【381系】思い出の中央東・西線を語ろう【EF64】No2
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中央東線と西線の昔話や思い出を語るスレです。
なお、中央東線・西線の乗り入れ列車やの受け持ち区の話題(例:南チタ)や、
接続している近隣線区の話題もOKとします。
例:武蔵野線、南武線、八高線、相模線、富士急行線、身延線、小海線、松電、
大糸線、飯田線、明知線、太多線等の話題も歓迎します。
前スレ:【381系】思い出の中央東・西線を語ろう【EF64】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1364980646/l50 >>7
千葉駅は駅の位置動かし過ぎ
千葉駅、本千葉駅、旧京成千葉駅(現千葉中央)みんな移動してる >>4
先にできた方を先に使用して
こっちはその後に使おう
ちなみに253系は中央線からは撤退している 253なんて懐かしくもないだろ。
懐かしい車両といえば西の381,東の181と決まっとる。 >>10
時期的には
西キハ181-東(電車の)181
西381-東183(189)
と言う感じじゃね? 諏訪周辺の東線関係の話題もいろいろとありますね。
いまだに単線の普門寺信号場付近、かつての駅弁販売駅(茅野…は丸政さんが出張してるけど、上諏訪…「高島城」という駅弁があった、岡谷…たまに鰻弁当とかいまも売ってる?、辰野…梳人弁当の掛紙が良かった)
駅近くに集中してある蒸気機関車の保存機
茅野駅のC1267、上諏訪(諏訪湖畔)のD51824、下諏訪のC12171、岡谷(諏訪湖畔)のD51349、塩尻のD51155、どれも諏訪や信州になじみのカマばかりで地元の愛着を感じますね。四駅連続で駅近くにSLが保存されている線ってもの珍しいかも。
飯田線からの上諏訪乗り入れもいまも続いていますね。旧国時代に上諏訪でクモハ53007なんかが停まっていたのを撮影したっけ。 松本運輸区の上諏訪支区は去年で廃止されましたね。上諏訪機関区以来100年余りの伝統が有った訳ですか。
飯田線は今も上諏訪や岡谷乗り入れが有りますが、飯田線は伝統的に静岡局(東海)の伊那松島区が担当ですね。上諏訪区の常務は東線が電化されてからでしょうか。
辰野支線とも一体化している今では東海に運営委託する手法も将来的には有り得るかも知れないでしょうかね。 みどり湖経由が開業して岡谷の地位が上がったようにみえるのは
錯覚だろうか。 >>14
ていうかいつも疑問なんですが、旧線ってどうして残しているのでしょうか?
中央線に限らず新線経由が開通すれば旧線は当然廃止だと思うんですが。
例えば東海道線も、熱海から先の旧線は廃線で、今でも廃墟跡が遺構として残ってますよね。 >>14
嘗ての辰野の地位を岡谷が食った、みたいな感じ。
だから上がったのは間違いないだろう。
>>15
要は、新線開通後に現在線の需要がどれほどあるかの予測次第なんだろう。
その結果鉄道として存続させる価値がないと判断されれば廃止だが、
中央線の場合は一定の需要は残ると見做されたんだろうな。
あと、中央線のルート選定に当たって、木曾谷経由か伊那谷経由かで抗争になった歴史も絡んでるとか。 >>15
飯田線があるから,
廃止といっても廃止対象は辰野〜塩尻間になるが,
まだ当時の感覚としては,赤字線が整理されたこともあり,
残った路線をわざわざ廃止するほどもないということ
だったのだろう。
それに飯田線の電車を全部岡谷まで乗り入れさせることに
抵抗があったと思われる。
実際みどり湖経由が開通したときに,移行したのは「あずさ」のみで
急行や普通列車にいたっては辰野経由のほうがはるかに多かった。
みどり湖に停車した列車なんて1日数本程度。
東鷲宮の開業当初の停車本数より少なかった。 >>15
なにか混同しとらんか?
今月の吾妻線のように線路付け替えなら旧線は廃止するけど、塩嶺トンネルは新規に開業した区間だから、線路付け替えと違って大八回りを廃止とするわけにないかんしょ。
他の地域にも平行して同じ区間を走る路線はいくつかあるでしょ。函館本線の仁山回りとか、長崎本線の長与回りとか。四国の内子線と予讃線もそうだし >>18
なら廃線とまではいかなくとも、現在なら第三セクター化なのではないでしょうか? >>19
どういう頭しているんだ?
たかが短絡線できたからといって全部三セク押し付けが
まかり通ると思うのかよ?
それで「ハイわかりました」といって
辰野〜塩尻だけを引き受けるようなおめでたい自治体が
いるんか?
そんなことやる首長がいたら次の選挙で間違いなく落選だな。 >>19 逆に、短絡線の方が第三セクター化された事例があるよね。三重県の方。 伊勢線は数字が悪かったから。
内子線は数字が良かったから。
その数字も怪しいもんだけどね。 >>23
内子線も数字は悪かったよ
伊勢線の方が良かった
でも伊勢線の方は全通して特急などが走った上での数字
内子線は盲腸線としての数字で、予讃線短絡ルート全通後の予測値が高かったのが存続の理由 といってもガラガラ南紀3往復か。
紀伊はもうなかったっけ?
いずれにせよあそこだけ見たらあの時代近鉄に完敗だったな。 >>25
1977年度 - 1979年度だからくろしお時代も入ってる
紀伊は亀山回りだから関係がないね
あとは急行紀州で伊勢線経由のがあったな 国鉄当時の営業係数の計算は、その駅が所属する線区の収入になるんじゃなかったな。
(当時の新刊本にあったはず)
だから、東京や名古屋の収入は、全て新幹線の収入になる。
伊勢鉄は通過ばかりで収入源があまりない(四日市は関西本線、津は紀勢本線)から、
赤字になって当然。
そのからくりは、あまり世間には知らされていなかったはず。
スレチかな・・・
スレチついでに>>26
急行紀州、天ワカ・名ミオ持ちは伊勢線経由、名ナコ持ちは亀山経由。 >>27
それに、車掌の車内精算した売上も車掌区が所属する線に計上されるんだっけ。例えば東京駅で北海道ワイド周遊券が売れて、北海道内乗り回しても売上は東海道本線に付くわけだから、地方からすれば納得いかんよね。
まあ、結局営業収支で特定地方交通線を指定するのは無理があるってことで輸送密度で指定することになったんだっけ >>28
東京駅の収入は東海道本線じゃなくて「東海道新幹線」だけどな。
まあそれはいいとして,
オレもそういう説が当たり前と思っていた。
というのも廣済堂から出版された早大鉄研だか慶大鉄研の本に
そんな記事が掲載されていたからなんだけど,
かなり昔に種村氏に聞いたところ,
内規としてはきちんと各線に配分することになっている・・・・が
実務ではいちいち計算するのも大変なのでわりかしドンブリ勘定になるのが
実情のようだ。
今と違って手計算だから,1枚1枚そんなことやっていたら
仕事が追いつかないということらしい。 >>28,29
補足サンクス、
だから長距離切符は絶対名古屋駅では買わず、せっせと鶴舞駅で買ったが、収支改善の足しにもならんかったろうに。 昨日篠ノ井線に久し振りに乗ったら、まだ姥捨駅のスイッチバックが健在なのには驚いたな。
もうとっくに無くなってるもんだと思っていたが、
通過前の上から見下ろす光景がちょっとした観光スポット的な存在になっていた。
車内から降りて見学してる人結構いたよ。
でもあれワンマン運転になってどうやって運転士バックしてるんだろう?
なんか最初はオーバーランでもしたかと思ったが、車内のお客さん達も、あのホームの狭さには驚いていたよ。
特急「しなの」同士のスイッチバック交換もあるのかな?
もうあのような形態のスイッチバックって箱根登山鉄道ぐらいかな? >>31
「しなの」どうしはさすがにないだろ?
土讃線あたりにまだなかったかな? 松本-長野間で特急30分ヘッドは無理なんだな
臨時のしなのが松本止まりか大糸線直通しか無いのはこれが原因なのか >>34
松本行きは知らんが大糸方面は民営化時の車両不足により臨時化(大糸方面しなの設定当時は定期列車 ちなみに急行つがいけの格上げ)
民営化当時しなの増発と引き換えに9両固定(閑散期7両)→6両化時に当時の所要時間では車両足らず松本・大糸方面・長野発着3本を臨時化で対応
その後線路改良で名古屋〜長野で3時間切ったので長野発着全列車が定期化 >>34
そういうことか。
日中は松本発が毎時05〜頃で,
長野発が毎時00だから,中間地点の聖高原での交換なのだろうが,
30分ヘッドになると,片道所要50分〜の距離だから
どこか3駅で交換する必要があるが,姨捨を嫌ってがんばったとして
稲荷山,冠着,坂北あたりになるのだろうが,これだって
等距離ではないから,時間ロスが多くなるんだね。 実は今即席ダイヤグラムをつくってみていろいろスジひいてみたが
単線区間のダイヤきめるのって大変だなー。
あっちがたてばこっちがたたず・・・ >>36
交換が聖高原だとすると篠ノ井から15分じゃ着かない
下りが30分ヘッドだと聖高原到着の15分前にある地点で交換をして発車する必要がある
それは稲荷山しか無いんだけど、2線しか無い稲荷山でそれやると普通や貨物に支障きたす可能性大なのよね
つべの前面展望見た限り、普通がいたのは明科と聖高原(姨捨は分からなかった)だけだから問題ない可能性もあるけど
複線区間でスレ違いなかったのもびっくり >>31
SL時代はどうしてたんだろ?
あそこに長い引込線が今でもあるが、
一旦そこまで引き上げてまた正位置まで引き出してたのかな?
そうなると前後にD51のプッシュプルか、
当時は貨物も編成相当長かったんだろうなぁ。 今でも、桑ノ原なら普通に貨物が待避してるんでね
篠ノ井線でPPとかあんまり聞かないね
>>33
新改と坪尻 松本〜長野が特急30分ヘッドだなんて、どう考えてもそんなに需要ないでしょ。
なんらかの事情で需要逼迫になったとしても、続行ダイヤになると思う。 >>32>>40
恐ろしい事を「くわばら、くわばら」って言うんだけど、
その言葉の語源のルーツになった場所だって知ってた?
これ豆な! ここ何年も通っていないのだけれど、明科-西条のトンネルっていまだに単線使用?
潮沢のスイッチバック解消して高速化しても、もったいない気がするんだよな。 >>43
未だに単線だし、複線化する気なんかないだろう。もう26年も放ったらかしとなれば。。
>>37
実は列車ダイヤ作成のコンピュータープログラム自作したけど、ホント単線は処理に困る。
同じ等級だと、上下列車のどっちが待つのか、決め手がない。
篠ノ井線は試してないが、長野電鉄のダイヤ作らせると、てんで現実離れした結果しか出てこない。 >>40
つべで貨物の退避動画見たけど
普通に機関車一両+貨車で、姥捨駅のホームに入る時は先頭貨車で後ろから機関車で押してたよ
駅構内での入れ替えだから問題ないんだろ >>45
随分と危なっかしい事やってるんだな、もう後ろに緩急車も無いんだぜ、
後ろ無線でやり取りしていないと、最悪後部行き過ぎて車止めに激突しかねないのにな・・・
それにEH200は全長が長いから、推進運転もやりにくくないんだろうか? >>46
停目は機関車側にあるから何の問題もないよ
上野の推進みたいに本線上じゃなく停車場構内だし 昔はその種のスイッチバック駅は山ほどあっただろ。
奥羽本線なんて4駅連続でそういう面倒なことしていたわけだな。
磐越西線中山宿でEL牽引の旅客列車で実際みた光景は,
車掌が最後部で待機して無線でやりとりやっていたな。 >>48
実際戦闘に係員いなくても25km以下なら推進運転可と決められてるんだよな
で、7年前だから懐かしというほど古くないけど
特急の姥捨駅ホーム側入線もあったんだな
https://www.youtube.com/watch?v=Myave-xeD6c 昔はヤード方式で扱う貨車も多種多様だし、1段2段リンクの有蓋車・無蓋車も多かったから事故があったのかな?
昔は誘導員とかが姥捨駅の詰所にでも待機してたんだろうか? >>49
それよりもこの映像の中で線路構内に入って真ん中で堂々と写真撮ってる男
危険行為だな、こんなのはじめて見た。 東線の笹子を始め、だんだんそういう面倒な構造の駅がなくなって列車が高速化してくのは目出度いけど、
(近)未来の車両はロングシート車。
ローカル列車に関しては、旧客や山ゲタや80系電車の頃と比べて、どっちが幸せなんだろう。
115系に対してさえ毛嫌いする向きもあるし…。 >>53
115系を好んでワザと乗りに行く俺が通りますよ。
発車時のブレーキ弁を緩める音に乗ってて安心する。
最近の車両はブレーキハンドルが無いからな・・・・・ >>47
姨捨駅構内に遮断棒の無い第3種踏切があるが、あれはワンマン運転列車で推進運転は問題にならないか? >>56
実際問題になってるか?
なってないと思うが 事故が起こらなければ問題にならない。
鉄道用地内で鉄道車両と接触事故を起こした場合、鉄道事業者に責任が発生することは稀。 姨捨といえば、車窓の案内放送だな、それと寝覚ノ床、今でもやっているのだろうか。
このスレ見ていたら、気動車時代の「赤倉」が千種から多治見まで、連続力行で飛ばしていたのを思いだした。 1980年頃,毎日新聞で「駅 その周辺」というコラム記事があった。
毎日1駅ずつ東京近郊の各駅の写真と紹介をしていたいもので,
いまでもスクラップブックに貼り付けてある。
姨捨駅も紹介されていたが,その当時,かなりご高齢のおばあさんが
簡易受託しており,短距離限定ながらきちんと切符を売っていた
紹介記事があった。 今の姨捨駅からは想像出来ないけど、平成に成り立ての頃まで駅舎内に売店があって、そこで切符を売っていた。
何時のか忘れたけど、その切符の写真がRMに載ってたね 姥捨駅って名前が良くないなぁ・・・
楢山節考じゃあるまいに・・・
緒形拳と坂本スミ子を思い出すなぁ。 これは危なっかしいなぁ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=2QmworeTBoY
ポイント切り替え間違えたら大惨事だな。
ここは今でもポイント有人で切り替えてるのかね? >>63
素人が危ないと感じようがそんなことは意味が無い NHK「花子とアン」の甲府へ向かう客レの効果音が蒸気だった。
本日の放送は昭和20年秋という設定。
戦災によるSL代用も終わり、電機牽引に戻っていたような… 姨捨という名前に抵抗があるってこと自体理解できない
昔からの地名にはその意味があり、歴史を学び未来に生かすことができうる
すずらんの里とかみどり湖とかよりよっぽどましと思うが
昔からの地名には津波や土砂崩れ、地盤軟弱など自然災害を知らしめるものも
少なくない。見栄えだけを気にするような女脳の造語ではなにもわからない 長野は昔からの地名を大事にするね。
長野県庁の住所は
長野県長野市大字南長野字幅下692-2
長野市役所の住所は
長野県長野市大字鶴賀緑町1613番地
長野駅の住所は
長野県長野市大字栗田
こんなところって他にあるかね? 姨捨は由緒正しい地名。昔話もあるし、田毎の月の名所である。(田毎の月)読めるかな? >>71
アナウンスより線路際の木々を何とかして欲しいな >寝覚めの床(371系2階席でも邪魔される高さとは思わんかった) 前スレ(以前)にも出てたかとは思うが、
9年間「全走行区間が電化済」っていう状態だった急行「赤倉」がインパクトあった。 >>69
なんで「ナントカ丁目ナニナニ番地」が少ないか?
ということ考えてみろよ。
明治時代からの「村」が今まで残ってたりする。
それが決して「いいこと」とはいわないよ。
でも,そういう昔の地名を大事にするという感覚があるのは間違いない。
それが「いい」か「わるい」かはそれぞれの判断だけどな。 というかなー
一般社会の「社会通念」とされている「常識」を否定するわけではない。
鉄ヲタ感覚であーだこーだいうのは「常識」からすればくだらなくズレている
マニアックな価値観ってのはよーくわかっている。
でも鉄ヲタ目線での,「あーだこーだ」ってたまには重要な「見えない世論」
だったりすると思わないか? >>65
中央東線新宿−甲府間で敗戦直後に客レを蒸気が牽引した記録があるのだろうか
そもそも戦災で代用ということ自体ありえないような
八王子空襲被災後の機銃掃射事件や戦後9月の客レ事故もED16
牽引の記録があるし八王子から甲府までの間に給水・給炭設備を作る余裕が
あったとも思えない 少なくとも近頃は、テレビドラマはそんな史実なんかにゃてんで無頓着だからな…。
昔の場面だからSLにしときゃいい、位な感覚だろう。 もう40年近く前になるが、一度だけ小学生の夏休みに東京の親戚の家に一ヶ月くらい
滞在してたんだが、中央線沿線だったので電車好きなオレは毎日のように
近場だが乗りに連れて行ってもらってた。最寄り駅は国電区間なので長距離は全部通過。
181系あずさ 165系アルプス かいじあたりは勿論、スカ色の115系まで
すっ飛ばしていく姿に目を見張ったっけな。今もスカ色残ってるの見かけるが
やっぱ国鉄色ってええなあ・・。永遠の記憶だわw 甲府以西に投入された115系1000番代が当初非冷房だった点に関しては、
地方軽視の象徴に思えて不愉快だったのを思い出す。 小さい頃、荷付夜行アルプスが見たくて夜中にこっそり抜け出して線路まで見に行った
寝ぼけながら待ってると昼間のかっ飛ばしと違い時速20〜30
km/hくらいでゆっくり流しながら走ってきて驚いた
なんか前後して立て続けに来たのをうっすら覚える 昭和41年の時刻表をみていてびっくりしたが,
昔は「下り」も「上り」も,1号2号3号とそれぞれ別々に号数をふっていたから
次のようなややこしいこともあった。
急行天竜3号は
上諏訪2035→(駒ヶ根2018→が併結)→辰野2107→2312長野というのと,
長野1925→2127辰野(2144→2354天竜峡が分割)2133→2155上諏訪というのがあった。
これだけならまだいいのだが,この辰野2144発のものがなんと
新宿1705→(第6アルプスと併結)→上諏訪2112→2132辰野→・・・からの天竜3号と
辰野で併結したもんだから
片方が別列車と併結していたとはいえ,上諏訪〜辰野間は
2035発と2112発と40分も置かずに2本の「天竜3号」が運転されていたことになる。
上諏訪駅の下り時刻表はこんな感じで記されていたのだろう。
下り中央本線発車時刻
19:54 急行 第 5 ア ル プ ス 松 本
20:11 普通 辰 野
20:35 急行 天 竜 3 号 長 野
21:12 急行 第6アルプス・天竜3号 松本・飯田
21:19 普通 伊 那 市 岡谷駅だとこんな案内になったのだろうな。
ただいまより20時47分発下り急行天竜3号長野行の改札をはじめます。
ご乗車には普通乗車券のほかに急行券が必要です。
この列車は当駅を出ますと,辰野,塩尻,松本,明科,篠ノ井,終点長野に停車します。
なお,飯田線に入ります伊那市,駒ヶ根,飯田方面の下り急行天竜3号は
この列車の次の21時21分の発車となりますのでいましばらくおまちください。 鳥栖佐賀肥前山口に同じ号数のあかつきが2回来るってのもあったな
上り下り別々にな >>82
それ、翌朝の折り返しもおんなじ併結方式
地元民はなにも気にしてなかった
そもそも急行の号数とかより、どこ行きかが大事 >>85
その通りだが,
朝の上りは1時間ほどあいていて,
その間にいくつか別の列車が入る。 あと現実には改札はじめるときにいちいち改札はじめます
とか急行券が必要ですとか、当駅でますと〜とか
次の発車とかいわないから 新宿発のあずさ2号がもう存在しないのと同じ理なのでは?
昭和45年の銀河51号も上りと下りで同じ銀河51号の設定がありましたよ。 >>88
昭和41年時代の話だぞ?
しかも長野県だぞ?
頭大丈夫か? >>89
同じ方向で同じ列車で同じ号数が2本連続ってのはあまりないだろ。 >>90
おまえこそ頭だいじょうぶか?
駅員が過剰にアナウンスしだすのは1980年代以降だぞ
長野県とか関係ない …? と思ったけど、新宿発着を「こまがね」に改称する前の話だね。
確かにややこしい。 >>90
いいから落ち着け
昭和41年時代とか訳分からん言葉になってるぞ >>92
どこの国鉄を言っているんだよ。
長野県の中小駅だぞ。
列車毎集改札は当たり前。
>>83程度の案内があってもおかしくはない。
無知な若造はひっこんでいろ。 >長野県の中小駅だぞ。
>列車毎集改札は当たり前。
これは当時の事実関係を知ってる人が降臨しないとどうだったか分からないな
ちなみに列車毎集改札じゃなくて列車別改札だな オレがこの当時(正確には昭和43年だが)の事実関係知っているよ。
岡谷駅のことは知らないが,清里,茅野,麻績の3駅は
>>83みたいな感じだったのを実際に見ているから書いただけだよ。
当時は東京で小学生だったが,ときには親に内緒でこのあたりを訪れている。 >>97
お前の発言自体の真贋を証明するのにお前の主張じゃ意味無いでしょ >>98
昭和40年代生まれの若造はこれだから困る(笑) もしかしてここに駐輪場整理員をクビになった使えない頑固爺いる? やけにアガってると思ったらヤッパこうかw
普通に相手にしなきゃいいんだよw >>100
そいつだったら今日グランドゴルフでチームの足引っ張って罰として道具
かたしやらされてたよ 1976年12月以降、6年間も非営業で連結されてた急行「アルプス」のビュフェに、
誰も文句言わなかったんだろうか…。
その頃はもう、それほど混雑しなくなってて、「デッドスペース」もさして問題じゃなくなってた? >>103
あれはあれで,荷物置場として有効活用されていたわけで。
なかには人間置場として活用する器用な連中もおりましたとさ。 115系300番代が入ってきて、パンタグラフのとこも屋根が低くないのを見た世間の反応はどんなものだったんだろう…。 >>27-30
それ、一時はまことしやかにささやかれていたが、基本的にまったくの出鱈目。
ちゃんと、距離率に応じて乗車券や料金券の収入は分配されていた。
また、周遊券収入なども利用実態調査をもとに分配率が決められていた。
たとえば、国鉄末期の高千穂線の(ワイド、ルート、ミニ)周遊券収入は5億円が計上されていたそうだ。
いい加減な噂を正しいものとして持ち込むべきではない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています