【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 12系とか14系座席車の緩急車は
エンジン有りと無しの車両があったのに
なぜ14系寝台車の緩急車は全てエンジン付設計にしたのかな? >>318
寝台車にはオシという電気食う車両があるからじゃね? >>317
なんで自分が知らなかったことは他人も知らない思うのか・・ >>318
スハフ14は発電セット1基で6両給電できるけど、スハネフ14は5両給電。食堂車が入るとさらに−1両の4両給電。
当時の東海道ブルトレは14両編成で分割して7両。7両だと2基必要
発電セットが故障しても負荷減らして他から給電できたから予備的な意味もあるね オハフ13って絶滅済?
もしそうなら最後まで居たのはどこの車? >>322
wikiだと、和ワカのオハフ13 27が2007年度に廃車になってるな。これが最後。 >>321
だったらスハネフ14も6両給電にすれば、
騒音を少しは解消できたかな
それと、さくら、みずほは、8両と6両だったよね
8両の方は食堂車があるから仕方ないとして、
6両の方は片方だけでもオハネフ15(仮名)で
いけたんじゃないかと もっと言えば、さくら、みずほみたいな
分割列車は分割駅までマヤ24みたいな電源車から給電して、
分割後に電源車がなくなる編成だけ
スハネフの発電エンジン始動で良かったんじゃないかな
分割後は昼寝運転なんだし なんでスハネフは5両給電かっつうと、3段ハネ時代の寝台昇降が
電動だからだろ。2段ハネにして上段固定化すれば6両給電
できるにはできるだろうが、だからと言って、その時代に
新たに発電設備なしの緩急車をつくるかね?やるならば
片方のスハネフの発電機止めりゃいんじゃねえの?
でも、片側のスハネフ給電でトラブって、発電してないスハネフの
発電機始動させるのって機関士や車掌じゃ出来ないんだぜ。
だったら信頼性を高めて両端のスハネフ給電でいいんですよ。 基本的に東は全数運転で西は必要数のみ運転
経済観念というか商習慣というか… >>325
14系と24系は電源系統が違うから共用できないんだよ
はまなすで24系が混結されていたのは使えるように改造したから >>327
スハフの連結両数といい関東以北だと発電機故障で冷暖房がダウンするの恐れたろうしね >>328
さくらはやぶさ、カニにスハネフ14が2両でしたけどね。分割併合しない富士も同一編成
あれは、無駄だったよなぁ
はやぶさ富士で15型にしたけど 分散電源方式客車の給電両数は当時想定されていた負荷の総量から逆算して運用上定められてたものであって、
当時の時代背景と製造時期、技術の進展を考慮せずにスハネフの給電を6両にすべきだったと言うのは愚論そのもの
キハ181 .1〜 1968 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6 5両給電
スハフ12 1〜 1969 DMF15H-G 180PS DM82 150kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 5両給電、後180kVA化
キハ181 .5〜 1969〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13S(5,000kcal/h)×4〜6
スハフ12 9〜 1969〜1971 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU13A(5,000kcal/h)×5〜6 6両給電対応
スハネフ14 1〜 1971〜1972 DMF15HS-G 230PS DM82 180kVA AU76(15,000kcal/h)×2 3段寝台、汚物処理導入
スハフ14 1〜 1972〜1974 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
スハフ12 101〜 1977〜1978 DMF15HZ-G 270PS DM93 210kVA AU13AN(5,000kcal/h)×5〜6 汚物処理負荷考慮
高速道路も航空路線もまだまだ整備されておらず、国鉄の輸送力が逼迫していて編成長を最大限に活用して1名
でも多く定員を稼ぎたかった時代に、マヤ24みたいな電源車から給電し分割後に電源車がなくなる編成だけスハ
ネフの発電エンジン始動で良かったんじゃないかとか、あまりにもバカバカしすぎて開いた口が塞がらんわ
その後北陸トンネル列車火災事故で分散電源方式を見直さざるを得なくなったのは国鉄にとって不幸だったがな オハフ13なら、まだやまぐち号用の701(元59?)が残ってる 大分のオハフ13は70が唯一だった
スハフ12もエンジン停止で代用したが、何と言ってもオハ12 1288・1289の風貌が(ry >>335
Thxです、
未改造(近郊改造のみ除外)で稼働していた
オハフ13の最後は、337のおっしゃる
九州だったのでしょうかね? 久大本線は1999年、筑豊本線(50系)は2001年だったと記憶。
やはり、旅情という点では…山陰本線かな?
1000番台にオリジナルが混用されてた。 最後に久大本線に残ってたオハフ13は全検上がりできれいだったな。程なくして廃車されたと思うけど。
座席交換でリクライニングシートになっていたスハフ12はトイレの臭いが車内に漂っていてあまり良い印象はないな〜。スハフはたまにエンストしとったです 背中合わせのスハフ12+オハ12 1000がケツとか素晴らしい(?)編成が多かった
オハフ13 70はレチ氏が日田や大分どころか豊後森の到着放送でもハイケンス♪を流してくれたなぁ… そいえば、12系は洗面所に冷水器があったのと無かったのがあった希ガス。
58系気動車は例外なく、グリーン車以外は無かった
トイレの「停車中は使用しないでください」も… 12系の緩急車の妻面窓って、
増備車から縦長になりましたけど
設計を変更した理由は何ですか? >>344
スハフ12100(最終製造分)のことなら貫通幌を引き込むのをやめたので変更 >>345
つまり、幌がきれいに収まる場所をやめたから
はみ出て妻窓に干渉するのを事前に避けるために
幅を狭めたということですか? 12系の前にオハネフ25が100番台で外付幌で小窓にしてるんだよな。コスト削減、合理化じゃね
Wikiで50系と一緒って話もあるから、標準幅、外付幌に雨樋が通る50系の窓だと、広幅のハネフや
スハフ12に使うと余計小さく見えるという >>349
やっぱりそうでしたか。自分もオハネフ25-100のことは思ってました
どうもでした。 >>287>>294>>296
RF誌の毎年の奴によると依然スハネフ14 6,11、スハネフ15 2、オロネ15 3001、オハネ15 1102,1246,2004が熊クマの保留車となっているが
オハネフ14 11は門司港の博物館に入ってる(wikipediaには除籍と記載)し
マレーシアに行ったっぽい奴も含まれるが現地の情報も少ないしなんなんだか?
ちなみに熊クマにはもう元あそ1962用の58しか居ない マラヤンタイガートレインでググりなよ。
車番出てくるからさ。 >>355
そりゃそうなんだけど、なぜに車籍が残されているのか?がね(本当に残ってるのかも疑問だが)
車番も外板のものは現地で書き直されてるから車内の遺構で確認…って書いてる人も居て、
別に疑いはしないけど搬出時の記事か何かどこか転がってないかなぁ >>356
ああ、そういうことね。了解
でも車藉簿ってのは古来より
結構テキトーなものらしいじゃん?
蒸機末期だって実車は解体されてるのに
車藉上は生きてるままとか。
近年も、老人の戸籍なんかで
百何十歳で生きたままになってて問題になったり
あったじゃん。 >>356
RF誌は、たぶん受払のみで転がしているからだろうね。
残も確認しないと、報告漏れがあるとこうなる。
自分も、ななつ星の訓練などで7B残っていると
暫く思っていたよ やったー!
大井川のボロ客車もついに引退かぁー
14形化で夏は快適になるので歓迎。 引退じゃなくて旧客を大事にするため平行で使うらしいけど >>359
読解力のない馬鹿
ボロいのはお前の頭じゃん 14系も大鉄入りか。
わしらもそろそろ隠居して大鉄に行こうかね? SL乗るのに窓開かない客車って…という考え方は非鉄の一般人観光客は思わんだろうな。 でもせっかく冷房化してもベンチレーターからすすが入ってくるというwww おい、東武がDE10と12・14系を譲渡してもらうぞ!あとヨ8000もだ どう考えてもこの板で14系が旧客の置き換えなんて思ってるヤツいないから・・ >>369
予備車と言うかローテーションで使う
って方針ですからね。 14系って車齢40年以上だよなあ。
昭和57年常磐線上野口で走っていた客レのほとんどより既に古い。当時は14系はまだまだ若造だった すまん暑さで頭がボケていた
スハフ4オハ2なわけねえか 各列車に1輌以上冷房車を連結するんだとしたら
スハフが来てもお菓子食わない。 需給の関係からスハフをキハに改造する計画とか有ったんだろうか? シュプール&リゾートの14系のバックサインって、『ムーンライト九州』『シュプール白馬栂池』『シュプール妙高志賀』以外に何が入ってた? オハ12がキハ65のTに見える事が有る
実際にスハフ12から改造したキハ65の作例が過去の模型誌に掲載されていた だいせんDC化で捻出した三段ハネを西持ちの出雲に連結していたが、
わずかとはいえ寝台料金の安い車両で利用率は悪くなかったのだろうか。 >>386
出雲2・3号に繋いだ三段寝台は米子支社の企画券(出雲B3きっぷ)ありきのものだった
あと夜行だいせんはまだ12系+14系寝台車で気動車化はサンライズ出雲登場後 >>381
ムーンライト山陽忘れとる
瀬戸かあかつきがなんかは鉄ファンに展望の幕が載ってた >>388
末期は12系3000番台と14系15形だったな
「ちくま」と同時に消えたんだっけ? スハフ12の貫通扉にも行灯が付いたのは驚きだった
あと「出雲3・2号」は東京側に割安の企画券が(ry >>390
ちくまのほうが先
あと出雲2.3号に連結していたオロネ14はあかつきだけでなくて日本海1.4号にも担当されることがあった 昔、子供の頃、14系「紀伊」に乗った時の事。
国鉄時代ってイマ程、安全管理にピリピリしてなく、
最後尾の貫通ドアなんか施錠してないもんだからさ、
紀勢本線内の早朝に貫通ドア開けて立ちションしたぜよ!
隣の車掌室もレチ居ない上、施錠してないから、入り込んで
座ってみたり、バックサインを回してそのまんまにしたり、
側面幕も当時は鍵が掛かるタイプではなかったから、
点検蓋を開けて、手を入れて手動で行き先を変えてみたり、
ずいぶんヤンチャしたもんだ! >>357
車籍の上では残存していても実車は解体済みとか貨車ではよくある話ですが客車では珍しいですね オハ14 504・531は解体済み?
どうせ足りなくなるから、大井川は唾を付けた方が良いと思う。 >>384
キハ65の車体は12系規格だったような カニ24 23 って1992年に機関更新工事を施工してるんだけど、機関更新と同時に帯も銀帯から白帯に変わった
のでしょうか?それとも機関更新後も銀帯の時代があってその後に白帯化されたのでしょうか?
ググったらカニ24 25 は1999年の全検時に白帯化、カニ24 116 は1998年の全検時に白帯化、青森所属の銀帯の
オハネ/オハネフ25も1998年前後に白帯化されたことはわかったのですが、カニ24 23だけ白帯化の時期がハッキリ
しません… >>396
西車の「日本海」は25形モノクラスだった様な… >>400
西持ちの日本海は末期にオロネ25-300が入ってなかったか?
それと西持ちの出雲とあかつきに使われてたオロネ14-300は25形編成でも使えるようになってたような。 >>401
あかつき用オロネ14-300は日本海のオロネ25-300の予備も兼ねてたらしいけど
実際に日本海に入ったことあったか知らんかったのでググってみたら
某個人ブログで紹介されてた >>400‐402
瀬戸サンライズ化で、余剰となったオロネ25-300を日本海へ。
その後あかつきのオロネ14-300と共通予備化させてお互い混結可能に。
共通予備化をいつにしたかは忘れた >>403
逆にオロネ25-300があかつきに入ったことがあるの? そういえば新製時に屋根上にリブのあった車両の車番分かる?
どうしても資料が見当たらないもんで あかつき用オロネ14-300は、301と302がオハネ14の改造車、303がオロネ14の改造車なんだけど、通路側の窓配置
は301・302と303とで全く違っていたのでしょうか?
ちなみにあけぼの用スロネ24の場合、通路側の窓割は種車のものを活かしたまま個室化改造した関係で、オロネ24
が種車の551・552とオハネ24が種車の553とでは通路側の窓割が全く異なっていました >>407
ありがとうございます
元の窓割を活かすのは当然と言えば当然ですよね >>404
ない
混結のための回路切換機能が追加されたのはオロネ14-300のみ オロネ14は3両あったから兼用予備にしたんだよな。
オロネ25の301と305は最後日本海専用 >>409
オロネ14 300は種車の窓配置をそのまま活用したので、301・302と303とでは通路側の窓のピッチが微妙に違う
オハネ14 窓のサイズ:1180x890 窓間の柱の幅:780
オロネ14 0 窓のサイズ:1180x864 窓間の柱の幅:840
オロネ14 300 窓のサイズ:1180x890(通路側) 窓間の柱の幅:780/840 (301・302/303)
303の通路側の窓のうち最も客用ドア寄りの窓は、改造の際にもともと物置だったところに新たに開けられたもの
窓の間の柱の中心に側灯があるのが301と302、窓の間の柱にあるが客用ドア寄りに側灯が寄ってるのが303 >>408
オロネ14 300だけでなく、シングルツイン・ツインのオハネ14 300も種車は301・302がオハネ14、303がオロネ14で
オハネ14とオロネ14が混在してた
オロネ14 300と同様にツイン部分の通路側の窓のピッチが微妙に違う他、水タンクの位置も303だけオロネ14時代
の中央のままだった >>412
ありがとうございます
スロネ24-550とは違い、オロネ14-300の窓割はよく見ないと区別が付かない程度の差しかないんですね
ググっても写真からは区別が付かなかったわけだ… あけぼののスロネ24なんて元の種車はみんな違うしな 昔だったら 虎の子 のロネには手を付けなかったよな?
…それだけA開放の陳腐化が進んでいた訳だ! 国鉄末期の各種の改造でグリーン車やA寝台車が大量に種車として活用されたのは、陳腐化じゃなくて料金体系や
税制の変化によりロ/ロネの需要が大幅に減ったからだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています