懐かしの東武鉄道について語ろうパート5
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>119
1924年国鉄6200形6245〜6249→東武41〜45
1925年国鉄6236〜38、6242,6244→東武46〜50、
国鉄5541,5544,5549→東武54,55,56
1937年国鉄5531→東武59
1939年国鉄6253→東武60、国鉄5551→東武58
1940年国鉄6257,6260→東武62,61
1944年国鉄6251,6252→東武64,63 >>191
乙
でもぜんぶ国鉄じゃなくて鉄道省だけどね >>192
まあそれも含めて国鉄って事でいいじゃないか。 組織名称としての日本国有鉄道は戦後だが、形態としての国有鉄道は戦前からだしな 初期の8000系の車内にあった鏡。
冷房化の際に鏡を撤去したっけか? >>197
そんなのあったんだ。
貫通幌にマジックハンドみたいな金具が付いてた年式イコールかな? 8000の幌のマジックハンドとベロは平成まで残ってたよ
幌のマジックハンドとベロが最後まで残ったのは18型の格下げ車 8000系で幌にx字の金具つけて落成していたのは8181Fまで(2コテは判らん)
幌自体を内外で色分けしていたのも、白地幕もこの編成まで。 鉄ピク誌のニュースに「81107F塗装復元」ってあったけど、あの編成はセイジクリームで落成してるから厳密には「復元」じゃないよな なんというか更新顔にセイジクリームの似合わなさがガマンできない 来年は、634系を6000系の塗装にしてみたりして・・
1720系塗装のスペーシアが出てきたら・・? 今年6050の6000カラー運行がリアルにあるかも♪ >>210
6両編成すべて6000色ならまぁいいかもな。
でも6050は毎日組む相手がかわるだろ、変なまぜまぜ編成になっちゃうぞ。 2000系は……オールM時代、非常制動のあまりの効きの強さに
乗客全員将棋倒ししそうになって吃驚した思い出 パタッ、パタッパタッ、パタッパタッ、パタッ…、2000系 2000に関しては懐かしいと言うだけで思い出を美化しすぎなんじゃね?
加減速のショックは大きいし、夏は暑いし、雨の日は蒸れるは、北千住のダンパ線では後発の浅草行き普通に抜かれるはorz
あぁ、まだ78の方がマシだわw 2000は見た目・内装共に面白みが無かったなあ。
78はモーターの唸り、木の床、白熱灯と渋さ満点で大好きだった。
らくだ色のシートが懐かしいね! 2000系の正面デザイン、改造前の1700系に比べて非常にダサく感じられるのは何故だろう。
正面扉が非常口だから幌がないのと、運転席の所に通風口がついているからかな?
1700系をセージクリーム一色に塗っても、あそこまでダサくならないと思えるのだが。 1700は京急1000顔?2000は阪急顔?
そこに差がつく何かがあるんかな? 2000の前面の窓やドアの寸法、1700とは異なっているのか?
画像比較したが、ほとんど同じように見える。屋根のRが異なるのかな?
2000の方が角ばっているような感じ。 来年以降、20000系も思い出の車両になって行くのか・・・・・・。 20000はまだ使えるから、短編成化してローカル運用に回すのでは?
8000の置き換えとして。東上線の小川町以北とか越生線に入ってこないかな・・? 2000の正面は、通風口があるので お岩さんみたいで何処か怖かった。 でも2000て地中からモグラがサングラスかけて地上に出てきたみたいなユーモアある顔してんじゃんw
地上はまぶしいからな、仕方ないべw 18メートル車はホームドア導入の足かせとなる厄介者の存在だから、
20000系シリーズはすべて東武から追い出してほしい。 20000は地方私鉄が一括購入し、車種統一して経費節減につながるような活用方法
がいんじゃね?
あぁ、でも両端Tcとか…、やりづれぇな。 03と言うライバルがいるからなあ
地方私鉄に売りさばけるかどうかも分からんのに 蒸し暑いが雨が降っているため窓を開けられない時は、8000系の非冷房車と2000系のどちらが涼しかったのだろう?
扇風機式の場合、室内の蒸し暑い空気をかき回しているだけだよね。2000系の場合、ダクト付きのファンデリアだが、ダクトから空気を取り込んで強制送風機で車内に放出する方式だから、その方が涼しくなるように思えるのだが 暑い時期ならベンチレーター開けるだろうから同じようなもんだろ >>218
当時は減速時にモーター音がする車両が少なかったから、高速からの電制で悲鳴のような音を立てるのが印象に残っているよ。
美化はしていないけどお気に入りではあった。模型も作ったしな。鉄コレじゃないぞ。 上野の曲がったホームの隙間から熱風が噴き出すのは2000系だっけ? >>230 8000のほうがマシ
2000は地下対策で窓の開口部が小さい上に
電制つきだから減速時も抵抗熱がハンパなかった
頭上のファンデリア(?)は音のわりには
殆ど効いてないような感じだったなぁ。 東武2000はファンデリアだけだったけど、営団3000は扇風機のもあり、一編成で直接比較できた
結果は扇風機の方が暑かった
東武の運転士の中には加熱が激しい電気制動を嫌ってか、電気制動解除、空気ブレーキだけで停める人が居た
さらに腕自慢は自動ブレーキで停める人も
2000系のブレーキ弁は直通帯の後に自動ブレーキ帯があった
減速時に「ヒューン」と音がしないと、電制切ってるな、とわかったものだ 鉄板焼電車は103系1000番台と双璧だな、配線を焼いた103系と車体まで焼いた2000系。 でも103系のようなガサツさ、お下品さというか?そんなんはなかったよな。 >>237 幼い頃、地下鉄が火事になったというニュースを見て、地下鉄怖いと思った。
それから間もなく、親に連れられて丸ノ内線に乗ったときは、ホームで泣いて嫌がった。
しかし、乗ってみたらなんてことはない。むしろ、地下鉄が好きになった。
燃えたのは2000系だったのか、今になってわかった。 >>242
ドア5箇所も要らないだろ。
そのドアを埋めて座席置く改造のカネ考えたら、3ドアの車両買った方が。
20000系列だけじゃなくて、03も使い道がなくなる。
日本中の地方私鉄が20000と03の3ドア車に置き換えてもまだ余るんじゃないか? 真夏の営団3000で客室側の乗務員扉開けっ放しで運転する東武運転士見たことあるよ
よっぽど暑かったんだろうね
カーテンはしっかり降ろしてたけどね
8000系の冷改は若い番号から順番にが原則だったけど
8107Fの冷改は6連なのに随分後回しにされたし
東上線で2連4連の冷改車なんて数えるほどしかいなかった
本線の8000系は随分冷改が進んでいるなと
東上住民の自分がちょっとジェラシーを感じた昭和53年の夏 東武の運転士が営団3000で前面の貫通扉を開けて運転しているのは、
何度も見たことがあるな。
何故か自社の3000や2000でやってるのは見たことが無い。
ああいうのが普通に見られる会社だから何とも思わなかったけど、
今にして思えばフリーダムな時代だったんだな。 >>244
クーラーキセの形状が8111・13Fとそれ以外で異なってるので、この2本が後で冷房改造されたと思われる。
また、8179・81Fの投入で8170〜72Fを本線に召上げられたのは当時釈然としなかったものだw 東武越生線の吊り掛け
大好きだったなぁ
ゴーゴーいってて気持ちよかった 73・78も味わい深かったけど存在感があったのは非冷房5000系ですね
駅で待っててこれが来ると「うわー来たー!」って感じ
当時東上線は列車無線未整備だったけど本線さがりの5000系には
無線アンテナが付いていたのがちょっとカッコ良かった
鉄粉まみれの車体は同じ顔が並んでいてもこれ5000系ってすぐわかった
冷房付けてもらって綺麗になって戻ってきた時はこれが同じ5000系かと信じられなかった
車番も切り抜き文字に変わり東上線で側面表字幕が付いた鋼製車は初めてだった
8000系の種別表示はまだ前サボを使っていたので自動表字幕の5000系が優等運用に就いたら
表示方法はどうするんだろうと心配したけど結局池袋口に来ることがなかったのは残念だった >>248
5000系は床に台車と床下機器へのハッチみたいのがあったね
宇都宮線で乗ったのはいつ頃までだったろう
野田線の方が先になくなったかな >>248 非冷房時代の東上5000って、1が白幕、2が青幕だったな。
時々8両に組まれる時があったけど、その時は必ず4-2-2だった。 >>248
5000系冷房改造後も車番はペンキ書のはずだが。
>>250
クハ5602だけが青幕。 >>251冷改で切り抜き文字張り付け、
新塗装化で即撤去 僅か数年 >>250 方向幕
5102Fが青地白ヌキ文字
5101F・5501F・5502Fは白地黒文字だったね
この8両は本線からの転属組みだから転配時の幕交換で
古いストック品を付けさせられたと想像
更新は昭和54年度だったけど幌はジャバラ式が付いていたし
とてもチープ感ある車両だった ムック本買って来た
フラワーさん対談ツッコミ不足で答えもお茶を濁した感じ
新たな知見としてはときわ台の宅地開発は貨物ヤードを予定してたけど変更して転用した事でしょうか
時期と場所を考えると幻の西板線計画の一部ではと想像します
西板線の路線図を見ると東上線側の分岐点は上板橋
緩やかに分岐してときわ台手前で別れて環七沿いに至る計画
ちょうど今の住宅街の中を通る感じになります
西板線の免許失効が昭和7年ときわ台開業が昭和10年なので時期も矛盾しません
西板線計画での東上線側の予定(投資)は皆無と思ってただけに
計画が実現してときわ台横に広大なヤードが有る世界を想像するとちょっとワクワクしてしまいます >>254 その場合、下板橋の操車場はどうなるんだろうな。
2つも貨物ヤードが必要だったのだろうか?ときわ台付近に環状7号線が開通するのは戦後になってからだし、下板橋で十分捌けるのでは?
啓志線造って、群馬県太田の中島飛行機工場から成増飛行場まで航空機の部品を輸送するなど、軍需輸送用ということであれば意味があったのかもしれないが。 下板は国鉄との継送に必要なんじゃないかな。
常盤台増設で余力が出来るなら、車両基地としての機能を
増強するとかはあったかも知れない。 ☆☆☆☆☆
☆ 自民党、グッジョブですわ。 ☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆ 常盤台の件は西板線についてのページが用意されてると思ったら
ときわ台駅の説明でちょっと書いてある程度であったでござる 昼のテレビに冷蔵出てたな
冷蔵本を初めて買ったのは昭和の終わりの頃だったか
「東武は田舎電車のイメージがあるが技術的には先見性がある」なんて
東武ファンを感涙させる様な事書いてあって
危なく信者になるとこだった >>260
最新技術大好きなんだけど、あまりに新しすぎる技術を採用して結局失敗に終わって
その後旧来の技術からなかなか抜けなくなる、ってパターンなのが東武。
直角カルダンで失敗して延々78を作り続けたときもあったし、近年なら20050と9050の
次駅案内表示のLCDで懲りて、他社でLCDが一般化してもLEDのままだったし。 >>260
まぁ後年ボロの象徴のように言われた東武型電車だって、
昭和初期にあれだけの長距離電車網を築いたのは
相当に革新的な事だからね。
>>261
優等車両や小ロット品は積極的に新技術を入れるけど、
物量が馬鹿にならない汎用車はこけられないので、
保守的になる傾向が強いやね。
おまけに最近までひたすら右肩上がりの時代が続いたから、
なかなか古い物を捨てられなかったし。 >>262 それでも8000で超多段バーニャ制御採用したりしてる 『鉄道伝説』
第13回「東武1720系デラックスロマンスカー 〜「こだま級」を超えろ〜」
2015年4月19日(日)25:30〜26:00
今回は「東武1720系デラックスロマンスカー」の伝説を紹介する。
昭和4年から長年に渡って国鉄と日光観光の旅客獲得競争を繰り広げてきた東武鉄道。
昭和30年代初頭に国鉄が画期的な特急電車車輛を開発中との情報(151系)を得た同社では危機感から新型特急車輛を開発する。
開発にあたっては周囲の無理解や意思決定の遅さからチームは8ヶ月という短期間での作業を余儀なくされ、
想定される国鉄の新車両に対抗するために速度性能と居住性快適性は最優先事項、設計士は辞表を胸に突貫で設計した。
こうして出来た1720系は昭和35年にデラックスロマンスカーとして運行開始、以降30年以上に渡って東武の最上級電車として君臨する。
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html >>263
バーニア制御は副抵抗器入れてノッチの段数を細かくするだけだから
金はかかっても、こける心配のあるようなものじゃないもの
営団3000系で現場もどんなものか知ってたし
ちなみに超多段バーニア制御って言い方するけど営団3000系は力行77段制動67段で
8000系は力行のみ55段だから別にバーニア制御では普通の段数 ガキのころ油臭い木製床でゴロゴロ走るツリカケ電車に館林から乗り、1時間以上かけて
北千住に着くと、ほどなくホームの向かいに銀色ピカピカの営団3000系が入ってくる。
乗りこむとすぐ発車、超多段バーに屋制御(そんなん最近知ったわけだが)のぬるぬるっと
滑らかな加速と、ひゅうううううーーーーーーーんという、どこまでも上がっていくモーター音に
感動したものだ。東京ってすげーなー >>266
でも、銀色ピカピカの営団3000系とほぼ同時期に新製された木製床のツリカケ車が存在する東武。
(営団3000系1次車と東武7870形最終増備車はともに昭和36年製です。) >>267
73の更新でその後さらに数年に渡って半鋼車体作ってた 「伊勢崎線」この名称が懐かしい。そういえば、本当に過去存在した某私鉄の廃止駅の名前が
「伊勢物語」の主人公からとっているのは、偶然か。 >>271
昨日、通勤手当を申請する新入社員が書類の利用路線の欄に「スカイツリーライン」て書いてたっけ。
七里から来てる入社2年目の娘は「アーバンパークライン」て言ってたから、俺も会話では野田線って言わない。
若い衆に合わせて媚びへつらう訳ではないけど、マイウェイを熱唱し時世に逆らう昭和のジジイとか思われても
得する事はないが、別に損する事もないのかなぁと…。 >>272 ゆとり世代だからなんでは? まあ、武蔵浦和から赤羽までは「東北本線」が正式だろ!という気はないけど。 そう言えば東武沿線の不動産広告で日比谷線松原団地徒歩○分なんて言うのを思い出した。
東武伊勢崎線なんてあったら浅草に行く木の床の暗い電車ってイメージだし、松原団地が上野や銀座に一本で行ける
なんて容易に想像すらできないしな。 >>275 「浅草から下町のゴミゴミした所を抜けて田舎に行く電車」というイメージか?
東上線も板橋区内は下町のような感じだし、成増過ぎると大根畑のど真ん中というイメージだったが、ターミナルの池袋は浅草に比べて「活気がある」というイメージだった。 >>267、270 昭和31年に1700が出るが、それを20m片開き4ドア化した全金属製車体(2000の20m版というべきか)+吊かけというような車両を昭和30年代前半に造らなかったのは何故なんだろうな
5700の経験で足回りについて保守的だったということはわかるが、昭和34年には西武が国鉄101系に似た車体で451系を出しているんだし、ノーシル・ノーヘッダーの全金属車体にさっさと切り替えなかったのかな?と思うんだが。
8000で高運転台化しているが、中途半端に全金属製車体の20m通勤車を出すよりも、高運転台の効果も検証した上で画期的な新型車を導入したいという考え方だったからか? >>277
東武は昭和30年代以降急に編成美に拘るようになったのさ、それまでのごった煮編成の
反動とも言えるが。 とは言っても、10000+10030なんて編成を組むんだよな。
過去にはこれに30000が混じることまで。
10000の編成美を追究したのは東上線だわな。
8→10連の増結車、中間車を同一仕様で作ったり、本線からわざわざ10000の2コテを
持ってこさせたり。
>>275
東武東上線・東京メトロ有楽町線・副都心線・東急東横線朝霞台駅下車徒歩○分
って広告に表示した、朝霞台に本社がある不動産屋もあるから驚くには値しない。
そこまで書くならみなとみらい線も入れろよ。
さすがに最近はそんな表示をしなくなったようだが。 >>279
同じ大手でも近鉄、名鉄になると「編成美?何それおいしいの?」状態だからなぁw 東武を甘く見てはいけない。東武は編成美を追求するあまり、73型の更新車体は昭和39年まで78型と同じ半鋼製車体で造りつづけてた会社だ。 >>280
名鉄は昔に比べたらかなり改善されたね。
金欠は特急といい阪神直通といい相変わらずだが。 1800を6輌編成にする時も、クーラー室外機はAU12類似のキノコ型にこだわったね。 ところが台車が変わったからか、後から入れた2両は車体裾が少し高かった 地平時代の越谷、跨線橋の壁板を蹴る馬鹿者がいて穴が開き塞いでもまた開いたりとボロボロだったが、高架化後は見違えるように綺麗になった
あの馬鹿が綺麗な駅を壊すのではと内心不安だったが、ぱったりと見かけなくなってしまった…割れ窓理論というやつで駅が綺麗になると壊す輩もいなくなるのかもしれぬ 館林ローカルだった3050形のマスコンってどんな形でした?
MC1でしたか? それとも3000みたいなデッカー形? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています