懐かしの北陸特急&急行2号
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1001目前でスレが落ちたみたい
来年3月14日は北陸新幹線が開業
開業すると大きく様変わりする北陸本線
その北陸路を駆け抜けた特急と急行を語り合い懐かしみましょう
主な対象列車
日本海縦貫「白鳥」・雷鳥・スーパー雷鳥・しらさぎ(485系時代)・加越・白山・はくたか(上野〜金沢間時代)・北越(大阪〜新潟間時代)
立山・くずりゅう・ゆのくに・能登路・日本海・つるぎ・北陸・きたぐに・能登
その他、北陸路を駆け抜けた特急・急行なら何でも良いです
北陸新幹線開業後は現はくたか・現北越・トワイライトエクスプレスも可能になります >>81
その頃だと大糸線平岩経由で信濃大町までとかスーパー雷鳥信越長野行
、夜行の軽井沢行きとかバブル真っ盛りならではのリゾート列車,スキ
ー列車が多かったね。 >>83
583系の時代もありましたよね
ゆーとぴあ和倉ってのもありましたね >>83
20系あおもりの写真あるよ。90年代前半。 >>88
この時刻表は昭和46年12月号あたりかな? >>89
鋭い洞察力ですね まさにその通り
種別の最盛期にはまだ早かったかな 昭和46年だと普通列車は快速電車以外、
全て客車鈍行だったそんな時代ですね。
急行も架線下DCが多く特急全車指定席、
快速電車人気あったのうなずけますね。 >>81
そこにはエーデル高山、リゾート立山も仲間に入れてやって下さい。 >>94
日本海51号・52号と言えば583系が思いつくけどな 実際に乗ったことはないんだけど下り急行ゆのくに3号の全車指定席マークが時刻表上ではやたら神々しく見えた。 特急に12系など現在なら暴動?一部歓喜?
100円引きとかでしたっけ
まあ物価も現在とは違いますが >>94
14系座席車時代に富山→青森で乗りました。
簡易リクライニングに悪戦苦闘の一夜だったのも、
今はいい思い出ですね。 >>83 こがねで思い出した事がある
高岡在住なのだが名古屋までの乗車券は国鉄からJRになった頃まで東海.高山経由とも同じ運賃採用されていた。
こがねの名残だって聞いたことがある。 急行立山.ゆのくに.くずりゅうは
57年のダイヤ改正で雷鳥に格上げで廃止になったけど しらゆきだけは60年のダイヤ改正まで残っていたな。 >>99
>>63の元高岡市民です。
それは知りませんでした。
その規則適用は高岡限定だったのですか。 >>101確か富山も東海.高山経由も同一運賃だったはず。
当時高校卒業してから名古屋に就職していて高岡駅の運賃表が同一運賃表掲示で不思議だった。
知り合いに聞いたら循環運用の名残だって聞いたことが無い つるぎ
北陸三県まる無視の運行も致し方ないけど
ある意味北陸特急ではないような…
ちょっと雲の上の存在
白一色のHMも白×青のHMも格好良い
Bのみの編成がストイック
20系の頃はAもあったんだっけ? 急行時代は北陸用だったんだ
日本海が大阪で便利なように北陸深夜になったため北陸急行つるぎが生まれ
つるぎが新潟で便利なように北陸深夜になったため北陸急行立山(夜行分)が生まれた つるぎはあんまり印象が無いなあ
敦賀に停車してから糸魚川まで無停車だったから >>103
北陸管内は運行時間の関係で無停車だったから北陸特急と言うには無理があるかも知れないが
一応、走る区間に北陸本線が入る関係もあるし
さらに牽引機が敦賀や富山のEF81で運転士も敦賀や金沢の運転士が担当してたと思うから
一応、北陸特急の一員では無いかと俺は思うけどね 糸魚川は北陸ワイド周遊券東端であり、
糸魚川までは快速電車も走ってたから、
北陸特急に入れてもいいと思うけどね。
来月14日以降トワイライトエクフスレス入れるか否かで答決まると思うけどね。 ×トワイライトエクフスレス
○トワイライトエクスプレス >>105
北陸本線を深夜に一気に駆け抜ける列車だったっけ
表定速度速そうだけどきたぐにと変わんない くずりゅうという列車名は、かなり奇異な印象を受けたな。
地元的には当たり前だったんだろうか? >>106
ごもっともであります
自分としては敬意を込めてるんです
何てったって越中を代表する頂きの一つである"剣岳"の"つるぎ"なんですから…
じゃあ何でせめても富山県内で客扱いをしなかったのか?なんてこれっぽっちも思って…
>>105
時刻表上は「レ」が並んでますもんね
一気に駆け抜けるには運転士の膀胱が持たない?w
>>107
3/14以降はここでも可能と>>1さんが宣言しておりますよ
>>111
九頭竜川からの命名なので地元民としては違和感0ですよ
九つ頭がある訳ですから股は八つ?
だからといってヤマタノオロチ伝説は出雲地方でしたっけ? スハネ30連ねた急行つるぎはちゃんと富山用だったぞ!
格上げしてブルートレインつるぎになると何か名前を間違ってる感じだったな >>104
つるぎが新潟に延長する前から夜行立山はあった。つるぎが寝台列車、立山は座席オンリーの輸送力列車。後のつるぎときたぐにの関係に近い 大阪−富山間時代の「つるぎ」は最初準急だったが、「金星」を名乗っていた
時もあたかと?
本当にスハネ30ばかりだったが、一度満員で大阪から高岡までオロネ10に乗った
時があったが、金沢でボーイが北国新聞を呉れた。
準急時代はロがスロ50だったが、ロは「日本海」との共通運用で、ハが503−504レ
「立山」との共通の様だった。
勘違いだったら御免なさい。 立山というと、鉄の俺でも、いまや列車よりも酒を連想してしまう。 >>112
釣りかもしれんけど運転停車は時刻表には載っていませんよ 立山は大阪〜糸魚川の夜行の他に
上りで富山〜大阪の夜行ってのも有ったな。
立山って基本編成って6両だったけ
?
確か金沢〜富山の快速で12両運用
ってのがあって立山の送り込みで
富山駅で切り離して立山の運用ってのがあったような? >>117
>>112みても、時刻表に運転停車が乗っているとは読めんのだが? >>117
もちろんそれを知っている上での
敦賀〜糸魚川間が客扱いはしないが無停車ではないですよって意味なんですが…
なんかスマンです >>120
気にするな、俺はオマエの意図通りに意味をとった。
>>119のツッコミの意味がわからなかった。 ある日の北陸特急、急行
ttp://iup.2ch-library.com/i/i1390233-1424614844.jpg >>122
加越とDCゆのくにがあるから、50.3〜53.10の間か >>122
この頃が確かに北陸の黄金期だろうね。
赤いシリーズがテレビで放送の時期か。
新潟石川同時ネット富山福井遅れネット >>123
あたーりー
S53,7だす。
やだねえおっさん鉄はすぐ当てちまうw
持ってる俺もおっさん鉄だがな。 すぐ後ろに迫る特急から終点福井まで逃げ切る急行越前
RJ誌にルポがあったなぁ
乗ってみたかった 関係ないけど、晩年のブルトレ富士に乗っててソニックにブチ抜かれたのは
少なからずショックだった。 すぐ後ろに迫る急行能登から終点まで逃げ切る特急北陸
ありえん信じられない世界面白かったがこれも完全に既に過去帳入りなのは残念 能登が電車になってからは直前の特急を突っついておったね。 これでも湖西線内はカッ飛んで逃げてたんだろうな
http://www.youtube.com/watch?v=Km4axBbmnms
あと2駅で客扱いもある敦賀だというのに >>123
加越は準急ひだの後身だったな、一度名古屋から高岡まで乗車したが、キロ28x2
の指定席が古い車で自由席が281000台だった。
ひだは最初名古屋−富山間で後に気動車区がある高岡まで延長してたのが正力ダイヤ
だと言われて居た。
ロがキロハ18で低屋根狭幅で不揃、後にキロハ25→キロ25で、其の時代に大阪-岐阜-
高岡と出張で利用したが、503レ立山より所要時分が短くて、比叡−ひだ乗り継ぎ
は普通車で100円安かった。
運賃が北陸本線経由と同額で、立山が急行料金300円、比叡100円、ひだ100円で合計
200円だった。
「暮らしの手帖」にまで立山の鈍足ぶりを書かれて、おまけに同じボックスで
富山の人と相席になれば「高岡の悪口」高岡の人なら「富山の悪口」を聞かされる不愉快
が嫌だったので、時間が許せば[ゆのくに]で金沢で鈍行乗り継ぎだった。 >>132
何年前だったかな?
日本海2往復時代に1号が敦賀退避してたよ 客車故に日本海2号は先行している急行きたぐにですら追いつけなかったな まあ特急の本数が増えたのと
68X系になって10`最高速度が増し
加速も向上したのも少なからず影響しているんだろうね >>134
青函開業の年に、(5月)日本海1号に乗ったら敦賀で雷鳥?だかに抜かれた
経験があった。 10年程前になるかな
日本海3号の敦賀での機関車交換を見ていたが、客車側にショックのない見事な連結であった アレだな
一応、683系2000番台「しらさぎ」も14日以降はここになるんだな 471系とか0番台貫通9連ナツカシスみたいなもんだな…
多分車両板の方が良い スーパー雷鳥編成(晩年は雷鳥の一部)の指定席って座席と窓の位置が合っていなかった? >>141 指定席は新潟の485系のグレードアップ車みたいに嵩上げしての配置だったので窓枠にかかる事は無かったような? 大阪へは立山、ゆのくにと二種も昼行急行が残っていたのに
名古屋への兼六は三年程でしらさぎに吸収されてしまい、名古屋口に定期北陸急行がなかったのは残念だ
あ、47X系急行の話で大社は別口ですからね のりくらがあったじゃないか
福井へは越美線の開業をお待ちくださいだったのか?w >>141
嵩上げ+座席交換+シートピッチの拡大は民営化直後の定番改造だったから
各社に同じような座席と窓位置のズレてる車両があったよ >>140-141
「スーパー雷鳥」「かがやき」「きらめき」の金沢車のグレードアップ車は
指定席車のシートピッチを広げていたから窓枠の位置に来る席もあった
座席によっては全く外が見えないと言う席すらあった
特に偶数番の座席がビンゴだった思う
そのグレードアップ車は
晩年、京都車の2〜4号車に使われたいたんだよ そのグレードアップした指定席でも嵩上げしている席としていない席がなかったっけ?
更に嵩上げの高さの違い
もっと更に窓拡大とノーマルと・・・ やはり剛性の関係で窓枠までは弄れなかったんだろうね
客としては車窓も旅の楽しみだけれど、居住性に重きを置いたんだろうな
案外
「ビジネス利用なら車窓はどうでもいいだろ」とか
「目的地が温泉のオバハン連中ならくっちゃべるのがメインだから」
なんて考えだったりして あの485系のノーマル車だと子どもが車窓みえないんだよね
3000番台は窓の下方向拡大しているけど
何故かJR型である783系の先頭車のA室以外は485系と同じ窓位置なんだなー >>151
酉の改造車両は多少の柱に掛かっている編成もあったけど 束の改造車両は国鉄改造車両ってかんじで柱に掛かって座席を倒さないと景色が見えない編成が多かった。
現行の北越に投入されている
3000番台のグリーン車も3Aなんかはもろ柱に掛かっているからなあ 間もなく国鉄急行型電車の歴史も終わるのか?
最終日の北陸本線の475系に乗るつもり。 はくたか、北越はお別れセレモニーをするみたいだね
475系はひっそりと姿を消すのか?
老兵は… 寂しいのぉ >>154
この時期の天候は安定しないから
13日に強風で運休って事もあり得るかと >>149
当初は自由席と指定席でも改造の内容が違った
後にそれがぐちゃぐちゃになっただけだと思う だいたいそんな感じ
編成が崩れる前に一度乗りたかった(´・ω・`) 40年程前、富山から大阪まで「臨時(客車)急行・アルペン」に乗車。
車輌は旧型客車使用で全指定。
子供心に「罰ゲームかよ!」と思った。 ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ >>158
12系とちゃうかった?
それとももう少し前のことでした? >>160
スハ43・47形の類。
10系や12系ではなかった。
車掌が「いつもは新しい車なんですけど・・・」
と言って検札時に謝ってたのを覚えてる。
今なら罰ゲームどころか・・・ご褒美ですよね。 40年前だと既に快速電車は冷房車だな。
と言いたい所だが定期急行能登越前が、
まだ旧型客車なので謝る必要もないな。
と言いたい所だが大阪行きの急行だと、
立山もゆのくにも越後も冷房車なので、
大阪行き担当だったのはアンラッキー。 >>159
無差別コピペするから嫌われるといい加減気が付けよカス
まさかここの住人じゃないだろうな 米原経由時代の「能登」の最後尾(米原−金沢間)のマロネフ38は、戦前には
東京−神戸間の特急「かもめ」用のマイネロフ37だった筈。
1等展望車が連結され後は「増8」だった。 485系の初期型やクハ481の200番台
その200番台の時期に作られたモハ484とモハ485
その当時で「白鳥」や「新潟雷鳥」に「白山」など長時間乗っていても仕方ない妥協できたが
今なら拷問だろうな
その前に今では5時間以上も乗ってる北陸特急自体が無いか
「はくたか」「北越」に475系
そして今は「トワイライトエクスプレス」に使われてるが昔は「日本海」に「つるぎ」として
これらの寝台特急で北陸路を駆け巡った24系25型は残り1週間か… 新幹線が通る時はあの山の上を通るんだとガキの頃親に言われてwktkしたもんだ
山の上なんか通るかよ!
まだまだ新幹線未開通の地在住であるが、北陸本線が一部消滅するなんて誰が40年前に予想できたか?
はぁ〜 また思い出迷子になりそうだ >>166
まあでも信越、東北、鹿児島の後だからなあ >>166
北陸新幹線は後回しにされてるじゃん!
と北陸自動車道走るたびに思っていた。 スーパー雷鳥とはくたか(西日本485系)と加越(4両編成)
どれが一番アコモデーションが良かった? >>169
4両編成の時の加越ってグリーン車は「きらめき」「かがやき」の転用だった思うが
普通車はオリジナルだった気がする
「スーパー雷鳥」転用の「しらさぎ」が走ってた頃って加越は4両編成と6両編成の2種類があった頃だったけ? スーパー雷鳥の方が座席的には良かった。
加越の晩年はかがやき編成をばらして4両が基本編成で繁忙期が中間車増結で6両で運転だった
束の485系初期改造車両が来ると嫌がられたからなあ。
90年代なんかは束の自由席車って
改造されずに簡易リクライング座席を
平気で投入していた スーパー雷鳥はビュッフェがあったね。
あれも今となっては貴重な思い出だな。 スーパー雷鳥が地鉄を初めて走った時は感動したな〜。
乗る機会が無かったのが残念。
立山(475)、うなづき(58)、北アルプス(アルペン特急)は、
何度か乗ったが・・・。 >>147
モハ485系改造してクモハ485系にして初めて485200番台のホロ貫通が生かされたのも懐かしいなあ 白鳥や雷鳥に使われていた上沼垂のグレードアップ車の自由席の座席って
指定席車の座席交換で出た座席を流用したとか聞いた事があるな >>170
>>171
O編成って奴だったかな?
ボンネットが一両入っている6両編成のやつ。
加越と北越の1往復だった気がする。
4両編成のS編成が、国鉄色で元きらめき編成のハイグレード車両。
99年頃が一番華やかだったなぁ。 >>176
確かO編成は北越専用でたまに加越の運用入っていたな。
晩年は臨時のかがやきと突破で定期のかがやきに入っていた 90年代前半、上りの「白鳥」に乗ると...
長岡で満員近くに混雑した頃が懐かしい。金沢で殆どお客降りるのだが。 >>179
ほくほく線開業後に「北越」に乗った時
今までなら大量の乗り換え客でホームの乗車口が列になるほどだったのが、それがパラパラ状態 ゆのくに、しらゆき、白馬、北陸、能登と言いたい所だが北陸新幹線開業後は、
いやでも完全に分断されてしまうから、
だから何なんだと言わざるをえないな。 そういや金沢ー富山はやたら白い列車名が多かったな。
白鳥、はくたか、白山、しらさぎ、しらゆき、しろがね、白馬 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています