懐かしの【架線下DC】について語ろうVol1
>>211
もちろんそういう意味だけど確りと定義付けしてできた言葉じゃないということ
だから違う意味で使う人がいても責められないよ
それに例えばしらゆきは全線架線下だがひめかわは大糸北線走るわけでそういうのでも意見は別れる 上野〜福島〜山形〜秋田をキハ25・58で走っていた急行おが1号
グリーン車以外にエアコンがなくて夏は暑い列車だった 急行羽越や急行しらゆき越後など架線下
DCという言葉には電車になりたかったが
457系不足なれなかった負け犬イメージ急行越後の場合は急行立山が富山からは快速電車として電車化されたから尚更。 架線下DCは直流区間でのデットセクションとか交直切り替え区間とか関係ないから、
ウテシにとってはDC運転の方が、信号とATSだけ注意すればいいのだから、
少しは運転が楽なのかもしれないな。 大阪-金沢間のDC急行「越前」が速いのと金沢-大阪間の時間帯が良いので何時も上下とも満員だった。
「越前」が運転し出してから503レ「立山」が空いて来て、富山行きの客も金沢で
鈍行に乗り換える人々が大勢居た。
金沢から大阪への時間帯が物凄く良かったし、4-5時間のビジネスでは日帰りが
可能だった。 宇和海は1時間ヘッドでもゲロ込みで今度増車するんですが
鉄道マニアは1回自分の乗った時の印象を線区の実情として語るからいけない
しかも特急券は通算なんですけどね…
鉄道マニアは電車大好きで制度に興味を持たないからいけない 架線下DC・・・電車がメインで高速運転していると、DCの運転士は常に加速運転を強いられ苦労する。 かつての急行「たかやま」の東海道本線の走りっぷりは圧巻だった。
新快速とのデッドヒートは、フルノッチでエンジン喘ぎながらの力走と言う悲愴感は、今でも忘れない。
高槻に新快速停車しても京都の手前で軽くちぎられたがwww 急行「きのくに」や「赤倉」は振り子式の急行型を新製すべきだったな >>221
DMH17だとフルノッチ連続5分で火吹くけどな >>222
南海はきのくにを電車化しようとしたが
485系でしようとしたが駄目だったなorz >>223
電GO2だったかな?上りの「たかやま」ダイヤがあったけど、まさに火を吹くダイヤでしたww ええ?急行「たかやま」が京阪神で爆走してた?
俺は新快速で抜いた時に相手は止まっているように見えた。 たかやまは一応キハ65が入った時代もあったけど、最終的にはキハ58+28だったんだよなあ。
インディ500の新快速にハコ車の58が挑むようなもんだった。仮に65が入ったって大して変わらんだろうな。 >>226
川上哲治じゃないんだからw
「たかやま」の晩年に乗車した時の記憶では、優等列車なのに緩行線を走ってた。ややもすると、緩行電車にもつつかれてたかも?
>>>>>>>>>>>>>>>>>> 広域運用スレに出てたが、金沢・青森間の「しらゆき」と仙台・青森間(北上線経由)の「きたかみ」って共通運用してたんだな。時期によって異なるだろうけど。
分割併合容易で、非電化区間含め広域運用できることがDCの特徴。
だから、架線下DCが結構な数、存在した。 「しらゆき」には坂町→大館間の乗車だったが、停車駅が多かったし普通車指定席
でも冷房無しで、秋田から「あけぼの」に併結だったが羽後本荘近くまで暑かった。 まあ国鉄時代のDCがあまりに非力だったから問題だった。
82系や58系は加速が悪いし、どんなに頑張っても100キロ以上出なかった。
65系で本当に燃えたやつあったよね。電車と協調運転だったからかな。 >>231
「マリンビュー」て臨時列車扱いじゃなかったっけ?
それより、福塩線のことを忘れないでください。 神辺―福山間に井原鉄道が
3往復ばかり乗り入れているんですけど。 非電化区間から電化区間に乗り入れるのは仕方ないし
これからも残ると思う。
始発から終点まで架線下を走り通すのはもうネタ切れかな?
あと架線下を走るSLも残ると思う。 ちょっと前まで広島〜新山口間に1往復するキハ47系6連の普通列車あったな
元は気動車のやりくりの関係で回送運転してたのを営業列車に仕立てたものだが貨物列車に抜かれまくるやたら寝たスジだった >>233
土日運行の快速扱い。ダイヤにも載っている。 旧国の巣窟だった時代でも可部線の電化区間に冷房付きのDC列車が殆ど乗り入れなかったのは、
加減速性能の所為? >>238
だってその時代、加減速どうのより、冷房付きの一般型気動車なんてキハ66・67くらいじゃんて。 国鉄線上を走る冷房付き気動車で特急型や急行型「ではない」と言う条件付きなら島鉄のキハ2600が居るけどな
一応 >>234
肥薩おれんじ鉄道や、えちごトキめき鉄道もあるからねぇ
電車はコスト高杉だわ >>242 JR貨物の場合は知らん(JR貨物は当該三セク事業者の線路を借りて貨物輸送を行う)が、
基本 乗り入れる場合は、(相手社のクルマを借りる)でしょ。
その為の電気設備の維持管理&電力使用 費用とかで相殺、若しくは収支的に車両保有会社に支払うなるんじゃね? >>243
JRFの場合乗り入れじゃなくて自社線
二種鉄道事業者だから
この場合では一種鉄道事業者の三セクに線路使用料を払う
その時、電化設備を貨物専用とするとそれは丸々貨物走行用の設備ってことになるから電化維持の費用すべてをJRFに負担してもらうことが出来るんだよ
もし、肥薩おれんじ鉄道が電車だったら、その電車の運行に必要なものだから、貨物が通ることによる維持費増加分しか負担してもらえなくなる アボイダブルコスト方式でググれって言った方が早いな
気動車の方が車両単体の運行経費は2割ほど高い >>245 ふ〜ん?
旧式化した電車を使い続けるか、高くつく電車を新製する場合に比べ、軽量小型の気動車を新製する方が運行コスト考えても全体で見て安くつく、ということなんでは?
肥薩おれんじにせよ、名鉄のレールバスにせよ、そういう発想なんだけどね。 >>245
アボイダブルコスト方式はJR貨物と旅客会社間での話ね
JR貨物は取り敢えず、フルコストに基づく費用負担を行っているんだよ
フルコストとアボイダブルコストとの差額を調整金としてもらってるけど
>>246
肥薩おれんじの場合は特殊なんよ
名鉄や近江とは違う
名鉄や近江は結局失敗だったし >>245
国鉄時代の「数字で見た国鉄』1979版より:−
動力費(10t牽引で100km走行時)
新幹線@¥639.-、気動車@¥523-、電車@¥508-、DL@\483-,EL@¥282-
蒸気機関車は出ていないが破格で高いはず。
この費用はは現在の数値でも順番に余り変化が無いのではなかろうか?
皮肉なのは消滅しつつある電気機関車+客車列車の動力費が一番安い事だ。 肥薩おれんじの場合、交流電化ゆえに営業用だと1両に機器を積みきれず最低2連になるそうなので
ちょうど中間地点の出水にある車両基地で単行DCを柔軟に増解結した方がいいってことなんだろう 肥薩おれんじの場合、中間地点の出水で客の流れが分かれるというか学生なので出水境に混雑する時間分かれるからね。 >>248
もっと昔のたぶん1970年ころに1万円の動力費でどこまでいけるか?
という大きなポスターが何故か駅構内に出ていた。
やはりEL+客車がダントツで東京から静岡くらいまで行っていた。
次がDL+客車、EC、DCだったと思うから合っているね。
あとDCは維持費がかかると思うが、
最近のバスのエンジン使ったような軽快気動車は結構、維持費安いのかも。 >>251
というか今の交流電車など電子機器の塊のようなものだから、田舎の中小企業には
手が出せないでしょ。だから結局メンテはJRかメーカーに外注するしかない。
気動車なら地元のバス会社の技術も使えるんでないの。 >>248
北近畿タンゴ鉄道が電車導入を検討した時のデータに数値が出てる
>>252
最新NDCやキハ122・127は電車と同じ完全ブラックボックス かなり横道だけど、動力集中が効率的ということはわかるけど、編成両数にもよるでしょ。欧州でも短編成では昔から電車気動車が主流だったし。
それから電気車でも直流・交流・交直流ではどうかという論点もあるね。 国鉄末期だったかなぁ、日中の日光線で宇都宮〜鹿沼の区間列車が数本設定された事があった。
たしか供用期間中の乗客の多寡によってその後も残すかどうかと言う列車で“α”の記号を付していたと思うが、
そこのところはちょっと自信がないorz。
僅かな期間と区間であったが、関東地方で見られた“全区間架線下DC”でした。 >>254
確かに機関車一両に客車一両じゃ効率一番悪くなるね。
日本の在来線は長大編成は大都市近辺に限られ地方に行けば1〜2両が殆ど。
つまりDCが一番効率がいいということになる。
それが都市部に乗り入れて架線下DCとなっているのが現状と思う。
スレタイにもあるようにあくまで「懐かしの」であるから、
やはりここは昔話で盛り上がるのが楽しい。 国鉄〜JR初期はローカル幹線は客車も多かったからね
機関車用意するなら、架線下DCの方が楽という面もあったろう >>257
国鉄時代の交流電化幹線のローカル列車は、ほとんど客車か気動車だった
交流・交直流電車は都市近郊に限られ、当時から交流・交直流電車はローカル用には高コストと見られていたんだろう 交流、交直流電車が高コストに見られていたと言う考えもあったかもしれないが、従来のPCやDCをECに置き換えるには
EC基地を拡張したり、新設する事が必要となる。電車は都市輸送に適しており、回送の経費や手間を抑制するために
都市部や始発駅至近に設置する事が理想とされ、現にそうなっていると思う。
そうなると地価が高額な都市部のEC基地の拡張や新設のための建設費や用地取得を含めたコストも見積る必要が出てくる。
従来からあるELやPC、DCの基地設置も残し、まだ使えるEL+PCやDCの列車を残した方が最良と当時のソロバンはこう
はじき出したのだと思う。 交流や交直流の場合、旧国に相当する車両がない。
直流区間は中古の旧国通勤車を、そのままローカル運用に転用することができた。
交流ないし交直流のローカル輸送用車両を新製するにしても、それは時期早尚とみなされた。 米原口ローカルは電化のはるか前に蒸気動車を導入してる
電化後は当然架線下DC
間接接続やら柳ヶ瀬線やらで非電化区間が絡んでいたから
純然たる全線架線下DCになったのは結構遅いが ところで何で交直切り替えは黒磯方式が普及しなかったんだ? >>262
設備費、維持費が高い!
構内作業が複雑!
通過列車には選別装置が必要! 日豊線の佐伯〜延岡なんて
わざわざ大分から運用組んでまで
単コロのキハ220使ってるよなあ。
あれこそ復旧を手伝う代わりに
高千穂鉄道の車両でも借りてやれば良かったのに。 高千穂鉄道復旧するより単行新車作る方が圧倒的に安いですわ そういえば一昔前の門司、小倉間は山陽線の直通は殆ど無くて、
山陰に入るDCが多かった。これもデットセクション問題だろうね。
今でも多分そうだと思う。 >>266 ふと思ったが、何故、山陰線から関門トンネル経由で九州に入るDCに、塩害に強いキハ35のステンレス(900番台)入れなかったんだろう?
千葉地区が電化された後、八高線で使うよりも、こちらに持ってきた方が有効ではなかったか? >>260
国鉄も誘導機にトルコンを組み合わせたクモヤ790とか、旧国に電源車付加した
クモヤ490とか、それなりに低コストの交(直)流電車の開発を模索した形跡もあるが
結局客車列車や気動車に叶わなかったんだろう
>>262-263
直通列車は車上切り替えでも、ローカル列車は直通を止めて、ホームによって直流専用、
交流専用の番線に停車するようにすれば交直流電車は不要になるね >>267 通勤形だからねー
急行形じゃないので、当該鉄道管理局欲しなかったんじゃね?
関東に居たのは製造元のアフター対応もあるのでは?
房総方面と云うコトで十分塩害耐久試験の環境下にある訳だし・・・。
視認性の為とは云え前面だけにすれば良いのに、車体全体をタラコ塗装したのは、サロ153 900の成れの果て
サロ111 の全面湘南色塗装と共に国鉄末期の労働争議、組織混迷時代の負の象徴。 架線下DLも考えれば北海道はデフォだが、昔は山線経由の列車でも小樽〜札幌は律儀にもED76-500に替えていたよな。
でも普通、あれくらいの距離だとDL乗り入れだよね。東京からだと戸塚や立川、上野からだと上尾くらいだ。
ただし関門間は別としてだよ。 >>271 小樽・札幌間と上野・我孫子間、距離は両方とも35q位だが、後者はDL、その前はSL乗入れだったな。
過密ダイヤのため、我孫子で機関車付け替える余裕がないからだろうか。
キハ30系による架線下DCとすることなく、電化までPC列車で残った。 >>272
>電化までPC列車で残った
成田線電化までって書かないと知らない人には伝わらないな そういえば懐かしくない全線架線下DCが北海道にはあったな
昼間に山線で使うと輸送力過多なので手稲江別間などの札幌近郊運用 地下鉄道の架線下DCって覚えてる?新千歳空港に乗り入れたリゾートDC。
構内の排ガス充満の問題もあったらしく折返しは確か4分しかなかったように記憶している。
ダイヤの都合もあったのかも知れないけど。
客が乗らなかったのか、排ガスの充満で懲りたのかわからないけど、イッパツ屋列車になってしまったorz >>275 名鉄北アルプス号の新名古屋駅乗り入れは、駄目ですか?
あとは、神戸電鉄の旧型車に元相鉄にガソリンカー改造Tc車が居たけどそのクルマの神戸高速線新開地駅乗り入れとか。 >>276
北アルプス出すなら真の意味での架線下ディーゼルである名鉄の「ディーゼル特急」の方が相応しいかもしれん >>274
東室蘭〜苫小牧間の普通列車が全てDC化されてしまって電車は特急すずらんのみになってしまったらしい
新たな架線下DC路線の誕生ですな そのうち室蘭電化もやめてしまいそうだな。
ここまで左前だと軌道で手一杯になり、次は頭上が手抜きに…。 架線下DLなら毎日でも小名木川の越中島レールセンターから輸送される。
新小岩〜金町間で見られるよ。 オランダ村特急は架線下DCなのにわざわざ専用車を新造した上に485系と協調運転までしたのは謎
あれは石井さんの趣味だったと唐池さんが講演で言ってるの聞いた事はあるが >>281
石井元社長は国鉄時代、内燃車が専門だった時期があったからね。
経営や鉄道事業の発展に寄与できる技術屋らしいセンスと言うか、発想と言うか…。 トロリーバスの架線の下を走る内燃車のバスはあったのかな? >>281 当初から、九州各地の非電化区間を含めた運用にも使用できることを目的としていたからでは?
wikiに書いてあるわな。オランダ村宣伝のために造られた車両であるわけなんだから。 >>284
結局持て余すんだがな
唐池会長とか石井元社長の事を只の鉄ヲタ扱いだから
唐池会長が企画した初代ゆふ森みたいにその後は見た目重視中味は二の次政策が今に続く DC+EC協調運転がその後もほとんど広がっていないことを見ると
そもそも協調運転の需要はなかったというべきだな
その意味では、確かに技術者のための技術で、用途は後から考えろ
ということだったのかもしれん >>287 ミニ新幹線の三線軌区間もほとんど広がっていないから、需要はなかった。技術者のための技術だった・・
ということなんですかねえ?アプト式なんてのも・・
特定地域、区間に限定されてようが、その技術を必要とする需要が存在するんでは? EC+DC協調はシーズ先行ではなくニーズ先行なんだがな
>>287は当時を知らない若い人かね 話は横道に少し逸れるが、581・583系の貫通扉も併結運転を考慮して折角作られたのに、
技術先行型だったのは否めないな・・・・・
その後何十年か後に、西日本のシュプール号でやっと用途を見ることになるのだが。 >>290
これも突っ込みどころがありすぎてどうしようもない発言だな… >>277
豊橋や津島までのアルバイト運用。乗りたかったよな。 南海のキハ55を使って昇圧後も水間鉄道直通運転や国鉄介在で貴志川線乗り入れの臨時イベント列車をやって欲しかった。 >>292 キハ8000は、富山地方鉄道のアルペン特急として、レンタルの架線下DCともなったわけで・・ >>289 15〜20年くらい早く、EC、DC協調運転が実用化されてたらと思う。
板谷のような勾配地ではEL補機との協調運転で。
そうすれば、ECの「ときわ」と併結され、他の電車急行に劣らない速度で水戸まで協調運転するDC急行「奥久慈」が実現していたのかも。
ニーズが最大だった時期を逃したという感はある。 上野〜水戸、ECとDCでそれほど差はないんだけど… >>283
多分あったと思うよ。
でも始発から終点までではなくて他の路線から入り込む。
まあ列車もバスも同じだね。 トロリーバスは何故やめてしまった?
電気のほうが有利ではないの? >>298 トロリーポールが架線から外れやすいという問題点。無軌条電車であるから、パンタが使えない。
バスの性能が向上し、架線不要で小回りが効くから、トロリーバスの優位性が薄れた。 >>283
黒部のあそこにも普通のバス入ってたんだっけか >>296 上野・水戸間で485系の特急ひたちが1時間20分位で、電車の急行ときわより15分早い。
急行に比べ停車駅が少ないものの、たった15分の時間短縮と車内設備が良いために、特急料金を支払わされていたわけだ。
同じ値段の急行料金取られるのに、電車に比べ10分遅く、しかも音や振動が大きいというのであれば、水郡線方面まで乗り換えなしで直行したいという客を除き、「はずれ」と感じるんではないかな? >>298
>299の言う通りなのだがもう一つ追加。
トロリー線とそれを支えるワイヤーで道路の上はクモの巣のようだった。
「東京には空がない」と千恵子が言ったのはそのせいです。
というのは嘘です。 >>292
豊橋から朝の通勤特急に新名古屋まで乗ったよ。 >>301
気になってDCときわ、ECときわを昔の時刻表で見比べて見ましたけど、ECときわでもDCときわと大差ないものもありますよ。
しかし、振動や騒音もそんなに気になるか? >>305 74年夏のダイヤ、臨時は除外し定期列車だけ、上野発の下りで途中停車駅が我孫子、土浦、石岡、友部というのが、EC3本、DC2本あるので、これで比較。
ECがときわ1号、6号、10号。DCが同5号と8号。
上野・我孫子間(33.5q) EC 27〜28分、DC 28〜29分
我孫子・土浦間(26.5q) EC 23〜25分、DC 25分〜28分
土浦・水戸間(51.5q) EC 39〜40分、DC 44分〜45分
土浦まではあまり差がつかないが、土浦より先で差が開く。
上野・水戸間(117.5q)では、EC 90〜91分、DC 98〜101分。
土浦・水戸間の表定速度 EC:77.3〜79.2Km/h、DC:68.7〜70.2Km/h
勾配やカーブの少ない常磐線であっても、ECとDCでこれだけの差がつく。
「ときわ」でないが、「陸中・よねしろ」に乗ったとき、エンジンの音がうるさいこともあって、ズーズー弁でしゃべる隣の客の声がききうらかった。
>>298-299
でも旧社会主義国を中心にトロリーバスは健在だよ
トロリーバスは架線が2本必要なのは欠点だけど、路面電車よりも自由が利くし加速もよい点は評価してよいと思う
ただ当然地上設備が必要だし、経路の変更等も簡単ではない。また日本ではもともと普及していなかったため車両価格も高かったのではないかな
その点ではローカル列車で交流電車がコスト面や地上設備等で、NDCに負けるのと同じ理由だろう >>306
区間117Kmに対して10分しか違わないのに、電車との協調運転なんて考える?
これを問題視していたなら、まずはキハ58やキハ65主体の編成にするでしょ。
1974年がどんな状況だったか思い出してごらんよ。
考え方が現代に寄り過ぎじゃない? >>309 当時の技術では難しく、コスト・パフォーマンスが悪かったから強調運転は実現しなかった、ということだと思いますよ。
急行から特急主体へと転換図っていた時期でもあるしね。実現可能性が低かったことは百も承知。
それとは別に、架線下DC急行がEC急行に比べて「遜色」であったということ。 >>310
あなたの言う「遜色」とは騒音や振動のこと?
私は>>305氏と同様、特に気にしたことはなかった。
その時間に特急ではないその列車が存在すること、これが最も重要だったかと。
あえて気動車の「遜色」を挙げるなら、電車と比べて冷房化が遅かったことか。
夏季はなるべく電車急行を選んでいましたね。 当時常磐の荷物輸送もキロ58の成れの果てのキニ58で単独行動だしな。
仮にクモヤ440を使ってもし常磐にもクモユニ クモヤがあったら多少変わってくるからな。
403系 415系の後ろにクモユニ441とかクモニ441とか連結さるてればなあ。 「遜色」と言うならせめて60系客車くらい持ってこなきゃ
九州あたりだとキハ58系の急行運用車は冷房化済みで定期で非冷房急行はキハ66・67が入る前の日田・はんだと門司港〜西鹿児島の夜行急行2本位だったし
日田・はんだはあれはあれでキハ55系かキハ58系の修学旅行仕様が運用に入っててなかなか趣があった >>313
九州にはキハ65という名の電源車があったから、キハの冷房化も早かったよな。 気動車需要が高かった長崎本線系統や日豊本線系統の急行が大した峠越えが無かったのも大きい
その分豊肥本線系統や肥薩線系統にキハ65を集中投入したので非力なキハ28電源車も活用出来たから >>312
郵便荷物車は、電車では旧国改造、気動車では元電気式改造など常に低コストを要求される
交直流電車には適当な改造種車がない上、高価な交直流電車の新製も考えられなかった
郵便荷物車では気動車か客車を残すかしかなかった
もし常磐線で荷物も電車を使いたければ、クハ401の前部をアコーデイオンカーテンで区切って荷物を積むより他はないだろうな >>316 上野発であれば、クハ401の半室を荷物室とする方式を取ることができたのだろうけど、隅田川発にしなくてはならなかったから荷物気動車を造らなくてはならなかったということかな?
常磐線にも仙台行きの急行荷物列車が走っていたが、荷物気動車は関東北部、水戸周辺までの新聞ないし手小荷物輸送を請け負うものと、役割分担していたのだろうか。 >>300 ないよ!
その為(トンネルない有毒排ガスの充満防止)のトロバス。
>>303 長い事使っていた旧型は,60年代のバスのデザインを保っていて最高だった。
観光路線なんだから TDLリゾートクルーザーみたいにレトロなデザインにしてくれんかね? >>283 >>300
かつて東京都内で走っていたトロリーバスのうち、国鉄や私鉄と踏切で交差
する路線があったが(品川駅−池袋駅間だったかな?)、両方の架線の電圧
が異なるため、トロリーバスの架線のほうはこの踏切の部分だけ途切れて
いた。
そのため、トロリーバスは踏切横断時はトロリーポールを下げて、エンジン
を起動させて走行(踏切を横断)していた。 機関を積んだ・・・モーターを動力にした意味無いじゃん
架線からの離線トラブル
この2点がトロバスの運命を決定つけた。 自己レスだが、品川駅−池袋駅間の系統ではなく池袋駅−亀戸駅間の
系統だった。(国鉄山手貨物線池袋−大塚間、東武伊勢崎線曳船−
玉ノ井間、東武亀戸線小村井−東あずま間、京成押上線京成曳舟−
荒川間にある踏切で交差していたため、この区間のみエンジンを起動
させて走行していた。) キハ40に置き換える前の烏山線はキハ10系気動車が宇都宮線に乗り入れていたっけな?
私が生まれた時にはすでにキハ40に置き換わった後だし…。
過去には、キハ10系で石橋駅まで行き、石橋駅から折り返して、宇都宮〜宝積寺〜烏山まで行く列車も存在していた。 >>320
別に意味ないという程のことはない。
大半は電気で走れれば良いわけだし。
架線がなければ即立ち往生するバスって、入庫とか考えるとあまり実用的ではないのでは。
高性能なバッテリーがない時代であれば補助エンジンは現実的な解かと。 大阪じゃデッドセクション設置して片町線の踏切架線集電のままトロリーバス走行してたのにな >>323 否々メンテや複雑になる構造、電車線のメンテコストを考えるとね・・・
車両だって量産されている 普通のバス方がはるかに安いし
少なくともコレは、川崎と横浜の廃止理由要因の1因だよ。 >>325
どうしても設備にかかるコストがね
横浜が車両更新もそうだし、市電廃止に伴う変電所の問題も大きかった 鉄道のほうが線路敷いたり駅造ったりもっと金かかるだろ
1日数往復の単行列車でこと足りる地域交通を鉄道に担わせた理由がさっぱりわからない 道幅が広く輸送需要と交通量が少ないて条件ならトロリーバスは適合するが
そんな都市は北朝鮮みたいな所だけしか無い >>325>>328
しかし、なぜこれほどトロリーバスが非効率なのに、現在でも欧州中心にこれだけ残っているかだな
それこそ一日数往復の地域交通を鉄道に担わせている以上にわからない >>329 欧州といっても、主にロシアや東欧諸国だよ。それらの国々でも、近年、トロリーバスの縮小、廃止が進んでいる。
冷戦期までトロリーバスが都市交通の重要な役割を占めていたのは、社会主義諸国において自家用車の普及率が低いことと、バス等内燃車両のエンジンの改善がなされず燃費が高いままだったからではないかな。 >>327 だから軽便鉄道も普及したじゃん。
日本で最初の本格的バス(円太郎バス)が出たのは関東大震災後
それに道も酷い代物だったし、・・・地域により雪害とか
また 個人経営の多い路線バスでは定時性や運行の確実性もかなり怪しかったのでは?
1067mmの場合省線と線路を繋げば貨物輸送の利便(直通)もあったでしょ。
戦前はやはり地方都市において最強かつ最重要の移動インフラだったんでしょ。 社会主義国は国家のインフラ整備に傾斜してるから道路やストラクチャーなんかは立派な一方で交通量はさほど増えない
長時間閉鎖して大規模な軍事パレードがやって影響無い環境は西側諸国では聴いたこと無い
北朝鮮や旧ソビエトの無駄にインフラ整備されてる割に人影まばらな都市が典型例
こういう街でこそトロリーバスや路面電車が生きる >>333 全盛期に比べ大幅に縮小した日本の路面電車や非電化ローカル線において、その存続のため新型車両が導入されていることと似たようなもの。 でも法規関係の試験はどうなん?
乙種クラスの知識は要求されるんじゃなくて? トロリーバスは路面電車と同じ軌道線扱いだよ・・・・・ トロバスって制動どうなのかね?
普通にフットブレーキで油圧のみ? 排気ブレーキがない分、抑速ブレーキはあってほしいな。 仙山線停電8時間閉じ込め事故は架線下DCなら問題なかったのに、
仙台や山形にキハ40かキハ110ぐらいいるだろ?
EC/DC協調運転はこういう時、意力を発揮するんだぜ。
アタッチメントがないのか?
もし無いならば、キハの先頭車を双頭連結器に交換するとかしとけよ!
ttp://www.xanthous.jp/2014/12/03/senzan-line-stop/
ttp://www.sankei.com/affairs/news/141203/afr1412030005-n1.html 国鉄時代大鉄局がキロ65の「ユートピア和倉」を「雷鳥」にぶら下げていたが、殆ど
金沢に延着していたな---奇妙に其のスジの「雷鳥」に度々乗車したので。
>>336
トロリーバスは日本語で「無軌条電車」だろう。
以前に話題に上っていた「出羽」のキロ28に夏乗車したが、宇都宮辺りから眠っていたのに
福島で「マイクのテスト中」放送でたたき起こされて、みんな怒っていた。
板谷峠でエンジンの唸りが大きくてまどろむどころではなかったが、小鳥の
さえずりが聞こえてきたので癒された。 >>346 現場までDC持ってくるよりも、DL持ってきて牽引すればいいだろ。
今回、現場近くに道路がないし、倒木があったため、除雪や木の排除に時間がかかったということなんでは?
まあ、馬鹿も休み休み言えってんだ。 昔の東北地方なんて,
○○本線電化といっても
電車だったのは特急列車と一部の上野直通急行と「あぶくま」「くりこま」「仙山」のみ。
他急行はDCがあたりまえ。
普通列車は客車列車か間合使用のDC。
昭和50年3月改正当時で,東北六県で電車普通列車があったのは
仙石線:仙台〜石巻間
東北本線:白河〜郡山間(「あぶくま」崩れ)
奥羽本線:山形〜羽前千歳
仙山線:仙台〜羽前千歳
417系はまだなかった。 架線下のDCから外れるかもしれないけど、EL牽引の客車列車にぶら下がって、途中から単独DC列車になるのが、東北線であったような記憶が…。具体的には思い出せない。 昭和の終わり、近江鉄道にレールバスが登場したものの
車体が小さく朝夕の高校生を捌き切れないから短期間で姿を消した。 同時期には、名鉄でもレールバスが非電化区間となった閑散路線にて営業
運転を開始したが、そのうち三河線の両端(山線の猿投−西中金間、海線の
碧南−吉良吉田間)で運転されていたレールバスは、基地の猿投検車区と
海線区間の送り込みと送り返しを兼ねて、猿投−知立−碧南間でも1往復が
架線下で営業運転されていた。
猿投(碧南)発知立行きで運転され、知立到着後に折り返し碧南(猿投)
行きで運転されていたが、そのまま通しの乗車も可能で、末端区間の廃止
まで運転されていた。 >>346
キハ110は密連じゃないの?
素朴な疑問。
双方に異なる電気連結器が付いている場合、単純な連結もできないの?
だとしたら、とても不便な気がする。
スレチで申し訳ないと思いつつも、回答をいただけると嬉しいな。 >>354
郡山工場へ入出場の時はED75牽引だから自連じゃないかな。 >>354
出来ない。連結すると電連ピンが電連カバーを押して端子が露出
するので、互換のない信号や電源が接触してショートしかねん。 逆ケースで「非電化EC」はグッと少ないね。架線がなければ客車同然、いや、電源確保や簡易ステップの準備、
必要に応じて連結器交換etcなどの手間や費用を考えれば、客車より大変だ。
つぅか、一部のECを除き、殆どのECはそうした旅客運用を前提とした設計をしていないから当然なんだけどさ。
そこを行くと気動車は万能的存在だな。高速列車が往き来する電化区間でのダイヤ作成で多少の労苦はあろうが、
かつての妥協の産物的なものではないことは確かだ。 >>356
ピンの位置が同じで緊急用に通電offスイッチがあれば… と考えもしたんだよね。
まあ、あとから名鉄の例を思い出したんだけどorz
スレチにも関わらず、お付き合いいただき有難う。 >>357
草津、はっぴーきよさと、有明
他にあったっけ? >>358
今のは電連だから無理だろう。
そう言や73系と101系も併結運転は無かったな。
電車はモーター出力の関係から、同車種じゃないと連結できないんだろうな。
でも231系とE233系は出来るはずだがな。 >>360 72系改造のクモユニ74と111系の併結など、吊りかけ荷電と新性能電車との併結が当たり前に行われていたんですがあ・・ >>361
それは協調運転の事じゃ無くて、均合い運転の事じゃないの? >>362
京王や西武では普段から吊り掛け車とカルダン車の混結やっていたよね。最近だと、江ノ電と箱根登山かな? ..>>364
小田急も4000系吊り掛けと5000系平行カルダン車の連結があった。
制御機器関係が共通だと出来るんジャマイカ。 >>365
それ初耳。
更新後の4000系と勘違いじゃなくて? >>363
協調運転と均合い運転とかそんな話してないだろ
>>364
昔の銀座線も忘れるな ぶっちゃけ電制&回生車と空制オンリー車とかブレーキ系統の同期がとれれば問題ないんじゃない?
ツリカケとカルダンでも、但し モーターや制御装置の特性が大きく違う場合
此処の車両の機器にストレスを与えるので好ましくない 制動感覚の把握が難しくなったりや制動&加速時の挙動がおかしくなるのでは? 吊り掛けとカルダンなんて、気動車との協調運転に比べればずっと容易だろ。
そりゃ、カルダンの性能、機能を最大限に発揮できなくなるけど。 50年位前の話だが、山陽本線の瀬野八が電化された当時、151系や153系はMT比1対1のため補機を付けて峠越えをしたという。
キハ82系DC特急のかもめやみどりは、補機なしで走行したのか?
関東の人間で瀬野八はよく知らないもので・・ >>370
ググッたら82系単独で越えていたようですよ。
スレちだけど、瀬野八と聞くと、西村京太郎思い出す。 >>370
151系や153系って東海道専用、坂道弱々仕様だからな 東武のDRCだったら、瀬野八、補機なしで楽々だったのかも・・
6両オールMを2編成繋いで堂々の12連、だが食堂車がない。 >>371
そういや板谷峠も特急型はキハ181系でさえ補機付だったのに、
キハ58は単独峠越えだったなあ
特急型に比べてサービス電源が不要で身軽だったためだろうか
キハ181系はラジエータの問題らしいけど キハ58と言うか旧世代気動車は速度低下に目をつぶればそれなりに勾配に対応できるよ
エンジン2台搭載とか補機連結とかはこの世代に関しては速度向上が主な目的
5ノッチ5分制限対策もあるけど キハ30がハチ公線の金子坂をヒーヒー言いながら登ってたっけ 来春から北陸新幹線開業による北陸本線の経営分離によるえちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン
転換区間とそれのET122が乗り入れるあいの国とやま鉄道転換区間の一部が仲間入りだな。 >>375
ちょっと架線下DCという範疇から外れるけど
旧世代気動車の2台エンジンは速度向上が目的でなくて、やっぱり勾配線対策かと。
というのも、御殿場線でのテストで、勾配区間で変速機油漏れなどがあり、このため
2基エンジン車出現までは、勾配線は依然として蒸機列車主体だったという記載を読んだ
記憶がある。 >>365
ところが同じ小田急で旧国鉄63系払い下げの1800と4000吊掛けを連結したら脱線続出で
連結自体やめた例もあったりも。
4000自体の機器の出力が1800より低くて1800のが勝っちゃうんだっけ?。
瀬野八と言えば貨車より機関車のが勝っちゃってせりあがり脱線する危険性から生産打ち切りで
EF59の代わりさえならずにさらに先になくなったEF61-200の例がある。 あともう一つあった、HB-E210による東北仙石ラインも来年6月に仲間入りするね。 東北や常磐の臨時急行はほとんど客車か気動車。
高価な交直流式急行電車は定期列車分しか製造しなかったのだろう。 >>381
12系や14系座席客車がまさに、そのコンセプトで。
伊豆急下田まで14系客車の臨時踊り子号が走っていたなんて
現在では考えられないよね。185系より停車駅少ない割りに
最高時速が出ないし、加減速も悪いから、鈍足だったし。
一方、その前では定期列車は雑客で、臨時は12系って下剋上の夜行急行もあったような... >>382
その通り。
津軽、鳥海、能登、越前、だいせんなど日本海側を走る急行はほとんどだった。
12系の定期急行はきたぐにくらいだが、
北陸トンネル火災理由素直に喜べない。 今で言えば羽越本線村上〜酒田間普通。
来年から糸魚川〜直江津間もそうなる。 電化区間で完結するDCの列車はもちろんとして、
今で言えば岡山ー宇和島直通のしおかぜや、大阪発着のひだ等の非電化区間への乗り入れで長距離架線下を走る列車はどうだろう。
あとはオランダ村特急やキハ201の協調運転も。 >>386
烏山線の方が距離長いんじゃないの?
営業路線じゃ無ければ新金線のDE10チキとか。 戦前の阪和電鉄を立ち上げた関係者は、20数年後に
国鉄形電車に席巻されるどころか、国鉄形車両全般中でも紀勢本線に向かう気動車が走るこのになるとは、よもや・・・。 >>388
烏山線(直通)は非電化下EVも走る路線で色々ロマンがあるな >>387
非電化区間に乗り入れる以上DCなのは当たり前だからなあ
「そもそも」であれば電化区間しか走らないDCのことだわな
このスレの定義とは違うけど
>>386
北藤岡駅のホームよりは手前だけどあそこも北藤岡駅構内だから手前ではないな 電化本線から非電化盲腸線への直通列車は架線下DCが多いし効率が良いのだろうな。
吾妻線なんかは早期に電化されたからC11の客レ時代から、
一気に、電車化と成った。
現在でも東武妻沼線が残っていたら、上野〜妻沼までキハ30系系列か、キハ58・28どちらかの
形式が直通乗り入れしてたかもしれん。 そうか、東武熊谷線へ乗り入れるとまで考えちゃうか… 俗称で妻沼線とは言ってたけど
東武妻沼線という人は初めて見た 帰省でお馴染みだった急行ときわも春休みにはもう無いのか・・・・ 赤倉は遅くまで('82-11)DCだったのもさることながら、DC時代の最後まで
編成中の過半数が非冷房のままで残っていたのも奇異に感じたね。
3・4号車のキロを挟んで、1・2号車のキハ58×2(指定席)が冷改、5〜10号車の
キハ58×6(自由席)が非冷、と厳然と区別されていた。 始発駅から終着駅まで全線架線下を走行した
国鉄DC特急も忘れないであげてくださいな。 >>397
ひばりとひたちと臨時雷鳥以外に何かあったっけ? おお!マリンクリスタル、オランダ村特急、しなの、きのさき、ひたち、も頼む! 熊谷は、中央本線の大月と違い旅客動線的には高崎線の途中駅としてはマダマダ通過旅客導線が太いので
此処で他社線方向分岐なんて無理。
万一やるとしても休日で最低限 熊谷線が、電化整備して秩父鉄道乗り入れ列車と抱き合わせ運行。(輸送実績を考えると東武は絶対やらないが・・・)
※電鉄なのにディーゼル車持参で用意までした富士急だって自社車両の直通は放棄の憂き目に遭った。 >>399
ああそう言えば大阪しなのって電車化遅れてたよな
でもそれ以外国鉄じゃねえよ >>400
電化線しか無いのに乗り入れ先のためにディーゼルカー用意したのは他にもあるからなあ >>400
熊谷線は残存してたら需要あったよな。
安比奈線とは雲泥の差だ、でも安比奈線は全線電化されてたんだよなぁ
驚きだ、昔はあそこにE51やE61が走ってたなんて信じられんなw >熊谷線は残存してたら需要あったよな
それはない
太田までつながってれば別だけど >>407
なはも鹿児島電化の時電車化しなくて後にズレこんだんだね
ひゅうが併結の都合なんだろうけど、南宮崎電化の半年前に単独電車化ってタイミング的によく分からんことしてるな >>406
もし太田に繋がってたら、熊谷からJRに流れるから、はなからやる気無しだったのでは…? それ以前に熊谷線自体が年2億の赤字でもはや廃止するしかない状態だったけどな。
小泉線に繋げる大義は富士重工からの戦争物資輸送と行員輸送というだけのもので
終戦と同時に消滅したのだから。 秩父鉄道からホームと用地借りてて返してよって言われてたしね >>412
今でも高崎線と秩父鉄道との分かれ目付近に熊谷線のホーム跡が有りますね。 >>396
併走する「とがくし」や「きそ」は全車冷房だからね。
それで急行料金同額なのは不条理w
そして停車駅は両者より少ないのに、表定速度はヘタすると遅いというダメ押し。 ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 仮面女子みたいな素人女性集団はマジ神だった!!
暇つぶしにやってみたが、この超本命リアルだわ↓
daIn.net/c12/25yuika.jpg
Iをkkuに変えるよ どうして羽越本線村上〜酒田の普通列車は気動車なの?
肥薩おれんじ鉄道やえちごときめき鉄道とかの事情と同じとは考えにくいのですが? >>418
交直セッションがあるから
えちごときめき鉄道も同じ理由 381系を中央線に投入したとき、何故一緒に振子式急行電車をつくらなかったのだろ
紀勢線の時もそうだし 381系は中央東線・西線両方で使用すればよかったのに、
381系で新宿〜名古屋間ノンストップで4時間なんてどうよ? 振子式急行電車作らなかったから「赤倉」も「きのくに」もディーゼルのままだった >>423
きのくにの場合直通で和歌山から合体した南海もキハ5500形からキハ58基本の
車を作ったかも知れんな。年度によっちや65で作ったかも知れん。
しかも車内は10000形レベルで無論空気バネと国鉄より豪華になってたかも。
現に客車で直通した当時、電車に連結した便宜上サハとしたサハ4800形は
国鉄スハ43形よりも車内は豪華だったらしい。 臨時旅客営業だったら新金線、あとはイレギュラーでDD51が品川から天の川なんてのもあった
DE10は貨物なら架線下で湘南新宿ラインを単機で走行を見る
あとは首都圏で良ければ、新鶴見から東海道貨物線を横浜羽沢までDE10が牽引してる
運用は2000番台と共通だけどね。 >>429
スレタイ読もうね、架線下DLじゃないから イベントで御殿場線にキハ82もってきたのは、常磐撤退より前?
会津マウントの東武線内乗り入れはダメ? >>432
御殿場線にてキハ82が運転されたのは、JR化後の94年11月27日の「御殿場線
60周年号」 羽越本線ってどうして全線電化されてるのに架線下DCなんですか?
電気機関車は使ってるのに、
あれじゃEF510じゃなくてもDD51でもいいじゃないですか
米坂線も「べにばな」なんかは架線下DCですよね >>434
JR東が交直短編成電車を持ってないから。というか2両編成ですら輸送過剰な
時間帯もあるし。
昔羽越本線高速化のために鉄建公団が掘ったショートカットトンネルすら結局
引き取りを断ったくらいの輸送規模では、それ専用の新車を求めるのは夢のまた夢。 >>435
いや、むかしから羽越線は架線下DC王国だったよ
交直流電車の価格がバカ高く、優等列車でないと元が取れないことが主な原因
直流区間なら地上設備の費用を別として、保守費や動力費も考慮すれば電車の方が気動車より若干安くなる
また中古電車(旧型国電)も使えるため、直流区間では架線下DCは少ない >>438 富山港線のキハ120は、その例外と考えたほうがいいのか?
1m電車新製するよりも安いと考えたからか。 >>438
嗚呼、デッドセクション対策ですか・・・・・
でも常磐線にせよ、東北本線にせよ、デッドセクションがありますよね
さらに言ってしまうと、北陸本線の米原〜田村間とかは昔からE10やら
ED30等の特種機関車王国だったわけですが、北陸本線も客レが多かったのですから、
羽越線も客レで電気機関車牽引の客レでも残すかしてれば良かったんでしょうね、
50系客車なんて旧客に比べて車齢が若くして廃車に成ってしまいましたから、
富山か敦賀二区のEF81+50系客車でも良かったような気がします。 >>438
昔からでも現在でもそうなら「懐かし」じゃねえだろ
板違いだ つまんねぇ事でいちいち拘ってんじゃねえよwあんたはアスペ爺さんかw >>440
輸送力単位が小さいですからね、EF81+50系客車2両じゃパワー過剰でしょ、それに終着駅で機関車交換は必要だし、実際よその線ではそれをやめて701系にしたくらいで。 電化区間に入る気動車急行の間合使用普通列車なんてのが
架線下を走るのに萌えたなあ。
ただのローカル最終列車なのにグリーン車付の堂々としたキハ58編成だったりして。
上野発常磐線最終水戸行とか・・・ >>445
九州にJR化後も残っていた、急行「えびの」の間合いの普通列車で
元グリーン車の座席(急行では指定席)に座ったことがある。 そこはシーサイドライナー時代が一番優遇されまくってた 常滑競艇の臨時列車に使われていたキハ8500。太田川駅で見たときは
驚いた。 急行・狩勝の函館本線区間(滝川〜札幌)
狩勝の全区間中最も評定速度が速く特急列車より停車駅も少ないにも関わらず、
乗っていると走行区間内では唸るエンジンが最も急行らしさを醸し、
実はスジ上後続の785系ホワイトアローに捲られる夜行を除くと最も遅い優等列車。 既出だが南海のきのくに号、
難波駅でこれを見かけた客が屋根上にパンタグラフが無いのを不思議だと言っていた
DCを見慣れてないとそういう感覚になるものなのかね >>453
泉佐野以南の曲線が続く区間では本職のDC運転士だったら直結の絞り力行
3〜4ノッチで逃げるところ、南海運転士は電車同様の鋸ノッチ扱いだったのが
面白かったよ。 >>454
電車と気動車の免許を持っている運転士の中には、電車の運転が大半で、気動車の運転はたまにしかしない人も居る。
気動車の運転の日は電車のつもりでノッチを扱ってしまう人も居たね。
また、キハ20系の運転に慣れていた運転士がキハ40系に乗務する場合、変速機の特性を活かしきる前に
時速45キロ程度で直結段に切り替えてしまうことが多い傾向にある。 >>453
晩年の姿しか見たことが無いがディーゼルエンジンを唸らせてゆっくり難波駅を発つ後姿を見ただけだったな
乗客はほとんどいなかった >>457
春木や和歌山の博打開帳日には沢山乗ってたよ。 昔関西線でキハ75使用の名古屋〜亀山普通がありましたね。
意外と出てこないのにびっくり。
ながら接続の一番列車が一時期これだった記憶がある。 一部のキハ75は高山線に行ったけど、高山と境界駅の猪谷行くのはキハ25だけ。
75は下呂までしか走んない宮の峠登坂できねえのかよ。 足回りは「ひだ」のキハ85とほぼ同じだから登坂性能は問題無いだろ、登場時には宮峠より厳しい加太越えを「かすが」でこなしてたんだし
考えられるのは耐寒、耐雪面じゃないの? >>453
最晩年に孝子峠付近で目撃した
当時はDCには興味なかったのでカメラにも収めず。
ヘッドマーク付いてたのかなあ
その後に来た普通7001系の方が格好良く見えた 架線下DCは無駄なのかな?
結局電化区間との直通運転が本来の目的なんだろうけど、
あまりにも長い下線下DCは非電化→電化のターミナル駅で電車に運用を振り替えた方が運用効率は良いのかもしれない。
でも東京駅には早くから架線下DCは撤退したが、上野駅には平成まで架線下DCが残っていたな、
あれは茨城県内の中小私鉄直通運転の為の処置と、デットセクション対策だったのかな。 エキスポライナーのキハ58は理由がはっきりと解る。
常磐線だもんね。
使える車両に制限がある。 >>462
それはもったいないね
引退が知られるようになってからというもの、
R26の撮影スポットには撮り鉄さんが大勢いらっしゃいましたよ これだけ技術革新があるのだから
地磁気観測所との干渉を解消できる手立てが見つからないものかなあ
そうなればノーマルに直流でいけるのに ある程度予測はしていたが黒磯直流化絡みで黒磯〜新白河に登場ですな、但し一部の運用でしかも暫定っぽいが。 >>464
各鉄道会社の考えだと思う。
新幹線がらみで第三セクター化した路線で導入したり、名鉄のように
わざわざ架線を外してDC化した路線もあった。 電化後も千歳線を走っていたキハ22などを使用した普通列車(711系から受け継いだ札幌直通のキハ143は除く)
実はJR化後まであった >>470
名鉄のそれは合理化と言えば聞こえは悪くないが
実質は退化だったな
電車が撤退して、明らかに活気が消えた >>472
それって昔は活気があってもちろんその時電車があったからそれと比べちゃってるだけだよ
電車がある時代から活気は失われていたんだよ キハ10の振動は異常だった
2軸車特有の揺れに慣れてないからだろうが、ポンコツHLのほうがまだマシ
冷房が付いたのは大歓迎だったが、一部だったしなぁ 2軸車は相当デンジャラスな走行性だったみたいだしね。国鉄が最初に作ったレールバスのキハ01とか
最悪な乗り心地だったらしいし。
南部縦貫も旧東北本線区間はまだまともでもそれ以外は地震体験車で常に震度4〜5強に乗ってるみたいだし。 そりゃ100年ぐらい前にボギー車が考案されてから脱線事故が減ったというし しらゆきも457化できなかったのかな?
50/60Hz対応なのに >>477
やってやれないことはないだろうけど、457が3電源直通を目指して開発されたというよりも、455と457を補充するにあたり、技術的に1本化できるようになったから補充用に19ユニットの457が誕生したわけです。
補充が目的ですから仙台から鹿児島までの広域な分散配置になりましたが、仮にしらゆき電車化という課題があれば、例えば金サワに集中配置すればよいだけのこと。
そうすると答えは@当時、しらゆきは電車化する必要がなかった。A当時、しらゆきは電車化できなかった。となりませんか? 田沢湖線(現 秋田新幹線)が出てこない。
特急は485で普通列車は全部キハだったな。
ミニ新幹線ならなかったら今頃は701に変わっていたのだろうか? 全線電化区間でありながら、
秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、長年に渡ってローカル列車はすべて気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。
Wikipediaこれ本当なら確かにそうだな >>479
単純に非電化区間直通の「白馬」と「きたかみ」の併結区間があった。
電車化するなら「白馬」「きたかみ」の単独化や、糸魚川・秋田発着で短縮し、
それぞれ接続を取って「しらゆき」は単独走行にはありそうかも。
特に「きたかみ」は青森まで行く必要がなかった列車なので。
ただ急行「しらゆき」廃止までは、東北は多層建てDC急行が幅を効かせていた。
そうすると気動車急行の運用や、できるだけ直通列車にして急行料金の利用者負担を
抑える意味合いがあったかもしれない。
また「しらゆき」健在時は、「羽越」「むつ」「しもきた」も全線架線下DC急行だったので、
東北新幹線開業が迫っていて、電化前の体系を大幅に崩したくなかったのもありそう。 >>480-481
改軌しなくても701系にはなってただろう。
秋田運転所の701系主体で運用すれば、効率は悪くない。
県境の赤渕〜田沢湖の普通列車本数は最低限なので、盛岡口は東北本線と共通運用でできそう。
実際は秋田新幹線着工が701系デビューとほぼ同時期なので、あくまで仮定になってしまうけど。 北陸線電化後の彦根発木ノ本行きのDC 、サボがまた不思議な表示だったな。ながはま 上の方にちょっと出てるが、南海線のきのくに号の運転の仕方は国鉄DCと微妙に違ってた記憶が自分もある。
カーブから直線に移行する直前に盛大に変速ノッチをふかして加速の準備をする?エンジン音が高くなった。
直線でもあんまり惰行はなかったような気もする。70kmにもいかない表定速度だったが、それでも現場には
DCの性能は余裕がなかったそうだ。もっとも下りは早着したこともあった。
ただ、国鉄線に入ると乗り心地が悪くなった・・・。 山陽線のキハ82は?
「かもめ」は長崎・佐世保線のみが非電化 まぁ、分割・併合があるから仕方が無いが、「日向・なは」に至っては鹿児島線電化後も「なは」は全線架線下
それこそ、客車のほうがよかったんじゃ?と思う。当時の事だから20系の座席編成とか・・・ >>488
当時は「かもめ」と共通運用だっただろう。
編成組み変えれば、博多「まつかぜ」も共通だったし。
また山陽本線は優等列車全盛時、慢性的な特急型電車不足だった。
20系では座席キャパが小さいし、日中の居心地も問題だったろう。 >>488
客車の方が良いと思うのは何で?
電化区間は電気で走れってこと?
機関車付け替える面倒が増えるだけだと思う
所要時間も短縮できないよね? 北陸本線は架線下DCダメかな?
北陸トンネルが長すぎて。
金沢から敦賀まで各駅停車増やしてよって思う
七尾線の交直流車も越美北線の気動車も暇なときは北陸線に投入してよ そう言えば2010年の特急おわらがディーゼルカーの北陸本線走行の最後なのかな? >>489・491
ああ、共通運用でしたか。それはご指摘ありがとう。無理だったでしょうね。
電気ブレーキのある電車と違って気動車・客車は最高速度が上げられないから、電機牽引列車でもよかったかも、という妄想です。
20系でも寝台車を連結せず、ナハ20・ナハフ20にナシ20 あとナロもあったらオモシロかったと思います。機関車はEF60-500あたりを・・・・ >>492
特急白鳥はキハ80系で北陸トンネルを抜けていたぞ。
長大トンネルには違いないが、DCだからダメということは
ないと思うが。
ただ、わざわざ越美北線からDCを回送する手間を考えると
その可能性はないだろうな。 >>495
でもディーゼルカーの方がお手軽だろ?
そもそも1961年の時点で考えてみ
この時点でキハ82しか選択肢ないと思わないか? >>492>>496
「白鳥」電車化後も、急行「越後」「大社」が北陸トンネルを走行してたので、
気動車でも何ら問題ない。 東京地下駅開業、外房線電化の頃だったか、新宿駅でキハ55系が先頭の急行「犬吠」を見た記憶がある。この頃は東京周辺での架線下DC急行はキハ58系がほとんど。東北線や常磐線からは追い払われ、非電化区間が残っていた総武線、成田線の急行に使われていたのか。 >>499
夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも。
ただ気動車「犬吠」が新宿に乗り入れてた頃、中央線急行「アルプス」も一部気動車だった。
併結した富士急行や小海線直通などにもキハ55は充当されてなかったか? >>500 中央線DC急行はキハ58系化されていた。富士急行乗入れは、キハ58の富士急保有車(後に有田鉄道に譲渡された両運車)だろ。 >>496
越美北線はダム建設でいちばん最後に完成した区間に5200mのトンネルぶち抜いたが、それでも
北陸トンネルの2/3の長さで5173mの北陸線の深坂トンネルと大して変わらない。 トンネルで気動車禁止は青函だけ?
客車の発電エンジンは追加で防火対策したんだっけ? >>500
>夏ダイヤで車両数が足らないとそうしてたかも
東京地下駅開業、外房線電化の頃だよ >>499
常磐線では、昭和55年のダイヤ改正で九州から冷房付きのキハ58系が水戸機関区に転属して来るまで、キハ55系が急行運用に入る事があったよ。 >>505
房総半島一周が電化されたとはいえ、千葉以東の総武・成田・鹿島線方面の大半が非電化で、
「しおさい」「あやめ」新設前の千葉は、「気動車王国」と言われていた。 >>507
北総電化後も車両需給の関係で、昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で、余剰となった153系電車が幕張電車区に転入するまでは、気動車急行が残っていた。 >>508
と言うより、その改正前の銚子・成田方面の急行は、気動車オンリーだったろう。 >>507
千葉以東の総武・成田・鹿島線方面なんて夏ダイヤほぼ関係ないじゃん >>510
内房・外房線ほどでなくても、それなりの臨時列車の運転・増結はあっただろう。
当時の国鉄臨時列車は、今よりも半端なしに多く、派手だった。
また東京・両国〜千葉は、当然内房・外房線特急・急行も同じ線路を使ってたので、
そちらの夏ダイヤの影響で、銚子・鹿島方面の急行も影響受ける。 >>511
総武線が快速と切り離して錦糸町〜千葉が複々線化したのが全線電化の少し後だったから、今の緩行線に
両国からの特急だの急行を走らせる他なかった。今の新宿さざなみ わかしおが錦糸町から入ると同じコース。 >>511
だろうって言われても
実際どうだったか調べろよ >>514
いや貴方がきちんと調べないと
おかしなこと言ってるの一人だけだからね 米子〜出雲市まで
やくも6両で電車特急で、まつかぜ2両気動車特急なんだし。
各駅停車も電車4両、気動車2両の方が経済的なのに。
湖西線とかJR東海から117系貰えばいいのに。 >>516 普通列車で米子以東、出雲市以西の非電化区間に入る運用が相当数あるからなんでは?
117導入するんなら、伯備線に入っているだろ。 >>517
普通列車に出雲市から西だと江津や益田・米子(伯耆大山)から東だと松江や倉吉ら結構長距離列車も
あったような。
丹波路快速前に福知山線に117系を入れていたから、4両で嵯峨野線か伯備経由で米子や出雲市に
入れていた可能性もあり得たが。 >>516 伯備線北部から山陰線西出雲までは、ワンマン対応の2両編成115系改造車使っているわけだから、117をこの辺りに入れるとなれば、2両ワンマン化改造が必要だろう。
電化区間である米子・西出雲間の各停にしても、2両ワンマンのDC使っているわけだが、117を2両短編成化して入れる必要性は乏しかったということなんでは。
まあ、一方は原型のままで、もう一方は103系ATCのような切妻式前面にした117改造車というのも面白いかも。 キハ125系4連とかキハ120系の3連とか。
特急列車よりも各駅停車の方が運転動力費を食うなって。 >>520 鉄道とバスの対比も含めた乗客1人当たり運行コスト比較は、定員乗車を前提としたもの。
過疎地域でほぼ定員乗車の短編成DCと、同数の客を乗せながらより超大編成で乗車率が低い電車の1人当たり運行コストを比較した場合、前者が後者より高いとは限らない。
むしろ、前者の方が低くなることがある。だから、肥薩おれんじ鉄道は架線下DC化を選択した。 まあ、117系4連をそのまま山陰線米子・出雲市間に投入したってワンマン対応できないし、ワンマン2連に改造すると改造コストはかかる、非電化区間への直通ができないから柔軟な運用ができない、そもそも車体が老朽化している、という問題だらけだな。
運行コストだけでなく、閑散時は2両、ラッシュ時は4両で編成を柔軟に変化させられる、非電化区間に乗り入れられる、ということでDC投入がベターと判断したんだろう。 羽越線や田沢湖線を日常利用する場合に電化の恩恵は有ったのか謎だ
特にEF81+50系をキハ110で置き換えた前者は… 日本海とか白鳥とか電車化した方が良かったからじゃない?
新幹線みたいに在来線は直流なら全線直流、交流なら全線交流にすれば効率良かったのに。
東海道山陽EF58 EH10 EF65 EF66
九州ED76
北陸EF70
東北ED75
交直流EF81
効率悪いなって 交直両用が実用化されてなかったら
直・交の分化が徹底してただろうにね 東海道山陽 EF65 EF66
東北本線 EF58 EH10
日本海縦貫 EF60 EF61
という感じで 北陸本線が
敦賀から大阪方面は新快速電車、金沢から東京方面は北陸新幹線で
全線ICOCA対応になって乗客多くなって来たのよ。
余剰が有るなら気動車2両ワンマンでいいので本数増やしてよって思う スッキリした当日に孫娘厨房ガキはふだんあらへんそんな場所にひとのちんちん見んなぁぁあああああああああああああああああああ
消え失せろぉぉっぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお なぜかここまで誰も触れていないのだが
紀勢線西側の急行が最後までDCだったのは
非電化区間の紀勢線東側や関西線
当時非電化だった奈良線、和歌山線からの
急行との併結を考慮していたと思われ 実家が常磐線沿線で、鉄に目覚めた当初は常磐線こそ架線下DCの天国などと勝手に思い込んでた小学生の頃 >>533
行動範囲が狭いのだから当然!
だいたい誰でもそんなもんだってw 乗り慣れない臨時の架線下DCに指導運転士らしい人と二人で乗務しているのに、途中駅で交代の運転士が一人で乗ってくると「おお!カッケー!」とか思った。
北海道・東海・西日本・九州・北海道のJR、東北や新潟ではフツーに一人乗務だと思うんですが、関東の首都圏だとねぇ・・・。 上野駅で「気動車運転士」の腕章をしている運転士を見ると「おお〜!カッケ〜」とか思った。 北陸本線金沢口では花嫁のれん(今はコロナ運休中)が走ってる。
475系などの電車改造ではなくわざわざキハ48を種車にしたのは、
のと鉄道穴水への直通も視野にあったのかと思っていたが、
のと鉄道が独自の観光車両を用意したためか未だ穴水乗り入れは実現していない。
のれん登場前には高岡のキハ47による穴水直通の臨時列車が何度か走った。
富山口では城端線直通の定期列車があるが、いつまで残るかな、今後も残すのかな。
福井口は越美北線がある限り福井駅までの運行は残る。 それ言っちゃおしまい
>>540
できれば複複線区間で電車とデッドヒート盛り上げて欲しい
鈍足の汚名を返上して欲しい それはワイドビューひだ、はまかぜで達成できてるし。
それよりデッドセクション区間で交直流電車だけでは乗客をさばききれなく
やむなく気動車も活躍するような路線じゃね。
下関門司の関門トンネルとか南今庄敦賀の北陸トンネルとか >>531
単に転入させる165系がなかっただけだろうw
新宮電化前は名古屋〜天王寺を走る特急「くろしお」、急行「紀州」も設定されてたのに、
電化後は新宮・紀伊勝浦で分断されたので。
非電化区間のDC併結なら常磐線急行「ときわ」のように、電車と気動車両方設定すればいい。
しかし急行「きのくに」全廃後、国鉄最後のダイヤ改正でローカル輸送用に165系が
転属してきたのは何とも皮肉。
中央線「アルプス」のオール「あずさ」格上げで、165系の余剰が生じたからだけど。 架線下DCの代表格は
出島かな
赤倉かな
出島は13両編成
赤倉はキロ以外キハ58とか >>545
「出島」は「弓張」併結でだろう?博多〜長崎単独で13両はなかったはず。
「赤倉」は中央・篠ノ井・信越のきつい勾配区間のためにな。
しかも普通車は全車非冷房だったし。 >>545
昔は電車特急と同区間の急行が気動車というケースが珍しくなかった。
表向き支線直通への配慮だが本音は電化の進展に車両が足りないから。
そのため東北・上越新幹線開業で電車が足りてくると
支線直通を切って容赦なく電車化するように
おかげで電化区間から外れた地域の衰退が半端ない
各地の電化運動に対して近隣地域は反対運動で足を引っ張るべきだったと思う。 >>546
>「出島」は「弓張」併結でだろう
常識的に考えて、ほとんどが併結だろ
13両は、出島6両+西九州7両 鳥栖〜肥前山口間
もっと以前は
島原直通が1両入ってたりすると13両だ
この出島、
鳥栖で15分停まって西九州併結して、肥前山口で西九州分2+5で分裂して
長崎(8両)/佐世保(5両)行
すごい芸当やってたよ >>548
この列車、鳥栖停車中に熊本行急行ぎんなんに追いつかれたなw
そのためあさかぜ1号で博多から乗り継ぐ場合、ぎんなん→出島・西九州で行く方が、
長崎・佐世保に早く着けた。 >>549 その場合、急行料金別々にかかるんだっけ。
周遊券で自由席乗車するのなら関係ないが >>550
かかる。なので長崎・佐世保方面行くには鳥栖の長時間停車を甘受する必要あった。
ただ当時九州は、特急・寝台券を無効印押さず強制回収だったので、
本州から周遊券利用であさかぜ1号を下車後に、寝台券を手元に残すため、
その手で長崎・佐世保に行った輩はいたかもしれない。20系終焉時期は特に。 >>550-551
自由席なら、ぎんなん号に鳥栖まで検札が来なければ、実際はそのまま1枚で行けたようなw >>552
車内アナウンスで
特急券・急行券のご使用は一回限りになります
この列車では新たになりますと
しっかり放送してたぞ
当時 >>553
規則的にはその通りだけど、バレてるかは別だろう。
当時そんな不届き者が多かったのか?w >>549-550
ぎんなん→出島は×
出島→西九州で佐世保は〇
よく考えると
不思議だ >>556
併結列車内の乗り換えは可ってだけの話だから不思議でも何でもないけど
国鉄、JRの都合で乗り換えが生じる場合は通算にして欲しいよね 自社に非電化区間がないにもかかわらず、国鉄直通のためにDCを用意した健気な鉄道会社
南海、名鉄、富士急、小田急 >>558
その4社では車両に独自思想を入れた小田急の心意気を買いたい
あとの3社はモデルが国鉄にあったもんね 磐越西線の喜多方〜会津若松間を非電化にしたいとJR 東日本側から自治体に打診が有ったそうだけど、自治体側は白紙撤回を求めてるそうだよ。
つまり上野から直通列車が走れなく成るわけだから、そりゃ自治体は猛反対するわなw 磐越西線の喜多方〜会津若松間の電車列車は現在2往復のみ。
上野直通するなら、東急からゆうマニ借りればすむのではないか。 往年のデラックス485系あいづの栄光が
忘れられないんだろうね。特急薩長とか、
朝敵成敗号とかを直通させたらどうなるんだろう? >>565
> 往年のデラックス485系あいづの栄光が
> 忘れられないんだろうね
あいづって上野-会津若松で喜多方まで行ってないよね?
ビバあいづ時代に延長運転はあったけど おらが町やおらが村に電車が来なく成るぞって
地元の人からしたら大問題なんだろうね。
しかし今さら非電化って時代を逆行してるな
磐越西線も早く改軌して、郡山から、
あいづ新幹線を走らせる考えは無いのかね? 子供の頃、国鉄は架線下DCの非効率を解決しようと153系電車+58系気動車や
451系電車+58系気動車での協調運転試験が実施したと聞いたな
結局、両者のパワーに差があり過ぎて良好な結果を得られなかったそうだが・・・ 男鹿線みたいにJR九州の「DENCHA」を投入すれば良いかと 会津若松駅を移転、郡山方面から喜多方方面に直通できる構造にすればよい
移転する敷地があるかどうかは知らん(無責任) かつて磐越西線がミニ新幹線の候補に上がっていたが、実現したら新幹線は会津若松止まりで、会津若松・喜多方間の電化廃止が行われていたのかもなあ。 薩長に楯突いたのがここまで尾を引くとは
会津白虎隊も夢にも思わんかっただろうなあ。
新幹線とはとても縁遠く、東京直通も絶えて、
紫煙くさい単コロ気動車がやってきて架線まで剥がされそうになるとは。薩摩は戦う時は勇敢
だが一度ケリがついたらさっぱり根には持たん。同情しさえする。だから西郷は北を向いている。
問題は長州だ。いつまでもネチネチ根に持って
末代に渡るまで冷遇しようとする。
二十一世紀は我が薩摩と会津の時代だ。相携えて長州を成敗しようぞ。 喜多方が没落したんでないの?ここ、昭和30年代初めには市制施行していて活気があったような。 >>572
新政府と戦争になった直接原因は北海道の函館と(当時領地でもなかった松前)をドイツの前身のプロイセン王国に売り
さらに松前藩を占領して港を作り軍事介入(植民地化)させようとしてたのがバレたせいでしょ? 変電所火災で電車が止まるって首都圏機能停止なんだから、今こそ、架線下DCを復活させてはどうか?
昔は急行いわてとかときわがキハ58.28が上野迄架線下で来ていたのだから電気を使わないハイブリッドな電車を作れば無問題。 磐越西線は新津側が直流なので、残りも電化するにはどこかにデッドセクション作らないといけないのがやっかい。
大糸線の一部が非電化なのと同様。
あと高山本線の電化が完成しなかったこととか。 >>577 磐越西線なら新津駅構内にデッドセクション設ければよし。
新潟まで直通の交直流電車は一日数本。他は交流電気機関車牽引の客車列車が新津まで、後には701系に転換し全部新津止まりになるからデッドセクション廃止。
大糸線にしても北陸線に直通させる必要なし、全て糸魚川止まり。糸魚川駅構内にデッドセクションは不要。
高山本線は381走らせるなら富山まで直流電化。こちらも北陸線に直通させる必要なし。富山駅構内にデッドセクション不要。
まあ、輸送密度が低く新型気動車導入で間に合うのなら、電化する必要なし。 >>577 >磐越西線は新津側が直流なので
新潟・新津間も磐越西線と思っているのか? >>576 ただ、信号や通信系統用の電力って、架線用のとは別系統なんでは?
今回の変電所火災で信号系統までアウトになったんだろうか? >>580
別系統だけどそれがアウトにならない保証はないよね? >>580
信号用電力はレールから給電してますよ。、列車無線とかは非常用のバッテリーが有りますよ >>578
仙石ライナーに気動車を投入したときはびっくりした。
当然交直の電車が投入されると思った。
石巻線直通も現状1往復のみ。 紀勢本線亀山から新宮なら両端直流だし電化すると面白いだけど。
南紀を電車にするほど需要なさそうだし。伊勢鉄道回りから亀山回りになるから、時間増だし。
南紀としなのが共通運用になるぐらいかな。 >>558
南海は国鉄と色々あった
のちには乗入れと引換に中古特急車の押し売りまで掛けられそうになった スレチっぽくなるが南海がいいようにされたのは国鉄よりも大阪市
どれだけ権益を失わされたか
お上に弱い伝統でもあるのか >>588
梅田乗り入れ計画→モンロー主義の大阪市が四ツ橋線作って妨害
逆に大阪市がモンロー主義破って御堂筋線中百舌鳥へ→泉北の客吸われる
都市計画で岸里高架化→汐見橋方面分断したまま工事終了 >>558
名鉄以外は国鉄に運命を翻弄された感があるね
第二の人生を全うできたのがせめてもの救い 富士急キハ58は3両だったね
随分と思い切ったことを… この3両分の予算を電車に振り向けていればモハ3100並みかそれ以上の新型電車が入っていたかもしれない >>593
きのくに廃止直前に市駅まで電化されたんで
59年10月-60年3月のわずか半年弱だが南海直通も架線下DC >>597
>自社に非電化区間がないにもかかわらず、国鉄直通のためにDCを用意した健気な鉄道会社
には該当しないだろ >>561
朝一番の給油〜回送スジ設定に苦労したそうな >>452
函館といえば富良野方面や留萌方面行を併結するDCかむいがあった
なよろ、紋別はぼろとともにライラックやホワイトアローに格上げされた 四国の繁忙期のいしづち、しまんと(高松-多度津)にDCが使われたことがあった >>594
3両目は便所無し・両運転台
独自寸法の戸袋窓が目を引く 用済みになっても有田に引き取られて寿命を全うできて良かった 名鉄北アルプスはパノラマカーより室内の造りが良かった
思えば生涯でずっとパノラマカーばかり注目されて気の毒だった 走る区間が限定されてたのも不利に働いた
パノラマカーは支線にまで進出して知名度を高めた 湖西線永原から北陸本線敦賀方までの普通列車に交直セクションを気にせず運転できる気動車が使われていた。
当時敦賀運転所に小浜線を走る気動車が所属していたからできた芸当。