懐かしの東武鉄道について語ろうパート5
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>852
ドン小西だっけ?
20050のモニターにその制服と営団の制服を着たキャラクターが映っていたな。 ttp://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=33900
田面沢本がCOMIC ZINで委託開始だって。 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁お前ら何や」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜ロアナプラスペイン上西フライングファイアーウォーターサーバーダイビングドライブシュート川中
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 昔、東上線に走っていたブルーバード号って、日産がブルーバードを発売した時にはもうなくなっていたんですね。
ちなみに、今では、「スペーシア」が車の名前とかぶっている。 スズキのスペーシアは東武のが出て少し経った後だったからパクリが判りやすいw
あと、こちらもパクリでガラスの名前にもあったはず 国鉄の準急スカイラインってのもあったな
急行いすずってのもあったけどそもそもいすゞ自動車のいすゞって国鉄バス(と言うか省営バス)の制式なんだよね >>859
>少し経った後
スズキスペーシア2013年
東武スペーシア1990年
日本板硝子スペーシア1997年
少し経ってからって感じじゃねえし
そもそも後発だからってパクりじゃねえし >>859
スズキは、新型車にスペーシアの名称を使う際に、東武に使用許可を得たそうだ(当初は二代目パレットとして出す予定だった)。
あと、今年はじめに、東武で、往年のブルーバード号のカラーリングが復活したが、皮肉にも、今は、日産からはブルーバードは発売されてない(後継車はシルフィー)。 ブルーバード→ブルーバードシルフィ→シルフィ
こういう流れの改称って結構多いよね >>863
コロナ→コロナプレミオ(コロナはこれが最終)→プレミオ
BC戦争したもの同士w
おっとスレちだ、すまない。m(__)m 平日の日中ガラガラで冷房ギンギンの伊勢崎行きA準急が大好きだった。
なぜかサハに乗るのがこだわりだったっけなぁ。
平日で仕事休みでなにもやることないと、太田とか新桐生、赤城あたりまで行って駅近くで
昼飯だけ食って1800のりょうもうで帰るのがおきまりだったっけ。
あぁ、もうこんなことできる電車は東武にはないんだなぁ。 1997年、2007年・・・・・・と10年おきに11月頃鉄ピクの東武特集の増刊が
出ていたから今年も・・・・・・と思っていたけど出無さそうだな。
今年の11月の鉄ピクの増刊は阪神特集らしいし。
仕方無い、来年まで待とう。 >>868
RPが通常号で私鉄路線特集を始めていて、その最初の回が東上線。
東武は臨時増刊号ではなく、通常号で路線ごとに特集を組もうって
RP編集部は考えているのかも。阪急はそのやり方で全線取り上げ済み。 >>862 1720DRCは、初代セドリック初期型 >>861-865
三菱・デボネアの後継、プラウディア(2000-2001.2012-2016)なんか
資生堂・プラウディア(1997-2005)の発売開始3年後のことだし
それにもまして
上級(姉妹)車としてディグニティなるリムジンまでラインナップ(某宮家の公用車に採用)
初代は三菱の自社開発ではなく、韓国・現代に丸投げ(エクウスの姉妹車でもある)
生産も、韓国で作った中間品を輸入し、国内で仕上げる有様
当時、社内に様々な問題もあり、わずか1年で販売終了・・・
ちなみに初代の総生産数
プラウディア:1228台
ディグニティ:59台
2代は日産・フーガ(2代)のOEM車で
三菱の「10年・10万km特別保証制度」対象外 >>870
>>872
1960年4月セドリック発売のはるか以前に
東武関係者が実車を見ている可能性が高い
多分、発売半年以上前に行われる
大口需要家(ハイヤー・タクシー、社用車)向け内覧会あたりで
東武関係者がフロントデザインに感銘して
こだま級新形特急車両(のちのDRC)にオマージュしたんじゃないの
東武と日産は同じ芙蓉グループだし
内々では話が付いていたりとか
そして設計幹事の日車にデザインさせたんじゃない?
発注1960年1月、同年9月落成でも十分成り立つし そのセドリックもシボレーの初代インパラの独特なヘッドライト形状の影響受けてるからそっちが見本になった可能性も 昭和30年代はまだまだパクリ放題な時代よ。
キャノンのカメラのライカそっくり具合とか見てるとわかるよ そう言えば冬コミに鶴瀬サークル当選したようだが、本買うって奴はいるの?
夏の本の本当の所の出来はどうだったの? 今回は年末すぎるから行くの無理
委託販売するのならそこで買う >>870、>>874
あの縦目角ばったデサインは車両製造メーカーからの提案なので、それもない。
てか、つい11/5の鉄道伝説SP(BSフジ)でDRC特集の再放送やってたの見てたら
そんな考え出ないだろ。 >>882
あの番組(鉄道伝説)は
取材力や製作力不足で残念な回が多い
大人の事情に過敏な点も視聴者に見え見えだし・・・
「みんなの鉄道」にも言えるが、フジが作る(放映)からだろうな
衛星波(BS・CS)番組は、大人向けに地上波よりも掘り下げているつもりが
説明や時系列があべこべだったり、不適当な参考写真とか
逆に、中途半端なのが露呈して始末が悪い
差障りのある事は出さないし
・基となる参考文献に掲載された核心部分の内容も触れないかお茶を濁す
当事者(特に故人)が過去に文献で発表した内容と食い違う点もしばしば
・学術論文指定された書籍に掲載されているものもあり信憑性に関わることも だが、それよりも遥かにキモヲタの言うことは信用ならん。
反論があるなら、確実なソースが出せないのなら、それは「単なるキモヲタ君の妄想です」
と前置きしてから書いてくれ。 ちょっと調べてみた。
何の事はない、1954年の段階で、ファセル・ヴェガがすでに縦目4灯を発売してた。
ボンネットマスコットに至っては戦前のダイムラーにすら付いてる有様で、やっぱり
ヲタの言うことは信用などしてはダメだ。 あーうるさい
ヲタがなんとかとかいちいちケンカ腰になりなさんな DRCの回は東武博物館館長も出てたし、ちゃんと調査してるよ > 鉄道伝説
むしろDRCの設計はアルナ主導で日車はセカンドソースだと思ってたのに、
意外と日車がガッツリ設計に噛んでた事が分かって実に有意義だったよ 鶴瀬のサークルがヤフオクで落とした写真は、朝霞の基地の引き上げ線付近じゃないのかな?
航空写真を見ても朝霞付近で線路際に木がいっぱいある場所はあそこしかないし
列車自体は東上線を走行中で、奥の方がその引き上げ線 DRCのデザイン起源が直球で初代セドリックか?とかで、白熱してアホ草。
当時の流行り(トレンド)とか そう云う視点で視れないのかね?
直球ターゲットでデザインを模倣した訳ではないと思うよ。
国鉄の151系(こだま型)だって影響を与えたのは間違えないし・・・。
国鉄特急もDRCもフロントのエンブレムは当時のアメリカ車全般V字に代表されるエンブレムの
影響だし・・・
只 高運転台を特急車に採用する会社(国鉄、東武、近鉄) 空気抵抗を考えて?
思い切り 低い運転台を採用した小田急SE車の動向は興味深い。 >>888
日車とアルナでオーナメントの位置(高さ)が違うんだっけ? >>890
ここで書くのはスレ違いなんだけど、小田急はEXEやMSEのように低運転台特急を
現役で保持してるところを見ると、高運転台のメリットをさほど見出してないのかも
知れん。 鶴瀬の啓志線本は板橋は晴天なりの100%パクリ本って本当ですか? >>890 国鉄151系や東武DRCのようなボンネット型の場合は、先頭部に騒音発生源である電動発電機やコンプレッサーを収納して、客室の静粛性を高めようとしていた。
あるいは名鉄7000のように先頭部を展望席にするか。ボンネットも展望席にもしなかったものとして、南海の旧こうや用車両20000系もあるだろ。 小田急SEは、冷房なし、リクライニングの座席なしと、東武DRCに比べたら簡素な内装にして余計なものつけないで高速化を狙った車両だからなあ。電動発電機等をは各車両に分散し、構造簡素化を図るべく運転台を低い位置に持ってきたわけで。
必要性がなければ、わざわざ、運転台を二階部分に持っていく必要はないってわけだ。 冷房で思い出したけど、7800系グループを、更新して二代目5000系を造り始めた際
社内で改造の是非や改造内容について相当揉めたの?特に冷房を載せる載せないで・・・
そんな中 更新後5000系が、方向転換(電気配線、空気配管の都合)で種車7800系
と混併結出来ないようにしたのは、何故故拘り? 名鉄の7300系の様に在来(名鉄の場合
AL車)と繋げて運用し一列車あたりの近代化や初期改造ロットから冷房を積んで列車単位
の冷房率の向上を図るとかする考えは、何故起きなかったの? 東武は基本的に車体更新には金を掛けないんだよね
3000系も蛍光灯の数が少なかったり、種車になった同時期の新車に比べてコストカットされてる。
冷房についてもそういうことかと
異種形式での併結についても東武はあまり重視しないし
30000系が10000系と併結出来るようになっていたことすら当時すごい驚かれたぐらいだからね
まぁ本線は6連運用が基本だったから、東上線みたいに10連固定にすると地上線で使いにくいですし
分割編成にするなら4連の方は地上線で使うなら2連の10000と組むことが必要だったわけですけども >>897
5050をHSCブレーキにするのに、8000と併結出来るように、って理由を付けて
館長が上層部に掛け合ったんじゃなかったっけ。
それにしても、5000は謎だよな。78と併結出来ないしブレーキは変わらずだったし。
3000は更新前の在来車と併結出来てたのに。 別にに謎でもないんじゃないのか?
本来はもっと纏まった数、それこそ7800系を全部5000系化するつもりだったが
計画が見直しになって、結果的に少数派になってしまったというだけでしょ >>895
ところがDRCのボンネット内は空っぽで、後からATS装置等が積まれた程度
>>899
館長が上層部に掛け合った割には、加速度が全く合わず営業運転で併結したことは無いんじゃなかったかな?
趣味的には興味深いが、共通化したところでほとんど意味がなかったという黒歴史 蛇 7800系と5000系(を冷房化して)併結混用(方転して)すれば良かったような・・・
マア 東武はトンネルの向こうのイメージ戦略ありきの鉄道ハッタリの不動産屋と違い
車両淘汰、計画変更した場合の見切りの付け方は素早く潔いからソレも更なる無用な
二重投資と云う事か・・・? >>901 高速運転故 踏切事故に備えのクラッシャブルゾーン? >>901
8000と5050じゃ加速は大して変わらない。
5050も2km/h/sは十分出てた。 実際の加速度は関係ないのだ。鈍長な吊り掛け音に感情移入して
一緒に踏ん張ってしまう、その疲れの割には大してスピード出て
ねえなあという感じするのじゃ。 7800は音がうるさくても乗り心地が悪くてもそういうもんだと思うだけだった
5050は なぁに?この快適性に欠ける電車は? と不快に感じた
近代的になった車体とゴリゴリした乗り心地や騒音がアンマッチだったせいかもしれぬ
不快ったって台車が古い3000系列よりはるかにマシだったけどね >>899 5000系グループのうち、初期の5000は車体ブレーキだから7800と併結できるのでは?その代わり、台車ブレーキにした5050以降と併結できない。
緊急時のHSCブレーキ使用を前提としなければ、5050や8000にしても7800や3000と併結できるだろ。ただし、通常の営業運転ではそんなことしないだけで。
3000が更新前の車両と併結できたのは、荷電化した更新前車両との併結運転をする必要があったからではないのかな。1965年頃の東上線池袋駅にいる3000系列の新旧混合編成の写真がある。 20050,9050についていたドア上の液晶モニターは、当時としては画期的な装備だった。
画面下についていた"SHARP"のロゴも誇らしげだった。
しかし、液晶の劣化が予想以上に激しかったことや、なにより、当時は液晶モニターを生かせるコンテンツが無かったことで(地下乗り入れ運用が中心だったことが理由か)、わずか6,7年で撤去された。
そのトラウマで、東武は長いこと液晶モニターには慎重になっていたが、最近出た70000系は、そのウサをはらすかのように、一気に3画面モニターになった。
最近は2画面モニターが主流になっているが、なにもそこまでしなくても。 昭和は街の中のあちこちに人をホッとさせるような影があった。
7800の中間に組み込まれたクハの車掌室など、車掌室そのものは
施錠されていたがその反対の空間はぶ厚くて丈夫な荷台のような
ものがついていてそこに数人座れた。昼間はガキンチョが秘密基地的
指定席として占領し、夕方のラッシュ時は座席にあぶれたサラリーマン
の兄ちゃん達がだらしなくどかっと腰掛けていたり、1日の疲れで
足が疲れたOLのお姉さんがごく浅く遠慮がちにお尻を乗っけて
いたりした。そんな風情も昭和が終わるより前にになくなって
しまった。8000系に乗ったつもりが重苦しい音で荒川目掛けて
勾配を登る時、響きわたる吊り掛け音に、ヤラレタと少し騙された
ような気がすると同時に7800や7300にあった昭和を懐かしく思い出し
たものだ。 7300系をもし、再更新していたら あのグロ便は、しぶとくまた生き残ったのだろうか?
西武701や101みたいな グロ便と集中クーラーの狂存? >>910
分散型クーラーが邪魔してグロベンは付けられないだろう。
のちの8000の修繕を先取りして、通風器は設置しない、になっていたかも >>907
とれいん343号によると5000は7800とブレーキは同じだが、ジャンパ線位置がなぜか8000に揃えてあって繋げられなかった。
7800に揃えてあったら混結もあったのだろうが、大人の事情なのかな?
とりあえず作ってみて、後で8000化するとか計画があったのかも? >>912
78を全部5000にする計画だったんじゃないの?
だとすると共存するのは一時だけだからなあ >>907
車体ブレーキと台車ブレーキが混在すると併結できないの? >>913 5000改造車登場時の鉄道ファンの記述には、年間改造両数は数両?
(具体的な数は忘れた。)で板張り電車が無くなるのは気の遠くなるほど先のハナシ
と記述があった。クーラーを積まなかったこと、台車等更新アップデートが無く
7800を8000に車体乗せ換えただけのシロモノと散々な批評。・・・だから
一応は全車改造を考慮していたのでは?只 改造内容については、結構迷いが
あったのでは?事実5 次の改造は5050系で仕様変更。 7300が車体更新されなかった理由について、台枠や台車が2度目の
更新に耐えられなかったんだろうか?公式に何か言われた事はあるんかね? >>917
単にこの会社のしきたりだと思うけどね。
当時の鉄ファン誌の寄稿記事に
「全数の8000系置き換えは時期尚早」
「一度更新した7300は廃車することに」
「すべてが置き換わるのは遠い将来のことである」
とあったのはよくおぼえている。
“公式”といっても、あらゆる内情を企業があからさまにはしないしなあ。 >>917 7300系って もしかして台枠も旧品(63流用)?
ダトしたら 流石に使わないでしょ。
なんせ 戦後まもない粗乱製造 使用鋼材もソレなりカト・・・?
7860は、何故 商慣行(その後50000まで発注事例 無し)に反して日立で造ったの?
他社が手一杯で造れない分を引き受けたとか?
一社単独製造で全鋼製 仕様が微妙に違うのも気になる。 70年代末という国鉄でさえ旧型国電の淘汰を進めていた時代に
63形由来の機器を再々利用するという発想は無かったのではないか。
でも最初の更新の時に全金属で更新していたら90年代までは使っていただろうな >>920 足回りは63形より古くても全金属車体だった、西武411のその後とは対照的だな。 920氏、 73は全金属製?、と思ったが床板は木だった、けど
もしかして屋根も木だったとか?78の車体は全金属とは、言わない?
もし一足飛びに昭和38 39年頃に8000系のボディ乗せてれば90年代まで
使ってたろうね。 >>922
73,78は7860系以外屋根も木製だよ、7860系は車内に木材を使ってるから全金属車とは呼ばない。 さんきゅー そうか、鋼製車体ではあるが全金属ではないという
ことだね。あまり考えたことなかったよ。
初期の7800系ならともかく30年代半ばにつくった7800系は
国鉄63型の全金属車そのままコピーさせてもらってたらもう少し
寿命は長かっただろうね。 足立区民からすると千代田線に乗り入れて来る洗練された小田急車両や
東急車両見て、やっぱり俺らアダチだよなあ 山の手には敵わん、と
諦めさせつついつか頑張って出世して山の手市民になってやると奮起
させるのに野暮ったい板張りの7800 7300は充分であった。大体根津嘉一郎
翁にしてコレクションの博物館を青山渋谷あたりに造る事からして、
足立墨田界隈を下町の平民と見下しているんではないか、と拗ねたく
もなるが、それはそれで青鼻たらした足立区の貧民な子供でも、両親に
日光や鬼怒川に遊びに連れて行ってもらえるように乗車券だけで乗れる
速達の快速を走らせてくれるなど暖かい配慮もしてくれるにであった。 丁度今頃、白い息吐きながら浅草浅草寺の初詣で、仲見世通りを歩いて
お清めの水で手を洗い、頭が良くなるようにとお香の煙を頭にかけ、
それから押し合いへしあいしながら本堂でお参りをし、賽銭を投げ、
一通り初詣を済ませて、清々しい気持ちで浅草駅に引き上げて、
きついカーブに始発で入線している8000系や7800系など、黄色い
シートに黄色い壁で照明までも暖かい黄色に見え、冷えた体を
シート下からの暖気とともに暖めてくれるのだ。特に7800系などは
その古めかしい内装と板張りの床からの微妙な油の匂いが、
大げさにいえば永遠の昭和を感じさせたものだった。
恐らくは洗練された山の手の方の車両はむしろ無機質で気負って
忙しなく、こんな空気は味わえないのではないかと、それはそれで
東武沿線民である事の幸福を感じるのであった。 >>919
相鉄じゃないから73系はすべての車両が車体新製している
だから、コスト削減の観点でも半鋼製でその大部分が津覇製
73更新時に旧車体は、西新井のだるま数体※を除いて廃棄
※1983年秋ごろまでは、ほぼ完全な旧車体があったとか・・・
http://blog-imgs-90.fc2.com/k/a/e/kaede150421/8310.jpg
http://blog-imgs-51.fc2.com/k/a/e/kaede150421/311-13.jp RMのトワイライトゾーンにも出てたな
変な場所にドアが増設されていた >>928
後ろのマンション元住民。
物置と思われるコイツとドアだけで組み立てられたような同色の小屋おそらく浴室を覚えている。
工場に風呂があるなんて、と思っていたが素材系製造業ではよくあることを知ったのは転出後のこと。
いまや跡形もないわけで、懐かしい限り。 西新井工場は守衛さんお願いするとわりと簡単に中を見学させてくれたし、
色々話も聞かせてくれた。EDの貨物が小菅の坂登れなくて立ち往生したあと
だったんだけど、その原因などもいやがる風でなく普通に答えてくれた。
上に7860の日立の話題が出てるけど、会社としては大まかな仕様を決めて
数社に分けて発注する事で各社競作して良いものを作ってくれるんで
そうしてるっていうお話で、当時高校生の俺は感心すること仕切り。
良い社会科見学になった。 多分見学は日曜で工場はほとんど動いて
ない感じだった。平日は車輌の出入りがあるから断られたかも。
守衛さんは多分工場内の職場の人が当番でされてたんでないかな、
工場内の事精通されてたし。
今の春日部とか館林工場とかどうなんだろう?
件の7300の廃車体だけど俺が行った時は1両しか気が付かなかったけど
他にもあったのかな。カメラを持ってなかったのか、外部の人間としては
見ちゃいけないもの見た気がして写真に撮らなかったのか、ネガは残ってないはず。代わりに外側の一般道から覗くように撮ったネガは持ってる。 >>928
この色は、今、東武亀戸線でリバイバルカラーとして走っている。 >>931
福利厚生施設にこんなお化け屋敷みたいなものを長らく使ってたのかぁ。
そらぁ戦前型国電並みでも『これはお客様用ですから(キリッ』のスタンスが続いちゃうわけだ。 >>934
良くも悪くも東武は貧乏だったからね
初代根津が社長に就くまでは赤字で倒産寸前だったような会社
根津体制になってから徹底した経費削減策をずっと取ってきたから節約思考が物凄く強い >>934 時間軸を少し測り間違えていない?
80年代(昭和55年〜58)初頭〜中頃は未だ戦前型の旧型だって第一線で活躍していたし、
63そのものは、皆無でも73の古いのは未だ現役。
山陽だって同じく元63の700の旧車体を倉庫で活用。
ちなみに戦災応急復旧車で一番最後まで営業稼働したのは庄内交通のモハ5(元京王)
路線廃止の昭和50年まで稼働。 >>931
最後の写真、右側の窓の大きなプレスドアは貫通路のもの? 戦前型・・・他社の電車なっ。 東急はソコソコ内装は手入れていたけど、名鉄は其れこそビンテージ? >>935 戦前の小田急、西武に統合される前の武蔵野鉄道にしても、貧乏つうか会社が倒産しかねない状況だったわな。東武は近鉄や名鉄と同様、多くのローカル線抱えてるから、国鉄のように旧型車をローカル線に転用しやすかったってわけで 東武の津覇車輌とか京成の大栄車輌とか子会社かと思うんだけど資本関係ないんだよね。公務員の天下りと同じように東武や京成みたいな大企業はどんどん子会社増やして中年以降の正社員を出向転籍させるのが人事のやり方。大学新卒で
入社しても定年までいれるのはほんの一握りでほとんどのおじさんは関連会社
に追いやられ、役員の肩書きだけもらって給料低く抑えられたまま定年まで
つとめて上がり。 本人はまだいいんだけど出向を受け入れた方の会社の社員は
いくら頑張っても出向社員に要職占められたままなんでやる気も出ない。
京成が大栄車輌にそれやろうと資本関係受け入れて役員派遣させろとしたが
プロパー精神で会社がもってる大栄車輌としては受け入れがたかったらしくて
結果的に京成から切られたらしい。その点津覇車輌はうまくやったのか、しれとも東武が無理強いしなかったのか。 >>940
ボロ買いの根津なんて言われてたぐらいだからねえ 都交や営団と手塚の関係もそんな感じかな?
車両メーカー以外にも、車両清掃や鉄道部品、用品、特殊工具作成、資材調達とかで
零細企業との継続取引がある 有限会社の場合 天下りとかではなく、人間
(オーナー社長)対人間(鉄道会社、事業団体の担当者)の関係で定年後に雇ってもらう
ケースもあるよ。 無論 この場合 被雇用側の在任中の業者対応姿勢、人望がモノを云
うが・・・ 津覇と大栄の類似点として
汽車の下請けをしていたという過去があり
取引先の大手私鉄などから資本参加をしない
津覇は大栄と違い、鉄道以外の分野(重機、土木など)があること
鋼製部材の加工が得意で、東武以外の取引先※が数多くある
※特に三菱重工の関連会社(現在、資本関係の無いものを含む)
重機ではキャタピラーと関係が深い
・建機(クレーン・ショベルなど)の部材(ブレード、アーム、アタッチメントなど)
http://www.tsuha.co.jp/pdf/machine.pdf
・大型クレーン車のフレーム
・防衛装備品(後方用装備:シェルター、1トントレーラー)
http://www.tsuha.co.jp/others/frame.html
土木(構造物)関係は
大型ドーム施設の屋根を多数手掛けている
スキーリフトの鉄柱や、高速道路の標識塔とか
http://www.tsuha.co.jp/others/build.html
立体駐車機
http://www.tsuha.co.jp/others/other.html
キャタピラーや三菱自工のディーラー看板など
http://www.tsuha.co.jp/others/setup.html 63系の廃車体は工場安全衛生なんちゃらがうるさくなった今だと許され
ないんだろうなあ。下請けさん側と一体化した安全衛生の責任持た
されるから、発注側が色々干渉してくるらしい。それこそ冷蔵庫の中まで。
窮屈ではあるよね。
もっとも津覇車輌がわも廃車体を廃棄物というのではなくて歴史的資料
として塗装とメンテナンスしてきてくれてれば後で価値が出たのにと
悔やまれる。あと終戦後満州から引き揚げてきた技術者達が食うために
津覇車輌や大栄車輌に入って、東武や京成に仕事を請うてたらしいけど、
そうすると戦後の住宅難からの電車住宅というのも連想される。
鉄道側も割と廃車体の提供には好意的だったらしい。7300更新は
昭和30年代末だからまだまだそうした記憶が新しかった頃だよね。
電車住宅ではないけど昭和50年代バブル前まで木造の粗末な住宅が
あちこち残っていて、たしか玉の井のあたりだったか電車の中から
家の軒先がよく見えた。洗濯物が干してあった。そういう方が東武
らしくて好きだなあ この63、もう少し後まで残っていれば東武博物館に、丸々1両は無理でもカットボディだけでも保存されたかも知れないな 津覇車輌の人にしてみれば戦時設計で粗製濫造された63の車体など
ボコボコでここダメあそこダメでなんの価値もなかったのかもなあ。
それ位7300の造りはしっかりしていたよ。国鉄可部線の63など
よく東武7800 7300の終わりと同じ80年代まで持ったものだと思う。
7300は昭和21年 ××製造 昭和3x年津覇車輌改造 って銘板つけてた
よね。今でも津覇車輌って名前見ると今でもワクワクする。 >>949 子供の頃 判り易い会社名だと思った。(オトナの社会でも稚拙なくらい単純と云うか)
カテツ交通工業(華鉄・・・中国の華中鉄道復員関係者で起業)は、津覇?大栄?どっちの
かの後身だったような・・・。 >>950
間違いなく後者(大栄)の方(カテツの後身が大栄とされている)
津覇の創立(1932)は、華中鉄道が設立(1938)する前だから
1932年2月合資会社津覇製作所、設立
(東京府南葛飾郡砂町※ 現:東京都江東区南砂)
※汽車製造東京支店(1931年開設)の敷地内(借地)
この借地は1967年に汽車から津覇に譲渡
南砂工場閉鎖後も大部分を保有
http://www.tsuha.co.jp/company/history.html
1952年7月大栄工業、設立(東京都江東区大島) 吊掛け式だのカルダンだの知らない幼稚園時に、初めて伊勢崎線のナナサンかナナハチに乗った。
その時は木でできたボロい電車だから、うるさくて恐い音が出るものだと思い込んだ。
それから6〜7年後に、面白がって浅草に行くようになるとは想像もつかなかったな。
モニターに【各停 幸手】とあればほぼボロが当たって、牛みたいなモーター音とレールをキンキン鳴らして入線するのにワクワクしたものだ。
時には18時頃の【通勤快速 東武宇都宮】にも乗ったりして、各停とはうって変わり脱線しそうな走りも味わった。
春日部で野田線に乗り換えると、まあまあキレイな室内なのになんてトロい走りなのかとじれったくなった記憶がある。
下回りがずっと古いのはまだ知らなかったし。 まあ吊り掛け音は牛だよな。床が木ならば木製電車かと思っても
仕方ない。
ウォーンの牛音、速度出てからさらにノッチ入れた時の悲鳴の
ようなモーター音、まこれは北千住春日部間27分で走破しない
通勤快速運用に入ってしまった7800へのムチへの悲鳴みたいな
もんだ。併せて特にまだ暑い夏の夕方よりによって非冷房の
快速7800にうっかり準急だと思って乗ってしまった帰りのサラリーマン
客の心の叫び。ああ1日今日も疲れた早く家に帰りたいのに
我が家の脇を力行して走り去らねばならない絶望感。しばし
サヨナラ我が家 ワタシは用もない春日部に行ってきます。
激しく揺れる車内の吊革を握りしめ、額の汗拭うハンカチ、
ドナドナされるそれこそ牛の気持ち。
野田線3000系はなまじっか8000系みたいな車体だから8000系の
ような走りを期待してしまう。武骨な茶色いボディのままだったら
逆にこのボロい電車よく走るなと感心したであろう 鶴瀬のサークル本購入
男衾の火薬工場の機関車が払い下げられたって書いてあるけど
東武と同じレール幅機関車ならどこで使うんだよ?ってことになるので
鉢形に払い下げられた機関車はレール幅610oくらいのトロッコ機関車で
鉢形駅から荒川への砂利採取軌道に使われたのではと予想する レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。