懐かしの北陸特急&急行2号
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1001目前でスレが落ちたみたい
来年3月14日は北陸新幹線が開業
開業すると大きく様変わりする北陸本線
その北陸路を駆け抜けた特急と急行を語り合い懐かしみましょう
主な対象列車
日本海縦貫「白鳥」・雷鳥・スーパー雷鳥・しらさぎ(485系時代)・加越・白山・はくたか(上野〜金沢間時代)・北越(大阪〜新潟間時代)
立山・くずりゅう・ゆのくに・能登路・日本海・つるぎ・北陸・きたぐに・能登
その他、北陸路を駆け抜けた特急・急行なら何でも良いです
北陸新幹線開業後は現はくたか・現北越・トワイライトエクスプレスも可能になります 金沢で飲んで能登で富山に帰ったときが懐かしい
最終のサンダーバードを逃しきたぐにが来るまで
ガスト(24時間でないので途中で出された)、駅で仮眠とってたこともある >>1乙
蒸気の牽く、杉津経由の鈍足立山に乗ってみたかったな
まだ産まれてもいなかったけどね こんなのはどうですか。ぐだぐだの動画だが食堂車付の485系特急群が懐かしい。
http://youtu.be/2hAHnMmfGeI
30年前は、食堂車付が当たり前だったんだね。 >>6
485系の北陸特急全盛期の時ですね
最後の旧客牽引のEF81がヒサシ付に見えたんだが…
もしヒサシ付なら、あの当時だと酒田担当の釜かな?
その頃の北陸本線の旧客牽引の釜って富山二区のEF81と敦賀二区のEF81では無かったかと思うんだが >>6
最初の81+旧客が一番スピード感あるように見えるんだが
81貨物の唸り
ガキの頃、電機のあの唸る音が怖かった この時代で食堂車が無いのは加越だけだったもんな
おまけに富山以北のローカル列車と言うとEF81又はEF70に牽かれた旧客と気動車だけだった思う
北陸新幹線が開業すると北陸本線も色んな意味で懐かしくなるな >>9
急行立山崩れの快速電車崩れの
485系快速と普通はあったが、
1日計3往復しかなかったと思う
485系快速は非営業とは言え、
食堂車を連結してて朝ラッシュ運転ということで途中の駅だと座席が満席でも食堂車の椅子に座ることができたのが印象的だ 食堂車末期
合理化なのか皿が紙皿になっていたのは痛すぎたな
しかし来年春にトワイライトが廃止になると往年の北陸特急で駆け巡った食堂車の残党もついに無くなるのか… デッドセクションで、食堂車の電子レンジを使用したらどうなったのかな? >>11
食堂車だけで無く「日本海」「つるぎ」で北陸路を行き来したJR西日本最後の24系25型自体も無くなる 来年春以降、定期列車として北陸本線を走る旧国鉄型はたぶん貨物のEF81だけになるんだろうな
来年春以降は土居原のクハ489-501が高架橋を駆け抜けるJR型オンリーの北陸特急の後輩達を見守るんだろうな 急行きたぐに 大阪ー青森 PC
急行しらゆき 金沢ー青森 DC
今思えば凄いが、そんな時代だった >>16
北陸から小浜線、宮津線を通って大社まで行く急行「大社」何て言うのもあったからな
実際に需要はあったんだろうか? >>17
名古屋発はグリーン車付の5両編成、福井?発は3両モノクラス
進行方向を3回変えるんだったっけか?
通しで乗る客数は実際どうだったんだろうね?
出雲大社へのお参りがブームだった頃が過去にあったんだろうか?
最近はサンライズ出雲で週末お参りに行く女性が多いとか 循環急行こがね、しろがねに始発から終着まで乗り通した猛者はいるのかな? 北陸特急の大きな動きとなると急行が特急化された時以来になるのかな? >>21 湖西線開業時を忘れてないか?急行の特急化は徐々に進んできたわけだし。 修正、昭和50年3月ダイヤ改正で、関西から北陸方面行きの特急、急行が湖西線経由となったときだな。 >>22
>>21が言う急行の特急化ってのは
475系で運転されてた「立山」「ゆのくに」「くずりゅう」が特急化された時って事では無いか?
「立山」などが特急化されたのって上越新幹線開業の時だっけ? 大きな改革といえば、食堂車が廃止された時は?
結構皆騒いでた記憶あるけど
食堂車廃止でマイカーに替えた乗客も多かったのでは 食堂車廃止よりも、上越新幹線開業で長岡乗換ルートが信越線回りルートより優位になり、さらに、ほくほく線開業で越後湯沢乗換ルートが圧倒的に優位になったときの方が大きな変化なんでは? 食堂車がそんなに大事なら旧はくたかや白山には誰も乗ってなかったのかよって話だな まぁ、いずれにしても今度の3月ダイヤ改正が北陸特急にとって最大の動きには間違いは無い >>27
食堂車の存在などどうでもいい話に当時は大さわぎしていたよ 食堂車が外された頃から何かに付け待遇が雷鳥>しらさぎだった気がする
雷鳥はアコモ改造リクライニング、しらさぎはそのままロマンスシート
雷鳥は10両、しらさぎは7両
雷鳥は「だんらん」投入、しらさぎは何もなし
スーパー雷鳥登場!、しらさぎは何もなし
681系スーパー雷鳥サンダーバード登場!、しらさぎは何もなし
スーパー雷鳥からサンダーバードに格上げ!、しらさぎはお古のパノラマ
だがしかし
しらさぎ683系化完了&加越統合で本数が約倍に
雷鳥へパノラマ返し&その後雷鳥消滅 >>30 福井までならともかく名古屋から金沢まで行く客は、しらさぎでちんたら行くよりも、新幹線で米原まで行ってそこで加越に乗り換えるのが相当数いたからでは?
しらさぎの利用客が雷鳥に比べて少ないのは仕方がない。 >>31
名古屋⇔北陸は高速バスと競合し始めてたってのもあるかもね 急行あおもり 急行あきた 急行加賀 急行アルペン etc
某駅で達筆な手書きの臨時列車発車時刻表を改札横に掲出してたなぁ。 しらさぎ、加越の臨時PC列車ってあったんだろうか? >>34
国鉄時代に夏の臨時で14系の雷鳥はあった気がする
おまけに、その年の夏だけだった様な…
臨時雷鳥には「加越」間合いで6両編成の福井発なんてのもあったな… >>35
自分は大阪延長の北越に乗ったことがあるわ(JR化以降の話) 臨時のDC特急白馬アルプスは面白かったなぁ
サンダーバードや雷鳥に挟まれた平行ダイヤなもんだから、
けっこうエンジン全開度の高い豪快な走り 大阪延長の北越はよかったな。
今のサンダーバードと違って昔の雷鳥は上り最終が早かったからそのあとに走る大阪延長北越はなかなか存在価値あった >>37
181系かな?
「おわら」なんかも豪快な走りだったのだろうか 「しらさぎ」がデビューした当時、中京⇔北陸の結びつきはそれほど強いものではなく、実際に準急のしろがね、こがねだけでほぼ需要は足りていた。
雷鳥のデビューに際し車両運用のことだけを考えれば、大阪午前発、富山夕方発とすれば単純な往復で済んでいた。
ところがこのスジだと先輩特急の白鳥とやや被ってしまうこともあり、温泉観光客の利用も考慮して大阪発、富山発とも午後になり、結果富山での車両滞留時間が増えることに。
この間合いを利用する形でしらさぎが誕生したわけだが、これが意外に好評で中京⇔北陸の需要の掘り起こしにもつながり、急行兼六やその後のしらさぎの増発となっていく。
この流れに乗って中日新聞は北陸進出を強化し、傘下の中日ドラゴンズも毎年北陸開催をするようになった。 俺の親父
ドラゴンズファンだったから「しらさぎ」を使って日帰りでデーゲームをナゴヤ球場に結構見に連れて行ってもらったな…
そして帰りは食堂車に行って、その日の試合談議で楽しかった…
その親父も亡くなって2年
時が過ぎるのは早いな…
今となっては親父との良い思い出だな(しみじみ) >>3
駅構内の待合室は24時間空いてたよ。
建前上は最終列車から上下「きたぐに」の到着まで閉まるってことだったけど
最終列車出発後、乗車券チェックがあって有効なもの持ってると待たせてくれた。
冬なんか暖房効いてて快適だったぞ。 きたぐにが過去のものになるとはなあ。
何とか新幹線開業迄頑張ってほしかった >>39
特急白馬アルプス、特急シュプール白馬アルプスは結構豪快な走りだった。
特急おわらも大阪始発になった年の下り1号は結構豪快な走りだった。 >>44
でもきたぐには時代の流れに抗って多目的列車としてよくサバイバルしてきたと思う。
583系のまま引退したのも良かった。 >>47
軌道が強化された幹線を高速で走行して、
いってみれば、一番の181系気動車らしい使われ方だったと思う 自、G、A、B
最期まできたぐにはこれぞ夜行急行って感じだったな
欲を言えば指と食もだが
12系とか14系の頃はGじゃなく指の時期もあったっけ
食はあの事故が悔やまれる >>52
牽引機も大阪から青森までの間に、年代でも変わるけど
EF58→DE10→EF70→EF81→EF81→ED75と取っ替え引っ替えだったよね ユーチューブの国鉄時代の鉄道ファンの方の北陸本線動画見てると
485系12連の「雷鳥」に「しらさぎ」に旧客、そして七尾線乗り入れのキハ58系の「能登路」
見てるだけで懐かしいよな〜 米原行きだった食堂車のない加越&グリーン車のないくずりゅう
まあ短距離だったからなぁ >>47
その年のおわらは乗りに行った。金沢までは臨時雷鳥のスジ使ってたはず。
かなり豪快に飛ばしてたが、惰行運転したりでまだ余裕ある感じだった。
シュプール白馬アルプスは2本併結回送が豪快だったな。
回送とはいえ、14両は181系では最長編成。
あとはキサシが入ってればなぁ… >>57
おわら1号は、運転停車を含む停車駅が臨時雷鳥より少なかったね。
(大阪・新大阪・京都・敦賀・金沢・津幡・富山・越中八尾) >>48
夏の羽越線で乗ったよ。車内でアイスのしらゆき食べながらw
急行月山とか羽越とか、DC急行好きだったなあ。 >>59
もしや非冷房車でしたか?
確かS59頃だったかのRJ誌に追跡ルポがあって自由席は非冷房って載ってた記憶… 羽越や月山とごっちゃになってるかもしれんけど、冷房がかかってた記憶はない。
冷房なんてグリーン車だけじゃなかったかなあ。なんせ70年代だったから。
乗ったのはミニ周遊券でばかりだったんで指定乗ったことないし。
夜行急行出羽も良かった。
てかいいかげスレチかやめとこう。 >>60
>>59ではないが、S57年に富山−糸魚川間で乗った。しらゆきの自由席はたしかに
非冷房車だった。併結の白馬は全車冷房車だった。 >>41
「しらさぎ」の設定時期を考えると中京・北陸よりも名古屋,米原での新幹線
連絡の方が大きな使命だったのでは?
>傘下の中日ドラゴンズも毎年北陸開催をするようになった。
その北陸シリーズも今年から消える・・・・
>>42
自分は高岡出身、出身校は正月の全国高校サッカー優勝校
かつてのドラゴンズの速球王の最終学年から延長18回の世代です。
親父が阪神ファンで甲子園や中日球場のデーゲームを見に行く為、昭和45年頃
「雷鳥1号」「しらさぎ1号」はよく利用しました。
食堂車は親父がハンバーグかエビフライにクラッカーにビール、妹と私がカレー
ライスかスパゲティにオレンジジュースかコーラ。
全部で1200円位だったと思います。 特急など高根の花の時代
よく利用してその上食堂車とな!
豪気ですなぁ〜 今年54歳ですな
富山第一高校出身ですか?
富山第一といえば高校サッカーが有名ですが
高校豚双六にも出場しましたよね。
大学生の僕からすれば人生の大先輩だ。 >>64
金沢からは「ゆのくに」「兼六」が出ていたが。富山からの「立山」は時刻が
遅く、デーゲームの試合開始には間に合わなかった。
昭和45年以降は特急もかなり大衆化されていたぞ。
昭和40年代前半は急行しか記憶にない。
>>65
違う、東金沢が最寄り駅の高校 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています