寝台特急「はやぶさ」 、前身は「急行筑紫」「急行さつま」という「2晩夜行」だった。

しかも東京ー鹿児島間には「きりしま」という急行列車があって
急行で愛称を名乗る最初の列車としても知られていました

寝台や2等座席もありますが、今もあるリクライニングしない膝がぶつかるような、
座席でかしこまって、2昼夜汽車に揺られる旅も可能だったのです。食堂車も付いているところが泣かせます。
当時は九州に用事があったら、他に選択肢が少ないので2夜行でも仕方が無かったし、
それなりに乗客がいたと思います。
しかしそんな旅では体に悪すぎるということで、
全車寝台・冷房つきの寝台特急になったのでしょう。


こんな列車が設定された理由としては
「鹿児島からの奄美・沖縄航路連絡を担っている列車」

1954年、毎月3の倍数日の午前11時に、那覇と鹿児島双方の港から、
定員200人クラスの貨客船「沖縄丸」「那覇丸」が出港していました。
しかも当時は飛行機の信頼性がゼロでいつ落ちてもおかしくない乗り物だった
飛行機が本土と沖縄を結ぶ主要な交通機関になるまで那覇港から東京・鹿児島へは海路が主力だった
ttp://www.tt-museum.jp/cold_0185_rk1968.html

だがしかし、奄美諸島は1945から1953年まで、沖縄県は1945年から1972年まではアメリカが統治する「飛び地」だった。