通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
>>36
> それに半自動・全自動切替が不可能で通年半自動にする羽目になる
ドアボタンなしのキハ30・35で、取っ手がある車両でも
「通年自動」とされたのが、相模線なんだけどね
台風レベルの大雨の日や真冬なんかに、半自動ボタンがない車両だけの運用に
運悪く遭遇した時は、それはもう(略) >>36
>重くて開けるのが大変だったのでは?
そうでもないよ
まあそりゃ重くないといえば嘘になるけど >>32
あれってやっぱり実際にエメラルドグリーンなの?
どの鉄道雑誌も青緑と書いてるのに撮影者が下手なやつばかりなのか
写真だとどうみても日根野の103系と同じ色としか思えん。
実際に見たことないからわからんが白帯の入った117系みたいな感じか。 相模線カラーのまま八高線に転属したキハ35ってありませんでしたっけ? 基本的に字幕にローマ字が入っていないのは、外人は乗らないような路線という考え方だからか?
101系には入っていた〔例外あり〕と思う。 >>42
確か、キハ35-520・524は、相模線の電化を見届けずに、
1990年春の時点で八高線に転属してたはず
※キハ35-524に関しては、相模線電化惜別篇のオレンジカードの
写真に出ていた記憶がある
上記2両以外は、相模線電化後の八高線運用のはず
(相模線では一部車両以外なかった、列車無線アンテナを付けてる)
キハ35-103の八高線での活躍は、実は自分にとっては初見だった
ただ、元相模線の車両でも、エンジン交換絡みでの貸出扱いと正式転属が
混在していた記憶があるんだけど… 相模線は前面強化板なしの車両でも前面強化板と同じ塗装してたんだな >>43 相模色+側扉だけ首都圏色とか
側扉と貫通扉が首都圏色のもあった
>>36-39 八高で一緒に走ってたキハ40の扉の重さはハンパなかったな
実際は重いんじゃなくて、エアーが完全に抜けきらないウチに
扉を手で開けようとするからなんだけどネ。 貫通扉だけ別パーツで管理なんだな
九州のキハ52でキハ58用の貫通扉付けてて顔が違ってるのあった >>46
国鉄時代に相模線塗装第1弾(キハ30-25・49/2両とも補強無)が登場した時点で、
補強付に準じた前面塗り分けになっていた
>>47
ドア更新(鋼製→ステンレス化)の絡みだろうね>色の混在
相模線末期の時点で、一部車両のドアが錆でボロッと穴が開いていたのを
この目で見たことがある(後で補修されてたけど) 名松線ではキハ35+キハ55といった模型のような編成も見られたね >>47
キハ40の扉の重さ懐かしい。二人がかかりで開けたりしてた。乗り過ごしまいと必死だった。 >>46
うん。
今でも活躍している、いすみキハ30 62や水島キハ30 100は、相模暮らしの当時は補強板はなかったものの、塗装はそれに準じていた。
ただ、若干、前の帯は低めに塗られているのが多く、ジャンパ受けのあたりで塗り分けの下辺が来ていたと思う。キハ30 46とか補強板ありと同じ高さの塗り分けになってたようだけど。
そもそもキハ30や35って育ちの個体差が多くて、顔が微妙に違ったのが多かった。 >>56
補強板でも、角の部分の処理が車両によって微妙に違ってたんだよね
完全に角状態のもの、微妙にRが入っていたもの…
62と100でも、オデコの塗り分けが微妙に違ってたり…
(62は、クリームが微妙に屋根に廻り込んでたはず) ミスなのかどうか知らないが、水島の車両は国鉄色ながら車両番号にハイフンが入ってキハ30-100になっていますね。
キハ37,38もハイフン入り。 >>54
加太の堰堤でしょうか?
しかし凄い編成ですね。
模型で再現するのも大変w
首都圏色が混じっているので昭和50年代半ばですかね。 >>45
関連スレで書いた気もするけど、茅ヶ崎→高崎の車は
転属
35-*210・*211・*212・520・524
30-☆30・*67・☆77・☆97
貸出
35-100・103・519
30-26・505
の計14両だったと思う
*と貸出車はエンジン交換せずに廃車になった。
☆は一時期貫通扉のみ朱色になった車両ね。
移動時、全車無線アンテナとデフロスタ取り付け、転属車は幕交換していた。貸出車は普通と書いた紙を貼付けてたっけかな 幡生や鷹取で製作したキハ38の種車になったキハ35は、幡生や鷹取まで実際に回送して部品外したの?
書類上の種車というだけ? >>54
おもしろい編成。気動車の楽しさ満開。
頭の55or26は背中は単品だけど、35は2両組、58と47も2両組の機能的には文句ない編成。
毎日こういう編成なのか、それとも違うのか。
こういう列車だと駅での整列乗車はどうなってたんだろう。
昔のイメージは適当に客がホームに居て、列車が入ってきたら乗車口に客が移動する感じだったけど。 トミックス製のキハ35系の4両セットが発売される前、エンドウがNゲージの
キハ35系900番台と朱とクリーム、タラコ色のキハ35、30、36をリリースいたが
モーター無し車でもトミックスやカトーのキハ58やキハ20に比べると、販売価格が
少々高かった >>63
トミックスの昔のキハ35はブラスシリーズとかいってボディが真鍮で出来てて値段が非常に高かった 54の写真の編成は亀山か松阪か多気で分割されて紀勢本線、参宮線、名松線の
運用に入るか、または逆に紀勢本線のDC列車が参宮線、名松線の運用のDCを
多気、松阪で連結して奈良方面へ向かっているかどちらかだな SLの撮影で関西線に通ったときは
キハ35に乗車するのは避けた気がする。
当時は子供だったが、ロングシートは嫌だったな。 ところがどっこい、加太へ向かうDCは9割がた35.36だ 奈良電化まで、きれいな背中合わせ2連が多かったね。和歌山の45も。 奈良持ち「きのくに」の差し替えで、湊町〜奈良を走る58系6連快速は、ベンツみたいだったw 四国地区のキハ35系は高徳線、徳島線で活躍していた >>72
俺が許すから語ってくれ。
一枚引き戸だったが開口部の有効幅はキハ35系と同じ
だったっけ? 常総筑波で思ったのだが
関鉄移籍車は取手事故まで貫通路通行禁止だったよね? 301とか貫通扉の両脇に手摺り増設してあって、幌外してたような気がしなくもない 本家と分家の並び
ttp://i.imgur.com/WmNzmmP.jpg
ttp://i.imgur.com/nA6bguU.jpg 常総線内での元キハ35系とキハ900との並び
っか、35系知ってるならすぐ分っとーと 確か分家の方がエアサスでグレードが高かったんだっけ? >>78
ああ、なるほど!
サンクスです。
どちらももう引退しているのですか? 在来車新塗装でこんなきれいな900の写真は初めて見た。 キハ35の運転台助士席側は113系初期車みたいに折り畳み可能なんだな
113系は冷房化で制御スイッチ盤が増設されて折り畳みが出来なくなったのが多いはず 仕切り板、貫通路側は運転席の保護、半固定側は乗務員扉の保護。
しっかり詰め込める高度経済成長時代向けによく考えられたギミック。 外貫通ドアを運転席保護にするのがある。
あれは風が通り抜けて、寒いぞ。 寒いといえば、関西線も加太辺りは内陸の山の中なんで冬場は結構寒いんだよなあ。 そこを外釣り3ドアロングシート車で越えるマゾヒズム 関東鉄道の元キハ30、正面に補強がないから何か違った感じなんだよな 乗車率300%だとDMH17Hが1基であるために物凄く加速悪かったのでは?
気動車は応荷重制御が難しく初搭載がキハ201だとか 運転曲線は全部コミコミで引いてあるから、心配するな。
起動抵抗さえクリアしたらなんとかなる。
問題は止まる時。雨で満員だとズルズルいくだろうし、最大圧で締めたら緩解不能なんてあるそうだよ。
旧国でも。 >>87
地元の桜井線が、電化された後に前面強化が始まったのか、ない方がしっくりくる。 >>89
最近の電車と比較すれば低加速度。
でも、新製当時に走り回っていたSL列車と比較すれば、はるかに高加速性能。 >>89
川越線のラッシュで乗った時には特に加速悪い感じじゃなかったぞ >>93
だいたいどの駅も平坦だけど、指扇だけは東西とも駅出てすぐ登り坂なんだよね。
スプリングポイントだったけど、構わず加速かける人と最後尾が出るまで我慢する人と様々だったな。
後者の上りだと今の西大宮辺りまで変速で引っ張り、直結にしたら新大宮BPくぐるまで力行とか。
あれから30年…。 和田岬線が極端だったな
気動車で3M3Tって割り切りすぎたな
30キロしか出なかった
ミャンマーでは現在でも気動車で2M4Tとかやってて20キロ位しか出ないらしい >>95
回送時は結構飛ばしてたぞ
知らないなら書き込まなきゃいいのに >>87
キハ100は補強なしより、標識板掛ヶ、手すりやステップを撤去して、外はめテールだけ目立ってるから違和感があるね。
国鉄時代のキハ30だと、マフラー筒横の席から前見るのが楽しみだったけど、たまに座席の下からプスーッて音がしたから、おならも隠せた。
あと、ミャンマーに行ったキハ38の動画が上がってるけど、扇風機のキューッって音もそのままで懐かしい。 東日本のエンジン換装車は、使ったのは施工から正味5年くらい?
解体時にスペアに回されたろうけど、足尾の保存車は搭載されたままなのかな。 相模線には35-100と30-100の100番コンビがいたんだな 関東鉄道の元キハ30の乗車体験に電話で申し込もうとしたら、速攻で定員に達してしまったようで申し込めなかった
他の形式の時はそうでもなかったのだが、元国鉄車は人気あるんだね 水海道の元キハ30、だいぶ錆付いているね
このまま解体? >>98
足尾のやつは自力であそこまで来たからエンジンあるぞ。
7年前だかに保存会によって車体は綺麗に整備、再塗装もされたが足回りはまだ整備されてない。
一応は動態保存も視野に入れているらしいが、わ鐵も保存会も資金的に厳しそうだ。 八高線での97キロ激走が忘れられない。
初めて乗った気動車だった。
加速中のエンジンの唸り、中立になった後の静かさ、動台車の固い乗り心地、押しボタンで開くドア、畳める車掌室。
どれも新鮮だった。 >>105
キハ35の関西本線快速に乗ってみたかった
電化後の103系快速の爆走ぶりを見ると、すごいことになってそう
キハ58の伊賀忍者号には乗ったことあるけど、臨時だったせいか大した走りじゃなかった この時期になると思い出す…
「暑くて窓を開けたら、熱風が外から吹き込んできたw」
キハ30系時代の相模線の想い出 夏暑く、冬寒い車だったな
碓氷に通ってた頃、東上民だったからよく乗った。
冬は38が入ってたらそれに乗ったけど
夏の38はあまりクーラー効かなかったから30/35で窓全開。 >>105
やろうと思えば、キハ40系でも時速100キロ近くは出せる。
エンジンの負荷はものすごく大きく、マーチで言えば、180キロを出すような状態に等しい。
※烏山線のキハ40に乗った時、宇都宮線に入った時には、エンジン全開で95キロ以上まで出していた。
宇都宮線は比較的平坦で駅間距離が長いので、キハ35系でも100キロは出せるぞ。 >>104
東の除籍前に持ち込まれたの?
西桐生で破壊される記事しか知らないので、足尾へ自走は初知りです、ありがとう。
もしレストアするなら、資金はともかく大間々でないとやりきれないよね。
ここまで時間が経つと、エンジン本体はもちろん電装やエア系もガチガチだろうし。 >>106
小学生の頃、奈良区のSL撮影に行くときに乗ったが
爆走していた記憶はない。 113系も35も最高速95km
加減速と勾配均衡でおとるから速度定数は落ちるけど、大和小泉あたりは爆走してた。 加古川線で外吊り扉を目の当たりにしたときは衝撃だった
加古川駅で扉の開閉を飽きもせず眺めてた >>113
加古川線ならキハ35眺めて
衝撃受けてる場合じゃないだろ!
伝説の珍車キハユニ15は見なかったのか?
特に小窓に改造された3を ああそう言われてみれば加古川線にそんなのがいたっけなあ 奈良線で通学に利用したよ、小さい灰皿が懐かいわ、大回りで乗り鉄した時、木津ー奈良間の爆走が忘れられない。 >>117
確かにいてたw
しかし小窓&スカート付きは加古川線だけ! >>117
和歌山線・桜井線は2ドア車のキハユ二16な。加古川のよりスタイルがいいよ。
一時期、キハ35みたいな切妻のキユニ19もいた。 >>121
切妻といえば、キハユ15だな。
幼少の頃一度見ただけで強烈な印象とともに記憶に焼き付いたわ。 相模線に居た、強烈な印象の車って、何だろう?
リアル世代じゃ無いもので… >>123
電化直前(1990年頃)なら、やっぱりステンレスのキハ35-904が筆頭だったでしょ
その次が更新車のキハ30-62・100あたりか?
その当時の相模線キハ30系は、後天的な改造(ヘッドライト・補強・更新など)で
各車がそれぞれの個性を出していたように思うけど 晩年の白に青帯でも充分インパクトあったわ。
八高線転籍後のタラコ色との混結も。 八高線転属後のドアだけタラコのほうがインパクトあった >>126
ドアって貫通路のでしょ?
あれは何でも有りだったね >>123
タイフォンが幕部にあった30-26とかなんかも印象的だった 90/2/18
キハ30 34↑八王子
キハ40 2087
キハ30 503↓高崎
DD51 887
ホキ55719
ホキ45727
ホキ5732
ホキ45702
小宮だったかな? タラコ色のは田圃の中では良く目立ったな
晩年に緑色に塗られたのが現れたがあれは保護色になって保安上はイマイチと言われた >>132
川越線民だが電化して緑色の電車になったが特に問題なかったぞ