懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
>>593
きのくに廃止直前に市駅まで電化されたんで
59年10月-60年3月のわずか半年弱だが南海直通も架線下DC >>597
>自社に非電化区間がないにもかかわらず、国鉄直通のためにDCを用意した健気な鉄道会社
には該当しないだろ >>561
朝一番の給油〜回送スジ設定に苦労したそうな >>452
函館といえば富良野方面や留萌方面行を併結するDCかむいがあった
なよろ、紋別はぼろとともにライラックやホワイトアローに格上げされた 四国の繁忙期のいしづち、しまんと(高松-多度津)にDCが使われたことがあった >>594
3両目は便所無し・両運転台
独自寸法の戸袋窓が目を引く 用済みになっても有田に引き取られて寿命を全うできて良かった 名鉄北アルプスはパノラマカーより室内の造りが良かった
思えば生涯でずっとパノラマカーばかり注目されて気の毒だった 走る区間が限定されてたのも不利に働いた
パノラマカーは支線にまで進出して知名度を高めた 湖西線永原から北陸本線敦賀方までの普通列車に交直セクションを気にせず運転できる気動車が使われていた。
当時敦賀運転所に小浜線を走る気動車が所属していたからできた芸当。