懐かしの北陸特急&急行2号
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1001目前でスレが落ちたみたい
来年3月14日は北陸新幹線が開業
開業すると大きく様変わりする北陸本線
その北陸路を駆け抜けた特急と急行を語り合い懐かしみましょう
主な対象列車
日本海縦貫「白鳥」・雷鳥・スーパー雷鳥・しらさぎ(485系時代)・加越・白山・はくたか(上野〜金沢間時代)・北越(大阪〜新潟間時代)
立山・くずりゅう・ゆのくに・能登路・日本海・つるぎ・北陸・きたぐに・能登
その他、北陸路を駆け抜けた特急・急行なら何でも良いです
北陸新幹線開業後は現はくたか・現北越・トワイライトエクスプレスも可能になります >>488
「だんらん」は向日町の所属
「だんらん」登場時、1編成だけサロ(だんらん含む)を除いて初期型車両のみで組成された編成があったんだよな
まぁ、新カヌ車でも向日町から新潟へ転属直後の一時期サロ除いて全て初期型で組成された編成もあったな
しかし、今から約20年前の北陸本線って国鉄色、白山色、新潟色、スーパー雷鳥色、かがやき色とバラエティーが豊かだったよな
さらに細かいけど国鉄でも雨どいもクリーム色にした金沢車に雨どいがオリジナルの赤のままの京都車
見ていてホント飽きなかったよな〜 >>489
向日町=100番台のイメージ。
国鉄色でデカ目ボンネットの雷鳥は、グレードアップ改造前の
上沼垂車と一目でわかるね。
仙台や九州からかき集めてきたボンネット車だったと思う。 食堂車改造だったっけ、だんらん
単なる畳敷きじゃなく掘り炬燵にしとけば良かったのにな >>490
上沼垂へ行く前の事だけど
確かS60年3月改正だった思うけど0番台ボンネットが九州から転属して来て
一時期、向日町に配置されていたんだよね
国鉄最後のダイヤ改正で100番台ボンネットのクハ481-102及び0番台ボンネット全てが上沼垂へ転属
向日町から上沼垂へ転属したのはボンネットの他にクハ481-200番台で青森からは1500番台が来た記憶がある
その時にサハ481(?)から改造されたクハ481-753ってのが一緒に上沼垂から転属してるけど
そのクハ481-753って上沼垂の前は何処に配置されていたんだ?
番台からすると福知山かな? ボロいのは上沼垂へ
向日町にも0番台配置あったのか
もっとも雷鳥、しらさぎデビューでの481系新製配置は向日町だったっけ >>493
そうだよ
でも「雷鳥」も「しらさぎ」も運転開始されたのは配置から約2ヶ月後の事
確かS60年3月改正って九州特急の先頭車化改造で大量のボンネット車が九州から本州へ大移動
その殆どが勝田区へ転属したけど一部のボンネットが向日町へ転属
でも485系の大移動ってS57年の11月改正が一番では無いかと思うのだけど
この時は「立山」「ゆのくに」「くずりゅう」が特急へ格上げされた時なんだよな >>490
ゆーとピア和倉を連結する為スカートを改造したのも居たな ヘッドライトカバーまで撤去
金サワにクハ481の124と125が保留になっていたな
126は運よく京都に移籍 考えてみれば1990年代後半から2000年前半の北陸本線の485系はバラエティー豊かだったよな
先頭車ではクハ481に0番台ボンネットに100番台ボンネット、200番台に300番台
そして1500番に700番台、750番台、800番台と…
クロではスーパー雷鳥(後に「しらさぎ」と国鉄色「雷鳥」)のパノラマ車に
「かがやき」「きらめき」「北越」の先頭グリーン車、その先頭グリーンもサロから先頭車化改造と
中間車ではスーパー雷鳥用の「だんらん」改造のサロにモハとサロ改造のサハと
485系の歴史の中でこれだけバラエティーに富んだ485系が存在してたのは北陸本線ぐらいじゃ無いかな? 「北陸」と「能登」を廃止に追いやった張本人
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/ .\ つるぎスレから拝借でスマンが、夜もそこそこ賑わっていたんだな
ttp://i.imgur.com/zMLyan2.jpg >>499
自分が貼ったやつだ(笑)
時刻表なら色々あるよ つるぎスレなんてあんの?
後年白鳥になったしらゆきはこういう存在意義だったのか… この鉄道懐かしには「日本海」「白鳥」「つるぎ」のスレあるけど
>>1が、日本海縦貫「白鳥」「日本海」「つるぎ」と言ってるんだがから
この3つのスレは、このスレに統合した方が良いと思うのだけどな 国鉄色編成
スーパー雷鳥編成
はくたかグレードアップ編成
白山色編成
上沼垂色編成
上沼垂R編成
15年くらい前が一番賑やかだったな >>483
白山よりはくたかにボンネットのイメージ濃いな。 浜黒崎に駅あったのか
今もあれば撮影に便利なのに…
いや、今更もう撮りに行くものもないから要らないけど >>509
時刻表は1930年1月
路線図は1922年
浜黒崎は1923年に申請されて、6-9月のみ停車。1948年に廃止 >>505
その国鉄色も加越の4両(クロ編成)と北越、加越の6両(クロ編成)に
しらさぎの7両、雷鳥、白鳥の9両と国鉄色は編成も賑やかだったよね
特に加越なんって通常は4両編成の運用なのに2両増結されて6両編成だったりしたからね
あと、当時のしらさぎ8〜11号は週末になると7両+3両(米原回転)の10両編成もあったしね
おまけに白鳥は連休とかになると2両増結の11両編成なんって事もあったからね >>511
加越の4両S編成は、元きらめき編成。
北越6両のO編成にボンネットがあったっけ。 >>507
やはり北陸線が発展したのは柳ヶ瀬越え、木ノ芽峠、親不知という三大難所を全てクリアしたのが大きかったんだろう。
他の幹線だと丹那トンネル、碓氷峠、清水トンネル等特大難所はせいぜい一箇所止まりだし。 >>512
1編成だけ6号車にボンネットが入ってたね
そう言えば、4両編成の6両増結時
増結される車両が金沢に2ユニット配置されていた485系のキノコ型クーラーの初期型が多かったけど
車両基地の保管状態があんまり良くなかったからか窓枠や屋根から水垢が流れた痕があるし
おまけに塗装も色褪せしてたんだよね
あと、白鳥では上沼垂色に増結車両が大阪基準で増結運用されてたから向日町の国鉄色のユニット
おまけに増結車両の号車が21号車と22号車
号車の意味は2両増結の1号車と2号車の意味だったらしいけどね
ぞの増結車両の指定席券持っていた人は「白鳥って21両(22両)もあるのか」と思っただろうね はくたかV編成と加越S編成はどっちがアコモデーションよかった? 深夜の時間帯
つるぎ、日本海、北陸と
区間によって全盛期は四往復?もブルトレが走っていたとはね
+きたぐに、能登
時代によっては立山、越前もか >>517
冬の時代はその間をシュプールも走っていたんだよね >>517
しかもその立山に臨時があった時代まで(日本海の臨時の方は結構有名だけどねと言うよりアルペンと名前違ったせいか
懐かしの北陸特急&急行と言うより寧ろ今の北陸特急サンダーバードの方が単に大阪と金沢を行ったり来たりするだけのしょーもないおもしろくもなんともないただの移動手段になってしまったからね
北陸新幹線敦賀延長で更に事態は悪化し特急どころか新快速新幹線リレー列車が走るだけに(リレー列車は特急かもだが)
懐かしのとか懐古主義者ではないけども北陸特急に関しては嫌でもそうなるよね なあ、ここの連中で誉れ高き「1M」と言ったら「しらさぎ1号」だよな? >>520
もちろんここの住人は1M=しらさぎ1号だよ
あと白鳥=日本海縦貫線、トワイライトエクスプレス=大阪〜札幌、きらめき=金沢〜米原だしね きらめきは本当、何考えて持って行ったんだろうなあ… このつるぎがKATOからNゲージで出るなんてすごい時代だなあと思った後、
とっくにED70やスハネ30が出ててマユ35だけ新規製品ってところで二度驚いたわ
トミーのオモチャみたいなED70なら持ってたけど… >>524
その頃は山陽特急がひと桁と10番台使ってて
つばめが名古屋発着だったんで
しらさぎは20番台からだったんだよ
その後1Mからに移行 雷鳥が誉れを頂かず、4001M〜だったのは
東海道〜北陸の上り下り逆転が少なからず影響したのかね? >>529
それもあるだろうが、MとDの違いはあってもこの路線の真のエースである白鳥に配慮した部分もあったと思う。
その白鳥も1Dを背負っていたわけではないし。 列車番号だけみると、
「しらさぎ」より「第1雷鳥」の方が格上に見える
http://i.imgur.com/58MWUUo.jpg >>530 >>531
すいません先輩方
S47生まれの自分の鉄分が濃くなった頃には
1M=しらさぎ1号 雷鳥は4001M〜だったもので
上下それぞれに1号から番号振ってあった時代も幼すぎて
♪「あずさ2号」の時代にはこの世に生を受けていたと思うのですが >>532
大丈夫ですよ、利用が多ければ格上げ
逆は廃止などもあるので
特急のない昭和30年
急行
「日本海」大阪〜青森
「白山」上野〜金沢
「北陸」上野〜大阪
準急
「ゆのくに」大阪〜金沢
http://i.imgur.com/PNKX1JP.jpg
http://i.imgur.com/gtbAHAQ.jpg 昭和3年
神戸〜青森 急行505(ホの段)
列車番号でいくと
昭和30年 準急505「ゆのくに」が
北陸線の戦前から由緒がある優等列車です。
参考で大正10年には急行はありません
http://i.imgur.com/Bt5Ps01.jpg
http://i.imgur.com/ve07oCa.jpg 多客期でも下りの福井行優等列車は見かけないね、
上りの始発はいくつか設定されているが・・・
冨山、金沢で満員になるための救済処置か >>536
あった
あれは金沢行にすると日付こえるからね >>537 >>538
さっそくありがとう!
後の朝晩一往復の快速へと変貌してゆくのでしょうか
客車普通は坂田、河毛を通過してたんですな
ど真ん中の急行越前がシブいですねぇ 前のは1977-1
1971-5でも「くずりゅう6号」はあるね
1967-10で福井発着となるのは
急行「白山」「越前」「わかさ」のみ
http://i.imgur.com/yO6vA4R.jpg
http://i.imgur.com/yVOXGJ1.jpg 大社見て思い出したが昭和55年頃に福井止めだったな
敦賀からだが一応今の話題の下り優等に該当する >>535
臨時で設定されいた上り雷鳥がそれに当たる
金サワ運用で加越(時期によってはきらめき)の間合い運用で設定されていた >>543
それきたぐにが故障して急きょ京都の485系パノラマ編成運用になったときじゃね?
489系北越はけっこうあった >>545
これなんですが…
ttp://blog.livedoor.jp/railart/tag/%E5%8C%97%E8%B6%8A >>546
これは初耳
96年ってことはスーパー雷鳥編成?
電気釜のHMは臨時表示だったんだろうか 上りのみ設定された列車って
あすわ、雷鳥、くずりゅう、加越
他にもあったかな? >>546
このスレの画像は自分だけど
そのサイトにも相当アップしたよ〜♪
皆でみてね 30年以上前、小6の夏休みだったか循環急行のルートを乗り鉄したな
北陸線地元駅→米原→岐阜(のりくら1号)→富山(雷鳥)→地元駅
この旅から乗る乗らないに限らず、一周ルートをあれこれ考えたもんだ
切符購入時にも駅員さんに「ほーう、考えましたな」なんて言われたりしてさ
東京往復のとくとく切符に一周ルートが出来たのなんてずっと後だった記憶 >>551
その10年以上前から
「しろがね」「こがね」
名古屋発、名古屋行きという急行があったんですよ >>552
実はそんな循環急行があったなんて小6当時は知りもしなかったのですがねぇ
「名古屋まで行っちゃうと一周にならないよ」なんて駅員さんに助言されたりもしました
>>550さんのレスからの回顧でした フフフ >>553
大都市近郊で重複しなければ、隣駅で降りるが通用するんですよね
因みに
549=550=552です
考えた時期が1977位なら帰ったらアップします
1980年以降の時刻表は処分しちゃったから、古いのしか持ってないんですよ >>554
残念ながら1984年かと記憶しておりますれば…
1979年に亡きオヤジが自分を初めて新幹線に乗せてくれた時の
ポケット時刻表が最近家中で見当たらずしょぼくれております(´・ω・`) >>555
1984は処分してしまいました。
rail・artブログのページで見てみたら?
近い年代とカテゴリーで知りたい路線が検索できますよ 循環はアルペンもあったらしいが、立山の485版になった頃しか知らないなぁ >>559
あいやー、お疲れ様です
富山での乗り継ぎは30分ほど時間があったかと記憶しております
本来、富山からは普通でと考えていたのでした >>560
考察していた頃の7年前だから仕方ないですよ。
家にある北陸本線の一番新しい時刻表がこれしか無い… 日曜日から2泊3日で白浜温泉と大阪泊で会社の社員旅行に行って来た
最終日の昨日は午後に京都鉄道博物館へ
文字だけの雷鳥ヘッドマークに国鉄色ではあるが内装は「きたぐに」仕様のクハ581
「日本海」幕のオロネ24にEF81や展望スィートのトワイライトの車両達
「今から5年前まで、この車両達が毎日の様に地元の北陸本線をかっ飛んでいたんだな」と思っていたら何だか感慨深くなった
企画展で「寝台列車の軌跡」と言う夜行列車の企画展があり
「日本海」「つるぎ」「そして「トワイライト」のヘッドマークと本当に懐かしく感じたな
博物館入口にもヘッドマークが展示されていて、そこに「北国」のヘッドマーク
機関車牽引の時代に「きたぐに」ってヘッドマーク出して運転された事ってあったのか?
しかし、遠足なのか昨日は小さい子供が多かったな >>562
>機関車牽引の時代に「きたぐに」ってヘッドマーク出して運転された事ってあったのか?
ググると画像が出てくる
電車化直前のサヨナラ装飾みたいね >>563
オフィシャルではない、機関区特製かな?
心意気を感じますね うひょー
押し入れ整理したら捜してた1979年の全国小型時刻表出てきた(・∀・)
ついでに1984年のJTBも出てきた!
さ、記憶を辿る旅に出てきます >>565
貴殿にとって宝物の一冊ですね
今は簡単に検索できるけど、
当時、時刻表は見たことの無い情景を想像するためのツールでした。 >>565
家にも何年かは覚えて無いが1980年初めの頃のJTB時刻表がある
今では見る事の無い食堂車マーク
懐かしいなぁ〜 1980年以降の時刻表を処分したのが悔やまれます。
古い時刻表は右から左にページを開きます。
電報取扱い駅と洗面所のある駅の記載 今庄
1984当時で急行が上下合わせて7本も停まっていた事に驚き 津幡の弁マークが意外
分岐駅の名残か
もっと言えば西大津、叡山、堅田、安曇川、近江今津にも弁マークが >>570
きたぐに+立山+くずりゅうあたりか?
1984年だと急行きたぐにと臨時立山と
1往復くずりゅうが残ってただけだから1982年の間違いじゃないか思うんだが >>572
下りが わかさ、はしだて、くずりゅう、臨時立山(583)
上りが はしだて、わかさ、くずりゅう
時刻表は1984年9月です 1984当時と言われると1984改正時の時刻を思い浮かべがちだが
改正前の方が期間長いもんな >>577
今の福井鉄道とえちぜん鉄道の路線が影も形もなくて南越線と丸岡線があったんだな…
まず最寄りの官設線に出るための枝線→次いで官設線で補えないきめ細かなサービスを目指す路線となるのは当たり前っちゃ当たり前か
そうやって考えると立山軽便から地鉄への線形の引き直しがよく理解できる >>578
すまんね
2月改正で激減した急行のうち>>574が停車してるのか >>559
今となっては定期はくたか記載は
貴重ですな
翌年のダイヤ改正で臨時に格下げになって残っていたのを思い出した
小学校6年の夏休みに高岡400頃発の急行立山で糸魚川乗り換えで直江津乗り換えで佐渡一周やって
帰りが両津港から新潟港経由で新潟駅から北越で高岡に帰って来た
のを覚えている >>565
押し入れ整理してたら中学の卒業アルバムが出てきたので中1.2年の
宿泊学習の移動を思い出した
1980年妙高高原で行き高岡800発の白山3号帰りは115普通で直江津
直江津から旧客の普通で高岡
1981年は高岡913だったか覚えが無いが行きのりくら3号で高山
高山の宿泊学習は3年の修学旅行の演習だった
帰りは高山〜富山普通列車乗り換え富山〜高岡普通列車だった
夏休みに地歴部の合宿で高岡発の何時かは忘れたが雷鳥で敦賀でわかさ乗り換え小浜
帰りが小浜から28.58の急行崩れの
普通列車で敦賀から急行立山で高岡
急行立山を長距離乗ったのは最初で最後だったな >>583
自分の高校の修学旅行は志賀高原スキーでした
往路は鯖江(しらさぎ)→米原(しなの)→長野
復路は長野(白山)→鯖江 白山がそのまま延長でした
白基調の青赤ラインの489でしたね >>584
昭和38年か昭和39年のどちらかですね その当時に急行が停まっていたのは
たぶん、北国街道の今庄宿があった頃と
旧線時代の北陸線の要所って事がその頃からの名残じゃ無いのかな >>587
機関区があったくらいだからね
停車中今庄そばに舌鼓ってのも遠い昔ですな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています