【北九州】西鉄路面電車、筑鉄総合【福岡】 [転載禁止]©2ch.net
>>21
今は雙葉学園入口
北九州線は小さい頃魚町から到津遊園行くときよく乗ったなぁ
引っ越して3年後に廃線になってしまった
晩年の黒崎から折尾だけになった時にも乗ったが席が万遍なく埋まるくらいに利用者があった
乗降が終わると駅ががらんとなるから多いというほどの利用数でもないが >>23
おお、現役というのが何といっても嬉しいねぇ。
>>22
長いC車は、貫線&城南線廃止で浮いた車両を改造したもので、
それを挿入した編成は、八幡駅前と筑豊直方との間での運用だったとか言ってたかな。
ただ、時期によってそうではないことがあったのかどうか、わからない。 >>22
初期の3連接車があった頃は、まだ筑鉄に自前の車両が無い頃
北九州線の廃止が進んで、筑鉄が車両保有することになり
でも乗り入れはせいぜい黒崎まででラッシュ時のみ八幡駅前
という感じだったかと 連接車1000形はどの単行車をベースに外観をデザインしたんだろうか?
主力の600形は角ばってるし
全体的な丸っこさなんかは300形にかなり似てると思った
300形って全長が短かったけど、個人的に結構好きだったテザイン
タマ数が少ないのは福岡組だったんだなあれは デビュー順は
北九州600→北九州1000→福岡300
他社局にモデルがあったかも
前面は大阪市電っぽい 超本命が大穴
暇つぶしに覗いて見たけど あり得ない女が・・
見返りをもらって損はしなかったww
□を22it.neに変換
0□t/d11/11mina.jpg >>22
筑鉄の3連は整備の時に回送で砂津まで来ていた。
確かに営業では貸切を除いて>>26のとおり八幡駅前が東端。
それと3000が砂津に入庫しているのを1回見ている。 >>28
前面の窓配置は大阪市電3000形だろうね
ついでに長崎の360形・370形の全面窓配置は、西鉄の連接電車を参考にしたと設計した人の本に載っていた >>12さんの書き込み見て知った
2005解体と2007休車ですか・・・
2005は2000形の中で一番古かったからわからなくもないけど
2007って2000形の中で一番新しいのに運用離脱したのは意外だよ
個人的にデカ方向幕の2本は残って欲しいんだが・・・ >>33
今回の2000形がそうかは知らんが、状態が悪い車両から先に運用を離脱するのはよくあることかと にしてつwebミュージアムに保存車両コーナーができたんだな
611号が載ってないのはなんでだ? >>33
私は12ですが2007の他に2004も休車になりました。何れも黒崎に留置。2007はJR線側の最端2004は筑鉄本線寄りの最端です。 >>38
一本残すって事らしいけど、どれが残るんでしょうかね?
個人的に2006に残って欲しい >>39
ここ最近の稼働率をみると2002と2006は日中でもよく見掛けるから状態はいいと思われるからこのどちらかだろうね。 今更かもしれないけど
砂津から黒崎が廃止の際に、574を廃車すると爆弾を仕掛けるなんて脅迫があったらしいけど
その詳細わかるかたいますか? 福岡1100の生き残り、広電3005.3006はミャンマーで最後のご奉公。
数奇な運命を辿ってますね。
新天地で幸あれ(`_´)ゞ。
http://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20150711/3185311.html でも、もう3005を見れないかと思うとちょいと寂しい(-。-; もう搬出始まっちゃいましたね。
さらば、3005(`_´)ゞ。 9月に入って2007が直方市の解体業者に引き取られて解体されてしまった。2007の居た場所に2004が移されている…無念。 今2002・2003・2006が現役稼働してるってことか。でもこのうち2本も去っていくと思うと悲しくなるな 最終的に残る1本はどうするんだろうな?
おへそライトに戻してマルーンのツートンに復元?
個人的には黄電をもう一度見たいが。 昼の時間帯は中々あたらないけど筑豊直方発の初電と2番電車は続けて2000型だ。 300は木造車の部品だけ流用して車体を新製して輸送力の向上を狙ったが
部品が古すぎてとても流用できる代物ではなく、結局台車も含めて大部分を新品調達するしかなくなり
それだったら新車投入と変わらないという理由で途中で中止になったという解説を
保育社カラーブックスで見かけた。西鉄という会社はずいぶんと場当たり的だなと子供心に思った。 >>49
長い目で見たら詰めが甘かったとは思うが、当時の福岡市内線には明治・大正生まれの木造車がゴロゴロしていて
置き換えが急務だったから、たった5両でも貴重な全金車で重宝されたからよしとしようじゃないか
その300形の足回りと、置き換える筈だった木造車最後の生き残りが
長崎の地で生き残っているのは不思議な縁を感じる。
(尤も、300形投入時には長崎の168は既に長崎に引き取られていたが) >>49
鉄道車両の世界にはアイデア倒れがよくある
特に経費節減を狙った旧品流用車はかならずどこかに不満の残る形でデビューさせられ
中途半端なポジションのまま不幸な一生を終える >>49
コロタン文庫の私鉄全百科では、「連接車をボギー車にしたような形」と解説されていたと記憶している。
要するに1000形を押し縮めたスタイルだってことね。
正面デザインは確かに共通するものがある。 筑鉄2006がl休車。
遂に元北九州線1000形の稼働車はゼロに。
(2002、2003の中間車除く) >>49
場当たり的というのは現在の視座からの評価だと思うよ。
当時はとにかく量を供給しないと追いつかない時代だったに違いない。 ガキの頃に見た筑豊電鉄に、オレンジ色にペイントされた1000系が懐かしい。
それ以前のマルーン色の車両は見たことないけど。 昭和53年頃にマルーンからオレンジに変わったよね。 このクリームとオレンジの新塗色は軽快で良かったのに長続きしなくて残念だった。
何であんな暑苦しい色にしたんだろう? >>57
オレンジとクリームの新塗色は西鉄タクシー色と揶揄されたけどその後当時の北九州の不景気に輪を駆けるようなドミッっとした重たい色になってしまった >>57
ピクトリアルには汚れが目立つからと書いてあったような >>60
人に聞くより2000年ごろに出たピクの西鉄特集を見た方が早い >>19
スレチだが、復元当初は緑1色だったはず。 >>62
168号(九軌1形)のことかな?
手持ちの資料だと、長崎入線時にクリームとツートンのツートンで
昭和53年の整備の時に緑一色に塗り替え。
昭和59年の重要部検査で外板・屋根を全取り換えると同時に今の茶色に塗りなおされたようだよ。
ちなみに同僚の162号は昭和45年頃?の映画出演(タイトル不明)の際に緑一色に塗り替えられて、
168号よりも車齢が高いこちらが動態保存される予定が、
車軸に亀裂が見つかって保存は断念され、代わりに168号が動態保存されて今に至っている。 連投すまん
>>63
×長崎入線時にクリームとツートンのツートンで
○長崎入線時にはクリームとグリーンのツートンで
で結論から言えば復元と同時に茶色(長崎電軌の創業色)になったということで間違いないと思われる。 >>63
162も168も九軌開業時に使用された車両だったから車齢は同じかと・・・
ちなみに162は開業時6号で168は23号ね >>65
24までは書類上は明治44年5月竣功だったか・・・
162が選ばれたのは車齡じゃなくて若番だったからか
知ったかぶりしてすまない
最若番の167(4)は福島線も経験した貴重な生き証人だったから
それを残しておけばと思うのはマニアのわがままかな >>67
車歴が複雑な方が貴重ってのは、マニアだけじゃなくて保有する会社にとってもいいPRになると思う。
広島が移籍車両をこの20年でどんどん潰していったのはもったいない感が否めない。
もちろん現場の事情や沿線住民のニーズが最優先なのはわかるけど・・・ 木造車がマグレで残ったって奇跡だよな。
復元のときだって似非にせずちゃんと純粋に木造で復元されたのも素晴らしい。 >>69
まぐれで残したというのは長崎電軌に失礼でしょうに・・・
会社存続も危うかった時代に歴史的価値を重んじてあえて遺したんだよ
社史に復元作業の詳細が載っているが、定年間近で
自社製造木造車の製造に携わったベテランさんがいたから
復元できたようなもの
現在では同様の復元を行うことは難しいそうだ 俺は残「っ」たって言ってんの。
実際そうじゃん。
木造車追放令を知らんの?
車体弛緩すら無かった大阪軌道線モ101形とか
ほとんどの運輸期間が素直に従って
廃車に至ってるわけで
マグレとしか言いようがない お上の命令だから
努力で残せたものではない。
当時ちょうど高度成長期
車両が足りなかったそうだから
何とか何とかで猶予で乗り越えたんだよ。
地方だから運輸局も大目に見てくれたんだろう
親方日の丸だから担当も変わってくだろうし
引き継がれなければ忘れ去られる
長崎の木造車は運が良かった
俺が言ってるのは対管理者におけるマグレの話であって
現場の人間の維持整備の部分じゃないから
そこだけは混同しないでくれ >>72
>俺が言ってるのは対管理者におけるマグレの話であって
>現場の人間の維持整備の部分じゃないから
>そこだけは混同しないでくれ
煽りたいだけの奴と勘違していた。申し訳ない ガヴァガヴァなんですから!
芳恵さんのアナルは!!
もう止められませんッ!!!!! 熊本地震があったけど5014は予定通り復活できるかな にしてつウェブミュージアムなかなか北九州線の車両ページができないね とうとう2本目のグリーンの5000型が動き始めちゃった。 >>42
ミャンマーのヤンゴンのそれ、たった半年でもう運行休止になったそうだな orz 三車体連接の真ん中の車両には乗降口が付いてるタイプとそうでないタイプがあったね >>79
純粋な西鉄の三車体連接車は,中間車は扉なし。
筑鉄2000になって,初めて中間車が扉付になった。 >>80
ヤマケイかなんかの本に、電動機交換(出力増強)せずに三車体化したので
乗降扉を設ける余裕がなかったと書いてあったな >>81
西鉄1000形って当初は結構出力過剰な車両っていわれてたから、中間扉つけてもよかったのでは?って思ってしまう。 >>82
福岡市内線と比べると高出力とはいえ、45kw×4で3車体は厳しいと思う >>83
北九州線600形非冷房が16.6dで45kw×2
北九州線1000形非3車体が27.0dで45kw×4
筑豊電鉄2000形式が29.0d
できなくもないような気がするんだが・・ >>84
筑鉄2000形3車体連接車は増結時にしれっと出力増強(45kw×4→55kw×4)している。 広電に移籍したのは猛烈にパワーアップしたんだよね? >>86
広電3車体連接車の標準出力に合わせた感じだね
でも3車体連接車の真ん中の連接台車って付随なんだよね
連接台車の構造上仕方ないとは言え、あの長い車両の駆動台車が両端だけってバランス悪い感がある
最早スレ違いすまない 連投済まない
広電3車体連接車の標準出力に合わせた
↓
広電2000の出力に合わせた
です 北方線最後の日(1980年11月1日)に乗りに行った
魚町発最終は蛍の光のBGMが流れて
馴染みのない路線に関わらずウルッと来たのが思い出。 山本魚睡氏の著作で北方線331系が馬面電車の渾名を頂戴したとの記述があったが
実際どうだっんだろ?
俺の記憶じゃそれはなかったのだが。 九州一帯では最も細く見えてたんだろ
「馬面電車」は、他にも福島交通軌道線や阪神→叡電などにもあって、
花巻だけの専売特許ではない。 西鉄ウェブミュージアムの車両紹介、軌道線は7月予定のはずなのに未だに放置状態
既に消え去ったチンチン電車なんてどうでもいいんだろうなぁ…
かしいかえんの600もあの形態であの色はおかしいのになんで塗っちゃったんだろう… >>98
ウェブは常に更新が滞り気味だわ
他のコンテンツもね 香椎花園といえば昔は福岡市内線連接車と元大牟田のボギー車が
展示されてたと思うがいつ頃か消えちゃったな ウェブミュージアムは611号について触れようとしないのはなぜだ? >>103
・担当者が知らない
・現在の保有者が掲載を拒んだor保存先施設の性格上掲載を自粛した
・実はもうない
・某保存団体の圧力
全部妄想だけど、ただ単に忘れ去られているだけとか?
香椎花園の時代考証めちゃくちゃなアレよりも価値があると思うがなぁ >>105
確かに細かったが車体幅自体は北方線の方が狭かったはず
ついでにいうと600系ではなくモ600形な 筑鉄3005号が旧西鉄カラーになったが、塗り分けは今の塗装と同じだから、あんまりリバイバル感がないな。 >>110
小田原時代の部品なんて台枠くらいだが、実際にまとっていたのは事実だからなぁ
同じ長崎電軌なら168の方がより適切かと 昨日陥没事故が起こった場所って、
旧電車通りじゃないよな? >>113
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.58976888256267&lng=130.4167104235462&zoom=19&dataset=fukuoka&age=3&map1type=roadmap&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&altitudeOpacity=0
の左側の地図を縮小していってみるといいよ
右側地図の博多駅前2丁目交差点やや西側
伊予銀行とかタカキビルあたりが現場 >>112
循環線移設前も含めてかすりもしていないよ 広島の紙屋町の交差点が崩落したら大変だっただろうな
5・6番線と宮島線区間以外全部運休になるな スペースワールドが閉園するのか。
開園した間もないこと、西鉄北九州線で行ったら中央町から相当歩いた記憶があるな。
枝光線が健在なら目の前を通っていたが、これは開園の5年前に廃止されていた。