キハ10系とキハ20系を語る2
ひたちなかのキハ20乗ってきた
やっぱりあのエンジン音はカッコ良い! キハ22は最後までDMH17Cで製造されたのが意外
キハ52みたいに途中でDMH17Hに変更されてもおかしくなかったが現場が嫌がった? ぬくぬく客室内から点検・一部整備できるため
おしいことはキハ52 0番台の北海道バージョンが作られなかったことだが、冬季は片方を荷物車代用として利用できた 九州で貫通扉をキハ58と同じのに交換してた変形車があったな
顔つきが明らかに異質 今号ピク誌がキハ20系特集号だが変形貫通扉装備車についてようやく触れた気がする キハ10系列の中間車、組成の制約もあるけど
何より車掌サイドから「これじゃ集札が難しい、不正乗車を黙認するのか」という指摘が多数あったんだろうなと 10系気動車の運転台寄り戸袋が凝ってると思う、窓一個分を2個に分けて
片方だけ戸袋になっていて。現代の感覚だったらまるまる埋めちゃうだろう 近郊車の車端もそうだった
クーラーないし、照明も暗いからできるだけ窓にしようとしてるんだな >>401
小田急の2400形以降の一般電車が非冷房時代、運転室背後の戸袋窓をルーバに
していたことがあった。
当初は夏だけルーバにしていたが、しまいには一年中ルーバのまま、冬場だけ
内側から鉄板で塞ぐやり方に変った。冷房化でガラスに戻ったが。
スレ違い失礼しました。 一般形気動車で運転台のない中間車は馴染まなかったな
他に北海道のキハ201系しかない
キロ28格下げ車は先頭車化改造しないと扱いにくかったはず >>402
あの小田Qのルーバーは時々髪の毛絡まってエラク不快な思いをしたもんだ。
まだ相模線に西ハチのキハ10が走っていて、俺にまだ頭髪というものがあった頃の話だ。 新日本紀行日南市に日南線を走るキハ10系とキハユニ20が映っていた。
昭和42年撮影とは思えないリマスター映像でちょっくら感心した。 >>407
52も同じ運命を辿るんだろうか。。。
52の次の全検っていつなんだろう。 >>407-408
28が先に引退でよかったね。52は両運で単行可能だからね
逆だったら、いすみ現行車と必ず連結しなければならなくなるし 連結器が同じじゃん?ちがうの?
同じなら、引き通ししなけりゃ可能でしょ?
片側をトレーラー扱いにすれば済むわけだし
電源はそれぞれ自車で可能だし キハ40系とキハ150も併結出来なよね?それと同じ 北海道のキハ150はキハ47系と併結運転可能ですが何か キハ10とかキハ20はまことに顔が秀逸
その後のキハ23ときたら >>420
俺は誰が何と言おうとキハユ15の顔推しだ。 個人的にはキハ58モデルチェンジ車が至高
ただ10&20は平窓オンリーだが味がある 湘南顔のキハの前面窓を何故か小さく改造した顔があったが、なんだか目を背けたくなるくらい超不細工で驚いた記憶がある。 >>424
キハ45など、あの顔は登場時は画期的だった
一般向け気動車がようやく電車並みになった印象だった
が、シートピッチや車両重量面で・・・・ キハ53に初めて乗ったときシートピッチにショックを受けた
まさか膝のぶつかり合いになって52に劣るとは思わなかった
そりゃ九州じゃ優先廃車されるわけだわ元々少数派ってこともあったけど そうはいうけど、115の0番台とかと20mmしか変わらないから近郊型はそんなもんでしょ
電気機関車顔だよね、キハ23。間延びしたED75って思ってた 正面も側面もいかにもキハ20系列までの時代からキハ47系列への過渡期という感じがする<キハ23 >>423
キハユ15の顔は一年前に出たキワ90と同じ顔ですかね・・・? >>432
確かにほぼ同じかもね。言われて気がついたワw ただそのままその顔が使えるかは知らないなぁ…
個人的に鉄コレ22弾だったかのケースのオマケ、キハユニ16の素ボディ(使う予定もなし)はあるしキワも予備であるから、側面含め弄くりまくってキハユなりキユニの作製にチャレンジしてみようかな 鉄コレかあ
そんなのあったのね
集め出すと沼にはまりそう >>413
キハ181系は、連結器は同じでも、ジャンパ線に互換性がないため、総括制御ができないというわけ。
簡単に言うと、オープンリールテープのトラックの構成みたいなもの。
片面2トラックステレオで録音したテープを、大いに普及した4トラックステレオのレコーダーで再生すると正常な再生ができない。
4トラックステレオのレコーダーは、片面が終わったら、テープを裏返してB面に録音ができた。 >>437
あった
RPキハ20系特集、1980年代じゃなく、その次のやつ
下関?での、準急色キハ25 200番台の写真がある 昭和59年の今頃、紀勢線のEF58を撮りに
名古屋亀山、紀勢東線から新宮に入った。
紀勢東線ずっとキハ20で、ただでさえ非冷房で暑いのに各駅停車後のエンジンからの熱風が
入って来て、ホント死んだw 暑い中思い出しちまったじゃねぇかよ >>438
あったのか!
だとすればひたちなかの準急色は偽物ではなく本当の意味でのリバイバルと言ってもいい訳だな! キハ10以後中間車製造が取りやめになったのって
気動車を投入する線区で柔軟な組成が求められること、
そうした線区には無人駅が多く車掌による集札業務をより効率良く行うため
運転台のある車両が望ましいといった事情か
四国東海では中間運転台使う車掌結構見かける(てか集札サボってる東日本や西日本がおかしい) >>449
だったらどこで語ればいいんだよ自治原理ハゲ
国鉄の気動車を語れみたいなスレ無いんだぞ?
現行キハ40系ネタも総合/路車/懐し全てに無いし >>445
文末の件、おかしくないし。
価値観は一枚岩ではない
バカみたいに走り回るほうが本来イレギュラー 常時3両編成以上って線区がそもそも少なかったと思うしなあ
ほぼほぼ気動車化しても通勤通学用に客車列車が残った路線も多かったよね 小湊も200だけの頃の連結運転時には車掌は中間が定位置だったな(キハ40が増えてからは知らない)
無人の各駅には「車掌は各列車の最後部に乗務しております」と書いてあるのだが… スレが建って8年
次スレが建つであろう8〜9年後の時は
キハ23や45も追加しとけw 北海道のおふくろの両親の実家の中標津や
祖父の葬儀のとき
まだ標津線もあった頃だった。
道内で乗車したDCは主に急行すずらんがキハ22(釧クシ)27、56(札サウ、函ハコ)だった。
結局特急には一度も乗れずキハ82にもお目にかかれなかった。
キハ12、21にも乗車することはなかった。
キハ21には道内でなく、一関で本州唯一いたグループに乗った。
それから10年後
仙台でその一関の(盛イチ)のキハ21に再会した。
首都圏バーミリオンに塗り替えられて台車はDT22に換装されていた。
なんか顔も忘れていた旧友に再会できたようでうれしかった。 自社発注だとうらぶれた感じはないが、やはり降格みたいな印象になるのか 牧歌的なローカル線をゆくキハ20+キハ20+キハユニ25とか乗りたかった
もうキハ40系世代 >>458
昭和50年の夏休み
三陸で旅行行ったとき
大船渡線でキハ20+25+キハユニ26の3連乗ったな。
KATOのNゲージの3種そのものに乗ってるみたいだった。 キハ16か17の運転室屋根に運転室空気取り入れ口があるんだな
大抵は前面腰板や前面幕部にあるけど 国鉄が銚子電鉄に乗り入れしていた時のこと、通常はキハ10系のところが、キハ20系になっていた。
銚電に入りなんとホームを擦ってしまったとか。
なんとも牧歌的な時代だった。 キハ17に乗車した時だが車内通路を歩いたら床がフニャフニャのとても不思議な感触だったが、あれはキハ17系じゃなかったかな・・・? 腐っていなくとも
長年繰り返される雨の日で
浮いたりするわな。 乗客を楽しませるためにフニャフニャ床にした可能性もある 中間車のキハ18は、撮影以前に見た記憶もないです
キハ19などはそんな形式あった?というレベル
その後に普通DC用の中間車ができるとは、全くおもわなかった キハ19は昭和39(1964)年に5両中4両がキニ16(翌年キユニ19に再改造)で残る1両も昭和41(1966)年キニ19改造で形式消滅している
ここには東海道新幹線開業時の頃から車両追いかけていたような筋金入りのベテランはおらんだろ >>472
2020年12月号は持ってるよ
最近の研究を反映して電気式気動車を試作車としてきちんと位置づけた構成になってる キユニ19_2とキユニ19_3は撮っていたが、当時はあまり意識なし
最近になって、40年前の画像を確認して、キハ19の改造車であることを理解したお恥ずかしいレベル
キハユニ15やキハユニ16は気合を入れていたのに、この落差はダメですね 昭和30年代と40年代前半はローカル線は道路網整備遅れている&駅が基本有人駅で手荷物扱ってた&郵便輸送も鉄道依存大
だが輸送量自体は当然少ないので合造車の客車輸送を気動車化すると気動車も合造車に
戦後郵便・荷物気動車の新造がキハユニ25x7&26x59とキユ25x4と割と頑張って造ったけど圧倒的に旅客車優先だから不足分を改造車でまかなう方針だったよ
試作要素強い旧電気式やキハ15キハ50に接客面問題や少数派でもあった合造優等車のキロハ18やキハ26の300台(元キロハ25)は全車が改造されてる
なお使いにくいと各区所で散々不評の中間車キハ18改造が1両(キハニ15)のみで終わったのは謎扱いされてる いーろづくやあまーやあまふりむきながら わたしを乗せたデイーゼルカーわ
キャンディーズの気軽な旅の歌詞だけど10系20系気動車を連想する >>477
そうそう、なんでキハ18のキハユニやキハニが少数なのか不思議
全部改造されてもおかしくはなかったのに なお雑学
元キロハ18のキハユ15(→再改造でキユニ15)とキニ15は車体の向きが逆になった
理由はキハユ15が二等室部分をそのまま客室に残したのとキニ15が一等室部分のトイレを有効活用したかったため運転室取り付け場所が両形式で反対になった
形式図で見るとエンジン設置位置が逆なのが見事に分かる
また投入線区の都合か改造時の都合かキユニでは郵便室と荷物室が同一形式で続番なのに前後が入れ替わっている例が見られる
キユニ16(1,2と3)とキユニ18(1,2と3~6)が該当
(キユニ17は番台区分されていたはず) むかし、RMが
そのあたりの改造の合造気動車の各形式の詳しい特集記事があって
そこだけ抜いて保存してたことあった
実家探せば出てくるかも
直近で語ってるスレ民なら持ってる人いるよね? 今年RM Re.Libraryとして旧RMライブラリー2冊を合本化して再版されたよ 多量に造る訳に行かないので小ロットで多様な使途に対応できるように細かな仕様の変化が合造車研究の楽しみ 今年は16番でキハユ15のスーパーディテールを作るぞ! 10系というとエンジン縦置きバス窓の印象
湘南顔のキハユニとかあった
20系というと23のパノラミックウインドウの登場が劇的だった 23はキハ20系ではなくキハ45系
シートの幅も間隔もキハ20系より狭い >>485
用途 1エンジン 2エンジン
一般型 キハ20 キハ52
近郊型 キハ23 キハ45
急行型 キハ28 キハ58 >488
キハ23の2エンジン車はキハ53
木次線に行ったときは旧国鉄色のキハ52を期待していたら首都圏色キハ53で当時は正直はずれだと思った 今見ると標準色のキハ45って良いなと思うよ。
キハ47よりずっと良い。 >>485
キハユニが最高峰
湘南顔とバス窓サイコーですやん