【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! >>447
オハ14も組み込まれてるけどな
ハザは通路扱いだったんじゃなかったか? >>447
14系寝台の栄光の編成は
さくらのA寝台カルテット食堂車付き編成を二つ合体した14両編成か
北陸のA個室B個室付き12両編成か
出雲のA個室B個室付き8両編成か
あかつきのA個室B個室レガートシート付きの14両編成だろう >>450
その食堂車2両入編成で、両方の食堂車が営業してれば最高だけどね。 >>450
さくらについてはみずほ廃止後だから
ブルトレ本格凋落開始の編成なんだよな… 85/11/4
EF65 1001吹
スハフ14 18
オハ14 57
オハフ15 15
オハ14 56
オハ14 65
オハ14 64
オハ14 59
スハフ14 16
臨時踊り子かな?
1001って当時は吹田区所属だっけ? >>404,410
前にブルトレの乗車記をひたすらあげてるブログにあかつきにオロネ25-300が入っててファッ!?ってなった記憶があるんだが、、、
今探しても見つからん。。。 >>454
宮原じゃね。銀河の間合いで宮原が入ってたことあったな >>454
この時期なら吹田で正解
そのあとに新鶴見に移動した 宮原のPFが踊り子を牽いてる記憶はあるけど、吹田のは知らんな。 サンクス 皆さん
国鉄時代の話なんで旅客 貨物は関係なく何でもアリでしたね 本来は東京区のブルトレ用PFのアルバイト運用だったけど
新鶴見の1063が牽いた事もありました。 85/11/23
EF58 61
スハフ14 18
オハ14 58
オハフ15 17↑
オハ14 61
オハ14 63
オハ14 62
オハ14 57
スハフ14 17 「さくら」が14系化した昭和47年3月時点では食堂車は5号車だったが、
昭和50年代前半には食堂車は6号車になってる‥‥ 熊本の14系15形がさくらが長崎持ちになってからもしばらくは熊本にいて
団体列車以外だと臨時のあさかぜぐらいしか運用されてなかった時期があった気がする >>463
20系の代わりに創臨で熊本-沼津往復に使われてた頃やね いくら機関車の運用が余剰とはいえ 夜行はともかく
臨時昼行客車特急がそんなに増発されると思ってたのか 当時の国鉄は 14系ハザのことか?14系ハザ、183系と同じ製造初年なんだけど
その頃は機関車余剰どころか、EF66やED75、PFもDD51も新製してる
L特急も同じ年の47.10改正から始めた
やる気満々なんだけど 雑誌とかでもあまり紹介されないけど
14系3段ハネ使用のカートレイン九州もあったな 83/7/3
ED76 512
オユ10 2555
スハフ14 503
オハ14 510
オハ14 507
オハ14 509
オハ14 520
オハ14 514
スハフ14 552
ニセコ そいえば昔流行ったミステリー列車乗った。
日本旅行のんで、京都発京都着。アンケートクイズのヒントは「遊園地〜」でオレは鈴鹿?と予想したが…
12系6両+DD51で京都7番から奈良線へ。木津で機回しして関西本線、当たったかと思ったけど
柘植で再び機回し、草津線三雲駅が目的地だった。今は亡き甲賀ファミリーランドそこで特設ステージ「ゴレンジャーショー」w
駅から遊園地まで歩かされた記憶がある。列車はそのまま草津まで回送されたんかな?無理やり折り返して貴生川で待機かな?
支給弁当食って2時間ほど後に駅へ戻って列車がまたやってきて草津経由で京都着。
ちなみに乗ったのはスハフ12のトップナンバー(もちろんオリジナル)
発車前の京都駅で乗り込んだゴレンジャーwが肘掛の上に乗って「赤レンジャー!」ってやってた。
今じゃ怒られるんだろうな >>472
三雲から甲賀ファミリーランドまで歩きだと上り坂だから1時間は余裕で掛かる スハフ12のトップなら、竜華のお座敷を経て「いきいきサロンきのくに」に改造されたやつね 甲賀ファミリーランドって、その筋では有名な元遊園地?
貴重な体験してますね! ムーンライト高知〜松山のスロフ2両共、乗ったけど最初に乗ったのは塗装があちこちめくれてボロボロだった。
後日乗ったスロフは綺麗に塗り直されてたが、青が若干暗くて隣の14系座席車と明らかに色合いが違ってた。配置会社によって使う塗料が違ってたのかな。 あのスロフのうちの1両、元サイエンストレインなんだよな、若桜にいったんだっけ。
東武にいったオロも1両はサイエンストレイン。子供の頃、見にいった覚えがある。品川とか川口のビール工場の引き込み線で
公開してた 播但線は50系の一部が12系に変わったが真っ青の中、白帯オハも混ざってた。冷房のない50系に対して青い汽車はエアコン入ってる…と地元でも重宝した。
姫路配置だったが姫新線には用いられなかった。DC化されたら米子に移ったんだっけ? ノートe-Powerスレでエンジンが発電専用ということで
ガソンリンエンジンじゃなくディーゼル乗せろと言う奴が定期的に湧くんだが、
このスレ住人から見たらどうよ?
昼間に乗るには床下にディーゼルエンジンが有ってもどうということは無いが
夜行だとガラガラうるさいし振動も伝わってくるんで、スハフよりオハを選んでた。 どちらにしろエンジンは必要な訳で
騒音的にディーゼルエンジン>ガソリンエンジンってこともないんじゃないの? >>480
小型車両ならガソリンエンジンでもいいが大型車はディーゼルがええよ >>476
そもそも色が違う。
一般的な12・14系は青20号(所謂ブルトレ用の青)なんだが、
四国の12系の末期は何故か青15号(20系や旧客の青)だった。
青20号の方が明るく、青15号はくすんだ感じ。 >>483
正式には「初代ブルトレ用」だな。
ブルトレは20系が初だし体質改善旧客の青塗りは後年だから。 >>477
オロ12-9は12系登場時に展示された
試作車の車両だし、
サイエンストレインにもなって
四国車のムーンライトで使われ
若桜で保存された幸運車だ。
個人的にはSL大和路号の初日(1986/8/1)
下り初列車で乗った車番なのが
想い出深い。 >>484
12系2000番代じゃごく当たり前の光景だったろ
スハフ12/オハフ13は便所側が前位だぞ だから「個人的に知らんかった」と書いとるがな。世代もあるやろし。
位側の件はどうも >>480
車両基地にガソリン給油施設が無いから。 84/7/22
下りニセコ
DD51 1048
スハフ14 504
オハ14 506
オハ14 510
オハ14 514
オハ14 518
オハ14 504
スハフ14 553
マニ50 2122
マニ50 2157
オユ10 2554 14系はスレ違いなので続きはコッチでやってくれ
【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止](c)2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1434740192/ 14系寝台を気動車で挟んだのはちょっと驚いた
だいせんとかでもやれば良かったのに
もっと言えば国鉄時代からやってれば良かったのに とはいえムーンライト四国の末期に見かけた
EF65PFで12系14系混成の3輌編成も悲しかったな。
14輌も引っ張って特急として駆け抜ける性能があるのに力を持て余してる、
一瞬ED60持ってこいよと思ったが、とっくに鬼籍に入ってた。 >>494
連結される気動車の編成も結構バラエティ豊富な編成が多かった
キハ54が増結車に起用されていたこともあった >>480
小型車のコストだとただでさえディーゼルは厳しいのに更にバッテリーやモーター積んで跳ね上がるのにな
250万からの設定でも許容出来るならいいんだろうけど >>496
そう思えば。
夏季の大阪発海水浴臨。
数年だったかと思うが、「但馬ビーチ1号+丹後ビーチ3号」12系で10両爆走。
大阪〜姫路はEF65PF、播但線〜山陰本線はDD51だた。
丹後ビーチ3号は豊岡で切り離し、DE10の牽引で宮津線普通列車に。 約10年前にまりものキハネフに乗車したが、見事なまでのくたびれっぷりだったな
あれで五月蝿い発電機エンジン作動してたら寝れなかったぜ >>494
あれは北斗星と海峡線用に車両を回した関係もあって
気動車と連結させることになったからな
すでにオハネ14が結構北斗星用に回されて急行時代に前よりも座席車が増えていた >>500
キハネフでも揺れが少なくてよく眠れたよ >>463
他の14系が長崎に移動したのに
15形はなんでしばらく定期運用もない熊本のままにいたんだろうか
さくら・みずほの基本編成が熊本担当だった頃は15形がたまに入っていて
その後長崎転属後もさくらに入っていたけど
その間が気になる >>503
>>464に書かれてるけど九州から富士(沼津)までの宗教団体臨時列車に多い時は週2〜3回のペースで往復してた。 >>504
それって15形が熊本に来た頃じゃなくて
だいぶ後のさくらが基本編成2つを連結して
14形が長崎に転属して15形だけがしばらく熊本に残っていた時期までやっていたの? >>504
創価臨がガンガン走ってた頃の沼津駅、当時撮った写真には、ホーム間の線路脇に
床下発電機用と思われる給油設備が点在しているのが写ってる
もちろん現在は撤去済みなんだけど、当時他の主要駅にもあったのかな? >>507-508
あれって給水用だったんですか、あんがと一つ賢くなったよw 北海道の14系は鋳鉄制輪子だったために95キロしか出なかったな
本州以南はレジンで110キロ出来たのに
はまなすの14系はどうだったんだ?鋳鉄だったが青函トンネルは特認で110キロだったとか?
北斗星やトワイライトの24系は焼結合金制輪子だった 鋳鉄だけが白丸95キロとか妄想
ディトナのレースパッド入れたらジャックナイフだぜ そもそも非電化で110km走行可能な機関車が居ない 1983.3.17
6404レ 急行おが(北オク)
ED75 752
スハフ14 4
オハ14 190
オハ14 25
オハ14 18
オハ14 20
オハフ15 1
オハ14 198
オハ14 199
オハ14 200
スハフ14 59 >>515
A急ブレーキ弁搭載して110キロ対応化したとかあるがググってみてもいまいちどんなのか分からん
制輪子は焼結合金か苗穂特製の特殊鋳鉄制輪子? >>513
DF200が110キロ対応ディーゼル機関車第1号
但しカシオペアクルーズでも110キロ運転はしてなく95キロでスジ引いてる? >>511
海峡が110km化された時に共通運用のはまなす用は110km化されている
実際50系も110km化された 14系(ハザ)は特急型というけれど
上野発着の一部の多客臨と「有明」くらいしか特急で使われてた記憶がない
すぐ思い出せるのは急行ばかり… >>521-522
まあ、何れも多客臨ではあるけどね、、w >>478
側面方向幕は、一応津山まで用意されてはいたが。
古いものの流用ではなく、新品。 というか細かいこと言うと
「分散電源方式」というのも疑問があるんよね
14系寝台車の場合は20系が比較対象だから電源車方式から
一部客車に分散搭載という意味で分かるんだけどさ
12系客車って10系客車と比較すべきじゃないのかな?
10系客車は自車給電方式でしょ?
まあ電暖とかあるけど
それに比べると12系の方が分散度は低いよね
集約分散方式と読んだ方がいい感じ >>525
56年生まれの10系ハネと、69年生まれの12系を比較するのもどうかと思うが >>525
10系は自車給電だけど暖房がないからな
10系は1両単位で様々な車両と運用
12系は基本固定編成で運用
車両運用の考え方が違うから10系と12系を同系列に語るのは違うと思うよ >>526
同一用途での使用も多かった訳で
比較は出来るっしょ
>>527
別に比較してるのは電源方式の差ってだけなんだけど めんどくせぇやつだな。1M1Tの電車にも動力分散じゃないって文句つけそうw
6M5Tはどうなんですか?動力分散じゃないんですか?TGVはプッシュプルですけど
あれも集約的動力分散方式と呼んだ方がいいですか? >>530
けど、あんたのコメント見てると
そういう(>>529が言ってるような)理屈だよな >>531
方向性の問題
一両毎→数両ごとは分散じゃなくて集約だよね そもそも14系座席車の製造目的は「団体波動輸送用の特急形客車」なんだから、>>523で何れも多客臨だったろ
とドヤ顔で言われても「だから何?」としか言いようがないわな
しかし踊り子が出てこない時代になったか…
>>532
基本的なことも理解せずに考えた俺の考えた分類用語の披露なら、あとはチラシの裏にでも書いてろ 急にスレが進んだなと思って開けたら案の定アホが沸いてるのか
しかも同時に2匹もw >>520
定期特急だとあかつきに1両組み込まれていたケースと
さくらとかのブルトレの2段ハネ化時の代車ぐらいで
季節・臨時特急なら踊り子・つばさ・彗星・明星・金星・しおじ・はつかり・はくつる・ゆうづるなどがあるけど 1990年の多客期に当時台頭してきた夜行高速バス対策で24系定期あけぼのにオハフ15を連結してたことがある
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ruroublog/38213498.html?__ysp=44GC44GR44G844GuIOOCquODj%2BODlTE1
(↑検査上がりの回送だったのかもしれないと書いてあるが、間違いな)
ttp://d51498.com/past/19900729/
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c9-db/ruroublog/folder/842893/98/38213498/img_0
ttp://d51498.com/past/19900729/ed75701_akebono_fukushima_bw.jpg >>538
あけぼのでのオハフ15は89年春(4月?)から90年8月まであけぼの3・2号で季節増結を実施
(下りの板谷峠経由最終列車になった90年8月30日上野発の1003レにもオハフ15 53がついた) >>537
ハザ入り特急で【いなば】を忘れないであげてください 定期特急運用なら、下り北斗星に函館からハザ付けたことなかったか? 名古屋駅で事故ってスハネフ足りなくなってスハフ14繋いだ例も。 >>539
この話本とかでもあまり出ない話だな
>>541
あった
ただし車両の都合上スハネフが連結された場合もあった
あと同時期に快速海峡が青函トンネルブームで増結されてその関係で
14系寝台の2段化されてない車両が座席車の代わりとして道内の急行に連結されていたこともある >>543
「あけぼの」へのオハフ15連結だが、1986年12月から品川〜弘前で運行を開始した、当時としては日本最長の夜行
高速バス「ノクターン」や、秋田発着の「フローラ」(1988年〜)、大館・能代発着の「ジュピター」(1989年〜)への対抗
策として始めたものの、そもそもの宣伝不足と、14系座席車の貧弱なストッパーすらない簡易リクライニングシート
では夜行バスのサービスに全く太刀打ちできず、散々な利用状況で短期間で取りやめになった >>544
詳細ありがとう
あと同じ設備で同区間に急行として津軽が走っていたのもあるのかも あかつきへのオハ14連結→レガート車への
進化と真逆になったわけね
オハフのサービス電源はこのスレでも
たびたび話題に上る方式で
24系から電源をもらってたんだろうな あるサイトの写真と鉄道雑誌の写真によると14系の定期まりもに
たまに金帯の24系ハネが連結されていたことがあるみたいだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています