懐かしの乗り入れ列車の思い出
国鉄から長野電鉄に乗り入れた急行信州や、茨城交通に乗り入れた急行あじがうらの思い出などを語りましょう。
勿論、国鉄からの乗り入れでなくてもOKです。 >>312
都5300形は今でも逗子エア急で新逗子来ておるわい。 都営三田線の6300系が、確かイベントで埼玉高速の 浦和美園の車庫に行ったことがある。
と訊いたけど、マスコンキーの位置とか問題なかったの?
てか メトロ(南北線)と埼玉高速は、 東急と横浜高速みたいに実質保安設備は共通なのか? >>321
あるよ
保安装置はSR、三田線、南北線が同じ、目黒線は違う >>1の急行信州にツッコまないのはここのマナーなのか? >>325
まあいいじゃないか。「信州」も「志賀」も大差ない。
長野電鉄は,湯田中行の他にも木島行もあった。
そういえば,上野発下仁田行の夜行列車もあった。 >>22
「八高秩父路」なんてのがあったな。
国鉄が入り,東武が入り,その後西武が入り・・・。
秩父鉄道って地方私鉄なのに浮気者だな。 >>325
長電直通は信州名乗ってた時代もあるんだけど 富山地鉄にも国鉄急行が乗り入れてた
終点は宇奈月温泉? 急行リゾート立山って681系唯一の夜行急行運用だったよね 681系の急行、他に走りました?ダイヤ移行時ぐらいにあったかな?
行き先表示器に西は岡山、城崎、南は新宮、北は新潟、ほくほく線から上越線、信越線は軽井沢までメモリーしてあるそうですね。 >>330
「立山」が立山行で
「うなづき」が宇奈月温泉だったよーな。 >>336
リゾート立山キハ65改+雷鳥485系で、ぶら下がり運転とは言えしっかり120キロまで出していた
当時は地鉄内に北アルプスを運転していた内燃持ちが居たから実現したという
今後あい鉄〜地鉄を521系で直通させたいと言ってるが、実現するのかな 681系3連を立山まで上げていたら故障多発。
当時の富山地鉄はVVVFには厳しい環境だったらしい。今もかな。 >>338
681系の仕様の問題じゃね?
VVVFかどうかとは関係ないと思う 地鉄に681系は電力不足でよく故障させてたと聞いた 電力不足なうえ電圧低下して急勾配とカーブでの著しい加減速でさらにギア比も合わずあぼーん
ってことでおk? 電圧降下がひどくなる末端ほど急勾配になる線形だからなあ >>337 あい鉄って愛知姦嬢のコト?
地鉄じゃないけど、某社は乗り入れしてきた他社の電車を自線内に泊め置きする際
補機を止めず 平気でいきなりパンタを降ろしていたな。
マア各社、各車種で手順が違うかもしれないが、他所のクルマだからとゾンザイにああ云うコトをすると当時者は乗りれ廃止の方向に傾くなっ。 >>316
もし北総車の逗子線乗り入れ・京成車の久里浜線乗り入れが今も続いていたら、
横浜は京急車・都営車・京成車・北総車・横浜高速車・東急車・メトロ車・西武車・東武車(・相鉄車・JR車)が一挙に乗り入れる駅になっていたのに。
>>320
2012/10改正で復活したっけ・・・
>>345
あい鉄は北陸新幹線の並行在来線(現:北陸本線)の富山区間。 >>346 東急が地下じゃなきゃ横浜の先の交差とか壮観だったのにな。
タイミングというか巧くいかないものだな。 >>316
この時期の北総車の新逗子までの急行運用は平日朝の1往復のみで、その後
は夕方まで神奈川新町の車庫で留置されていた。なお、土曜・休日には当時
は入線出来なかった「羽田」行きの急行で京急蒲田まで運転されて京急車と
車両交換後に神奈川新町まで回送されて夜まで留置されていた。
この他にも日中の都営浅草線内の西馬込−泉岳寺・押上間の運用に合わせて
4本ほどが入っていた。 >>343
名鉄揖斐・谷汲線も黒野から先に試運転で半導体制車を入れた時、電圧降下で誤作動・故障を繰り返したって。
結局黒野以遠は、廃線まで旧型抵抗制御車限定。乗り換え接続を続けました。 越美南線が、長良川鉄道に引き継がれる際 名鉄の資本が入っていたら(つまり美濃太田〜関 間廃止)になり
乗入れが開始されていたら札幌市以来の路面気動車が登場していたのだろうか?(とても越美南線を電化するとは思えない)
マア結局名鉄は、岐阜北部の600V区間はあっさり撤退してしまったし、岐阜市内線区間の道路混雑で
長良川鉄道は使いにくくなったいた筈だから名鉄の誘いを拒否して美濃太田ルートを維持して正解だったのだけど・・・。 >>352 美濃太田〜関 間の途中自治体の反発。(当然だな。
岐阜直は、出来ても道路混雑で定時制&列車の絶対的速達性を損なうカト) >>352 コトバが足りなかった。
3セク立ち上げの際 名鉄が名乗りを挙げた(上記見返りを条件に)
名古屋人の発想はえげつないね。
よそ者の俺にも 名古屋資本に対する岐阜人の嫌悪(岐阜バスと名鉄の競合)とか
同様に南海資本に対する和歌山人の嫌悪(和歌山電気の買収)とか
関東にはそういうの無いのだが・・・ 名鉄は北陸も我が物にしようとしていたが、富山地鉄だけは手に入らなかったな >>357 琴電もそうだよ。
この両社には、忠実な下部(だった)の豊鉄や福鉄、北陸、北恵那、大井川にはロクな中古供給をしなかったクセに
大盤振る舞い!(もっとも自社支線も凄い状況だったが・・・大手面しておいてこの有様は、中華人民共和国並みだったな)
基本 昭和の時代名鉄の関連会社になる地方私鉄は車両供給で恩恵を期待するようでは、かなりマズイのだろうな
大井川みたいにSLやるとか(開始時期に古参職員が居て技術伝承が出来た)、福鉄みたいに高度改造技術力を身に付けるとか、
豊鉄、大井川みたいに臨機に中古放出先を開拓するとか。
琴電(他の面でマズかったが)、地鉄、遠鉄が名鉄と距離を置いたのは賢明だな。
>>358 京福の背後には京阪が居るでしょ。
金沢で近鉄とヤリあって、福井でも代理戦争させるほど名鉄に企業体力は無いのでは? >>359 資本提携と中古車両の譲渡とは、あまり関係がないわな。
路線の特徴や譲受側の車両に対する要求と、譲渡車両の条件が概ね合致してないと譲渡は成立しない。
大手私鉄が中古車を放り出すタイミングにも合致してなくてはならない。
琴電の場合、標準軌だし、阪神の小型車を貰い受けることができたこともあって、名鉄の中古車を台車のゲージ変更の改造を行ってまで、貰い受ける必要性に乏しかったのだろうな。
他の例を上げると、関東鉄道は京成傘下にあるとはいうものの、気動車化改造した元電車の車体は小田急のものだ。京成の車両ではない。
西武の場合、車両の大型化、近代化により旧型車両を大量に処分しなくてはならず、名鉄や東武のように古い車両を転用できる支線があまりないから、伊豆箱根や近江などに中古車を放出したわけで。
伊豆箱根にとって西武のお下がりのロングシート車が本当に望ましかったのかは、疑問だけどね。 >>340
1Mで登る力が無くて立山手前で止まりそうになったと、乗務員から聞いた事がある
逆に485の方が勾配にも強いと言ってた >>360 京成と関鉄の場合規格が違いすぎるわな。
小田急の電車を購入したのだって形振り構わず優良中古デーゼルカーを買い漁っていたとき
高出力の小田急キハ5000,5100が入手でいたので牽かせるためのオマケ(関鉄、小田急どちらが持ちかけたか定かではないが)で小田急の電車クハ1650も買ったワケだし 関東鉄道常総線はJRの車両は乗り入れたことがありますか? >>363 お前はナンなの?
すぐ旧型国電とか旧型国電そっくりとか(払い下げ車なんだから当たり前だろ!)
私鉄の車両史に、すぐ国鉄を絡めたがる。
官尊民卑根性の染み付いたどうしょうもナイ奴だなっ。 西武・東武・小田急・東急・相鉄…どこも国電そっくりのが走ってた 小湊鉄道のディーゼルカーが千葉まで乗り入れていたらしいですね JRになる前、国鉄乗り入れの私鉄所有ディーゼルカーで、完全に自社流の塗装にしていたのというと、鹿児島鉄道くらいかな?
国鉄のものに準じた塗装は多いけどね。小田急のキハ5000も、国鉄キハ55の登場時の塗装に似ているし。
名鉄のキハ8000が同社の7000系パノラマカーのような塗装だったら?と思ったもので。
富士急のDCでこれやったら、国鉄所有DCとの併結区間では編成美が損なわれるのかもしれないが、乗客にとっては色が違うからわかりやすいかも・・?
単なる思いつきだが。 >>367
鹿児島鉄道?
南薩鉄道、鹿児島交通だろ >>367
因みに過去なら定鉄
今なら三セクだけど会鉄や鹿島臨海、智頭急行、井原鉄道等があるぞ >>367 そんなモノ例外でもなんでもない!
山鹿、遠州、羽幌、有田、茨交。 >>370 鹿児島交通含め共通点は、国鉄線への乗り入れ区間が短く、自社の運転士がそのまま国鉄線内も走らせていたケースということなのかな? 古いところでは,
東京高速鉄道と東京地下鉄道の相互乗り入れは
乗務員ごと互いに乗り入れていたな。 柴崎勇太(開智高校、明治大学出身)は早く死ねよ!!!!早く死なねーとぶっ殺すぞ!!!!!!!! 南海の紀勢線乗入れ客車は濃緑色塗装で、国鉄の客車とは違う色にしている。
ただ、同社の戦前標準塗装に比べれば、やや明るい色調のようだ。 >>372
今だと元町中華街〜横浜がそんな感じだな
いずれ横浜高速で乗務員を出すのかもしれないが 横浜高速は最初から東急に丸投げ前提でしょ
結局養成は東急がすることになるんだし。 逆に埼玉高速はあれだけしか路線長がないのに初めから自社乗務員だよね 伊豆急8000がダイヤ乱れとかで熱海以東にくることはないのかな? て、いうか熱海以東は短編成が営業できる体制になってない。
(停車位置目標とか車掌が見るホームモニターや発車メロディースイッチの位置とか) 自分の知ってる限りだと、早朝の平塚発熱海行きが付属5両。 ダイヤ乱れで伊豆急8000が東海道線を上ったら面白いのに 金町線に乗り入れていた京急旧1000を語るスレはここでおk? >>76
あったはず
勿論早々におじゃんになったけど 懐かしい
ttp://www.geocities.jp/omotetu/headmark/pic/165ecc1.jpg こいつは始まりの頃からしばらく、下りに限って大月〜河口湖では6両編成を3両編成2本にバラして続行させて
いたんだよな。最初はエックの団体専用かなんかで、いつからかわからないけど、一般売りもするようになったんだよね。 >>62
最近、阪神尼崎まで新開地経由で阪急車が乗り入れた(回送だが)
つべやニコ動にあるから見てみるべし。 西武と東武の乗り入れは過去に実際にあったのですか? >>394 中間に国鉄介在で貨物(おそらく国鉄貨車)ならあったかもなっ。 >>391
エック、懐かしか
ひさびさ聞いた(見た)なあ >>394 戦時中、川越に短絡線があったんじゃなかったか?
西武←→東武でやり取りしたのかはわからないが。 松本電鉄が60年代半ばに1500Vに昇圧していたら、新宿発急行アルプスの一部が乗り入れしていたかもしれない・・
実際は、67年〜76年頃の夏季臨時で、名古屋発の気動車急行「こまくさ」「上高地」が乗り入れてたんだが。 戦前のことになるが、京王や玉電が東京市電介しての都心乗り入れ運転しなかったのは、東京市側が拒否したからなんだろうか?
貨物で、玉電が市電との乗り入れ運転をやっていたそうだが。
天現寺線は玉電の都心乗入れ構想の遺物みたいなものだが。 西武と東武の乗り入れの件だけど、旧阪急車(能勢電の所有物)の阪神線経由で自走による尼崎武庫川車両入場が
OKなら。
旧西武351+1411の上毛電鉄送り込みはダメか?(自走ではないが・・・西武色のまま) 送り込みの例なら、西武多摩川線車両が武蔵境から国分寺までの中央線使用で国分寺線に入るルートがあった。
懐かしくはないが、東武の秩父鉄道経由での伊勢崎線と東上線の間での送り込みも入ってしまう。
営業運転しているわけではないから、乗り入れの部類には入らないわな。 上信電鉄への80系乗り入れについて知ってる方いますか? 5年くらい前だけど、富岡出身の80歳前のご老人に「昔は上野から直通が出てたからよかったでしょ」って聞いたら
「今でも走ってるよ」だって。 >>405 鉄道図書刊行会(現 電気科学車?・・・鉄道ピクトリアル 発行しているトコ)発行
私鉄車両めぐり特修 再販合本 第一集 上信電鉄参照(軽く不鮮明画像で紹介) あらふね号として運転 >>407
5年前だったら常磐線の富岡じゃないのか?? >>409-410
ゴメンネ♪あらふね!あらふね! >>409
そういえば以前に京急の車両を上野-青砥で見かけたな。
今も上野方面へ走っているのかしら? 拳骨が新逗子迄走ってたのは凄かったな
以前は京急川崎着いたあと線内列車扱いで(運番がxxNじゃなくxxDになってた)新逗子行ってたけど 京急車が上野に行ったのはダイヤやりくり上の苦肉の策として
羽田空港→成田空港→上野→成田空港→羽田空港と運用したからだそう。 ある日上野駅に行くと冷房付のきれいなブルーの客車がいた
赤電や旧客鈍行を見慣れた保護者は急行券の心配をしていた
筑波まで行きたかったが予定通り土浦駅で下車しそのまま改装前の改札を抜けてしまった
せめて機関車の付け替えだけでも見ておけばよかった 軌間の違う京急大師線に三線軌条で国鉄の貨物が乗り入れていた
実質は間借りなんだろうけど乗り入れと見ていいのかな >>417 貨車は国鉄だがDLは神奈川臨海
昔 京急230形の琴電一次譲渡車(非貫通のグループ)が旅立つとき
此処で脚(台車)を履き替えたらしいけど 夜間こんな所でよく出来たよな。
三線軌条だから仮台車のセンターピンの穴あわせとか難儀しなかったのかね?
明朝の初電までに間に合わせなきゃマズイし・・・。
神奈川臨海の機関車の配車、甲種回送列車組成 時間都合もあるし。 >>415
京急車の京成上野乗り入れだが、羽田空港→京成高砂→京成上野→成田空港
→羽田空港(またはこの逆)で運転されていた。(京成高砂−京成上野間は
各駅停車で運転)
ダイヤ上の都合で京成上野に入り、成田空港行き特急に折り返すと、そのまま
京成上野−成田空港間を往復することになってしまい、京急線へ戻れなくなる
ため、このような運用を組んでいた。
また、都営5300形には、京成高砂→京成上野→京成高砂という運用も存在
した。(青砥で「エアポート快特」に接続する短距離特急)