[転載禁止] ●●【DD50・51・52・.53・54】総合スレッド●●1©2ch.net
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此等、無煙化の立役者DDシリーズについて語りませんか。
75キロ以下のDD10番台の話題も歓迎します。 DD51は、本来配属されて機関区と異なった所を走る車があったらしい、多分、貸し出し的に。
例えば、DD51882、厚狭機関区に在籍ながら、遠く北海道の室蘭本線を走る。
DD511100は、小樽築港機関区在籍ながら、秋田を走る。
DD511135これもまた、小樽築港区在籍ながら新潟を走る。
DD511069旭川区在籍ながら、米子を走る。 DD511100番台は、大抵、北海道や山陰方面での蒸気機関車の置き換えで増備された。
中には、DD51132亀山機関区 おそらく、DF50の置き換えだろうか。
DD511133、DD511134 岡山機関区、おそらく、岡山機関区に配属されたDE50があったが試作的な要素もあって、量産に至らなかった。また、岡山機関区のDD51は、伯備線の担当でDD51に統一した方が良いだろうとの事で
1133号、1134号があった。
DD511135〜DD511169は、完全に北海道での蒸気機関車の置き換えの増備。
DD511170〜DD511193は山陰方面のDF50、DD54の置き換え。 「1100番台」とか書いちゃってる時点で失格
はい、次の方 長崎本線・佐世保線の電化で、早岐機関区、鳥栖機関区の多くのDD51が捻出されて、他線区の転属を余儀なくされました。
鳥栖機関区
DD5125 門司機関区へ転属
DD5126 DD5139 DD5142 DD5143 米子機関区へ転属
DD51571〜DD51575 福知山機関区へ転属、正面ナンバー白線なし、赤ナンバー如何にも九州出身と判る。
DD51619・DD51620 直方機関区へ転属。
早岐機関区
DD51740 福知山機関区へ転属
DD51760 直方機関区へ転属
DD51761・DD51762 福知山機関区へ転属。 DD51って、運転台から見た前方視界は問題にならなかったのか?
登場当時は現在よりも無人式踏切が多かったし、踏切での事故が続発していたんだが。
地方で運用され、そんなに高速出すわけでもないから、支障生じなかったのかな。 DD14とDD54って両方とも副線用ですか?
雪かきのパワーはどちらが有るんだろ? ↑DD54は、除雪用ではない。DD53が除雪用です!!
DD14は、新潟の重い雪質に適している
DE15は、北海道の軽い雪質、初期除雪に出動する。 >>45>>48
まぁそんな事言ったら、その手の機関車はDD13とかを含め全機言えるかもな
もしかしたらDE50は視界が問題で実用化されなかったのかな?
凸型じゃないDF50とかDD54とかは量産されたものな。 >>40
坂祝のセメント運用があったけどね
元九州組の運の良いDD51は875と1028だろうな
875は一回廃車になったけど復活
復活後も愛知のDD51の中では893と並んで塗装の状態が悪かったが更新されてまだ現役で運用中
1028は愛知のSG付き500番台では唯一更新されつい最近検査が切れたがそのまま廃車にならず大宮に入場(最終全検の一台前)したので愛知のDD51の中では1801と並んで最後まで運用される見込み
同じように愛知にいた1029は更新されなかったからなのか早めに廃車になった 昔、厚狭機関区のDD51にはB寒冷地仕様の車があった、881号と882号です。
中には、阪神淡路大震災絡みで、即席的に847号が、B寒冷地仕様に改造されました。
スノープロー装備はもちろんですが、即席的だから、フロントガラスのデフロスターが、機関士側のみにしか装備されなかった。 名古屋近辺でのDD51の活躍の場は、関西本線と高山本線ですが
高山本線は地味な感じがするが、関西本線は、セメント・化学薬品を輸送する。
また、関西本線は、近鉄と並走している所が多い。
特に、富田や桑名辺り、近鉄電車と言えば、お馴染みの『ビスタカー』
DD51は、負けず劣らず、『ビスタカー』と並走している。 田川地区で、DD51が見られる駅は、香春駅、後に金田駅です。
何れも、セメント・セメントクリンカーを輸送していた。
午前中の金田駅のセメントクリンカー輸送貨物列車は、DD51が、三区、則ち
直方、鳥栖、門司機関区の車が見られた。
DD51760『直』
DD511028『鳥』
DD51877『門』
一時間おきに、金田駅を出発しました。 奥羽線、秋田・青森間が電化される前、あけぼのや津軽、それに旧客の普通列車牽いて走っていたDD51を思い出す。 ↑それって、山形機関区のDD51でしょう。
DD51533『山』
東北地区のDD51の機関区は
東新潟、郡山、釜石、秋田、盛岡があるが、山形は極めて珍しい。 DD51の機関区でかなり珍しい物に山形機関区があったが
長野機関区もあったという、特急『あさま』の影響で、長野機関区は潰されて長野運転所になった。
機関区部門は、篠ノ井に移された。
長野機関区のDD51は
DD51605『長』
DD51707『長』
両機共に、米子機関区に転属しました。 DF50もそうだけど長野には新製配置されてる
DE50なんかも来てた時があったみたいだな 直方機関区に
DD511070 DD511071が配属された。
若松機関区に残っていた、蒸気機関車、D51、D60の代替えです。 >>57
DE50は伯備線に行く前は中央西線を走ってたらしいですね
DE50と言えば名古屋港線や西名古屋港線をDE50が走る写真を見た事があるがガタガタ線路のローカル貨物線の名古屋港線や西名古屋港線を走ってる画像を見た時は違和感があった
中央西線などのDD51が地味なのは置き換え前が人気のあるD51重連だったので当時のマニアからかなり嫌われていたからだと思います >>59
つDD51592ユーロライナーカラー大人気! ユーロライナー・北斗星カラーは、人気があったが、
正面ナンバー白線なし、赤ナンバー則ち、九州カラーは、人気がなかった。 >九州電機大好き
マスターベーションはよそでやれよカス
幾つか知らんが幼稚すぎる 昔、三菱マテリアル東谷工場、則ち、呼野駅の前です。
三菱マテリアル専用線を走るDD51は味があった。
S字カーブを描きながら、走るのはもちろん、春は、黒崎窯業の関連会社の駐車場横の桜並木、花吹雪の許を走るDD51は美しくも力強い。 >>56
珍しいとか言うけど、長野の全盛期は30両越えで当時全国でも2〜3を争う配置数
ちなみに中央線電化開通後も篠ノ井に何両かは残ってた 定期旅客列車で、DD51が23区内の駅から牽引していたものってあったのだろうか?
上野発、我孫子経由成田行きの客車列車はDE10牽引だったし。
臨時列車であれば、両国発の夏季海水浴臨でDD51牽引があったようだが。
ま、23区内まで電気機関車に付け替えずに ディーゼル機関車で引っ張ってくる必要性が乏しかったということだろうけど。 昔、東京の真ん中をDD51が走った、貨物列車で新宿まで。
海水浴のシーズン、両国駅から臨時列車があったという、普通総武線は、佐倉機関区のDD51ですが、あろうことか、郡山機関区のDD51が駆り出された。
客車は、青く塗った、オハ61であった。 近年まで千葉機関区のDD51が総武本線経由で新小岩操まで来てたじゃない・・・
DD511801が最新鋭のコキ200を牽引していたな。 DD511801と言えば、佐倉機関区
当時、成田空港の燃料輸送貨物列車で、デビュー。
タキ40000を連ねて、今はガソリン専用になったが、当時は、Aー1灯油専用であった。
タキ43000は、幹線限定仕様であった、台車が、TR213の重軸重のTR214であった
因みに、常備駅は、倉賀野、宇都宮貨物ターミナルであった。
タキ40000は、汎用性を高める為、TR41の後継のTR225であった。
成田空港燃料輸送貨物列車は、下総中山とか、下総神崎を走った。 DD511801と言えば、成田空港燃料輸送貨物列車。
成田空港関連の貨車と言えば、タキ40000、そして、赤ホキ姉妹、ホキ2500の妹、ホキ9500。
ホキ9500は、特殊法人『日本空港公団・通称AC』が所有成田空港の滑走路ができて、今日明日に、飛行機が離発着できるようになった時点で、岩手や山口、福岡で
石灰石輸送貨物列車になり、第二の人生を送った。 DD51は、セメント・セメントクリンカー輸送貨物列車がお似合いですが
昭和51年以降からDD51に同伴する貨車は、TR225を履いた貨車が増えていきました。
タキ1900
コタキ112537香春駅常備
ホキ6800
ホキ6875 金田駅常備
しかし、TR225は、TR41の後継に成りきれず、TR213に取って代えられました。
タキ1900
コタキ112684香春駅常備
ホキ6800
ホキ6890とかホキ16805。 >>68
佐倉機関区はC571が所属、晩年は更地と成って、現在は広大な駅前駐車場に
モノサクの撮影の帰りに良く見に行ったな、取り壊される佐倉機関区を
倉もターンテーブルもあったな。
DD511801の晩年は佐倉には居なかったよ。 DD511801〜DD511805は、晩年は、名古屋や大阪方面を走った。
則ち、愛知機関区、吹田機関区ですね。 昔の三菱マテリアルの貨物列車。
DD51の後ろは、白く汚れ腐った、ワフ22000に、ホキ8500、ホキ9500の赤黒編成、そして白く汚れ腐った、ワフ22000。
たまに、重油輸送のタキ9800、タキ39828 沼垂駅常備
先ほどのスレッドにある様に、三菱マテリアル東谷工場専用線を走った。
黒崎窯業の関連会社の駐車場横の桜並木を走った。花吹雪の許を走るDD51は美しくも力強い。 北海道のDD51は、区名札の横に、『半』とか 『重』の注意を促す、札を入れていた。ブレーキ扱いの注意です。
八高線のDD51は、800番台ですが、重連総括ができるのに関わらず、
前補機、本務機に、乗務員が乗り込み、ホイッスルの合図だけで、ブレーキ、ノッチ扱いをしました。 DD50は単機でも運転できるが、その際は出力などの問題などから軽量の列車に
限られていた。
DD50の鷹取工場入出場時は東海道本線で単機回送も見られた >>77
名鉄局の機関車が何故鷹取工に入場するのでしょうか。 東海道本線の複々線区間を走行するDD50の単機回送の写真を鉄道誌で見た DD53ってもう現役じゃないよね?
磐越西線をSLの代わりに走った時は、客車牽引も結構似合ってたな。 >>78
電気式ディーゼルの整備できる区所自体が限られてた(電機の検査設備が要る) 新幹線用911型DLもDD51と同じエンジンだったとか 単機で第二エンド側を先頭にして走ったことはあったのかな >>82
エンジンだけならローカル用DD16も同じDML61S
ただし800PSパワーダウンで使用
911はエンジンはDD51と同じだが6軸駆動のDF型で
変速機はDW2Bで時速160kmの韋駄天DL
実際走っているところを見てみたかった 第二エンドなんてあるのか
某個人サイトに写真が出てるが
反対側は窓さえ設置されていないぞ 低出力ゆえ重連前提の片運転台で、キワモノ扱いされることが多く、
晩年は北陸線デッドセクションの中継ぎ仕業で過ごしたDD50だが、
形態的には2軸ボギー台車採用で、その後の機関車の元祖ともいえる。
1年だけだが、EH10より登場は早い。
逆にそれだけ試作要素が多かったともいえるが。 ノッペリ湘南顔がいただけないな
まだDF50の方が精悍な顔だ 俺は912型が好きだったな
重連で新幹線0系16両編成を牽引して、
博多駅へ滑り込む912型を1回でもいいから見たかった。 東海道新幹線岐阜羽島、米原、豊橋などのダイヤが乱れた時しか使用しない
ホームに911型+912型重連の工事用列車が留置されていることもあった 廃車後、浜松工場で保管されていた911型DLは工場一般公開時でも最近は、
展示されないとこみると、もうすでに解体されたのだろうか >>96
すべての車両で1端、2端、1位、2位、3位、4位〜の呼称はあるでしょうが。 DD50って2両で一組じゃない事を最近知った
だったらDHだろうとか突っ込まんでねw いや、その疑問は尤も至極だよ
形式制定時に将来予測をしなかったのかな >>84
DD52形式はDD51と同等の性能で運転台を持たないブースター機関車として、昭和41年に2両が製造された。
DD52 1〜2 その用途は大雑把に言って、幹線における重量列車の補助機関車として使用する、無線操縦を可能ならしめ、
本務機関車との遠隔総括重連が可能な設計に成っていたが、国鉄労働組合の猛反対に遭遇 して実現はしなかった。
人員削減は国鉄乗務員にとって師勝問題だったから。
この当時国鉄は機関士の1人乗務を推進し赤字削減政策を計っていた。
その後1人乗務を推進した結果、寝台特急紀伊のDD51飲酒激突事故へと展開した。
今では1人乗務が当たり前で、機関助士なんてSLぐらいしか居ないがな。 米原の転車台周りに留置してあった
DD50は車窓から何度も見ていたが
一度もカメラを向けなかった。
(当時はナロー専門だったので)
今から思えばもったいないことをしたもんだ。 それは確かに勿体ない
しかしナロー専門って何?
軽便鉄道のDLばかり追っ掛けてたということ? >>107
書いたとおりです。
別にDL専門じゃないよw
米原のDD50をスルーして
木曽森林鉄道や尾小屋鉄道、近鉄北勢線・内部線を
撮影に行ってたって事。 それこそ「青い12系」で「ばん物」スジを走らせそうなものだが… >>110
俺も知らんかった
今ならネットですぐに調べられるが当時はコロタン文庫の機関車全百科か学研の図鑑くらいしか
ネタの仕入れ先がなかった 子供向けの本とは言え結構奥深い解説文が付いてたね
馬鹿にできないクオリティ。 >>118
ちびっこを正しくテツの道に誘うには
入門書にもそれなりの質が求められます アオシマ模型でDD511148があった。
造りは立派だが、メーカーズプレートがウソを書いている、『川崎』になっている。
川崎重工製のDD51は、500や600、800の初期の車しかない。
DD511148は日立です。 DD54に関する考察
ttp://twitter.com/darbyz80/status/1162275133806956545
@ooboke_hage
DD54、よく「精巧な作りが国鉄保守陣の手に負えず故障を頻発して使えない子判定」みたいに言われるが、どうも違うらしい。
正確には「設計が根本的にマズく保守のしようがない」。
エンジンは1820馬力。…と称しているが実は2200馬力出るらしい。推進軸が壊れるのは特に不思議なことではない。
で、推進軸を強化する。変速機の定格入力は1660馬力。変速機が壊れるのは特に不思議なことではない。
保守陣かわいそうだよ。
@walmanTC
国鉄技術班はなぜかディーゼル機関の出力計算が斜め下方向に甘いですよね…DML系機関初期型でも500馬力で設計したのに
どう考えたって600馬力以上出てたとか何とか
@darbyz80
精巧だったんはED54、DD54は先行試作機のDD91(三菱で組んだと云うだけの実質輸入機)が好成績だったのを受けて主要部品をノックダウン生産し
一部国産部品と共通設計化という無謀な変更を行った。設計が根本的に拙かったというのは実に正しい。
マイバッハ+メキドロの名車と同じ心臓を半分にしただけのDD91だから上手く行って当然、DD54も無理な国産化で改悪しないでドイツの設計を忠実に
写していたらどうなっていただろう?
ttp://pbs.twimg.com/media/ECFBaKuUYAAWgyN.jpg
後に国会でも取り上げられた玉置光夫技師が書いたDD54の機器の国産化を危惧する記事。DD54が欠陥機になるだろうことを分かっていて何故やったのか?
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq11JnuVsAAyTnT.jpg
ドイツの緻密な考え抜かれた原設計を十分理解しないで適当に国産化したことを高らかに謳ったDD54デビュー記事。
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq1-xt3V4AAOZqv.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) DD54の早期廃車を取り上げた「昭和54年5月9日第87回 参議院 交通安全対策特別委員会」の議事録から該当箇所を抜粋転載(前半)。
玉置技師の記事も取り上げられている。
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5rwS-U0AI4-ng.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5rxEvU0AE9xcb.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5rxyQU0AAq4oZ.jpg
昭和54年5月9日第87回 参議院 交通安全対策特別委員会 からDD54に関した質疑を同議事録から該当箇所の画像を転載 (後半)
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5sNjQVsAE067V.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5sO6hV4AAyT9r.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5sP58U8AA4v5h.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dq5sRN9UcAA1ht6.jpg 後にJR九州初代社長になった石井幸孝氏が1966年夏頃に作成の国鉄制式ディーゼル機関系譜図、DD54の最初の竣工は1966年6月24日なのだが
DMP86Z(Maybach MD870)完無視。
ttp://pbs.twimg.com/media/ECKZgTWU4AE7uNS.jpg
DD54に関わった三菱関係者と国鉄工作局関係者を擁護する気はサラサラ無いが、同時期同じようにマイバッハ系の液体式ディーゼル機を246両も導入した
イギリスも何故かそれらは15年以下の車齢で廃車され機関車としては異常に短命だった、そのためピンチーが生えてソドー島に化けて出たものまで居る。
ttp://pbs.twimg.com/media/ECKbsc8UcAAm-Ha.jpg
@wonderMAKI
横入り失礼、DD54のエンジンと変速機は旧西ドイツのメーカーからのライセンス生産なんですよね。トラブルはこのライセンス生産のため正規品より精度が
劣るエンジン・変速機とDD91から変更された台車周りなどに集中してたとか。しかもこのシステムのため改修も捗らなかった
つまり大本の要因は、国鉄保守陣よりもエンジン・変速機をライセンス生産した三菱の技術力不足が大きいっぽい。しかもライセンス契約の都合上改修には
いちいち本国のメーカーに相談する必要があり、これに手間取ったのも国鉄で早々に見切られた要因。いわば完全な欠陥機関車。 >>126
> エンジンは1820馬力。…と称しているが実は2200馬力出るらしい。>>126
これはnetとgrossの関係でDMH17でも直結5ノッチ95km/h運転時には220馬力出てる訳。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています