懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
トロリーバスは何故やめてしまった?
電気のほうが有利ではないの? >>298 トロリーポールが架線から外れやすいという問題点。無軌条電車であるから、パンタが使えない。
バスの性能が向上し、架線不要で小回りが効くから、トロリーバスの優位性が薄れた。 >>283
黒部のあそこにも普通のバス入ってたんだっけか >>296 上野・水戸間で485系の特急ひたちが1時間20分位で、電車の急行ときわより15分早い。
急行に比べ停車駅が少ないものの、たった15分の時間短縮と車内設備が良いために、特急料金を支払わされていたわけだ。
同じ値段の急行料金取られるのに、電車に比べ10分遅く、しかも音や振動が大きいというのであれば、水郡線方面まで乗り換えなしで直行したいという客を除き、「はずれ」と感じるんではないかな? >>298
>299の言う通りなのだがもう一つ追加。
トロリー線とそれを支えるワイヤーで道路の上はクモの巣のようだった。
「東京には空がない」と千恵子が言ったのはそのせいです。
というのは嘘です。 >>292
豊橋から朝の通勤特急に新名古屋まで乗ったよ。 >>301
気になってDCときわ、ECときわを昔の時刻表で見比べて見ましたけど、ECときわでもDCときわと大差ないものもありますよ。
しかし、振動や騒音もそんなに気になるか? >>305 74年夏のダイヤ、臨時は除外し定期列車だけ、上野発の下りで途中停車駅が我孫子、土浦、石岡、友部というのが、EC3本、DC2本あるので、これで比較。
ECがときわ1号、6号、10号。DCが同5号と8号。
上野・我孫子間(33.5q) EC 27〜28分、DC 28〜29分
我孫子・土浦間(26.5q) EC 23〜25分、DC 25分〜28分
土浦・水戸間(51.5q) EC 39〜40分、DC 44分〜45分
土浦まではあまり差がつかないが、土浦より先で差が開く。
上野・水戸間(117.5q)では、EC 90〜91分、DC 98〜101分。
土浦・水戸間の表定速度 EC:77.3〜79.2Km/h、DC:68.7〜70.2Km/h
勾配やカーブの少ない常磐線であっても、ECとDCでこれだけの差がつく。
「ときわ」でないが、「陸中・よねしろ」に乗ったとき、エンジンの音がうるさいこともあって、ズーズー弁でしゃべる隣の客の声がききうらかった。
>>298-299
でも旧社会主義国を中心にトロリーバスは健在だよ
トロリーバスは架線が2本必要なのは欠点だけど、路面電車よりも自由が利くし加速もよい点は評価してよいと思う
ただ当然地上設備が必要だし、経路の変更等も簡単ではない。また日本ではもともと普及していなかったため車両価格も高かったのではないかな
その点ではローカル列車で交流電車がコスト面や地上設備等で、NDCに負けるのと同じ理由だろう >>306
区間117Kmに対して10分しか違わないのに、電車との協調運転なんて考える?
これを問題視していたなら、まずはキハ58やキハ65主体の編成にするでしょ。
1974年がどんな状況だったか思い出してごらんよ。
考え方が現代に寄り過ぎじゃない? >>309 当時の技術では難しく、コスト・パフォーマンスが悪かったから強調運転は実現しなかった、ということだと思いますよ。
急行から特急主体へと転換図っていた時期でもあるしね。実現可能性が低かったことは百も承知。
それとは別に、架線下DC急行がEC急行に比べて「遜色」であったということ。 >>310
あなたの言う「遜色」とは騒音や振動のこと?
私は>>305氏と同様、特に気にしたことはなかった。
その時間に特急ではないその列車が存在すること、これが最も重要だったかと。
あえて気動車の「遜色」を挙げるなら、電車と比べて冷房化が遅かったことか。
夏季はなるべく電車急行を選んでいましたね。 当時常磐の荷物輸送もキロ58の成れの果てのキニ58で単独行動だしな。
仮にクモヤ440を使ってもし常磐にもクモユニ クモヤがあったら多少変わってくるからな。
403系 415系の後ろにクモユニ441とかクモニ441とか連結さるてればなあ。 「遜色」と言うならせめて60系客車くらい持ってこなきゃ
九州あたりだとキハ58系の急行運用車は冷房化済みで定期で非冷房急行はキハ66・67が入る前の日田・はんだと門司港〜西鹿児島の夜行急行2本位だったし
日田・はんだはあれはあれでキハ55系かキハ58系の修学旅行仕様が運用に入っててなかなか趣があった >>313
九州にはキハ65という名の電源車があったから、キハの冷房化も早かったよな。 気動車需要が高かった長崎本線系統や日豊本線系統の急行が大した峠越えが無かったのも大きい
その分豊肥本線系統や肥薩線系統にキハ65を集中投入したので非力なキハ28電源車も活用出来たから >>312
郵便荷物車は、電車では旧国改造、気動車では元電気式改造など常に低コストを要求される
交直流電車には適当な改造種車がない上、高価な交直流電車の新製も考えられなかった
郵便荷物車では気動車か客車を残すかしかなかった
もし常磐線で荷物も電車を使いたければ、クハ401の前部をアコーデイオンカーテンで区切って荷物を積むより他はないだろうな >>316 上野発であれば、クハ401の半室を荷物室とする方式を取ることができたのだろうけど、隅田川発にしなくてはならなかったから荷物気動車を造らなくてはならなかったということかな?
常磐線にも仙台行きの急行荷物列車が走っていたが、荷物気動車は関東北部、水戸周辺までの新聞ないし手小荷物輸送を請け負うものと、役割分担していたのだろうか。 >>300 ないよ!
その為(トンネルない有毒排ガスの充満防止)のトロバス。
>>303 長い事使っていた旧型は,60年代のバスのデザインを保っていて最高だった。
観光路線なんだから TDLリゾートクルーザーみたいにレトロなデザインにしてくれんかね? >>283 >>300
かつて東京都内で走っていたトロリーバスのうち、国鉄や私鉄と踏切で交差
する路線があったが(品川駅−池袋駅間だったかな?)、両方の架線の電圧
が異なるため、トロリーバスの架線のほうはこの踏切の部分だけ途切れて
いた。
そのため、トロリーバスは踏切横断時はトロリーポールを下げて、エンジン
を起動させて走行(踏切を横断)していた。 機関を積んだ・・・モーターを動力にした意味無いじゃん
架線からの離線トラブル
この2点がトロバスの運命を決定つけた。 自己レスだが、品川駅−池袋駅間の系統ではなく池袋駅−亀戸駅間の
系統だった。(国鉄山手貨物線池袋−大塚間、東武伊勢崎線曳船−
玉ノ井間、東武亀戸線小村井−東あずま間、京成押上線京成曳舟−
荒川間にある踏切で交差していたため、この区間のみエンジンを起動
させて走行していた。) キハ40に置き換える前の烏山線はキハ10系気動車が宇都宮線に乗り入れていたっけな?
私が生まれた時にはすでにキハ40に置き換わった後だし…。
過去には、キハ10系で石橋駅まで行き、石橋駅から折り返して、宇都宮〜宝積寺〜烏山まで行く列車も存在していた。 >>320
別に意味ないという程のことはない。
大半は電気で走れれば良いわけだし。
架線がなければ即立ち往生するバスって、入庫とか考えるとあまり実用的ではないのでは。
高性能なバッテリーがない時代であれば補助エンジンは現実的な解かと。 大阪じゃデッドセクション設置して片町線の踏切架線集電のままトロリーバス走行してたのにな >>323 否々メンテや複雑になる構造、電車線のメンテコストを考えるとね・・・
車両だって量産されている 普通のバス方がはるかに安いし
少なくともコレは、川崎と横浜の廃止理由要因の1因だよ。 >>325
どうしても設備にかかるコストがね
横浜が車両更新もそうだし、市電廃止に伴う変電所の問題も大きかった 鉄道のほうが線路敷いたり駅造ったりもっと金かかるだろ
1日数往復の単行列車でこと足りる地域交通を鉄道に担わせた理由がさっぱりわからない 道幅が広く輸送需要と交通量が少ないて条件ならトロリーバスは適合するが
そんな都市は北朝鮮みたいな所だけしか無い >>325>>328
しかし、なぜこれほどトロリーバスが非効率なのに、現在でも欧州中心にこれだけ残っているかだな
それこそ一日数往復の地域交通を鉄道に担わせている以上にわからない >>329 欧州といっても、主にロシアや東欧諸国だよ。それらの国々でも、近年、トロリーバスの縮小、廃止が進んでいる。
冷戦期までトロリーバスが都市交通の重要な役割を占めていたのは、社会主義諸国において自家用車の普及率が低いことと、バス等内燃車両のエンジンの改善がなされず燃費が高いままだったからではないかな。 >>327 だから軽便鉄道も普及したじゃん。
日本で最初の本格的バス(円太郎バス)が出たのは関東大震災後
それに道も酷い代物だったし、・・・地域により雪害とか
また 個人経営の多い路線バスでは定時性や運行の確実性もかなり怪しかったのでは?
1067mmの場合省線と線路を繋げば貨物輸送の利便(直通)もあったでしょ。
戦前はやはり地方都市において最強かつ最重要の移動インフラだったんでしょ。 社会主義国は国家のインフラ整備に傾斜してるから道路やストラクチャーなんかは立派な一方で交通量はさほど増えない
長時間閉鎖して大規模な軍事パレードがやって影響無い環境は西側諸国では聴いたこと無い
北朝鮮や旧ソビエトの無駄にインフラ整備されてる割に人影まばらな都市が典型例
こういう街でこそトロリーバスや路面電車が生きる >>333 全盛期に比べ大幅に縮小した日本の路面電車や非電化ローカル線において、その存続のため新型車両が導入されていることと似たようなもの。 でも法規関係の試験はどうなん?
乙種クラスの知識は要求されるんじゃなくて? トロリーバスは路面電車と同じ軌道線扱いだよ・・・・・ トロバスって制動どうなのかね?
普通にフットブレーキで油圧のみ? 排気ブレーキがない分、抑速ブレーキはあってほしいな。 仙山線停電8時間閉じ込め事故は架線下DCなら問題なかったのに、
仙台や山形にキハ40かキハ110ぐらいいるだろ?
EC/DC協調運転はこういう時、意力を発揮するんだぜ。
アタッチメントがないのか?
もし無いならば、キハの先頭車を双頭連結器に交換するとかしとけよ!
ttp://www.xanthous.jp/2014/12/03/senzan-line-stop/
ttp://www.sankei.com/affairs/news/141203/afr1412030005-n1.html 国鉄時代大鉄局がキロ65の「ユートピア和倉」を「雷鳥」にぶら下げていたが、殆ど
金沢に延着していたな---奇妙に其のスジの「雷鳥」に度々乗車したので。
>>336
トロリーバスは日本語で「無軌条電車」だろう。
以前に話題に上っていた「出羽」のキロ28に夏乗車したが、宇都宮辺りから眠っていたのに
福島で「マイクのテスト中」放送でたたき起こされて、みんな怒っていた。
板谷峠でエンジンの唸りが大きくてまどろむどころではなかったが、小鳥の
さえずりが聞こえてきたので癒された。 >>346 現場までDC持ってくるよりも、DL持ってきて牽引すればいいだろ。
今回、現場近くに道路がないし、倒木があったため、除雪や木の排除に時間がかかったということなんでは?
まあ、馬鹿も休み休み言えってんだ。 昔の東北地方なんて,
○○本線電化といっても
電車だったのは特急列車と一部の上野直通急行と「あぶくま」「くりこま」「仙山」のみ。
他急行はDCがあたりまえ。
普通列車は客車列車か間合使用のDC。
昭和50年3月改正当時で,東北六県で電車普通列車があったのは
仙石線:仙台〜石巻間
東北本線:白河〜郡山間(「あぶくま」崩れ)
奥羽本線:山形〜羽前千歳
仙山線:仙台〜羽前千歳
417系はまだなかった。 架線下のDCから外れるかもしれないけど、EL牽引の客車列車にぶら下がって、途中から単独DC列車になるのが、東北線であったような記憶が…。具体的には思い出せない。 昭和の終わり、近江鉄道にレールバスが登場したものの
車体が小さく朝夕の高校生を捌き切れないから短期間で姿を消した。 同時期には、名鉄でもレールバスが非電化区間となった閑散路線にて営業
運転を開始したが、そのうち三河線の両端(山線の猿投−西中金間、海線の
碧南−吉良吉田間)で運転されていたレールバスは、基地の猿投検車区と
海線区間の送り込みと送り返しを兼ねて、猿投−知立−碧南間でも1往復が
架線下で営業運転されていた。
猿投(碧南)発知立行きで運転され、知立到着後に折り返し碧南(猿投)
行きで運転されていたが、そのまま通しの乗車も可能で、末端区間の廃止
まで運転されていた。 >>346
キハ110は密連じゃないの?
素朴な疑問。
双方に異なる電気連結器が付いている場合、単純な連結もできないの?
だとしたら、とても不便な気がする。
スレチで申し訳ないと思いつつも、回答をいただけると嬉しいな。 >>354
郡山工場へ入出場の時はED75牽引だから自連じゃないかな。 >>354
出来ない。連結すると電連ピンが電連カバーを押して端子が露出
するので、互換のない信号や電源が接触してショートしかねん。 逆ケースで「非電化EC」はグッと少ないね。架線がなければ客車同然、いや、電源確保や簡易ステップの準備、
必要に応じて連結器交換etcなどの手間や費用を考えれば、客車より大変だ。
つぅか、一部のECを除き、殆どのECはそうした旅客運用を前提とした設計をしていないから当然なんだけどさ。
そこを行くと気動車は万能的存在だな。高速列車が往き来する電化区間でのダイヤ作成で多少の労苦はあろうが、
かつての妥協の産物的なものではないことは確かだ。 >>356
ピンの位置が同じで緊急用に通電offスイッチがあれば… と考えもしたんだよね。
まあ、あとから名鉄の例を思い出したんだけどorz
スレチにも関わらず、お付き合いいただき有難う。 >>357
草津、はっぴーきよさと、有明
他にあったっけ? >>358
今のは電連だから無理だろう。
そう言や73系と101系も併結運転は無かったな。
電車はモーター出力の関係から、同車種じゃないと連結できないんだろうな。
でも231系とE233系は出来るはずだがな。 >>360 72系改造のクモユニ74と111系の併結など、吊りかけ荷電と新性能電車との併結が当たり前に行われていたんですがあ・・ >>361
それは協調運転の事じゃ無くて、均合い運転の事じゃないの? >>362
京王や西武では普段から吊り掛け車とカルダン車の混結やっていたよね。最近だと、江ノ電と箱根登山かな? ..>>364
小田急も4000系吊り掛けと5000系平行カルダン車の連結があった。
制御機器関係が共通だと出来るんジャマイカ。 >>365
それ初耳。
更新後の4000系と勘違いじゃなくて? >>363
協調運転と均合い運転とかそんな話してないだろ
>>364
昔の銀座線も忘れるな ぶっちゃけ電制&回生車と空制オンリー車とかブレーキ系統の同期がとれれば問題ないんじゃない?
ツリカケとカルダンでも、但し モーターや制御装置の特性が大きく違う場合
此処の車両の機器にストレスを与えるので好ましくない 制動感覚の把握が難しくなったりや制動&加速時の挙動がおかしくなるのでは? 吊り掛けとカルダンなんて、気動車との協調運転に比べればずっと容易だろ。
そりゃ、カルダンの性能、機能を最大限に発揮できなくなるけど。 50年位前の話だが、山陽本線の瀬野八が電化された当時、151系や153系はMT比1対1のため補機を付けて峠越えをしたという。
キハ82系DC特急のかもめやみどりは、補機なしで走行したのか?
関東の人間で瀬野八はよく知らないもので・・ >>370
ググッたら82系単独で越えていたようですよ。
スレちだけど、瀬野八と聞くと、西村京太郎思い出す。 >>370
151系や153系って東海道専用、坂道弱々仕様だからな 東武のDRCだったら、瀬野八、補機なしで楽々だったのかも・・
6両オールMを2編成繋いで堂々の12連、だが食堂車がない。 >>371
そういや板谷峠も特急型はキハ181系でさえ補機付だったのに、
キハ58は単独峠越えだったなあ
特急型に比べてサービス電源が不要で身軽だったためだろうか
キハ181系はラジエータの問題らしいけど キハ58と言うか旧世代気動車は速度低下に目をつぶればそれなりに勾配に対応できるよ
エンジン2台搭載とか補機連結とかはこの世代に関しては速度向上が主な目的
5ノッチ5分制限対策もあるけど キハ30がハチ公線の金子坂をヒーヒー言いながら登ってたっけ 来春から北陸新幹線開業による北陸本線の経営分離によるえちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン
転換区間とそれのET122が乗り入れるあいの国とやま鉄道転換区間の一部が仲間入りだな。 >>375
ちょっと架線下DCという範疇から外れるけど
旧世代気動車の2台エンジンは速度向上が目的でなくて、やっぱり勾配線対策かと。
というのも、御殿場線でのテストで、勾配区間で変速機油漏れなどがあり、このため
2基エンジン車出現までは、勾配線は依然として蒸機列車主体だったという記載を読んだ
記憶がある。 >>365
ところが同じ小田急で旧国鉄63系払い下げの1800と4000吊掛けを連結したら脱線続出で
連結自体やめた例もあったりも。
4000自体の機器の出力が1800より低くて1800のが勝っちゃうんだっけ?。
瀬野八と言えば貨車より機関車のが勝っちゃってせりあがり脱線する危険性から生産打ち切りで
EF59の代わりさえならずにさらに先になくなったEF61-200の例がある。 あともう一つあった、HB-E210による東北仙石ラインも来年6月に仲間入りするね。 東北や常磐の臨時急行はほとんど客車か気動車。
高価な交直流式急行電車は定期列車分しか製造しなかったのだろう。 >>381
12系や14系座席客車がまさに、そのコンセプトで。
伊豆急下田まで14系客車の臨時踊り子号が走っていたなんて
現在では考えられないよね。185系より停車駅少ない割りに
最高時速が出ないし、加減速も悪いから、鈍足だったし。
一方、その前では定期列車は雑客で、臨時は12系って下剋上の夜行急行もあったような... >>382
その通り。
津軽、鳥海、能登、越前、だいせんなど日本海側を走る急行はほとんどだった。
12系の定期急行はきたぐにくらいだが、
北陸トンネル火災理由素直に喜べない。 今で言えば羽越本線村上〜酒田間普通。
来年から糸魚川〜直江津間もそうなる。 電化区間で完結するDCの列車はもちろんとして、
今で言えば岡山ー宇和島直通のしおかぜや、大阪発着のひだ等の非電化区間への乗り入れで長距離架線下を走る列車はどうだろう。
あとはオランダ村特急やキハ201の協調運転も。 >>386
烏山線の方が距離長いんじゃないの?
営業路線じゃ無ければ新金線のDE10チキとか。 戦前の阪和電鉄を立ち上げた関係者は、20数年後に
国鉄形電車に席巻されるどころか、国鉄形車両全般中でも紀勢本線に向かう気動車が走るこのになるとは、よもや・・・。 >>388
烏山線(直通)は非電化下EVも走る路線で色々ロマンがあるな >>387
非電化区間に乗り入れる以上DCなのは当たり前だからなあ
「そもそも」であれば電化区間しか走らないDCのことだわな
このスレの定義とは違うけど
>>386
北藤岡駅のホームよりは手前だけどあそこも北藤岡駅構内だから手前ではないな 電化本線から非電化盲腸線への直通列車は架線下DCが多いし効率が良いのだろうな。
吾妻線なんかは早期に電化されたからC11の客レ時代から、
一気に、電車化と成った。
現在でも東武妻沼線が残っていたら、上野〜妻沼までキハ30系系列か、キハ58・28どちらかの
形式が直通乗り入れしてたかもしれん。 そうか、東武熊谷線へ乗り入れるとまで考えちゃうか… 俗称で妻沼線とは言ってたけど
東武妻沼線という人は初めて見た 帰省でお馴染みだった急行ときわも春休みにはもう無いのか・・・・ 赤倉は遅くまで('82-11)DCだったのもさることながら、DC時代の最後まで
編成中の過半数が非冷房のままで残っていたのも奇異に感じたね。
3・4号車のキロを挟んで、1・2号車のキハ58×2(指定席)が冷改、5〜10号車の
キハ58×6(自由席)が非冷、と厳然と区別されていた。 始発駅から終着駅まで全線架線下を走行した
国鉄DC特急も忘れないであげてくださいな。 >>397
ひばりとひたちと臨時雷鳥以外に何かあったっけ?