懐かしの北陸特急&急行2号
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1001目前でスレが落ちたみたい
来年3月14日は北陸新幹線が開業
開業すると大きく様変わりする北陸本線
その北陸路を駆け抜けた特急と急行を語り合い懐かしみましょう
主な対象列車
日本海縦貫「白鳥」・雷鳥・スーパー雷鳥・しらさぎ(485系時代)・加越・白山・はくたか(上野〜金沢間時代)・北越(大阪〜新潟間時代)
立山・くずりゅう・ゆのくに・能登路・日本海・つるぎ・北陸・きたぐに・能登
その他、北陸路を駆け抜けた特急・急行なら何でも良いです
北陸新幹線開業後は現はくたか・現北越・トワイライトエクスプレスも可能になります 列車番号だけみると、
「しらさぎ」より「第1雷鳥」の方が格上に見える
http://i.imgur.com/58MWUUo.jpg >>530 >>531
すいません先輩方
S47生まれの自分の鉄分が濃くなった頃には
1M=しらさぎ1号 雷鳥は4001M〜だったもので
上下それぞれに1号から番号振ってあった時代も幼すぎて
♪「あずさ2号」の時代にはこの世に生を受けていたと思うのですが >>532
大丈夫ですよ、利用が多ければ格上げ
逆は廃止などもあるので
特急のない昭和30年
急行
「日本海」大阪〜青森
「白山」上野〜金沢
「北陸」上野〜大阪
準急
「ゆのくに」大阪〜金沢
http://i.imgur.com/PNKX1JP.jpg
http://i.imgur.com/gtbAHAQ.jpg 昭和3年
神戸〜青森 急行505(ホの段)
列車番号でいくと
昭和30年 準急505「ゆのくに」が
北陸線の戦前から由緒がある優等列車です。
参考で大正10年には急行はありません
http://i.imgur.com/Bt5Ps01.jpg
http://i.imgur.com/ve07oCa.jpg 多客期でも下りの福井行優等列車は見かけないね、
上りの始発はいくつか設定されているが・・・
冨山、金沢で満員になるための救済処置か >>536
あった
あれは金沢行にすると日付こえるからね >>537 >>538
さっそくありがとう!
後の朝晩一往復の快速へと変貌してゆくのでしょうか
客車普通は坂田、河毛を通過してたんですな
ど真ん中の急行越前がシブいですねぇ 前のは1977-1
1971-5でも「くずりゅう6号」はあるね
1967-10で福井発着となるのは
急行「白山」「越前」「わかさ」のみ
http://i.imgur.com/yO6vA4R.jpg
http://i.imgur.com/yVOXGJ1.jpg 大社見て思い出したが昭和55年頃に福井止めだったな
敦賀からだが一応今の話題の下り優等に該当する >>535
臨時で設定されいた上り雷鳥がそれに当たる
金サワ運用で加越(時期によってはきらめき)の間合い運用で設定されていた >>543
それきたぐにが故障して急きょ京都の485系パノラマ編成運用になったときじゃね?
489系北越はけっこうあった >>545
これなんですが…
ttp://blog.livedoor.jp/railart/tag/%E5%8C%97%E8%B6%8A >>546
これは初耳
96年ってことはスーパー雷鳥編成?
電気釜のHMは臨時表示だったんだろうか 上りのみ設定された列車って
あすわ、雷鳥、くずりゅう、加越
他にもあったかな? >>546
このスレの画像は自分だけど
そのサイトにも相当アップしたよ〜♪
皆でみてね 30年以上前、小6の夏休みだったか循環急行のルートを乗り鉄したな
北陸線地元駅→米原→岐阜(のりくら1号)→富山(雷鳥)→地元駅
この旅から乗る乗らないに限らず、一周ルートをあれこれ考えたもんだ
切符購入時にも駅員さんに「ほーう、考えましたな」なんて言われたりしてさ
東京往復のとくとく切符に一周ルートが出来たのなんてずっと後だった記憶 >>551
その10年以上前から
「しろがね」「こがね」
名古屋発、名古屋行きという急行があったんですよ >>552
実はそんな循環急行があったなんて小6当時は知りもしなかったのですがねぇ
「名古屋まで行っちゃうと一周にならないよ」なんて駅員さんに助言されたりもしました
>>550さんのレスからの回顧でした フフフ >>553
大都市近郊で重複しなければ、隣駅で降りるが通用するんですよね
因みに
549=550=552です
考えた時期が1977位なら帰ったらアップします
1980年以降の時刻表は処分しちゃったから、古いのしか持ってないんですよ >>554
残念ながら1984年かと記憶しておりますれば…
1979年に亡きオヤジが自分を初めて新幹線に乗せてくれた時の
ポケット時刻表が最近家中で見当たらずしょぼくれております(´・ω・`) >>555
1984は処分してしまいました。
rail・artブログのページで見てみたら?
近い年代とカテゴリーで知りたい路線が検索できますよ 循環はアルペンもあったらしいが、立山の485版になった頃しか知らないなぁ >>559
あいやー、お疲れ様です
富山での乗り継ぎは30分ほど時間があったかと記憶しております
本来、富山からは普通でと考えていたのでした >>560
考察していた頃の7年前だから仕方ないですよ。
家にある北陸本線の一番新しい時刻表がこれしか無い… 日曜日から2泊3日で白浜温泉と大阪泊で会社の社員旅行に行って来た
最終日の昨日は午後に京都鉄道博物館へ
文字だけの雷鳥ヘッドマークに国鉄色ではあるが内装は「きたぐに」仕様のクハ581
「日本海」幕のオロネ24にEF81や展望スィートのトワイライトの車両達
「今から5年前まで、この車両達が毎日の様に地元の北陸本線をかっ飛んでいたんだな」と思っていたら何だか感慨深くなった
企画展で「寝台列車の軌跡」と言う夜行列車の企画展があり
「日本海」「つるぎ」「そして「トワイライト」のヘッドマークと本当に懐かしく感じたな
博物館入口にもヘッドマークが展示されていて、そこに「北国」のヘッドマーク
機関車牽引の時代に「きたぐに」ってヘッドマーク出して運転された事ってあったのか?
しかし、遠足なのか昨日は小さい子供が多かったな >>562
>機関車牽引の時代に「きたぐに」ってヘッドマーク出して運転された事ってあったのか?
ググると画像が出てくる
電車化直前のサヨナラ装飾みたいね >>563
オフィシャルではない、機関区特製かな?
心意気を感じますね うひょー
押し入れ整理したら捜してた1979年の全国小型時刻表出てきた(・∀・)
ついでに1984年のJTBも出てきた!
さ、記憶を辿る旅に出てきます >>565
貴殿にとって宝物の一冊ですね
今は簡単に検索できるけど、
当時、時刻表は見たことの無い情景を想像するためのツールでした。 >>565
家にも何年かは覚えて無いが1980年初めの頃のJTB時刻表がある
今では見る事の無い食堂車マーク
懐かしいなぁ〜 1980年以降の時刻表を処分したのが悔やまれます。
古い時刻表は右から左にページを開きます。
電報取扱い駅と洗面所のある駅の記載 今庄
1984当時で急行が上下合わせて7本も停まっていた事に驚き 津幡の弁マークが意外
分岐駅の名残か
もっと言えば西大津、叡山、堅田、安曇川、近江今津にも弁マークが >>570
きたぐに+立山+くずりゅうあたりか?
1984年だと急行きたぐにと臨時立山と
1往復くずりゅうが残ってただけだから1982年の間違いじゃないか思うんだが >>572
下りが わかさ、はしだて、くずりゅう、臨時立山(583)
上りが はしだて、わかさ、くずりゅう
時刻表は1984年9月です 1984当時と言われると1984改正時の時刻を思い浮かべがちだが
改正前の方が期間長いもんな >>577
今の福井鉄道とえちぜん鉄道の路線が影も形もなくて南越線と丸岡線があったんだな…
まず最寄りの官設線に出るための枝線→次いで官設線で補えないきめ細かなサービスを目指す路線となるのは当たり前っちゃ当たり前か
そうやって考えると立山軽便から地鉄への線形の引き直しがよく理解できる >>578
すまんね
2月改正で激減した急行のうち>>574が停車してるのか >>559
今となっては定期はくたか記載は
貴重ですな
翌年のダイヤ改正で臨時に格下げになって残っていたのを思い出した
小学校6年の夏休みに高岡400頃発の急行立山で糸魚川乗り換えで直江津乗り換えで佐渡一周やって
帰りが両津港から新潟港経由で新潟駅から北越で高岡に帰って来た
のを覚えている >>565
押し入れ整理してたら中学の卒業アルバムが出てきたので中1.2年の
宿泊学習の移動を思い出した
1980年妙高高原で行き高岡800発の白山3号帰りは115普通で直江津
直江津から旧客の普通で高岡
1981年は高岡913だったか覚えが無いが行きのりくら3号で高山
高山の宿泊学習は3年の修学旅行の演習だった
帰りは高山〜富山普通列車乗り換え富山〜高岡普通列車だった
夏休みに地歴部の合宿で高岡発の何時かは忘れたが雷鳥で敦賀でわかさ乗り換え小浜
帰りが小浜から28.58の急行崩れの
普通列車で敦賀から急行立山で高岡
急行立山を長距離乗ったのは最初で最後だったな >>583
自分の高校の修学旅行は志賀高原スキーでした
往路は鯖江(しらさぎ)→米原(しなの)→長野
復路は長野(白山)→鯖江 白山がそのまま延長でした
白基調の青赤ラインの489でしたね >>584
昭和38年か昭和39年のどちらかですね その当時に急行が停まっていたのは
たぶん、北国街道の今庄宿があった頃と
旧線時代の北陸線の要所って事がその頃からの名残じゃ無いのかな >>587
機関区があったくらいだからね
停車中今庄そばに舌鼓ってのも遠い昔ですな >>587
下りのトワイライトが今庄で雷鳥
退避で止まっていたのをよく見たなあ >>586
1964-8ですよ
よくわかりましたね >>590
マジですか!
1964年8月生まれなので正に生まれた時金沢電化と富山電化の間の時でありかつ東海道新幹線開業前から推理しましたが生まれた時の時刻表とは思わなかったな(東海道新幹線開業前の能登は米原回り) >>587
下りの日本海1号が今庄で雷鳥
退避で止まっていたのに乗った事がある >>588
今でも、その名残の設備が構内にあるからね
>>592
いつの頃の話かは知らないけど
たぶん本来の敦賀又は近江塩津退避が何らかの影響で雷鳥が遅れて今庄に変ったんじゃないかな?
確か、日本海1号が今庄で退避していた時期は無かったと記憶してるけど
ちなみに時期にもよるけど日本海1号が所定で特急退避していた駅は営業扱いでは敦賀と加賀温泉で
運転停止の通過退避駅は近江塩津、芦原温泉(確か1年間ほど)の4駅だった思う 日本海の近江塩津退避はつべにありますね
下りトワイライトは武生で退避していた時期もあるし鯖江で退避していた時期もあったかな
上りは芦原温泉での退避を見た記憶があります 白鳥がデビューした時は下り大聖寺停車、上り動橋停車だったけどいつしか動橋停車に統一。
結局この時の遺恨が作見→加賀温泉への格上げでの喧嘩両成敗という図式を生んでしまった。 煽りを食って北陸鉄道の路線が廃止された…と鉄道ファンは捉えているが
鉄道労組の強さに悩まされてきた北陸鉄道にとっては渡りに船
ちょうど赤字補てんが打ち切られたこともあり、喜々として廃止した そう言えば1〜2年の間だけど
高架前の仮地上ホーム時代の福井駅でもサンダーバード43号だったか45号の退避で4番ホームに入ってたな S47生まれの北陸在住だが
つるぎ、日本海、トワイライト、きらめき、かがやき、ひだ
くずりゅう、越前、しらゆき、能登路、ひめかわ、白馬、わかさ
乗ってないの結構あるなぁ 今朝トワ機がDE?を牽いて下って行った
除雪の準備かな?
走ってるEF81見たの久々だった
ついこの前まで北陸の覇者だったのにな
デッドセクションが変わったからか、大土呂辺りで両パン上げだった 長浜って変わったね。
昭和のころは急行、特急、鈍行も含めて長距離列車ばかり、
旧客の長岡行、富山行、金沢行などが2時間に一本程度だったのが
今や関西通勤圏、小さいながらも売店を備えた待合室が懐かしい。 >>602
アーバンネットワークに取り込まれた?飛び込んで行った?からかな
さて、敦賀はどうなってゆくのでしょう… 流石に三丁目の夕日補正じゃね?
彦根との通勤通学圏だから東海道北陸跨ぎのDC区間列車もあったし
2時間も空くのは朝ラッシュ終了後の閑散時ぐらいだったような
それこそ柳ヶ瀬線どころかキハニ36450の時代から区間列車あったはずだから
世代による認識の差でもないはず… >>607
ほほーう
何かドクターイエローを見たのと同じ様な感覚だったよ 92年度の交通公社版7月号が出てきた
92年は客車急行のオンパレードだな
20系使用の急行青森.リゾート白馬
583系使用では越後.シャーレ軽井沢
583系臨時雷鳥等が走っていましたな 彦根長浜都市間輸送は国鉄よりも近江バスでしょ。
旧8号線経由で結構頻繁に出ていた印象あり きたぐに用583を使用した臨時雷鳥って、ロネは普通指定席だったんだよね? サロネ作ったのは立山廃止の後、485にだんらん繋いだ頃だから
一応あったようには思うが…
どうだっけな もし583系急行あおもりにヒルネ設定した場合、
制度上、ロネはロザになったのだろうか? きたぐに用583使用の臨時雷鳥見たことあるよ
通過を見ただけだが、サロネは緑色の座席状態だった
ロザかハザかは動体視力が及ばず不明 >>611
指定席の扱いでしたよ
確か5号車又は7号車だった様な記憶がある
583系の臨時「雷鳥」は「きたぐに」と別運用だったから12両編成の時もあったと記憶している
ちなみに7号車にサロネ入った時が12両
サロネの前の車両は10両の時も12両の時もサロを連結
臨時でもボックス席と言う不評からか2〜3年くらいで485系に変った記憶がある
ちなみに当時の向日町(京都)の583系は「きたぐに」と波動用(臨時「雷鳥」、リゾート用、修学旅行など団体臨時)の編成は分けて運用されていて
本来の「きたぐに」編成が点検などで使えない時に波動用の編成を投入していたと記憶している
だから稀に出入り口付近がミニサロンに改造された波動用編成が来たりしてた >>617
詳しくありがとう
長年の疑問が解決しました
ミニサロン改造サロ、「きたぐに」で一度だけ乗車したことあります
巨漢の友達と並びで指定を受けたのですが、どうにも狭っ苦しく
悪いと感じたのか、彼はミニサロンの長椅子で寝てましたわ >>617
1992年の交通公社版の時刻表でも
5.7号車が指定席になっていた
583系が臨時雷鳥運用に入る時は
きたぐにの予備編成を使用していた
583系リゾート改造車はシュプール
と東北夏祭り号とあおもりの運用に付いていた
あおもり.東北夏祭り号使用時は
サロン付グリーン車のリゾート改造車運用でサロン付グリーン車は
サロン扱い
シュプール運用時はもっぱらきたぐに予備編成を投入して定期のきたぐににサロン付グリーン車編成
秋から冬場にかけて入っていた 最近スレが秘かに、マニアックに盛り上がってて、沿線民として嬉しい限りです きたぐにって583と485の混結で営業運転しなかった?
JRになった日に、定期の続行で485の臨時きたぐにもあったな >>621
シュプール志賀.妙高は583+485
の組み合わせはあった
きたぐにはその組み合わせは内 開かずの貫通扉がやっと活用されたやつか
京都の485系、583系の月光型は開かずだったから 485系の貫通扉が活用されたのはスーパー雷鳥が最初だったのお >>624
シュプール運用後だったはず
スーパー雷鳥の場合は編成改造のはず
編成改造にあたって7号車の
485-200番台不足気味になって
北近畿に使っていた183-801を485
-801に戻したり489-601を組み換えて走らせていた スーパー雷鳥改造時に183を485に戻すなんて主張は
時期が合わんぞ クハ481-800番台やクハ489-600番台が併結運転の際の中間車となる7号車には入って無かったハズだが…
7号車は全てクハ481-200番台でクハ481-800番台は付属編成の10号車だったと思う
それからクハ489-200/600の編成は5編成あったが
そのうちJR分割の際に「あさま」「そよかぜ」用に長ナノへ3編成転属して金沢には2編成が残り
その残った2編成は最初の頃は白山、しらさぎ運用の9両運用で使用され
その後、しらさぎのオール7両化で白山運用と分離されクハ489系の200/600番台は
しらさぎ、加越用の7両用に転用されたと記憶してるけどな
ちなみに、その時の489系のしらさぎ、加越用の7両編成転用は
ボンネット編成と非貫通型編成に前での貫通型編成の2編成ずつが転用された様な記憶がある
ちなみに、489系の7両転用で浮いた金沢の485系7両編成が「スーパー雷鳥」への転用だった気がするんだけどな
浮いたと言うよりスーパー雷鳥の車両を捻出する為に、しらさぎが7両化にされた様な感じだったもんな
まぁ、なんせ30年近く前の事で正確には覚えては無いけどな
ただ、覚えてるのは金沢のしらさぎ用12両編成が食堂車を外した際のダイヤ改正で
白山と共通運用の9両編成と加越、北越と共通運用の7両編成の2パターンの編成が存在したと言う事だけどね
>>626
七尾線電化の時期では無いか? 七尾線電化もスーパー雷鳥登場も1991年だから
「スーパー雷鳥のために183系から485系に戻す」なんて処理はありえない
まぁ415系800番台が少し早めに出て福知山線で運用されていたりはしたが
同じ計画の範囲内での車両繰りなので485として使うものを183にする意味がない 俺もそう覚えてる
スーパー雷鳥用のは9両編成でリニューアルされて
1991年の和倉電化でクモハ484を組み込んだ筈
で、北近畿の485系から交直流機器を取って113系を415系に改造し、
その後で徐々に北近畿の485系が183系に改番されたろ >>627
それこそ貫通型トップナンバーのクハ481-201は複雑な経歴の持ち主なんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています