昭和30年代の寝台特急は、プロ野球。特に西鉄ライオンズの関係者が「常連」だった模様。 用途は長期遠征用。

野球選手という職業を選んでしまったら、シーズン中はずっと超遠距離通勤をすることを強いられる。
今でこそ、選手は新幹線や飛行機が使えるが、かつてのプロ野球選手の長期遠征は鉄ヲタでもやりたくないレベルのハードさだった。

特に一番西の端っこの西鉄ライオンズが最も過酷だった。

西鉄ライオンズは本拠地の福岡市から東京や大阪へ移動するのに、新幹線もなければ高速バスもない
飛行機の安全性が極めて怪しい時代だったから、必然的に列車による移動しかない。
当時の時刻表だと大阪へ約10時間、東京へは約17時間もかかったのだから、
こんな過酷な移動をした後でまともなプレーができる方が不思議だった。
こういった厳しい環境で西鉄は黄金時代を築いたのだから恐れ入る。

昭和30年代特に九州から東京への移動は100%確実に「あさかぜ」や「はやぶさ」での移動だったようだ。
ちなみに関西遠征のときには特急「かもめ」での移動が多かったという

長い道程に耐えうる強靭な体力と、遠征を楽しい旅と思えるようなプラス思考のハートがなければ、
とてもプロ野球選手など務まらないと言える。

ちなみに、現在、福岡に拠点があるソフトバンクは、他球団と比べたら飛行機での移動がケタ違いに多い。
昔と比べたらマシだが、これでも日程はハード。