昔の鉄道研究家を語る [転載禁止]©2ch.net
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>>10
横見は違うだろw。降りたことのない駅に降りてブヒブヒ騒いでるだけだろw >>15
もしかして馬鹿?
本当に馬鹿なの?
・・・・びっくりです
まじで?まじで言ってんの?
ただの馬鹿なの?
・・・・そうなんです
馬鹿なんです >>5>>7
東を挙げるなら
西の西尾克三郎氏を忘れてもらったら困る 23だけど
往年の御大には宮松金次郎氏とか
まだ名前の挙がってない人
幾らかいらっしゃるよね。
時代は下がるけど
竹島さんって亡くなってたんだね
島つながりで本島三良さんとか思い出した
模型だけどTMSの山崎喜陽さんとか
懐かしい名前の人は粗方鬼籍に入られたかな?
あの種村すらもう居ないんだもんなあ…
ところで皆さんおいくつです?
私は今ちょうど40歳だけど
このスレでは若い部類かな? >>29
しばらく前に亡くなった
往年の都電に興味を持たせてくれた人だったな 研究家か写真家か人によって評価が違うかもしれないが、小林庄三氏。
あとは沖中忠順氏、三好好三氏、高山禮蔵氏、酒井福三氏、亀井一男氏などが
記憶に残る。
もちろん今もご健在で活躍中の方もおられると思う。 こうして見ると名前に「三」(音は“ゾウ”)のつく人が多いのは偶然か 姓名の文字数や読んだときの音数で
高松吉太郎氏と宮松金次郎氏は脳内でセットになってたんだけど
両氏ともかなり先輩の世代かと思ってたら
高松氏はともかく、宮松氏は自分の祖母より
歳下だったと最近知ってびっくりした
お早くに亡くなられていたんだね。
だから扱かわれ方とかの印象で
ずいぶん先人みたいな印象だったんだなと。
祖母は平成一桁までいたけど 研究者としてメシは食えないので、他に職業があって
その傍らでの活動になるのかな
たとえば大学教授とか。
今までに名前の挙がった方々は、何を生業にしていたんだろう 吉川文夫、吉村光夫、原信太郎、竹島紀元,亀井一男、の各氏とは面識も交流も
あったが、それぞれ特徴がある御仁達だった。
それに西尾克三郎氏(元毎日新聞)とかいずれも権威者だったが全員鬼籍に入られて
しまった。
野村のオッサンは面白かったが最後には金銭問題があったのが残念だったけれどーーー。 岡田氏は横浜市交やめたあとは鉄道ライター
一本で食ってたのかな?
といってもそんなに単著があるわけでもなし… 関西私大の雄・同志社鉄研OB 羽村宏氏の吉田急行電鉄は有名。 研究家と言うよりも写真家(撮影家)と呼ぶ方が相応しい人もいるかもね
写真は遺しているが、記事が無いという… 研究家とはいわないかもしれないが、黒岩先生と御話してみたかった 原信太郎
長年大阪の会社に勤め兵庫に住んでたのに
死んだ途端にゴッソリ神奈川
最初から一生神奈川みたいな扱い
なんだかな >>45
昔は国鉄内部で趣味誌に寄稿する人がよくいたな。黒岩さんの場合は、
国鉄辞めてから、「レイル」の編集に関わるけど。
JR九州の石井元社長とか、国鉄工場長まで勤めた久保田博さんとか、
昔は頻繁に記事を書いていたな。
今は、コンプライアンス上昔の様にはいかないんだろう。 >>49
電気車研究会も交友社も出自は鉄道内部向けの出版社だったからな。 >>46
帆船日本丸のようだ
尤も造船が神戸というだけで籍があるのは東京港で神戸にはそんなに寄港しなかったが 研究家と言っていいのか、岩崎・渡辺コレクションの両氏こそ明治の研究に欠かせないだろう
それ以前というと浮世絵の三代目広重になるか? >>52
その例えとは、真逆じゃね?
原信太郎の場合は九十余年のコレクション人生の大半を阪神地区で過ごしたわけなのに
まるで初めから神奈川でそうだったみたいだって話でしょ 鉄道研究家では無いけど国電ファンの自分にとって大熊孝夫氏は偉大な存在
趣味誌に投稿した文献は国鉄内部の人とは思えないオタ目線満載の文章
転配時の裏事情や地方局とのやり取りなど実務者しか分からない情報ばかりだった
RF誌の「究極の…103系」は今でもヌケる一冊です 本島三良さんの扱いが微妙なのは何故なんだろう?
取り上げる人は、何故か距離を置いているかのように見える。 関西各社ではなく、全国各社の内燃車だ。
昔の研究家でなく、現役だし。 >>58
>>60
現役でも昔の思い出話とかだったらいいと思われ。 >>42
同人誌?みたいな刊行物に京都市電の特集記事を載せておられた。
新車700型の内見会に参加し、巻尺で車体を実測して模型をつくったりしてたとも。
ともかく並外れて念の入った記事だった。
その刊行物は下京図書館で見かけたのだが、不覚にも題名を失念。涙 白土貞夫さん(83)が、ブラタモリに出てた。
しかし、友の会が3,000人しかいないとはね。
もう、老人クラブだな。 黒岩さんの手がけたマークは品格があったな。
やっぱり国鉄型には黒岩さんの物が一番似合う。 山本魚睡氏は西鉄専門ですかね
まさか本名ではないと思う 俳号みたいな >>67
私鉄もだけど、路面電車研究に遺した功績も忘れてはならないな
まともな鉄道研究家がどんどん亡くなっていくね
その内梅原や冷蔵庫みたいな輩も持ち上げられていくのかねぇ 鉄道研究家ではないかもしれないけど
「佐々木桔梗」氏
私の鉄道趣味の心の師 >>69
文章といい写真といい良い意味での文系?鉄道趣味者でしたね佐々木さんは >>66
山本氏は西鉄の社員だった方で「筑紫郷土研究会」を主宰されていた。 戦前からの膨大な写真資料を所蔵されている、西鉄研究の第一人者 >>74
このスレに挙げるにはまだ若すぎると思えるが
・・
あの日のニュースで遭難者氏名に岸さんが出てきたとき、
テレビの前でフリーズしたことを今でも覚えてる
天災とは言え、あまりにも唐突すぎて・・ 地方私鉄研究の第一人者
なかでも京福(福井支社)と福鉄の事績は著名 鉄博のオープンに尽力されたあと
京都でも一仕事されただろうにな 所属が違うので、京都ではたぶん仕事をされなかったと思いますよ。
地方での保存活動も、個人としての立場でしていたわけですしね。 >>78
所属がそのままなら京都だよ
大宮は別組織に移管されたから
>>79
存命ならば大ベテランだな 大学で交通学を修めて学芸員として鉄道研究を仕事にできるなんて
鉄チャンのエリート中のエリート、羨望の的だな
志半ばの急逝はかえすがえす残念 >>82
阪急京都線、京阪関連の文献では
宮谷忠義氏の名もよく見かける >>36
竹島氏がニュースステーションで青函連絡船の特集やるから
所有している映像をテレ朝に提供したのに
特集の締めのコメントで司会の久米宏が
「この特集何の意味あってやってるんですかね」と言ったらしく
その顛末と怒りを鉄道ジャーナルの巻末コラムで
ぶちまけてた
97年から00年あたりの間だったかな それで思い出したがとある研究者がテレビ局に頼み込まれて
門外不出の写真などの資料を貸したら全部紛失されて
苦情を言うと方々たらい回しにされた揚げ句放置されたとかで
やはりマイナーな鉄道趣味誌の編集後記に「マスコミは信用ならん!」などと書いておられた
俺はいくら頼み込まれても札束を目の前に積まれても貸した方が悪いと
その時思った >>87
竹島氏は「久米の軽薄な発言とか元から嫌いだったから
渋々貸したけどやっぱり貸さなきゃ良かった」て書いてたような
立ち読みの記憶だから曖昧ですまない
借りた貴重な資料をマスコミが紛失して問題になった話は他にも聞いたことあるな
歴史関係だったかな >>87
テレビ局員は絶対に鉄ちゃんを下に見てる
でなければ命の次に大事にしてる資料を無くしたり出来るわけない ヲタとか関係なしに
奴らトーシロをナメてんだよ
だから扱いはぞんざいだし
ブラック制作会社の社畜など
横領くらいはやるかもよ >>91
あり得るな(紛失の実態はスタッフの・・・)
下請けはあの手この手で裏収入を得ないとやってけないし
情報番組のお店紹介は
大抵バックマージンが下請けの取分とされる
その>>87-88番組の後、23時台にあった伝説の帯番組では?
目玉の風俗取材で下請けが店に
どえらい金額を請求とか? 晩年週刊誌にばらされてた
夜の業界では、前々から噂になってたとか・・・ ただ呆れるばかりだな
こんなのが正義を振りかざしてるから不正義が罷り通る社会になっちまってる
なんたる皮肉 >>93
飲食店紹介で「宣伝になるからいいだろ」と金払わない話は聞くが逆に請求か・・・ >>91だが
年賀状捨てる郵便バイトがたまにニュースになるが
底辺はそんなもんでブラックじゃ尚更人心も荒む
換金以前に面倒臭くなって捨てることも十分あり得る 専門書の著作量ではやはり和久田先生が断然トップになるかなあ 臼井茂信のSL解説大全みたいなやつは図書館で食い入るように見た 禅氏は本職は理学博士
ググると鉄道関連ではピクトリアルに書いた伊豆箱根鉄道軌道線のレポートがヒットする >>99
マニアには涙モノ
あれだけの著作に傾けた労力を思うと
こうべを垂れずにはいられない 研究家というのとは異なるかもしれないけど、本業は医師だった奈良崎博保氏。
九州の鉄道に関してよく知られた御名前でした。 >>103
九州では昭和20年代から活躍しておられたな。
それと忘れてはならないのは、谷口良忠氏。廃止私鉄研究の先鞭を着けた。
早くに亡くられたのが、惜しまれる。 田栗優一氏がいなければあんな立派な100年誌なんて出せなかったろうなぁ
せめて花電車の完成までは見届けて欲しかった 吉谷氏の早死は惜しかった。
戦前のインテリで車掌運転士経験者は稀だったから現場の経験まとめられる貴重な存在だったのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています