懐かしの能勢電鉄 Part2 [転載禁止]©2ch.net
懐かしの能勢電鉄スレが荒らされているので立てておきます
こちらのスレにて盛り上がって頂けましたら幸いです
■前スレ
懐かしの能勢電鉄
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1368683356/ 旧スレで話しがあった、何故51と61が1両づつ残ったかというのは謎ですね・・・
50と51は、40形の床下機器に交換して60形と同一性能になり、ともにアルミサッシ化
されるなどして手を加えられていた一方、61は、木製窓枠のままで、連結器も未装備
だった筈です。どうせなら、50・51の2両を残したほうが良かったのではと思います。
使用頻度も圧倒的に51の方が多く、61はもっぱら予備車として平野車庫に留置されて
おり、塗装も色あせていて、状態は良くなかったですね。 阪急塗装車席巻の中 ツートンで最後まで残ったのは、
ガワだけとは、云え唯一のプロパー車に対する拘り?
それとも単に川西国鉄前区間運転専用車の旅客向けの識別?
能勢電が阪急に寄生する(当事者各位失礼)ように
南海に寄生する水間が一時
塗装請負先が阪急の仕事もしているので安易に阪急色に転向したのとは対照的。 小さい頃に妙見口駅で5円硬貨が使用出来る券売機(神鋼電機製?)を見たような >>4
水間鉄道ってマルーン1色の時期とかあったん? >>7 あったよ。
南海1201系が大挙してくる前の短期間。
ズバリ阪急マルーン(同じ・・・理由 塗装業者が同じ) 傍目には、(乗車したり、性能スペックを把握していなければ)
鋼体化車の50,60形を押しのけて 阪急から 木造のP-5が大挙して入線してきてサービスレベルダウンとの苦情や思考なかったの?
また 転入時・若しくは、追々P-5の鋼体化プラン(30の車体に載せ替えとか)とかなかったの?
状態も思わしくなく(逝かれる公算大)、連結器のない61が運行中故障したらどうする?
事故処置(車両の移動収容)はどうするつもりだったの?
川西国鉄まで短距離だからハンドパワー(つまり手押し?)、
それとも車端に古タイヤでもかまして、車両間をチェーンやロープで結び牽引? >>8
アレ阪急と同じ色か
昔はカラー写真がなかったり、あっても変色激しくて私鉄車輌の色はよく分からないケースは多いが、1つ謎が解けた
サンクス >>9
連結棒。普段は座席の下に入れてあったとか。 >>9
鋼体化車の50,60形は外観だけ新しくて中身はニス塗りグローブ白熱灯1列、一方P-5達は
外観は古くとも中身はクリーム色塗りつぶしの蛍光灯照明で明るかったんだョ。 1000-1080-1030-1050
1001-1081-1031-1051
1550-1530-1580-1500
1551-1531-1581-1501
1552-1532-1582-1502
1553-1533-1583-1503
1554-1534-1584-1504
1555-1535-1585-1505
1750-1730-1780-1700
1751-1731-1781-1701
1752-1732-1782-1702
1753-1733-1783-1703
1754-1734-1784-1704
1755-1735-1785-1705
1756-1736-1786-1706
1757-1737-1787-1707
1758-1738-1788-1708 1000系がもう少し長生きしたらな。
マルーンに塗り戻されて8連で梅田に凱旋とか。 >>16
模型のフリーランスネタで楽しそう
鉄コレのはあまり人気ないのか、新品もまだ見かけるし、更に中古で出回ってるし フルーツ牛乳と渾名された90年代以降のカラーがエエなあ 出た頃のツートンの1500系と今の1550Fがいいな。 短期間で見なくなった?が窓回り青色(緑色?)でその他はオレンジのカラーが印象的
一度見てみたかった
写真だと窓回りがどういう色だかイマイチ分からない
今の能勢の保線用モーターカーが同じようなカラーリングなんだが、このカラーがモチーフか? パストラルNo2より
オレンジ(躍進・希望)
グリーン(沿線の緑) 川西能勢口と国鉄前の間を走ってた単行車両のツートンカラーは
地味な美しさがあった >>25
急カーブに単行電車とか鉄道模型のレイアウトみたいだった たしかにそうだね
西友ストアの看板を背景に急曲線をトロトロ走る51号が思い出される >>30
あのツートンは関西で類例のない軽快な配色。 自分の好みを主張されてもなあ
阪急マルーンを警戒という人もいるだろう あ、喩えが悪かったか
軽快かどうかは主観で決まるもので人それぞれは
あたり前になると言いたかったんだよ マルーンに掛かり結ぶフレーズといえば「濃厚」だな。 通勤通学のために乗らざるを得ない人が
電車の色で好き嫌い言ってても仕方ないよ 阪急ではなく国鉄に乗り換える需要が
昔は一定数あったということなのかな そんなになかったと思うよ
なので余計に存在意義に興味が湧く
誰かご存知の方が居られたらお教えください 汽車型の間抜けダイヤだったし、国鉄に乗り換える人などいなかったのでは?
三田や福知山方面の需要は少数だろう んだね
遅い、高い、本数少ないの三重苦でどうしようもない路線だったよね 大阪に出るのにいつもは阪急を使うのに
鉄に目覚めてからは国鉄利用になったのを思い出したw 高いのと本数少ないのはそうだが大阪までの所要時間は国鉄時代も阪急より短かくなかったっけ
DL牽引列車とはいえ駅が少ないのは絶対的なアドバンテージ 貨物輸送中継のため、
と書いてみる
貨物ほど大規模でなく手荷物小口輸送みたいなのをやっていたとか? 小口輸送なんて年間数十トンくらいにしかならないのに過剰な投資してることになるな 川西国鉄前までの連絡線の車両は何故専用塗装だったの?(不採算路線に何故に2色塗り?で温存)
(マア 30,50,60形がツートンで最初からこの区間専用目的で塗られたワケではないのだが・・・)
P5が大挙してきた時点で処分されたクルマもあるのだから新車(鋼体化)PRも無意味だし・・・
ひょっとしてP5は使い潰しで、次はオリジナル新車導入の野心とかあったの?
それとも、上毛は 主力の西武色や東武の中古を入れ替えて処分繰り返しつつも プロパー車を大事にしてきたのと同じ気持ち? マルーンに戻したのは単に一色塗りは保守が簡単だから。 320とか500に乗り慣れていたころに610がやって来て初めて乗った時の広々感が忘れられない
ステップも省略で足元スッキリなのも好印象 610系は広幅だったが車体長が短かったから
そんなに広々した印象は無かったね
戸袋窓が磨りガラスタイプと断熱青色ガラスタイプの2種類あったっけ? 500系の最大幅=約2500ミリ
610系の最大幅=約2750ミリ 610系は新型車のように車掌台側の窓がHゴム支持になったのが素敵だったよね(はあと) 610系が能勢に来た頃はまだ都市路線でも冷房率五割位だったろ?
高望みしすぎだなw 煽りたいなら他所でやれ
ここは平和なスレだからお前のようなゴロツキが来るような場所じゃねえぞ 確かに夏のラッシュ時間帯は苦痛ではあったが
窓を全開にしてればひんやりした風が入って来たし
どうにかこうにかしのげたよね 初冷房車は1500系、1983年。
まだ300番台の車両が生き残っていたね マルーンとベージュの組み合わせは良いけど
フルーツ牛乳はアカンわ 扉部分だけ色を濃くするから可笑しくなるんだな
窓周りを濃くしたらいいんだ やっぱりマルーン+窓周り白が良かった
6300の鉢巻をアレンジしたように見えた
伝統と新感覚がうまく融合、と言えばよいのか 俺も>>88に同感。
あれは絶妙のカラーリングだと思う。
マルーンとクリームは元々良く調和する。 >>64
そうそう、出入り口の足元の出っ張りは気になった
見映え良くなかったし、わざわざ踏みはしなかったが
何となく柔そうに見えて心許無かった
同じ時期に阪急2300系に乗ったらステンレス?製の
確りしたものがついててさすがだと思った あのステップはプラットホームと高さが合ってなかったかと記憶。 ステップというか、そもそもホーム面が車高と全然合ってないというw 車庫なんか一般客が行く場所ではないだろ
何の思い出があるんだ 昭和50年代でも室内燈が白熱電球だった電車があったと思うが記憶違いかな
この時期阪急は旧型車も含めて全て蛍光灯化済みだった >>95
倉庫として使われていた30、50、60系あたりの廃車体。
昔は4両分あったみたいだけど、自分は2両のみの頃しか知らない。
もちろん今は無い。
(同様に絹延橋車庫の時代に使われていた廃車体倉庫の一つが現在
正雀に保存されている2番(のフリをした1番))
保存車両として置かれていた328番がいつの間にか無くなっていた!!
106番は異彩を放っていたなあ……
今は無い能勢電スイミングスクールがあった場所を、線形改良の前の
路線が走っていたのだけど、そこへ向う単線の短い鉄橋が、平野車庫の
敷地のすぐ南に今も(?)残っている。
(同様の鉄橋は多田駅のすぐ北や、鉱泉裏踏切のすぐ横にも現存。
鼓滝駅すぐそばのはいつのまにか無くなっていた) >>43が言ってるのは屋根の鉛丹のことだよな。
初めて乗りに行ったのはリア消のときに親付き日帰りで。
まだピカピカの日生線に320形が走ってた。
非貫通の610号や500形に妙見までも乗って
全線制覇。能勢口駅はもちろん地上。
2回めは仕事で数年前に平野駅まで往復。
ビール列車にいちど乗りたい… >>89
>>マルーンとクリームは元々良く調和する
いわゆる関西急電色だね 1980年代であれば室内灯が白熱球の車両はそれほど珍しくなかったよ >>104
開通間もない頃の日生線に乗りに行ったとき、
まっさらな軌道の上を時代錯誤的に古めかしい320がゆっくりと通過していた時
えも言えぬカオス感に包まれた。
数年後進学した高校で同じクラスの生徒のうち半数以上が日生線沿線に家があり
影響の大きさに驚いた 京阪神地方での分譲開始の頃の折り込み広告攻勢は凄まじかったらしいよ
日本生命も失敗するわけにいかない切迫感があったのだろうか 妙見の森ケーブル値上げキターwwwwwwwwwwwww 日本生命が提供していた夕方のテレビニュースのCMも
ニュータウン一色塗りだったな
「ニッセイのおばちゃんの歌」と好一対をなしていた バブル前の北摂の戸建販売競争はもっぱら日生VS東急
なぜかここを本拠とする阪急は蚊帳の外 日生は(資金運用をする生保各社は一般的に安定経営の大手私鉄)東急の株主でもあるのだけどね。 日生急行日生中央行があった。僅か一年くらいの運行だったが。 山下駅の電車案内表示が幕方式からパタパタ式に新調されたときは
なぜか嬉しかった で、なぜかそのパタパタに入っていた
「妙見急行 妙見口」
停車駅は川西能勢口と平野からの各駅にするつもりだったのか 60系は昭和58年の時点で能勢電軌道内を走ってた
平野車庫に移動させるためなので乗れなかった。 >>109
夜、山下で乗ってた
常夜灯しか付いてないから車内真っ暗だったなあ 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 >>72
610形のお別れ運転の時に写真撮りまくってその魅力にとりつかれた 川西能勢口で川西国鉄前行きと本線の線路が繋がってたけど本線のレールと1センチぐらいの段差があった。 張り上げ屋根でライトも埋め込み式、見た目はそんなに古臭くなかったけどな 昔は車内で車掌が切符売って回ってたなぁ…
制服はグレーの頃 コンビニがない時分は有人中間駅の売店に利用価値
がありました。新聞、牛乳、お菓子とか、出札員兼
任の高齢の委託駅員が応対してくれました。
六一〇系入線のときはひと晩で三二〇、五〇〇のス
テップが付き、プラットホームの端部も幅広用に変
わりました。
川西能勢口駅で妙見口行きは鳴った発車ブザーも国
鉄前行きの場合は鳴りませんでした。 小坊の頃遠足で最後尾に乗ってワイワイしてたらレチにお前ら終点着いたんやからさっさと降りんかいと怒鳴られた 320か500だったか貫通路ドアも無いしC台側のはめ殺しガラスなんかなかったからうるさかっただろうけど >>114
西武も沿線で住宅開発してたな。
能勢電が西武に買収されそうになったこともあったらしい。 名鉄も地理的に全く縁のない東北や九州の交通事業者に食指を伸ばしてた 平野車庫には10,30,60形などの廃車体や、
380形が留置されていた。
10形はまとめて焼却処分されたよね。 >>145
たしかに木造だけど、思うように燃えてくれたのかな 阪急で見られなくなった形式がここでなら見られる、という意味の人気でしかないけどな
その2形式が阪急在籍時代に人気を博してきたかというとそうでもない 610系に人気があったなんて初めて聞いた
旧型なら920系だろ 51号が塗り替えて上半分のクリーム色が黄色っぽくなった後に、
原色だった予備車の61号が動いていた記憶がない。
床が板張りで、シートはえんじ色だったっけ。 能勢電初乗車が平成2年
610は平野で何度か見たが、乗ることは叶わなかった
1000ナツカシス、冷房化後の「変わり果てた姿」しか知らないけど フルーツ牛乳と揶揄されたオレンジ基調の塗色は忘れ去りたい
なぜ採用されたか? 阪急のお下がりばかり走らせてるという風説から脱したかった
せめて色だけでもとイメチェンを狙ったがダダスベリ
特に1000は一色塗りしか合わん いやあ、1000は何色でも合わないよ
坊主頭がもうだめ 今回のダイヤ改正は改悪でしかないわ
妙見線ユーザーにとって最悪すぎる 山上へ行くまでに乗り換えがまた増える。
ケーブルは冬季だけじゃなく平日水木も休業日っていうのは、
年間で動いてる時期が少なすぎるよ。
二十分ヘッドは維持してるのは感心するけど車両も古いから先行きが心配だな。
池田から山上へのバスもなくなった。 早朝/夜間/一方向だけとか全て含めて、
妙見口直通が完全ゼロになってしまうの? 日生線開業のときのダイヤ改正で「本数倍増!」と煽ってたのが面白かった
倍ではなかったけどね 大増発!といって2本だけ
大幅スピードアップ!といって1分だけ
まあ、そんなもんだ
それでもオレはのせでんが、好きだ 日生特急が走り始めてもう何年になるか、、、
のせでん線内から乗り換え無しで梅田まで行けるなんて
地元民には夢のような話だった いやいやw
日生はそれを売り文句にしてたのだから夢でもなんでもなく
単に約束を実行しただけのこと
山下や平野の人が舞い上がるのは分かる わずか15年ほどで原形がなくなるぐらいに変貌したってね
開発は果たして良いものか、容易に答えを出せん 500形の中に室内の木目をベージュ色に塗りつぶした車両があった。
阪急の中古のイメージを消したかったのかな。広電譲渡車と同じような色調だった。
室内は明るくなったけれど、落ち着いた雰囲気が消えて、好きになれなかったよ。 妙見山そのものを丸ごと切り捨てる施策に舵切りするとはな。
そもそも妙見山参拝のために敷設した鉄道なのに ケーブル、リフト廃止後の交通はどうなるのかな。
バスに代わった屋島は100円、東信貴は230円だから本数が減っても安くなった。
朝熊は正月三が日だけの運行期間を経て、土休日のみバスがあるけどね。
愛宕のように徒歩だけになるのかな。静けさは守られるけど清滝から二時間かかる。
妙見山上までのバスが復活するとしても、以前のように池田駅からになるかもね。 妙見口駅周辺の里山的な雰囲気、個人的には好きだったんだけどなぁ
経営面で非常に厳しかった上に、コロナがとどめの一撃となってしまったんだろうけど
妙見エリアは能勢電の心のよりどころ的な要素も大いにあっただけに、
能勢電自体も今後どうなってしまうんだろう 妙見山は「妙見さん」と敬称付けで呼ぶ地元の人がいるが
それを知らなくて「尿検査」と聞き違えてしまって大恥をかいたことがある >>171
新京成電鉄が親会社の京成に吸収合併されるらしいが
こっちも阪急電鉄に吸収合併されたりして。
その際川西能勢口~日生中央を日生線、山下~妙見口を妙見線にするかも。 昨日の能勢口駅での貼り紙
「妙見の森ケーブル 現在2時間待ち」
嗚呼…盛者必衰 万物流転 >>175
かなりの観光客が来るようになったんだね 【1500系】能勢電鉄の電車が「広島で活躍中」のワケ 感動の再会で"思わず絶句"阪急マルーンの現在は
https://trafficnews.jp/post/129442
→三菱重工業三原製作所和田沖工場 日生中央駅に行った時、改札で日生のおばちゃんが出迎えてくれると思いきや、まさたの無人駅だったので腰を抜かしてしまった。 平野が三ツ矢サイダー発祥の地とか知らん猿が居るんか オリジナリティを出そうとしたオレンジに紺のカラーは、事業用車や検測車
の類みたい。ただ踏切などで警戒色にはなったと思う サイダーの地を走るのに色がミルクセーキとか詐欺やろ。
青白はカルピスソーダっぽくて嫌いじゃない。