【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 通勤途中の交差点での信号待ち。
隣に停まった保冷車の冷凍機が唸りを上げているのを耳にすると、ふとスハフ・スハネフの記憶が甦る。 >>39-40
国鉄最後の日に東京に行っていたいこいだなw
ただオハではなくスハフだぞ。 >>39
いつ頃どこで見たとか覚えてないの?
みんな色々考えてくれてますけど。 金と黄は親和色だから
見え方によっては非常に近い印象になる
おそらく、いこいだろう。
オハかオハフかというのも
そこまで記憶に残っているなら
金だとも言ってないはずだろうからな >>3
臨時増発用として昭和50年代まで使ってたし、夜行列車として急行八甲田(実質盛岡―青森間は特急並)まで使ってたぞ。 14系3段ハネの1区画を2段にするとともに、日中はそこをグリーン車とする試みがあったでしょ?
急行天北でやってたけど、廃止まで続けてたんすか? >>47
グリーン車じゃなくグリーン席だな。ソファにして1区画4名定員に改造したもの。 JR化後も循環式汚物処理装置が設置されずに、垂れ流しのまま運用され、
台車や車端連結部妻板下部にペーパーや汚物が
こびりついて汚らしい印象がある。
流し管先端のゴムのヒラヒラも。。。
(14系座席の場合)名古屋や岡山、熊本のが該当。 私鉄乗り入れは萌えるなぁ…。
でも上信、鹿島、福島臨海、西武くらいか? >>53
樽見鉄道
春の桜ダイヤは乗り入れ以外にも自社の客車が走ってて7〜8往復客レが走ってた。 一時的なイベント運転なんかだと
仙台臨海、三井三池紘務所なんかも
秋田臨海は50系だからスレチか >>57
秋田臨海鉄道には14系座席車も秋田博の時に乗り入れてる 秩父鉄道にもお座敷が乗り入れたなぁ、たしか。
高崎のくつろぎだったと思う。
大井川にはサロン東京だね。
地方私鉄のカマは国鉄より小さく短いから、4両編成程度でもある意味、長編成に見えるのがいいね。 >>40
いこいの写真見ましたがユニットサッシで黄帯だッたので違いました
>>42
車端部がドアとトイレだったのでスハフ12やオハフ13じゃなかったです
>>44
JR移行化前に加賀温泉〜芦原温泉間のどこかで見ました
車体色は両隣のオハ12と同じ青で白帯も窓下と裾に2本で同じ
違うところは
窓がユニットサッシから固定窓
窓下の白帯の直下に雷鳥のグリーン車だんらんと同じように金帯 >>57
仙台臨海鉄道乗り入れ
1987年 東北博覧会の際のアクセス列車
梅小路からC56 160を借りてきて
客車は ごく普通の12系6両(秋アキ)
スハフ12 101 + オハ12 316.....
後年「ばんえつ物語」専用客車となるとは! 固定窓、金帯・・・、お召の予備じゃね?
固定窓は防弾で、金帯は御料車に整備されたオハ12。 >>60
そこまでハッキリ記憶してて
自分でググって探したりしたんか? 素朴な疑問なんですけど、24系もそうなんですが、12系や14系はなぜ乗務員室扉がない(12系1000番台除く)のでしょう?
あった方がいいですよね? それご存じの「客車だから」じゃね?
旧客時代までもずっと無いじゃん 電車や気動車も手動扉の頃は乗務員室扉ない車両もあったシナ 合理化が進む前までの、鉄道創業時から長らくの間、
車掌みずから車外(ホーム)に出て
確認したりベルのボタン押したりする必要はなかったからな。
「列車」に関しては、駅ホームには駅員が居たし
駅員(当務駅長)がウテシに直接、発車を指示していたのがあたりまえだった時代。
>>67の言ってる関連だけど、電車なんかでも初期は路面電車タイプ、
それから運転士側しか乗務員扉がない時代も経由してる
(車掌のための扉は無いという意味で)
ここまでは、まだ電車も列車と同じ感覚だったんだな。
そして、ドアエンジン導入の早かった電車が、
やっぱり最も早くから車掌側に乗務員扉ついた。 通勤電車では、車掌がドア開けてホームに身を乗り出して
ドア閉めるが、そういえば特急は電車でも車掌台にドアないな 12,14系に限ったハナシではないけどブルートレイン(寝台特急)に使う24系
でも何故 国鉄末期の時点で客車は刷毛塗りやパテ盛り&下地処理が、乱雑な状態で定期検査出場するクルマが居たの?
電車や気動車ではマズ居なかった筈だが・・・
何時ごろから、客車の定期検査時の外装処理が雑に、なったの 全検や要検のタイミングで塗装も行うのが一般的だけど、塗装そのものは検査の内容には含まれないんじゃないの >>73
B寝台の2段化改造の時にやったべ。
記憶にあるのは、確か昭和60年の鉄道ファンのモノクロページに掲載された北陸の例。
最後尾が手書きの幕を掲示したスハフ14だった。 利尻とかまりもとか大雪とか普通にあったよなあ
と言うか今でもはまなすの寝台車に14系ハネも混ざってるよね? さくらの電源車代用でスハフが入った事なかったっけ? >>80
見た事はある
ここに客は乗せないと車掌に聞いた
画像は無い 昔、「いなば」で防火工事の関係でスハフ14を入れたことがあるが、客扱いしてたぞ。 たしか“さくら”はヒルネ区間で、“いなば”は全区間で座席指定で営業していたはずだよ。 そう言えば、佐世保発着の「あかつき」が14系座席車を1両組込んで座席指定車として営業していたね。
それと青函フィーバーでわいていた頃、「北斗星」のヒルネ区間の函館〜札幌でスハフ14を増結していた。
「北斗星」の方は日によってスハネフ14の時もあったとか。
寄せ集めの臨時「すずらん」は14系座席車の中に14系寝台車が混ざってたりとか…。 暇な時間、最後尾に如何にもベテランの車掌が2人、向かい合う乗務員室の扉を開けてタバコを吸って内輪話をしている
光景は12系や14系の風物詩でもあったかなw あなたのあの頃は良かったって時代で
もし臨時急行が14系だったら
ほう、奢ったなと思う?
それとも妥当だと思う?
この辺で年齢が判断出来そうな気がするが
快速が12系でブーブー言ってるのは論外か 今でも臨時快速の189系で得した気分になるぐらいだな なるな
ガキの頃のすりこみは怖い。つばさ51で14系見てたから、北海道行った時にワイドで14系夜行に乗りまくった時は得した気分になった
まぁ気分だけで、実際は簡リク寝にくい上に、バッタンバッタンうるーから旧客の方がよかったんだけど 簡リクも確かに使いにくかったが、出始まりは「新しい時代の新しいもだから慣れなければ…」みたいなのがあって、
まぁ、使いにくいのは自分が悪いのかなぁ…、見たいに思っていたし、なんとかコツみたいなものを身に付けて慣れた頃に
「あれはあまりよくない」みたいな事を書かれたり、言われたりするようになった気がする。 そんなかんじだね。
なにか厄介だなと思いかけたときも
心のなかで「仕方ない」で収めてた感じ
タバコは嫌いな側だけど
パブリック施設での禁煙が今ほど叫ばれなかった当時は
すぐ前の席で紫煙が登り始めたときでも
そんな感じですぐ収めてた。 ガラガラで4席独占できるなら、たとえ急行でも12系の固定クロスの方が良かった気がする。
加えて、静粛性も12系の方が上手だったかなぁ…。
14系の簡単リクライニングシートのR51って電車にはない前後の衝動で、にぎやかに前後にガタつくんだよな。
長い下り坂でおそらく機関車の方のブレーキが強い時だと思うが、客車の方が細かい前後衝動に見舞われるんだろうな。
誰も座ってない座席はその時は決まってガタガタガタ…と前後に振動していた。
ブレーキングの時の大きい衝動だと座席を回転させる時に前傾させるくらいのレベルまでガタついていたよね。 空いた列車のボックス席で体をLの字に曲げて寝るのが快適だったな。
12系はシートピッチが広いから、短足の自分は脚が向かいの席に十分届かないこともあったけどw 12系は体をL字にして寝る時の身体の納まりが良かった。
たまにシートの下にジュースの缶をかませて傾斜をつけてる奴がいたけど、ありゃダメだorz
寝返りのたびに外れてどうもいけねぇや。 強者は座席のクッションを外して床に置いてベッド代わりにするんだよな。
外せない車両もあったと思うけど。 >>85
昭和63年の急行大雪は、ハネを自由席代用としてたな。
上段は使わないでください!とレチ氏が巡回中に注意してたわ。
また、平成元年の急行大雪は、まりもドリームを自由席として開放してた。
2日おきに入っていて、トクした気分だった! かつての急行「きたぐに」は14系の見本市のようだったね。
オシ以外の14系全種をつなげていたからね。 >>99
14系になる前は
普通車座席は12系、寝台は10系、グリーン車はスロ62・スロフ62形など、それに郵便荷物車
これまた各種客車の展覧会のような編成。 >>101
1983年の「鉄道ジャーナル別冊 急行列車ジグザグ日本全周大追跡」では、
郵便車「スユ16」の表記がある。
なお、14系時代にはグリーン車はない。 >>102
スユ16(オユ14)も14系と見なすとしたらオシ14以外殆どの14系集合だな。 関東に住んでるけど、現役第一線時代のオハフ13とオハフ15って一度も見たことないゎorz はやぶさ・富士にロビーカーが付きEF66が投入された頃、
それに比べて14系のさくら・みずほは実に地味だなあと思った
カルテットはあったものの外観が大きく変わるでもなく、
24(25)系に比べて顔つきにバリエーションがあるわけでもなく… さくらは1列車、東京車掌区担当と言う名門と言うことで許せた。
みずほは繁忙期一発狙いしたいから、地味でいてもらいたかったから許せた。 オハフ13 70は久大本線で唯一の存在だったな
スハフ12が2両入った4両編成で、片方のエンジンは止めて居た。
(西と九は節約指向で、東と北は回しっ放し!) 15形寝台車がもう少し長く増備されていたらオロネ25の15形バージョンも作られたんだろうか? >>108
さくらみずほに個室Aつなげる気ゼロだったからなあ 15形でロネをつくる必要性があるとすればオロネ25のような個室しかないでしょうね。
下段に至っては5000円くらいの差があるけど、2段ハネと2段ロネとでは居住性に差が少ないですしね…。
2段ハネ、個室ロネにして省力化や経費節減をある意味達成させておいて、2段ロネを登場させ、時代の逆戻りも
ないと思いますよね。現に24形の後継の25形は個室ロネで、2段ロネは開発していませんから。
だけど2段ロネって根強い愛好者がいるんでしょうね、多分。「さくら」「出雲」「銀河」「鳥海」「出羽」でお世話に
なったけど、翌朝になって見てみると7割〜ほぼ満席くらいになってるんですよね…。
列車は2段ハネが満席だからって言うわけでもないし、始めから2段ロネを選んで乗ってるってんですよね。 >>110
昔鉄道ジャーナルの急行乗り継ぎルポで、きたぐにのA寝に
乗ったけど、そこにA寝のことが熱く書かれてたな。
そもそも静かに寝たいっていう人が集まるから静かだ、
とかなんとかかんとか。 >>112
それがまた、静かに寝ることしか出来ない造りになってんだわなw 14系寝台車は横軽を越えられる唯一の特急形寝台車だったのか…。 14系きたぐには地味に好きな列車だった。
稀に米原の65Fが牽引してたからな。 “きたぐに”と言えば“つるぎ”にはないA寝台を連結しているあたりが萌える。
同じ14系でも座席車と寝台車は運用目的や開発経緯が違う14系シリーズを“きたぐに”と言う列車が一つにした
列車の代表とでも言えましょうなぁ。前レスでもあった通り、食堂車以外の全てを使用しているあたりは
14系冥利に尽きると言うところだろうか…。 G車と言えば、列車が14系化されてから不連結になった列車が多い…、いや全てじゃね?
12系化の時は旧形客車のG車を使って列車を仕立てていたりしたけどな。 意外と12系から14系になってリクライニング化したからG車との格差が狭まったから・・・とか裏で言ってそう
2段ハネ化で開放Aネとの格差が狭まったから・・・てのはマジで言ってたし
あの頃ルーメットが残ってなかったらオロネ25も無かったかもしれん 末期の津軽はG車あったかなぁ?
昭和57年上野行きで
マニ36
オハネフ12
オロネ10
あとは12系だったような?
この時の58は151号機だったかな >>121
S57年であれば11月の改正前で、それ当時上下で2本ずつあった404レの方ではないですか?
402レ〜403レには旧客のG車をつなげていたと思います。 >>121
津軽は55・10で2往復ともスロフ62の連結を廃止 ありがとうございました、この列車上野に10時台に着く列車で翌年にはあけぼのになりました。
記憶が曖昧でした。機関車次位は
マニ362333北スミ
でしたね >>120
あ〜、でも簡リクとG車のリクライニング、夜行だと差は大だな。
夜行で3段ハネとG車が選べる場合、400kmまでだとG車の方が安い。
400kmを越えると3段ハネの方が安い。
でも、400kmを越えてG車に乗る奴もいるにはいたが。
そんな事も考えて、14系座席車+寝台車の急行では、G車を不連結にしたんじゃないかね?
夜行で明け、目的地到着がだいたい9時以降になるのなら高くともG車でもよい気はする…。 G車不連結の発端って、昭和40年代終わり〜50年代初めの料金大幅値上げだと思う
これで一気に利用率が低迷+老朽化のダブルパンチじゃないかと
14系化されるより以前にG車廃止になった列車の方が多い気がする レガート車をG車としてってのはどう?
急行に14系を使用しだしたときにG車用アコモ改造とかすればよかったのにな 急行用ならサロ481の廃車発生品のシートをそのまんま設置した12系があったけどね
窓割がシート配置と合って無いからスロ54相手だと分が悪いがスロ61と較べれば全く遜色なかった 14系座席車のグリーン車化をするんなら余剰の特急用や急行用サロを14系に編入した方が楽じゃね?
需給数バランス、タネ車の老朽度、将来性、費用対効果等など、折り合いがつけばの話になるけどさ。
12系のフルリクライニング化にあっては、鉄道会社によって改造後の区分が異なりましたね。
例えば九州は普通車のまま、四国はグリーン車でした。 山陰、紀勢などの客車列車の旧客の置き換え用に転用された12系客車は側面の白帯が消され、
スハフ12、スハフ13は乗務員室扉が設置されてこれも前面側面の白帯が消され、また一部の
車両は車端部付近のボックスシートがロングシート化されたりしてたな 座席変えた方が簡単だろ。食堂車みたいに改造が大がかりになると電車からってのはあるけど
まぁ末期の急行のスロなんか客乗ってかったから、どっちにしろなかったんだろうけど、海峡にはあってもよかったかも知れんね
はまなすにはドリームカーあるけど 国鉄の順法闘争の影響で、下り「富士」が大幅に遅れて車両のやりくりがつかなくなったとき、
上り「富士」は下関から団体臨時列車に使用する予定だった14系座席車が連結されて、
20系+14系座席車という編成で東京まで運転されたこともあった 客車にも「系」を付けて呼称するのが子供心になかなか受け止められなかった。 >>94
カヌ座のサロン佐渡(オロ12 706)で正解
オロ12系7両編成中、4両目だけ固定窓で白帯の下に銀帯があるのがわかる
1986年冬 長岡遠征
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ozayo1965/32692753.html
偶然やって来た「カヌ座」こと新潟局の12系お座敷列車。4両目が「サロン佐渡」だったかな??
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e4-8f/ozayo1965/folder/633912/53/32692753/img_3?1365919052
2代目塗装
(右端の固定窓の車両)
ttp://ozeng.cocolog-nifty.com/photos/photo/img044a.jpg
ttp://rail-moka.com/goods_image/A2840_Z3.jpg
3代目塗装
ttp://rail-photo.o.oo7.jp/pc12_sado.jpg 14系寝台使用列車の歴史
1972.10
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
大ムコ あかつき2/3・3/2・4/1
1973.10
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
門ハイ あかつき2/4・6/5、あかつき5/2+彗星3/2
1974.4
南シナ さくら、みずほ、あさかぜ2/3
門ハイ あかつき2/5・7/6、あかつき5/3+彗星3/2
1975.3(食堂車5両を24系へ転出)
南シナ さくら・みずほ・いなば+紀伊
門ハイ あかつき1/1、あかつき3/2+明星6/3、日本海2/1
1978.10(この間に24系から緩急車3両編入)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2+紀伊
北オク ゆうづる9/4、北星、北陸
1982.11(A寝台車1両を24系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2+紀伊
北オク 北陸、能登、妙高
大ミハ きたぐに
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1984.2(食堂車1両を20系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2
北オク 北陸、能登、妙高、津軽
大ミハ きたぐに
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1985.3(食堂車2両、B寝台車3両を25系へ転出)
南シナ さくら、みずほ、出雲3/2
北オク 北陸
大ミハ 銀河
札サウ まりも3/4、大雪5/6、利尻
1986.11(A寝台車2両を24系へ転出)
南シナ さくら付属、みずほ付属、出雲3/2
北オク 北陸
大ミハ ちくま、だいせん
札サウ まりも、大雪、利尻
熊クマ さくら基本、みずほ基本 >>139
1984.2(食堂車1両を20系へ転出)
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