【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! ブルートレインという名称が一般的になったのは12系や14系が登場したあとの1970年代後半だろ
ヲタ雑誌の特集でブルートレインという単語が初めて使われたのは鉄道ジャーナルは1973年7月号、鉄道ファンは1975年1月号だぞ >>761
九州の485系レッドエクスプレス風に
赤色メインでロゴを入れるのはどう 763 うん用語はそうだけど、20系的な青色に白ないしクリームの帯
という発想。中国の暗い緑もなかなかだと思うんだけど、やはり
刷り込みからは逃げられなくて青に白帯になるんかなあ。
JR九州みたいな真っ赤なのんは頼むから勘弁してくれ 笑
同じ赤でも50系などは格調高くてよかったけどね。 青20号にクリーム10号の帯というのは12系が最初なわけだが? 旧客も青があったし、20系の青も含めて客車=青っていう方向だったんじゃないの?
で、印象を考えて明るめの青。
そんで、12系=急行型、14系=特急型という優等列車用だから飾りで帯入り。 >12系14系は夜行列車ではないのになんでブルートレイン塗装になったのかね?
12系のあとに製造された14系寝台車、14系座席車、24系寝台車が12系と同じ塗装とされ、その後ブルートレインと広く呼ばれるに
至ったわけだし、当初から青に白帯が夜行列車の塗装だと決まっていたわけでもないのだから、この疑問自体がよくわからない >>767
旧客の場合、一般にはアコモ改良車が青15号、オリジナル車がぶどう色2号という決まりだったからねえ 1958年10月のダイヤ改正で「20系あさかぜ」と「スハ44系はつかり」が青に白帯の塗装で同時に運転を開始したんですが 12系、昼行のイメージ強いけど、元々万博や創臨の夜行用だよね。夜行は安い客車でっていう
青に白帯は20系と同時期にはつかりがやってるし、青20号にしたのは、0系も意識してる
>>762
くつろぎがそんな感じだったよな。まぁあれはあれで。 >>771
くつろぎもだが、やまぐち号用の12系も民営化後に白帯のぶどう色に塗られてるぜ
実車ではなかったが、NゲージのEF641001に牽かせると、これがとても似合うw >>774
それは2005年のリニューアル後だから、かなり最近だな。
JR転換後に改造で出てきたのは紫(展望車風)、緑(欧州風)、木造模様(明治風、大正風)で、ぶどう色に
白ラインは昭和風だけだから。 ちなみにぶどう色+白帯の12系は、やまぐち号用5両以外に、予備車2両にも塗られてたから、この塗装は7両存在していた。 >>776
>>774が言ってる模型な
KATO 10-302 C57やまぐち号(茶)
ttp://www.orientalexpress.jp/10-302_c57/ そんなん出さんでも富が去年くらいに出したぞ。信者サービスで残り2両も出した。 オシ14は、屋根の高さやクーラは14系寝台車仕様なのに、
窓の天地寸法は14系座席車仕様(というよりは電車特急の食堂車仕様か?)なんだな。
食堂車は別に屋根が高い必要がないのだから、箱型クーラ並べて良かった気もするが。 わざわざ変える必要ないしな。オシだけ屋根の設計変えて、保守するにもAU76と13の部品
を揃えるとかしないでしょ。まぁトワイライトは4種類のクーラーだったけど
サシ581やオシ14、天井高くてよかったよ だったらオハやスハフも屋根の高さを揃えればよかったのに。 522 回想774列車 sage 2017/10/28(土) 17:57:24.68 ID:Qf0hMPDO
オシ24不足時に当時から余剰気味なナシ20からの編入があったら面白かったのに
544 回想774列車 sage 2017/11/04(土) 13:03:22.14 ID:8wrdhK+u
さくらはやぶさ・富士となはあかつきの14系24系併合はもっと話題になっても良かった
24系スレでも支離滅裂なこと言ってるガイジなんでスルーで。 >>786
昼行の座席車はAU76じゃ容量足りないから
昼行と夜行、特急と急行、通勤で冷房の必要能力違う >>786
当時は同じ14系と言っても座席車と寝台車つなげて使う気はなかったんだと思うよ 国鉄時代にリバイバルつばめかなんかで、
座席車編成にオシを差し込んだことやってたよな。 >>790
そう、オシ14を連結しただけで雑誌のトップで話題になるくらい、寝台車と座席車を混結して使う前提ではなかったわけで 同じ14系でも、オシを含む寝台車は20系の後継で定期の寝台特急用で、
座席車は12系の発展型で臨時列車用という想定で
国鉄は製造した訳か。 >>792
本格的に14系座席車と14系寝台車の混合がスタートしたのは
きたぐにと妙高が最初でその後に北海道の夜行急行に広がっていって
JR化寸前にあかつきに座席車が連結されるようになった >>795
津軽の14系寝台導入は北海道の夜行急行の14系化完了後
八甲田には通常用の14系寝台は連結されてない >>800
津軽はそもそも>>794であげられてないし、八甲田には「通常用の」とか後付の屁理屈をつけてるけど、
いったい何が言いたいのかわからない あの時代に14系座席車を製作した理由がわからない。
簡リク、回転クロス、固定窓から見て特急用なのは
間違いなさそうだが。 ↑は地雷なのでスルーで
689 名前:回想774列車[] 投稿日:2018/01/08(月) 14:59:01.92 ID:L42ymAit
上記の場合、誰が誰に対して
何について僻んでいるのか
簡潔に答えなさい。 >>801
>>800は>>795に対するレスなんだから、津軽に関しては書いてるが?
八甲田はたぶん、オハネ14繋いでたMOTOトレインのことじゃないか? >>795もいい歳こいたオッサンなんだから 「」 とか使わねーで能登とかいっとけばよかったのにな
能登、10系ハネ旧客ハザに64-1000だったのが、改正後には62に14系だったからな
結構な違和感だった それにしても14系、残ったJR線上の最大勢力がオハネでもオハでもスハネフでもなくてオロって言うのがなんか凄い。 >>806
今後の東武と大井川鐵道の保存運転に期待 昭和54年1月頃 EF58 133牽引 臨時
佐渡
オハフ13 67 盛アオ
オハ12 330
オハ12 328
オハ12 141
オハ12 139
スハフ12 104
オハ12 281
オハ12 276
オハ12 272
オハ12 57
スハフ12 101
八甲田や十和田の間合いでアルバイト運用だったのか?謎です >>777
レトロ客車になる前の塗装は他の車両にもやってもよかった >>804
そう、俺がMOTOトレインに乗ったときは、3段のオハネ14だった。
マニにGPz900Rを積んで。 最もクソやかましかった客車は、ぶっちぎりでマヤの検測車 12系って国鉄型の電機であればどの釜とも合う万能客車だけど、旅客列車でEF66と組んだことあるのかな?
14系座席車はムーンライト九州であったよね? 14系座席車と66の組み合わせは海底トンネル号でもやってるけど、さすがに12系は記憶に無いな。一度客車牽引テストでやってたっけ? >>817
1991年8月11日 甲子園臨 東海道本線 芦屋→西ノ宮
EF66 43 + 12系 + 14系ハネ
ttp://www.kanorail.com/EF66/EF6643kousienrin229-27N.jpg
ttp://www.kanorail.com/PC/14kei_229-28.jpg
その他団臨
ttp://a-kato.sak ura.ne.jp/sblo_files/rail/image/EF66-442B12.jpg
ttp://harlequin.nce.buttobi.net/railway/west/ef66/66-5.jpg
tt://www.geocities.jp/kltd8001/EF6646-12kei.jpg
回送列車
ttp://kazkaz.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/03/23/15.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DLyJkCxUEAErO_2.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DLyJnTiUMAICfym.jpg 昭和51年の夏、小学2年の時に大阪→金沢で乗った臨時急行「加賀」がまさにこの14系座席車やったな。
何か、新車みたいな臭いがしてて、生まれて初めて乗った冷房車がこの14系だったのかも。
この当時の冷房て機械的・・・電気製品的な匂いがしてた?。大阪10:51、11番線から発車。
機関車は赤系だったのでEF81か・・・新大阪→京都では内側線の新快速ブルーライナーに抜かれ、
湖西線では西大津と安曇川に停車、北陸では後続の特急に道を譲りまくったので金沢まで約5時間を要した。
新大阪〜芦原温泉・加賀温泉は満席で、他はガラス空きやったかな。
途中、こちらが旧客の列車を待たせて先行したが、あの旧客は米原発の長岡行き・・・やったかも。
当時、北陸には非冷房のディーゼル急行「越後」が存在していたし、485系の「雷鳥」でさえリクライニング無しが
当たり前だったので、完全冷房簡リクの急行「加賀」は当時としては破格のサービスだったのかも。 >>820
当時の加賀って12系の日と14系の日があったみたいね 八甲田崩れの臨時快速海峡のトレインマーク(テールサイン)って白幕なのか臨時なのか思い出せないorz
側行先表示器は「函 館」ないし「青 森」だった希ガス。 利尻
スハネフ14 501・505・508
大雪
スハネフ15 502・504・506
まりも
スハネフ14 503・507
オハネ14 501・502・504
オハ14 503・505・507・508・510
※スハフ14が分からん >>817
スハ25「…」
※珍ドコ列車が有るだろ さよなら中山峠スイッチバック号に使われた青森の12系6両がばん物のタネ車 ふと疑問に思ったんだけど、空気バネやドアの空気ってどこから供給されてるのかな?
機関車とはBP管が繋がれてるけど、それとは別系統でCPがあったりするの? 手元の文献で諸元とか見てもCPは記載されてなかったけど… >>827
ばんものの6両は青森車じゃなくて南秋田車だぞ
1998/12/13付の転属 >>829
オハフには無いぞ
因みにベビコンは日立の登録商標
>>828
電源装置があるスハフに付いている
故に牽引機を選ばらない
50系はドア扱い用にMR管必須なので限定される
真岡鐡道のC11/12にMR管が付いているのはこの為 スレ違いだが24系はカニとオハネフにベビコンを搭載してる >>831
ありがとうございます!手元の書籍等にある諸元を見ても書いてなかったので疑問に思ってました。ベビコンを搭載してるんですね。
50系はMR管必須とは知ってたのですが、確か12系は聞いたことなかったですし。
以下スレ違いすみません…
以前にオハネフ24の通過音が入った音声データを聞いたことがあって、ベビコンの音が聴こえてきた覚えがありますが、
乗車したり通過音を聞いたことがあるオハネフ25ではベビコンの音を聞いたことがないんですよね。やはり25にも搭載されているとは思いますが… >>833
当然オハネフ24だけでなくオハネフ25もベビコン装備
紀勢線で竜華の12系1000番代を運用したら曲線の多さに加えて各駅でのドアの開閉もありスハフのベビコンだけでは各車へエアの供給が
追いつかず急遽EF58からのMRを併用して対応した話がある >>834
竜華の58にMR管付けたのは当初50系が投入予定であっただけで12系とは関係ないよ。
4〜6両が大して飛ばさないのにエア不足するんじゃ他の車両も影響するレベルの線形だわ。
12系は発電エンジン止めても営業運転出来るんだけど、この場合のエア供給はどっから持ってくるんだっけ? >>835
12系のためにEF58へMRつけたなんて言ってませんけど
>12系は発電エンジン止めても営業運転出来る
へえー、何処から聞いた話? >>836
営業運転してる12系に乗務してる車掌から。実際にエンジン止めてた。
12系は各車に車軸発電を持っているのでそーいう運用も出来る。
ただエア供給の事を聞かなかったのでその辺は謎。
紀勢線の12系も春秋はエンジン止めてエア供給をEF58に頼ってたんでは無かろうかという推測。 >4〜6両が大して飛ばさないのにエア不足するんじゃ他の車両も影響するレベルの線形だわ。
ベビコンだけでエアを賄ってる普通列車用の車両など他になかったかと思いますが 車軸発電機がついてますし、エアサスが無くても運転に支障はありませんし、ドアも手動開閉対応ですから出来るといえばできますが、
エアサスやドア開閉用エアまでそのエンジンからの電力が賄っていると車掌が分かっていて止めていたのかは疑問ですね
それはそうと、エンジンを止めてたスハフの他に編成内にスハフは無かったんですよね? >>830
しかもスハフは青函対応のやつだよな。
自動消火装置はいつ外したのやら。
もしかしてまだ付いてる? >>831-836
鉄道ファン1984年1月号(特集:機関車EF58)に下記の記述がある
■最近の主な改造
◆元空気だめ管引通し
AREB型ブレーキを採用している20系客車は,台車の空気ばねや供給用の空気を元空気だめ管からもらうシステムとなっている.そのため20系客車
をけん引できる機関車は元空気だめ管の引通しを設けたものに限定されていた.EF58は昭和47年10月に関西地区でブルトレけん引にカムバックした
が,その際に元空気だめ管の引通し改造(通称P型改造)が行われている.その後20系の急行転用に際してけん引機に融通性を持たせるため,C3000
形空気圧縮機をカニ21形に搭載し編成に空気を供給するようにシステムチェンジされた.そのためEF58のP形改造も,昭和50年春特急”北陸”けん引
のために行われた長岡区を最後に中断されていた.
ところが最近になって竜華区のEF58に対してこの元空気だめ管引通し改造が行われた.これは昭和59年2月のダイヤ改正で紀勢線の客車列車が
12系化され,それをけん引するためである.12系はオハフ13・スハフ12に小型の空気圧縮機を持っており,本来台車の空気ばねやドアエンジンの空気
は編成内でまかなえるシステムとなっている.しかし普通列車に使用するためドア開閉の機会が多くなること,曲線の多い紀勢線では台車のアンチ
ローリング機構により空気ばねの空気消費量が増えることなどを考慮して機関車側からも空気を供給することになったものである.
なお紀勢線には当初50系の投入が予定され,そのために元空気だめ管の引通し改造が昭和56年11月(42号)から行われていたが,計画の変更に
より一時中断されていた.しかし現在では139号(改造予定)を除く竜華区の全車がP形化されている(50系はドア開閉用の空気を元空気だめ管から
もらうシステムのため,けん引機は元空気だめ管の引通しのある車両に限定される).
また昭和57年に米原区の96号にも同改造が行われたが,これは同区の他のEF58がすべてP形であるため,その取り扱いを合わせるための措置で
ある(96号は宮原区からの転入車).
1983年10月現在の稼動車(休車は除く)
宇都宮(13両) 89・103・109・114・116・122・141・144・145・151・154・168・172
高崎第二(1両) 130
東京(8両) 12・14・61・68・124・129・148
浜松(18両) 91・93・94・142・155・156・157・158・159・160・161・162・163・164・165・166・167・169
米原(8両) 36・74・77・96・111・112・113・118
宮原(17両) 44・45・48・56・98・100・101・125・126・127・128・138・140・143・146・150・171
竜華(8両) 39・42・66・99・139・147・149・170
広島(2両) 38・63
主な外観装備一覧 1983年10月現在(稼動車のみ)
原型大窓 61・66
原型小窓 74・96・98・100・101・111・112・113・118・125・126・127・138・139・140・143・146・150
ツララ切り 36・38・39・63・66・88・89・130
スノープロウ 88・124・130
ワイパーカバー 74・112・113
パンタグラフPS14 12・14・36・39・42・44・48・56・61・68・93・113
原型フィルター 61・68・88・89・109・122・124・129・130・146 紀勢線の普通客車列車の推移
1984年2月 12系投入(和歌山市〜新宮間、竜華車)
1985年3月 50系投入(亀山〜新宮間、亀山車)
1986年11月 電車化・気動車化で全廃
竜華の50系は和歌山線内の運用(王寺〜和歌山市間、1982年5月〜1984年10月)に限られ、紀勢線では結局使われなかった 紀勢線はEF60になってもMRP増設してたから12系と関係あるんじゃね。
12系というか客車の空気バネ車はBPから供給できからエンジンかけなくても運転出来るし
ドアやバネで空気使いすぎるとブレーキに影響するからMRP増設したり、CPの容量あげたりする
寝台の方は容量あげたんだけどハザはそれやってないから紀勢線では機関車にMRPつけたんだな
>>841
やっぱりオハフにも積んでるよな。最近はもう面倒だから調べる気にも反論する気にもならん >>845
3枚目の後ろの方に、ウグイス色の101系?が写ってるね
この色の101系は初めて見た >>845
1992年4月に発生したこの事故で1号車のスハネフ14-2が廃車
EF66-55は運用に復帰したがその後事故の後遺症と思われる故障が多発し1997年に早期廃車となったんだよな
ttp://redliner.iza-yoi.net/others/accident/suhanefu14-2.jpg
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/88/Ef66-55-Crashed.JPG
当時の報道
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ethomeitami9836/7618788.html >>847
101系から改造されたクハ103-2000・2050番台じゃないかな
ウグイス色でJRマーク付きの101系顔は改造103系しかなかった 今更だが10系客車の中で12〜15の数字が空いていたから、
12系と14系形式番号に使われたのかな? >>851
オハネフ12
オハネ12
オハネフ13
オユ12
スユ13
オユ14
スユ15
なんてのがあるけどね
ナハ11、ナハフ11の次だからスハフ12(のそのまた次でオハフ13)、オハ12
オハネフ13の次だからスハネフ14でそれに番号合わせてオハネ14なんだろうね 大昔に急行「きたぐに」に乗りましたが、座席車は12系、寝台車は10系、グリーン車は
スロ62だった記憶があります。
そこで、詳しい方に教えて頂きたいのですが、10系寝台車やスロ62の冷房用の電源は
スハフ12から供給を受けていたのでしょうか?
真夏の10系寝台車に乗りましたが、床下のディーゼル発電機の騒音や振動が全く気に
ならなかったので、そう思った次第です。
そもそも、10系寝台車にあるディーゼル発電機は小型でスハフ12のような物とは全く
違う静かなタイプなのでしょうか?
以上、ご教示の程よろしくお願いします。 >>855
10系寝台やスロ62は1両に1台電源機関がついて個々で完結してる。12系からの電源供給はされてないよ。
騒音に関しては、現役当時はまだ小学生ゆえ知らないなぁ。
キロ28の冷房用機関だと3両給電の4VK機関より単独給電の4DQ機関の方が静かと聞いたような気がするが…それと同じなのかな? >>856 さん
さっそくのレスをありがとうございます。
旧客の冷房用電源は各車両単独で発電機を回して、1両分の電源を確保していた訳ですね。
長年の謎が解けました(感謝です) その10系寝台やスロ62の発電機だけど、軽油を満タンにして時間的にどのくらい回せたのかな? >>858
まさかディーゼルエンジン積んでると思ってるとか? 14系客車は電源車が無い分デッドスペースが無いので客室を有効利用できたがスハネフに当たっちゃうと発電エンジンがうるさかったな
静粛性の観点からだと20系や24系の方が上
キハ52で寝台気動車の実験も騒音問題で上手くいかず実現するのにトワイライトエクスプレス瑞風まで50年以上待たないといけなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています