懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
>>360 72系改造のクモユニ74と111系の併結など、吊りかけ荷電と新性能電車との併結が当たり前に行われていたんですがあ・・ >>361
それは協調運転の事じゃ無くて、均合い運転の事じゃないの? >>362
京王や西武では普段から吊り掛け車とカルダン車の混結やっていたよね。最近だと、江ノ電と箱根登山かな? ..>>364
小田急も4000系吊り掛けと5000系平行カルダン車の連結があった。
制御機器関係が共通だと出来るんジャマイカ。 >>365
それ初耳。
更新後の4000系と勘違いじゃなくて? >>363
協調運転と均合い運転とかそんな話してないだろ
>>364
昔の銀座線も忘れるな ぶっちゃけ電制&回生車と空制オンリー車とかブレーキ系統の同期がとれれば問題ないんじゃない?
ツリカケとカルダンでも、但し モーターや制御装置の特性が大きく違う場合
此処の車両の機器にストレスを与えるので好ましくない 制動感覚の把握が難しくなったりや制動&加速時の挙動がおかしくなるのでは? 吊り掛けとカルダンなんて、気動車との協調運転に比べればずっと容易だろ。
そりゃ、カルダンの性能、機能を最大限に発揮できなくなるけど。 50年位前の話だが、山陽本線の瀬野八が電化された当時、151系や153系はMT比1対1のため補機を付けて峠越えをしたという。
キハ82系DC特急のかもめやみどりは、補機なしで走行したのか?
関東の人間で瀬野八はよく知らないもので・・ >>370
ググッたら82系単独で越えていたようですよ。
スレちだけど、瀬野八と聞くと、西村京太郎思い出す。 >>370
151系や153系って東海道専用、坂道弱々仕様だからな 東武のDRCだったら、瀬野八、補機なしで楽々だったのかも・・
6両オールMを2編成繋いで堂々の12連、だが食堂車がない。 >>371
そういや板谷峠も特急型はキハ181系でさえ補機付だったのに、
キハ58は単独峠越えだったなあ
特急型に比べてサービス電源が不要で身軽だったためだろうか
キハ181系はラジエータの問題らしいけど キハ58と言うか旧世代気動車は速度低下に目をつぶればそれなりに勾配に対応できるよ
エンジン2台搭載とか補機連結とかはこの世代に関しては速度向上が主な目的
5ノッチ5分制限対策もあるけど キハ30がハチ公線の金子坂をヒーヒー言いながら登ってたっけ 来春から北陸新幹線開業による北陸本線の経営分離によるえちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン
転換区間とそれのET122が乗り入れるあいの国とやま鉄道転換区間の一部が仲間入りだな。 >>375
ちょっと架線下DCという範疇から外れるけど
旧世代気動車の2台エンジンは速度向上が目的でなくて、やっぱり勾配線対策かと。
というのも、御殿場線でのテストで、勾配区間で変速機油漏れなどがあり、このため
2基エンジン車出現までは、勾配線は依然として蒸機列車主体だったという記載を読んだ
記憶がある。 >>365
ところが同じ小田急で旧国鉄63系払い下げの1800と4000吊掛けを連結したら脱線続出で
連結自体やめた例もあったりも。
4000自体の機器の出力が1800より低くて1800のが勝っちゃうんだっけ?。
瀬野八と言えば貨車より機関車のが勝っちゃってせりあがり脱線する危険性から生産打ち切りで
EF59の代わりさえならずにさらに先になくなったEF61-200の例がある。 あともう一つあった、HB-E210による東北仙石ラインも来年6月に仲間入りするね。 東北や常磐の臨時急行はほとんど客車か気動車。
高価な交直流式急行電車は定期列車分しか製造しなかったのだろう。 >>381
12系や14系座席客車がまさに、そのコンセプトで。
伊豆急下田まで14系客車の臨時踊り子号が走っていたなんて
現在では考えられないよね。185系より停車駅少ない割りに
最高時速が出ないし、加減速も悪いから、鈍足だったし。
一方、その前では定期列車は雑客で、臨時は12系って下剋上の夜行急行もあったような... >>382
その通り。
津軽、鳥海、能登、越前、だいせんなど日本海側を走る急行はほとんどだった。
12系の定期急行はきたぐにくらいだが、
北陸トンネル火災理由素直に喜べない。 今で言えば羽越本線村上〜酒田間普通。
来年から糸魚川〜直江津間もそうなる。 電化区間で完結するDCの列車はもちろんとして、
今で言えば岡山ー宇和島直通のしおかぜや、大阪発着のひだ等の非電化区間への乗り入れで長距離架線下を走る列車はどうだろう。
あとはオランダ村特急やキハ201の協調運転も。 >>386
烏山線の方が距離長いんじゃないの?
営業路線じゃ無ければ新金線のDE10チキとか。 戦前の阪和電鉄を立ち上げた関係者は、20数年後に
国鉄形電車に席巻されるどころか、国鉄形車両全般中でも紀勢本線に向かう気動車が走るこのになるとは、よもや・・・。 >>388
烏山線(直通)は非電化下EVも走る路線で色々ロマンがあるな >>387
非電化区間に乗り入れる以上DCなのは当たり前だからなあ
「そもそも」であれば電化区間しか走らないDCのことだわな
このスレの定義とは違うけど
>>386
北藤岡駅のホームよりは手前だけどあそこも北藤岡駅構内だから手前ではないな 電化本線から非電化盲腸線への直通列車は架線下DCが多いし効率が良いのだろうな。
吾妻線なんかは早期に電化されたからC11の客レ時代から、
一気に、電車化と成った。
現在でも東武妻沼線が残っていたら、上野〜妻沼までキハ30系系列か、キハ58・28どちらかの
形式が直通乗り入れしてたかもしれん。 そうか、東武熊谷線へ乗り入れるとまで考えちゃうか… 俗称で妻沼線とは言ってたけど
東武妻沼線という人は初めて見た 帰省でお馴染みだった急行ときわも春休みにはもう無いのか・・・・ 赤倉は遅くまで('82-11)DCだったのもさることながら、DC時代の最後まで
編成中の過半数が非冷房のままで残っていたのも奇異に感じたね。
3・4号車のキロを挟んで、1・2号車のキハ58×2(指定席)が冷改、5〜10号車の
キハ58×6(自由席)が非冷、と厳然と区別されていた。 始発駅から終着駅まで全線架線下を走行した
国鉄DC特急も忘れないであげてくださいな。 >>397
ひばりとひたちと臨時雷鳥以外に何かあったっけ? おお!マリンクリスタル、オランダ村特急、しなの、きのさき、ひたち、も頼む! 熊谷は、中央本線の大月と違い旅客動線的には高崎線の途中駅としてはマダマダ通過旅客導線が太いので
此処で他社線方向分岐なんて無理。
万一やるとしても休日で最低限 熊谷線が、電化整備して秩父鉄道乗り入れ列車と抱き合わせ運行。(輸送実績を考えると東武は絶対やらないが・・・)
※電鉄なのにディーゼル車持参で用意までした富士急だって自社車両の直通は放棄の憂き目に遭った。 >>399
ああそう言えば大阪しなのって電車化遅れてたよな
でもそれ以外国鉄じゃねえよ >>400
電化線しか無いのに乗り入れ先のためにディーゼルカー用意したのは他にもあるからなあ >>400
熊谷線は残存してたら需要あったよな。
安比奈線とは雲泥の差だ、でも安比奈線は全線電化されてたんだよなぁ
驚きだ、昔はあそこにE51やE61が走ってたなんて信じられんなw >熊谷線は残存してたら需要あったよな
それはない
太田までつながってれば別だけど >>407
なはも鹿児島電化の時電車化しなくて後にズレこんだんだね
ひゅうが併結の都合なんだろうけど、南宮崎電化の半年前に単独電車化ってタイミング的によく分からんことしてるな >>406
もし太田に繋がってたら、熊谷からJRに流れるから、はなからやる気無しだったのでは…? それ以前に熊谷線自体が年2億の赤字でもはや廃止するしかない状態だったけどな。
小泉線に繋げる大義は富士重工からの戦争物資輸送と行員輸送というだけのもので
終戦と同時に消滅したのだから。 秩父鉄道からホームと用地借りてて返してよって言われてたしね >>412
今でも高崎線と秩父鉄道との分かれ目付近に熊谷線のホーム跡が有りますね。 >>396
併走する「とがくし」や「きそ」は全車冷房だからね。
それで急行料金同額なのは不条理w
そして停車駅は両者より少ないのに、表定速度はヘタすると遅いというダメ押し。 ☆☆☆☆☆
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daIn.net/c12/25yuika.jpg
Iをkkuに変えるよ どうして羽越本線村上〜酒田の普通列車は気動車なの?
肥薩おれんじ鉄道やえちごときめき鉄道とかの事情と同じとは考えにくいのですが? >>418
交直セッションがあるから
えちごときめき鉄道も同じ理由 381系を中央線に投入したとき、何故一緒に振子式急行電車をつくらなかったのだろ
紀勢線の時もそうだし 381系は中央東線・西線両方で使用すればよかったのに、
381系で新宿〜名古屋間ノンストップで4時間なんてどうよ? 振子式急行電車作らなかったから「赤倉」も「きのくに」もディーゼルのままだった >>423
きのくにの場合直通で和歌山から合体した南海もキハ5500形からキハ58基本の
車を作ったかも知れんな。年度によっちや65で作ったかも知れん。
しかも車内は10000形レベルで無論空気バネと国鉄より豪華になってたかも。
現に客車で直通した当時、電車に連結した便宜上サハとしたサハ4800形は
国鉄スハ43形よりも車内は豪華だったらしい。 臨時旅客営業だったら新金線、あとはイレギュラーでDD51が品川から天の川なんてのもあった
DE10は貨物なら架線下で湘南新宿ラインを単機で走行を見る
あとは首都圏で良ければ、新鶴見から東海道貨物線を横浜羽沢までDE10が牽引してる
運用は2000番台と共通だけどね。 >>429
スレタイ読もうね、架線下DLじゃないから イベントで御殿場線にキハ82もってきたのは、常磐撤退より前?
会津マウントの東武線内乗り入れはダメ? >>432
御殿場線にてキハ82が運転されたのは、JR化後の94年11月27日の「御殿場線
60周年号」 羽越本線ってどうして全線電化されてるのに架線下DCなんですか?
電気機関車は使ってるのに、
あれじゃEF510じゃなくてもDD51でもいいじゃないですか
米坂線も「べにばな」なんかは架線下DCですよね >>434
JR東が交直短編成電車を持ってないから。というか2両編成ですら輸送過剰な
時間帯もあるし。
昔羽越本線高速化のために鉄建公団が掘ったショートカットトンネルすら結局
引き取りを断ったくらいの輸送規模では、それ専用の新車を求めるのは夢のまた夢。 >>435
いや、むかしから羽越線は架線下DC王国だったよ
交直流電車の価格がバカ高く、優等列車でないと元が取れないことが主な原因
直流区間なら地上設備の費用を別として、保守費や動力費も考慮すれば電車の方が気動車より若干安くなる
また中古電車(旧型国電)も使えるため、直流区間では架線下DCは少ない >>438 富山港線のキハ120は、その例外と考えたほうがいいのか?
1m電車新製するよりも安いと考えたからか。 >>438
嗚呼、デッドセクション対策ですか・・・・・
でも常磐線にせよ、東北本線にせよ、デッドセクションがありますよね
さらに言ってしまうと、北陸本線の米原〜田村間とかは昔からE10やら
ED30等の特種機関車王国だったわけですが、北陸本線も客レが多かったのですから、
羽越線も客レで電気機関車牽引の客レでも残すかしてれば良かったんでしょうね、
50系客車なんて旧客に比べて車齢が若くして廃車に成ってしまいましたから、
富山か敦賀二区のEF81+50系客車でも良かったような気がします。 >>438
昔からでも現在でもそうなら「懐かし」じゃねえだろ
板違いだ つまんねぇ事でいちいち拘ってんじゃねえよwあんたはアスペ爺さんかw >>440
輸送力単位が小さいですからね、EF81+50系客車2両じゃパワー過剰でしょ、それに終着駅で機関車交換は必要だし、実際よその線ではそれをやめて701系にしたくらいで。 電化区間に入る気動車急行の間合使用普通列車なんてのが
架線下を走るのに萌えたなあ。
ただのローカル最終列車なのにグリーン車付の堂々としたキハ58編成だったりして。
上野発常磐線最終水戸行とか・・・ >>445
九州にJR化後も残っていた、急行「えびの」の間合いの普通列車で
元グリーン車の座席(急行では指定席)に座ったことがある。 そこはシーサイドライナー時代が一番優遇されまくってた 常滑競艇の臨時列車に使われていたキハ8500。太田川駅で見たときは
驚いた。 急行・狩勝の函館本線区間(滝川〜札幌)
狩勝の全区間中最も評定速度が速く特急列車より停車駅も少ないにも関わらず、
乗っていると走行区間内では唸るエンジンが最も急行らしさを醸し、
実はスジ上後続の785系ホワイトアローに捲られる夜行を除くと最も遅い優等列車。 既出だが南海のきのくに号、
難波駅でこれを見かけた客が屋根上にパンタグラフが無いのを不思議だと言っていた
DCを見慣れてないとそういう感覚になるものなのかね >>453
泉佐野以南の曲線が続く区間では本職のDC運転士だったら直結の絞り力行
3〜4ノッチで逃げるところ、南海運転士は電車同様の鋸ノッチ扱いだったのが
面白かったよ。 >>454
電車と気動車の免許を持っている運転士の中には、電車の運転が大半で、気動車の運転はたまにしかしない人も居る。
気動車の運転の日は電車のつもりでノッチを扱ってしまう人も居たね。
また、キハ20系の運転に慣れていた運転士がキハ40系に乗務する場合、変速機の特性を活かしきる前に
時速45キロ程度で直結段に切り替えてしまうことが多い傾向にある。 >>453
晩年の姿しか見たことが無いがディーゼルエンジンを唸らせてゆっくり難波駅を発つ後姿を見ただけだったな
乗客はほとんどいなかった >>457
春木や和歌山の博打開帳日には沢山乗ってたよ。 昔関西線でキハ75使用の名古屋〜亀山普通がありましたね。
意外と出てこないのにびっくり。
ながら接続の一番列車が一時期これだった記憶がある。 一部のキハ75は高山線に行ったけど、高山と境界駅の猪谷行くのはキハ25だけ。
75は下呂までしか走んない宮の峠登坂できねえのかよ。 足回りは「ひだ」のキハ85とほぼ同じだから登坂性能は問題無いだろ、登場時には宮峠より厳しい加太越えを「かすが」でこなしてたんだし
考えられるのは耐寒、耐雪面じゃないの? >>453
最晩年に孝子峠付近で目撃した
当時はDCには興味なかったのでカメラにも収めず。
ヘッドマーク付いてたのかなあ
その後に来た普通7001系の方が格好良く見えた 架線下DCは無駄なのかな?
結局電化区間との直通運転が本来の目的なんだろうけど、
あまりにも長い下線下DCは非電化→電化のターミナル駅で電車に運用を振り替えた方が運用効率は良いのかもしれない。
でも東京駅には早くから架線下DCは撤退したが、上野駅には平成まで架線下DCが残っていたな、
あれは茨城県内の中小私鉄直通運転の為の処置と、デットセクション対策だったのかな。 エキスポライナーのキハ58は理由がはっきりと解る。
常磐線だもんね。
使える車両に制限がある。 >>462
それはもったいないね
引退が知られるようになってからというもの、
R26の撮影スポットには撮り鉄さんが大勢いらっしゃいましたよ これだけ技術革新があるのだから
地磁気観測所との干渉を解消できる手立てが見つからないものかなあ
そうなればノーマルに直流でいけるのに ある程度予測はしていたが黒磯直流化絡みで黒磯〜新白河に登場ですな、但し一部の運用でしかも暫定っぽいが。 >>464
各鉄道会社の考えだと思う。
新幹線がらみで第三セクター化した路線で導入したり、名鉄のように
わざわざ架線を外してDC化した路線もあった。 電化後も千歳線を走っていたキハ22などを使用した普通列車(711系から受け継いだ札幌直通のキハ143は除く)
実はJR化後まであった >>470
名鉄のそれは合理化と言えば聞こえは悪くないが
実質は退化だったな
電車が撤退して、明らかに活気が消えた >>472
それって昔は活気があってもちろんその時電車があったからそれと比べちゃってるだけだよ
電車がある時代から活気は失われていたんだよ キハ10の振動は異常だった
2軸車特有の揺れに慣れてないからだろうが、ポンコツHLのほうがまだマシ
冷房が付いたのは大歓迎だったが、一部だったしなぁ 2軸車は相当デンジャラスな走行性だったみたいだしね。国鉄が最初に作ったレールバスのキハ01とか
最悪な乗り心地だったらしいし。
南部縦貫も旧東北本線区間はまだまともでもそれ以外は地震体験車で常に震度4〜5強に乗ってるみたいだし。 そりゃ100年ぐらい前にボギー車が考案されてから脱線事故が減ったというし しらゆきも457化できなかったのかな?
50/60Hz対応なのに >>477
やってやれないことはないだろうけど、457が3電源直通を目指して開発されたというよりも、455と457を補充するにあたり、技術的に1本化できるようになったから補充用に19ユニットの457が誕生したわけです。
補充が目的ですから仙台から鹿児島までの広域な分散配置になりましたが、仮にしらゆき電車化という課題があれば、例えば金サワに集中配置すればよいだけのこと。
そうすると答えは@当時、しらゆきは電車化する必要がなかった。A当時、しらゆきは電車化できなかった。となりませんか? 田沢湖線(現 秋田新幹線)が出てこない。
特急は485で普通列車は全部キハだったな。
ミニ新幹線ならなかったら今頃は701に変わっていたのだろうか? 全線電化区間でありながら、
秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、長年に渡ってローカル列車はすべて気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。
Wikipediaこれ本当なら確かにそうだな >>479
単純に非電化区間直通の「白馬」と「きたかみ」の併結区間があった。
電車化するなら「白馬」「きたかみ」の単独化や、糸魚川・秋田発着で短縮し、
それぞれ接続を取って「しらゆき」は単独走行にはありそうかも。
特に「きたかみ」は青森まで行く必要がなかった列車なので。
ただ急行「しらゆき」廃止までは、東北は多層建てDC急行が幅を効かせていた。
そうすると気動車急行の運用や、できるだけ直通列車にして急行料金の利用者負担を
抑える意味合いがあったかもしれない。
また「しらゆき」健在時は、「羽越」「むつ」「しもきた」も全線架線下DC急行だったので、
東北新幹線開業が迫っていて、電化前の体系を大幅に崩したくなかったのもありそう。 >>480-481
改軌しなくても701系にはなってただろう。
秋田運転所の701系主体で運用すれば、効率は悪くない。
県境の赤渕〜田沢湖の普通列車本数は最低限なので、盛岡口は東北本線と共通運用でできそう。
実際は秋田新幹線着工が701系デビューとほぼ同時期なので、あくまで仮定になってしまうけど。 北陸線電化後の彦根発木ノ本行きのDC 、サボがまた不思議な表示だったな。ながはま 上の方にちょっと出てるが、南海線のきのくに号の運転の仕方は国鉄DCと微妙に違ってた記憶が自分もある。
カーブから直線に移行する直前に盛大に変速ノッチをふかして加速の準備をする?エンジン音が高くなった。
直線でもあんまり惰行はなかったような気もする。70kmにもいかない表定速度だったが、それでも現場には
DCの性能は余裕がなかったそうだ。もっとも下りは早着したこともあった。
ただ、国鉄線に入ると乗り心地が悪くなった・・・。 山陽線のキハ82は?
「かもめ」は長崎・佐世保線のみが非電化 まぁ、分割・併合があるから仕方が無いが、「日向・なは」に至っては鹿児島線電化後も「なは」は全線架線下
それこそ、客車のほうがよかったんじゃ?と思う。当時の事だから20系の座席編成とか・・・ >>488
当時は「かもめ」と共通運用だっただろう。
編成組み変えれば、博多「まつかぜ」も共通だったし。
また山陽本線は優等列車全盛時、慢性的な特急型電車不足だった。
20系では座席キャパが小さいし、日中の居心地も問題だったろう。 >>488
客車の方が良いと思うのは何で?
電化区間は電気で走れってこと?
機関車付け替える面倒が増えるだけだと思う
所要時間も短縮できないよね? 北陸本線は架線下DCダメかな?
北陸トンネルが長すぎて。
金沢から敦賀まで各駅停車増やしてよって思う
七尾線の交直流車も越美北線の気動車も暇なときは北陸線に投入してよ そう言えば2010年の特急おわらがディーゼルカーの北陸本線走行の最後なのかな? >>489・491
ああ、共通運用でしたか。それはご指摘ありがとう。無理だったでしょうね。
電気ブレーキのある電車と違って気動車・客車は最高速度が上げられないから、電機牽引列車でもよかったかも、という妄想です。
20系でも寝台車を連結せず、ナハ20・ナハフ20にナシ20 あとナロもあったらオモシロかったと思います。機関車はEF60-500あたりを・・・・ >>492
特急白鳥はキハ80系で北陸トンネルを抜けていたぞ。
長大トンネルには違いないが、DCだからダメということは
ないと思うが。
ただ、わざわざ越美北線からDCを回送する手間を考えると
その可能性はないだろうな。 >>495
でもディーゼルカーの方がお手軽だろ?
そもそも1961年の時点で考えてみ
この時点でキハ82しか選択肢ないと思わないか? >>492>>496
「白鳥」電車化後も、急行「越後」「大社」が北陸トンネルを走行してたので、
気動車でも何ら問題ない。 東京地下駅開業、外房線電化の頃だったか、新宿駅でキハ55系が先頭の急行「犬吠」を見た記憶がある。この頃は東京周辺での架線下DC急行はキハ58系がほとんど。東北線や常磐線からは追い払われ、非電化区間が残っていた総武線、成田線の急行に使われていたのか。 >>499
夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも。
ただ気動車「犬吠」が新宿に乗り入れてた頃、中央線急行「アルプス」も一部気動車だった。
併結した富士急行や小海線直通などにもキハ55は充当されてなかったか? >>500 中央線DC急行はキハ58系化されていた。富士急行乗入れは、キハ58の富士急保有車(後に有田鉄道に譲渡された両運車)だろ。 >>496
越美北線はダム建設でいちばん最後に完成した区間に5200mのトンネルぶち抜いたが、それでも
北陸トンネルの2/3の長さで5173mの北陸線の深坂トンネルと大して変わらない。 トンネルで気動車禁止は青函だけ?
客車の発電エンジンは追加で防火対策したんだっけ? >>500
>夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも
東京地下駅開業、外房線電化の頃だよ >>499
常磐線では、昭和55年のダイヤ改正で九州から冷房付きのキハ58系が水戸機関区に転属して来るまで、キハ55系が急行運用に入る事があったよ。 >>505
房総半島一周が電化されたとはいえ、千葉以東の総武・成田・鹿島線方面の大半が非電化で、
「しおさい」「あやめ」新設前の千葉は、「気動車王国」と言われていた。 >>507
北総電化後も車両需給の関係で、昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で、余剰となった153系電車が幕張電車区に転入するまでは、気動車急行が残っていた。 >>508
と言うより、その改正前の銚子・成田方面の急行は、気動車オンリーだったろう。 >>507
千葉以東の総武・成田・鹿島線方面なんて夏ダイヤほぼ関係ないじゃん >>510
内房・外房線ほどでなくても、それなりの臨時列車の運転・増結はあっただろう。
当時の国鉄臨時列車は、今よりも半端なしに多く、派手だった。
また東京・両国〜千葉は、当然内房・外房線特急・急行も同じ線路を使ってたので、
そちらの夏ダイヤの影響で、銚子・鹿島方面の急行も影響受ける。 >>511
総武線が快速と切り離して錦糸町〜千葉が複々線化したのが全線電化の少し後だったから、今の緩行線に
両国からの特急だの急行を走らせる他なかった。今の新宿さざなみ わかしおが錦糸町から入ると同じコース。 >>511
だろうって言われても
実際どうだったか調べろよ >>514
いや貴方がきちんと調べないと
おかしなこと言ってるの一人だけだからね 米子〜出雲市まで
やくも6両で電車特急で、まつかぜ2両気動車特急なんだし。
各駅停車も電車4両、気動車2両の方が経済的なのに。
湖西線とかJR東海から117系貰えばいいのに。 >>516 普通列車で米子以東、出雲市以西の非電化区間に入る運用が相当数あるからなんでは?
117導入するんなら、伯備線に入っているだろ。 >>517
普通列車に出雲市から西だと江津や益田・米子(伯耆大山)から東だと松江や倉吉ら結構長距離列車も
あったような。
丹波路快速前に福知山線に117系を入れていたから、4両で嵯峨野線か伯備経由で米子や出雲市に
入れていた可能性もあり得たが。 >>516 伯備線北部から山陰線西出雲までは、ワンマン対応の2両編成115系改造車使っているわけだから、117をこの辺りに入れるとなれば、2両ワンマン化改造が必要だろう。
電化区間である米子・西出雲間の各停にしても、2両ワンマンのDC使っているわけだが、117を2両短編成化して入れる必要性は乏しかったということなんでは。
まあ、一方は原型のままで、もう一方は103系ATCのような切妻式前面にした117改造車というのも面白いかも。 キハ125系4連とかキハ120系の3連とか。
特急列車よりも各駅停車の方が運転動力費を食うなって。 >>520 鉄道とバスの対比も含めた乗客1人当たり運行コスト比較は、定員乗車を前提としたもの。
過疎地域でほぼ定員乗車の短編成DCと、同数の客を乗せながらより超大編成で乗車率が低い電車の1人当たり運行コストを比較した場合、前者が後者より高いとは限らない。
むしろ、前者の方が低くなることがある。だから、肥薩おれんじ鉄道は架線下DC化を選択した。 まあ、117系4連をそのまま山陰線米子・出雲市間に投入したってワンマン対応できないし、ワンマン2連に改造すると改造コストはかかる、非電化区間への直通ができないから柔軟な運用ができない、そもそも車体が老朽化している、という問題だらけだな。
運行コストだけでなく、閑散時は2両、ラッシュ時は4両で編成を柔軟に変化させられる、非電化区間に乗り入れられる、ということでDC投入がベターと判断したんだろう。 羽越線や田沢湖線を日常利用する場合に電化の恩恵は有ったのか謎だ
特にEF81+50系をキハ110で置き換えた前者は… 日本海とか白鳥とか電車化した方が良かったからじゃない?
新幹線みたいに在来線は直流なら全線直流、交流なら全線交流にすれば効率良かったのに。
東海道山陽EF58 EH10 EF65 EF66
九州ED76
北陸EF70
東北ED75
交直流EF81
効率悪いなって 交直両用が実用化されてなかったら
直・交の分化が徹底してただろうにね 東海道山陽 EF65 EF66
東北本線 EF58 EH10
日本海縦貫 EF60 EF61
という感じで 北陸本線が
敦賀から大阪方面は新快速電車、金沢から東京方面は北陸新幹線で
全線ICOCA対応になって乗客多くなって来たのよ。
余剰が有るなら気動車2両ワンマンでいいので本数増やしてよって思う スッキリした当日に孫娘厨房ガキはふだんあらへんそんな場所にひとのちんちん見んなぁぁあああああああああああああああああああ
消え失せろぉぉっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお なぜかここまで誰も触れていないのだが
紀勢線西側の急行が最後までDCだったのは
非電化区間の紀勢線東側や関西線
当時非電化だった奈良線、和歌山線からの
急行との併結を考慮していたと思われ 実家が常磐線沿線で、鉄に目覚めた当初は常磐線こそ架線下DCの天国などと勝手に思い込んでた小学生の頃 >>533
行動範囲が狭いのだから当然!
だいたい誰でもそんなもんだってw 乗り慣れない臨時の架線下DCに指導運転士らしい人と二人で乗務しているのに、途中駅で交代の運転士が一人で乗ってくると「おお!カッケー!」とか思った。
北海道・東海・西日本・九州・北海道のJR、東北や新潟ではフツーに一人乗務だと思うんですが、関東の首都圏だとねぇ・・・。 上野駅で「気動車運転士」の腕章をしている運転士を見ると「おお〜!カッケ〜」とか思った。 北陸本線金沢口では花嫁のれん(今はコロナ運休中)が走ってる。
475系などの電車改造ではなくわざわざキハ48を種車にしたのは、
のと鉄道穴水への直通も視野にあったのかと思っていたが、
のと鉄道が独自の観光車両を用意したためか未だ穴水乗り入れは実現していない。
のれん登場前には高岡のキハ47による穴水直通の臨時列車が何度か走った。
富山口では城端線直通の定期列車があるが、いつまで残るかな、今後も残すのかな。
福井口は越美北線がある限り福井駅までの運行は残る。 それ言っちゃおしまい
>>540
できれば複複線区間で電車とデッドヒート盛り上げて欲しい
鈍足の汚名を返上して欲しい それはワイドビューひだ、はまかぜで達成できてるし。
それよりデッドセクション区間で交直流電車だけでは乗客をさばききれなく
やむなく気動車も活躍するような路線じゃね。
下関門司の関門トンネルとか南今庄敦賀の北陸トンネルとか >>531
単に転入させる165系がなかっただけだろうw
新宮電化前は名古屋〜天王寺を走る特急「くろしお」、急行「紀州」も設定されてたのに、
電化後は新宮・紀伊勝浦で分断されたので。
非電化区間のDC併結なら常磐線急行「ときわ」のように、電車と気動車両方設定すればいい。
しかし急行「きのくに」全廃後、国鉄最後のダイヤ改正でローカル輸送用に165系が
転属してきたのは何とも皮肉。
中央線「アルプス」のオール「あずさ」格上げで、165系の余剰が生じたからだけど。 架線下DCの代表格は
出島かな
赤倉かな
出島は13両編成
赤倉はキロ以外キハ58とか >>545
「出島」は「弓張」併結でだろう?博多〜長崎単独で13両はなかったはず。
「赤倉」は中央・篠ノ井・信越のきつい勾配区間のためにな。
しかも普通車は全車非冷房だったし。 >>545
昔は電車特急と同区間の急行が気動車というケースが珍しくなかった。
表向き支線直通への配慮だが本音は電化の進展に車両が足りないから。
そのため東北・上越新幹線開業で電車が足りてくると
支線直通を切って容赦なく電車化するように
おかげで電化区間から外れた地域の衰退が半端ない
各地の電化運動に対して近隣地域は反対運動で足を引っ張るべきだったと思う。 >>546
>「出島」は「弓張」併結でだろう
常識的に考えて、ほとんどが併結だろ
13両は、出島6両+西九州7両 鳥栖〜肥前山口間
もっと以前は
島原直通が1両入ってたりすると13両だ
この出島、
鳥栖で15分停まって西九州併結して、肥前山口で西九州分2+5で分裂して
長崎(8両)/佐世保(5両)行
すごい芸当やってたよ >>548
この列車、鳥栖停車中に熊本行急行ぎんなんに追いつかれたなw
そのためあさかぜ1号で博多から乗り継ぐ場合、ぎんなん→出島・西九州で行く方が、
長崎・佐世保に早く着けた。 >>549 その場合、急行料金別々にかかるんだっけ。
周遊券で自由席乗車するのなら関係ないが >>550
かかる。なので長崎・佐世保方面行くには鳥栖の長時間停車を甘受する必要あった。
ただ当時九州は、特急・寝台券を無効印押さず強制回収だったので、
本州から周遊券利用であさかぜ1号を下車後に、寝台券を手元に残すため、
その手で長崎・佐世保に行った輩はいたかもしれない。20系終焉時期は特に。 >>550-551
自由席なら、ぎんなん号に鳥栖まで検札が来なければ、実際はそのまま1枚で行けたようなw >>552
車内アナウンスで
特急券・急行券のご使用は一回限りになります
この列車では新たになりますと
しっかり放送してたぞ
当時 >>553
規則的にはその通りだけど、バレてるかは別だろう。
当時そんな不届き者が多かったのか?w >>549-550
ぎんなん→出島は×
出島→西九州で佐世保は〇
よく考えると
不思議だ >>556
併結列車内の乗り換えは可ってだけの話だから不思議でも何でもないけど
国鉄、JRの都合で乗り換えが生じる場合は通算にして欲しいよね 自社に非電化区間がないにもかかわらず、国鉄直通のためにDCを用意した健気な鉄道会社
南海、名鉄、富士急、小田急 >>558
その4社では車両に独自思想を入れた小田急の心意気を買いたい
あとの3社はモデルが国鉄にあったもんね 磐越西線の喜多方〜会津若松間を非電化にしたいとJR 東日本側から自治体に打診が有ったそうだけど、自治体側は白紙撤回を求めてるそうだよ。
つまり上野から直通列車が走れなく成るわけだから、そりゃ自治体は猛反対するわなw 磐越西線の喜多方〜会津若松間の電車列車は現在2往復のみ。
上野直通するなら、東急からゆうマニ借りればすむのではないか。 往年のデラックス485系あいづの栄光が
忘れられないんだろうね。特急薩長とか、
朝敵成敗号とかを直通させたらどうなるんだろう? >>565
> 往年のデラックス485系あいづの栄光が
> 忘れられないんだろうね
あいづって上野-会津若松で喜多方まで行ってないよね?
ビバあいづ時代に延長運転はあったけど おらが町やおらが村に電車が来なく成るぞって
地元の人からしたら大問題なんだろうね。
しかし今さら非電化って時代を逆行してるな
磐越西線も早く改軌して、郡山から、
あいづ新幹線を走らせる考えは無いのかね? 子供の頃、国鉄は架線下DCの非効率を解決しようと153系電車+58系気動車や
451系電車+58系気動車での協調運転試験が実施したと聞いたな
結局、両者のパワーに差があり過ぎて良好な結果を得られなかったそうだが・・・ 男鹿線みたいにJR九州の「DENCHA」を投入すれば良いかと 会津若松駅を移転、郡山方面から喜多方方面に直通できる構造にすればよい
移転する敷地があるかどうかは知らん(無責任) かつて磐越西線がミニ新幹線の候補に上がっていたが、実現したら新幹線は会津若松止まりで、会津若松・喜多方間の電化廃止が行われていたのかもなあ。 薩長に楯突いたのがここまで尾を引くとは
会津白虎隊も夢にも思わんかっただろうなあ。
新幹線とはとても縁遠く、東京直通も絶えて、
紫煙くさい単コロ気動車がやってきて架線まで剥がされそうになるとは。薩摩は戦う時は勇敢
だが一度ケリがついたらさっぱり根には持たん。同情しさえする。だから西郷は北を向いている。
問題は長州だ。いつまでもネチネチ根に持って
末代に渡るまで冷遇しようとする。
二十一世紀は我が薩摩と会津の時代だ。相携えて長州を成敗しようぞ。 喜多方が没落したんでないの?ここ、昭和30年代初めには市制施行していて活気があったような。 >>572
新政府と戦争になった直接原因は北海道の函館と(当時領地でもなかった松前)をドイツの前身のプロイセン王国に売り
さらに松前藩を占領して港を作り軍事介入(植民地化)させようとしてたのがバレたせいでしょ? 変電所火災で電車が止まるって首都圏機能停止なんだから、今こそ、架線下DCを復活させてはどうか?
昔は急行いわてとかときわがキハ58.28が上野迄架線下で来ていたのだから電気を使わないハイブリッドな電車を作れば無問題。 磐越西線は新津側が直流なので、残りも電化するにはどこかにデッドセクション作らないといけないのがやっかい。
大糸線の一部が非電化なのと同様。
あと高山本線の電化が完成しなかったこととか。 >>577 磐越西線なら新津駅構内にデッドセクション設ければよし。
新潟まで直通の交直流電車は一日数本。他は交流電気機関車牽引の客車列車が新津まで、後には701系に転換し全部新津止まりになるからデッドセクション廃止。
大糸線にしても北陸線に直通させる必要なし、全て糸魚川止まり。糸魚川駅構内にデッドセクションは不要。
高山本線は381走らせるなら富山まで直流電化。こちらも北陸線に直通させる必要なし。富山駅構内にデッドセクション不要。
まあ、輸送密度が低く新型気動車導入で間に合うのなら、電化する必要なし。 >>577 >磐越西線は新津側が直流なので
新潟・新津間も磐越西線と思っているのか? >>576 ただ、信号や通信系統用の電力って、架線用のとは別系統なんでは?
今回の変電所火災で信号系統までアウトになったんだろうか? >>580
別系統だけどそれがアウトにならない保証はないよね? >>580
信号用電力はレールから給電してますよ。、列車無線とかは非常用のバッテリーが有りますよ >>578
仙石ライナーに気動車を投入したときはびっくりした。
当然交直の電車が投入されると思った。
石巻線直通も現状1往復のみ。 紀勢本線亀山から新宮なら両端直流だし電化すると面白いだけど。
南紀を電車にするほど需要なさそうだし。伊勢鉄道回りから亀山回りになるから、時間増だし。
南紀としなのが共通運用になるぐらいかな。 >>558
南海は国鉄と色々あった
のちには乗入れと引換に中古特急車の押し売りまで掛けられそうになった スレチっぽくなるが南海がいいようにされたのは国鉄よりも大阪市
どれだけ権益を失わされたか
お上に弱い伝統でもあるのか >>588
梅田乗り入れ計画→モンロー主義の大阪市が四ツ橋線作って妨害
逆に大阪市がモンロー主義破って御堂筋線中百舌鳥へ→泉北の客吸われる
都市計画で岸里高架化→汐見橋方面分断したまま工事終了 >>558
名鉄以外は国鉄に運命を翻弄された感があるね
第二の人生を全うできたのがせめてもの救い 富士急キハ58は3両だったね
随分と思い切ったことを… この3両分の予算を電車に振り向けていればモハ3100並みかそれ以上の新型電車が入っていたかもしれない >>593
きのくに廃止直前に市駅まで電化されたんで
59年10月-60年3月のわずか半年弱だが南海直通も架線下DC >>597
>自社に非電化区間がないにもかかわらず、国鉄直通のためにDCを用意した健気な鉄道会社
には該当しないだろ >>561
朝一番の給油〜回送スジ設定に苦労したそうな >>452
函館といえば富良野方面や留萌方面行を併結するDCかむいがあった
なよろ、紋別はぼろとともにライラックやホワイトアローに格上げされた 四国の繁忙期のいしづち、しまんと(高松-多度津)にDCが使われたことがあった >>594
3両目は便所無し・両運転台
独自寸法の戸袋窓が目を引く 用済みになっても有田に引き取られて寿命を全うできて良かった 名鉄北アルプスはパノラマカーより室内の造りが良かった
思えば生涯でずっとパノラマカーばかり注目されて気の毒だった 走る区間が限定されてたのも不利に働いた
パノラマカーは支線にまで進出して知名度を高めた 湖西線永原から北陸本線敦賀方までの普通列車に交直セクションを気にせず運転できる気動車が使われていた。
当時敦賀運転所に小浜線を走る気動車が所属していたからできた芸当。