懐かしの乗り入れ列車の思い出
国鉄から長野電鉄に乗り入れた急行信州や、茨城交通に乗り入れた急行あじがうらの思い出などを語りましょう。
勿論、国鉄からの乗り入れでなくてもOKです。 >>106
車両不足の面もあった。故に115系の褪色急行も存在感したわけだ。
中央東線は800番代限定だから、他所からやたら転用がきかない特殊事情がネックだった。 名鉄8000は酷使がたたって他所に譲られなかった?
くたびれてたから置き換えられたんだろうが・・・ 譲渡したくても、旧国鉄規格同等の車両であるが故に、転用先が見つからなかったって聞いたけどな。
その後の8500が会津に行っても、結局短命に終わったのと同じ理由か
一方で、乗り入れ先の高山本線がキハ85系化され、かなり足を引っ張ることになるから、早期に置換え
を要求されていたそうな。何しろ、JRで最も表定速度の遅い特急の悪名を背負ってしまっていたし もうスグ JR東日本の209が千代田線を介して小田急に乗り入れそうだけど、
JR東海のあざぎりが、撤退前だったら JR東海、東日本両社の車両の民鉄線内での出会い云う珍事が見れたのに・・・。
大手民鉄車両で地下鉄以外で急国鉄、JRに乗り入れたのは、電車(小田急)だけで
アトは、みんな気動車なのが意外。 南海のサハ4801も形式的に電車のうちに入るのだっけ 熱海まで乗り入れる伊豆急の元東急8000
古巣はJRのライバルなのに、まさか自らがJRの線路を走るとは思わなかっただろうな。 >>114
まだ台湾で走らせた方が長寿だったと思われ >114,119
高価でメンテナンス費用がかさむ車両を少数だけ持って行っても、譲渡先でじきに持ちきれなくなるのでは?
インドネシアへの譲渡車が持ちこたえているのは、部品取り分含めて大量に持ち込んでいるから。
エンジン外して客車化するのなら別だろうけど。 南海の両運キハ5550型も地方ローカル私鉄には行かなかったね
税制上国鉄から購入するよりも民鉄から購入したほうが車両って安いんでしょ? 南海のキハ5500は関東鉄道に譲渡されて魔改造されたイメージがあったから
両運タイプも関東鉄道に譲渡されたものだと思ってたけど違ったのか 譲渡といっても大抵の事業者は、ヨソで廃車が出そうとか知らないだろうから
ひょっとしたら監督官庁に斡旋を頼んだりすることがあるんじゃないの?
で、欲しいときに欲しいのが無ければ、それっきり。
逆に、あわてるとババつかむんじゃ?スレチ失礼、、、 >>115
中目黒で東武伊勢崎線と東上線の車両の出会いもある。 >>118 そして伊豆急入りに際して西武の特急車のお古のクロスシートを頂戴して改装するとは、
・・・西武と競った末 新車を揃えて開業し西武同様旧型国電の巣窟だった伊豆箱根が1000形を入れるほど刺激を与えた伊豆急がよもや・・・。 >>126
伊豆急は普通列車が東急の中古車ばかりになって悲しいです。
開業当時の水色の電車がカッコ良かったのに…。 伊豆急の113・115系導入は黒歴史だったのかなぁ? >>124
新車を入れられない中小はアンテナ張り巡らしているよ。
後は仲介に商社が入るケースもある。
当然商社はバックオーダーを集めるし、大手から余剰廃車が出ると売り込みセールスをする。 関鉄が購入した南海キハ5500は、事故で離脱もてあましていたワケあり品。
その後10数年以上後に南海が乗り入れ止めて余剰にしたときには既にポンコツでしょ。
痛んだ車体にドア増設等大改造してまで導入する意味がない。 >>129 どうも
>>129 伊東線のATS-P化に対応させるためJR-Eから譲られたのでは?
4連だと帯に短しで3+3にできる115系が、いずれも海のそばなんで使い捨て…
115系だと伊豆急の過去の電車と同じく抑速ブレーキがあったのもあるかも >>128
あくまで東急8000系に配車譲渡車が出る迄のつなぎだった訳だから
黒歴史でも何でもないよ >>132
本音はATS−P機器を安く入手出来るためだったんだよね。
>>130
西武所沢が購入して関鉄へ売り込んだものだったけど、実はあれ、
南海が西武にコネクションを作るために売り込んだって話もあるぞ。
なんばCITY計画では旧西武流通Gのコンサルを受けたのだが、
当時の南海には流通に関するノウハウがなし、高島屋だけでも限界っ
てことで西武流通に依頼することになった。
この頃、西武は鉄道と流通でグループは別になった直後ではあったが
各グループの基幹企業は鉄道、流通とお互いに役員の融通はあったよ。 >>133 それにしたって 関鉄が買うという勝算がなきゃ使用線区の限られた大型気動車でしかも事故車でしょ。
それ以前の関鉄車の改造、更新施工依頼で関鉄の動向(ハラ積もり)を把握していたのだろうな。 たまたまキクハとか導入したあとで2台エンジンの予備車に餓えていたのかもな >>120
台湾ならカミンズエンジンに対応してるから無問題 会津キハ8500 一度くらい深夜特急とかで浅草まで降臨してほしかった。
(乗務員の問題、機関の騒音、運転曲線がトロイから無理か・・・。) >>133 南海は東急車輛製電車を帝車時代の随意とはいえ購入した一方で西武コンタクトか?
二股外交だったんだな。・・・創業期 三越に舐められた東急に流通事業の指南を受けるのより西武を選択したのか?
それとも高島屋の縄張りに東急が乗り込めないオトナの事情か?或るいは、一時期の京急みたいに西武に侵食される前に
西武の胸のうちに飛び込み予防線を敷いたのだろうか?
角ズームの増備で西武101系のDNAを持つ電車(上信の200形の2次車)みたいなのが生まれていたら面白かったのに・・・。 >>137
機関の騒音?深夜の保線車両の方がうるさいだろw
運転曲線?深夜の特急にそこまで要求しないだろw 電機で牽引でよくね。(残しておいて じゃなきゃ遊んでるヤツを秩父から借りる) 会津側が専用の気動車を作って、6050系で挟む。
三相電連により、低圧電源は電車から供給する。
機回しの手間も要らない。東武線内は機関停止。
ネタにマヂレス、全然懐かしくなくてスンマソ。 電車ばかりの私鉄で乗入れ用に気動車を少数導入しても、乗入れ専用車でない自社線内での運用に使えない。間合い運用やっていた名鉄は例外としても。
保守整備に余計な手間がかかるし、乗入れ列車の需要がなくなったら廃止したい存在なんだろうな。 キハ8500が会津で短命だったのは特急用の車両を普通列車に使ってエンジンにガタが来てたからだとか。
最初の頃乗りに行った時は快速で結構飛ばしていたけど後に区間快速みたいなダイヤになっていたし。 きのくに、や北アルプスとかどういう層をターゲットにしてたのか
今となってみれば不思議。
難波と天王寺にどれだけの便利さの差が…岸和田には止まったっけ?
あと後者なら岩倉あたりの住民とか? かつての“おじか”“南会津”“快速”の今を見ればディーゼルカーの直通特急やらなくて正解だな。 >>145
「きのくに」は今の特急と大体同じ停車駅だった。
当然岸和田は止まった。
一度乗ったことがあるけど、あまり客は多くなかった記憶がある。 「きのくに」は1980年代に乗った時はガラガラだったけど
「南紀」を名乗っていた1970年頃は結構混んでいたように思う。
週末には全車指定席急行が走っていて南海側は単行で運行していた >>147
急行「きのくに」は、今の特急より停車駅は少なく新今宮・堺・岸和田のみだったが
阪和間無停車の国鉄編成より30分以上時間がかかり、紀勢線直通客より線内利用客の方が多い位だった。
南海本線内では特急「きのくに」と案内されていたが、窓口や車内で発行される切符は線内利用の場合でも「急行券」となっていた。 >>149
30分以上は大げさじゃないか
差は20分台に収まってたと思う
だから何って言われると困るけど >>150
その通り。天王寺発難波発20分の違い。
7時40分難波発8時天王寺発と連結した。
だから何とは思わないがそのことより、
1976年昭和51年8月2日月曜に乗ったが、
1976昭和51年当時でも非冷房痛かった。
1976年昭和51年当時でも既に南海線は、
特急、急行、準急は冷房車だったのに、
南海きのくには非冷房なのが痛かった。
国鉄きのくにも冷房車だったから尚更。 >>145 南海は戦前からの既得権(阪和も私鉄で紀勢本線で紀伊半島一周には民鉄乗り入れが必至)
名鉄も戦前名岐の高山本線乗り入れ(戦時中に中止に追いやられる)の既得権みたいなものだけど
その後名古屋築港の入換だらか?権利を国鉄に譲る見返りで乗り入れ復活じゃなかったけ?
でその見返りを求めた昭和40年代初頭は未だレジャーブームだった訳で・・・。
南海は何故 紀勢線直通キハ55の更新を計画しなかったのだろう?
島原だって細幅のキハ55?にクーラーを積んだ位だから無理ではないと思うだが・・・
やはり事故車を補充せず西武を介して関鉄に売った時点から将来車両の更新を国鉄に求められるときまで
安楽死を狙っていたのだろうかあ?それとも紀勢線電化時に自社の意向の強いの電車の乗り入れを計画していたのだろうか? 国鉄381系の亜流のような新車を投入してまで紀勢線直通やる必要なし、485の中古では381系に対抗できない。
和歌山までの輸送需要で十分・・要するに南海が紀勢線直通続ける気がなかったということなんでは? >>153
485の中古を買えと迫られたって話ご存知でしたか。
幅が無理だろうという人もいました。真偽は定かじゃないけど。
やめることができて南海にもちょうど都合が良かったんでしょう。
和歌山市駅附近があの配線ですものね・・・ 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q むしろ、紀勢線電化、381系投入後も、85年まで南海が乗り入れ続けていたことが奇異に思えるのだけどな。
国鉄が阪和線の輸送改善、天王寺駅の改良にもっと取り組んでいたら、80年頃には終わっていたと思うのだが。
天王寺駅構内での列車事故とか、当時の阪和線は最悪状態だったからな。 そうだな、急行「きのくに」は、165系に振り子をつけた電車を78年の電化時に投入すべきだった
結局だらだらと6年以上ディーゼルのまま 始発側(都会側)が私鉄で、目的地側(観光地側)が国鉄という乗り入れは小田急・南海以外にあったのかな? >>159
それをすっかり忘れていました。
昔、立山から新名古屋まで乗車していたのに。もっとも36〜7年位前の話だが。 JRから大手私鉄へ乗り入れる貨物輸送ってのはありました?
自分は相鉄への米軍燃料輸送しか知らないんですけど。 今だって普通に新車輸送とかJR経由私鉄の貨物じゃないのか? 戦時中の阪神武庫川線の武庫川大橋以北も、阪神車は走る筈(車両が無い)がないけど阪神で管理する阪神の資産だったの?
阪神で軌道を管理保守?
乗務員は恐らく国鉄の筈だが、当局の要請だし戦時下なので当事者(国鉄、阪神 間に)車両使用料や軌道使用料の類は、やはり存在しなかったのだろうか? それより阪神側が軍事輸送の為 急遽臨時で旅客列車のダイヤを貨物の為に空けるとか、はありそうなのだが・・・。 >>163
東武もあったな。北館林行き・・・いま解体してる所の隣。 >>167
阪神園芸の花壇にビニールハウスになっていたね。 >>163
近鉄養老線が四日市と大垣のバイパス輸送してたのは、範疇? >>171 民鉄線経由(通り抜け)の国鉄貨物のことでしょ。
確か東武東上も池袋〜川越市〜寄居?であった(区間は曖昧記憶)
地方私鉄では夕張鉄道あたりもやっていたんじゃないかな?
東武は車両転配、定期入場以外で 東武伊勢崎⇔東上の秩父鉄道経由貨物はあったのかな? >>169 両方!俺の知る限り80系は全金113出目金
ちなみに>>169系は所属線区の兼ね合いもあり皆無の筈。 >>172
東上線発本線着(又はその逆)の物資ってなんかあるか?
羽生の配線からして貨物の引渡し向けに作られてないわなorz >>169
自分が知った時は111系。もちろん113系もあったが共通運用の非冷房車。
晩年には113系冷房車になったかと思いきや、80系にまた逆戻りし、ほどなく廃止。
その80系がラストランだったかどうかわわからんが、平妻のクハ85109が先頭に立った。 国鉄の車両が最後に大井川鐵道に乗り入れたのはいつなんだろ? wikiによると1983年にミステリー列車の企画でサロンエクスプレス東京が乗り入れたらしいけど
この頃が大井川鉄道にとって一番輝かしい時期だったのかな 日本最初のミステリートレイン(行き先不明の企画列車)は、上野?→大宮→野田の東武(その当時は総武か?)乗り入れ列車だった。 昭和20年代には既に大鉄局で?列車として行き先不明列車が運転されてた。 >>181
俺は烏山行が最初だと思ったが、違うのか? >>160
富山地鉄で間合い運用「アルペン特急」が有った 筑豊電鉄の熊西・黒崎駅前間が西鉄北九州線だった頃も、懐かしの乗り入れの部類に入るのか?
