https://i.imgur.com/lXrJLNs.jpg
 福岡市内を走っていた西鉄の路面電車(福岡市内線)が1979年2月に全廃されてから、今年でちょうど40年になる。

この機会に西鉄路面電車の歴史を調べていたところ、興味深い出来事があったのを知った。

廃止の10年ほど前、福岡市が西鉄に対して「路面電車の経営権をよこせ」と要求したことがあったのだ。

当然ながら西鉄は強く拒否。蜜月と言われる現在とは違い、両者は厳しく対立していた。

 民間企業に資産をよこせとはずいぶん横暴な話だが、これには一応の理由があった。

西鉄路面電車の前身企業の一つ、福博電気軌道が1907年(明治40)、福岡市との間で報償契約なるものを結び、この中に「開通から50年後、経営権の一切を市に譲る」という項目があったのだ。

 福博電気軌道の営業開始は1910年3月なので、50年後とは1960年に当たる。

福岡市はこれを盾に取り、1969年頃から経営権譲渡を強く西鉄に迫り始めた。

西鉄側は、報償契約はその後何度も結び直しているが、新たな契約には譲渡の項目はなく、もはや無効だと反論していた。

今、両者の主張を見比べてみると、西鉄側の主張の方に理があるように思えるが、福岡市側には「裁判に訴えてでも」という強硬論があったほどだから、それなりに勝算があったのかもしれない。

 それにしても、福岡市はなぜ、路面電車の経営権などを欲しがったのだろうか。

1979年には全廃されることでもわかるように、すでに路面電車は西鉄にとってもお荷物となっており、1968年7月の記者会見で当時の社長は

「西鉄の市内電車は、急場しのぎの運賃値上げをいくらやっても、立ち直れなくなっている」(『西日本鉄道百年史』2008、以下『百年史』)と事実上の降参宣言をしていたほどだ。

 ピーク時の1959年度には1億人を超えていた年間利用客も70年代にはほぼ半減し、当時の報道によると、年間の赤字は十数億円にも上っていた。

西鉄社内には「そんなに市が欲しがるのならば、従業員ごと路面電車をくれてやればいい」という声さえあったという(実際に路面電車廃止後、西鉄の余剰人員300人を市が引き受けている)。