キハ10系とキハ20系を語る2
非電化時代の八高線と横浜線乗り入れで八王子に遊びに来た相模線で車両の融通や臨時直通って皆無なの? >>34
鉄道総研内で見た。キハ22 299
キハ20やキハ30等もあった。 >>33 登場間もないころデモだか展示発表だかで10(多分こちら)か20?は、東京駅に来たでしょ。
高度経済成長の初期 国鉄が債務や労使問題で泥沼化する前 地方ローカル線近代化に夢を抱いていた時代の出来事。 >>36
走行ルートは知らないけど、青梅線内発着で相模線経由の海水浴臨はあったんでね?
YouTubeで動画があった加藤 八高線と相模線の間で移動した車といえば、相模線電化で転属or借入車が14両あったけど、それ以前にも八高線→相模線だと35-519や904があったし キハ10は南部縦貫にも保存されていますが、あれは今でも動きますか?
この路線、レールバスしか走っているのを見たことがないのですが、キハ10はどのくらいの頻度で走っていたのでしょうか? >>46
運行最終日に行ったらレールバスの続行で動いてたけど。
南縦は1閉塞だったから、よほどの多客が見込めるイベントの時位しか動かなかったんじゃない? >>46
キハ104は近年トルクコンバーターの調子が悪く、すぐにエンストしてしまうそうです。
だから最近は走行していません。
レールバスでは運びきれない乗客に対応するため、昭和55年に八戸機関区から
元国鉄キハ10 45号を譲り受けました。 元常総筑波鉄道のキハ103と入れ替わり
キハ104として運行当初は朝の通勤・通学輸送を中心に活躍しました。
しかし、年々乗客は減り、大型車体であるため燃費が嵩み稼働率が減っていきました。
その後、園児の遠足やお買いもの無料列車など年に数回程度しか走らなくなってしまいました。
縦貫廃止間際になるとレールバスでは運びきれない乗客の為、キハ104がレールバスの続行便として
大活躍しました。 キハ10系は南縦廃線後のGWイベントでアイドリングしていたのと、鉄博と金城ふ頭の
収蔵品でしか縁がない。20系なら水島、茨交・ひたちなか、島原で辛うじて乗れた。
52なら花輪と米坂に大糸での末期に一回ずつ乗ってた。大糸は125号だからいすみへ
逝って再度乗りたいところではあるが。今度タラコに変わるそうだし。
>>48
南縦休止直前はレールバスに乗れるのが40名までにされてましたな。その掲示が
野辺地駅の窓口に手書きで貼ってあったけど、なぜだか緑の国鉄マーク入り用紙
だったと記憶があるんでして…。一枚撮っておくべきだったな。 >< >>49
用紙は国鉄(JR)からの頂き物でしょうね。
いすみのキハ52125がタラコへ塗り替えられるけど
今度は糸魚川駅に展示するキハ52156がタラコから一般色へ変更する予定とか。 いすみ車は、あえて小湊色にしてみたら?
キハ52と京成仕様ライトの小湊車で印象の変わり具合がよく判りそう。 >>51
小湊色も味わいがあり良いですね。
いすみ鉄道にキハ200型の初期製造車を譲って欲しいです。
この車両は五井駅から国鉄千葉駅へ乗り入れた経歴があり
房総西線(内房線)の気動車(キハ10系やキハ30系等)と併結運転しました。 真岡や天竜二俣に保存されているキハ20が復活したら面白いのに。 同一人物じゃあないんだろうけど
サビてボディの脇腹に穴が明いてるようなヤツを走らせろといったり
その一方でこの前まで走ってたものをいきなり静態でとか
節操が無いな
水島のは津山気動車館に行くんじゃねーの 相模線は首都圏色(朱色5号単一)発祥の地。
1975年のキハ10 61が最初(大宮工場)。
当時の相模線専用車はキハ10が主力。
ほかにわずかのキハ16・17・20・30・35・36(八王子機関区)があった。
原当麻〜橋本に単行運転仕業もあり、それ以外は2〜3両編成が主体で、両運転台が好まれた。
10台形式は、白熱灯照明扇風機なしのものも多かったが、上記のキハ10 61は蛍光灯・扇風機装備だった。
一方、昭和52年に七尾から転入したキハ20 281は白熱灯照明扇風機なしだった。
その後、昭和55年までにいったん30台形式への統一がはかられた。
昭和57年になんとバス窓のキハ20 56が転入。
蛍光灯・扇風機装備でテールランプも外ハメ式に換装、前灯も当然ながらシールドビーム2灯化されていたが、DT19C台車はそのままで、半年ほどあとに美濃太田からキハ30が転入してくるまで使われた。
昭和40年代に、夏季に茅ヶ崎〜八王子間に海水浴臨時として主要駅のみ停車の「しらほ」(市販時刻表にも掲載)が運転されたことがあるが、車両は通常どおり八王子機関区の相模線専用車。
相模線専用車は通常は茅ヶ崎に常駐して、1エンジン車のみであり、八王子以西中央線はもちろん不適。
また、方転でしかも中央線をまたがねばならない八高線への直通などは、初めから眼中になかったようだ。
余談ながら、ステンレス車体キハ35の最後の生き残りキハ35 904は、相模線にてJRに継承され、最後はクリーム色に青帯の相模線色にもなった。 首都圏色は退色すると薄紫色になったね。
四国のDCに多くいた。 >>51-52
いすみとひたちなかと並んで首都圏でDML17エンジンのに乗れる唯一の路線だからね。
東京に近い千葉で乗れる自体ある意味貴重。
小湊と言えば五井の車庫にあるキハ5000形も走行不可だがDML17Cはまだ始動できるらしい。 >>59
関東地方はDMH17王国ですね。
小湊さんのキハ5800はエンジン始動できるのですか。
電車の車体にエンジン音聞いてみたいものです。
鹿島さんや那珂川さんのキハ601やTD-2機関車は10系気動車と同じ
DMH17Bエンジンらしいですね。 ひたちなか海浜鉄道のキハ22もどきのディーゼルカーは全て国鉄籍だったことはなかったのに国鉄の線路を走ったことがあるのですね >>61
国鉄との接続駅から主要駅に乗り入れる(国鉄車と併結する関係もある)ため国鉄と同一規格の車両を作りました。
また同一規格ですから保守・点検などコスト削減につながりますね。 羽幌出身のキハ22は運転席窓の旋回窓以外は国鉄車とほぼ同形だったが、留萌出身のキハ2000は二重窓ではなく厠もない準同形車。 >>62 屁理屈
羽幌にはその前に国鉄レールバスキハ03とは別物の富士重レールバスが居た。
留萌には ヘソライト キハ1001,1002 湘南顔キハ1103 が居たそしてこれ等もオマケ(値引き、抱き合わせ)?なのか茨交に来た。 >>60
キハ5800はエンジンを下しちゃって、床下にはラジエータ周りだけが残ってる状態だぞ
キハ200に引っ張ってもらわないと五井車庫の中で動けない >>63 >>64
羽幌炭鉱鉄道のキハ22 1は最初は旋回窓ではなくワイパーだった。
塗装以外 国鉄のキハ22と瓜二つ。このキハ22 1と国鉄キハ03レールバスの凹凸編成がたまらないな。 キハ10系の頃は軸バネを柔らかくして乗り心地を良くしようとしたの多かったな
DT19は枕バネがゴムであったために実際は乗り心地が劣悪だった
京阪では軸バネが空気ばねなんてのもあったし
その後の研究で枕バネを柔らかくすれば乗り心地が良くなることが判明した 元羽幌のキハ22の同型車は埼玉の歯医者にあるんでしたっけ? >>67
国鉄でもキハ10 42のDT19の軸バネを空気バネに改造したものがありましたね。
DT19てブレーキを掛けた時、軸バネがハメ殺し状態になり、車体を支えているのは
枕バネの防振ゴムのみで線路のジョイントを通過するたんびに激しい上下振動が
酷かったのを覚えています。
>>68
電車や機関車のお面と一緒に置いてありますね。 正面スタイルこそ違うが、大分交通のキハ601,602・603,604
(・・・製造時期メーカースタイルで2グループに分かれる)もキハ17系の亜流
また同様に常総筑波鉄道初のトルコン気動車(但し労務問題で当初総括不可)のキハ42802?(後に片運転台2両固定のキハ703?704 どちらかは、顔のみキハ07に取り付け)
も形は大幅に変わり果てたが、大分交通のキハ601,602とメーカーが同じで原型は共通点が多かった・・で、当然コレも元はキハ17系の亜流。 南部縦貫の元キハ10をゴールデンウィークのイベントで見てみたいが、駅から会場が遠いんだよね >>73
七戸の車庫公開は3日だけでしたっけ?
