懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
>>429
スレタイ読もうね、架線下DLじゃないから イベントで御殿場線にキハ82もってきたのは、常磐撤退より前?
会津マウントの東武線内乗り入れはダメ? >>432
御殿場線にてキハ82が運転されたのは、JR化後の94年11月27日の「御殿場線
60周年号」 羽越本線ってどうして全線電化されてるのに架線下DCなんですか?
電気機関車は使ってるのに、
あれじゃEF510じゃなくてもDD51でもいいじゃないですか
米坂線も「べにばな」なんかは架線下DCですよね >>434
JR東が交直短編成電車を持ってないから。というか2両編成ですら輸送過剰な
時間帯もあるし。
昔羽越本線高速化のために鉄建公団が掘ったショートカットトンネルすら結局
引き取りを断ったくらいの輸送規模では、それ専用の新車を求めるのは夢のまた夢。 >>435
いや、むかしから羽越線は架線下DC王国だったよ
交直流電車の価格がバカ高く、優等列車でないと元が取れないことが主な原因
直流区間なら地上設備の費用を別として、保守費や動力費も考慮すれば電車の方が気動車より若干安くなる
また中古電車(旧型国電)も使えるため、直流区間では架線下DCは少ない >>438 富山港線のキハ120は、その例外と考えたほうがいいのか?
1m電車新製するよりも安いと考えたからか。 >>438
嗚呼、デッドセクション対策ですか・・・・・
でも常磐線にせよ、東北本線にせよ、デッドセクションがありますよね
さらに言ってしまうと、北陸本線の米原〜田村間とかは昔からE10やら
ED30等の特種機関車王国だったわけですが、北陸本線も客レが多かったのですから、
羽越線も客レで電気機関車牽引の客レでも残すかしてれば良かったんでしょうね、
50系客車なんて旧客に比べて車齢が若くして廃車に成ってしまいましたから、
富山か敦賀二区のEF81+50系客車でも良かったような気がします。 >>438
昔からでも現在でもそうなら「懐かし」じゃねえだろ
板違いだ つまんねぇ事でいちいち拘ってんじゃねえよwあんたはアスペ爺さんかw >>440
輸送力単位が小さいですからね、EF81+50系客車2両じゃパワー過剰でしょ、それに終着駅で機関車交換は必要だし、実際よその線ではそれをやめて701系にしたくらいで。 電化区間に入る気動車急行の間合使用普通列車なんてのが
架線下を走るのに萌えたなあ。
ただのローカル最終列車なのにグリーン車付の堂々としたキハ58編成だったりして。
上野発常磐線最終水戸行とか・・・ >>445
九州にJR化後も残っていた、急行「えびの」の間合いの普通列車で
元グリーン車の座席(急行では指定席)に座ったことがある。 そこはシーサイドライナー時代が一番優遇されまくってた 常滑競艇の臨時列車に使われていたキハ8500。太田川駅で見たときは
驚いた。 急行・狩勝の函館本線区間(滝川〜札幌)
狩勝の全区間中最も評定速度が速く特急列車より停車駅も少ないにも関わらず、
乗っていると走行区間内では唸るエンジンが最も急行らしさを醸し、
実はスジ上後続の785系ホワイトアローに捲られる夜行を除くと最も遅い優等列車。 既出だが南海のきのくに号、
難波駅でこれを見かけた客が屋根上にパンタグラフが無いのを不思議だと言っていた
DCを見慣れてないとそういう感覚になるものなのかね >>453
泉佐野以南の曲線が続く区間では本職のDC運転士だったら直結の絞り力行
3〜4ノッチで逃げるところ、南海運転士は電車同様の鋸ノッチ扱いだったのが
面白かったよ。 >>454
電車と気動車の免許を持っている運転士の中には、電車の運転が大半で、気動車の運転はたまにしかしない人も居る。
気動車の運転の日は電車のつもりでノッチを扱ってしまう人も居たね。
また、キハ20系の運転に慣れていた運転士がキハ40系に乗務する場合、変速機の特性を活かしきる前に
時速45キロ程度で直結段に切り替えてしまうことが多い傾向にある。 >>453
晩年の姿しか見たことが無いがディーゼルエンジンを唸らせてゆっくり難波駅を発つ後姿を見ただけだったな
乗客はほとんどいなかった >>457
春木や和歌山の博打開帳日には沢山乗ってたよ。 昔関西線でキハ75使用の名古屋〜亀山普通がありましたね。
意外と出てこないのにびっくり。
ながら接続の一番列車が一時期これだった記憶がある。 一部のキハ75は高山線に行ったけど、高山と境界駅の猪谷行くのはキハ25だけ。
75は下呂までしか走んない宮の峠登坂できねえのかよ。 足回りは「ひだ」のキハ85とほぼ同じだから登坂性能は問題無いだろ、登場時には宮峠より厳しい加太越えを「かすが」でこなしてたんだし
考えられるのは耐寒、耐雪面じゃないの? >>453
最晩年に孝子峠付近で目撃した
当時はDCには興味なかったのでカメラにも収めず。
ヘッドマーク付いてたのかなあ
その後に来た普通7001系の方が格好良く見えた 架線下DCは無駄なのかな?
結局電化区間との直通運転が本来の目的なんだろうけど、
あまりにも長い下線下DCは非電化→電化のターミナル駅で電車に運用を振り替えた方が運用効率は良いのかもしれない。
でも東京駅には早くから架線下DCは撤退したが、上野駅には平成まで架線下DCが残っていたな、
あれは茨城県内の中小私鉄直通運転の為の処置と、デットセクション対策だったのかな。 エキスポライナーのキハ58は理由がはっきりと解る。
常磐線だもんね。
使える車両に制限がある。 >>462
それはもったいないね
引退が知られるようになってからというもの、
R26の撮影スポットには撮り鉄さんが大勢いらっしゃいましたよ これだけ技術革新があるのだから
地磁気観測所との干渉を解消できる手立てが見つからないものかなあ
そうなればノーマルに直流でいけるのに ある程度予測はしていたが黒磯直流化絡みで黒磯〜新白河に登場ですな、但し一部の運用でしかも暫定っぽいが。 >>464
各鉄道会社の考えだと思う。
新幹線がらみで第三セクター化した路線で導入したり、名鉄のように
わざわざ架線を外してDC化した路線もあった。 電化後も千歳線を走っていたキハ22などを使用した普通列車(711系から受け継いだ札幌直通のキハ143は除く)
実はJR化後まであった >>470
名鉄のそれは合理化と言えば聞こえは悪くないが
実質は退化だったな
電車が撤退して、明らかに活気が消えた >>472
それって昔は活気があってもちろんその時電車があったからそれと比べちゃってるだけだよ
電車がある時代から活気は失われていたんだよ キハ10の振動は異常だった
2軸車特有の揺れに慣れてないからだろうが、ポンコツHLのほうがまだマシ
冷房が付いたのは大歓迎だったが、一部だったしなぁ 2軸車は相当デンジャラスな走行性だったみたいだしね。国鉄が最初に作ったレールバスのキハ01とか
最悪な乗り心地だったらしいし。
南部縦貫も旧東北本線区間はまだまともでもそれ以外は地震体験車で常に震度4〜5強に乗ってるみたいだし。 そりゃ100年ぐらい前にボギー車が考案されてから脱線事故が減ったというし しらゆきも457化できなかったのかな?
50/60Hz対応なのに >>477
やってやれないことはないだろうけど、457が3電源直通を目指して開発されたというよりも、455と457を補充するにあたり、技術的に1本化できるようになったから補充用に19ユニットの457が誕生したわけです。
補充が目的ですから仙台から鹿児島までの広域な分散配置になりましたが、仮にしらゆき電車化という課題があれば、例えば金サワに集中配置すればよいだけのこと。
そうすると答えは@当時、しらゆきは電車化する必要がなかった。A当時、しらゆきは電車化できなかった。となりませんか? 田沢湖線(現 秋田新幹線)が出てこない。
特急は485で普通列車は全部キハだったな。
ミニ新幹線ならなかったら今頃は701に変わっていたのだろうか? 全線電化区間でありながら、
秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、長年に渡ってローカル列車はすべて気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。
Wikipediaこれ本当なら確かにそうだな >>479
単純に非電化区間直通の「白馬」と「きたかみ」の併結区間があった。
電車化するなら「白馬」「きたかみ」の単独化や、糸魚川・秋田発着で短縮し、
それぞれ接続を取って「しらゆき」は単独走行にはありそうかも。
特に「きたかみ」は青森まで行く必要がなかった列車なので。
ただ急行「しらゆき」廃止までは、東北は多層建てDC急行が幅を効かせていた。
そうすると気動車急行の運用や、できるだけ直通列車にして急行料金の利用者負担を
抑える意味合いがあったかもしれない。
また「しらゆき」健在時は、「羽越」「むつ」「しもきた」も全線架線下DC急行だったので、
東北新幹線開業が迫っていて、電化前の体系を大幅に崩したくなかったのもありそう。 >>480-481
改軌しなくても701系にはなってただろう。
秋田運転所の701系主体で運用すれば、効率は悪くない。
県境の赤渕〜田沢湖の普通列車本数は最低限なので、盛岡口は東北本線と共通運用でできそう。
実際は秋田新幹線着工が701系デビューとほぼ同時期なので、あくまで仮定になってしまうけど。 北陸線電化後の彦根発木ノ本行きのDC 、サボがまた不思議な表示だったな。ながはま 上の方にちょっと出てるが、南海線のきのくに号の運転の仕方は国鉄DCと微妙に違ってた記憶が自分もある。
カーブから直線に移行する直前に盛大に変速ノッチをふかして加速の準備をする?エンジン音が高くなった。
直線でもあんまり惰行はなかったような気もする。70kmにもいかない表定速度だったが、それでも現場には
DCの性能は余裕がなかったそうだ。もっとも下りは早着したこともあった。
ただ、国鉄線に入ると乗り心地が悪くなった・・・。 山陽線のキハ82は?
「かもめ」は長崎・佐世保線のみが非電化 まぁ、分割・併合があるから仕方が無いが、「日向・なは」に至っては鹿児島線電化後も「なは」は全線架線下
それこそ、客車のほうがよかったんじゃ?と思う。当時の事だから20系の座席編成とか・・・ >>488
当時は「かもめ」と共通運用だっただろう。
編成組み変えれば、博多「まつかぜ」も共通だったし。
また山陽本線は優等列車全盛時、慢性的な特急型電車不足だった。
20系では座席キャパが小さいし、日中の居心地も問題だったろう。 >>488
客車の方が良いと思うのは何で?
電化区間は電気で走れってこと?
機関車付け替える面倒が増えるだけだと思う
所要時間も短縮できないよね? 北陸本線は架線下DCダメかな?
北陸トンネルが長すぎて。
金沢から敦賀まで各駅停車増やしてよって思う
七尾線の交直流車も越美北線の気動車も暇なときは北陸線に投入してよ そう言えば2010年の特急おわらがディーゼルカーの北陸本線走行の最後なのかな? >>489・491
ああ、共通運用でしたか。それはご指摘ありがとう。無理だったでしょうね。
電気ブレーキのある電車と違って気動車・客車は最高速度が上げられないから、電機牽引列車でもよかったかも、という妄想です。
20系でも寝台車を連結せず、ナハ20・ナハフ20にナシ20 あとナロもあったらオモシロかったと思います。機関車はEF60-500あたりを・・・・ >>492
特急白鳥はキハ80系で北陸トンネルを抜けていたぞ。
長大トンネルには違いないが、DCだからダメということは
ないと思うが。
ただ、わざわざ越美北線からDCを回送する手間を考えると
その可能性はないだろうな。 >>495
でもディーゼルカーの方がお手軽だろ?
そもそも1961年の時点で考えてみ
この時点でキハ82しか選択肢ないと思わないか? >>492>>496
「白鳥」電車化後も、急行「越後」「大社」が北陸トンネルを走行してたので、
気動車でも何ら問題ない。 東京地下駅開業、外房線電化の頃だったか、新宿駅でキハ55系が先頭の急行「犬吠」を見た記憶がある。この頃は東京周辺での架線下DC急行はキハ58系がほとんど。東北線や常磐線からは追い払われ、非電化区間が残っていた総武線、成田線の急行に使われていたのか。 >>499
夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも。
ただ気動車「犬吠」が新宿に乗り入れてた頃、中央線急行「アルプス」も一部気動車だった。
併結した富士急行や小海線直通などにもキハ55は充当されてなかったか? >>500 中央線DC急行はキハ58系化されていた。富士急行乗入れは、キハ58の富士急保有車(後に有田鉄道に譲渡された両運車)だろ。 >>496
越美北線はダム建設でいちばん最後に完成した区間に5200mのトンネルぶち抜いたが、それでも
北陸トンネルの2/3の長さで5173mの北陸線の深坂トンネルと大して変わらない。 トンネルで気動車禁止は青函だけ?
客車の発電エンジンは追加で防火対策したんだっけ? >>500
>夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも
東京地下駅開業、外房線電化の頃だよ >>499
常磐線では、昭和55年のダイヤ改正で九州から冷房付きのキハ58系が水戸機関区に転属して来るまで、キハ55系が急行運用に入る事があったよ。 >>505
房総半島一周が電化されたとはいえ、千葉以東の総武・成田・鹿島線方面の大半が非電化で、
「しおさい」「あやめ」新設前の千葉は、「気動車王国」と言われていた。 >>507
北総電化後も車両需給の関係で、昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で、余剰となった153系電車が幕張電車区に転入するまでは、気動車急行が残っていた。 >>508
と言うより、その改正前の銚子・成田方面の急行は、気動車オンリーだったろう。 >>507
千葉以東の総武・成田・鹿島線方面なんて夏ダイヤほぼ関係ないじゃん >>510
内房・外房線ほどでなくても、それなりの臨時列車の運転・増結はあっただろう。
当時の国鉄臨時列車は、今よりも半端なしに多く、派手だった。
また東京・両国〜千葉は、当然内房・外房線特急・急行も同じ線路を使ってたので、
そちらの夏ダイヤの影響で、銚子・鹿島方面の急行も影響受ける。 >>511
総武線が快速と切り離して錦糸町〜千葉が複々線化したのが全線電化の少し後だったから、今の緩行線に
両国からの特急だの急行を走らせる他なかった。今の新宿さざなみ わかしおが錦糸町から入ると同じコース。 >>511
だろうって言われても
実際どうだったか調べろよ >>514
いや貴方がきちんと調べないと
おかしなこと言ってるの一人だけだからね 米子〜出雲市まで
やくも6両で電車特急で、まつかぜ2両気動車特急なんだし。
各駅停車も電車4両、気動車2両の方が経済的なのに。
湖西線とかJR東海から117系貰えばいいのに。 >>516 普通列車で米子以東、出雲市以西の非電化区間に入る運用が相当数あるからなんでは?
117導入するんなら、伯備線に入っているだろ。 >>517
普通列車に出雲市から西だと江津や益田・米子(伯耆大山)から東だと松江や倉吉ら結構長距離列車も
あったような。
丹波路快速前に福知山線に117系を入れていたから、4両で嵯峨野線か伯備経由で米子や出雲市に
入れていた可能性もあり得たが。 >>516 伯備線北部から山陰線西出雲までは、ワンマン対応の2両編成115系改造車使っているわけだから、117をこの辺りに入れるとなれば、2両ワンマン化改造が必要だろう。
電化区間である米子・西出雲間の各停にしても、2両ワンマンのDC使っているわけだが、117を2両短編成化して入れる必要性は乏しかったということなんでは。
まあ、一方は原型のままで、もう一方は103系ATCのような切妻式前面にした117改造車というのも面白いかも。 キハ125系4連とかキハ120系の3連とか。
特急列車よりも各駅停車の方が運転動力費を食うなって。 >>520 鉄道とバスの対比も含めた乗客1人当たり運行コスト比較は、定員乗車を前提としたもの。
過疎地域でほぼ定員乗車の短編成DCと、同数の客を乗せながらより超大編成で乗車率が低い電車の1人当たり運行コストを比較した場合、前者が後者より高いとは限らない。
むしろ、前者の方が低くなることがある。だから、肥薩おれんじ鉄道は架線下DC化を選択した。 まあ、117系4連をそのまま山陰線米子・出雲市間に投入したってワンマン対応できないし、ワンマン2連に改造すると改造コストはかかる、非電化区間への直通ができないから柔軟な運用ができない、そもそも車体が老朽化している、という問題だらけだな。
運行コストだけでなく、閑散時は2両、ラッシュ時は4両で編成を柔軟に変化させられる、非電化区間に乗り入れられる、ということでDC投入がベターと判断したんだろう。 羽越線や田沢湖線を日常利用する場合に電化の恩恵は有ったのか謎だ
特にEF81+50系をキハ110で置き換えた前者は… 日本海とか白鳥とか電車化した方が良かったからじゃない?
新幹線みたいに在来線は直流なら全線直流、交流なら全線交流にすれば効率良かったのに。
東海道山陽EF58 EH10 EF65 EF66
九州ED76
北陸EF70
東北ED75
交直流EF81
効率悪いなって 交直両用が実用化されてなかったら
直・交の分化が徹底してただろうにね 東海道山陽 EF65 EF66
東北本線 EF58 EH10
日本海縦貫 EF60 EF61
という感じで