【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! オリジナルは24系24形の半分強の63両しかないからなあ
関西以西での運用ばかりで関東に普通に顔を出すようになったのは「さくら」と「はやぶさ」が併結になってからだし >>695
さくらとみずほの基本編成が熊本持ちになったころから15形が関東に進出するようになったけど
本格的に進出するようになったのは長崎持ちさくらの編成替えでカルテットが編成から外された時のはず それは25形からの編入改造が始まったからだろ
オハネ14がそれで次第に置き換えられていったからそう見えるわけで 東京発着の14系九州ブルトレの推移
1986年11月 さくら・みずほ2往復 基本7両を熊本へ移管、付属6両は品川、品川から14形38両、向日町から15形11両が転属
熊本 スハネフ14×10、オロネ14×5、オハネ14×11、オハネ14-700×6、オシ14×6、スハネフ15×4、オハネ15×7
1989年3月 さくら・みずほ1両増結 基本8両熊本、付属6両品川に
1991年3月 みずほ食堂車営業休止
1993年3月 さくら食堂車営業休止
1994年12月 みずほ廃止、さくらは基本・付属共に長崎へ移管となり品川は撤退、14形34両が長崎へ転属
長崎 スハネフ14×9、オロネ14×5、オハネ14×10、オハネ14-700×5、オシ14×5
1997年10月 はやぶさ・富士の運転区間短縮、捻出のオハネ25を15形化しオハネ14を順次置換え、15形11両も長崎へ転属
長崎 スハネフ14×9、オロネ14×5、オシ14×5、スハネフ15×4、オハネ15×7、オハネ15-1000×5
1999年12月 さくら・はやぶさの併結運転開始 富士付属/さくら編成は6両
長崎 スハネフ14×7、スハネフ15×4、オハネ15×7、オハネ15-1000×7、オハネ15-2000×5
2002年3月 さくら・はやぶさ編成短縮 富士付属/さくら編成は5両
長崎 スハネフ14×6、スハネフ15×4、オハネ15×5、オハネ15-1000×5、オハネ15-2000×5
2005年3月 さくら廃止、富士・はやぶさの併結運転開始、受け持ちを熊本へ変更、14系は熊本へ転属
熊本 スハネフ14×6、スハネフ15×4、オハネ15×5、オハネ15-1000×6、オハネ15-2000×5、オロネ15-3000×5
2009年3月 富士・はやぶさ廃止 東京口の14系九州ブルトレはこういう形態の推移になる
1972年3月〜1986年11月 14形のみ
1986年11月〜1994年12月 14形が主体で一部に15形を混用
1994年12月〜1997年10月 14形のみ
1997年10月〜1999年12月 14形が主体だがオハネは25形の編入改造で15形に統一、スハネフは15形と混用
1999年12月〜2009年3月 15形が主体でスハネフのみ14形と混用 オハネ15とスハネフ15が組み込まれた「みずほ」
ttp://js3vxw.cocolog-nifty.com/photos/jrq_pc14_15_mizuho/ イカロスの「形式14系」の巻頭カラーに最後尾だけが銀帯(スハネフ15)のさくらの写真が載ってる
撮影日は1993年5月とある >>698
15形はなぜさくらが長崎持ちになったときには熊本に残ったのだろうか >>702
熊本に残った15形は97年10月に長崎へ転属するまで「あさかぜ81、82号」などの波動用として使われてたようだ
ttp://ginga55.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8486649
ttp://ginga55.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8504234
運行に際しては不足するオハネを長崎から逆に借り入れて運行してたとか書かれている >>703
熊本の15形が長崎転属後は
臨時あさかぜには宮原の15形や鹿児島・熊本・尾久の25形が使用されていたんだな
臨時あさかぜ初期は品川の14形も使用されていたはず >>704
それは上段のリンク先の一行目に書いてある
>「あさかぜ81、82号」はまず1994年末に、品川の14系で運行され、1995年夏季から、JR九州の14系を使用しての
>運行となりました。 655 名前:名無しさん@線路いっぱい[sage] 投稿日:2017/05/20(土) 00:31:17.79 ID:AH2EaRin
紀勢本線 12系1000番代
ttp://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/017/226/763/a44f21ad89.jpg
ttp://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/017/226/764/38331a3f92.jpg
ttp://a-kato.sak●ura.ne.jp/sblo_files/rail/image/EF60508.jpg
ttp://jnr-photo.com/EF60/EF60500/ef60504d.JPG
ttp://www.jnr-photo.com/EF58/ef58147a.JPG
ttp://www.kanorail.com/EF58/EF58170_118-17N.jpg
ttp://www.kanorail.com/EF58/ef58147koza106_20N.jpg
ttp://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9c-92/mototetu104/folder/291548/88/1721588/img_0?1174820325
657 名前:名無しさん@線路いっぱい[sage] 投稿日:2017/05/20(土) 00:50:18.03 ID:AH2EaRin
興味深いのは国鉄時代の竜華の配置
1000番代はスハフ12-1000とオハフ13-1000だけでオハ12-1000の配置が1両もない さくらとみずほ
20系の頃は付属編成にもA寝台があったのに、14系になったら付属にはなくなってしまったな。
(とはいっても20系→14系の置き換え直前の時期までは、分割運転してたのは、みずほじゃなくてはやぶさだっけ)
あさかぜ、はやぶさ、富士の様に、行き先が一つの列車は、
「A寝台の需要も減ったので編成内で1両にします」でも良いだろうが、
さくらの付属・東京〜佐世保や、みずほの付属・東京〜長崎には、
A寝台の需要はなかったのだろうか?
趣味としては「需要は1両分の人数に減ったけど、どちらにも需要があるにはあるので」
ってことで合造車オロハネ14とか造って欲しかったがw >>707
1994年12月〜1997年10月のさくらは佐世保編成にもオロネ14が入ってましたけど? >>708
アレは単に同じ編成を二つ繋げただけで、需要とかを考慮した訳じゃなさうだけどね
食堂車も弁当屋としての営業だけど、長崎・佐世保どちらにも連結してたし A寝台の需要はなかったのか
↓
一時期連結あったろ
↓
それは需要を考慮したものじゃないだろ
何この流れw 食堂車営業はやってないとは言えオシ14が2両あった時期があったのか。
80年代中盤で、寝台二段化の為かスハネフの代わりにスハフが連結されている事があったけど
ハザとして運用されていたのかな? >>712
東京駅の出発待ちに遭遇しただけだが、ドア扱いもしていたし貫通路も施錠されてなかった。
ヒルネ専用? >>708
>>711
佐世保編成にオロネ14とオシ14が連結されたのはさくらとはやぷさの併合運転開始まで
その前のはやぶさと富士の区間短縮によるさくらの編成見直し時まではさらにカルテットまで両編成に連結されていた >>711
14系さくらで編成が一番豪華だったのは
長崎編成と佐世保編成が共通化されてA寝台や食堂車やカルテットが連結されるようになった編成かもしれないな カルテットって2段B寝台と同額だったよね?
編成から外さなくとも、Bコン扱いで継続とかは無理だったのかね? >>717
部屋売りだから4人分の寝台料金は取られる >>716
14系がメインに使用された他の寝台特急だと豪華な時期は
みずほだったら基本編成にカルテットが連結された後で
あかつきだったら>>694の時期で
北陸はシングルデラックスとソロが連結された12両編成の時期
出雲3.2号はシングルデラックスとシングルツインとツインと三段ハネが連結された時期かもしれないな wikiに書いてある九州の14系長期保留車ってググルと
マラヤンタイガートレイン用に譲渡されてるみたいだけど
なんで情報が古いままなんだろ? 譲渡されたのはwikiに書いてある7両のうちの6両で
スハネフ14 11だけは九州鉄道記念館に展示してるみたい >>720
wikiってのは具体的に何を指して言ってる? 山口の原色12系スハフが逝ったか…
あとは幡生で重機のアイアンクロー浴びるのを待つだけか 20系は12系との併結はあったけど、14系とはなかった? >>461
昭49年4月10日、5号車と6号車を入れ替え。
by 小学館のコロタン文庫のブルートレイン全百科 >>709
14系当初から14系寝台列車の編成を
あの編成にしていたら運用効率化ももっとできただろうな >>724
レトロ客車も逝ったぞ
なんか共食い整備しまくってたから、トラブル多かったらしいね 新35系も良いが、12系も今のうちに増備しないかな?東と西と東武、秩父あたりで折半すれば少しはコスト下がるだろうし。 14系時代の上り津軽のB寝台に青森から乗ったことがあるけど寝台はセットされた状態だったっけ?そんなわけないよな
15:54発だもんね
明るい昼間のホームから薄暗い車内に入った場面で記憶が途切れてる…
しかし律儀に15:54発車を守ってたんだな上り津軽は >>733
14系津軽のB寝台は短期間の連結だったよな 14系寝台ってイメージが怖くて汚い感じ。
急行きたぐにトンネル火災で問題になった
分散電源で床下に火元になる可能性ある
ディーゼルエンジン積んでるし、外から
だとそのエンジンが轟音立てて煩くて
おっかねー、屋根には黒い排気ガス出てて
臭いし、そのススで車体がこ汚ねー
スハネフは折妻で下品、ジャンパーの
取り回しが汚らしい、というわけで
24系25形より格下。異論は認めない。 だが14系の座席車の方は屋根が低くて窓が広くてスマートな感じ、座席もリクライニングで
特急客車の豪華な感じで結構好き。
12系もボックスシートの気安さ、連なるアルミ
サッシ、急行や臨時用にも関わらず冷暖房完備
、ブルートレインっぽい外観がよい。
どちらも臨時運用が多くて牽引の機関車が
何なのかというワクワク感もある。
って特に12系なんか創価学会の臨時列車が
なければつくられてなかったんじゃね? 大体やね、富士とはやぶさは20系、黒歴史の24系、24系25型と来てお上品な
集中電源方式で東京方のナハネフ、オハネフは、ああ〜これこそ今生の別れ
とばかりにハラハラと涙流しつつ、カタンカタンと静かに去って行くのが
粋というもんだった。それなのに富士とはやぶさが併結?は?14系?
ナニワの14系15形もいつの間にか東京口に来てて雑多なチャンポン編成でさ、
スハネフのガガガガおおおーんってエンジン音で今生の別れの情緒を
ぶち壊しにするあれ、なんなの?ディーゼルの黒煙と硫黄臭おみまいしてさ。
まあ併結になった時点で富士とはやぶさの寿命は尽きてたというもんだ。 北陸トンネルの事故が無ければ、24系もできなかったと違うか。
荷物室も、その頃にはあまり必要がなくなったいただろうし、仮に
あったとしても「スハネニフ14」で、十分だったんじゃねえかな。 >>742
荷物室が必要な列車と分割併合を両立させるのに
14系と24系を併合させる列車がベストだった スハネニフってロシア人みたいやんけ。
だいたい客が乗るのにナでもなくオでも
なくスというのが怖くね?スと言えば
戦時中戦場で手足なくなったり、マラリアで
高熱出して唸ってたり、気が狂った兵隊運ぶ
スへ30とかスへセ30なんかの病客車思いだす
やないの。 オハネフ25の300番台も荷物室がありましたが
オハネニフではなかったですね。 >>742
「フ」と「ニ」は同時に使わないんじゃない? >>747
ttp://d51498.com/past/19890530/onifu-502317.jpg ぶっ飛んでるというか妖怪みたいできもちわるい。
おばけのQ太郎のドロンパかよ >>749
確かこのうちの2両が五能線のノスタルジックビュートレインの指定席車に改造されたんだよね。 バーボンエキスプレスも派手だった
アメトレ、オハフとオハの差別化でニフとかなったんだよな。同じようにオハテフもおかしいと思った。西の新型はちゃんとスハテ 客レのこういう人が作業してるところが見えるのが好き
https://youtu.be/yYinE-xKaqQ
時間も含め非効率なのはわかりますけどね >>753
スイスの観光鉄道の運賃賃率凄いからねw
日本でも高いと言われる大井川がJRの2倍ちょっとだけど
さらにその2倍クラスだから、人件費掛けてさらに保守大変な路線でも
世界からの客で成り立ってるんだね。 >>753
バッファがセンター1カ所で連結器が2カ所なのな。レーティッシュも電車化進んでるよね
一回行ってみたい 20系は未来を作ったけど、14系は現状維持だったからね。 12系のリクライニングシート車はもう少し多くあっても良かった >>758
スルーが吉
544 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2017/11/04(土) 13:03:22.14 ID:8wrdhK+u
さくらはやぶさ・富士となはあかつきの14系24系併合はもっと話題になっても良かった あまり知られていない・もっと話題になっても良かった厨 12系14系は夜行列車ではないのになんでブルートレイン塗装に
なったのかね? ま、夜なんかあの塗装に赤いテールランプが映えて
最高だと思うけどね。あるとすればほかにどんな塗装が考えられた
のか? ブルートレインという名称が一般的になったのは12系や14系が登場したあとの1970年代後半だろ
ヲタ雑誌の特集でブルートレインという単語が初めて使われたのは鉄道ジャーナルは1973年7月号、鉄道ファンは1975年1月号だぞ >>761
九州の485系レッドエクスプレス風に
赤色メインでロゴを入れるのはどう 763 うん用語はそうだけど、20系的な青色に白ないしクリームの帯
という発想。中国の暗い緑もなかなかだと思うんだけど、やはり
刷り込みからは逃げられなくて青に白帯になるんかなあ。
JR九州みたいな真っ赤なのんは頼むから勘弁してくれ 笑
同じ赤でも50系などは格調高くてよかったけどね。 青20号にクリーム10号の帯というのは12系が最初なわけだが? 旧客も青があったし、20系の青も含めて客車=青っていう方向だったんじゃないの?
で、印象を考えて明るめの青。
そんで、12系=急行型、14系=特急型という優等列車用だから飾りで帯入り。 >12系14系は夜行列車ではないのになんでブルートレイン塗装になったのかね?
12系のあとに製造された14系寝台車、14系座席車、24系寝台車が12系と同じ塗装とされ、その後ブルートレインと広く呼ばれるに
至ったわけだし、当初から青に白帯が夜行列車の塗装だと決まっていたわけでもないのだから、この疑問自体がよくわからない >>767
旧客の場合、一般にはアコモ改良車が青15号、オリジナル車がぶどう色2号という決まりだったからねえ 1958年10月のダイヤ改正で「20系あさかぜ」と「スハ44系はつかり」が青に白帯の塗装で同時に運転を開始したんですが 12系、昼行のイメージ強いけど、元々万博や創臨の夜行用だよね。夜行は安い客車でっていう
青に白帯は20系と同時期にはつかりがやってるし、青20号にしたのは、0系も意識してる
>>762
くつろぎがそんな感じだったよな。まぁあれはあれで。 >>771
くつろぎもだが、やまぐち号用の12系も民営化後に白帯のぶどう色に塗られてるぜ
実車ではなかったが、NゲージのEF641001に牽かせると、これがとても似合うw >>774
それは2005年のリニューアル後だから、かなり最近だな。
JR転換後に改造で出てきたのは紫(展望車風)、緑(欧州風)、木造模様(明治風、大正風)で、ぶどう色に
白ラインは昭和風だけだから。 ちなみにぶどう色+白帯の12系は、やまぐち号用5両以外に、予備車2両にも塗られてたから、この塗装は7両存在していた。 >>776
>>774が言ってる模型な
KATO 10-302 C57やまぐち号(茶)
ttp://www.orientalexpress.jp/10-302_c57/ そんなん出さんでも富が去年くらいに出したぞ。信者サービスで残り2両も出した。 オシ14は、屋根の高さやクーラは14系寝台車仕様なのに、
窓の天地寸法は14系座席車仕様(というよりは電車特急の食堂車仕様か?)なんだな。
食堂車は別に屋根が高い必要がないのだから、箱型クーラ並べて良かった気もするが。 わざわざ変える必要ないしな。オシだけ屋根の設計変えて、保守するにもAU76と13の部品
を揃えるとかしないでしょ。まぁトワイライトは4種類のクーラーだったけど
サシ581やオシ14、天井高くてよかったよ だったらオハやスハフも屋根の高さを揃えればよかったのに。 522 回想774列車 sage 2017/10/28(土) 17:57:24.68 ID:Qf0hMPDO
オシ24不足時に当時から余剰気味なナシ20からの編入があったら面白かったのに
544 回想774列車 sage 2017/11/04(土) 13:03:22.14 ID:8wrdhK+u
さくらはやぶさ・富士となはあかつきの14系24系併合はもっと話題になっても良かった
24系スレでも支離滅裂なこと言ってるガイジなんでスルーで。 >>786
昼行の座席車はAU76じゃ容量足りないから
昼行と夜行、特急と急行、通勤で冷房の必要能力違う >>786
当時は同じ14系と言っても座席車と寝台車つなげて使う気はなかったんだと思うよ 国鉄時代にリバイバルつばめかなんかで、
座席車編成にオシを差し込んだことやってたよな。 >>790
そう、オシ14を連結しただけで雑誌のトップで話題になるくらい、寝台車と座席車を混結して使う前提ではなかったわけで 同じ14系でも、オシを含む寝台車は20系の後継で定期の寝台特急用で、
座席車は12系の発展型で臨時列車用という想定で
国鉄は製造した訳か。 >>792
本格的に14系座席車と14系寝台車の混合がスタートしたのは
きたぐにと妙高が最初でその後に北海道の夜行急行に広がっていって
JR化寸前にあかつきに座席車が連結されるようになった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています