粛性も12系の方が上手だったかなぁ…。
14系の簡単リクライニングシートのR51って電車にはない前後の衝動で、にぎやかに前後にガタつくんだよな。
長い下り坂でおそらく機関車の方のブレーキが強い時だと思うが、客車の方が細かい前後衝動に見舞われるんだろうな。
誰も座ってない座席はその時は決まってガタガタガタ…と前後に振動していた。
ブレーキングの時の大きい衝動だと座席を回転させる時に前傾させるくらいのレベルまでガタついていたよね。 空いた列車のボックス席で体をLの字に曲げて寝るのが快適だったな。
12系はシートピッチが広いから、短足の自分は脚が向かいの席に十分届かないこともあったけどw 12系は体をL字にして寝る時の身体の納まりが良かった。
たまにシートの下にジュースの缶をかませて傾斜をつけてる奴がいたけど、ありゃダメだorz
寝返りのたびに外れてどうもいけねぇや。 強者は座席のクッションを外して床に置いてベッド代わりにするんだよな。
外せない車両もあったと思うけど。 >>85
昭和63年の急行大雪は、ハネを自由席代用としてたな。
上段は使わないでください!とレチ氏が巡回中に注意してたわ。
また、平成元年の急行大雪は、まりもドリームを自由席として開放してた。
2日おきに入っていて、トクした気分だった! かつての急行「きたぐに」は14系の見本市のようだったね。
オシ以外の14系全種をつなげていたからね。 >>99
14系になる前は
普通車座席は12系、寝台は10系、グリーン車はスロ62・スロフ62形など、それに郵便荷物車
これまた各種客車の展覧会のような編成。 >>101
1983年の「鉄道ジャーナル別冊 急行列車ジグザグ日本全周大追跡」では、
郵便車「スユ16」の表記がある。
なお、14系時代にはグリーン車はない。 >>102
スユ16(オユ14)も14系と見なすとしたらオシ14以外殆どの14系集合だな。 関東に住んでるけど、現役第一線時代のオハフ13とオハフ15って一度も見たことないゎorz はやぶさ・富士にロビーカーが付きEF66が投入された頃、
それに比べて14系のさくら・みずほは実に地味だなあと思った
カルテットはあったものの外観が大きく変わるでもなく、
24(25)系に比べて顔つきにバリエーションがあるわけでもなく… さくらは1列車、東京車掌区担当と言う名門と言うことで許せた。
みずほは繁忙期一発狙いしたいから、地味でいてもらいたかったから許せた。 オハフ13 70は久大本線で唯一の存在だったな
スハフ12が2両入った4両編成で、片方のエンジンは止めて居た。
(西と九は節約指向で、東と北は回しっ放し!) 15形寝台車がもう少し長く増備されていたらオロネ25の15形バージョンも作られたんだろうか? >>108
さくらみずほに個室Aつなげる気ゼロだったからなあ 15形でロネをつくる必要性があるとすればオロネ25のような個室しかないでしょうね。
下段に至っては5000円くらいの差があるけど、2段ハネと2段ロネとでは居住性に差が少ないですしね…。
2段ハネ、個室ロネにして省力化や経費節減をある意味達成させておいて、2段ロネを登場させ、時代の逆戻りも
ないと思いますよね。現に24形の後継の25形は個室ロネで、2段ロネは開発していませんから。
だけど2段ロネって根強い愛好者がいるんでしょうね、多分。「さくら」「出雲」「銀河」「鳥海」「出羽」でお世話に
なったけど、翌朝になって見てみると7割〜ほぼ満席くらいになってるんですよね…。
列車は2段ハネが満席だからって言うわけでもないし、始めから2段ロネを選んで乗ってるってんですよね。 >>110
昔鉄道ジャーナルの急行乗り継ぎルポで、きたぐにのA寝に
乗ったけど、そこにA寝のことが熱く書かれてたな。
そもそも静かに寝たいっていう人が集まるから静かだ、
とかなんとかかんとか。 >>112
それがまた、静かに寝ることしか出来ない造りになってんだわなw 14系寝台車は横軽を越えられる唯一の特急形寝台車だったのか…。 14系きたぐには地味に好きな列車だった。
稀に米原の65Fが牽引してたからな。 “きたぐに”と言えば“つるぎ”にはないA寝台を連結しているあたりが萌える。
同じ14系でも座席車と寝台車は運用目的や開発経緯が違う14系シリーズを“きたぐに”と言う列車が一つにした
列車の代表とでも言えましょうなぁ。前レスでもあった通り、食堂車以外の全てを使用しているあたりは
14系冥利に尽きると言うところだろうか…。 G車と言えば、列車が14系化されてから不連結になった列車が多い…、いや全てじゃね?
12系化の時は旧形客車のG車を使って列車を仕立てていたりしたけどな。 意外と12系から14系になってリクライニング化したからG車との格差が狭まったから・・・とか裏で言ってそう
2段ハネ化で開放Aネとの格差が狭まったから・・・てのはマジで言ってたし
あの頃ルーメットが残ってなかったらオロネ25も無かったかもしれん 末期の津軽はG車あったかなぁ?
昭和57年上野行きで
マニ36
オハネフ12
オロネ10
あとは12系だったような?
この時の58は151号機だったかな >>121
S57年であれば11月の改正前で、それ当時上下で2本ずつあった404レの方ではないですか?
402レ〜403レには旧客のG車をつなげていたと思います。 >>121
津軽は55・10で2往復ともスロフ62の連結を廃止 ありがとうございました、この列車上野に10時台に着く列車で翌年にはあけぼのになりました。
記憶が曖昧でした。機関車次位は
マニ362333北スミ
でしたね >>120
あ〜、でも簡リクとG車のリクライニング、夜行だと差は大だな。
夜行で3段ハネとG車が選べる場合、400kmまでだとG車の方が安い。
400kmを越えると3段ハネの方が安い。
でも、400kmを越えてG車に乗る奴もいるにはいたが。
そんな事も考えて、14系座席車+寝台車の急行では、G車を不連結にしたんじゃないかね?
夜行で明け、目的地到着がだいたい9時以降になるのなら高くともG車でもよい気はする…。 G車不連結の発端って、昭和40年代終わり〜50年代初めの料金大幅値上げだと思う
これで一気に利用率が低迷+老朽化のダブルパンチじゃないかと
14系化されるより以前にG車廃止になった列車の方が多い気がする レガート車をG車としてってのはどう?
急行に14系を使用しだしたときにG車用アコモ改造とかすればよかったのにな 急行用ならサロ481の廃車発生品のシートをそのまんま設置した12系があったけどね
窓割がシート配置と合って無いからスロ54相手だと分が悪いがスロ61と較べれば全く遜色なかった 14系座席車のグリーン車化をするんなら余剰の特急用や急行用サロを14系に編入した方が楽じゃね?
需給数バランス、タネ車の老朽度、将来性、費用対効果等など、折り合いがつけばの話になるけどさ。
12系のフルリクライニング化にあっては、鉄道会社によって改造後の区分が異なりましたね。
例えば九州は普通車のまま、四国はグリーン車でした。 山陰、紀勢などの客車列車の旧客の置き換え用に転用された12系客車は側面の白帯が消され、
スハフ12、スハフ13は乗務員室扉が設置されてこれも前面側面の白帯が消され、また一部の
車両は車端部付近のボックスシートがロングシート化されたりしてたな 座席変えた方が簡単だろ。食堂車みたいに改造が大がかりになると電車からってのはあるけど
まぁ末期の急行のスロなんか客乗ってかったから、どっちにしろなかったんだろうけど、海峡にはあってもよかったかも知れんね
はまなすにはドリームカーあるけど 国鉄の順法闘争の影響で、下り「富士」が大幅に遅れて車両のやりくりがつかなくなったとき、
上り「富士」は下関から団体臨時列車に使用する予定だった14系座席車が連結されて、
20系+14系座席車という編成で東京まで運転されたこともあった 客車にも「系」を付けて呼称するのが子供心になかなか受け止められなかった。 >>94
カヌ座のサロン佐渡(オロ12 706)で正解
オロ12系7両編成中、4両目だけ固定窓で白帯の下に銀帯があるのがわかる
1986年冬 長岡遠征
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/32692753.html
偶然やって来た「カヌ座」こと新潟局の12系お座敷列車。4両目が「サロン佐渡」だったかな??
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e4-8f/ozayo1965/folder/633912/53/32692753/img_3?1365919052
2代目塗装
(右端の固定窓の車両)
ttp://ozeng.cocolog-nifty.com/photos/photo/img044a.jpg
ttp://rail-moka.com/goods_image/A2840_Z3.jpg
3代目塗装
ttp://rail-photo.o.oo7.jp/pc12_sado.jpg 14系寝台使用列車の歴史
1972.10
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
大ムコ あかつき2/3・3/2・4/1
1973.10
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
門ハイ あかつき2/4・6/5、あかつき5/2+彗星3/2
1974.4
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
門ハイ あかつき2/5・7/6、あかつき5/3+彗星3/2
1975.3(食堂車5両を24系へ転出)
南シナ さくら・みずほ・いなば+紀伊
門ハイ あかつき1/1、あかつき3/2+明星6/3、日本海2/1
1978.10(この間に24系から緩急車3両編入)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2+紀伊
北オク ゆうづる9/4、北星、北陸
1982.11(A寝台車1両を24系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2+紀伊
北オク 北陸、能登、妙高
大ミハ きたぐに
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1984.2(食堂車1両を20系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2
北オク 北陸、能登、妙高、津軽
大ミハ きたぐに
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1985.3(食堂車2両、B寝台車3両を25系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2
北オク 北陸
大ミハ 銀河
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1986.11(A寝台車2両を24系へ転出)
南シナ さくら付属、みずほ付属、出雲3/2
北オク 北陸
大ミハ ちくま、だいせん
札サウ まりも、大雪、利尻
熊クマ さくら基本、みずほ基本 >>139
1984.2(食堂車1両を20系へ転出)
こんなの有ったのか >>141
ホリデーパルは形式は14系のまま変わってないだろ >>143
だね
オシ14-1 → オハ14-701 幡生 サロンエクスプレス東京ってひっそりと展望車だけ残ってるんだね
せっかく残ってるのなら鉄道博物館で展示して欲しいな
でも、JR東の唯一の14系が保留車のサロンエクスプレス東京のみってのが悲しいな
SLも復活しまくってる事だし、12系と14系を6両ずつくらい残しておいても良かったのにって思うよ。 >>145
展望車もとっくに長野へ廃車回送済ですが 定期運用されずに終えた旅客車両ってサロンエクスプレス以前にあった? JR分割された今から見ると門司局の車両が青森まで行っていたなんて
感慨深いよなあ。日本縦断超広域運用。
青森から関西に日本海で朝到着した車両が夜には九州に向けて出発って
運用だったけど冬季気候の違いで故障が頻発するのと日本海のダイヤの
乱れが九州まで影響するっていうので見直されたんだよね? >>146
そのとっくに廃車回送された車両が解体されずに残っている訳だが >>148
多客臨ながら、一般発売されましたぜ?
っ サロンエクスプレス踊り子
っ サロンエクスプレスそよかぜ 81系のシナ座は臨時「お座敷踊り子」として何回か走ってる >>148
質問の意味がよく解らない
ジョイフルトレイン限定って事?
で、その答えを知った所で何になる?
12系 14系座席車は元々波動用ですよ
旧客の置き換えで定期急行や普通列車にも使ったけど アホにレベルを合わせる必要はないからな
意味がわからないヤツは放置で吉 12系あるいは14系 さらには東海道筋のEF58他 創価学会の富士宮本山参りの
列車 創臨を抜きでは語れないんじゃないかね? 臨時列車のはずなんだけど
毎日のように来るという。国鉄の車両配置やダイヤ構成に大きな影響を与えていた。 俺の高校は山手線、あるいは山手貨物船沿いにあって当時は埼京線も湘南新宿
ラインもなくて貨物は武蔵野線メインだったから貨物も少なくて閑散としてた。
定期としてはあと宇都宮のゴハチに臨時だけど常連的な田町167系の遠足臨、
12系あるいは14系の創臨含む団臨だった。あとは原宿宮邸ホーム発着の
お召し。 座席列車ならブルトレ色にしなくてもよかったんじゃ
ないか?と思うこともある。
昼行特急色だったらどういうイメージになってたんだろう。 >>165
塗料の在庫管理や保管スペースなどを考えれば合理的。
後のネ+座の混成ではまさしくその為じゃないかと思えるほどじゃないですかw >>165
ブルトレ色って?
青20号に、クリーム10号の2本帯は12系が最初なんだがな
20系は青15号にクリーム1号の三本帯 そういや、今の東の車両の国鉄色って国鉄時代より色が濃いよな? >>167
実車を知らないからブルトレの色なんて皆同じと思っているんだろうな
総合板にいるヲタなんてそんなレベル 12系がでた頃は一般客車も茶色から青になってた頃だからな。青に帯いれたのは20系だけど、その後は、はつかりも
そうしたから、客車は青にして優等は帯入れようって感じで、12系14系もそれに倣ったんだろ
青20号にしたのは0系の影響かな。帯の色も一緒だし 20系出たばかりの頃のあさかぜなんて山陽線はまだ電化してなかったから
蒸気機関車のススで汚れが目立たないように暗めの青にしたんじゃない?
クリームも同様の理由で濃い目。。 じゃ レッドトレイン50系は何故 鬼っ子の如く 独自カラーで出たの?
一般用新型故?
気動車に合わせて タラコでも良かったような・・・事実識別に問題があるなら北海道では、711系電車と被りカラー
で側面は激似だったし・・・ てか14・12系は
それぞれ急行用だということを
忘れてないか?
あの時期(1970年代)に
仮にもし旧客置き換え用の
一般形客車が新製されてたら
青+帯の塗色には
なってないと思うよ。
旧客の体質改善車と同じ青の
単色だったろうね。
後年実際に50系が新造されたとき
なぜあの色になったのかは
50系スレで俺が訊いた回答があるよ
国鉄晩年だから考えを変えて
あの色にしたということらしい 投入されたのはほとんど交流区間だったから、無難に機関車に合わせられたのが一番の理由でしょ。
コスト削減もできるしな、それに元々国鉄はEF58を客車に合わせてグリーンやブルーに塗装するぐらいコーデが好きだからなw >>〜でしょ。
↑
ちがう。誕生時点ではまだ
急行用原則に従ってる 12系の白帯なしって結構渋いよね
20系の帯なしだったらただの化物だけど 50系がタラコだったら発車するときに力入って
ガラガラガラブブンガラガラガラブーンウオーンブーーーンブオーー-ーー
と口でいってしまいそう。
最近のディーゼルだともっと軽快な音にヒューンがついてカタンコトン
なってプシューーと止まるとホーム側のドアがぴぽーんぴぽーん
女性自動アナウンスで この列車は水沢方面一関行とかいうんだろうな お前がバカだよ177
176も何が違う、だ?
オレは30年以上前からファン誌やいろいろ雑誌見てるが、50系の特集で「交流電気機関車に合わせた」や、「旧型客車からのイメージチェンジの意味もあった」って記してあるんだよ。
書泉グランデにでも行って、各雑誌のバックナンバーの50系特集でも確認しろ >>183
だよな
雑誌集めでドヤ顔とかバカヲタそのものだわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています