【北九州】西鉄路面電車、筑鉄総合【福岡】 [転載禁止]©2ch.net
>>234
あの間違いだらけの社史が全てと思っているんですか。
別に、社史の誤りはを責めでいるわけではありませんので、誤解なきよう。 >>227
そりゃあまあ、県庁所在地だから、それくらいあることは普通では?
熊本だって似たようなもんだし。
言いたいのは人口規模 福岡を始め他地域では〇〇市内線と総称することがあるが、
北九州線は最後まで北九州市内線とは言われなかったな
若松以外の旧四市を結ぶ路線だったから >>239 九州大学や福岡高裁といった旧帝大や高裁が全国に何個あるかわかってる? >>239 熊本大学が旧帝大で熊本高裁があると考えてるのかあ? >>240
旧帝大は40万弱の市にあったりするからねえ >>243 40万弱の市に大学本部がある旧帝大ってどこよ? >>245
阪大
>>246
高松
両方あるとは言ってない >>247 阪大の歴史的経緯を無視して言われましても…
そもそも四国に旧帝大あったっけ?
まあ、国の他の重要出先機関所在地も調べれば、福岡の地位がわかるんだけどな 歴史的経緯は関係ないわなw
後出しで言われても
四国に旧帝大があるなんて言ってないし >>249
帝大なんだから、歴史的経緯が関係あるだろ。
その後の移転は、戦後はるか年月を経たことで、どこに設置したかが重要なんだから。 高雄でなく台北、釜山でなく京城に設置した全体の設計思想、構想が重要なんだから、移転は捨象して良い。 全体の設計思想なんてないよ
福岡民って発想が結構田舎なんだなw もと門司区民だけど
1985年の部分廃止時に門司〜砂津も廃止になったが、
この区間が門司線と書かれて驚いたよ
本線というのは門司〜折尾だったんじゃねーの??、とな
あと、Wikipediaの西鉄北九州線の項目には、北九州本線という記述もあって驚く
少なくとも西鉄がそんな表記をしたのは1度も見たことがない
大抵、西鉄が北九州地区の車内や停留所掲示物で案内表記したのは「西鉄電車」と「西鉄バス」
これは一貫していたよ
戸畑線と枝光線というのも到津回りと比べて、という意味で出てくる程度のワードで、
乗車目標としては幸町・中央町の停留所名の方が重視されていた >>255
路面電車の路線名ってあまり案内上で使われないからね
電車の系統で十分 系統表示すらしなくて地元民以外は使いにくいんじゃなかったですか? >>257
まあでも中央町-大門間で幸町回りは行き先表示に幸町って入ってたし >>257
自分の当時の生活環境だと、
広石(祖母の家)〜大里東口(自宅)〜門司駅前(お買い物)〜室町(小倉お買い物の西限)
の一本道だった
玉屋がご健在だった頃です
魚町から乗れば行先は砂津か門司しかないので、迷うことはなかったね
しかし主力となる魚町〜黒崎駅前の利用者はよーく方向幕を見ないと大変だったと思う
全線で行先番号の表示がされず、連接車は前面方向幕が異常に小さいという謎仕様だった
メインの[門司][砂津][戸畑][折尾]の他に、
[中央町→幸町][幸町→中央町]の意味も読み取らないといけないので、
よそ者には使いづらい路面電車だったかもしれない 中央町は行き先が多彩で混乱しやすかったのではないかなと思う。
にしても、北九州線が生き延びることができてたとしたらどういう施策が必要だっただろうか… wikipediaより
社内では系統番号で管理していたようだ
1973年9月時点 日中の運転系統
1:砂津 - 折尾 連接車(車掌乗務) 10分間隔
2:門司 - 幸町 - 折尾 ボギー車(ワンマン) 15分間隔
3:門司 - 戸畑 ボギー車(ワンマン) 30分間隔
4:戸畑 - 折尾 ボギー車(ワンマン) 30分間隔
5:砂津 - 幸町 - 中央町 - 門司 ボギー車(ワンマン) 15分間隔
6:門司 - 中央町 - 戸畑 ボギー車(ワンマン) 30分間隔
11:砂津 - 筑豊直方 連接車(車掌乗務) 15分間隔
14:八幡駅前 - 筑豊直方 連接車(車掌乗務) 15分間隔
20:魚町 - 北方 連接車(ラッシュ時のみボギー車も運行・共に車掌乗務) 5分間隔 こうしてみると片道の1時間あたりの運転本数がわかるね
門司〜砂津…8本
砂津〜大門…26本(うち、5系統は重複分4本が追加)
大門〜中央町…16本
中央町〜八幡駅前…16本
八幡駅前〜熊西…20本
熊西〜折尾…12本
熊西〜筑豊直方…8本
大門〜幸町…10本
幸町〜戸畑…6本
幸町〜中央町…12本
魚町〜北方…12本 >>260
スピードうp
もしくはモノレールへの切り替え >5:砂津 - 幸町 - 中央町 - 門司 ボギー車(ワンマン) 15分間隔
これが謎の[幸町→中央町][中央町→幸町]の方向幕のやつ
謎といえば門司発だと[大門]もあった
大門には渡り線があったが使用はされず、大門止めではない
その先の中央町方面に行くか戸畑線に行く
行先が確定するのは運転整理を行う砂津
大門で乗り換え券を受け取って降車すれば、
電車が行きたい方向と違う行先にされても、後続の行きたい方向の電車で運賃を通算できた 45秒ヘッドの黄金期なんかアナログでよく運転整理できてたなと思う。砂津なんぞ一日中電車渋滞だったとしても驚かん >>260
>北九州線が生き延びることができてたとしたらどういう施策が必要だっただろうか…
国鉄廃線跡地の転用
城野〜(旧日田線跡地)〜砂津〜金田付近〜(旧大蔵線跡地)〜黒崎
それにより、併用軌道区間を砂津〜金田付近だけにする
ま、1970年代後半までにやっとかないとダメだったな 思いきって小倉駅前、魚町、室町あたりを地下化していれば、
とも思いますけれどね。 いずれにしても電車通り全部がせめて片側2車線ずつあればね。定時性確保にも寄与するし、もう10年くらい引っ張れたのでは。
電停の拡張余地がないくらい狭い道だからセンターポールにもできないし、車が逃げられる並行道路も足りず。 地下化しようにも紫川があるからかなり深く掘らないといけないよ
福岡市営地下鉄中洲川端駅みたいに
広島電鉄も、中心部が川だらけだから地下化が出来ない 砂津〜黒崎で全線専用軌道化、停車駅を大手私鉄鉄道線並に約1km間隔に整理統合
、大牟田線からお古の大型車両を転入
これで、現在は砂津〜筑豊直方で、日中は3両編成が10分毎で、って感じだろうな 鉄道線とすべく、本線の停車駅を半分に整理 (数字は門司からの営業キロ)
11.6 砂津
12.4 魚町
13.3 大門
14 4 金田
15.4 下到津
16.3 到津の森(遊園前)
17.2 昭和
18.0 荒生田
18.9 大蔵
19.9 中央町
21.1 尾倉
21.6 西鉄八幡(八幡駅前)
22.6 桃園
23.4 紅梅
24.3 西鉄黒崎(黒崎駅前) 本線を路面電車から大型車を使用した鉄道線にすべく、
停車駅を半分に整理 (数字は門司からの営業キロ)
11.6 砂津
12.4 魚町
13.3 大門
14 4 金田
15.4 下到津
16.3 到津の森(遊園前)
17.2 昭和
18.0 荒生田
18.9 大蔵
19.9 中央町
21.1 尾倉
21.6 西鉄八幡(八幡駅前)
22.6 桃園
23.4 紅梅
24.3 西鉄黒崎(黒崎駅前) 小倉━鹿児島本線━黒崎
快速で15分 280円
勝負にならん
バカか? >>274 筑豊電鉄の福岡市内延長、門司から直通乗り入れ西鉄福岡(天神)行き。これができてればね。 勝負になるわけないなんて明白だからこそ勝負しない道もあったんじゃないの。 静岡鉄道のように静岡〜清水11kmを東海道線と平行しながらも2両ワンマンで高頻度運転している所もある
長野鉄道のように中小私鉄ながらも長野駅付近を地下線化した所もある
つまり、やる気、元気、いわき!ということだ >>278 都市市街地が衰退してきたら駄目だろ、北九州市は70年代で既に頭打ち。JRは周辺部にも路線を延ばしており、自動車工場の新設された地域への通勤客輸送需要に対応できたが。 北九も訳の分からんバスだらけになって貧相な街になったよな 北九州線は中小拠点間の需要を掬って吐いて串刺しにする形態だから、勝ち目のない速達性よりも地域輸送に徹して需要繋ぎ止めを目指す道もあったかと。沿線の市街地更新は遅れたね。特に八幡東区は。 >>281 鉄工所等の工場が寂れたから、JRとバス輸送で足りるのよ。 >>282
そりゃ現実はそう説明されてるわけだが、曲がりなりにも人口規模があるわけで、通勤需要が飛べは終わりだけなら他都市も全滅でしょ。
事業者のやる気次第とはいえ、あまりにも諦めが良すぎた気もする。 路面電車沿線の通勤客の減少に街の停滞、そしてJRとの並行区間が多いこと。
広島、静岡に比べ存続は厳しい環境。 山裾部分の市街化調整区域化を進めるなら旧電車通り沿いの住宅地を高度化する方向で誘導すればいいのに。 筑豊電鉄は福岡への延伸を断念した時点で、国鉄駅までの延伸をしてほしかった もし伸ばせてたらどうなってたかな
やはり低床路面電車スタイルでは伸びしろもないから
高床化して天神大牟田線と車両を共用するかな
ホーム打ち上げが大変だ 宮地岳線と同じく車両の墓場になってそう。熊西〜黒崎〜砂津間をどうにか新設軌道に転換して砂津直方間を10分ヘッドで走らせたら戦えるか。
そしたら筑豊線電化は遅れたかな。 >>290
打ち上げが
頭大丈夫か?
扛上(こうじょう)、だ。 youtubeに三ヶ森〜製鉄西門前間(八幡駅前行き)の記録音が上がってる。1976年だと音だけでもまだまだ活気がわかる。 じゅうぶんにマイカー時代だったけどもそれでも手軽に電車に乗ろうという感覚があった モノレールではなく、路面電車高架化
主要な地表部は専用線(車両通行禁止)
交差する信号機は路面電車ダイヤに合わせたコンピュータ制御
あれ?2025年の広島みたいだ >>296
自動車は一方通行にして、車線を確保していたけど、
それが限界だったかな。
バス会社だし、軌道事業にやる気がなかったのが。 すでに1970年代には投資はバス重点に移ってた
その後20年近くも維持してくれたことに感謝しないといけないかも モノレール計画(=西鉄電車廃止)が動き出したからではなかろうか? 【なんちゃって一級建築士の特徴】
高卒か大学文系卒
親族の工務店で修業
エコ、環境、子育て等のキーワード使用
設計依頼すると家族ぐるみのお付き合いをなどと言われ食事会に招待されキャンセル不可能に持ち込まれる
大きな建築物は経験無し
各地の建築セミナーに足繁く参加してHPに載せる https:
//www.youtube.com/watch?v=Quqqt-fIulo
https:
//www.youtube.com/watch?v=Woz5cxebyzY 筑豊電気鉄道
げーじ440 うぃーうぃー
うぃーした
おしぇわになりました げーじ440うぃーうぃーうぃー
うぃーした
おしぇわになりました 広電沿線に飲食店が立ち並んでいるの見るていると
路面電車あると町が生き返ると思う
門司方面→砂津→小文字通り→小倉駅短絡→勝山→到津→大蔵→八幡→黒崎→筑豊電鉄
この妄想路線は実現できないですかね? >>308
妄想のような宇都宮から喜連川へ行くLRTがまもなく開通する。
だとすれば不可能ではないかもしれない。 北九モノレールが破綻したら路面電車が小倉ステーションビルに入るようになりますか? 富山のようになるといいね
魚町界隈に人が戻り、八幡黒崎の廃墟感も少しは解消されるでしょう 路面電車復権には歩道から直接乗降できることが最低条件
つまり第一レーンを電車が占有する
安全地帯なんか時代の遺物 北九モノレールが破綻したら
路面電車で平和通りから小倉ステーションビルへ急勾配を登ってほしい >>314
北九州モノレール、経営しんどいのですか? ない
側面腰板の広告挿しも無かったか、あったとしても少数
路線が短くて宣伝効果が薄いと思われてたのだろうか 門司港の148号って現状、車内公開してるの?
旧公開体制下で、一度だけ偶然に遭遇して見学したけど(7~8年前)、
その後とか最近の報告がまったくない。
SNSとかでも推測記述ばかりで、実際に中へ入った人の記述がない
なにか知ってる人はぜひ書いてください。 反応どうも
その後も調べてたんだけど、どうやらコロナ前から
ずっと中止されたままみたい。
これは推測だけど、おそらく管理者が変わってから
一度も公開されやことないんじゃないかな
鉄道関連ネタならどんなニッチでも
1人は必ずレポってるツイッターで
移管後の見学レポが一切ないので。 で、外観の現状だけ写真を載せてる人いるけど
かなり傷んできている。このまま放置→解体の可能性が高まってきた。
きっと、移管先の管理者が興味ないor傷ませたいから放置とかかな? >>318
広告がなくて良かった
色も最後まで変わらず 大牟田市内線にいた古典車が保存されているが
色はあんな鮮やかだったの? 322の腰板に三萩野バッティングセンターの広告がけっこう大きく入ってました。昭和55年頃かな。
333や332は幕板にステッカーのような広告を貼り付けていましたね。
335の腰板には挿し込み式の広告がありました。 322の腰板に三萩野バッティングセンターの広告がけっこう大きく入ってました。昭和55年頃かな。
333や332は幕板にステッカーのような広告を貼り付けていましたね。
335の腰板には挿し込み式の広告がありました。 マルーンとクリームの2トーンカラーに勝る色合いはない >>329
福岡市内線の1000形から始まったんだっけ。 北九州市内ドライブしまくって
山手通りって所も走ったけど
その気になれば黒崎〜小倉まで路面電車と通せそうじゃん 北九州線と福岡市内線を筑豊電鉄経由で直通させて欲しかった
ドイツに似たような例がある 福岡~北九州を結んでも軌道線規格では時間がかかり過ぎませんか? >>0334
いまの感覚ではね。
でも当時としては
競合相手といえば
国鉄は鹿児島本線でも蒸気機関車牽引でのろかったし
本数はお話にならない少なさだったし
篠栗線の篠栗〜桂川間は未開通だったし
まともな道路も自動車もなかったし。
そう考えると筑豊電鉄規格なら
いちばん優位性のある交通機関となりそうですね。 >>334
ドイツみたいに高速運転すれば、それなりに使える。
沿線開発をうまくすれば、両側が100万都市なんだから利用されるだろう。
両都市内が軌道線なので、少々の遅延は許容できる仕組みでないと難しいだろうけど。 北方線の異質感が好きだった
モノレールなんか造らなければなあ