【381系】思い出の中央東・西線を語ろう【EF64】No2
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中央東線と西線の昔話や思い出を語るスレです。
なお、中央東線・西線の乗り入れ列車やの受け持ち区の話題(例:南チタ)や、
接続している近隣線区の話題もOKとします。
例:武蔵野線、南武線、八高線、相模線、富士急行線、身延線、小海線、松電、
大糸線、飯田線、明知線、太多線等の話題も歓迎します。
前スレ:【381系】思い出の中央東・西線を語ろう【EF64】
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1364980646/l50 >>27
それに、車掌の車内精算した売上も車掌区が所属する線に計上されるんだっけ。例えば東京駅で北海道ワイド周遊券が売れて、北海道内乗り回しても売上は東海道本線に付くわけだから、地方からすれば納得いかんよね。
まあ、結局営業収支で特定地方交通線を指定するのは無理があるってことで輸送密度で指定することになったんだっけ >>28
東京駅の収入は東海道本線じゃなくて「東海道新幹線」だけどな。
まあそれはいいとして,
オレもそういう説が当たり前と思っていた。
というのも廣済堂から出版された早大鉄研だか慶大鉄研の本に
そんな記事が掲載されていたからなんだけど,
かなり昔に種村氏に聞いたところ,
内規としてはきちんと各線に配分することになっている・・・・が
実務ではいちいち計算するのも大変なのでわりかしドンブリ勘定になるのが
実情のようだ。
今と違って手計算だから,1枚1枚そんなことやっていたら
仕事が追いつかないということらしい。 >>28,29
補足サンクス、
だから長距離切符は絶対名古屋駅では買わず、せっせと鶴舞駅で買ったが、収支改善の足しにもならんかったろうに。 昨日篠ノ井線に久し振りに乗ったら、まだ姥捨駅のスイッチバックが健在なのには驚いたな。
もうとっくに無くなってるもんだと思っていたが、
通過前の上から見下ろす光景がちょっとした観光スポット的な存在になっていた。
車内から降りて見学してる人結構いたよ。
でもあれワンマン運転になってどうやって運転士バックしてるんだろう?
なんか最初はオーバーランでもしたかと思ったが、車内のお客さん達も、あのホームの狭さには驚いていたよ。
特急「しなの」同士のスイッチバック交換もあるのかな?
もうあのような形態のスイッチバックって箱根登山鉄道ぐらいかな? >>31
「しなの」どうしはさすがにないだろ?
土讃線あたりにまだなかったかな? 松本-長野間で特急30分ヘッドは無理なんだな
臨時のしなのが松本止まりか大糸線直通しか無いのはこれが原因なのか >>34
松本行きは知らんが大糸方面は民営化時の車両不足により臨時化(大糸方面しなの設定当時は定期列車 ちなみに急行つがいけの格上げ)
民営化当時しなの増発と引き換えに9両固定(閑散期7両)→6両化時に当時の所要時間では車両足らず松本・大糸方面・長野発着3本を臨時化で対応
その後線路改良で名古屋〜長野で3時間切ったので長野発着全列車が定期化 >>34
そういうことか。
日中は松本発が毎時05〜頃で,
長野発が毎時00だから,中間地点の聖高原での交換なのだろうが,
30分ヘッドになると,片道所要50分〜の距離だから
どこか3駅で交換する必要があるが,姨捨を嫌ってがんばったとして
稲荷山,冠着,坂北あたりになるのだろうが,これだって
等距離ではないから,時間ロスが多くなるんだね。 実は今即席ダイヤグラムをつくってみていろいろスジひいてみたが
単線区間のダイヤきめるのって大変だなー。
あっちがたてばこっちがたたず・・・ >>36
交換が聖高原だとすると篠ノ井から15分じゃ着かない
下りが30分ヘッドだと聖高原到着の15分前にある地点で交換をして発車する必要がある
それは稲荷山しか無いんだけど、2線しか無い稲荷山でそれやると普通や貨物に支障きたす可能性大なのよね
つべの前面展望見た限り、普通がいたのは明科と聖高原(姨捨は分からなかった)だけだから問題ない可能性もあるけど
複線区間でスレ違いなかったのもびっくり >>31
SL時代はどうしてたんだろ?
あそこに長い引込線が今でもあるが、
一旦そこまで引き上げてまた正位置まで引き出してたのかな?
そうなると前後にD51のプッシュプルか、
当時は貨物も編成相当長かったんだろうなぁ。 今でも、桑ノ原なら普通に貨物が待避してるんでね
篠ノ井線でPPとかあんまり聞かないね
>>33
新改と坪尻 松本〜長野が特急30分ヘッドだなんて、どう考えてもそんなに需要ないでしょ。
なんらかの事情で需要逼迫になったとしても、続行ダイヤになると思う。 >>32>>40
恐ろしい事を「くわばら、くわばら」って言うんだけど、
その言葉の語源のルーツになった場所だって知ってた?
これ豆な! ここ何年も通っていないのだけれど、明科-西条のトンネルっていまだに単線使用?
潮沢のスイッチバック解消して高速化しても、もったいない気がするんだよな。 >>43
未だに単線だし、複線化する気なんかないだろう。もう26年も放ったらかしとなれば。。
>>37
実は列車ダイヤ作成のコンピュータープログラム自作したけど、ホント単線は処理に困る。
同じ等級だと、上下列車のどっちが待つのか、決め手がない。
篠ノ井線は試してないが、長野電鉄のダイヤ作らせると、てんで現実離れした結果しか出てこない。 >>40
つべで貨物の退避動画見たけど
普通に機関車一両+貨車で、姥捨駅のホームに入る時は先頭貨車で後ろから機関車で押してたよ
駅構内での入れ替えだから問題ないんだろ >>45
随分と危なっかしい事やってるんだな、もう後ろに緩急車も無いんだぜ、
後ろ無線でやり取りしていないと、最悪後部行き過ぎて車止めに激突しかねないのにな・・・
それにEH200は全長が長いから、推進運転もやりにくくないんだろうか? >>46
停目は機関車側にあるから何の問題もないよ
上野の推進みたいに本線上じゃなく停車場構内だし 昔はその種のスイッチバック駅は山ほどあっただろ。
奥羽本線なんて4駅連続でそういう面倒なことしていたわけだな。
磐越西線中山宿でEL牽引の旅客列車で実際みた光景は,
車掌が最後部で待機して無線でやりとりやっていたな。 >>48
実際戦闘に係員いなくても25km以下なら推進運転可と決められてるんだよな
で、7年前だから懐かしというほど古くないけど
特急の姥捨駅ホーム側入線もあったんだな
https://www.youtube.com/watch?v=Myave-xeD6c 昔はヤード方式で扱う貨車も多種多様だし、1段2段リンクの有蓋車・無蓋車も多かったから事故があったのかな?
昔は誘導員とかが姥捨駅の詰所にでも待機してたんだろうか? >>49
それよりもこの映像の中で線路構内に入って真ん中で堂々と写真撮ってる男
危険行為だな、こんなのはじめて見た。 東線の笹子を始め、だんだんそういう面倒な構造の駅がなくなって列車が高速化してくのは目出度いけど、
(近)未来の車両はロングシート車。
ローカル列車に関しては、旧客や山ゲタや80系電車の頃と比べて、どっちが幸せなんだろう。
115系に対してさえ毛嫌いする向きもあるし…。 >>53
115系を好んでワザと乗りに行く俺が通りますよ。
発車時のブレーキ弁を緩める音に乗ってて安心する。
最近の車両はブレーキハンドルが無いからな・・・・・ >>47
姨捨駅構内に遮断棒の無い第3種踏切があるが、あれはワンマン運転列車で推進運転は問題にならないか? >>56
実際問題になってるか?
なってないと思うが 事故が起こらなければ問題にならない。
鉄道用地内で鉄道車両と接触事故を起こした場合、鉄道事業者に責任が発生することは稀。 姨捨といえば、車窓の案内放送だな、それと寝覚ノ床、今でもやっているのだろうか。
このスレ見ていたら、気動車時代の「赤倉」が千種から多治見まで、連続力行で飛ばしていたのを思いだした。 1980年頃,毎日新聞で「駅 その周辺」というコラム記事があった。
毎日1駅ずつ東京近郊の各駅の写真と紹介をしていたいもので,
いまでもスクラップブックに貼り付けてある。
姨捨駅も紹介されていたが,その当時,かなりご高齢のおばあさんが
簡易受託しており,短距離限定ながらきちんと切符を売っていた
紹介記事があった。 今の姨捨駅からは想像出来ないけど、平成に成り立ての頃まで駅舎内に売店があって、そこで切符を売っていた。
何時のか忘れたけど、その切符の写真がRMに載ってたね 姥捨駅って名前が良くないなぁ・・・
楢山節考じゃあるまいに・・・
緒形拳と坂本スミ子を思い出すなぁ。 これは危なっかしいなぁ・・・
http://www.youtube.com/watch?v=2QmworeTBoY
ポイント切り替え間違えたら大惨事だな。
ここは今でもポイント有人で切り替えてるのかね? >>63
素人が危ないと感じようがそんなことは意味が無い NHK「花子とアン」の甲府へ向かう客レの効果音が蒸気だった。
本日の放送は昭和20年秋という設定。
戦災によるSL代用も終わり、電機牽引に戻っていたような… 姨捨という名前に抵抗があるってこと自体理解できない
昔からの地名にはその意味があり、歴史を学び未来に生かすことができうる
すずらんの里とかみどり湖とかよりよっぽどましと思うが
昔からの地名には津波や土砂崩れ、地盤軟弱など自然災害を知らしめるものも
少なくない。見栄えだけを気にするような女脳の造語ではなにもわからない 長野は昔からの地名を大事にするね。
長野県庁の住所は
長野県長野市大字南長野字幅下692-2
長野市役所の住所は
長野県長野市大字鶴賀緑町1613番地
長野駅の住所は
長野県長野市大字栗田
こんなところって他にあるかね? 姨捨は由緒正しい地名。昔話もあるし、田毎の月の名所である。(田毎の月)読めるかな? >>71
アナウンスより線路際の木々を何とかして欲しいな >寝覚めの床(371系2階席でも邪魔される高さとは思わんかった) 前スレ(以前)にも出てたかとは思うが、
9年間「全走行区間が電化済」っていう状態だった急行「赤倉」がインパクトあった。 >>69
なんで「ナントカ丁目ナニナニ番地」が少ないか?
ということ考えてみろよ。
明治時代からの「村」が今まで残ってたりする。
それが決して「いいこと」とはいわないよ。
でも,そういう昔の地名を大事にするという感覚があるのは間違いない。
それが「いい」か「わるい」かはそれぞれの判断だけどな。 というかなー
一般社会の「社会通念」とされている「常識」を否定するわけではない。
鉄ヲタ感覚であーだこーだいうのは「常識」からすればくだらなくズレている
マニアックな価値観ってのはよーくわかっている。
でも鉄ヲタ目線での,「あーだこーだ」ってたまには重要な「見えない世論」
だったりすると思わないか? >>65
中央東線新宿−甲府間で敗戦直後に客レを蒸気が牽引した記録があるのだろうか
そもそも戦災で代用ということ自体ありえないような
八王子空襲被災後の機銃掃射事件や戦後9月の客レ事故もED16
牽引の記録があるし八王子から甲府までの間に給水・給炭設備を作る余裕が
あったとも思えない 少なくとも近頃は、テレビドラマはそんな史実なんかにゃてんで無頓着だからな…。
昔の場面だからSLにしときゃいい、位な感覚だろう。 もう40年近く前になるが、一度だけ小学生の夏休みに東京の親戚の家に一ヶ月くらい
滞在してたんだが、中央線沿線だったので電車好きなオレは毎日のように
近場だが乗りに連れて行ってもらってた。最寄り駅は国電区間なので長距離は全部通過。
181系あずさ 165系アルプス かいじあたりは勿論、スカ色の115系まで
すっ飛ばしていく姿に目を見張ったっけな。今もスカ色残ってるの見かけるが
やっぱ国鉄色ってええなあ・・。永遠の記憶だわw 甲府以西に投入された115系1000番代が当初非冷房だった点に関しては、
地方軽視の象徴に思えて不愉快だったのを思い出す。 小さい頃、荷付夜行アルプスが見たくて夜中にこっそり抜け出して線路まで見に行った
寝ぼけながら待ってると昼間のかっ飛ばしと違い時速20〜30
km/hくらいでゆっくり流しながら走ってきて驚いた
なんか前後して立て続けに来たのをうっすら覚える 昭和41年の時刻表をみていてびっくりしたが,
昔は「下り」も「上り」も,1号2号3号とそれぞれ別々に号数をふっていたから
次のようなややこしいこともあった。
急行天竜3号は
上諏訪2035→(駒ヶ根2018→が併結)→辰野2107→2312長野というのと,
長野1925→2127辰野(2144→2354天竜峡が分割)2133→2155上諏訪というのがあった。
これだけならまだいいのだが,この辰野2144発のものがなんと
新宿1705→(第6アルプスと併結)→上諏訪2112→2132辰野→・・・からの天竜3号と
辰野で併結したもんだから
片方が別列車と併結していたとはいえ,上諏訪〜辰野間は
2035発と2112発と40分も置かずに2本の「天竜3号」が運転されていたことになる。
上諏訪駅の下り時刻表はこんな感じで記されていたのだろう。
下り中央本線発車時刻
19:54 急行 第 5 ア ル プ ス 松 本
20:11 普通 辰 野
20:35 急行 天 竜 3 号 長 野
21:12 急行 第6アルプス・天竜3号 松本・飯田
21:19 普通 伊 那 市 岡谷駅だとこんな案内になったのだろうな。
ただいまより20時47分発下り急行天竜3号長野行の改札をはじめます。
ご乗車には普通乗車券のほかに急行券が必要です。
この列車は当駅を出ますと,辰野,塩尻,松本,明科,篠ノ井,終点長野に停車します。
なお,飯田線に入ります伊那市,駒ヶ根,飯田方面の下り急行天竜3号は
この列車の次の21時21分の発車となりますのでいましばらくおまちください。 鳥栖佐賀肥前山口に同じ号数のあかつきが2回来るってのもあったな
上り下り別々にな >>82
それ、翌朝の折り返しもおんなじ併結方式
地元民はなにも気にしてなかった
そもそも急行の号数とかより、どこ行きかが大事 >>85
その通りだが,
朝の上りは1時間ほどあいていて,
その間にいくつか別の列車が入る。 あと現実には改札はじめるときにいちいち改札はじめます
とか急行券が必要ですとか、当駅でますと〜とか
次の発車とかいわないから 新宿発のあずさ2号がもう存在しないのと同じ理なのでは?
昭和45年の銀河51号も上りと下りで同じ銀河51号の設定がありましたよ。 >>88
昭和41年時代の話だぞ?
しかも長野県だぞ?
頭大丈夫か? >>89
同じ方向で同じ列車で同じ号数が2本連続ってのはあまりないだろ。 >>90
おまえこそ頭だいじょうぶか?
駅員が過剰にアナウンスしだすのは1980年代以降だぞ
長野県とか関係ない …? と思ったけど、新宿発着を「こまがね」に改称する前の話だね。
確かにややこしい。 >>90
いいから落ち着け
昭和41年時代とか訳分からん言葉になってるぞ >>92
どこの国鉄を言っているんだよ。
長野県の中小駅だぞ。
列車毎集改札は当たり前。
>>83程度の案内があってもおかしくはない。
無知な若造はひっこんでいろ。 >長野県の中小駅だぞ。
>列車毎集改札は当たり前。
これは当時の事実関係を知ってる人が降臨しないとどうだったか分からないな
ちなみに列車毎集改札じゃなくて列車別改札だな オレがこの当時(正確には昭和43年だが)の事実関係知っているよ。
岡谷駅のことは知らないが,清里,茅野,麻績の3駅は
>>83みたいな感じだったのを実際に見ているから書いただけだよ。
当時は東京で小学生だったが,ときには親に内緒でこのあたりを訪れている。 >>97
お前の発言自体の真贋を証明するのにお前の主張じゃ意味無いでしょ >>98
昭和40年代生まれの若造はこれだから困る(笑) もしかしてここに駐輪場整理員をクビになった使えない頑固爺いる? やけにアガってると思ったらヤッパこうかw
普通に相手にしなきゃいいんだよw >>100
そいつだったら今日グランドゴルフでチームの足引っ張って罰として道具
かたしやらされてたよ 1976年12月以降、6年間も非営業で連結されてた急行「アルプス」のビュフェに、
誰も文句言わなかったんだろうか…。
その頃はもう、それほど混雑しなくなってて、「デッドスペース」もさして問題じゃなくなってた? >>103
あれはあれで,荷物置場として有効活用されていたわけで。
なかには人間置場として活用する器用な連中もおりましたとさ。 115系300番代が入ってきて、パンタグラフのとこも屋根が低くないのを見た世間の反応はどんなものだったんだろう…。 >>27-30
それ、一時はまことしやかにささやかれていたが、基本的にまったくの出鱈目。
ちゃんと、距離率に応じて乗車券や料金券の収入は分配されていた。
また、周遊券収入なども利用実態調査をもとに分配率が決められていた。
たとえば、国鉄末期の高千穂線の(ワイド、ルート、ミニ)周遊券収入は5億円が計上されていたそうだ。
いい加減な噂を正しいものとして持ち込むべきではない。 >>106
昭和50年代初めにほとんどの普通列車が電車化されても
中央東線沿線の長野や山梨の家では普通に汽車といってたぐらいだからな 寧ろ、急行(型気動車)を差し置いて冷房が設置された事の方が話題性があったか…。 風向きからして高山本線のほうが影響するのでは
まあ多治見あたりは少しは影響するのかもしれんが かつては「おんたけ」って愛称の列車があったけどいまはなくてよかったな。
噴火で事故があったら走ってられない。 キハ181のラジエーターとエアクリーナーが詰まって大変なことに… 熊本行急行が「阿蘇」ならば
さらに近づく急行が「火の山」だったりしたな。
意外と知られていないけど,駅名に「火」のつく駅は皆無。
建物につける名前としては縁起悪いとされるんだろうな
と思いきや「火」で始まる地名もほとんどない。 近いところで「あさま」「のりくら」もだな。遠いが「雲仙」も。
ちょっとWiki見たらBCランク含めて結構な数の火山が愛称になっているな。 御嶽山が79年まで死火山と思われていたほど活動しなかったから、王滝の森林鉄道が75年まで存続し得たということかも。
噴火に長野県西部地震のような大地震による山体崩壊が生じていたら、ボールドウィンは噴石や土砂に埋もれていたかもしれない。 >112 頂上部が噴火で吹き飛んで山麓に多大の被害を及ぼした磐梯山が、かつての磐越西線乗入急行の愛称になってたぞ 今日は休みだったので,久々に立川から中央線の快速電車に乗った。
普段はライナーか特別快速しか使わないので・・・本当に「久々」だった。
国立駅でかれこれ10年以上ぶりに下車。もともと「高架駅」だったのが
さらに「高架駅」になって改札口がすごく遠くなったが・・・・
知識としては頭にあったが,時が経てば駅もかわり,電車もかわる。
昔この駅をよく利用していたときは常に時刻を確認してから改札口を通ったもんだが,
いまじゃそんな必要もない。ちゃんと屋根付ベンチもあり,待つのも苦痛じゃない。
それに停車する電車の数もかなり増えた。時刻確認を要しない。
昔はひどかった,1時間に4本程度。しかもランダムダイヤ。ホームの屋根も
ほとんどなく・・・雨の日は悲惨だった。 >>119
上りホーム東京寄りの桜を覚えてないか? 覚えていないな。ただ,北口ロータリーが目の前に見えて,
そして上り島式ホームの3番線にはいつ動くとも知れないトラが何両も停車していて・・・。
あと,下りホームの高尾方には車椅子専用の出入り口があった。
といっても下りホームに入れるだけで,また他駅で車椅子対応を
している駅なんてまずなかったわけで,無用の長物だった。 武蔵小金井駅のジレンマ。
下り電車から北口方面へいく場合,
最後尾東京方の改札を出て,すぐ踏み切りを渡れば北口まで楽にいけた。
狭い階段昇降もなければ,上り電車に乗る人波をかきわける必要もない。
ただし,踏み切りをスンナリ通ることができれば・・・という条件付だった。
国分寺駅での「覗き」
中央線島式ホームから上を見上げると
ピンク色の電車がいつも鎮座していて,
スカートの中身を拝むことができた。
武蔵境駅北口のバスの流れ
いまは駅前を西から東方面へ流れるが,
かつては東から西方面へ流れていた。
その頃の南口といえば,小田急バスの乗り場はあったが
あたりは草ボウボウの荒地であった。 1988・12・1に特別快速が「中央特快」と「青梅特快」の2本立てになったが、
全車が新たに停車するようになった国分寺を後者は通過してた。
あれは何でだったんだろうか…?その後、1993・4・10のダイヤ改正で停まるようになったが。 >>123
新宿〜立川間で
中央特快3,青梅特快1,快速6〜7,あずさ1,かいじ1というのを
基本として,「あずさ」の速達性を守るために,
特急他がなければ特快1,快速2にできるところを,快速を削り,
それにより青梅特快は国分寺での快速待避がなくなるので通過させた
というような話を聞いたことがある。
当時のダイヤだと
新宿〜八王子で,三鷹立川通過の「あずさ」が30分,
三鷹立川停車の「かいじ」が40分。2駅停車で10分差というのは
停車ロスだけではないだろうと思われる。 >>124じゃわかりづらいから訂正。
もし特急(や貨物)がなければ,
1時間あたり特快4,快速8にできる。
ところがこれに特急を30分に1本挿れると,
特急の速達性を尊重するなら特急1本につき快速1本を削ることになり,
快速の運転本数を尊重するなら,特急の速達性が犠牲になるという
ジレンマがあった。
ということで,1つの妥協として,「あずさ」は守って「かいじ」に泣いてもらう
ということに落ち着いたわけ。
そこで特別快速3本は国分寺と三鷹で緩急接続
1本は三鷹での接続で国分寺では接続しないというのを基本とした。
それで中央特快3,青梅特快1として,案内をしやすいように
青梅特快の方を国分寺通過ということにした。
ただし,その後たとえ緩急接続をしないにしても,全ての特快は
国分寺に停車してもいいだろうということで停車するようになった。 新宿〜三鷹、立川〜八王子、ともに国電区間内で10分程度。
地元の要望や急行時代からの流れがあるにせよ、停める必要性を感じない。
赤羽や浦和も同じだけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています