【元祖】寝台特急あさかぜ【ブルートレイン】
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なぜか「あさかぜ」のスレがないので立てました。
「あさかぜ」と言っても青函航路のフェリーでなく、ブルートレインのあさかぜです。 >>257
昭和51年の夏期臨のあさかぜ51号、大ミハから予備車を借りたと言ってもオハネフ25が2両だけで他は100番台早期落成車でカニ込みの12連で運転されました。 >>257
定期 博多あさかぜ東京18:25→博多10:53 博多16:58→東京09:30
あさかぜ51号東京18:43→博多11:25 博多17:30→10:00 新幹線博多開業後は旧あさかぜ下り2号上り3号のダイヤを引き継いでいるので到達時間はさほど変わらない。 40余年前ならそろそろ年末年始期のあさかぜ51号の運転時期になってくる処だ。毎期各区の20系がかき集められて運転されるのだが日頃東京には姿を見せない形式や番号の車輌が組成されているのが楽しみだった。 そういえば
20系最終日のあさかぜ(定期)の写真があった様な・・・ >>242
タモさまに言ったらいじめられること必須 新幹線岡山開業の昭和47年3月ダイヤ改正で東京発着の南シナ受持ちの20系寝台特急は全列車編成が異なる現象となった。それを解消するために昭和47年7月に出現したのがナロネ22を集約した俗に言う"殿様あさかぜ"だ。 「朝風と共に着くんだ!!」
この名台詞を残して「あさかぜ」の愛称を決定したのは
当時、国鉄常務理事で、後に日本食堂代表取締役となられた石井昭正氏。
…この時点まで、夜行列車といえば夜をイメージした愛称の列車名ばかりだったところを
型破りにも「あさかぜ」と命名された由来。 逆転の発想。 8歳の頃に九州旅行の帰りに、ロビーカー付きのあさかぜに乗った
客車なのにパンタが付いてることが不思議で仕方なかった 【迷列車で行こう 世代交代編】第1話 栄光のEF66
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21273701 二@AロネAABロネBBロネCBロネDBロネE1指座F食堂G2寝H2寝I2寝J2寝K2寝L2寝M2寝 >>269 ←ゆとり?ロビーカーがいつから付いたか知ってる? >>267
新幹線もパンタグラフついてるからどこが不思議かと >>274
そっちはべつにおかしくない
詳しくない人間なら電車でないのに何でパンダが付いてるんだって思うわな
客車って基本機関車が牽く無動力のもんだし 殿様あさかぜと北斗星ってどっちが豪華だったんだろう? >>282
編成の豪華さでは、A寝台が5両とグリーン車を繋いでいた殿様あさかぜ。
しかしロイヤルの豪華さは、20系A個室よりも格段に上回る。
それは寝台特急が実用的な利用をされていたあさかぜと、既に北海道へは飛行機利用が
ほとんどで、民営化後設定のため、目玉商品を作れた北斗星の違いになる。
その意味で北斗星のツインデラックスは、国鉄時代に改造されたのもあって、
中途半端な設備になってしまった。
内装はナロネ20の二人用個室より悪くなかったが・・ 星空食堂車って食堂車営業時はサロン部分でも食事出来たのかな?
なんかあそこすごく食べ難そうな席だよね >>284
食事なら優先的にテーブル席に誘導されただろうが、「星空バー」の異名があったので、
飲酒とおつまみが中心だっただろう。
無論テーブル席が塞がってしまえばそこに誘導されただろうが、満席の日はあったのか?
JR化して間もなくレトロ調食堂車が落成したので、「あさかぜ」に星空は短命だったけど。 詳しい方いましたらご教示ください
あさかぜ1.4号の食堂車が日本食堂門司営業所から日本食道
新博多営業所変わった時っていつごろでしたっけ?
その後、上野営業所に変更はなかったですよね? >>286
門司営業所から新博多営業所に変わったのは事実上のJR移行ダイヤ改正になった昭和61年11月からその後平成に入り食堂車営業休止の平成3年までに上野営業所そして最末期はなんと仙台営業所となって最後を迎えてます。 >>285
あそこは宴会席になりそうだよね。食堂車はただでさえテーブルが少ないから普通に食べたい人にとってはあんま良くないよね。
まあ後の出雲のサロン扱い的には良かったのだろうけども。 >>287
上野営業所と仙台営業所の頃はどういう感じだったの? 仙台営業所とは知らなかった、
仙台から博多まで来てたのね、ご苦労様です。 20系のB寝台は狭かったなあ、
乗り心地は24系より良かった気がするけど。 >>282
時代もちがうならば利用目的者層もちがうし、
列車の存在が用務客主軸のインフラ列車か
用務客車内滞在重視型の観光客主眼の列車かでも全く異るから
単純比較そのものが無意味 2回目に出てくる「用務客」の3字は誤記(削除忘れ)
抜いてくれ ”殿様あさかぜ”のルーメットに乗ってみたかったな
食堂車の日立と日車の違いも乗って比べてみたかった。
でも最末期でも、当時5歳w
乗ってても覚えて無いかw。 >>294
オーストラリアの「インディアン・パシフィック」「ザ・ガン」の1等1人用個室や、
カナダ「カナディアン」の1等1人用個室が、20系ルーメットに近い設備なので、
機会があれば渡航して乗ってみれば?
値段は結構高いけど、道中の食事は全部込みなので、充実の旅が楽しめるw 「殿様あさかぜ」の語がきもい。
どこの趣味誌が初出だ? ななつ星(笑)はしょぼいwwww
風呂がある
南ア:ブルートレイン、ロボスレイル
インド:マハラジャエクスプレス
日本:四季島、瑞風、夢空間
が最高峰 >>297
部屋は大して広くない。但しななつ星より値段は全然安いw
>>299
トワイライトのスイートは忘れられた存在かorz 風呂がないから
カシ展望スイート、トワ展望スイート、ななつ星デラックススイートは
1段劣るわ >>298
”殿様あさかぜ”という愛称は1970年代から言われ始めたらしいよ。 >>303
承知ですが、呼び始めたのは趣味側ですよね?
非デコイチの「なめくじ」だってそうですし… 0系新幹線を「だんご鼻」と呼ぶのマスコミだけだよな
鉄オタも鉄オタでない人もそうは呼ばない >>295
「大いなる驀進」という映画では代議士先生はルーメットで寝て昼はグリーン車に座ってた
>>296
食事代全部込みなのはいいよな
どれだけ食べてもいいけど車内で動かないし向こうのボリュームなので普通に食べるだけでお腹いっぱいだけどw
アルコールの料金は別だよね 博多では、大分だの長崎だの西鹿児島だのへの近距離特急に比べて別格の威厳が有ったな〜、
4番ホームに24系25形14両編成の堂々たる真っ青な列車が入って来る、
行き先を見れば遥か彼方、別世界の東京、少年の心は夢が膨らむ一方だった。
初めて乗れた時は嬉しかったな、食堂車も楽しみだったし夢心地だったw。 「あさかぜ」は福岡市民の自分には有り難かった、博多終点だから降り損ねが無いw
博多始発だから好きなポジションを取れる。 >>309
二階の客に先に一階の窓際取られてたら癪だからよ。 >>257
14系のあさかぜは臨時化何回も使われたはず 寝台車で熟睡できた経験ありますか?
おれはダメだった、一度もまともに眠れたことがない >>307-308
しかしそのせいで、東京〜九州ブルトレでは「みずほ」と一緒に一番早い廃止憂き目になった。
廃止理由は九州内ガラガラで、JR九州の実入りが少ない。分割民営化の悲劇orz あさかぜ、中学高校の時は+(0゚・ω・) + wktk!!して
乗ってたけど大学生になってからはもう眠くて眠くて朝起きるのかったるくて今は品川、あと5分寝られるって一瞬寝て、とうとう東京駅に到着して品川客車区まで連れて行かれたら大変だと光の速さで着替えて下車した。 あさかぜ4号
博多から東京まで乗って
寝るのはSANYOのラジカセみたいな大きな建物がある所近辺
起きるのは食堂車営業時は熱海近辺
食堂車廃止後は横浜。 4号
B寝台ボックスの向かいの客が韓国人のお爺さんだった
片言の日本語で、山手線への乗り継ぎを尋ねてきた
緑色もグリーンも通じない、途方に暮れたが
最終的には山手線のホームまで連れて行ってあげた
ありがとう、ありがとうと何回も言われて照れくさかったw ”さちかぜ”
B寝台は10系
A寝台は旧客みたいですね、
A寝台に乗ってみたかった、でも生まれて無い。 鉄道映画 20系特急あさかぜ
日立製作所 昭和33年に登場した固定編成客車20系。ナロネ20、ナロ20、ナシ20の車内風景。
1958年当時、「陸上を移動する交通手段に冷房装置をつける」は非常に大きな壁だった。
日本で最初に冷房を装備した列車は、南海鉄道(現南海電鉄)が、南海本線の特急車2001型が最初です。
大阪金属工業(現ダイキン)製の集中型空調機を搭載していましたが、冷媒や電源の問題で永くはなかったようです
ちなみに当時、冷房車に乗客が集中してしまい、逆に非冷房車より暑かったという話もあるそうです。
・・・電源車のナンバーがスニ20−51となっていました。
当初は全長19 m・荷物室荷重4 tのスニ20として設計されたが、製造途中で騒音対策強化を行った関係で重量が増加し、
列車重量が400 tに収まらなくなったため全長を縮小して、マニ20として落成した
編成表などの資料を見る限りスニ20という形式は存在しないことから、
落成した段階でマニにランクアップしてしまったのでしょう。
映像としてそういう場面が残っているというのがすばらしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=PFVuqB3u_KY ……………………
上野東京ライン常磐線E531系が田町電車区を抜け出て東海道線へ合流
https://www.youtube.com/watch?v=trn3mxwB-jU
…………………… やっぱり博多人としてはブルートレインと言えば”あさかぜ”だなあ。 子供の頃は夕方の博多駅4番ホームは憧れのホームだったな。 博多駅4番ホームには東筑軒?のうどん屋もあったし(かしわうどん美味かったなあ)。 でも、JR直営になってセコくなったな
普通に”うどんください”って頼んだらかしわが入って無いし
全体的に値段も上がった気がするし、味もちょっと落ちた・・・・・・かな? 寿軒じゃ博多駅ですら採算取れんの?寿軒が良かったなのにな〜 あ、分かった!駅ビル建て替えの時に寿軒をJRが追い出したんやろ!
いい商売だから自前でと思って!けしくりからりん! >>337
全国的にそう。
こないだも天王寺駅で在来業者が追い出されたよ。 今頃B寝台で仲良くなった出張の連中と
周りに迷惑を掛けない様に静かに飲んでる時間帯だな 尾道に糸崎…、地味な停車駅で乗降するワビ、サビになぜか酔いしれた。
名門ブルトレだからこそ味わえるワビ、サビなんだろうな。 塗装がめくれあがりサビが浮き出てワビしかったな
末期は老朽化と手入れが手抜きでボロボロだった それ言うなら「往年に栄華を極めた街&機関区」だな。
少なくとも「地味」ではない
後者は機関区、前者は旧住友銀行の経緯からもわかる。 Q:20系寝台特急「あさかぜ」がなぜ走るホテルなんですか?
相当にベッドは狭そうでそれも三段です。特に一番上は這って入るのがやっとのように見えますけど。
A:1958年当時、20系が当時の生活水準を遥かに上回る豪華設備だったからです。
この20系と、こだま型電車や近鉄ビスタカーが日本の鉄道業界で最初に冷房化された列車ですが
昭和30年代当時、家庭用エアコンは ほとんど普及していません。
職場にもクーラーが存在しないのが当たり前です。企業でもエアコンを設置してるところは極めて珍しく、
ホテルや旅館でも最高級ホテルや最高級旅館にしか存在しない設備でした。
当時は冷暖房が付いてるだけで高級ホテル・高級旅館と名乗れたため、
そこら辺のサービスが『当時』では【ホテル】並のグレードだったんです
鉄道車両に搭載するにはいくつかの壁がありました。まず1つ目の壁は「動力源」だった。
国鉄の「燕」で、冷房は食堂車と1等車に限られていたのは電源装置が原因である。
当時の南海電鉄は現在の鉄道車両と同じシステムだったがこれは、架線から動力源の電気が供給可能だったからである。
電化・非電化区間も両方可能な使用になるには、電源車があることが前提である20系客車を待たなければいけなかった。
・・・だが最大の壁は「冷媒」だった。
戦前に登場した冷房車ではアンモニア、クロロメタン、メチルクロライド、プロパンといった有毒・可燃性のガスを使用していた。
だがしかし、漏れ出すと死亡事故に繋がる危険性があった。南満州鉄道の「あじあ号」みたく蒸気を使うという方法があったが、
当時の技術力の限界で日本の高温多湿の環境では使い物にならない可能性が高かった。
冷房車がまともに使えるようになったのは、安全性が高く、マトモな性能がある冷媒である
ジクロロジフルオロメタン(通称フロンガス)が登場・普及してからの話。 >>343
ワロタ
このネタ会社で何かの時つかわせてもらうわw 普通、同じ路線に長距離特急と短距離特急とあると、
長距離特急のほうが「格上」とされたが、
博多行「あさかぜ」だけは違ったな。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」より格上。
ところでこの「あさかぜ」は1975年3月改正までは
グリーン車座席が1両連結していたのだが、これには
ちょっとした秘話がある。
夜行特急なのになぜ熱海に停車するか?
熱海は元々温泉街で、そこから寝台特急に乗って九州方面にいく需要はあまりないわけで、
実はこれは話は逆で、下りの熱海停車は実は下車需要を見込んでのことだった。
つまり、新幹線で堂々と(?)は行きづらいような需要を見込んでということ。
その受け皿が最後まで1両連結していたグリーン車というわけだ。 日豊線など鹿児島線や長崎線はおろか、山陰線や宇野線より格下 あさかぜはブルトレのパイオニアやからな。
北斗星信者に比べれば全然キモく無いぞ >>348
そもそも20系「あさかぜ」に座席車が存在するのが凄いが、1958年当時なら冷房装置をつけただけでも堂々と特急列車と名乗ることが可能だった。
なにしろ、特急「つばめ」には冷房は1等車と食堂車にしかついていなかったからな。
座席車があれば東京=熱海、広島=博多間でも使用可能。
つまりデビュー当時の「あさかぜ」は昼行特急としても機能していたわけだ。 >>343
下関の24系は末期までそこそこ綺麗だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています