懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
武豊線から名古屋駅に直通する列車も
もうすぐなつかしカテゴリーに入るね。
キハ25では313系と外見がそっくりなので
DCという感じがしないけど。 >>77
それを言ったら横軽のキハ80やキハ57、板谷の非協調区間のキハ80やキハ181は?って
なっちゃうんじゃないw
もともと架線下DCなんて言う呼び名は趣味的なもので正式なものではないんだし
話の流れで、そうだと感じればそれでいいんじゃん? 『架線注意』が効力を発揮する場面、という事でいいのではないか 懐かしい例だが花輪線の盛岡発に乗ったら東北本線普通客車の後ろにぶら下がっていて驚いた。
好摩で東北線が発車してから自力で花輪線に入っていった。
そこまではぶら下がり状態。運転士と燃料費節約とスジの確保が目的なら画期的な運用だった。 >>82 好摩までエンジンはアイドリングさせてたのかな?電源供給に必要だし。
電車との完全協調運転が、キハ183系1000台オランダ村特急より20年早く実現していたら、上野発の451系とキハ58系の併結急行が見られたのかもなあ。 >>83
ドア扱いがあるからもちろんアイドリングはさせてた。
DC車掌がドア閉→PC車掌が側灯滅を確認→機関士に発車合図(無線)という流れ。
で、DC運転士は好摩までは鎮座。 >>82 ヨンサントーより前の話か?70年代としても、盛岡・好摩間は岩沼・仙台間に比べればダイヤに余裕あったはず。
DC運転士は同区間でも運転席で待機しているわけだから、人件費の節約にはならない。
重い気動車を機関車が牽引するわけだから、加速度は余計に低下する。機関車に余計に負担がかかる。
これを考えると、大したメリットはないし画期的とは言い難い。
元々、列車同士で好摩まで併結運転していたが、花輪線乗り入れの方を気動車化したので、別々に走らせるのは面倒だということで気動車と列車の併結運転にしたのかねえ? 有明+オランダ村は電気車と内燃車の操縦資格が必要なのだが、ヤッパECに牽かれる無動力のDCは電気車の操縦資格
だけでいいんですかね?緊急時にエンジン停止させたり、応急措置を施したり、電車を推進させたりするのに。 >>85
自分はRJ誌1978.10月_客車特集号の539列車ルポを読んで知ったよ。
そのルポでは、ED75+ボロ客+【キハ52+キハ55+キハユニ26】の写真があった。
ゴーサン・トーからさらにゴーゴー・トーまであったんじゃないかな。
ボロ客は4〜5両だが、DCは密着自連の負荷を考慮して3両制限…の文が記憶にある。
併結の経緯は仰るように片割れだけDC化したから…だったかも。
それよか思い出したのは、沼宮内に着いたボロ客は『16時頃まで昼寝』という一文があったこと。
今では考えられない運用だよね。 昭和40年代 東武や国鉄の電車以外に国鉄のキハ10系や20系も乗り入れていたようですが、
(昔の鉄ピクのニューストピック記事で見た)アレの運転は国鉄乗務員?
確か電車は秩父側で扱ったと思うのですが・・・。 >>88
昔は臨時で国鉄の車両が私鉄に乗務員ごと乗り入れるのがデフォだったようだし、多分国鉄乗務員なんじゃね?
田町の乗務員が三峰口まで行ったり、確か八王子機関区の乗務員がELで富士急に行ったりしてたみたいだし。
乗り入れじゃないけど、パレオだって最初は高崎の乗務員がやってた。
東武の伊勢崎〜新伊勢崎に国鉄のSLが乗り入れてた事が一時期あったようだけど、あれはどうだったんかなぁ? みんな「ユートピア和倉」を忘れているだろ?
あれも485系との併結で画期的でしたな。 485系の特急「北近畿」と併結の「エーデル丹後」も >>87 今だったら、花輪線乗入れと沼宮内行きを別々の列車とし、後者は701系の2両ないし4両としているわな。
旧客4〜5両だと、朝夕以外は空席多くなるから走らせても無駄。
70年代後半から80年代前半、短編成化によるフリークエント・サービスが可能であったのに、それを怠っていたということだろうな。 >>94
今だっらおっしゃる通り。
しかし当時は新鋭のED75に客車5両は過剰性能。単機で12両くらいで峠越え出来た。
だからローカル列車ぶら下げて少しでも燃料費を抑えようとしたなら評価できる。 >>89 機関車・・・特に蒸機って会社や管理局が跨ぐ場合基本機関士の乗り入れじゃね?
・・・そもそも問題ある場合 機関車自体を要員と共に所属線区の機関車に取り替えてしまう。
戦前の東海道の特急(つばめ?)の走行中の交代以外知らない。 東北本線盛岡〜北上や田沢湖線のキハ58系はよく乗ってたな。 非電化区間の検測用のキヤ191は気動車ながら、架線検測用のパンタグラフもあり、
電化区間でそのパンタを上げて検測走行しているときは、素人目には電車と見分けがつきにくかった 五能線の観光列車だったノスタルジックビュートレインは弘前から分岐駅の川部までED75が牽引し、五能線内の牽引機であるDE10は最後尾に連結されていた。川部で機回しなんてできないだろうし、ディーゼル機関車牽引より合理的な理由があったんだろうな。 川部で機回しできないのか?
俺ん時は午前発も午後発も東能代→弘前の場合、川部で機回ししてたけどなぁ。 ノスタルジックビューは川辺〜弘前は両端にDE10だったぞ
弘前到着後はそのまま折り返して運転だから都合が良かったんだろう ノスタルジックビューはあっという間にノスタルジーな思い出となってしまった。
結構金をかけた改造車だったと思う。
デッキでカランカランと鐘を鳴らした時にまさかあっという間に無くなるとは思わなんだ。
その後、どこかへ行ったが廃車になってしまった気がする。
以上、完全スレチごめん。 架線下DCの元祖は、東京横浜電鉄キハ1型か?ガソリンカーだけど。
神中鉄道を経て、日立電鉄で電車化されたものなんて、側面以外、原型保ってないな。 東横のキハ1は、日米関係悪化(太平洋戦争の布石)による燃料統制が起らなければ
どれ位?東横線で活躍出来たのだろうか?
導入当初から出力不足で多摩川園に停車した場合田園調布の坂を登れなかったとか云うハナシだし・・・。
機関をより高出力のモノに交換する(燃料統制がないので技術革新が進んで)などして活躍し続けただろうか?
それとも早晩機関は下ろすことになっただろうが、意外と売却や系列他線はなく電車のトレーラーになっていただろうか?
それともやはり、ガラクタ処分場の神中線に全車転属だろうか? 逆の形で架線無し路線を行くECはまれだったな。
一番最後が有明の水前寺公園。
151電車が博多まで行った。
あと80系電車がSLに引かれて草津まで行ったとか。
国鉄は電化と新幹線開業の需給を間違えてディーゼル作りすぎて、
大量の架線下DC生んだのでは? >>107 非電化区間に乗り入れる列車との共通運用可能、というメリットがありまっせ。
特に東北方面では、それが重宝されたのでは? >>70
北線のDCに信濃大町までの定期運用がある。
>>75
「アルプス」の糸魚川直通、お忘れかな? >>107-108
それから日本海縦貫線のように、交流区間と直流区間の接続が多くなった要因も大きい。
当初は客車列車を想定していたのに、実際は交直流電車が必要になってしまった。
特に急行列車なら高価な交直流電車を使うより、気動車の方がいろいろ使えて便利ということになってしまった。 >>108
多層建ては効率的だっかかも知れないがあまり例は多くない。
始発から終点まで架線下は多かった。 >>111 多層建てのことだけじゃないんだよ。全線架線下の運用やって、その次は非電化区間に入る運用、ってのがあるわけだろ。 どうして昔のディーゼルカーは非力だったのだろ
もっとハイパワーにしておけば色々都合が良かったのに >>113
キハ181やガスタービン試験車で色々失敗してるじゃん・・・・・
ガスタービンなんてディゼル燃料に変わる次世代エネルギーとして期待されたが,
あえなく挫折orz 遠州鉄道キハ1801改め花巻電鉄キハ1801?だっけ?
は、どれだけ使われたのだろう?(使われたコトがないような記述だった。)
そもそも花巻の乗務員に内燃免許所持者(ペーパー?)が居たのだろうか?
既に廃止されたいた仙台鉄道や仙北鉄道等他社就労履歴のあるヒトでも居てアテにしていたのだろうか? >>113
日本製にこだわり過ぎたからでは?
舶来エンジン乗せるようになって130キロまで出せるようになった。 >>113
もっと出せるのによほど抑えてたと思ってるのか。
クルマが毎年のように進歩してきたのをみれば、戦前設計の物がハイパワー出せるわけはないのだよ。
すべからく標準化に拘って、国鉄が内燃車両の開発をサボってたせいだよ。 >>70
1989.3ダイヤ
2535D
広島818→三段峡1045
2549D
広島1946→加計2124
2528D
加計457→広島627
2534D
加計657→広島839
2548D
加計2008→広島2145
あと1989.3ダイヤでは広島655→古市橋721の2529D(休日運休)と古市橋725→三次953の2530D(古市橋〜広島休日運休)があった >>113-114>>116-117
国鉄って、電車や電気機関車に比べると、気動車やディーゼル機関車は失敗が多いが気がするな。
内燃機関に関するノウハウが民間と比べて劣っていたのかな。
素人の考えだが、大馬力試作気動車キハ90系を踏まえて、大馬力特急型気動車181系を造るんじゃなくて、
大馬力急行用気動車151系(仮名)を造って、電車急行と連結して運用するとかすれば、
電化本線を走る急行+非電化支線に入る急行ということで架線下DCは減らせたんじゃないか・・・と。 内燃機関の問題もあるが変速機が液体変速機以降発達しなかった。
キハ44000まで機械式の変速機でそれ以降液体変速機。
車のように水平対向12気筒エンジンにしたまでは追いついたが、
その後ハイブリッド車の研究〜開発の方に傾いてしまった。
DF50で十分な成果を出したと判断した国鉄が、その後の内燃式の開発は中断し
バッテリーロコへと転換、その集大成が現在のHD300やDF50からの開発成果がDF200と成り
現在に至っている。
バッテリーロコは高性能な蓄電池の開発が昭和時代では開発出来ず、平成まで内燃機関が残った。
蓄電池の液漏れや自然放電等、乗り越えなければならない課題がまだその当時は多くあった。
余談だが国内では初の(東芝製)蓄電池式機関車EB10は、後にPS14パンタグラフを載せ、
電気機関車として改造されている。 皮肉にも烏山線においては、架線下DC区間が従来よりも増えてしまった。
以前は、営業運転では宝積寺〜宇都宮間の東北線乗り入れ区間だけだったが、
蓄電池電車アキュー厶の登場により、烏山駅構内の架線からの充電設備の新設により
同駅構内も結果的に架線下DCと成ってしまった。
だがキハ40は今後しだいに淘汰されるので、この現象もあと少しで見納めだろう。 板谷峠のような急勾配だと架線下DCの遅さが明白だな。
急行「ざおう」の場合、福島・米沢間を電車だと50分未満で走るのに、DCだと1時間10分以上かかる。
電気機関車牽引の客車(臨時列車)でも1時間以内なのに。
ブレーキ急制動距離の600m制限がもっと緩和されていたら、加速度に劣る客車でも電車に準じる位の速度で走破することができたはず。
非電化区間に乗り入れる特急、急行は客車とし、ELからDLに付け替えればよい。そうなれば、架線下DCはもっと少なくなっていたと思う。 >>119 電車と気動車の完全協調運転が80年代後半にやっと実用されたわけだが、デジタル制御でないと難しかったのかな?
電車と気動車の加速特性の違いも問題なのか? >>123
長大編成だと、気動車だけぶら下がりっていうわけにもいかないからな。
ムドだと客車扱いになるし、
そうかと言って板谷の様に、EF64機関車に80系気動車を牽かせたみたいには、
効率的に悪いだろうし。 >>122
12系PCが開発された理由の一つは、EC+PC列車は気動車列車に比べて速度面で不利ではない
という理由が挙げられていた
しかしその後、北海道で宗谷・天北のPC化の際は従来のDCよりも所要時間が伸びてしまった
性能面ではDCに勝てても、曲線通過速度や分岐器通過速度でPCは不利な扱いがあることが大きい
諸外国ではそのような差別がないので、PCの優等列車もEMU/DMUに肩を並べで走っている >>125
大阪の複々線の試験でEF66+12系が103系電車をぶち抜いたという話を聞いたことがある。
でも抜いたのは発車してから随分後のことだと思う。
日本は狭軌で軌道も弱く高性能な機関車を作れない上に制動距離の問題もある。
あと地形的にで上下左右がきつく東海道や山陽だって平坦・直線の場所は少ない。
それで動力分散のEC、DCの天下になってしまった。
なーんとなくスレチ御免。 PC>DC 優位論ってぶっちゃけ振動の問題では?で DCは、ECほど高加速減速性能も優れていないし、
ECの場合比較的余力があるからモーターの無いT車比も多くとれるし・・・。 >>126
最高速度が103は100キロだからそれは仕方ないこと。 この画像の架線下DCは最強!→ http://youtu.be/dbzVpaOAhKg
DD51が美祢線から来た長大貨物を牽引してたり、
架線下をキハ58の急行が通過したり、九州は架線下王国だったんだな。 >>129
え!最強とかってあらためて驚かれてもこれって普通なんじゃないの('∇`) >>129 架線下走行距離は急行「しらゆき」ほどではないが、70年頃、上野から常磐線回り弘前行急行「みちのく」、秋田行急行「おが」、それに「ときわ・奥久慈」等の多層建ての架線下DCが多数出ていた頃に比べたら、大したことない。
キハ80の特急「ひたち」も忘れてはならないな。
ヨンサントー以前にも、相当数走ってたが。 >>129
この画像の架線下DCは最強!って言っといていきなりDDってどういうことだよ?
そもそも当時は山陰直通も多かったし、いまでも日田彦山線の列車があるから普通 >>133
架線下DC急行フェニックスなめんな
49年3月から50年3月までだが宮崎〜小倉〜西鹿児島で九州では最長 羽越の村上・酒田間ってなんとかならないのかなあ?
未だに普通はオール気動車。 三岐鉄道が電化後も関西本線四日市乗り入れ用に残しておいた 気動車
遠州鉄道が二俣線乗り入れ用に用意したキハ04 も想い出してください。 >>135
切替を村上駅構内に移設しない限り、電車化はないだろうなあ。
これを言い出すと関門もどうなるかわからんね。
415系が限界になった時、交直流車の新製はあるんかな? >>138
デッドセクションが市街地だし黒磯方式がベストだろうけど、
肝心の客が殆どいないからな。 >>138
JR西の521系買入れでもいいし、日田彦山線からのDCでもいい。
どうせ主力は貨物だから、門司駅のホーム一つだけデッドセクションを小倉側に移動して305系とかw まあ日本の場合、直流・交流に加えて交流の50・60問題もある訳で。
非電化乗り入れは無視するとしても架線化DCは今後も安泰の気がする。 _,//.::::::::::::/.:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.く
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50/60Hz問題はもう貨物以外は関係なかろう >>144
え、電車はもう関係ないのか。
東北のを九州に持って行って大丈夫なのか。
電車も家電感覚になってきましたなあ。 路面気動車、札幌市交通局D1000形等も忘れないでくれ。 >>145
旅客会社は自社線内で定期に運用される車両にあっては、両周波数に対応できる設計をまず考慮する必要はないと言うことですよ。 >>146
昔の家電は50ヘルツと60ヘルツを東西で使い分けていたのがあったんだよ。
例えば東京の俺のうちにサンヨーのステレオがやってきた。
それで「いつでも夢を」を聞いたら何となく音階が違うと兄貴が言い出した。
店に問い合わせたら関西仕様のものが届いていて交換となった。
俺はガキで気づかなかったけどな。やべえ、それでも歳がばれる。
冷蔵庫や洗濯機も違っていた気がする。 >>149
それは流石に知らないが時計が
50Hz60Hz両方対応のあった。
485系ではないがスイッチで、
50Hz60Hzを切り替えるもの。
60Hz地域で50Hzにして使うと滅茶苦茶速く進んだ記憶ある。
あと関西と関東を転勤すると、
家電をいちいち買い換えるのでそれではあまりに不経済なので関東の家を家電ごと貸していたそんな話は聞いたことがある。
とここまで書いて気がついたが狭い日本で50Hz60Hz両方あり新潟とか同じ県でそうなのは、
改めて不経済だなあとは思う。
イギリスとドイツから電化方式東西で別に輸入したからだが、
交流電化はやはり大失敗だな。 >>149-150
電気に詳しくない人が電気について語ってると思うと笑えるw
その証拠に所々間違ってるし・・・
ここは学校じゃないから、いちいち添削はしないけど、
>>149は回転子について調べるといいよ。
>>150
イギリス???鉄道と間違えてないかw
ヒントは:GEだよGE >>150 架線による直流電化でも、電圧が異なるために複電圧車こしらえるか、架線下DC走らせなくちゃならないという無駄(?)やってたりするからねえ・・ >>149
ふーん、相変わらず下らない無差別大量絨毯爆撃カキコしてるんだね。元気でなによりだ。
話は変わるけど、
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
まあ、こっちに座れよ。薩摩白波のヤクルト割りでも奢るよ。一杯呑んで落ち着くんだ。 >>154 中央西線電化後、73年夏のシーズンに松本電鉄に乗り入れていた臨時DC急行。
当時、松本電鉄は1500V昇圧前。 >>150
時計は周波数でカウントしていた時代があったからそうだった。
俺は未だに30年前のをタイマーとして使っているが誤差は少ない。
切り替えスイッチはないからこの頃から自動変換できるようになったのかな?
>>151って昔の電気屋さん?
一般消費者に迷惑けて客の知識が足りなかったとか、
典型的な自己中技術者だ。務めていた会社は多分もう存在しないだろう。 >>154 実質問題殆どないのは、600v車と750v車相互で・・・それでも600vの絶縁抵抗等留意する必要がある。
1500v車の600v,750v区間乗り入れは電圧不足で低性能になる。
その逆は当然アウト!(電車が逝かれる。)
だから複電圧仕様が最善。 >>135
10年以上昔に52系のDCを見た記憶がある。
今は何系が入っているの? 「ときわ」が復活するらしい。
気動車じゃないけど、とても感慨深い。 南海線内のキハ5501・・・こういう大手電鉄の甲種内燃取得運転士って少ないだろうから
欠員とか生じると休暇取得が大変だったろうな。 >>163
普通だとデヅラの3〜4倍は有資格者いると思うよ。 必要かつ希少の資格だから、手当月に20万位あったんじゃないの 自宅と職場の往復は南海ハイヤー、社員食堂では頼みもしない豚汁がタダで出てくるは、帰区すれば風呂もわいてるはで
それはもう厚待遇でしたよ。
助役クラスでさえ廊下では道を譲りましたからねぇ。1ヶ月に和歌山往復1回やるだけで半年は暮らせましたよ。 >>164 当時は知らないが、何処の会社も乗務員って欠員気味だけど・・・
俺の会社では、某支線用に予備車両を急遽使うことになった際、
本線の営業運転士は全員ワンハンドル車しか扱えないので、
昔営業線で乗務した構内運転士が運転する事態になった事がある。
>>166 随分スケールのデカイ嘘だな。 >>167
ハイヤーと和歌山1往復で半年生活以外は、ひょっとしたら… 蒸気機関車時代の国鉄だと必要性から風呂は常時沸かしてたそうだが 架線下DCではないが、社名が“○○○○電鉄”なのに所有車輛はDC、DLだとかで、ECやELは1輛たりともないとかw 急行も電車もないまま廃線になったな。
そこの御曹司が同級生で豪邸に住んでいたが今はどうしているのだろう?
まあ、電鉄まではいかないが会社のイメージ保持のために
苦労して鉄道残している会社は今でもあるけどね。 磐梯急行電鉄って名前は盛大な名前だったけど、もともとは鉱山専用線の鉄道で、磐梯山麓の
硫黄を採掘して輸送するのが目的だったから旅客は二の次だったんだよね。
閉山して硫黄が採れなくなって旅客線にしようと名前を変えたと思った。そんでも数年持たなかった。 >>173 天然硫黄採掘が無用になり会社が傾き
そこに付け込み仕手集団に乗っ取られたの!
本来の沼尻鉄道関係者には甚だ迷惑千万ヒドイ話。
しかし末期に仙北のキハ2401,2402 を入れたのは何故?(それほど既存の車両が老朽化していたのか?) >>175
そうだったのですか。
同級生の御曹司は卒業以来、音沙汰ないがさぞ苦労したことでしょう。
さて、だんだんスレチになりつつあるので話を元に戻しましょう。 羽越本線のキハ110系の普通列車は
1人掛けのクロスシートと美しい車窓で
快適だったな。