【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 最もクソやかましかった客車は、ぶっちぎりでマヤの検測車 12系って国鉄型の電機であればどの釜とも合う万能客車だけど、旅客列車でEF66と組んだことあるのかな?
14系座席車はムーンライト九州であったよね? 14系座席車と66の組み合わせは海底トンネル号でもやってるけど、さすがに12系は記憶に無いな。一度客車牽引テストでやってたっけ? >>817
1991年8月11日 甲子園臨 東海道本線 芦屋→西ノ宮
EF66 43 + 12系 + 14系ハネ
ttp://www.kanorail.com/EF66/EF6643kousienrin229-27N.jpg
ttp://www.kanorail.com/PC/14kei_229-28.jpg
その他団臨
ttp://a-kato.sak ura.ne.jp/sblo_files/rail/image/EF66-442B12.jpg
ttp://harlequin.nce.buttobi.net/railway/west/ef66/66-5.jpg
tt://www.geocities.jp/kltd8001/EF6646-12kei.jpg
回送列車
ttp://kazkaz.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/03/23/15.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DLyJkCxUEAErO_2.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DLyJnTiUMAICfym.jpg 昭和51年の夏、小学2年の時に大阪→金沢で乗った臨時急行「加賀」がまさにこの14系座席車やったな。
何か、新車みたいな臭いがしてて、生まれて初めて乗った冷房車がこの14系だったのかも。
この当時の冷房て機械的・・・電気製品的な匂いがしてた?。大阪10:51、11番線から発車。
機関車は赤系だったのでEF81か・・・新大阪→京都では内側線の新快速ブルーライナーに抜かれ、
湖西線では西大津と安曇川に停車、北陸では後続の特急に道を譲りまくったので金沢まで約5時間を要した。
新大阪〜芦原温泉・加賀温泉は満席で、他はガラス空きやったかな。
途中、こちらが旧客の列車を待たせて先行したが、あの旧客は米原発の長岡行き・・・やったかも。
当時、北陸には非冷房のディーゼル急行「越後」が存在していたし、485系の「雷鳥」でさえリクライニング無しが
当たり前だったので、完全冷房簡リクの急行「加賀」は当時としては破格のサービスだったのかも。 >>820
当時の加賀って12系の日と14系の日があったみたいね 八甲田崩れの臨時快速海峡のトレインマーク(テールサイン)って白幕なのか臨時なのか思い出せないorz
側行先表示器は「函 館」ないし「青 森」だった希ガス。 利尻
スハネフ14 501・505・508
大雪
スハネフ15 502・504・506
まりも
スハネフ14 503・507
オハネ14 501・502・504
オハ14 503・505・507・508・510
※スハフ14が分からん >>817
スハ25「…」
※珍ドコ列車が有るだろ さよなら中山峠スイッチバック号に使われた青森の12系6両がばん物のタネ車 ふと疑問に思ったんだけど、空気バネやドアの空気ってどこから供給されてるのかな?
機関車とはBP管が繋がれてるけど、それとは別系統でCPがあったりするの? 手元の文献で諸元とか見てもCPは記載されてなかったけど… >>827
ばんものの6両は青森車じゃなくて南秋田車だぞ
1998/12/13付の転属 >>829
オハフには無いぞ
因みにベビコンは日立の登録商標
>>828
電源装置があるスハフに付いている
故に牽引機を選ばらない
50系はドア扱い用にMR管必須なので限定される
真岡鐡道のC11/12にMR管が付いているのはこの為 スレ違いだが24系はカニとオハネフにベビコンを搭載してる >>831
ありがとうございます!手元の書籍等にある諸元を見ても書いてなかったので疑問に思ってました。ベビコンを搭載してるんですね。
50系はMR管必須とは知ってたのですが、確か12系は聞いたことなかったですし。
以下スレ違いすみません…
以前にオハネフ24の通過音が入った音声データを聞いたことがあって、ベビコンの音が聴こえてきた覚えがありますが、
乗車したり通過音を聞いたことがあるオハネフ25ではベビコンの音を聞いたことがないんですよね。やはり25にも搭載されているとは思いますが… >>833
当然オハネフ24だけでなくオハネフ25もベビコン装備
紀勢線で竜華の12系1000番代を運用したら曲線の多さに加えて各駅でのドアの開閉もありスハフのベビコンだけでは各車へエアの供給が
追いつかず急遽EF58からのMRを併用して対応した話がある >>834
竜華の58にMR管付けたのは当初50系が投入予定であっただけで12系とは関係ないよ。
4〜6両が大して飛ばさないのにエア不足するんじゃ他の車両も影響するレベルの線形だわ。
12系は発電エンジン止めても営業運転出来るんだけど、この場合のエア供給はどっから持ってくるんだっけ? >>835
12系のためにEF58へMRつけたなんて言ってませんけど
>12系は発電エンジン止めても営業運転出来る
へえー、何処から聞いた話? >>836
営業運転してる12系に乗務してる車掌から。実際にエンジン止めてた。
12系は各車に車軸発電を持っているのでそーいう運用も出来る。
ただエア供給の事を聞かなかったのでその辺は謎。
紀勢線の12系も春秋はエンジン止めてエア供給をEF58に頼ってたんでは無かろうかという推測。 >4〜6両が大して飛ばさないのにエア不足するんじゃ他の車両も影響するレベルの線形だわ。
ベビコンだけでエアを賄ってる普通列車用の車両など他になかったかと思いますが 車軸発電機がついてますし、エアサスが無くても運転に支障はありませんし、ドアも手動開閉対応ですから出来るといえばできますが、
エアサスやドア開閉用エアまでそのエンジンからの電力が賄っていると車掌が分かっていて止めていたのかは疑問ですね
それはそうと、エンジンを止めてたスハフの他に編成内にスハフは無かったんですよね? >>830
しかもスハフは青函対応のやつだよな。
自動消火装置はいつ外したのやら。
もしかしてまだ付いてる? >>831-836
鉄道ファン1984年1月号(特集:機関車EF58)に下記の記述がある
■最近の主な改造
◆元空気だめ管引通し
AREB型ブレーキを採用している20系客車は,台車の空気ばねや供給用の空気を元空気だめ管からもらうシステムとなっている.そのため20系客車
をけん引できる機関車は元空気だめ管の引通しを設けたものに限定されていた.EF58は昭和47年10月に関西地区でブルトレけん引にカムバックした
が,その際に元空気だめ管の引通し改造(通称P型改造)が行われている.その後20系の急行転用に際してけん引機に融通性を持たせるため,C3000
形空気圧縮機をカニ21形に搭載し編成に空気を供給するようにシステムチェンジされた.そのためEF58のP形改造も,昭和50年春特急”北陸”けん引
のために行われた長岡区を最後に中断されていた.
ところが最近になって竜華区のEF58に対してこの元空気だめ管引通し改造が行われた.これは昭和59年2月のダイヤ改正で紀勢線の客車列車が
12系化され,それをけん引するためである.12系はオハフ13・スハフ12に小型の空気圧縮機を持っており,本来台車の空気ばねやドアエンジンの空気
は編成内でまかなえるシステムとなっている.しかし普通列車に使用するためドア開閉の機会が多くなること,曲線の多い紀勢線では台車のアンチ
ローリング機構により空気ばねの空気消費量が増えることなどを考慮して機関車側からも空気を供給することになったものである.
なお紀勢線には当初50系の投入が予定され,そのために元空気だめ管の引通し改造が昭和56年11月(42号)から行われていたが,計画の変更に
より一時中断されていた.しかし現在では139号(改造予定)を除く竜華区の全車がP形化されている(50系はドア開閉用の空気を元空気だめ管から
もらうシステムのため,けん引機は元空気だめ管の引通しのある車両に限定される).
また昭和57年に米原区の96号にも同改造が行われたが,これは同区の他のEF58がすべてP形であるため,その取り扱いを合わせるための措置で
ある(96号は宮原区からの転入車).
1983年10月現在の稼動車(休車は除く)
宇都宮(13両) 89・103・109・114・116・122・141・144・145・151・154・168・172
高崎第二(1両) 130
東京(8両) 12・14・61・68・124・129・148
浜松(18両) 91・93・94・142・155・156・157・158・159・160・161・162・163・164・165・166・167・169
米原(8両) 36・74・77・96・111・112・113・118
宮原(17両) 44・45・48・56・98・100・101・125・126・127・128・138・140・143・146・150・171
竜華(8両) 39・42・66・99・139・147・149・170
広島(2両) 38・63
主な外観装備一覧 1983年10月現在(稼動車のみ)
原型大窓 61・66
原型小窓 74・96・98・100・101・111・112・113・118・125・126・127・138・139・140・143・146・150
ツララ切り 36・38・39・63・66・88・89・130
スノープロウ 88・124・130
ワイパーカバー 74・112・113
パンタグラフPS14 12・14・36・39・42・44・48・56・61・68・93・113
原型フィルター 61・68・88・89・109・122・124・129・130・146 紀勢線の普通客車列車の推移
1984年2月 12系投入(和歌山市〜新宮間、竜華車)
1985年3月 50系投入(亀山〜新宮間、亀山車)
1986年11月 電車化・気動車化で全廃
竜華の50系は和歌山線内の運用(王寺〜和歌山市間、1982年5月〜1984年10月)に限られ、紀勢線では結局使われなかった 紀勢線はEF60になってもMRP増設してたから12系と関係あるんじゃね。
12系というか客車の空気バネ車はBPから供給できからエンジンかけなくても運転出来るし
ドアやバネで空気使いすぎるとブレーキに影響するからMRP増設したり、CPの容量あげたりする
寝台の方は容量あげたんだけどハザはそれやってないから紀勢線では機関車にMRPつけたんだな
>>841
やっぱりオハフにも積んでるよな。最近はもう面倒だから調べる気にも反論する気にもならん >>845
3枚目の後ろの方に、ウグイス色の101系?が写ってるね
この色の101系は初めて見た >>845
1992年4月に発生したこの事故で1号車のスハネフ14-2が廃車
EF66-55は運用に復帰したがその後事故の後遺症と思われる故障が多発し1997年に早期廃車となったんだよな
ttp://redliner.iza-yoi.net/others/accident/suhanefu14-2.jpg
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/Ef66-55-Crashed.JPG
当時の報道
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ethomeitami9836/7618788.html >>847
101系から改造されたクハ103-2000・2050番台じゃないかな
ウグイス色でJRマーク付きの101系顔は改造103系しかなかった 今更だが10系客車の中で12〜15の数字が空いていたから、
12系と14系形式番号に使われたのかな? >>851
オハネフ12
オハネ12
オハネフ13
オユ12
スユ13
オユ14
スユ15
なんてのがあるけどね
ナハ11、ナハフ11の次だからスハフ12(のそのまた次でオハフ13)、オハ12
オハネフ13の次だからスハネフ14でそれに番号合わせてオハネ14なんだろうね 大昔に急行「きたぐに」に乗りましたが、座席車は12系、寝台車は10系、グリーン車は
スロ62だった記憶があります。
そこで、詳しい方に教えて頂きたいのですが、10系寝台車やスロ62の冷房用の電源は
スハフ12から供給を受けていたのでしょうか?
真夏の10系寝台車に乗りましたが、床下のディーゼル発電機の騒音や振動が全く気に
ならなかったので、そう思った次第です。
そもそも、10系寝台車にあるディーゼル発電機は小型でスハフ12のような物とは全く
違う静かなタイプなのでしょうか?
以上、ご教示の程よろしくお願いします。 >>855
10系寝台やスロ62は1両に1台電源機関がついて個々で完結してる。12系からの電源供給はされてないよ。
騒音に関しては、現役当時はまだ小学生ゆえ知らないなぁ。
キロ28の冷房用機関だと3両給電の4VK機関より単独給電の4DQ機関の方が静かと聞いたような気がするが…それと同じなのかな? >>856 さん
さっそくのレスをありがとうございます。
旧客の冷房用電源は各車両単独で発電機を回して、1両分の電源を確保していた訳ですね。
長年の謎が解けました(感謝です) その10系寝台やスロ62の発電機だけど、軽油を満タンにして時間的にどのくらい回せたのかな? >>858
まさかディーゼルエンジン積んでると思ってるとか? 14系客車は電源車が無い分デッドスペースが無いので客室を有効利用できたがスハネフに当たっちゃうと発電エンジンがうるさかったな
静粛性の観点からだと20系や24系の方が上
キハ52で寝台気動車の実験も騒音問題で上手くいかず実現するのにトワイライトエクスプレス瑞風まで50年以上待たないといけなかった >>858
大昔に東京-西鹿児島間を日豊本線経由で走っていた「急行・高千穂」の所要時間が28時間だった。
それを考えると、連結されていた「オロ11」の冷房用ディーゼル発電機は、満タンで28時間は
確実に動くことになるよね。
途中駅での軽油の給油をしたとか聞いたことがないし、実際はどうだったのか気になるわ。 >>856
キロ28 3両給電用 4VK 排気量4865cc 3000rpm/90ps
キロ28 単独給電用 4DQ-11P 排気量1986cc 3000rpm/43ps
客車単独給電用 4PK-9A 排気量3000cc 1800rpm/35ps 一般に構造上大きな差異が無ければ騒音の酷さと回転数は比例する >>863
回転数から分かるが気動車用は60Hzで駆動させると3600rpmに達してしまい騒音が非常に大きくなるので50Hzで駆動してて冷房能力が落ちてた
4極発電機にしたら回転数が半分になるが直径が大きくなりすぎ床下に収まらなくなる スロ62の越前の記憶だと音の高さは全く気にならなかったが、振動は感じたよ。
客車だけに走り出したらジョイントの振動で消されて感じないね。
電車のCPよりマシ。 >>866
確かに「ブ〜ン〜」って感じの振動はあった気がする。
当時の俺は旧客の床下に冷房用のディーゼル発電機があるなんて知らなかったので、
「旧客の冷房機のコンプレッサーはうるさいんだな」と思っていたよw 694: 名無しでGO! [sage] 2019/07/28(日) 00:45:56 ID:zAUa017l0
津軽83号は案の定荒れてるみたいだね
指定券不所持や18きっぷでの強行乗車
ホームでの撮り鉄罵声大会
車内徘徊、悪臭、気温上昇…
↑ヲタまじでキモいな >>865
正確には、発電機の直径よりも、半分の1800rpmにすると単純に出力も半分になるから、エンジンの出力不足で3000rpmに、発電機も2極にせざるを得なかったわけ。 14系寝台車は発電エンジンがうるさくて眠れないとかクレーム多かっただろうな
キハネフと揶揄された
静粛性の観点からだと24系の方が優れてるが電源車が丸々デッドスペースになるので14系の方が輸送力では有利 >>871
そうでもないぞ
あんた乗ったことないでしょ? >>871
オレは神経質な方だけど、スハネフは眠れないほどうるさくはなかったな。 >>871
1回も乗ったことない輩の定番セリフだな
それでもエンジン直上の下段は繁忙期以外あまり売らないようにしていたね
それ以外は他車とほぼ同じだったけど SL列車やイベント列車でのスハフ12の乗車経験から類推してると
思われる。
あれは確かにうるさい。 寝相によるよ
普通に仰向けに寝る分にはそんなに気にならない
顔を横向きにして片耳が寝台につく寝方だとこれはかなり煩い
でも一般的には許容範囲だと思う
>>875
>それでもエンジン直上の下段は繁忙期以外あまり売らないようにしていたね
ガラガラの北陸でここだった経験はある >>876
あくまで推測だが、スハネフは寝台車ってこともあってある程度の防音対策は講じてるはずでは?単純に比較できないかもね。
>>877
オレはわざわざ機関直上の下段を指定して乗ったもんだ…DMF15HZ-Gのドォ〜とした低音の響きが堪らなくてね。
心地よさに思いのほか早く寝ついてしまい後悔したことも…我ながら奇特だわ。 >>878の訂正
DMF15HZ-Gじゃなく、DMF15HS-Gね。
HZ-Gはスハフ12 100とスハフ14に搭載だわ。
あと、過去のピク誌をみると開発者の松澤氏の話としてスハネフの防音対策として機関直上には手をかなり入れてるみたい。 ID:2roJmb+Xの書き込みに凄い矛盾感じるの俺だけ?
いや、言いたいことは分かるんだけどさw >>880
うん、そうだろうね。オレが変ってことは自覚してるわw 変わりもんと言われるし。 >>881
そうじゃなくてさ
「防音対策」と「DMF15HZ-Gのドォ〜とした低音の響き」に矛盾感じたからさ
でも本当に言いたいことは分かる 60年代にキハ52で寝台気動車の実験しようとしたが振動問題が解決できず実用化されなかった
これのノウハウが14系の発電エンジンに活かされた? >>883
オロネ10が1959年に登場してるからなあ >>883
DT22履いた寝台車だったらブレーキ扱いする度に軸ばねが死ぬあの衝動が発生して
乗り心地たるや一晩中大変だろうね 音振と変速ショックでダメだった
DT31系と特急の固定窓なら可能だったかもしれないものの、581系でも生じたボックス座席の特急を作ってよいかと言うものになる >>14
95年頃だったかふるさとライナー九州号でリゾート客車に自由席として12系が繋がって
いた。
五年越しのレスw 俺、大井川鐵道の12・14系が運用開始されたら結婚するんだ・・・ 大井川の14系
運用開始予定だった2017年から3年経過
4両のうち3両整備したところで残り1両は放置
せっかくきれいに整備した3両も再び傷みが… 昭和47年の北陸トンネルの火災で、「客室床下のディーゼル発電機は危険」て事になったっていうが、
それだったら、特に14系寝台車は、製造じゃなくて使用を中止すべきじゃなかったんだろうか。
特に「北陸」なんて、10km級のトンネルだけで2箇所も通る上に、途中で分割併合もしなかったのに
14系だったのは大いに疑問だ。そりゃ、後年自動消火装置も設置されたんだろうけど。
っていうか、そもそも、分割併合する列車の場合、どのみち機関車増解結の手間がかかるものを
電源車の分だけ省略する事にどれだけメリットがあったのか、個人的にはよく理解できない。
つまり、20系から直接24系に移行してて然るべきだったんじゃないのかって気がしてしょうがないんだけど。 その辺りどんな協議がなされたかは不明だけど、
寝台車の客は就寝中だから、より危険が大きいと考えられたんじゃなかろうか。 今だってビルの耐震診断やって不適合でも空き家にしたりしないだろ 北陸は50.3に特急化された時、20系が使われている(それまで急行で定期は10系寝台+スロ62+スニの13両編成)
これが53.10で14系化している
スハネフへの消火・防火設備設置は53.10までに行われている
53.10から北陸で使われている尾久14系はそれまで早岐に所属していた車両=あの広域運用されていたヤツ
北星(尾久20系特急)とゆうづる(1本だけ。青森24系特急を尾久へ振り替え)も同時に14系化されている
動力分散にしたかったのは、ベッド幅拡大(20系52cm→14系70cm)による定員減(ハネ1両につき6寝台減)を電源車部の寝台転用にてできるだけカバーしたかったため
北陸なら
20系時代 ロネ21*1(28) ハネ(54)*8 ハネフ22*1(48) ハネフ23*1(48) カニ*1(0) ロネ28・ハネ528
14系時代 ロネ*1(28)、ハネ(48)*7、ハネフ(45)*4 ロネ28・ハネ516
あと何かにつけてうるさいマスゴミの新聞ほぼタダ輸送を除去したかったこともある
でも、実際にはカヤ・カニと戻ってしまい、昭和56年度の会計検査院の報告でやっとほぼ駆逐することができたもののほぼその直後に国鉄分割民営化 >>898
>昭和47年の北陸トンネルの火災で、「客室床下のディーゼル発電機は危険」て事になったっていうが、
それ、何処から聞いたの?
当時の国鉄車両設計事務所の方が書いた24系に関する鉄道ファンの記事にはこう書かれてる
それ以来,国鉄は旅客車,なかでも旅客が就寝していて火災の発見がしにくい寝台車の防火対策を抜本的に見直すことになった.
そうなると,寝台車の床下にディーゼル・エンジンを装荷するよりは,当時まだ自動消火装置が開発されていなかったので,20系のように
別個の電源車方式とした方がさらに安全性が高いという見解のもとに,自動消火装置が開発されるまで,20系のように独立した電源車を
連結した固定編成方式の寝台車を新製することになり,24系寝台者が誕生した.
別個の電源車方式とした方が 「さらに安全性が高い」 とは言ってるけど、「客室床下のディーゼル発電機は危険」 だなんて言ってないよ >>903
24系の電源車、最初から自動消火装置ついてるけど 誤字を修正
× 24系寝台者が誕生した.
○ 24系寝台車が誕生した.
そして北陸トンネル列車火災事故の直接原因はオシ17の電気暖房の配線のショートであり、床下のディーゼルエンジンは一切関係なかった
わけで、この事故から14系寝台車の使用停止に至るのは論理の飛躍では? >>904
文脈から床下エンジンの自動消火装置に関する記述と解釈してる >>904
24系の電源車の自動消火装置はエンジンルームに対して炭酸ガスを噴射するもので床下に装備の14系にはそのままでは使えない
>>903の記事の直前にある同じ方が書いた14系寝台車の項にはこのように書かれている
14系寝台車は,営業を開始してからもはや5年を経過している.この間の変遷を辿れば,床下エンジンに対する自動消火装置の設置と
汚物処理装置の整備が主な出来事としてあげられる.前者は寝台車防火対策の一貫として強力に推し進められ,エンジンの過熱を検知
して,自動的に液体消化剤を噴射する自動消火装置が昭和51年度中にスハネフ14形式車全車に整備された.後者は〜(後略)〜
そしてまとめの項にはこのようにも書かれている
また北陸トンネル火災事故以来,世界に類を見ない狩勝・宮古での走行燃焼試験などを通じて,寝台車の防火対策についての検討が
進み,難しいものの一つに数えられえていた床下エンジン用の自動消火装置の開発を終え14系寝台車での装着実績が安定してきた.
したがって,今後は分割・併合が必要な線区に対し,自動消火装置を備えた14系の2段寝台版が登場することになろう. 鉄ヲタは言葉の扱いが雑だからな
誤った認識からは誤った結論しか出てこない >>898
>っていうか、そもそも、分割併合する列車の場合、どのみち機関車増解結の手間がかかるものを
>電源車の分だけ省略する事にどれだけメリットがあったのか、個人的にはよく理解できない。
あらかじめ電源車だけを分割する駅に単独で配置しておく必要があり、車両の追加製造と保守要員の配置が必要
電源車が機関車次位になるとは限らない
途中の駅で列車の前方と後方で別に増解結をするとなると作業時間も要員も余計に必要
給電系統のつなぎ変えも必要
有効長不足などで輸送力が十分でない路線において何両編成であっても必ず1両必要な電源車の連結は定員減に直結
これらのデメリットを上回るメリットが集中電源方式で示せればその通りかもね
>つまり、20系から直接24系に移行してて然るべきだったんじゃないのかって気がしてしょうがないんだけど。
20系最終車落成 1970年9月18日
14系試作車落成 1971年9月16日
北陸トンネル事故 1972年11月6日
時系列上でその主張は成り立ちませんが 分散電源式を選択した1960年代の国鉄の方針決定と、それにより一定の成功をおさめていた12系・14系座席車の存在を無視してはならないよね
むしろ北陸トンネル火災事故があそこまで大惨事になってなかったら14系とその発展形が増備され続けて24系は誕生すらしてなかったのではないかと ほぼ全ての車両が鬼籍に入ってから功罪をつまみ喰いしてあの形式はこうすべきだったとか言い出す感覚が理解できない レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。