4、5日は車庫の中は見れないのでしょうか? >>76
全国に3両しか残っていないキハ10。
南部縦貫は唯一走る姿が見れる貴重な存在。 >>77
七戸・大宮・佐原・名古屋・加悦?
動くのは七戸と大宮? >>78
名古屋と大宮はキハ11だってことなんじゃないだろうか 最近実地に見にいった人の話を聞かないが本当に残ってるのかな >>80 >>82
先月に成田線から見たので今も残っているよ!!
キハ10 11は博物館で欲しがっているようだけど、持主はなかなか手放さないだろうな。
キハ48110 帝国車輛 新潟へ新製配置 末期は木更津で久留里線で活躍してから
鹿島臨海鉄道へ払い下げられてキハ1001として活躍した。 キハ10(17?) 系と言う括りで博物館に2両もあれば十分でしょう。
片方は屋根の下だし。
キハ20「系」で屋内で保存されているものはあったかな…
歴史的に果たした役割は非電化線区での旅客車としての居住性向上か。
それより後のになると編成物が多くて何を残すかが問題になるな。
キハ81や181は保存されてる。
キハ58や65も四国が何とかしてくれそうだ。 >>84
キハ20系は津山のキハ52 115と糸魚川駅で保存予定のキハ52 156が屋内に近い状態で保存されてるね。
カットボディーだとキハ20 70が喫茶店の中にある。
スレ違いだけど、四国のキハ28 2002は部品どりされておりヤバイかもな。 ひたちなかのは元国鉄車を除いて元キハ20と呼んで良いのかな? キハ22もどきとか?
そういえば北海道も含めてキハ22とその亜流で上屋の中に保存されているもの
は皆無?
あと20年も経てば跡形もなくなるな… >>89
なるほど。
もどきながらも一応国鉄線走行実績はあるようですね。
北海道にキハ22は何両くらい現存しているのでしょうか?
小樽や三笠のは残りそうな気がします。 海の上に浮かんでる22の生首、最近見ないんだよなぁ… >>90
北海道
キハ22は 52 56 69 120 142 168 202 208 221 224 237 238 239 245 250 251 16両
キハユニ25 1 1両
※過去のデータですので現存しない車輛含みます。
個人的には初期型のキハ22 52 56が好きです。69のツートンカラーも良いですね。
>>93
詳しくありがとうございます。
ぜひ北海道に行ったときに見に行ってみます。 >>93
そのすべてが屋外に放置?
幸福駅のヤツなんかは最近塗り替えたから20年はいける
としても30年後には土と帰すか… キハ35王国の関西線亀山ー名古屋が非電化の時代、名古屋一区の
キハ25のバス窓64〜67の4両が
毎日夕方から奈良まで普通で
来て、折返し加茂行となり加茂
で滞泊、翌朝また奈良から名古屋へ帰る運用があり、これに乗るのが楽しみでした。1974年秋には
このうちキハ2567が車両不足から
キハ55と組んで急行かすがに使用される珍事もありました。 10系やキハ21に付いてた排気管出口の半ガラベン、あれは一般的な半ガラと同じ大きさだったのか思い出せん
微妙に小さい気もしたが気のせいかな >>100
唯一走ることができるキハ10ですので楽しみですね。 キハユニ15、16は床下排気なんだな。
地元には無かったから知らなかったぜ。
同じ床下排気のキテツは結局乗れず終いだったが、
窓を開けてたら客室へ容赦なく排ガスが侵入したんじゃないかと気になる。 今日、南部縦貫のイベントへ行かれた方、キハ10は動いていましたか? 水島に行ってきた
市街地高架区間とキハ20とのアンバランスさがいい >>102
キハユニ15は屋根上排気だよ
ただキハユニ25/26と同じように片側1カ所のみだけど
ttp://drfc-ob.com/wp/wp-content/uploads/2009/07/e382ade3838fe383a6e3838befbc91efbc95efbc93.jpg
ttp://tekkenweb.sakura.ne.jp/70railways/70dc/images/rem1021.jpg
ttp://mazenannpuu.blogzine.jp/photos/uncategorized/2008/11/30/s19681136.jpg >>103
キハ104は不調のようで走らなかったです。次回に期待しましょう。 水戸線で真岡線から直通してきたタラコ色のキハ25に乗ったことがある。
ドアはプレスドアで閉まる時だけ自動。内装の色は緑系統だった。
窓框は211系のボックス席の物みたいに客室側に少し張り出して
いるやつだったな。 イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6609090.html ときめき恋(静止画)
https://www.youtube.com/watch?v=bdt2gddJ2gk
3:00あたり。
122・123は明知線?から長野管内へ来てから、イベント塗色でいることが多かったね。
晩年の122は国鉄一般色に塗られて米坂線で活躍してましたね。 キハ17系は、旧型客車よりもガタガタした乗り心地だったのを覚えている。
でもあの車内灯、バス窓などなど味のある車両だったね。 キハユニ15やキハユニ16の湘南型は、数が少なくて貴重
紀勢線と奈良でキハユニ16を見ただけでついに乗車の機会は無し
加古川線ではキハユニ15が3と6と9になんとか間に合いました
背もたれが特に低く感じました(錯覚か?)
乗り心地はよくなく、ふらふらした走り?
それに9は確か赤坊主の首都圏塗装、3はバス窓ですらない
1980頃の記憶です
郵便荷物の輸送も普通に行われていました 客車窓はレアだね
湘南顏もいいけど、亀山にいた切妻貫通キユニ19もレアだよ。乗れないが。 >>116
関西線なら、キハユ15 4はいかがでしょう?
非貫通ですが
見たかったですね、残念ながら無理でしたが、乗った方等います? 和歌山ー亀山ー奈良と転属してますが、亀山時代ならわかります。
夕方の湊町行き、最後尾に繋がっていました。
座席はキハ17と同じですよ。
一等室が残っていれば面白かったんですが。 >>118
ロ室が格下げで残っていたら、ぜひ見たかったです
写真で見る限り、26400よりもはるかに一等らしくない感じに思えますね
>>119
多少のローカル線でも、まだ鉄道に頼られていると素直に実感しました
特に通勤客や郵便荷物がごく普通にあって、朝夕はそれなりに活気ありと思いました
だからいい時代と感じていたのではないかと思います
キハユニ以外では、飯田線や身延線のクモハユニ・クハユニ
五能線や鹿児島近辺でのオハユニ(スハユニ)など、合造車が本来の目的で使用されていましたから
加古川線のキハユニ16も、二回目に行ったときからほどなくして廃車
湘南顔の二両(6と9)が交換駅で並んだシーンがいまだに忘れられません >>121
車体はキハ55系だけど、心臓部であるエンジンは従来の車と異なるため単独グループ >>122
キハ60。のちにエンジンは並のDMH17Hに換装されている。晩年は木更津に配置され、久留里・木原線などで使用された。 キハ10系は、昔ボロボロのイメージが強く、乗るのを避けてた記憶があります。
できるだけ急行型の55,58系を選んでた。
でも今になると、なつかしいんですよね。
キハ20系は国鉄時代からなじみでしたが、その終焉は、僕にとって
島原鉄道でした。
加津佐発の最終列車に乗ったのはいい思い出です。 東北に残ったキハ52-100は、平成初期に更新されて十分にきれいだった。
首都圏103系の土崎更新車がいい出来だったが、それらの工法を踏襲したんだな。 キハ20の湘南顔バージョンとか見てみたかった。
キハ10/17量産の段階で気動車の湘南顔はいらね、となったのだろうか。 >>128
電気式試作気動車キハ44000系と液体式試作気動車キハ44500は湘南顔
>>127
地方線区を受け持つ気動車は、電車のような固定編成より1両単位で増解結するほうが便利だと悟った
中間車もキハ18で打ち止めになったし >>124
DMF31HSな。DD13の猿人をベースに横型にした。 結局残った湘南先頭車て
ほとんど郵便荷物車になったんかな
気動車は特急形もほとんど貫通車だしね
80系、183も非貫通で始まったが最後は貫通車 んだ。
3ドアのキハ44000、44500は キハユニ15、2ドアの44100は キハユニ15 になった。運用的、どっちも編成端につなぐ。
さらに事故ったキハユニ15に、使いやすく貫通型に改造されたもあるだ。 すまぬ、44100の改造後は キハユニ16なり。打ち間違い。 単行(両運)、分割・併合用途の多い一般型気動車に非貫通は使い勝手悪すぎでしょ。
湘南顔を、編成の先端もしくは最後尾に位置するユやニに改造して活用した
のは賢明な使い方ですよね。 >>132
貫通型改造は事故が原因ではなかったんじゃない?
編成単位の大きい岡山周辺などではキハユニを編成の中間に入れることも多く、
やはり貫通型の方が使いやすかったんじゃないかな。
キハユニ26も貫通型として新製されたわけだし。 水島の20国鉄色2両は車庫にまだ健在ですね。
大通りからもバッチリ見えます。
いい感じに色褪せていて最高。 >>136
>>137
これからどうするのでしょうか?
解体? >>138
1両保存予定
>>139
津山に同系のキハ52があるから多分いらんでしょうが、加悦のキハ10何とか
元に戻して欲しい。座席とか処分してしまったんでしょうか? キハ17タイプのシートは、後ろに元気がいい高校生集団が乗っていると振動がすごい。 今日はかつてキハ17が走っていた長野原線(現・吾妻線)の115系に乗って、川原湯温泉駅を訪ねました。
間もなく八ッ場ダム建設にともない、当時の面影を残す、唯一の木造駅舎や鉄橋が水没の為、姿を消します。
明後日は湊線のキハ2004+キハ222へ乗車する予定です。 俺が幼少の頃、親父の田舎に行けばキハ10系(珍車キハ18含む)や20系、23系、55系、40系、58系など様々な気動車が走っていて、本当に夢みたいだった。
高速道路が無かった頃は7両とか8両編成なんてのも珍しくなかった。
残念なのは殆ど写真に撮ってないこと。
当時、自分用のカメラなんて持ってなかったからだが、本当に勿体ないことをしてしまった(>_<) 真岡駅のキハ20、本線走行出来ないのかな・・・。
2両あるんだから何とか1両分仕上げられないかな。
標準色に戻して、C12と交換する姿が見たいなぁ。。。 >>144
海浜鉄道はキハ40導入予定なので代わりに廃車が予想されるキハ205を譲り受けた方が
真岡のキハ20より安く復活させることが可能かも知れません。
会社が興味を示してくれないと現実的に無理ですけどね。 確かにキハ205なら冷房もついてるし、名案ですね。 水島の20ももう本線走行は無理?
20+30の国鉄色コンビで、ぜひ昭和50年代の国鉄ローカル線を再現させてほしいですね。 キハ10系の横須賀色が拝める貴重な映像。
ttps://www.youtube.com/watch?v=o_jj4OY9aT8&feature=related >>148
ありがとう。
20と30を分けたのは、両方の列車に乗って下さいということだろうか。 キハ52盛岡色(未更新・前面強化無し)でドアがプレスドアの車両は実在しましたでしょうか? 電車線沿線育ちのおかげで、キハ20に初めて乗れた時は嬉しかったなあ。
これが図鑑で見た気動車というものかと!
走って近寄って、ステップを生まれて初めて見てまごついた。
ドアの向こうに階段があるとは。
ただ、タラコ色であった事を残念と思うクソガキではあった。 台風の前日、水島の20に乗ってきた。
定期列車のスジなので鉄よりも一般の人のほうが多かったな。 >>0151
盛セキ配置
キハ52 108・109・110が該当車かと 島原のキハ20がつぶされたのが残念だが、あそこは下手すると会社自体が潰れかねんから仕方がないな ひたちなかのはまだ大丈夫そう?
1両引退するらしいね >>152
俺の小学生時代と全く同じですハイ。
俺も高砂線で乗ったキハ10がタラコ一色塗りだったのが気に入らなくて
標準色の車が来るまで粘ると駄々をこねて親を困らせていたらしいです。 九州のバス窓のキハ20のある喫茶店はまだやってる? >>144
修理をしなければ動かせないよ。
車籍を入れなければ本線走行は無理だ。
車籍がない車両を運ぶ場合は、ディーゼル機関車にけん引してもらう甲種輸送だと。 国鉄篠山線は廃止されるまでキハ17しか走っていなかったようだ 40年前、坂町から米沢まで米坂線のDC普通でキハ17に乗ったが、隣のキハ20に比べると車体が小さく車内灯が薄暗くて、貧弱な感じがしたことを覚えている。 その頃花輪線は51,52,55,58といったところが居たけど51は意識して避けた。
夏は扇風機がなかったのが致命的で扇風機を求めて急行色を選んで乗ってた。
一度発車ぎりぎりに急行色を見つけて飛び乗ったら51だったときは参った。 筑波鉄道に移籍したキハ10は10年も活躍できず残念だった 高千穂線などでは夏場、先頭車のキハ20やキハ52が前面の貫通扉を開けたまま
走行したいることがあったが、非冷房のキハ20系は夏場は貫通ドアを開けて
正面から車内に風を入れなければならないほど運転室も客席も暑苦しかったのだろうか 小学生の頃福山駅の福塩線ホームでキハ20−1 の福塩線経由広島行を
たまたま見たんだが写真に撮らなかったのが残念。
トップナンバーは広島にいた時期があったんだな 米子運転所構内で一般色のキハ52がキロ180を牽引推進して転線させる光景を
米子駅のホームから見た キハ16、キハ17は更新工事を受けて6両が現役だね。
もっとも1両の台車以外何も面影は無いが。 >>168
乗務員室と客室が腰の高さくらいの垣根の様な仕切だけで仕切られたタイプだからこそ出来たサービスだよね。
昔の旅鉄で唐津線か筑肥線の10系気動車が真夏に貫通扉を開けて駅に停まってる写真が載ってたのを思い出した。
満員で暑くて皆さん機嫌悪そうな顔してたぞw 鹿児島交通のキハ10ならぬキハ16の両運転台版本家に先行したキハ300は、
当初総括できなかったり、三菱製バスエンジン、華奢な自連とか
総括制御運転可能にする為 改造で、かなり面倒なハードルをクリアしたみたいだけど・・・
全て自社施工? 10系や20系気動車って扇風機無かったの?
子供の頃関西線で乗った時、窓間のボタンで扇風機を操作した覚えがある。
10系、20系のどちらだったかは失念したけど30系や58系でないことは確か。 10台はキロハ18のごとく取り付けるために屋根を凹ませた位だからほぼ付いてないんじゃないか
20台はバス窓初期車と登場時白熱灯車両が個体依存
蛍光灯付きの最終増備車は最初から付いてるだろうけど キハ20 500番台、キハ25 300番台は最初から蛍光灯(40W直管なのでそれ以前の車両が改造で装備した20W直管とは異なる)と扇風機装備。
キハ22 200番台は北海道など極寒地仕様のため蛍光灯のみ。
そのほかは、キハユニ26を含めて白熱灯で扇風機なしが標準。
のちに、蛍光灯化と扇風機設置が施されたものもある。
蛍光灯化のみで扇風機のないものや、扇風機は配線と取り付け座のみだったものも存在。
また、扇風機はあるが白熱灯照明のものもあった(キハ20 423等) ちなみに、改造により蛍光灯なり扇風機装備になったものは、10台形式にも多数存在。
蛍光灯に関しては、20W直管のみならず、20Wサークライン採用のものもあった。
たとえば、1975年から初の首都圏色(朱色5号。1978年10月以降の国鉄一般DC標準色)を採用したキハ10 61は、20W直管蛍光灯と扇風機を装備していた。
当時、八王子機関区(相模線用)にあった10台形式(キハ10・16・17)のうち、約半数位が扇風機と蛍光灯で、それ以外は白熱灯で扇風機なしだった。 10台の低い天井に無理やり扇風機付けてたのか、それは知らなかったよ ベンチレーターの整風グリル?を取っ払って、そこに扇風機埋め込んだのね、なるほど
しかしベンチレーターの機能は殺してるのかな? 昔の雑誌にいくらでもあるぞ
迷列車の動画とかに使われそうだから上げない と言うより、そんなのはググれば沢山出てくる。
クレクレにくれてやる餌は無し 20の客用扉はなかなか洒落てますな。
のっぺらぼうじゃなく、プレスしているのがいい。 キハ20系といえば窓側の席の枕
寝る時ちょうどよかった
国鉄にしてはいいサービス 日田彦山線など九州地区の編成でよく見られた、車体幅の異なるキハ58+キハ17+キハ55というような
デコボコの編成は車両のつなぎ方が面白いようにも見えた キハ110系の加速に慣れたヒトが乗ると、遅く感じないか? キハ20の急行なんてなかったっけ??
閑散路線でキハ58を集められず、
仕方なしに一般車両をそのまま急行に仕立てたような・・ 広島県で走ってた
キハ52なら福島県
キハ22なら、星の数ほどでてくるよ 北海道だと22→40でシートピッチが狭くなった
鬼の急行ちとせが宗谷・天北に化けた事は歓迎されただろう >>204
83年当時の記憶だと
広島← 58+ロ28+28+58(広ヒロ)+20+23+20+23(広ミヨ)
のような編成が多かった気がする 81/2/15
掛川
キハ25 210↑二俣
キハ20 245
キハ20 263
キハ20 242↑二俣
キハ20 95 新潟に居たキハ17の床って木製だった?
運転室だけ鋼板で足が冷たくなったとか元ウテシから聞いたけど。
あと暖房は軽油を燃焼させていたとか。 なにげに20系ってシートピッチは広いし簡易テーブルはあるし地域の実態にあった車だったな
特に52と53の差は歴然としていたな
田舎の悪ガキどもは53のWC・水タンク側のロングシートをキハネとして使っていたがw
案通り大糸線の52を53で置き換えていたらあれほど人気はでなかっただろうし現場も不信感抱いていただろう 基本的な疑問ですみませんが、
キハ10系に国鉄線上で乗れたのは
いつまでだったのですか?
また、その線区は全国一斉でしたか?
それとも特定の方面だけに残存してたのでしょうか?
首都圏色時代のキハ20など
キハ20系には間に合いましたが 大量廃車は北総電化の時じゃなかったかな、千葉で廃車したのも多かったけど、キハ35の転出で置き換えられたのもおおかったような、タラコ色になってまで残ってたのは相模線などを覚えているな、 キハユニ15も1980年頃まで、タラコ色に塗られて加古川線を走ってた 10系の最後に残ったのはキニ55だったからな
1980年代初め頃は20系にも廃車が及んでいたけど、10系も各地に少数は居たのでは
茨城交通にタラコのまま移籍したのも1980年に真岡線で廃車されたやつだし
八高線にもタラコ10系いた >>209-210
10台形式気動車は、昭和31/1956年製のキハ12(48200)のみ床が木張りであり、それ以外に木張りはありません。
電気式キハ44000・44100・44200からすでに、基礎となる床板は木製ながら、表面は80系電車と同じリノリウム張りでした。
翌年の液体式キハ44500では床板は綱板製に改良(表面はリノリウム張り)されました。
さらにキハ45000(キハ17)からは、適宜床材が改良を目指して変更されていますが、木張りはキハ12だけです。 >>212-215
長崎、小牛田、真岡、秋田などのキハ10・11・17が1980年に入ってからもしばらくの期間、動いていたことは確かです。
郡山・富山・盛岡などのキハ51の55-10(1980年10月1日)ダイヤ改正以降、置き換えに要する暫定期間までの使用が、恐らく旅客使用の最後ではなかろうかと推察しています。
タラコ色(朱色5号一色塗り)は昭和50/1975年に八王子機関区(相模線用)のキハ10 61に採用されたのが発祥であり、塗装行程の簡略化を狙い、以降首都圏(大宮工場全検担当)で次第にこれに塗り替えが進みました。
翌年の新系列キハ47では新製時からこの塗装となり、1978年10月の53-10ダイヤ改正に合わせて車両塗装基準規定が変更されて一般型気動車が全国的に朱色一色塗りに変わることになりました。
八高線は1975年に10台形式の置き換えが完了したので、朱色一色のものは、回送などを除いて走っていないはずです。
しかし、相模線末期(1980年初頭頃に全車引退)には、八王子のキハ10のほとんどが、他地区に先駆けてすでに朱色一色になっていました。
朱色一色の10台形式は、筆者も二俣線(遠江二俣)や加古川線(加古川)、高山・樽見線(美濃太田)などで見ています。
特に加古川には全面二枚窓のキハユニ15(旧キハ44000)に朱色一色塗りが及んでいました。 >>212 探してみたら、こんな情報もあった
【キハ17】キハ10系を語るスレ【キハユニ18】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/rail/1158935476/222
222 :名無し野電車区 :2006/12/02(土) 00:40:07 ID:gFfAT3Bh
当時のRF誌毎年恒例(10月号か11月号)の車両の動き、で、小牛田のキハ17の
2両を最後に廃車、形式消滅、とか書かれていたのを覚えてます。<旅客 212です
皆さん詳しくありがとう
よくわかりました。 >>216
キハ22は床が木張りなので、床が50mm高いのは有名な話だけど、キハ12など
他の床木張りの北海道型はどうも床が高くなっていないようだ。
エンジンや燃料タンクを床下に持つ気動車として、防火上問題ないのだろうか >>222
確かに、キハ17は1981-6-19付けで小牛田の280・378を最後に形式消滅しています。
ただしキハ51だけは、運用にはすでに就いていなかったものの、同時廃車1両のほか、その時点でまだ車籍あるものが3両ほど残っていました。
もっとも、最終除籍はトップナンバーの1981-8-13なので、時期に大差はありません。
(鉄道ピクトリアル1997-5に車歴表があります) >>222のアンカー訂正
>>218が正当。
218の引用記事にあった方の番号をアンカーにしたら、自分にアンカー振ってしまいました(汗)すみません。 とある公園に保存されてるキハ22を近代化改修しつつレストアするとしたらどれくらいお金かかるのかな?
エンジンを高性能な物に変えて運転台機器を現代的なものにしたりとかで >>224
新車と遜色ない金がかかると予想。
機器はほぼ全て死んでいるだろうし、外板も腐食して張り替えが必要。
付いているものを外すのも大変。
下北みたいに廃車後も車庫内でしっかり管理されていれば別だろうけど。 動かさなかったら動かさなかったで劣化するんだな
キカイって気難しいわ >>224
三笠?小樽?
あと、幸福にもありましたっけ? 国鉄キハ20 vs 山陽特急3000系。
面白いレースを見させてもらいました。大昔に >>228
赤字ローカル線廃止時にいくつか保存されたような…その後どうなったかは知らんが >>231
砂線。
加古川橋梁まで山陽特急がリート。
鉄橋上で逆転。キハ20がリード。
キハは砂北口停車の為に減速。
山陽特急がキハを抜いて行く。
ですかね。
その時のキハの運転手さんが、山陽に勝ってやる、と言ってくれてた。 鉄博のキハ11を眺めたら、せっかくレストアしたはずなのに荒れてしまってるね。
燃料ラインからもわずかに漏れてるみたいだし。
あんな寂しい場所に置き去られて可哀想だわ。 水島臨海のキハ350がソロソロ引退するらしいと聞いて訪れた時、車庫見学したよタラコ色のキハ20 がズラリと並んでて壮観だった。因みにキハ350 の乗り心地は最悪の部類だった。 水島に居たキハ20って国鉄払い下げで経年車なのに、何故に更に再譲渡されるケースが多かったの?
島原あたりが買ったのも以外?
機関更新以外に、車体の更新、老化予防保全とかも、他社が国鉄から購入して使い潰したソレと違い格段に行ってきたの? >>237
あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
島原が当時新製増備していたNDCタイプに加えて、わざわざ経年車である
キハ20も買ったのは、既存車と形式が同じで部品の融通が効くからなのと、
経年車で置き換えないとままならないほど既存車(特に路線分断時加津佐で留置していた車両)
がくたびれていたからだよ 茨交のは冷房付なのが買われたんだろ。その時分は車両検査してる親父がNDC認めないタイプだったらしいし。
ってか水島から再譲渡されたキハ20って茨交と島原の他にあったっけ? >>240
ない
たった2例で多いと表現する>>237が単に無知なだけ キハ40は過大な車重と低速域では非効率な変速機設定もあるためか、
起動時の出だしは非常に悪く、エンジンが唸っていてもゆっくりとでしか動き出さない感じだったな。
カミンズ DMF14HZ、N-DW14に換装したキハ40の場合は違うかな。
自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至っていないことから、
キハ28程度の加速性能にとどまる感じだと思う。 >>244
昔RJで曽根悟御大が批判していたな
重装備で乗務員面積が過大とか、走行性能もキハ20に劣るみたいなこと言っていた
反面ベタ褒めだったのはキハ37
しかし実態はキハ40系は大量生産、キハ37と後継のキハ38はマイナー系列で終わった あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
反応は単に1レス無駄遣いだから不要。 悪い意味での標準化の産物だね
ローカライズできない大艦巨砲主義時代の国鉄の遺産 茨城交通や一時期鹿島臨海鉄道にいたキハ10は窓サッシがアルミだが、国鉄にいたキハ10系列の中にもアルミサッシの車っていたのかな?
知ってる人いるかい? >>247
その割に、窓だの雨樋だの、図面の数は増える一方で…。 >>232
何度か乗りに行ったことがあるが、そんな光景には遭遇できなかった
羨ましい キハ20系と同じスジで走れた性能なら狙った通り位なんだろう
一般型ディーゼルなのに裾絞りのデザインがモダンでしょぼい旅行感が足りない、と都会者は思った パワー不足はエンジン換装でリカバー。
重いと言われた車体だけど、まだまだ残りそうな耐久性。
サビたとか、腐ったとか、あまり聞かない。
改造種車にも最適な強度みたいだし。 >>232
リアル版「電車でD」だな。
『気動車だからって舐めてたら痛い目みるぜ』なんて呟いてたのかな。 きかんしゃトーマスで言えば、トーマスとエドワードの重連運転で10両編成の客車を牽引している列車と
チャギントンで並走しているみたいな例えだね。 >>252
JR北車の凄まじい老朽化度合いを見れば、
「頑丈さにも限界はある」 >>258
仲間
まあまあマターリしててよかったね。
俺含め「ボッチヲタ集結」独特の空気感はあったがw 水島のキハ205ついに引退発表きたな
休車かけてどうにか残してたみたいだけどさすがに限界か
てかこのニュース見て久々に調べてたら、茨交のキハ205退色酷すぎw 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 10月に初めて乗りに行ったけど、
結果的に最後ではなかったとはいえ
さいご自工前から入区するとき
余韻もなにも全くなかったから、
ラストランの際はもうちょっと考えてほしい…
しばらく停車させるだけでもJRみたいにリレーいじらないと駄目なのか? 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 しんどい社線が最大限残してくれた結果が現在なわけだが。
なかなかないぞ?こんなヲタに優しい社線は
これ以上高望みはかえって失礼。 >>265
自工前に列車が長々停まってるの見たことないなあ。
ま、貴重な車両が平然淡々と走る路線だから、俺はそれも水島らしさのうちだと思ってる。
ここに派手なさよならイベントは似合わないよ。
>>266
ほんとは3年前に全廃、それでも大往生って感じだったんだぞ。
休車かけてよくぞここまで維持してくれたと感謝しなきゃ。 派手にしろとは言ってないじゃん
もうしばらく停車させるだけでいい
着いてハイサイナラ過ぎるって話よ >>168
高千穂線(南延岡機関区持ち)にキハ52はいなかったはず。
キハ11全廃後はキハ20のみ。 鳥塚社長、おたくが買わずに誰が買う!
房総民憧れの気動車準急の雄!
騙し無し、モノホンのキハ20でっせ!
部品は将来隣から大量に補充できるだろうし。 >>271
千葉といえばやっぱりキハ25がいないと… なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
キハ110系などのワンマン構造に通じるとこがある。 >>270
バス窓若番の41番なんてのが民営化後も生きてたよね。
九州色に塗られて、三セク転換まで残ったんだっけ。 >>275
えっ? 何言ってるの??
113系だって折り畳み式… >>275
> なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
あれはどう見てもオープンな構造の全室運転台だろ。 >>279
改造後の姿が原型と思っているでしょうね キハ52の102はアクリル板で塞いでいた
かつての秋田リレー号のキハ110系―3000番台みたいな感じ?
127や137は完全に運転室と客室が隔てられている 貫通路、助手席側が改札ラッチの高さぐらいで仕切られた車?
キハ55の初期車も、それ。 >>283
いや、俺は加古川線とかで原色時代にリアルで乗ってるし
275とかの奴とは別人だよ。
俺がきいた理由は、俺が見て助士側パイプ仕切だけの状態が
すでにそれが原形ではないように読めたから
比較したくて画像ないのって言った 島原に行った国鉄車の写真を調べれば出てくるかと
ネットにあるかは知らん >>284
へー、準急型がそんな構造だったの。
準急ときわの写真で助手席側に乗客らしき人が写っている。 >>24
岡田あーみん先生「お父さんは心配性」に出た親子のやりとり…りぼんの連載マンガ。
スレに関連した話は鳥取でキハ52がキハ58系に繋がれてるのを見たが回送で乗れなかった。
トイレ撤去、ワンマン改造の非冷房だったが2エンジンのお蔭でキハ58の予備に重宝されてたね。 今更だけど、水臨HPに「キハ205は 皆さまの心に永遠に」なるタイトルのコメントが載ってるな
ほのぼのというか、ほんとにいい感じの会社だわ 「第三セクターの意地、見せてやるっぺ!」
北三陸鉄道 大向 大吉 西日本のキハ52の無理矢理感は異常だった
DMH17Hに機関直結クーラー取り付けるとか乗務員室と客用ドアが離れてるのにワンマン化改造とかもう滅茶苦茶
車齢が若いキハ53はワンマン化が困難と判断され早々に駆逐されたはず 水島のキハ205、詳報はまだだけど鉄道の日イベントで動くらしいぞ
構内移動程度かもだけど粘るな
意外と調子いいのか会社の執念なのか >>300
憶測だが、あと10年は持ちそう。
それまでマニア相手に一稼ぎ。 交通博物館のハンカチだったか下敷きだったか10系20系のお面だけ印刷されたの見て違いがわからんかった >>301
鳥塚さん、買うならいまのうちでっせ。
キハ52、今市なんでしょ? 1949年から製造され、閑散ローカル線の機関車列車置き換え用だったこのDCは
ひょっとしたら10系の祖先かもしれない。
https://c1.staticflickr.com/1/553/18755327300_83e471bbdd_b.jpg
http://www.monon.monon.org/pix24/06-28Bedford_4-50-RDC.jpg
定員48(合造)-92,長さ23-26m,幅3.06m,重さ51.3t,エンジン300/550ps,最高速137km/h >>306 キハ10系って、このRDCを簡易化、劣化させたようなものだろ。 >>306
信じられない…。
余裕を持たせても、キハ181系に迫るスピードが出せるとは…。
余談にはなるが、ホグワーツ特急をキハ181系、大地の汽笛の陸蒸気をキハ20系に
置き換えた場合でシミュレーションしてみても、陸蒸気よりずいぶん有利となっていることがわかります。 キハ110系の運転室構造がキハ20系に通じるところがあるよな キハ10のあのふにゃふにゃの床をまた踏みたいもんだね。 鉄模ファンはキハ20+キハ20+キハ20よりキハ20+キハ20+キハ25と繋ぐのが好き キハ10は車体幅2.6mしかないのでただでさえ低いホームと隙間が大きく開いて問題になった?
その車体幅の狭さを利用して銚子電鉄に入ったことがある キハ10系列は何といってもオープンエアみたいな仕切りの無い運転台が良かったなぁ。
かぶり付きの解放感や運転士と同じ空気を吸ってる感が良かった。。。。 昭和48年? 東京から福岡筑豊まで家族で里帰り。
岡山までは新幹線、それからボンネット485しおじで多分下関まで小学一年生の
オレは飽きて疲れて怒りまくり。下関から門司で乗り換えたか直通だったか定かでないが折尾まで。この時、常磐線で言う赤電で、かなり不機嫌ながら少しは
気が紛れた、かと思いきや、次が10系気動車で、見た途端チンチクリンな粗末な
つくりと乗車後予想通りの狭さうるささ乗り心地悪さ、そして帰宅ラッシュで
怒り再発!!泣きまくり怒りまくり。宥めるオヤジ。すまんかった。
あれがキハ58ならそうでもなかったろう。キハ20ならまだマシだったろうが
ちゃんと幼児ながら10系気動車とわかってるあたりオレは生粋の鉄なんだなと思う キハ10系は現役時代には乗ったことないからうらやまし。 海水浴シーズンの房総地区でオールキハ17とか罰ゲーム急行あったな
車体幅が狭いとあって座席が小型でしかも枕ばねが防振ゴムで乗り心地最悪だったとかこんなんで急行料金徴収していいのか疑問だった
挙句の果てにはキハ35まで急行に駆り出す有様 相模線のキハ10、クロスに座ると真後ろに座る人が深く座るとこちらの背中が
押されるフニャフニャな背ずりだった。
全然快適じゃなかったよ。 キハ50は幾ら何でもゲテモノ
車体長が22mあってしかもナローボディであるため妙に細長く見える
推進軸を縮めて21.3mにしたキハ51が長いこと気動車標準だった上にブルトレ用客車でも21.3mが波及した
電車では381系や651系とか希少 一般色と首都圏色コンビの編成美はキハ17系に限る
同じ組み合わせのキハ20系は近代的過ぎて 1974年夏、米坂線でキハ20系と10系混合の普通に乗った。
10系は編成中間に組み込まれていたが、車体の幅が狭く、蛍光灯でないから20系に比べ夜は薄暗い。
1969年の八高線も、キハ20系と10系の混合、3両くらいの編成だったような。 キハ17、バス窓で喜んだ覚えが。車内の真ん中に排気管とか、あの変な薄緑の車内とか
あの頃だから普通なんだけど、ちょうどキハ40が入って来た頃に連結してたことあって、外観も
車内も40の方が衝撃的だったな あの頃はキハ10に限らずキハ20も111系も153系もシートの周りの床がたばこを
踏み消した三角形の焦げ跡だらけだった。。。 DMH17エンジンってよく整備されてたら音がよく聞こえるのか?
何かエンジンの音がよく聞こえる車両と聞こえない車両があるような気がする >>324 エンジン1個の車両でも、耳障りなほどよく聞こえるよ。 >>324
形式や座る位置でも違うんじゃね。やっぱりキハ58より20や10はうるさかった
デッキないし床が薄いし、排気管が客室を通ってるし。キハ126、おまえのことだ 1983-1
分ノカ キハ20
27 37 41 50 53 69 70 71 90 397 433 434 444
→DT19C…27 37 50 70 71 90 >>313
限界測定せずキハ20に車種変更してガリガリ… >>327
懐かしいな。高千穂線ではJR化後もバス窓が残る快挙だった。
三セク化決まってたから置き換えも考えずに バス窓は10のほうがいいな。
20より数が多いし。 キハ10系、クロスシートがいっぱいで小学生の頃は良い車両と思っていたが、いざ乗車したら座席の幅も間隔も狭くて、これは不評だったなと初めて分かった
加悦鉄道廃止の時で、俺は大学新入生で鉄研入りしたばかりだった キハ17系の首都圏色(タラコ)は哀愁が漂う末期的な雰囲気で似合わなかった
従ってキハ20系の同色以上に毛嫌いしていた鉄道ファンも多かったと思われる >>332
色褪せてくるとその哀愁というか退廃的というか、益々凄くなってたしね。。。 キハ17系のタラコはキハ55系のそれに通じるところがあるね、キハ55系のタラコもなかなかの哀愁車両だった
(スレチだけど)キハ26の400・600番台に乗って見たかったな特に400番台、資料で見ると車内のくたびれ加減と適当改造の座席配置が見事にマッチしている >>334
回転クロスは向かい合わせで固定されしまいクッションの
ウレタンは劣化して意図せざる低反発素材と化していた。 キハ10系は車体幅が2.6mしかなくホームとの隙間が問題になった?
乗り降りに難儀しそう
幅の狭さを活かして銚子電鉄に入線した事がある 南薩鉄道の300型は国鉄キハ17系が基本だが両運としての運行開始はキハ10より僅かに早かった
因みにキハ07ベースの100型(103号)は鹿児島県南さつま市加世田の鹿児島交通バス整備庫にて静態保存 >>337
10cmの差なんて特に問題にはならないと思うが 国鉄で車両限界が小さくて20mで幅2.8m車が入れなかったのは鶴見線の武蔵白石駅大川支線ホーム位か
あれはクモハ12が1996年まで残存してたが老朽化してたので泣く泣くホームを撤去して安善駅まで行って折り返し可能な特例が設けられた
小さすぎてキハ10系必須は国鉄線内では聞いたことが無い 門司港のキハ07も展示ホームから相当隙間があって隙間を木で埋めてある 夏の宵
ぶら下がった裸電球
駄菓子屋の柱の銀玉鉄砲のパッケージ
カーブから走り込んで来る宇品線のキハ04
遠い記憶 >>339
確かキハ17からキハ20に代わって、同じ気分で銚子電鉄に乗り入れたら
車体の裾を擦ったとかいう話を読んだ経験がある >>342
あそこのホームもともと車両に寄せて作ってないじゃん
クハ481とかにも追加してあるし どこかにキハ20保存されているところある?
車内も入られる車 >>347
5年前の話だけど旧大隅線鹿屋駅跡にある鉄道記念館にあったな…今はどうか知らんけど。 あの半室運転室構造というのか、
キハ110系みたいで直ぐにでもワンマン改造できそう。 1954年に日車がインド国鉄向けに製造したディーゼルカーはDMH17系水平型エンジンを搭載していたので
キハ50試作時に試験的にDMH17系水平型エンジン搭載も可能だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/DMH17系エンジン#cite_note-1
その気があればキハ55系、キハ20系にはDMH17系水平型エンジンの採用が可能だった
キハ51と同じ1955年東急製造の小田急キハ5000は車体長20.0mだし
https://ja.wikipedia.org/wiki/小田急キハ5000形気動車
同じく台湾鉄道向けに製造したDR2500はカミンズのNHRBS-600(12.2L 300HP)搭載していた
https://zh.wikipedia.org/wiki/台鐵DR2500型柴油車
外国製のエンジンの本格採用は外貨規制で不可能でも
仮にキハ11なりキハ51なりの一部に新エンジン開発の比較用にNHRBS-600採用されていたら
キハ80系が登場する1960年には日本はまだ技術途上だとしても6気筒15L 200Hpのエンジンが実用出来ていたと思う 戦前のエンジンを改良したDMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
その後の高出力エンジン開発で同じく戦前製のDMF31を改良して
DD31やキハ60に乗せようとした考えが判らない >>352
> DMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
縦型DMH17系機関でどの様な不具合があったのか教えて欲しいな。
扱う側として伸びしろは無くとも堅実な機関だったからさ。 >>352 現在も使用されているロシア軍のT72戦車のエンジンは、遡ると1930年代に開発されたイスパノスイザ航空器用ガソリンエンジンが原型なんだけどな 九州でキハ52にキハ58の貫通扉を移植して変な顔になってたのあったな
部品共通化? 当時は水平直列型エンジンは潤滑性能の問題もあり、なかなか改良が進まなかった。
シリンダーを横に寝かせた形状のエンジンは、潤滑する方式をちゃんと作らないと、
偏った方向に潤滑してしまい、シリンダーが偏摩耗して焼き付きを起こすからね。
それは、航空機の水平対向エンジンでも同様の問題点を抱えていました。 うちの田舎の筑豊本線は石炭生産が衰えても割と優遇されてる方なんだろうか?昭和56年頃、
キハ66とか45とか客車で50系とか割と最新のDCが割り当てられてた感じがある。大昔は支線にハイカラ蒸汽動車走ってたしなw。
いや10系気動車いたしキハ20キハ30いたしそうでもないかw >>355
廃車部品の流用だそうな
>>356
航空機の星型エンジンはどうだった?
>>357
門司局はまあまあの扱いだったな
交流電化ということもあって近郊型電車にも新車がコンスタントに入っている
キハ66・67は特別扱いだな >>356
倒立V型12気筒のダイムラーベンツDB601など、昔の航空機用レシプロエンジンはどうだったの?
このエンジンを国産化した飛燕のハ40の潤滑に問題があったのか
356の理屈に合った回答を熱望する リンク+ ◆BotWjDdBWA
猫娘+ ◆BotWa53rWA
こいつ鉄関連の板で唐突に流れとは関係のないレスを繰り返す頭が足りない奴だから相手にするだけ無駄 356ではないけど、航空エンジンの話があったので
昔の日本のガソリンエンジン(1945年以前)は真円度が平均して低く、最後は熟練整備員が調整してかみ合わせを行っていた
そのため、均等に潤滑油が回らなく、また潤滑油切れを起こして墜落ないし停止を頻発
※航空機のは、欧米に比べて潤滑油タンクの容積が多く、パナイ号事件前後では「日本軍機は油を振り掛けに来ている」とまで書かれた乗客手記もある
ハ40系の話
ニッケルを使うな・ただし大量生産しろとの事で頑張ったけどやはり無理だった
ほぼ同じアツタはそれほど多く求められなかったため、2週間も連続焼き入れを行い(それでも苦情を出される寸前の歩止まり率)、陸軍以上にベアリングの高真円度率のものを使ったため、そこそこまともに前線でも動いた
鉄道用水平シリンダ・ディーゼルエンジン
ちなみにこの時代(1937年前後)に鉄道用ディーゼルエンジンで水平(もしくはほぼ水平)シリンダなのはほぼなく、たぶん日本が世界初ではないか? >>363
最近戦中の名古屋地区における航空産業について調べていて、
アツタとハ40(彗星と飛燕)の差について気になっていました。
有難うございます。 ふと気になったのですが、
キハ22 1って何か外観などに特徴ってあったのでしょうか? 改番してないけど600番台相当の簡易荷物車になってたんだっけ?
ピク誌の特集で形式写真見た気がするがちょっと分からん 天竜二俣に保存されてるキハ20
443、メンテしてるけど屋外だからずいぶん荒れてきたよ 一回だけキハ16の初期型の仕切りの無い運転台でかぶりついたことがある。
あの仕切りが無いだけで解放感は全然違ってた。 >>371
助手席側が解放になっている運転台?
キハ110系のワンマン仕様も同じでは? >>372
10系気動車の初期型は運転席背面の仕切りが助手席側がオープンだったが、大人の腰の高さ
位の仕切りはありか「助手席側解放」にはなっていなかったと思う。 キロハ18にリアルで乗った人居ますか?モケット色が、赤か青か緑色か知りたいのです。格下げせず即郵便荷物車に改造されたので。雑誌のアーカイブモノクロ写真だとサロ85と同構造には見えなく見劣りした記憶。 キロハ18が改造で消滅したのは1961年・昭和36年、60年前よ。
当時中学一年生でも今73歳?
そんな御仁が5chに居るんですかね。 東海道新幹線開業前にクソ高い一等料金でレアもの(製造8両)に乗ったというのは今となっては難しいんじゃね あれ? 二等級化施行おそいから現役当時はほぼ二等料金か失礼
(1960/7二等級制) 南薩キハ300に2回乗ったがキハ10の兄貴分に当たると聞かされるまでは分からなかった キハユニ17 1
廃車留置で、厚狭でみました
22mの長い車両、ということを後で知りました
1986年と思いました 地上設備改修不要が配属の条件だったんだろうがその辺の実情についての逸話は残ってないよねキハユニ17
1の廃車は昭和55(1980)年だそうなので86年が正しいなら随分長期間放置されてたことになるな すみません、間違いでした
1980年の7月でした
キハ17 27も映っていました
見た目廃車扱いかな、と素直に思っていました そういえば1977年頃拝島にも相模線用だった西ハチにキハ17とキハ16がEF13と一緒に
2休留置されていた。
駅から遠かったが写真撮っておけばよかったよ。 最後に乗った10系は、
キハユニ15、加古川線(これを10系と言っていいならですが)が1980年
キハ51、大糸線、1980年(もしかしたら1981年5月も)
意外とあっさり引退、という印象
同じ大糸線からの引退でも、旧型電車と10系では結構な違いです 関鉄のキハ310系?
今では平日の朝だけですが、でも現役
夏休みでも乗りに行きたくなりました DT19現役はいないんじゃない?
鉄博のキハ11も静態化しちゃったし ひたちなかのキハ20乗ってきた
やっぱりあのエンジン音はカッコ良い! キハ22は最後までDMH17Cで製造されたのが意外
キハ52みたいに途中でDMH17Hに変更されてもおかしくなかったが現場が嫌がった? ぬくぬく客室内から点検・一部整備できるため
おしいことはキハ52 0番台の北海道バージョンが作られなかったことだが、冬季は片方を荷物車代用として利用できた 九州で貫通扉をキハ58と同じのに交換してた変形車があったな
顔つきが明らかに異質 今号ピク誌がキハ20系特集号だが変形貫通扉装備車についてようやく触れた気がする キハ10系列の中間車、組成の制約もあるけど
何より車掌サイドから「これじゃ集札が難しい、不正乗車を黙認するのか」という指摘が多数あったんだろうなと 10系気動車の運転台寄り戸袋が凝ってると思う、窓一個分を2個に分けて
片方だけ戸袋になっていて。現代の感覚だったらまるまる埋めちゃうだろう 近郊車の車端もそうだった
クーラーないし、照明も暗いからできるだけ窓にしようとしてるんだな >>401
小田急の2400形以降の一般電車が非冷房時代、運転室背後の戸袋窓をルーバに
していたことがあった。
当初は夏だけルーバにしていたが、しまいには一年中ルーバのまま、冬場だけ
内側から鉄板で塞ぐやり方に変った。冷房化でガラスに戻ったが。
スレ違い失礼しました。 一般形気動車で運転台のない中間車は馴染まなかったな
他に北海道のキハ201系しかない
キロ28格下げ車は先頭車化改造しないと扱いにくかったはず >>402
あの小田Qのルーバーは時々髪の毛絡まってエラク不快な思いをしたもんだ。
まだ相模線に西ハチのキハ10が走っていて、俺にまだ頭髪というものがあった頃の話だ。 新日本紀行日南市に日南線を走るキハ10系とキハユニ20が映っていた。
昭和42年撮影とは思えないリマスター映像でちょっくら感心した。 >>407
52も同じ運命を辿るんだろうか。。。
52の次の全検っていつなんだろう。 >>407-408
28が先に引退でよかったね。52は両運で単行可能だからね
逆だったら、いすみ現行車と必ず連結しなければならなくなるし 連結器が同じじゃん?ちがうの?
同じなら、引き通ししなけりゃ可能でしょ?
片側をトレーラー扱いにすれば済むわけだし
電源はそれぞれ自車で可能だし キハ40系とキハ150も併結出来なよね?それと同じ 北海道のキハ150はキハ47系と併結運転可能ですが何か キハ10とかキハ20はまことに顔が秀逸
その後のキハ23ときたら >>420
俺は誰が何と言おうとキハユ15の顔推しだ。 個人的にはキハ58モデルチェンジ車が至高
ただ10&20は平窓オンリーだが味がある 湘南顔のキハの前面窓を何故か小さく改造した顔があったが、なんだか目を背けたくなるくらい超不細工で驚いた記憶がある。 >>424
キハ45など、あの顔は登場時は画期的だった
一般向け気動車がようやく電車並みになった印象だった
が、シートピッチや車両重量面で・・・・ キハ53に初めて乗ったときシートピッチにショックを受けた
まさか膝のぶつかり合いになって52に劣るとは思わなかった
そりゃ九州じゃ優先廃車されるわけだわ元々少数派ってこともあったけど そうはいうけど、115の0番台とかと20mmしか変わらないから近郊型はそんなもんでしょ
電気機関車顔だよね、キハ23。間延びしたED75って思ってた 正面も側面もいかにもキハ20系列までの時代からキハ47系列への過渡期という感じがする<キハ23 >>423
キハユ15の顔は一年前に出たキワ90と同じ顔ですかね・・・? >>432
確かにほぼ同じかもね。言われて気がついたワw ただそのままその顔が使えるかは知らないなぁ…
個人的に鉄コレ22弾だったかのケースのオマケ、キハユニ16の素ボディ(使う予定もなし)はあるしキワも予備であるから、側面含め弄くりまくってキハユなりキユニの作製にチャレンジしてみようかな 鉄コレかあ
そんなのあったのね
集め出すと沼にはまりそう >>413
キハ181系は、連結器は同じでも、ジャンパ線に互換性がないため、総括制御ができないというわけ。
簡単に言うと、オープンリールテープのトラックの構成みたいなもの。
片面2トラックステレオで録音したテープを、大いに普及した4トラックステレオのレコーダーで再生すると正常な再生ができない。
4トラックステレオのレコーダーは、片面が終わったら、テープを裏返してB面に録音ができた。 >>437
あった
RPキハ20系特集、1980年代じゃなく、その次のやつ
下関?での、準急色キハ25 200番台の写真がある 昭和59年の今頃、紀勢線のEF58を撮りに
名古屋亀山、紀勢東線から新宮に入った。
紀勢東線ずっとキハ20で、ただでさえ非冷房で暑いのに各駅停車後のエンジンからの熱風が
入って来て、ホント死んだw 暑い中思い出しちまったじゃねぇかよ >>438
あったのか!
だとすればひたちなかの準急色は偽物ではなく本当の意味でのリバイバルと言ってもいい訳だな! キハ10以後中間車製造が取りやめになったのって
気動車を投入する線区で柔軟な組成が求められること、
そうした線区には無人駅が多く車掌による集札業務をより効率良く行うため
運転台のある車両が望ましいといった事情か
四国東海では中間運転台使う車掌結構見かける(てか集札サボってる東日本や西日本がおかしい) >>449
だったらどこで語ればいいんだよ自治原理ハゲ
国鉄の気動車を語れみたいなスレ無いんだぞ?
現行キハ40系ネタも総合/路車/懐し全てに無いし >>445
文末の件、おかしくないし。
価値観は一枚岩ではない
バカみたいに走り回るほうが本来イレギュラー 常時3両編成以上って線区がそもそも少なかったと思うしなあ
ほぼほぼ気動車化しても通勤通学用に客車列車が残った路線も多かったよね 小湊も200だけの頃の連結運転時には車掌は中間が定位置だったな(キハ40が増えてからは知らない)
無人の各駅には「車掌は各列車の最後部に乗務しております」と書いてあるのだが… スレが建って8年
次スレが建つであろう8〜9年後の時は
キハ23や45も追加しとけw 北海道のおふくろの両親の実家の中標津や
祖父の葬儀のとき
まだ標津線もあった頃だった。
道内で乗車したDCは主に急行すずらんがキハ22(釧クシ)27、56(札サウ、函ハコ)だった。
結局特急には一度も乗れずキハ82にもお目にかかれなかった。
キハ12、21にも乗車することはなかった。
キハ21には道内でなく、一関で本州唯一いたグループに乗った。
それから10年後
仙台でその一関の(盛イチ)のキハ21に再会した。
首都圏バーミリオンに塗り替えられて台車はDT22に換装されていた。
なんか顔も忘れていた旧友に再会できたようでうれしかった。 自社発注だとうらぶれた感じはないが、やはり降格みたいな印象になるのか 牧歌的なローカル線をゆくキハ20+キハ20+キハユニ25とか乗りたかった
もうキハ40系世代 >>458
昭和50年の夏休み
三陸で旅行行ったとき
大船渡線でキハ20+25+キハユニ26の3連乗ったな。
KATOのNゲージの3種そのものに乗ってるみたいだった。 キハ16か17の運転室屋根に運転室空気取り入れ口があるんだな
大抵は前面腰板や前面幕部にあるけど 国鉄が銚子電鉄に乗り入れしていた時のこと、通常はキハ10系のところが、キハ20系になっていた。
銚電に入りなんとホームを擦ってしまったとか。
なんとも牧歌的な時代だった。 キハ17に乗車した時だが車内通路を歩いたら床がフニャフニャのとても不思議な感触だったが、あれはキハ17系じゃなかったかな・・・? 腐っていなくとも
長年繰り返される雨の日で
浮いたりするわな。 乗客を楽しませるためにフニャフニャ床にした可能性もある 中間車のキハ18は、撮影以前に見た記憶もないです
キハ19などはそんな形式あった?というレベル
その後に普通DC用の中間車ができるとは、全くおもわなかった キハ19は昭和39(1964)年に5両中4両がキニ16(翌年キユニ19に再改造)で残る1両も昭和41(1966)年キニ19改造で形式消滅している
ここには東海道新幹線開業時の頃から車両追いかけていたような筋金入りのベテランはおらんだろ >>472
2020年12月号は持ってるよ
最近の研究を反映して電気式気動車を試作車としてきちんと位置づけた構成になってる キユニ19_2とキユニ19_3は撮っていたが、当時はあまり意識なし
最近になって、40年前の画像を確認して、キハ19の改造車であることを理解したお恥ずかしいレベル
キハユニ15やキハユニ16は気合を入れていたのに、この落差はダメですね 昭和30年代と40年代前半はローカル線は道路網整備遅れている&駅が基本有人駅で手荷物扱ってた&郵便輸送も鉄道依存大
だが輸送量自体は当然少ないので合造車の客車輸送を気動車化すると気動車も合造車に
戦後郵便・荷物気動車の新造がキハユニ25x7&26x59とキユ25x4と割と頑張って造ったけど圧倒的に旅客車優先だから不足分を改造車でまかなう方針だったよ
試作要素強い旧電気式やキハ15キハ50に接客面問題や少数派でもあった合造優等車のキロハ18やキハ26の300台(元キロハ25)は全車が改造されてる
なお使いにくいと各区所で散々不評の中間車キハ18改造が1両(キハニ15)のみで終わったのは謎扱いされてる いーろづくやあまーやあまふりむきながら わたしを乗せたデイーゼルカーわ
キャンディーズの気軽な旅の歌詞だけど10系20系気動車を連想する >>477
そうそう、なんでキハ18のキハユニやキハニが少数なのか不思議
全部改造されてもおかしくはなかったのに なお雑学
元キロハ18のキハユ15(→再改造でキユニ15)とキニ15は車体の向きが逆になった
理由はキハユ15が二等室部分をそのまま客室に残したのとキニ15が一等室部分のトイレを有効活用したかったため運転室取り付け場所が両形式で反対になった
形式図で見るとエンジン設置位置が逆なのが見事に分かる
また投入線区の都合か改造時の都合かキユニでは郵便室と荷物室が同一形式で続番なのに前後が入れ替わっている例が見られる
キユニ16(1,2と3)とキユニ18(1,2と3~6)が該当
(キユニ17は番台区分されていたはず) むかし、RMが
そのあたりの改造の合造気動車の各形式の詳しい特集記事があって
そこだけ抜いて保存してたことあった
実家探せば出てくるかも
直近で語ってるスレ民なら持ってる人いるよね? 今年RM Re.Libraryとして旧RMライブラリー2冊を合本化して再版されたよ 多量に造る訳に行かないので小ロットで多様な使途に対応できるように細かな仕様の変化が合造車研究の楽しみ 今年は16番でキハユ15のスーパーディテールを作るぞ! 10系というとエンジン縦置きバス窓の印象
湘南顔のキハユニとかあった
20系というと23のパノラミックウインドウの登場が劇的だった 23はキハ20系ではなくキハ45系
シートの幅も間隔もキハ20系より狭い >>485
用途 1エンジン 2エンジン
一般型 キハ20 キハ52
近郊型 キハ23 キハ45
急行型 キハ28 キハ58 >488
キハ23の2エンジン車はキハ53
木次線に行ったときは旧国鉄色のキハ52を期待していたら首都圏色キハ53で当時は正直はずれだと思った 今見ると標準色のキハ45って良いなと思うよ。
キハ47よりずっと良い。 >>485
キハユニが最高峰
湘南顔とバス窓サイコーですやん キハ19は中間車よね
まあキニ16キユニ19キニ19の先頭車改造車のことなんだろうが
キニ16はキニ19の誤記を疑って16と19両方あってどっちもキハ19改造とは想像もせず
元がキハ19だから19付けるんじゃないのという勝手なガキの思い込み 佐原のキハ10、タラコにしちゃうの?
個人的には今の鹿島臨海鉄道カラーのままで良いと思うんだが
鹿島臨海鉄道にキハ10が走っていたという生き証人だから >>19
ブルマの縦型に見えた
疲れてるのかな、俺? キハユニの湘南顔は、自分でも特に撮りたかったです
末期のため少しだけですが
キハユニ16_10 奈良と紀勢線
キハユニ15_3/6/9 加古川線
撮れたのは上記だけでしたね
一緒に行っていた友人が、湘南顔のはずがキハ10系のような正面の改造車がいるっていわれて
何を冗談と思っていたけど、本当だったそう
これに当たらなくてっ良かったと思ってしまっていた 側面がオハ35客車を3ドアにしたような感じで前面が10系気動車
なんとなく記憶にある キハユニ15_3を見た時は、側面は気動車というより旧型客車あるいは300番台ではない80系のような感じ
当時キハ17などを見ていたから、強烈な違和感
ちなみに正面2枚窓が妙に小型化で、これも違和感、でした トワイライトエクスプレス瑞風には何とキラキラネームのようなキラが連結されている。
ラウンジだからだそうだが、今までの列車にはないネーミングだ。
初めて見た時はたまげて腰を抜かしてしまった。 昨今のキラキラネームが気動車にも及ぶようになったわけだ。
以前のラウンジカーは「ハ」だったように記憶している。 エンジンの縦置き横置きと10、20は関係あるんすか?