昔の鉄道研究家を語る [転載禁止]©2ch.net
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鉄道写真家というべきだろうけど、高松吉太郎氏。
彼の撮影した、全国各地の戦前、戦後の私鉄、路面電車の写真は貴重。 やっぱり臼井さんかね
地元の図書館にあった機関車の系譜図は読んだな 「超特急・燕」など、幹線鉄道や花形列車の写真は公式のものも含め、結構、残されているが、高松氏の貢献がなければ、戦前の路面電車の写真資料はほとんどなくなっていたのかもな・・
戦前の地方の路面電車の車両なんぞ、どんなものが存在したか、皆目わからなくなっていたのかもしれない 私鉄車輛めぐり特修記載分の出筆者の大半が他界。
昭和は、遠のくなあ。 >>10
横見は違うだろw。降りたことのない駅に降りてブヒブヒ騒いでるだけだろw >>15
もしかして馬鹿?
本当に馬鹿なの?
・・・・びっくりです
まじで?まじで言ってんの?
ただの馬鹿なの?
・・・・そうなんです
馬鹿なんです >>5>>7
東を挙げるなら
西の西尾克三郎氏を忘れてもらったら困る 23だけど
往年の御大には宮松金次郎氏とか
まだ名前の挙がってない人
幾らかいらっしゃるよね。
時代は下がるけど
竹島さんって亡くなってたんだね
島つながりで本島三良さんとか思い出した
模型だけどTMSの山崎喜陽さんとか
懐かしい名前の人は粗方鬼籍に入られたかな?
あの種村すらもう居ないんだもんなあ…
ところで皆さんおいくつです?
私は今ちょうど40歳だけど
このスレでは若い部類かな? >>29
しばらく前に亡くなった
往年の都電に興味を持たせてくれた人だったな 研究家か写真家か人によって評価が違うかもしれないが、小林庄三氏。
あとは沖中忠順氏、三好好三氏、高山禮蔵氏、酒井福三氏、亀井一男氏などが
記憶に残る。
もちろん今もご健在で活躍中の方もおられると思う。 こうして見ると名前に「三」(音は“ゾウ”)のつく人が多いのは偶然か 姓名の文字数や読んだときの音数で
高松吉太郎氏と宮松金次郎氏は脳内でセットになってたんだけど
両氏ともかなり先輩の世代かと思ってたら
高松氏はともかく、宮松氏は自分の祖母より
歳下だったと最近知ってびっくりした
お早くに亡くなられていたんだね。
だから扱かわれ方とかの印象で
ずいぶん先人みたいな印象だったんだなと。
祖母は平成一桁までいたけど 研究者としてメシは食えないので、他に職業があって
その傍らでの活動になるのかな
たとえば大学教授とか。
今までに名前の挙がった方々は、何を生業にしていたんだろう 吉川文夫、吉村光夫、原信太郎、竹島紀元,亀井一男、の各氏とは面識も交流も
あったが、それぞれ特徴がある御仁達だった。
それに西尾克三郎氏(元毎日新聞)とかいずれも権威者だったが全員鬼籍に入られて
しまった。
野村のオッサンは面白かったが最後には金銭問題があったのが残念だったけれどーーー。 岡田氏は横浜市交やめたあとは鉄道ライター
一本で食ってたのかな?
といってもそんなに単著があるわけでもなし… 関西私大の雄・同志社鉄研OB 羽村宏氏の吉田急行電鉄は有名。 研究家と言うよりも写真家(撮影家)と呼ぶ方が相応しい人もいるかもね
写真は遺しているが、記事が無いという… 研究家とはいわないかもしれないが、黒岩先生と御話してみたかった 原信太郎
長年大阪の会社に勤め兵庫に住んでたのに
死んだ途端にゴッソリ神奈川
最初から一生神奈川みたいな扱い
なんだかな >>45
昔は国鉄内部で趣味誌に寄稿する人がよくいたな。黒岩さんの場合は、
国鉄辞めてから、「レイル」の編集に関わるけど。
JR九州の石井元社長とか、国鉄工場長まで勤めた久保田博さんとか、
昔は頻繁に記事を書いていたな。
今は、コンプライアンス上昔の様にはいかないんだろう。 >>49
電気車研究会も交友社も出自は鉄道内部向けの出版社だったからな。 >>46
帆船日本丸のようだ
尤も造船が神戸というだけで籍があるのは東京港で神戸にはそんなに寄港しなかったが 研究家と言っていいのか、岩崎・渡辺コレクションの両氏こそ明治の研究に欠かせないだろう
それ以前というと浮世絵の三代目広重になるか? >>52
その例えとは、真逆じゃね?
原信太郎の場合は九十余年のコレクション人生の大半を阪神地区で過ごしたわけなのに
まるで初めから神奈川でそうだったみたいだって話でしょ 鉄道研究家では無いけど国電ファンの自分にとって大熊孝夫氏は偉大な存在
趣味誌に投稿した文献は国鉄内部の人とは思えないオタ目線満載の文章
転配時の裏事情や地方局とのやり取りなど実務者しか分からない情報ばかりだった
RF誌の「究極の…103系」は今でもヌケる一冊です 本島三良さんの扱いが微妙なのは何故なんだろう?
取り上げる人は、何故か距離を置いているかのように見える。 関西各社ではなく、全国各社の内燃車だ。
昔の研究家でなく、現役だし。 >>58
>>60
現役でも昔の思い出話とかだったらいいと思われ。 >>42
同人誌?みたいな刊行物に京都市電の特集記事を載せておられた。
新車700型の内見会に参加し、巻尺で車体を実測して模型をつくったりしてたとも。
ともかく並外れて念の入った記事だった。
その刊行物は下京図書館で見かけたのだが、不覚にも題名を失念。涙 白土貞夫さん(83)が、ブラタモリに出てた。
しかし、友の会が3,000人しかいないとはね。
もう、老人クラブだな。 黒岩さんの手がけたマークは品格があったな。
やっぱり国鉄型には黒岩さんの物が一番似合う。 山本魚睡氏は西鉄専門ですかね
まさか本名ではないと思う 俳号みたいな >>67
私鉄もだけど、路面電車研究に遺した功績も忘れてはならないな
まともな鉄道研究家がどんどん亡くなっていくね
その内梅原や冷蔵庫みたいな輩も持ち上げられていくのかねぇ 鉄道研究家ではないかもしれないけど
「佐々木桔梗」氏
私の鉄道趣味の心の師 >>69
文章といい写真といい良い意味での文系?鉄道趣味者でしたね佐々木さんは >>66
山本氏は西鉄の社員だった方で「筑紫郷土研究会」を主宰されていた。 戦前からの膨大な写真資料を所蔵されている、西鉄研究の第一人者 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています