【元祖】寝台特急あさかぜ【ブルートレイン】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
なぜか「あさかぜ」のスレがないので立てました。
「あさかぜ」と言っても青函航路のフェリーでなく、ブルートレインのあさかぜです。 >>284
食事なら優先的にテーブル席に誘導されただろうが、「星空バー」の異名があったので、
飲酒とおつまみが中心だっただろう。
無論テーブル席が塞がってしまえばそこに誘導されただろうが、満席の日はあったのか?
JR化して間もなくレトロ調食堂車が落成したので、「あさかぜ」に星空は短命だったけど。 詳しい方いましたらご教示ください
あさかぜ1.4号の食堂車が日本食堂門司営業所から日本食道
新博多営業所変わった時っていつごろでしたっけ?
その後、上野営業所に変更はなかったですよね? >>286
門司営業所から新博多営業所に変わったのは事実上のJR移行ダイヤ改正になった昭和61年11月からその後平成に入り食堂車営業休止の平成3年までに上野営業所そして最末期はなんと仙台営業所となって最後を迎えてます。 >>285
あそこは宴会席になりそうだよね。食堂車はただでさえテーブルが少ないから普通に食べたい人にとってはあんま良くないよね。
まあ後の出雲のサロン扱い的には良かったのだろうけども。 >>287
上野営業所と仙台営業所の頃はどういう感じだったの? 仙台営業所とは知らなかった、
仙台から博多まで来てたのね、ご苦労様です。 20系のB寝台は狭かったなあ、
乗り心地は24系より良かった気がするけど。 >>282
時代もちがうならば利用目的者層もちがうし、
列車の存在が用務客主軸のインフラ列車か
用務客車内滞在重視型の観光客主眼の列車かでも全く異るから
単純比較そのものが無意味 2回目に出てくる「用務客」の3字は誤記(削除忘れ)
抜いてくれ ”殿様あさかぜ”のルーメットに乗ってみたかったな
食堂車の日立と日車の違いも乗って比べてみたかった。
でも最末期でも、当時5歳w
乗ってても覚えて無いかw。 >>294
オーストラリアの「インディアン・パシフィック」「ザ・ガン」の1等1人用個室や、
カナダ「カナディアン」の1等1人用個室が、20系ルーメットに近い設備なので、
機会があれば渡航して乗ってみれば?
値段は結構高いけど、道中の食事は全部込みなので、充実の旅が楽しめるw 「殿様あさかぜ」の語がきもい。
どこの趣味誌が初出だ? ななつ星(笑)はしょぼいwwww
風呂がある
南ア:ブルートレイン、ロボスレイル
インド:マハラジャエクスプレス
日本:四季島、瑞風、夢空間
が最高峰 >>297
部屋は大して広くない。但しななつ星より値段は全然安いw
>>299
トワイライトのスイートは忘れられた存在かorz 風呂がないから
カシ展望スイート、トワ展望スイート、ななつ星デラックススイートは
1段劣るわ >>298
”殿様あさかぜ”という愛称は1970年代から言われ始めたらしいよ。 >>303
承知ですが、呼び始めたのは趣味側ですよね?
非デコイチの「なめくじ」だってそうですし… 0系新幹線を「だんご鼻」と呼ぶのマスコミだけだよな
鉄オタも鉄オタでない人もそうは呼ばない >>295
「大いなる驀進」という映画では代議士先生はルーメットで寝て昼はグリーン車に座ってた
>>296
食事代全部込みなのはいいよな
どれだけ食べてもいいけど車内で動かないし向こうのボリュームなので普通に食べるだけでお腹いっぱいだけどw
アルコールの料金は別だよね 博多では、大分だの長崎だの西鹿児島だのへの近距離特急に比べて別格の威厳が有ったな〜、
4番ホームに24系25形14両編成の堂々たる真っ青な列車が入って来る、
行き先を見れば遥か彼方、別世界の東京、少年の心は夢が膨らむ一方だった。
初めて乗れた時は嬉しかったな、食堂車も楽しみだったし夢心地だったw。 「あさかぜ」は福岡市民の自分には有り難かった、博多終点だから降り損ねが無いw
博多始発だから好きなポジションを取れる。 >>309
二階の客に先に一階の窓際取られてたら癪だからよ。 >>257
14系のあさかぜは臨時化何回も使われたはず 寝台車で熟睡できた経験ありますか?
おれはダメだった、一度もまともに眠れたことがない >>307-308
しかしそのせいで、東京〜九州ブルトレでは「みずほ」と一緒に一番早い廃止憂き目になった。
廃止理由は九州内ガラガラで、JR九州の実入りが少ない。分割民営化の悲劇orz あさかぜ、中学高校の時は+(0゚・ω・) + wktk!!して
乗ってたけど大学生になってからはもう眠くて眠くて朝起きるのかったるくて今は品川、あと5分寝られるって一瞬寝て、とうとう東京駅に到着して品川客車区まで連れて行かれたら大変だと光の速さで着替えて下車した。 あさかぜ4号
博多から東京まで乗って
寝るのはSANYOのラジカセみたいな大きな建物がある所近辺
起きるのは食堂車営業時は熱海近辺
食堂車廃止後は横浜。 4号
B寝台ボックスの向かいの客が韓国人のお爺さんだった
片言の日本語で、山手線への乗り継ぎを尋ねてきた
緑色もグリーンも通じない、途方に暮れたが
最終的には山手線のホームまで連れて行ってあげた
ありがとう、ありがとうと何回も言われて照れくさかったw ”さちかぜ”
B寝台は10系
A寝台は旧客みたいですね、
A寝台に乗ってみたかった、でも生まれて無い。 鉄道映画 20系特急あさかぜ
日立製作所 昭和33年に登場した固定編成客車20系。ナロネ20、ナロ20、ナシ20の車内風景。
1958年当時、「陸上を移動する交通手段に冷房装置をつける」は非常に大きな壁だった。
日本で最初に冷房を装備した列車は、南海鉄道(現南海電鉄)が、南海本線の特急車2001型が最初です。
大阪金属工業(現ダイキン)製の集中型空調機を搭載していましたが、冷媒や電源の問題で永くはなかったようです
ちなみに当時、冷房車に乗客が集中してしまい、逆に非冷房車より暑かったという話もあるそうです。
・・・電源車のナンバーがスニ20−51となっていました。
当初は全長19 m・荷物室荷重4 tのスニ20として設計されたが、製造途中で騒音対策強化を行った関係で重量が増加し、
列車重量が400 tに収まらなくなったため全長を縮小して、マニ20として落成した
編成表などの資料を見る限りスニ20という形式は存在しないことから、
落成した段階でマニにランクアップしてしまったのでしょう。
映像としてそういう場面が残っているというのがすばらしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=PFVuqB3u_KY ……………………
上野東京ライン常磐線E531系が田町電車区を抜け出て東海道線へ合流
https://www.youtube.com/watch?v=trn3mxwB-jU
…………………… やっぱり博多人としてはブルートレインと言えば”あさかぜ”だなあ。 子供の頃は夕方の博多駅4番ホームは憧れのホームだったな。 博多駅4番ホームには東筑軒?のうどん屋もあったし(かしわうどん美味かったなあ)。 でも、JR直営になってセコくなったな
普通に”うどんください”って頼んだらかしわが入って無いし
全体的に値段も上がった気がするし、味もちょっと落ちた・・・・・・かな? 寿軒じゃ博多駅ですら採算取れんの?寿軒が良かったなのにな〜 あ、分かった!駅ビル建て替えの時に寿軒をJRが追い出したんやろ!
いい商売だから自前でと思って!けしくりからりん! >>337
全国的にそう。
こないだも天王寺駅で在来業者が追い出されたよ。 今頃B寝台で仲良くなった出張の連中と
周りに迷惑を掛けない様に静かに飲んでる時間帯だな 尾道に糸崎…、地味な停車駅で乗降するワビ、サビになぜか酔いしれた。
名門ブルトレだからこそ味わえるワビ、サビなんだろうな。 塗装がめくれあがりサビが浮き出てワビしかったな
末期は老朽化と手入れが手抜きでボロボロだった それ言うなら「往年に栄華を極めた街&機関区」だな。
少なくとも「地味」ではない
後者は機関区、前者は旧住友銀行の経緯からもわかる。 Q:20系寝台特急「あさかぜ」がなぜ走るホテルなんですか?
相当にベッドは狭そうでそれも三段です。特に一番上は這って入るのがやっとのように見えますけど。
A:1958年当時、20系が当時の生活水準を遥かに上回る豪華設備だったからです。
この20系と、こだま型電車や近鉄ビスタカーが日本の鉄道業界で最初に冷房化された列車ですが
昭和30年代当時、家庭用エアコンは ほとんど普及していません。
職場にもクーラーが存在しないのが当たり前です。企業でもエアコンを設置してるところは極めて珍しく、
ホテルや旅館でも最高級ホテルや最高級旅館にしか存在しない設備でした。
当時は冷暖房が付いてるだけで高級ホテル・高級旅館と名乗れたため、
そこら辺のサービスが『当時』では【ホテル】並のグレードだったんです
鉄道車両に搭載するにはいくつかの壁がありました。まず1つ目の壁は「動力源」だった。
国鉄の「燕」で、冷房は食堂車と1等車に限られていたのは電源装置が原因である。
当時の南海電鉄は現在の鉄道車両と同じシステムだったがこれは、架線から動力源の電気が供給可能だったからである。
電化・非電化区間も両方可能な使用になるには、電源車があることが前提である20系客車を待たなければいけなかった。
・・・だが最大の壁は「冷媒」だった。
戦前に登場した冷房車ではアンモニア、クロロメタン、メチルクロライド、プロパンといった有毒・可燃性のガスを使用していた。
だがしかし、漏れ出すと死亡事故に繋がる危険性があった。南満州鉄道の「あじあ号」みたく蒸気を使うという方法があったが、
当時の技術力の限界で日本の高温多湿の環境では使い物にならない可能性が高かった。
冷房車がまともに使えるようになったのは、安全性が高く、マトモな性能がある冷媒である
ジクロロジフルオロメタン(通称フロンガス)が登場・普及してからの話。 >>343
ワロタ
このネタ会社で何かの時つかわせてもらうわw 普通、同じ路線に長距離特急と短距離特急とあると、
長距離特急のほうが「格上」とされたが、
博多行「あさかぜ」だけは違ったな。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」より格上。
ところでこの「あさかぜ」は1975年3月改正までは
グリーン車座席が1両連結していたのだが、これには
ちょっとした秘話がある。
夜行特急なのになぜ熱海に停車するか?
熱海は元々温泉街で、そこから寝台特急に乗って九州方面にいく需要はあまりないわけで、
実はこれは話は逆で、下りの熱海停車は実は下車需要を見込んでのことだった。
つまり、新幹線で堂々と(?)は行きづらいような需要を見込んでということ。
その受け皿が最後まで1両連結していたグリーン車というわけだ。 日豊線など鹿児島線や長崎線はおろか、山陰線や宇野線より格下 あさかぜはブルトレのパイオニアやからな。
北斗星信者に比べれば全然キモく無いぞ >>348
そもそも20系「あさかぜ」に座席車が存在するのが凄いが、1958年当時なら冷房装置をつけただけでも堂々と特急列車と名乗ることが可能だった。
なにしろ、特急「つばめ」には冷房は1等車と食堂車にしかついていなかったからな。
座席車があれば東京=熱海、広島=博多間でも使用可能。
つまりデビュー当時の「あさかぜ」は昼行特急としても機能していたわけだ。 >>343
下関の24系は末期までそこそこ綺麗だった 冷房は当時最強の12,800kcalを2基すべての乗客が乗る車両に搭載
車体には冷房の効きをマシにするため二重ガラス窓を埋め込み
そいつをまだ耐久性や信頼性では未知の領域だったディーゼル発電機2機で24時間駆動
それは・・
夢と希望と狂気が作りあげたマシーン
何のデータもなく
冷房の普及率は信じられないほど低く
しかもディーゼルエンジンの耐久性や信頼性もまた
いつブローしてもおかしくないくらい低く
現行型のエアコンを制御するマイクロプロセッサーや
半導体型温度センサーにヒートポンプは影も形もなく
誰も開発や設計のノウハウなどしらない
あまりにも現実離れした途方もないその数字
1958年10月1日───
本気でその領域へ・・
夜行列車全編成冷暖房化 1000キロオーバー運行
あの男たちは本気でそれを手にしようとした
https://www.youtube.com/watch?v=PFVuqB3u_KY 特急あさかぜ
日立製作所で完成した"あさかぜ"は8車種13輛からなる固定編成列車で,国鉄の代表列車として
初めてのデラックス列車である。この列車には多くの新しい日立製品を使用し,日立の総合技術を遺憾
なく発揮した。ここにこの列車の概要と各種試験について述べる。
昭和33年10月1日の国鉄の時刻改正を機会に,デビューしたあさかぜ号は,
日本の動脈,東京と博多を結ぶ新形の固定編成客車で,1編成とその予備車5輌は日立
製作所の総合技術によって完成された。
今までの国鉄の車輌と違っている点は,基本寸法や台車などを除く部分の設計が
大幅に製作会社にまかされたことである。
製作にあたっては特に乗心地をよくすることを主眼に,電化による冷暖房,
振動や動揺の防止,および防音に留意し,あらゆる近代設備を採り入れで快適な旅行が
できるよう考慮されている。室内設備のデザインは,新しい時代の列車にふさわしく,
三等を含めた全体をレべルアップするという考え方で,特に二等寝台車(Aロネ,Bロネ),
および食堂車は国鉄の代表列車として,外国の国際列車級に近いだいたんなデザインを採り入れ,
また室内の配色は夜間走る特急列車という点からも,けばけばしい派手さをやめ,
"明るくて,モダンで,落ち付いたもの"を選び,そのやわらかな,疲れない色調は車内設備によくマッチしている。
詳細・続きは↓
http://www.hitachihyoron.com/jp/pdf/1958/12/1958_12_10.pdf 今から39年前の今日1月31日、20系最後のあさかぜ1号が東京駅を後にする。 >>363
そうだったな。翌日から「富士」「はやぶさ」と同一編成の、平凡なブルートレインに。
しかし20系末期は、食堂車の朝食は既に防府あたりでクローズ。ある意味場末状態だった。
国鉄末期〜JR初期の頃が、かつての輝きを取り戻した感じだった。 >>361
広島駅っぽいかんじがするが。
背景の建物が広島ステーションビルのような気がする。 寝台特急あさかぜ号は「東洋一の動くホテル」とも呼ばれていて、
これに乗って移動するのは国内旅行の超一級のステータスだった
この理由は、1958年の時代背景にある。
寝台特急あさかぜ号がデビューしたのは1958年11月。だが、当時は家庭用エアコンなんて影も形も無かった。
職場にも冷房が存在しないのが当たり前です。企業でも冷房を設置してるところは極めて珍しく、
この頃冷暖房が入っているのは大都市の映画館、銀行、デパートくらいなものでした。
ホテルや旅館でも最高級ホテルや最高級旅館にしか存在しない設備でした。
20系客車が登場した、昭和33年当時は路線バスでも冷房がついていないのが普通。
自家用車でも冷房付きなんて輸入したアメリカ車だけ、しかも1ドル=360年の時代に
40%という強烈に高額な関税が設定されていた時代だったのです。
当時の洗面台は「お湯」が出て、「電気シェーバー用のコンセント」「冷水器」があったが、
今でこそ当たり前だが、1958年当時は当たり前の装備ではなかった。
さらに20系には電気レンジのほかに業務用電気冷蔵庫のある食堂車「ナシ20」があったが、
1958年当時の家庭用冷蔵庫の普及率は、3%だった。
大抵の一般庶民は冷房が無い旧型客車で長距離移動が当たり前だったのである。 男女別トイレ、コンセント、ちょっとしたフリースペース、アメニティや飲食物の自動販売機
最低限これくらいはないとな 銀帯と違ってゴールドラインは風格あった。でも中身は銀帯と同じでショボかったよな。食堂車もしかり。 シングル、デュエット(シャワー室とミニロビー)、カルテットの個室車、オリエント風・星空風の食堂車を連結
開放式B寝台も暖色系のモケットに張り替えられてカーペット敷きでスリッパのペタペタ音がしない
他のブルートレインとの比較なら格段に良かったと思うよ、ブルートレイン同士での比較なら・・・
ただ、北斗星やトワイライトのように乗ることが目的の列車にはなりようもなかっただけで 朝になったら通路の灰皿溢れかえって仕方ないから床でもみ消してたな
やっぱり寝台列車は野暮ったいよ >>371
国鉄末期だったのと、元々はビジネスユースに多く利用されたので、当時として精一杯の改造だろう。
北斗星・トワイライトは、既にビジネス需要は飛行機が主体だったのと、JR移行済だったので、
遊び心のある柔軟な発想にできたのがある。 運行開始当初の北斗星も個室化率は大したことなかったし
変わったことと言えばロイヤルがついたりしたていどで
あとはグレードアップあさかぜと大して変わらんかったろ
尤もシングル鉄ヲタにはソロの存在が何よりも大きかったのだろうな いやグランシャリオはあさかぜの食堂車よりはるかに雰囲気はあった
料理はなかなか来なかったが あさかぜオリエント>スシ24508>508以外の北海道もちグランシャリオ>東日本もちグランシャリオ中期+スシ24507登場時>東日本もちグランシャリオ末期>あさかぜ出雲星空バー>東日本もちグランシャリオ登場時
個人的にはこうかな >>375
グランシャリオはクルー少なすぎて寂しい印象だった、料理も…
ダイナープレヤデス堪能あとだと厳しいか 北斗星の食堂車の人数は少しずつ減らされていったとか何とか >>369 そりゃ、出現当時、中国、韓国など東アジアで20系レベルの寝台客車なんて、走ってなかったはずだよ。
中国東北部に満鉄のお古が走ってただろうけど。 >>374
そのロイヤルが凄かったわけよ!
それまでの日本最高級寝台が、博多あさかぜをも連結されていたオロネ25型・シングルデラックス
だったが、寝台の造りや居住性では登場当初から酷評されていた。
ロイヤルは部屋の広さや居住性、ウエルカムドリンクなど、付加価値はオロネ25型・シングルデラックス
とは雲泥の差。そのためそれまで東京発着ブルートレインが国鉄〜JRの看板列車だったのが、
看板列車は北斗星に変わっていき、九州ブルトレは注目されなくなっていった。
それが93年の食堂車全廃、その後の廃止につながっていった。 >>381
あと地味に1人用個室のソロが連結されたのも大きかった気がする
博多あさかぜも>>371が言っているように結構豪華だったけど
少人数で使用できる個室が半車分のデュエットと
リニューアルはしたものの国鉄時代からのシングルDXぐらいのままだったのも影響しているかも >>380
ハンコクが好きなら阪神国道線の専用スレがあるよ >>381-382
ちょっとでいいのでカルテットも気にしてやってください
4人向かい合わせでB寝台と変わらないと思われがちだが
ソファー転換機構のベッドの構造はツインDXとほぼ同じだった >>384
カルテットは4人用だから>>382からはあえて外したけど
構造は結構良かったんだよな
あと余談だけどあさかぜのカルテットとデュエットが
一時期臨時北斗星に連結されていたこともあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています