懐かしの乗り入れ列車の思い出
国鉄から長野電鉄に乗り入れた急行信州や、茨城交通に乗り入れた急行あじがうらの思い出などを語りましょう。
勿論、国鉄からの乗り入れでなくてもOKです。 >>61 今津の一件ならソレは暴進。(無許可、当事者も予期していなかったハプニング)
奈良電時代からの継承で近鉄←→京阪の相互乗り入れが挙げられていたけど、
地下鉄ネットワーク構築以前で系列会社以外の大手民鉄同士乗り入れは他に
近鉄名古屋線→名鉄 以外ないような・・・地方私鉄同士は 井笠と神岡の相互、京都市電と買収前N電
(三線軌条だが)、叡電・合併前の京浜と湘南こんなものだろうか? >>57-58
あ、最近になって彩流社から発刊された「千葉の鉄道」(編著・白土貞夫)の本に、
1955年〜1960年に快速「房総の休日」号が、新宿(8時発)〜外川(11:26着)を走り、キハ17が使用され、
国鉄乗務員が銚子電鉄内もそのまま乗務した…とあったな。 >>59
並行してるように見えるが離れてるので、
事実ならどこで繋げたんだろう? >>61
阪神と阪急は持ち株会社で統一したのでいつの日にか車両も共通化するかもしれないね。 今、鉄道博物館にあるディーゼルカーの中に、国鉄から遠州鉄道に払い下げられて二俣線に乗り入れてた車両があるらしいね。 桜井線から近鉄小房線を通り橿原神宮駅への参拝者輸送
C58が客車牽いて入った 狭軌の鉄道会社は国鉄関連の車両が走ったことのない会社の方が少ないと思う >>69
国鉄と同ゲージにして貨車も含めて、乗り入れる事こそがメリットですからね…。 都電に乗り入れした私鉄路線といえば、玉電が戦前昭和12年まで行っていた位か?
京王は都電乗り入れしないまま、新宿三丁目までの路線廃止してしまったし。
東京市側が乗り入れ運転を好まなかったからかな・・? >>70
旅客列車の乗り入れは無くても貨車は相互に乗り入れていたし、狭軌の会社は
車両限界も国鉄と同じだったりするからな。 京浜は当初 標軌(1435mm)で開業したのに 都電に乗り入れで
馬鉄(1372mm)に改めたでしょ。
そのアト 湘南(1435mm)に乗り入れるため都電乗り入れを切り再度改軌
都電は元々民間の3社が一体となって発足したから 大阪市みたいに自分のエリアをガチガチに固めることに固執してないんじゃね?
>>70
首都圏で国鉄・JR関連の車両が走っていないのは、井の頭線とつくばエクスプレスくらいでしょうか? 戦前、1372oだった東京の私鉄線として京急、京王、玉電、それに京成があるわけだが、京成は都電との乗り入れ構想がなかったのかな?
当初は考えていたにしても、より高速かつ大型の車両での都心直通ルートを造りたかったから、都電乗り入れなんぞ時代錯誤ということになったのかもしれないが・・
上野へのルート造ったから、押上からの都心直通ルートは金もないから後回しということになったのかもしれないが。 >>75
過去のものだと、都電杉並線がそうだったね。
反則だけど、メトロ南北線と都営三田線は国鉄、JR型は入線してないけど、東急乗り入れ前はまさに孤立路線だったんね。
地方だと伊予鉄道や宮地岳線とかかな 昔、国鉄乗務員が車両とともに私鉄に乗り入れるケースはまぁよくあった話。
逆に私鉄乗務員が国鉄に乗り入れるためには、国鉄の様々な試験に合格し、資格を得なければならないはずですよね?
もちろん車両も装備品も国鉄車両に準拠したものでなければなりません。
が、しかし線区や区間を限って特認されていたり、管理局毎にその運用がまちまちであったりしてたんですかね? 豊橋鉄道田口線(旧田口鉄道)の鳳来寺まで、国鉄(飯田線)から80系電車が乗り入れていたのは驚き
田口鉄道の車両は豊川鉄道、鳳来寺鉄道時代に豊橋まで乗り入れていたが、国有化後はあったかな? >>78
小田急のDC御殿場乗り入れの時は、国鉄千葉気動車区に運転士を合宿させて送り込み資格を取らせた。 有田や鹿交って乗務員ごとでしたっけ?
そうそう、名鉄の鵜沼〜美濃太田とか名鉄乗務員でしたよね。 有田は多分乗務員ごと、
鹿交の当時の社会情勢や地域性(法規制がやかましくない、大都市圏でなく
地方線区の極限られた区間、当時の地方私鉄にはどこの会社にも国鉄OBが居た人的繋がり・・・要は当該の運転管理局と会社線のヒトの信頼関係によるナアナア)を考えれると乗務員ごとかと。
>>77 宮地岳線は、西鉄時代新車供給が途絶えて雑多な中古車購入を始めたけどその中には、木造国電や買収気動車が居たじゃん。 まだまだ国鉄(JR)乗務員が男性オンリーだった頃でも、乗り入れ先の中小民鉄で
いち早く女性乗務員を採用していたところがある。例えば富山地鉄。
485系のスーパー雷鳥が立山・宇奈月温泉に乗り入れていた当時、超ベテラン車掌から
乗り継いだ地鉄の車掌は、まるでギャルとでも言いたくなるような若い女のコ。
優等(看板)列車なんかに若僧が易々と乗務させてもらえなかったあの当時、ギャップ
も大きかった半面、羨ましさを覚えた。 >>82レスサンクス
かと思えば小田急キハ5000〜SSEの御殿場線乗入れは小田急乗務員の国鉄線内の運転資格を必要としたりとか…。
SSEの特殊な車両構造、連査閉塞と言う特殊性もあってこのような形になってはいたのだろうか…。
最近のケースで言えば松田からの甲種輸送のEL乗入れだって普通に車両入替として貨物会社にやって貰えばいいんじゃ
ないかと思ったりする。車両ではなく列車として扱うから小田急は小田急でELの乗務員をそれだけの為に育成したり、
信号を整備したりとか…。まぁ、趣味的に見ますと楽しくはありますが。 富士急行のキハ58だけど、自社所有車両用に給油やエンジン補修の設備を持っていたのだろうか?
小田急は経堂に、南海は住之江に、気動車用の給油・補修設備を設けていたわけだが、富士急の場合、たった3両の気動車のために専用の設備を設ける位なら、国鉄に委託する方を選択していたのではなかろうかと思ったもので。 >>86 鋭い質問だね。
富士急気動車の運行区間は国鉄線内も含めて電化だし。
当該区間(国鉄の)で八王子以外でそういうコトする場所ある?
八王子にあってもワザワザ送り込みでそんなコト(給油)しそうにないし・・
自動車事業も手広く行っている富士急なら自前で設備を設け、給油、ソコソコの整備(デカイものは大手でも外注してる)していたんじゃね?
小田急のSE車やHSE?車の東海道試運転って誰が運転したの?
当然国鉄のヒト?
試運転に小田急&車両メーカーの関係職員の立会いは勿論
事前に経堂や日車で車両の扱い方の下見、講習でもしたのだろうか? 国鉄時代の転属回送は自走が基本だったのでその管理局に縁の無い車両でも
講習だけは行っていた、特に静岡、岡山、広島とか。
だから小田急車のテストも国鉄の運転士が講習を受けて乗務したんじゃないか。 割と最近の例では、あぶくま急行に臨時(ぶらり○○シリーズ)で485系が乗り
入れた際、JRの運転士が便乗していたようだ。2シーズン10日間以上運転された
ので、最後までそうしたかどうかは知らないけど 全線電化の富士急が国鉄気動車の急行連結のためワザワザ気動車を新調したのは、
国鉄乗り入れ首都圏乗り入れの既得権を死守するためだったのだろうか?
南海の紀勢本線乗り入れの中止とか考えるとなあ・・・
だとすると、国鉄が気動車併結を乗り入れ条件にしたのなら この当時から
官の民間に対する嫌がらせは、強烈だな。(当時はマダ関東近県に限った出来事みたいだが)
茨城交通湊線の水戸乗り入れが廃止になったは、恐らく国鉄サイドの法外な要求があったのだろう。
関東鉄道も常総線と常磐線の乗り入れを持さちかけたら、逆に国鉄から筑波線の
新型気動車をラッシュ時に水戸線内に直通させる要求を突きつけられ
(要は新形気動車を十分水戸線に手当て出来ない水戸管理局のラッシュ対策に利用された。)
不本意だったようだし。
後年国鉄乗り入れを中止した(せざるえなくなった会社)にはどんな、提案という名の嫌がらせ要求が
あったのだろうか?少し気になる。
そんな中 遠鉄が旧型気動車キハ04(マアこれも結局長続きしなかったが)で二俣線乗り入れに漕ぎ着けられたのは
どのような政治力を使ったのか興味がある。 嫌がらせなんかは知らんけど
だいぶ後年の話だが大洗まで485がKRDに牽かれて
乗り入れる寸前までいったのに・・・ 信楽事故の影響と機運から、乗り入れの安全性に対する警戒感が広がった >>90
富士急は嫌がらせなんかじゃないね。
線路容量の問題があるし、何より富士急自社車両の短編成が新宿〜大月を走ったらどうなるよ?
ちょっと考えりゃ分かりそうなもの。 >>90 時系列で見ていけば?
1962年 富士急がキハ58を導入し、DC急行アルプスとの併結による直通急行運転開始。
1963年 165系製造開始
1969年 中央高速、調布・富士吉田全通。新宿からの河口湖行高速バス11往復、所要時間2時間10分
1975年 急行アルプスの全電車化に伴い、富士急キハ58は余剰化
1976年 中央高速と首都高がつながる。高速バスの所要時間1時間40分に短縮
この高速バスは富士急と京王の共同運行。DC直通急行の最大の競争相手は高速バスであり、69年以降、富士急にとって高速バスはドル箱。
中央線急行の165系化を待たずに、いち早くキハ58による直通急行を運転し始めたが、中央高速の整備に伴いバスの競争力が高まった。
富士急は、直通急行の電車化を図るよりも、高速バスへの投資を選択した。要するに富士急にとって優等列車乗り入れ運転をやる気がなくなってきたってこと。 富士急のキハ58って戸袋窓が大きいな。1ボックス分とは・・・ 富士急のキハ58が有田鉄道に譲渡された後に有田鉄道に乗る機会があったのだけど、
紀勢線で藤並の駅に降り立ったら眼前に停まっていたのがキハ07でがっくりした記憶がある
譲渡のニュースを見てから半年くらい経っていたのに金屋口で動く気配無く留め置かれた
キハ58の姿にえらく勿体無いと当時は思ったものだけど、やはり何か事情があったのかな 有田のキハ58003は認可がおりずにしばらく待機していたんだよね、確か。
それが寸法なのか建築限界なのか、重量なのかは不明です。
国鉄線内の運用実績はあり、紀勢線への乗入れの認可は容易だったのでしょうが、社線内がクリア出来なかったのかも。 ああ、あの時は驚いたものだった。当然、用途からして名鉄か島原に行くものだと思い込んでいた。有田?どこだ?それ・・・といった感じで。 小田急のキハの件。 以前、小湊五井機関区を見学させてもらった時、
車輪は相模大野に持ってってやってもらってる って言ってた
以前乗務員や検修の教習その他諸々で面倒みたんだと
それ以来小田急さんには色々と面倒みてもらってて
一時期キハに東海型ベンチレーター載せてたのも小田急からもらってきた
って人の良さそうな機関区のお爺さんに教えてもらったよ >>95
富士急キハ58の冷房化が不可能だったことも直通運転を止めた一因だと思う。
アルプスは1972年頃には電車・気動車ともに冷房化が完了してたから、
富士急乗り入れのキハ58だけが非冷房で取り残されてしまったからな。 茨城交通も勝田から水戸まで1駅ながら乗り入れてた。
銀色のディーゼルカーも国鉄乗り入れ実績あるのかな? 嫌がらせなどではなく、国鉄側の列車本数が少ない時代に
利用者(特に高校生)を接続駅に滞留させることなく
地域の拠点都市に運ぶ苦肉の策だったのでは。
湊線の水戸乗り入れも同様なのでしょう。 >>102 勿論!
私鉄車両めぐり特輯の茨城交通湊線の記事を見て。 >>101
残念ながら非冷房が引退の理由ではない。
併結相手の急行アルプスが全て165系化されたからだよ。 逆に、南小谷電化は43.10に間に合ってるのに、
なぜ昭和50年まで中央東線の急行に気動車が使われてたのかが謎。 >>106
車両不足の面もあった。故に115系の褪色急行も存在感したわけだ。
中央東線は800番代限定だから、他所からやたら転用がきかない特殊事情がネックだった。 名鉄8000は酷使がたたって他所に譲られなかった?
くたびれてたから置き換えられたんだろうが・・・ 譲渡したくても、旧国鉄規格同等の車両であるが故に、転用先が見つからなかったって聞いたけどな。
その後の8500が会津に行っても、結局短命に終わったのと同じ理由か
一方で、乗り入れ先の高山本線がキハ85系化され、かなり足を引っ張ることになるから、早期に置換え
を要求されていたそうな。何しろ、JRで最も表定速度の遅い特急の悪名を背負ってしまっていたし もうスグ JR東日本の209が千代田線を介して小田急に乗り入れそうだけど、
JR東海のあざぎりが、撤退前だったら JR東海、東日本両社の車両の民鉄線内での出会い云う珍事が見れたのに・・・。
大手民鉄車両で地下鉄以外で急国鉄、JRに乗り入れたのは、電車(小田急)だけで
アトは、みんな気動車なのが意外。 南海のサハ4801も形式的に電車のうちに入るのだっけ 熱海まで乗り入れる伊豆急の元東急8000
古巣はJRのライバルなのに、まさか自らがJRの線路を走るとは思わなかっただろうな。 >>114
まだ台湾で走らせた方が長寿だったと思われ >114,119
高価でメンテナンス費用がかさむ車両を少数だけ持って行っても、譲渡先でじきに持ちきれなくなるのでは?
インドネシアへの譲渡車が持ちこたえているのは、部品取り分含めて大量に持ち込んでいるから。
エンジン外して客車化するのなら別だろうけど。 南海の両運キハ5550型も地方ローカル私鉄には行かなかったね
税制上国鉄から購入するよりも民鉄から購入したほうが車両って安いんでしょ? 南海のキハ5500は関東鉄道に譲渡されて魔改造されたイメージがあったから
両運タイプも関東鉄道に譲渡されたものだと思ってたけど違ったのか 譲渡といっても大抵の事業者は、ヨソで廃車が出そうとか知らないだろうから
ひょっとしたら監督官庁に斡旋を頼んだりすることがあるんじゃないの?
で、欲しいときに欲しいのが無ければ、それっきり。
逆に、あわてるとババつかむんじゃ?スレチ失礼、、、 >>115
中目黒で東武伊勢崎線と東上線の車両の出会いもある。 >>118 そして伊豆急入りに際して西武の特急車のお古のクロスシートを頂戴して改装するとは、
・・・西武と競った末 新車を揃えて開業し西武同様旧型国電の巣窟だった伊豆箱根が1000形を入れるほど刺激を与えた伊豆急がよもや・・・。 >>126
伊豆急は普通列車が東急の中古車ばかりになって悲しいです。
開業当時の水色の電車がカッコ良かったのに…。 伊豆急の113・115系導入は黒歴史だったのかなぁ? >>124
新車を入れられない中小はアンテナ張り巡らしているよ。
後は仲介に商社が入るケースもある。
当然商社はバックオーダーを集めるし、大手から余剰廃車が出ると売り込みセールスをする。 関鉄が購入した南海キハ5500は、事故で離脱もてあましていたワケあり品。
その後10数年以上後に南海が乗り入れ止めて余剰にしたときには既にポンコツでしょ。
痛んだ車体にドア増設等大改造してまで導入する意味がない。 >>129 どうも
>>129 伊東線のATS-P化に対応させるためJR-Eから譲られたのでは?
4連だと帯に短しで3+3にできる115系が、いずれも海のそばなんで使い捨て…
115系だと伊豆急の過去の電車と同じく抑速ブレーキがあったのもあるかも >>128
あくまで東急8000系に配車譲渡車が出る迄のつなぎだった訳だから
黒歴史でも何でもないよ >>132
本音はATS−P機器を安く入手出来るためだったんだよね。
>>130
西武所沢が購入して関鉄へ売り込んだものだったけど、実はあれ、
南海が西武にコネクションを作るために売り込んだって話もあるぞ。
なんばCITY計画では旧西武流通Gのコンサルを受けたのだが、
当時の南海には流通に関するノウハウがなし、高島屋だけでも限界っ
てことで西武流通に依頼することになった。
この頃、西武は鉄道と流通でグループは別になった直後ではあったが
各グループの基幹企業は鉄道、流通とお互いに役員の融通はあったよ。 >>133 それにしたって 関鉄が買うという勝算がなきゃ使用線区の限られた大型気動車でしかも事故車でしょ。
それ以前の関鉄車の改造、更新施工依頼で関鉄の動向(ハラ積もり)を把握していたのだろうな。 たまたまキクハとか導入したあとで2台エンジンの予備車に餓えていたのかもな >>120
台湾ならカミンズエンジンに対応してるから無問題 会津キハ8500 一度くらい深夜特急とかで浅草まで降臨してほしかった。
(乗務員の問題、機関の騒音、運転曲線がトロイから無理か・・・。) >>133 南海は東急車輛製電車を帝車時代の随意とはいえ購入した一方で西武コンタクトか?
二股外交だったんだな。・・・創業期 三越に舐められた東急に流通事業の指南を受けるのより西武を選択したのか?
それとも高島屋の縄張りに東急が乗り込めないオトナの事情か?或るいは、一時期の京急みたいに西武に侵食される前に
西武の胸のうちに飛び込み予防線を敷いたのだろうか?
角ズームの増備で西武101系のDNAを持つ電車(上信の200形の2次車)みたいなのが生まれていたら面白かったのに・・・。 >>137
機関の騒音?深夜の保線車両の方がうるさいだろw
運転曲線?深夜の特急にそこまで要求しないだろw 電機で牽引でよくね。(残しておいて じゃなきゃ遊んでるヤツを秩父から借りる) 会津側が専用の気動車を作って、6050系で挟む。
三相電連により、低圧電源は電車から供給する。
機回しの手間も要らない。東武線内は機関停止。
ネタにマヂレス、全然懐かしくなくてスンマソ。 電車ばかりの私鉄で乗入れ用に気動車を少数導入しても、乗入れ専用車でない自社線内での運用に使えない。間合い運用やっていた名鉄は例外としても。
保守整備に余計な手間がかかるし、乗入れ列車の需要がなくなったら廃止したい存在なんだろうな。 キハ8500が会津で短命だったのは特急用の車両を普通列車に使ってエンジンにガタが来てたからだとか。
最初の頃乗りに行った時は快速で結構飛ばしていたけど後に区間快速みたいなダイヤになっていたし。 きのくに、や北アルプスとかどういう層をターゲットにしてたのか
今となってみれば不思議。
難波と天王寺にどれだけの便利さの差が…岸和田には止まったっけ?
あと後者なら岩倉あたりの住民とか? かつての“おじか”“南会津”“快速”の今を見ればディーゼルカーの直通特急やらなくて正解だな。 >>145
「きのくに」は今の特急と大体同じ停車駅だった。
当然岸和田は止まった。
一度乗ったことがあるけど、あまり客は多くなかった記憶がある。 「きのくに」は1980年代に乗った時はガラガラだったけど
「南紀」を名乗っていた1970年頃は結構混んでいたように思う。
週末には全車指定席急行が走っていて南海側は単行で運行していた >>147
急行「きのくに」は、今の特急より停車駅は少なく新今宮・堺・岸和田のみだったが
阪和間無停車の国鉄編成より30分以上時間がかかり、紀勢線直通客より線内利用客の方が多い位だった。
南海本線内では特急「きのくに」と案内されていたが、窓口や車内で発行される切符は線内利用の場合でも「急行券」となっていた。 >>149
30分以上は大げさじゃないか
差は20分台に収まってたと思う
だから何って言われると困るけど >>150
その通り。天王寺発難波発20分の違い。
7時40分難波発8時天王寺発と連結した。
だから何とは思わないがそのことより、
1976年昭和51年8月2日月曜に乗ったが、
1976昭和51年当時でも非冷房痛かった。
1976年昭和51年当時でも既に南海線は、
特急、急行、準急は冷房車だったのに、
南海きのくには非冷房なのが痛かった。
国鉄きのくにも冷房車だったから尚更。 >>145 南海は戦前からの既得権(阪和も私鉄で紀勢本線で紀伊半島一周には民鉄乗り入れが必至)
名鉄も戦前名岐の高山本線乗り入れ(戦時中に中止に追いやられる)の既得権みたいなものだけど
その後名古屋築港の入換だらか?権利を国鉄に譲る見返りで乗り入れ復活じゃなかったけ?
でその見返りを求めた昭和40年代初頭は未だレジャーブームだった訳で・・・。
南海は何故 紀勢線直通キハ55の更新を計画しなかったのだろう?
島原だって細幅のキハ55?にクーラーを積んだ位だから無理ではないと思うだが・・・
やはり事故車を補充せず西武を介して関鉄に売った時点から将来車両の更新を国鉄に求められるときまで
安楽死を狙っていたのだろうかあ?それとも紀勢線電化時に自社の意向の強いの電車の乗り入れを計画していたのだろうか? 国鉄381系の亜流のような新車を投入してまで紀勢線直通やる必要なし、485の中古では381系に対抗できない。
和歌山までの輸送需要で十分・・要するに南海が紀勢線直通続ける気がなかったということなんでは? >>153
485の中古を買えと迫られたって話ご存知でしたか。
幅が無理だろうという人もいました。真偽は定かじゃないけど。
やめることができて南海にもちょうど都合が良かったんでしょう。
和歌山市駅附近があの配線ですものね・・・ 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q むしろ、紀勢線電化、381系投入後も、85年まで南海が乗り入れ続けていたことが奇異に思えるのだけどな。
国鉄が阪和線の輸送改善、天王寺駅の改良にもっと取り組んでいたら、80年頃には終わっていたと思うのだが。
天王寺駅構内での列車事故とか、当時の阪和線は最悪状態だったからな。 そうだな、急行「きのくに」は、165系に振り子をつけた電車を78年の電化時に投入すべきだった
結局だらだらと6年以上ディーゼルのまま 始発側(都会側)が私鉄で、目的地側(観光地側)が国鉄という乗り入れは小田急・南海以外にあったのかな? >>159
それをすっかり忘れていました。
昔、立山から新名古屋まで乗車していたのに。もっとも36〜7年位前の話だが。