通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
八高線を走っている頃はロングシートということで毛嫌いしていたけど、
東北の701系が気に入ってからロングシートを忌避する気持ちもなくなり
今となっては勿体無い事をしたなぁ・・・と思う次第。 東海のキハ25-1000+キハ25-1100は、キハ35+キハ36が現代風になって帰って来たみたい。 キハ35で外吊りを採用してキハ38で普通のドアになったのはコンピュータによる構造解析が可能になったためか?
台枠強度が落ちるとかで泣く泣く外吊りにしたが >>7
キハ38はキハ35より床が高いので台枠がごついかも。 >>4,5
車両的に国鉄を一番踏襲している東海ならば、あれはキハ35を名乗って欲しかった。 おやおや、今回投入のキハ25は置換えとなるキハ40キハ11と比べるとサービスダウン必至。
ローカル線でオールロングシートとはビの字を楽しみにくくなるのでいかがなものかと苦言を呈す。 35系は急行かすがのケツにぶら下がっていたこともあったよな。
さすがに35の編成の部分は締切=回送扱いだったがな。 >>13
はばかりの出入りに気まずいでしょうが。
最近の東クルマは、車椅子スペースを扉の真ん前にしてるんだよな。
あれもなんだかなーと思う。 トイレのドアが開くと一斉に?凄い異臭があふれ出てきた記憶。。。 キハ35って「便所知ラセ灯」ってついてたっけ?
今、便所が残ってる純キハ35は足尾の70番、一両だけだね。 便所付きの車両には全てあるっしょ
キハ35のは丸いライトだったな 加古川線ではキハ35系と湘南マスクのキハユニ15が連結されたりしてたな 八高線も、同じだった。20、40、45なんて同じ乗車区間でも違う場所に感じた。 非電化時代の和歌山線を走っていたキハ35系がオレンジ色とクリームの塗装だったころ、
和歌山線に並行して走る和歌山バスの路線バスもオレンジ色とクリームのツートンだったが、
のち、キハ35系も和歌山バスの路線車もオレンジ色一色に塗り替えられたが、大都会を走る
大阪環状線や中央線のオレンジ色の201系や103系は別として、ローカル線を走るキハ35系の
塗色はオレンジとクリームのツートンカラーの方が温かみがあるように思えた >>21
首都圏色、タラコ塗装のオレンジ一色は最低だったな。
巨額の赤字を抱えた国鉄が、少しでも経費を節約するために
ツートンをやめて一色にしたと噂になっていた。
(真相はわからないが)
やっぱりキハ35はオレンジとクリームでしょ 22
ステンレスカーのキハ35系900番台もオレンジ一色にせず、
ステンレス車体のままの方がよかったよな 30が最初ですよね、半自動押しボタン。
その点ではすごく画期的な車両。
最近では四国の8600系新型特急にもついてますね。 米子機関区に配置されていたキハ35系は境線、伯備線で運用されていたが、
鳥取、松江方面への運用に入ることはあったのだろうか >>24
ボタン式半自動は大宮工場施工だったね。
八高線にやってきた500番台は半自動ドアでも手動タイプが居た。 >>26
でも、八高線に配置されてた500番台でも、電化直前には
半自動ドアボタンが設置されてなかったか?
(相模線からの転入車は除いて)
既に20年近くも前なんで、記憶があいまいだけど… 氷見線や弥彦線のキハ35系は助士席の窓の上の方にシャッター式のタイフォンが
設置された車両もあった >>26
昭和47年頃に改造してなかった?
115系1000番台、キハ40系は手動式で211系3000番台から押しボタン式が標準仕様に
なったから当時では画期的だった >>28
その一味が、後に相模線に転属して、昭和61年頃に早い段階で相模線塗装になった
キハ30-25・26だよね
相模線ではシャッターは外してた記憶があるけど、オデコタイフォンはそのままだった
その後、25の方は関東鉄道に譲渡されてたようだけど(関東鉄道ではキハ3016)、
さすがにタイフォンは他車と同じ箇所に移設されたんだろうなぁ
(譲渡後の現車を見てないんで、分からないけど) 国鉄分割民営化前、神戸市内の某所に集められた廃車になった大量のキハ35系が
重機やパワーショベルで解体されている写真が新聞に掲載されていた >>21-22
キハ35のクリームと朱色のツートンは和歌山線・桜井線の105系にマイナーチェンジされて引き継がれてるけどな。
それもエメラルドグリーン単色化などで消えつつあるし、まさに歴史は繰り返すといったところか。 山陰本線京都口や播但線、山口線、伯備線、境線でもキハ35系が走っていたことがあったが、
これらのローカル線でもキハ35系が走ると都会的な路線に見えるように思えた 国鉄末期の筑豊のローカル線、ごちゃ混ぜの編成でキハ35が入ってるとこの車両だけガラガラだった
ラッシュなんてものは基本的に無かったのだから当然だが >>27
35-500はドアボタン無し、35-0は有りというイメージだけど、529とか一部にはドアボタン有りの500番台もいた記憶があるね ドア手動化改造してたら重くて開けるのが大変だったのでは?
仙石線の103系でも「握れるドアハンドル」を増設したとはいえドアが重く蹴っ飛ばして開ける人も出る有様だったとか
それに半自動・全自動切替が不可能で通年半自動にする羽目になる