懐かしの能勢電鉄 Part2 [転載禁止]©2ch.net
懐かしの能勢電鉄スレが荒らされているので立てておきます
こちらのスレにて盛り上がって頂けましたら幸いです
■前スレ
懐かしの能勢電鉄
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1368683356/ あ、喩えが悪かったか
軽快かどうかは主観で決まるもので人それぞれは
あたり前になると言いたかったんだよ マルーンに掛かり結ぶフレーズといえば「濃厚」だな。 通勤通学のために乗らざるを得ない人が
電車の色で好き嫌い言ってても仕方ないよ 阪急ではなく国鉄に乗り換える需要が
昔は一定数あったということなのかな そんなになかったと思うよ
なので余計に存在意義に興味が湧く
誰かご存知の方が居られたらお教えください 汽車型の間抜けダイヤだったし、国鉄に乗り換える人などいなかったのでは?
三田や福知山方面の需要は少数だろう んだね
遅い、高い、本数少ないの三重苦でどうしようもない路線だったよね 大阪に出るのにいつもは阪急を使うのに
鉄に目覚めてからは国鉄利用になったのを思い出したw 高いのと本数少ないのはそうだが大阪までの所要時間は国鉄時代も阪急より短かくなかったっけ
DL牽引列車とはいえ駅が少ないのは絶対的なアドバンテージ 貨物輸送中継のため、
と書いてみる
貨物ほど大規模でなく手荷物小口輸送みたいなのをやっていたとか? 小口輸送なんて年間数十トンくらいにしかならないのに過剰な投資してることになるな 川西国鉄前までの連絡線の車両は何故専用塗装だったの?(不採算路線に何故に2色塗り?で温存)
(マア 30,50,60形がツートンで最初からこの区間専用目的で塗られたワケではないのだが・・・)
P5が大挙してきた時点で処分されたクルマもあるのだから新車(鋼体化)PRも無意味だし・・・
ひょっとしてP5は使い潰しで、次はオリジナル新車導入の野心とかあったの?
それとも、上毛は 主力の西武色や東武の中古を入れ替えて処分繰り返しつつも プロパー車を大事にしてきたのと同じ気持ち? マルーンに戻したのは単に一色塗りは保守が簡単だから。 320とか500に乗り慣れていたころに610がやって来て初めて乗った時の広々感が忘れられない
ステップも省略で足元スッキリなのも好印象 610系は広幅だったが車体長が短かったから
そんなに広々した印象は無かったね
戸袋窓が磨りガラスタイプと断熱青色ガラスタイプの2種類あったっけ? 500系の最大幅=約2500ミリ
610系の最大幅=約2750ミリ 610系は新型車のように車掌台側の窓がHゴム支持になったのが素敵だったよね(はあと) 610系が能勢に来た頃はまだ都市路線でも冷房率五割位だったろ?
高望みしすぎだなw 煽りたいなら他所でやれ
ここは平和なスレだからお前のようなゴロツキが来るような場所じゃねえぞ 確かに夏のラッシュ時間帯は苦痛ではあったが
窓を全開にしてればひんやりした風が入って来たし
どうにかこうにかしのげたよね 初冷房車は1500系、1983年。
まだ300番台の車両が生き残っていたね マルーンとベージュの組み合わせは良いけど
フルーツ牛乳はアカンわ 扉部分だけ色を濃くするから可笑しくなるんだな
窓周りを濃くしたらいいんだ やっぱりマルーン+窓周り白が良かった
6300の鉢巻をアレンジしたように見えた
伝統と新感覚がうまく融合、と言えばよいのか 俺も>>88に同感。
あれは絶妙のカラーリングだと思う。
マルーンとクリームは元々良く調和する。 >>64
そうそう、出入り口の足元の出っ張りは気になった
見映え良くなかったし、わざわざ踏みはしなかったが
何となく柔そうに見えて心許無かった
同じ時期に阪急2300系に乗ったらステンレス?製の
確りしたものがついててさすがだと思った あのステップはプラットホームと高さが合ってなかったかと記憶。 ステップというか、そもそもホーム面が車高と全然合ってないというw 車庫なんか一般客が行く場所ではないだろ
何の思い出があるんだ 昭和50年代でも室内燈が白熱電球だった電車があったと思うが記憶違いかな
この時期阪急は旧型車も含めて全て蛍光灯化済みだった >>95
倉庫として使われていた30、50、60系あたりの廃車体。
昔は4両分あったみたいだけど、自分は2両のみの頃しか知らない。
もちろん今は無い。
(同様に絹延橋車庫の時代に使われていた廃車体倉庫の一つが現在
正雀に保存されている2番(のフリをした1番))
保存車両として置かれていた328番がいつの間にか無くなっていた!!
106番は異彩を放っていたなあ……
今は無い能勢電スイミングスクールがあった場所を、線形改良の前の
路線が走っていたのだけど、そこへ向う単線の短い鉄橋が、平野車庫の
敷地のすぐ南に今も(?)残っている。
(同様の鉄橋は多田駅のすぐ北や、鉱泉裏踏切のすぐ横にも現存。
鼓滝駅すぐそばのはいつのまにか無くなっていた) >>43が言ってるのは屋根の鉛丹のことだよな。
初めて乗りに行ったのはリア消のときに親付き日帰りで。
まだピカピカの日生線に320形が走ってた。
非貫通の610号や500形に妙見までも乗って
全線制覇。能勢口駅はもちろん地上。
2回めは仕事で数年前に平野駅まで往復。
ビール列車にいちど乗りたい… >>89
>>マルーンとクリームは元々良く調和する
いわゆる関西急電色だね 1980年代であれば室内灯が白熱球の車両はそれほど珍しくなかったよ >>104
開通間もない頃の日生線に乗りに行ったとき、
まっさらな軌道の上を時代錯誤的に古めかしい320がゆっくりと通過していた時
えも言えぬカオス感に包まれた。
数年後進学した高校で同じクラスの生徒のうち半数以上が日生線沿線に家があり
影響の大きさに驚いた 京阪神地方での分譲開始の頃の折り込み広告攻勢は凄まじかったらしいよ
日本生命も失敗するわけにいかない切迫感があったのだろうか 妙見の森ケーブル値上げキターwwwwwwwwwwwww 日本生命が提供していた夕方のテレビニュースのCMも
ニュータウン一色塗りだったな
「ニッセイのおばちゃんの歌」と好一対をなしていた バブル前の北摂の戸建販売競争はもっぱら日生VS東急
なぜかここを本拠とする阪急は蚊帳の外 日生は(資金運用をする生保各社は一般的に安定経営の大手私鉄)東急の株主でもあるのだけどね。 日生急行日生中央行があった。僅か一年くらいの運行だったが。 山下駅の電車案内表示が幕方式からパタパタ式に新調されたときは
なぜか嬉しかった で、なぜかそのパタパタに入っていた
「妙見急行 妙見口」
停車駅は川西能勢口と平野からの各駅にするつもりだったのか 60系は昭和58年の時点で能勢電軌道内を走ってた
平野車庫に移動させるためなので乗れなかった。 >>109
夜、山下で乗ってた
常夜灯しか付いてないから車内真っ暗だったなあ 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 >>72
610形のお別れ運転の時に写真撮りまくってその魅力にとりつかれた 川西能勢口で川西国鉄前行きと本線の線路が繋がってたけど本線のレールと1センチぐらいの段差があった。 張り上げ屋根でライトも埋め込み式、見た目はそんなに古臭くなかったけどな 昔は車内で車掌が切符売って回ってたなぁ…
制服はグレーの頃