京成の千葉県営鉄道乗り入れと同様なケースだが・・w >>182>>181 もっと!全然昔 戦前。
ソレが野田乗り入れ行き先不明企画列車。 池袋で東武車は西武とメトロ丸の内線の構内以外制覇。
西馬込には京急車はイベントや教習で出没したことはないの? >>190
西馬込に行く京急車は定期運用があったような気がします。 >>152
ある意味、水軒に1日2往復乗り入れていたのに似ているね 和歌山県は、南海に水軒乗り入れで邪軒にされていた訳だ。 >>187
乗り入れっつーと語弊が有るけど、大戦中は国鉄のSLを大宮から野田線通って大和田駅北側の林に隠してたんだよな そう聞くと、この板ではさんざ既出だが、
京成の寛永寺下のトンネル
もOKだな… 東武の貨物は、時代を遡ると野田線(大宮、春日部経由伊勢崎線、柏、船橋)とか方々で国鉄貨物の通り抜けやっていそうだな。 >>197 野田線の線路や設備が、重量のある国鉄の貨物便を通せるだけの規格を有していたかどうかだね。
春日部経由で常磐線から東北線方面、あるいはその逆に向かう貨物の需要なんてそんなにあったのだろうか?
尾久付近の連絡線を使うのが一般的だと思うけど。 >>198
野田線は醤油工場へ白ホキが出入りしてたからなぁ。
30年以上前だけど、社会科見学で行った頃は今の踏切以外にも街道を横切る線路があった。 富士急のキハ58 ,名鉄の北アルプスのキハ8000系?は、名鉄は勿論地鉄線 内でも全線架線下の区間で間合い運用をしたけど
定鉄が札幌乗り入れに新調した気動車は、自社線内完結の運用はあったのだろうか?
そどころか、乗り入れ列車は、自社線内は電車と併結だけどコレは協調運転(機関も動かしていた)?だったのだろうか?
いずれにしても、車両数が少ない地方私鉄で比較的新しいクルマの走行距離(原価償却?)を殆ど他社線内で消耗するのは富士急キハ58以上に勿体無い。
関鉄キハ800も国鉄に水戸線でやられた。
遠州鉄道は、中古のキハ04で二俣線乗り入れたが、しっかり自社線内だけの運用にも活用していた。 車両使用料貰うんだから別にいいんじゃない?それともそう言う問題じゃないとか?
そもそも国鉄が払う車両使用料って、ある算定方法により定型化しているのかなぁ?
それとも乗入れの協定で個々のケースがあるのだろうか?
ちなみに一説によればJR西日本→地鉄の乗入れ復活の時は地鉄が受入れてくれやすいようにJR西日本の方が譲歩したとか…。
場合によっては私鉄側の悲願の国鉄乗入れが達成されたとすれば、貰うべき車両の使用料を譲歩するとかあるんじゃ
ないだろうか? >>199 野田線の貨物輸送って、醤油輸送位だろ。
>>200 乗り入れ先の他社線内で、その鉄道会社の従業員の仕事を増やし線路等設備を余計に摩耗させる上に、車両の使用料もいただけるのって、結構おいしい話ですよねえ・・ 東武に合併後はともかく、武蔵野線が開業する前の野田線の通過貨物は、
経営状態のあまり好くない総武鉄道は勿論、鉄道省にとっても利用価値のある線区だったのではないだろうか? >>202
乗り入れとは違うけど、国鉄との接続駅の入換の業務の受託料が
ヤード方式の貨物輸送を無くされて得られなくなったことで
存立基盤を失った中小私鉄が多くあったな。別府とか。
私鉄の貨物って少なくとも末期には
ものすごく高額の擬制キロをかけてたのが多いから
通過連絡なんてなかったんじゃないかな。
しかも遅いし機関車の付け替えも発生する。 しかし、環状の一部を形成する様な路線の通り抜けの利点や時短などの有用性があるとすれば、東海道線〜相模線〜中央東線
とか、東北本線〜川越線〜八高線〜中央東線など国鉄内でやってるでしょ?
国鉄の長大な貨物列車の一本がバラされることなく機関車の付け替えもなく通り抜けるのなら、時短にもなるだろうが、
例えば長大な一本の貨物を二つにバラして続行させたとすれば、かえって到達時間が伸びるでしょ?
これは、かつてのアプト式だった頃の碓氷峠と一緒で貨物輸送の隘路であるに過ぎない。 そうだな相模線や横浜線も貨物の迂回ルートに使われた
とは古今聞かないな
南武線も青梅線からのが主だったし