東海道・横須賀・総武快速・房総各線の113系 2
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>>196
その編成が、JR化後のK69編成の末期までの骨格だったんだよね
サハは1009(更新車)に代わって、4号車サロは300番台→スカからのDDとなったけど
>>193-195
MM'1026/1031/1046は、1990年頃に差し替えられるまで、
確かK51編成の骨格だったんだよね 82/1/23
伊東線伊豆急線運用
クハ111-1323スカ色
モハ112-2092
モハ113-2092
クハ111-166スカ色
クハ111-2054
モハ112-1040
モハ113-1040
サロ110-49
モハ112-1047
モハ113-1047
クハ111-195
東海最後のデカ目166が増4号車にいます >>195
昭和60年度から検査周期が4年ごとの全般検査ではなくなったから
サロ111-45はそれを適用したんだ
既に廃車が決まっていたからね 82/1/23 沼津
クハ111-2045
モハ112-2088
モハ113-2088
サロ110-17
サロ111-1スカ色
モハ112-2065
モハ113-2065
サハ111-1013
モハ112-273
モハ113-273
クハ111-194南コツ >>200
サロ111-1は昭和56(1981)年5月の全般検査で湘南色になってます ネットを見て初めて知ったのですが、
サロ111は1000番台も方向幕は後から設置したものなんですね。
写真を見ると、サロ110-1200やサロ113と比べて
方向幕が数センチ程高い位置に付いているのに初めて気が付きました。
あと車側灯らしきものが2個付いているのも気になりました。
どちらも今更ですが。 >>202
方向幕は車内にある網棚の関係であの位置になっているようです >>201
ご教示ありがとうございました、サロ111-1は伊豆急線で79年に写真を撮ってましてその時はスカ色でしたのでまんま書き込んでしまいました。 昭和54年前後?湘南色〜スカ色が編成中に混在していた事がありました。
これは間違いないと思います。
クハ111-320
モハ110-23
モハ111-23
モハ110-35
モハ111-35
クハ111-31
クハ111-316
モハ112-182スカ色
モハ113-182スカ色
モハ112-183スカ色
モハ113-183スカ色
クハ111-26 回739M 品川(客操)→東京
739M 東京→小田原
790M 小田原→東京
327M 東京→浜松
かつて東京駅へ乗り入れていた静岡のS+S(12両編成)
昭和59年2月改正以降はL+S(10両編成)
浜松到着〜翌朝の品川出庫までどんな流れだったかな 最後の東京乗り入れ80系運用から移行したものでしたね。
(某巨大宗教団体の関連もあった?)
確か…
80系時代は前日夜回送で品川まで上って翌日東京〜平塚のアルバイト運用の後
沼津行きになり沼津到着後富士宮まで回送 堂々の12連 基本的には7〜8号車がサハ87連続なんだろうけど9〜10号車がサハ87の編成も見たような?
大垣6連と静岡7連の計13連もあった。 99年末くらいだった気がする
少なくとも夏にはまだ走ってた 99年末にあったさよなら運転って大船電車区だったのか >>214
あっごめん113系が撤退かと思った
大船かどうかはわからん モハ113・2-2116・2118って、モハ103-475・476+モハ102-631・632と共に、長期で黒Hゴムの実用試験を行ってたよな? 大船か幕張か忘れたが、横須賀〜総武の113が消えたのは1999年12月改正だったよな?
その直前、11並びの日にクハ111-1111のイベントがあったな >>219
幕張だね。
大船の置き換えが完了してから幕張にE217が投入された。
クハ111-1111を含むマリ111番編成、クハの検査期限の関係か、イベント以外では極力運用しなかった。
よく幕張の余剰車置き場に止まっていた。
大船のE217は汚かったが、幕張のE217はいつも綺麗だった。 >>220
今じゃE217は大船(鎌倉)に配置が完全集約され、上野東京ラインの絡みで
田町は土地自体が成仏→国府津に集約(元シマ車も小山に集約)だもんなぁ
特定編成内の「この車両」こそが面白い、と言うのも完全に消えてしまったし…
車両を見て楽しむ、と言う感じじゃなくなってしまったよね 285系が停まってりゃ良い方で、最近なんかだと遅れて来る確率が高い! 231や233にも特徴車はいるけどね
K-01の6,7号車やE-01,02の6号車とか
もちろん113系に比べたら面白さは無いけどね でも幕張よりも大船の113系の方が状態良いの多かったんじゃなかった?
1500番台編成も全部大船配置だったような >>224
編成の普通車全部が1500番台だったG付編成は、
2本とも幕張(1990年頃はマリ117・118)配置だったんだが… >>225
幕張の付属編成には1500番台が無くて大船は全て混成だったから1500(G車は1200後期車)だけの15連って一度も実現しなかったのかな? 過去スレにも書いたが付属4両すべて1500の写真をなんかの雑誌で見た。 基本と付属の1500ペアがあったかどうか
そこまでの記録は取ってないな >>226
1500番台でロングシート改造した車両は無い? 少なくとも、記憶に強く刻み込まれるほど強烈なインパクトのあった
編成・車両は、2000年まではそれなりにいたと言うことだよなぁ…
113系だけに限った話じゃないとは思うけど 82/3/30
クハ111-2049
モハ112-265
モハ113-265
サロ110-44
サロ111-9
モハ112-1052
モハ113-1052
サハ111-5
モハ112-1023
モハ113-1023
クハ111-201
クハ111-521
モハ112-264
モハ113-264
クハ111-213 >>227
1500番台投入から113系撤退までずっとスカ線沿線に住んでて利用もしてたけど付属編成の1500番台オンリーは見た事無かったな
両端1500番台中間MM'1000番台の付属4連は見たけど
そもそもフナ区の1500番台はTcが奇数偶数各4両ずつしかいない上に基本付属両方にバラけてたからなぁ
それってマリ区の千葉ローカル用に転属してからじゃないの?
>>229
無い
ついでに2000番台にも無い
ロングシート化されたのは小山の115系も含めてシートピッチ改良前のものだけ
あと非ユニット窓車もコツ区の1000番台地上型のサハが4両のみ >>227
>>232書いてから気づいたんだけど、もしかしたら新製直後ならオール1500番台の付属編成があったかも
ただ、マリのオール1500番台基本がS56年なのでその頃には既にバラされててオール1500番台15連は無かったと思う
フナの基本編成はTc1501〜1504がトイレ無しの関係で1500番台サハとは絶対に同一編成を組まなかったから新製直後にもオール1500番台は無い >>232
ロングシート改造車は古いタイプのやつか 増1号車〜増4号車まで全てが1500番台というのは見た記憶が無い
増1〜増3や増2〜増4まではけっこうあったが
両端のクハだけ1500番台というのは稀有だった 横コツ車でも2000番台統一編成は無かったはず。
1500番台に比べれば数が多いから両端クハとモハの3組ユニットくらいは2000番台の
編成はあったと思う。 手許にあるクハのみ1500番台の増結編成を調べてみたら全てY67編成
昭和59年10月26日
クハ111-1604
モハ112-1221
モハ113-1221
クハ111-1504
昭和60年6月19日
クハ111-1601
モハ112-1241
モハ113-1241
クハ111-1504
昭和60年9月30日
クハ111-1604
モハ112-1241
モハ113-1241
クハ111-1504 >>236
横コツにはいたよ。南チタからの転属車が来るまでの南コツにはいなかったけど
逆にコツとクハの差し替えする前のチタは全て2000番台だったね >>236,238
末期のK47・52あたりか(確かT301→2003、T1017→2006)
シートピッチ拡大車オンリーと言うことで、1500番台を含んだ
編成でも良ければ、末期のK67も一応該当? レアな統一編成と言えば2000番台よりもむしろ新製冷房車(0'番台)のT車組み込み貫通11連じゃないかな?
該当車がT-5しかいない上に2000番台主体の編成に組み込まれてた時期が長かったし廃車も1995年と早かった
オレも見た記憶は無いし新製直後はモハに初期車や地上型1000番台ユニットも多かったから実際に0'番台オンリーで組成されてたかどうかも疑問かも >>240
11号車だけ1000番台というのはあったけどな >>240
近似の編成がK51(T-304組み込み)、K57(T-404組み込み)、K58(T-302)、
K60(T-303組み込み編成)つーところか
新製冷房車編成での完全統一だと、8号車がTc250だったK73とか
>>241
千葉で殉職したTc1038代替で転出したTc231の代わりに
T-1048を組み込んだK54編成だと、8号車だけ1000'番台での
新製冷房車仕様統一編成にはなるか >>241
昭和58年9月19日 K42編成
クハ111-537
モハ112-271
モハ113-271
サロ110-57
サロ111-42
モハ112-321
モハ113-321
サハ111-5
モハ112-278
モハ113-278
クハ111-1024 >>243
300番台だと半自動手掛がある、400・1000'番台だとサボ受けが無いっていう外観上の決定的な違いがあるんで編成美を感じられないんだよね
あと8号車Tc組み込みだと国鉄時代は国府津(大船)にも静岡にも多数0'番台オンリーの編成がいたから珍しく思わないかな >>245
それだけ、あのT-5がオンリーワンだったと言うことなのは重々承知
(これでもしT401・402が0'番台オンリー編成に組み込まれてたら…)
かと言って、今のE231・233となってしまうと、形態が揃い過ぎて
もはや編成美に触れるまでもないし
すれ違っただけで編成を判別できた時代が、本当に懐かしいなぁ >>246
0'番台オンリーなら改造車なんて論外でしょ いずれにしても、113系が東京や横浜を日常的に通過していた時代は
もう永遠に戻ってこないんだよな…
MT54サウンドを伴った113系のあの乗り心地は、体のどこかで覚えているとはしてもね
音・乗り心地・車両の個性を含め、後になって振り返ると113系「全体が」
魅力的なものだったと…(ラッシュに揉まれた実体験を含めても) >>246
>すれ違っただけで編成を判別できた
毎日同じ行動をとっていれば
すれ違う列車の列番やどこですれ違うかも覚えてる
運用もパターンがあるから編成も予測できる
国府津や静岡の場合だと
判別箇所としてはサッシがユニットサッシか否か
雨樋の上部にゴムが無ければFRPの2000番台
あとはサロ2両でほぼ完璧 >>249
あとは更新車か否かも(Hゴム・ドア押さえ金と内装色で判断)
4号車に平屋G車が残っていた時代には、DDと平屋で運用が分離されてた 横須賀線に乗って鶴見付近の東海道本線と合流する辺りで113系と並走したいい思い出
抵抗器の音が凄かった このスレってなんかJR時代で話してる奴と国鉄時代で話してる奴がいて微妙に噛み合わない事が無い?
てか伊東線専用G車入り7連や静岡所のG車入り時代のT編成やG無し静岡ローカル車(オール非冷房)の東京乗り入れ運用とかを見た事ない奴ってどれくらいいるんだ?
もしかしてDD連結化以前のサロ111や110-0(1000)番台すら見た事ない奴とかもいる? >>253
私は東京圏運行本部の頃までしか知らないのですが
DD連結化って何でせう?
私が無知なだけでせうか 総武快速はシールドビーム・ユニット窓のATC車ばかりだったんで
面白みがなかったなあ。 >>253
自分にとっての113は「JR化より後の世代」なんだけど、
サロ110-301やサロ110-0・111の現役の姿は
辛うじて見届けた(&デッキに乗った)世代でもある
※但し、消防に毛が生えた程度の頃にだけどw
確かに、国鉄時代の113は自分自身の目では見てないんだよなぁ
(黄色の赤羽線なんかは辛うじて見てた&乗ってたんだけど)
こうなると、JRRの「国鉄電車編成表」(JR電車編成表にあらず)などで
脳内補足するしかないんだろうなぁ >>255
ありがとうございます
残念ながらその形式がどんな姿なのか
さっぱり思い浮かびません オール1500番台と言えば、
Tc1505・1506(便所付き)
MM'1519〜1524
T1510・1511
Ts1273〜1276
T'c1605・1606
だな! >>258
あれを知らない鉄オタがいる事にびっくり
これらや同一設計のサロ212、213はサロE232、E233やJR四国の5100のなんかの基礎じゃないか >>262
申し訳ありません
海外赴任が長かったもので
その間の出来事でした 89/9/3
大船
クハ111-1606
モハ112-1524
モハ113-1524
サロ110-1276
サロ110-1275
モハ112-1523
モハ113-1523
サハ111-1511
モハ112-1522
モハ113-1522
クハ111-1506 もう1本
クハ111-1363
モハ112-1213
モハ113-1213
サロ110-1301
サロ110-1208
モハ112-1231
モハ113-1231
サハ111-2004
モハ112-1242
モハ113-1242
クハ111-1095 1996年頃だったか会社で西明石に出張するのにのぞみに2時間半揺られ
新大阪から0系に乗り換え。だいたいここらへんで遠いなあと実感するのだが、
さらに2駅、そして在来線ホームの湘南色113系を指して一緒に行った
人がアボシ!アボシ!と言っていた。かつては鉄で人にはそれを隠している
俺はつい昔の分析眼でアボシを見てみた。オリジナルの湘南色、デカ目、
窓はサッシでなく角が丸い、そして冷房改造してあるけど屋根には丸い
グロベン。ふむ田舎の113系やん。さすがに冷改済か。
80年代は東海道でも総武房総でも東京発着113系は細めシールドビーム
ユニットサッシ、押し込み型ベンチレータ、後づけ感のない冷房ユニットの
新しめエリートな113系にしばらく乗って乗り継ぐと 同じ113系の
アボシ がいて編成なんかも短くて ああ田舎に来たもんだと思ったものだった。
と彼そんな感じでアボシと叫ぶ心の琴線を了解した。
しかし何年も前に鉄から足を洗って受験勉強に走り普通のサラリーマンとなった
俺にはそんな事はたいして重要でなくすぐに関心は仕事に戻った。 下のURLのブログ記事に1974年の錦糸町駅を出発するDC急行犬吠号の写真があります。
犬吠号の後ろに113系が写っており、G車が2両連結されているのが確認できます
(1両は殆ど見えませんが扉位置から断定)。
1両はサロ113ですが、もう1両もサロ113のように見えます。
サロ113製造直後、夏季臨時ダイヤにおいて快速白い砂と青い海だったか、113系を使用した臨時急行に
G車が連結されていたという情報をネットで目にした記憶がありますが(うろ覚えではあります)、
この時、どういう編成だったのでしょうね。
http://ameblo.jp/hanyarikunyari/entry-11899067135.html ドアエンジンて何年式からか知らないけど変わってるよね?
初めて東海道に乗ったのは1977年頃だが、ドアそばにいたら何のエア音もせずに閉まりビビった記憶がある。
丸縁窓のボロッちいのではなく新造冷房車だった。
かなり経って1995頃に房総路線に乗ったら、閉まる際にちゃんと「ツー!」とエア音がしたからアレェ?と思った。 >>271
錦糸町の写真に写ってるサロ113は休車中でサロ113を4両つないだ10両編成が2本放置プレイされてた。1973年夏ダイヤで使用された時はTc-M-M'-M-M'-Tc'-Ts-M-M'-Tc'の10連。休車になった理由は本来成田空港輸送用だったけど開港が延期されたから。 >>274様
解説ありがとうございます。
写真に写っているのは休車中だった(ので何両も繋がっていた)のですね。
1973年夏ダイヤのG車付きの編成も初めて知りました。
ありがとうございました。 昭和48年8月 錦糸町疎開車
クハ111-1***
モハ112-1***
モハ113-1***
サロ113-1010
サロ113-1009
サロ113-1007
サロ113-1005
モハ112-1***
モハ113-1***
クハ111-1***
クハ111-1409
モハ112-1163
モハ113-1163
サロ113-1012
サロ113-1006
サロ113-1004
サロ113-1003
モハ112-1162
モハ113-1162
クハ111-1097
サロ113-1011
サロ113-1008 鉄仮面改造されていなかった
1000番台って新製冷房車のグループ?
元から強化済み? >>278
8月の下旬にバラで2両留置されていたという記録(メモ)があるのですが
一時的なものだったのかも知れません 千マリってずっと 『 チマリ 』 と思ってたけど 『 センマリ 』 が正解なのか? 千葉(ちば)だから「ち」、と自分も思ってたんだけど
「せん」だと、仙台(せんだい)あたりになるんじゃないのか? 1000番台って助手席側のワイパーが手動式だったの? 90/6/10
逗子
クハ111-1427
モハ112-1194
モハ113-1194
サロ113-1003
サロ110-1253
モハ112-1259
モハ113-1259
サハ111-1045
モハ112-1258
モハ113-1258
クハ111-1114 スカ線の新川崎辺りで左右にガタガタした揺れが起きたのには、脱線するのかと本当に怖かった。
DT21特有の台車蛇行動なんて知らないから、地震発生かレールあるいは車輪が壊れたのかと思ったね。 東海道の朝ラッシュで113系のクーラーは
微風が辛うじて出てる程度で、無いよりマシレベルだった。
あれはフィルターか何かの目詰まりだったのか、冷媒が抜けてたのか、仕様だったのか。
夏の朝に限っては空調の効く211系が来ると
嬉しかった。90年代の横浜駅で。 あれはおそらく風避けのせい
参院選で113に乗ったら、風避けが無くて直噴だったけど、吹き出しの真下に居たらコールドスリープ状態だった
ほかの車両でも、昔風避けがなかった時は吹き出しがちょうどよかったけど、その後風避けがついて、とたんに暑くなった 111・113系物語という書籍があったんですね。
税抜1,900円なので買おうかと思いつつも、結局やめてしまいましたが・・・
横須賀線が現在の15両編成になる前、
昭和40年から昭和43年にかけて暫定15両編成という時期があったのですね。
10両(7M3T、G車1両)+5両(2M3T、G車1両)という時期があったというのに驚きました。
(113系で2M3Tを組むなどありえないと思っていましたので)
さらに(上記の書籍に)それを収めた写真があった事にも感心した次第です。 >>292氏
その書籍もってますけど床下配置図が充実してる代わりに
屋根上の資料が乏しい印象です。
ここで聞いていいのかわからないのですけど
94〜95年頃の千葉113最後の非冷房マリ258の両端のクハのオデコから屋根にかけての塗り分けが
他車と違う(青色の部分が狭い)ように見えるんですけど、現物はどんな感じだったんでしょうか?
ググっても鮮明な画像が見当たらないので・・・ご存知の方いたら教えていただけるとありがたいです。 >>293
マリ258編成の先頭車のひとつはクハ111-182のようですね。
以下のURLにクハ111-182の写真へのリンクがありますが(屋根の写真ではないですが)
おでこの塗り分けは他の非冷房車と同じように見えます。
塗り分けが異なるのはもう片方の先頭車でしょうかね。
http://type103.heteml.jp/hk/rail/ec/ec113/ec113_index.htm
あと、293の書込みを読んで初めて気づいたのですが、
ユニット窓のクハと非ユニット窓のクハとでおでこの塗り分け位置が異なるのですね。
更に、クハ111-182は他のクハと比べておでこが丸っこいような気がしますが、気のせいか・・・ >>284氏ありがとうございます。
ただ111-182がマリ258として組まれていたのは編成表より90年ごろと思われます。
93.7.1に廃車になってますね。
自分が探している時期の編成は
安房鴨川← 111-190 113-222 112-222 111-1320 →千葉
となっています(95年冬JR列車編成表)
写真としてはこの辺でしょうか。
ttp://ameblo.jp/iwpm-nrt/image-11001690583-11450148257.html
教えていただいたページは初めて知りました。
もう少し探してみることとします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています