【RPU2202】冷房装置総合スレ床上・床下【AU72】 [転載禁止]©2ch.net
かつての鉄道車両は非冷房だったが(グリーン車は氷柱を置いて対応していた車両もあったが)
フロンガス方式の冷房装置が開発されると一気に冷房化率が加速した。
禁煙の車両対策がなされて居なかった70年代では冷房とタバコの混じり合った匂いが酷かった。
客車の場合は床下に発電機があった関係からか、冷房装置が床下に設置された客車も有った(マイテ等)
スロ54等は従来どおり屋根上になった。
キノコ型クーラーのAU12はスタイルも優れていた。
家庭用エアコンが普及し始めたのは1970年代からだが当時は高嶺の花だった。
呼び方も当時はクーラーだったが次第にエアコン(エアーコンディショナー)に呼び方も次第に変化していった。
そんな冷房装置について語るスレッドです。
勿論、家庭用クーラーの話題も歓迎します(白くまくん・霧ケ峰等) AU11とAU12はどう違うんだ?
151系は初期がAU11で後期がAU12だった AU12はポンプでドレンを汲み上げて排水してたのでいきなり冷房のスイッチを切ると水が車内に垂れる可能性があったな
パンタグラフを下げる前に20分間送風にして放置する必要があった
各冷房機にスイッチがあって乗客が悪戯でスイッチをオフにして漏水したとかあったみたい
AU13から自然排水できるように改良された >>138
屋根が低いかので。手が届くからね。
急行型だと窓柱に付いていたし。
停止ボタンにはカバーが付いていたけどね。 どっからか3φAC440V引き込んで京都鉄道博物館のクハ103-1の冷房装置を動かせないものか
リニア・鉄道館の117系はビル用の冷房機を後付けしてる >>140
博物館クラスの施設だったら、建物のエアコンに三相の動力を引いている。
それを変圧器で電圧を変えてあげれば動く。
恵比寿ガーデンプレイスの通路の冷房としてAU75が転用されたくらいだし
不可能じゃないけど誰もやらないだけだ。 施設のレギュレーション関係や電気代等々の諸問題が関係しているのかもね 単純にジャンパ栓に三相440V突っ込んだら動く訳じゃないからね >>132
ヒートポンプ式の暖房を国内で大々的に採用した例としては、0系新幹線。
これ以降新幹線ではヒートポンプ式が主流になる。
だがしかし、電熱器を省略できたのは最近の話(最近できた新幹線では電熱器は省略)
鉄道車両に限らず、動くモノにつけるエアコンは、リアルタイムで外気の温度が変動する環境なので、
一般家庭・オフィス用エアコンに比べると遥かに過酷で高い信頼性が要求される環境であることを忘れずに
初期の冷房装置は、現在の水準から見たらありえないくらい低性能で信頼性も低かった、
外気の気温が変わったら、蒸し風呂・冷えすぎになるし、むろんフィルターにゴミが詰まったり、ガス漏れしたら壊れる 485系で家庭用エアコン付けたのあったが振動で故障が多かった?
そもそも揺れる列車に付けるのは想定外だった
マイテ49も霧ヶ峰付けてる インドネシアでは冷房車は室外機の排熱で屋根上が灼熱地獄になるので屋根の上に乗って無賃乗車が減少したという副次的効果が認められたんだな
しかし冷房車と非冷房車で運賃格差があって冷房車に統一されることで運賃が値上がりし暴動になる懸念もあった 20系の優美な曲線美は床下に重量がある冷房装置を搭載していて、
客室内に空調用のダクトが設置されているという構造だった
屋根に突起物が無く車両限界を最大限に活用すべく丸く深い切妻構造を実現していた
これは低重心化のために重量のある冷房装置を床下に配置したというわけでなく
車体断面一杯を寝台空間として利用するためでもある。
さらに1958年時点では、屋根上に冷房装置を搭載する方式は
塵埃・振動のいずれの面からも条件が良くて信頼性が高いとことが判明していなかった
だがしかし、20系の冷房装置は冷房フル稼働となった1959年夏になったら冷房装置が故障が相次ぎ
急遽途中駅で大量の氷柱が運び込まれたこともあった。
その後、信頼性向上のため、AU21B・AU22B形へ設計変更している。 今年も暖房車のシーズンが到来
内部は脱却できたが、北勢の暖房車は永遠に続く もっとも冷房がよく効いたのは103系扇風機付き集中式冷房車
昔の冷房車は効きが良かった
新車ほど効きが悪い 今年の夏は冷房はどうなるんだ
3密防止なら窓を開けたまま冷房運転? 空中を漂うウイルスをクーラーが撹拌!?
これはもうクルマ通勤に切り替えろという啓示じゃないのか >>150 強い風当てれば体感温度が下がる。デブで暑がりの多いキモ鉄オタはそれでいいだろうが、寒いと感じる人もいる。
今の車両はこまめに調整できるようになっているから 一昨年の猛暑で気動車の機関直結冷房が不調になった事象あったな
暑すぎて熱交換器で放熱しきれなかったのが原因で水を如雨露でぶっかけたら直った 猛暑の後の冬は厳寒が鉄則。
しかし鉄道において厳寒はそんなにデメリットではないな
昔から暖房技術は進んでいた。
問題はコロナとのダブルパンチ… いま、真冬だが窓開けてくれって
これって各社統一ルール?
寒いんですけど〜 >>158
通勤なら車内でコートを脱ぐわけではないので、外を歩くときと同じ格好ならば問題なし。 クソau!
SMS7連投さらすな!迷惑だ!
アホか!死ね!カス!
悪評auなんか二度と契約するか!
SB共々地獄へ堕ちろ!塵芥!
クソau!
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SB共々地獄へ堕ちろ!塵芥! 昭和初期の日本初の冷房電車(試作車1両)
ただでさえ高い当時の電車の屋根に冷房装置(もちろん外観は似てても
今のとは違う)を付けたら高く重くなりすぎた。
ttps://drfc-ob.com/wp/wp-content/uploads/2012/08/51eb1e03e1981f18f3b27d672151f2351.bmp
量産型は「ナメクジ」になった。
ttps://drfc-ob.com/wp/wp-content/uploads/2012/08/9308e9ef6b73b2f1a7039229eac29d352.bmp 床下ヒートポンプ式の京急600(T)の「首筋に冷風が当たる独特の感覚」(by wikipedia)を味わってみたかった.... 外観だけ見て、あの電車冷房付いてないのに窓閉まってて暑くないのか?
と思ったもんだ。京急600床下ヒーポン車。 ヒーポンが普及しなかったのはやはり弱点があったからかな まだクーラーがなかった頃日比谷線のフランケン君に乗って地下区間に入ると独特の匂い
ほとんどの窓が開いたままであった 乗り入れ相手の東武2000系はあの屋根構造が仇になって未来永劫冷改はできないと聞かされ
日比谷線常連客としては泣きそうになった
後継車20000系が昭和から平成に変わる頃に登場したがクーラー付きでホッとした >>172
構造がアダになったなどでなくて車齢が高くなって新車に入れ替えるちょうど良いタイミングになっただけのこと >>172
>>174
東武鉄道上層部は、2000を冷房改造して使うつもりだった。
営団地下鉄は、停車するときに発する車両の運動エネルギーと冷房の廃熱を相殺
って理由で冷房車は回生ブレーキ必須だったから、界磁添加励磁制御に改造するつもりで。
それを知った部下が、「冷房化したらこの台車では持たない」って理屈を付けて上層部を説得し
20000新製投入させた。
営団03とほぼ同時に新車に入れ替えていたから、日比谷線20m化による東武70000の置き換えも
タイミングよくスムーズに行えた。 でも当時の日比谷線は回生に対応してなかったんでしょ
東急7000はわざわか回生カットして空制のみで止まってた 冷気の行き渡りは分散式
メンテしやすさは集中式
今はコスト重視だから、かつて分散一筋だった東武、小田急、東急などもみな集中式 名鉄2200
特別車 集約分散式
一般車 集中式
単に、2000と3300の設計を流用したための違いか
突き詰めると、同時期の開発でナゼ別々の冷房装置にしたのかという疑問も湧くが >>172都営浅草線の5000系も同じような感じだった。 浅草線5000系の屋根のフォルムは好きだった
特に肩の部分
阪急1010系にも通じるものがあった
阪急はあのままでクーラーを乗っけて冷改しちゃったけどね >>182
あの通気孔から雨水が侵入しなかったのかな