【北九州】西鉄路面電車、筑鉄総合【福岡】 [転載禁止]©2ch.net
筑鉄2006がl休車。
遂に元北九州線1000形の稼働車はゼロに。
(2002、2003の中間車除く) >>49
場当たり的というのは現在の視座からの評価だと思うよ。
当時はとにかく量を供給しないと追いつかない時代だったに違いない。 ガキの頃に見た筑豊電鉄に、オレンジ色にペイントされた1000系が懐かしい。
それ以前のマルーン色の車両は見たことないけど。 昭和53年頃にマルーンからオレンジに変わったよね。 このクリームとオレンジの新塗色は軽快で良かったのに長続きしなくて残念だった。
何であんな暑苦しい色にしたんだろう? >>57
オレンジとクリームの新塗色は西鉄タクシー色と揶揄されたけどその後当時の北九州の不景気に輪を駆けるようなドミッっとした重たい色になってしまった >>57
ピクトリアルには汚れが目立つからと書いてあったような >>60
人に聞くより2000年ごろに出たピクの西鉄特集を見た方が早い >>19
スレチだが、復元当初は緑1色だったはず。 >>62
168号(九軌1形)のことかな?
手持ちの資料だと、長崎入線時にクリームとツートンのツートンで
昭和53年の整備の時に緑一色に塗り替え。
昭和59年の重要部検査で外板・屋根を全取り換えると同時に今の茶色に塗りなおされたようだよ。
ちなみに同僚の162号は昭和45年頃?の映画出演(タイトル不明)の際に緑一色に塗り替えられて、
168号よりも車齢が高いこちらが動態保存される予定が、
車軸に亀裂が見つかって保存は断念され、代わりに168号が動態保存されて今に至っている。 連投すまん
>>63
×長崎入線時にクリームとツートンのツートンで
○長崎入線時にはクリームとグリーンのツートンで
で結論から言えば復元と同時に茶色(長崎電軌の創業色)になったということで間違いないと思われる。 >>63
162も168も九軌開業時に使用された車両だったから車齢は同じかと・・・
ちなみに162は開業時6号で168は23号ね >>65
24までは書類上は明治44年5月竣功だったか・・・
162が選ばれたのは車齡じゃなくて若番だったからか
知ったかぶりしてすまない
最若番の167(4)は福島線も経験した貴重な生き証人だったから
それを残しておけばと思うのはマニアのわがままかな >>67
車歴が複雑な方が貴重ってのは、マニアだけじゃなくて保有する会社にとってもいいPRになると思う。
広島が移籍車両をこの20年でどんどん潰していったのはもったいない感が否めない。
もちろん現場の事情や沿線住民のニーズが最優先なのはわかるけど・・・ 木造車がマグレで残ったって奇跡だよな。
復元のときだって似非にせずちゃんと純粋に木造で復元されたのも素晴らしい。 >>69
まぐれで残したというのは長崎電軌に失礼でしょうに・・・
会社存続も危うかった時代に歴史的価値を重んじてあえて遺したんだよ
社史に復元作業の詳細が載っているが、定年間近で
自社製造木造車の製造に携わったベテランさんがいたから
復元できたようなもの
現在では同様の復元を行うことは難しいそうだ 俺は残「っ」たって言ってんの。
実際そうじゃん。
木造車追放令を知らんの?
車体弛緩すら無かった大阪軌道線モ101形とか
ほとんどの運輸期間が素直に従って
廃車に至ってるわけで
マグレとしか言いようがない お上の命令だから
努力で残せたものではない。
当時ちょうど高度成長期
車両が足りなかったそうだから
何とか何とかで猶予で乗り越えたんだよ。
地方だから運輸局も大目に見てくれたんだろう
親方日の丸だから担当も変わってくだろうし
引き継がれなければ忘れ去られる
長崎の木造車は運が良かった
俺が言ってるのは対管理者におけるマグレの話であって
現場の人間の維持整備の部分じゃないから
そこだけは混同しないでくれ >>72
>俺が言ってるのは対管理者におけるマグレの話であって
>現場の人間の維持整備の部分じゃないから
>そこだけは混同しないでくれ
煽りたいだけの奴と勘違していた。申し訳ない ガヴァガヴァなんですから!
芳恵さんのアナルは!!
もう止められませんッ!!!!! 熊本地震があったけど5014は予定通り復活できるかな にしてつウェブミュージアムなかなか北九州線の車両ページができないね とうとう2本目のグリーンの5000型が動き始めちゃった。 >>42
ミャンマーのヤンゴンのそれ、たった半年でもう運行休止になったそうだな orz 三車体連接の真ん中の車両には乗降口が付いてるタイプとそうでないタイプがあったね >>79
純粋な西鉄の三車体連接車は,中間車は扉なし。
筑鉄2000になって,初めて中間車が扉付になった。 >>80
ヤマケイかなんかの本に、電動機交換(出力増強)せずに三車体化したので
乗降扉を設ける余裕がなかったと書いてあったな >>81
西鉄1000形って当初は結構出力過剰な車両っていわれてたから、中間扉つけてもよかったのでは?って思ってしまう。 >>82
福岡市内線と比べると高出力とはいえ、45kw×4で3車体は厳しいと思う >>83
北九州線600形非冷房が16.6dで45kw×2
北九州線1000形非3車体が27.0dで45kw×4
筑豊電鉄2000形式が29.0d
できなくもないような気がするんだが・・ >>84
筑鉄2000形3車体連接車は増結時にしれっと出力増強(45kw×4→55kw×4)している。 広電に移籍したのは猛烈にパワーアップしたんだよね? >>86
広電3車体連接車の標準出力に合わせた感じだね
でも3車体連接車の真ん中の連接台車って付随なんだよね
連接台車の構造上仕方ないとは言え、あの長い車両の駆動台車が両端だけってバランス悪い感がある
最早スレ違いすまない 連投済まない
広電3車体連接車の標準出力に合わせた
↓
広電2000の出力に合わせた
です 北方線最後の日(1980年11月1日)に乗りに行った
魚町発最終は蛍の光のBGMが流れて
馴染みのない路線に関わらずウルッと来たのが思い出。 山本魚睡氏の著作で北方線331系が馬面電車の渾名を頂戴したとの記述があったが
実際どうだっんだろ?
俺の記憶じゃそれはなかったのだが。 九州一帯では最も細く見えてたんだろ
「馬面電車」は、他にも福島交通軌道線や阪神→叡電などにもあって、
花巻だけの専売特許ではない。 西鉄ウェブミュージアムの車両紹介、軌道線は7月予定のはずなのに未だに放置状態
既に消え去ったチンチン電車なんてどうでもいいんだろうなぁ…
かしいかえんの600もあの形態であの色はおかしいのになんで塗っちゃったんだろう… >>98
ウェブは常に更新が滞り気味だわ
他のコンテンツもね 香椎花園といえば昔は福岡市内線連接車と元大牟田のボギー車が
展示されてたと思うがいつ頃か消えちゃったな ウェブミュージアムは611号について触れようとしないのはなぜだ? >>103
・担当者が知らない
・現在の保有者が掲載を拒んだor保存先施設の性格上掲載を自粛した
・実はもうない
・某保存団体の圧力
全部妄想だけど、ただ単に忘れ去られているだけとか?
香椎花園の時代考証めちゃくちゃなアレよりも価値があると思うがなぁ >>105
確かに細かったが車体幅自体は北方線の方が狭かったはず
ついでにいうと600系ではなくモ600形な 筑鉄3005号が旧西鉄カラーになったが、塗り分けは今の塗装と同じだから、あんまりリバイバル感がないな。 >>110
小田原時代の部品なんて台枠くらいだが、実際にまとっていたのは事実だからなぁ
同じ長崎電軌なら168の方がより適切かと 昨日陥没事故が起こった場所って、
旧電車通りじゃないよな? >>113
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.58976888256267&lng=130.4167104235462&zoom=19&dataset=fukuoka&age=3&map1type=roadmap&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&altitudeOpacity=0
の左側の地図を縮小していってみるといいよ
右側地図の博多駅前2丁目交差点やや西側
伊予銀行とかタカキビルあたりが現場 >>112
循環線移設前も含めてかすりもしていないよ 広島の紙屋町の交差点が崩落したら大変だっただろうな
5・6番線と宮島線区間以外全部運休になるな スペースワールドが閉園するのか。
開園した間もないこと、西鉄北九州線で行ったら中央町から相当歩いた記憶があるな。
枝光線が健在なら目の前を通っていたが、これは開園の5年前に廃止されていた。 あれだけ多くの車両が在籍していたということは、
それに見合う運転士を抱えていたということ?
廃止後の配転は大変だっただろうなた >>124
地下鉄移籍、大牟田線(新採減らして)西鉄バス、西鉄グランドホテルとか、西鉄ストアに行った人もいたみたい。 運転士から接客業(小売り)か
大変だっただろうなあ グランドホテルは求められる接客レベルが違うから大変だな 国鉄分割民営化の時もそんな悲劇があったらしいね
今まで何十年と機械だけ相手にしてきた人が
いきなり店頭に立たされて接客やれっていわれてもね… 砂津〜黒崎廃止の時、冷房改造された車両が沢山スクラップにされたのは本当にもったいなかった。
土佐電鉄が車体買い取って200型の台車と組み合わせたら良かったのに 冷房化してるとはいえ、製造から大分年数たってるし
土佐電にはあまり意味なかったんじゃないかな スレ違いだけど土佐200の初期車両と600形はほぼ車齢同じだよ
なんで土佐は未だに200を非冷房のままにしてるのか謎 にしてつWebミュージアムの歴代車両図鑑はいつできるのだろう
2016年7月公開予定なのだが >>133
あれ広報の吉冨さん一人で作ってるじゃないかって噂 益田さんとかと作ってるかと思ってた
吉富さんは今西日本新聞に連載したりして忙しいのだろうね >>129>>130
土佐は引戸(連接扉)王国だしなぁ
かの有名な「路面電車ガイドブック」では700形のとこで折り戸は乗務員の評判が良いと書かれてはいるが… 土佐電は当時はオスロ、リスボンとか色々外国の電車買い集めてたし
地味に日本の路面電車買う考えなかったのかもね
あれは失敗と言っていいと思うが 鹿児島市電には福博から譲って頂いた明治生まれが現役でつ 砂津〜黒崎が廃止の時600形が9両残ったけど、あの9両はどういった基準でチョイスされたんだ? その3つを満たしても廃車されたのと生き残ったのの違いは何だろう 今考えたら、筑豊電鉄は2100形を一編成だけでも冷房改造して残すべきだった 折戸は乗務員には好評なのか
保守担当は蝶番の耐久性が泣き所でどうにかしてやめて欲しがってると聞いたが・・・ >>144
乗務員と保守の現場で意見が異なることはよくある
後年長崎に行った熊本の170は、乗務員からはボロクソだったが、
保守の現場からは好評だったとのこと
理由については触れられていないが、
前後扉だったから、床下機器の保守がし易かっったからだと思う
ちなみに折戸が好評云々は土佐の元山陽電軌の車両のこと >>145に補足
熊本170のエピソードは熊本市電時代の話 熊本170は長崎200と近いのに大した活躍もさせてもらえず、ほとんど車庫警備だよね。可哀想 >>139
末期の折尾〜黒崎はその9両のみでの運用だったの? >>149
他に1000形5編成が朝ラッシュ用に残った
ただ、ダイヤ改正での運用削減で全線廃止時まで残ったのは600形7両と1000形2編成だった
(99年3月に連接車の北九州線運用が無くなったが筑豊電鉄で使われた)
>>141
亀レスだが、検査時期と車両の状態だろうね
92年に残った600形のうち
床鋼材化、前面改造が追加された後期車体更新車で冷房化されたのは5両のみ
前期車体更新車で冷房化された18両(うち4両は保安ブレーキ未取り付け)で4両を補った形だね 黒崎駅前電停が移転するまで、出入庫関係で黒崎車庫前⇔黒崎駅前間200mだけ営業する列車があったよね。
鋼索線とかを除いたら、日本一短い営業列車だったんじゃないかな? >>151
それは筑鉄?
西鉄の方も車庫前じゃなく駅前まで営業運転してたの?