キハ10系とキハ20系を語る2
>>355
廃車部品の流用だそうな
>>356
航空機の星型エンジンはどうだった?
>>357
門司局はまあまあの扱いだったな
交流電化ということもあって近郊型電車にも新車がコンスタントに入っている
キハ66・67は特別扱いだな >>356
倒立V型12気筒のダイムラーベンツDB601など、昔の航空機用レシプロエンジンはどうだったの?
このエンジンを国産化した飛燕のハ40の潤滑に問題があったのか
356の理屈に合った回答を熱望する リンク+ ◆BotWjDdBWA
猫娘+ ◆BotWa53rWA
こいつ鉄関連の板で唐突に流れとは関係のないレスを繰り返す頭が足りない奴だから相手にするだけ無駄 356ではないけど、航空エンジンの話があったので
昔の日本のガソリンエンジン(1945年以前)は真円度が平均して低く、最後は熟練整備員が調整してかみ合わせを行っていた
そのため、均等に潤滑油が回らなく、また潤滑油切れを起こして墜落ないし停止を頻発
※航空機のは、欧米に比べて潤滑油タンクの容積が多く、パナイ号事件前後では「日本軍機は油を振り掛けに来ている」とまで書かれた乗客手記もある
ハ40系の話
ニッケルを使うな・ただし大量生産しろとの事で頑張ったけどやはり無理だった
ほぼ同じアツタはそれほど多く求められなかったため、2週間も連続焼き入れを行い(それでも苦情を出される寸前の歩止まり率)、陸軍以上にベアリングの高真円度率のものを使ったため、そこそこまともに前線でも動いた
鉄道用水平シリンダ・ディーゼルエンジン
ちなみにこの時代(1937年前後)に鉄道用ディーゼルエンジンで水平(もしくはほぼ水平)シリンダなのはほぼなく、たぶん日本が世界初ではないか? >>363
最近戦中の名古屋地区における航空産業について調べていて、
アツタとハ40(彗星と飛燕)の差について気になっていました。
有難うございます。 ふと気になったのですが、
キハ22 1って何か外観などに特徴ってあったのでしょうか? 改番してないけど600番台相当の簡易荷物車になってたんだっけ?
ピク誌の特集で形式写真見た気がするがちょっと分からん 天竜二俣に保存されてるキハ20
443、メンテしてるけど屋外だからずいぶん荒れてきたよ 一回だけキハ16の初期型の仕切りの無い運転台でかぶりついたことがある。
あの仕切りが無いだけで解放感は全然違ってた。 >>371
助手席側が解放になっている運転台?
キハ110系のワンマン仕様も同じでは? >>372
10系気動車の初期型は運転席背面の仕切りが助手席側がオープンだったが、大人の腰の高さ
位の仕切りはありか「助手席側解放」にはなっていなかったと思う。 キロハ18にリアルで乗った人居ますか?モケット色が、赤か青か緑色か知りたいのです。格下げせず即郵便荷物車に改造されたので。雑誌のアーカイブモノクロ写真だとサロ85と同構造には見えなく見劣りした記憶。 キロハ18が改造で消滅したのは1961年・昭和36年、60年前よ。
当時中学一年生でも今73歳?
そんな御仁が5chに居るんですかね。 東海道新幹線開業前にクソ高い一等料金でレアもの(製造8両)に乗ったというのは今となっては難しいんじゃね あれ? 二等級化施行おそいから現役当時はほぼ二等料金か失礼
(1960/7二等級制) 南薩キハ300に2回乗ったがキハ10の兄貴分に当たると聞かされるまでは分からなかった キハユニ17 1
廃車留置で、厚狭でみました
22mの長い車両、ということを後で知りました
1986年と思いました 地上設備改修不要が配属の条件だったんだろうがその辺の実情についての逸話は残ってないよねキハユニ17
1の廃車は昭和55(1980)年だそうなので86年が正しいなら随分長期間放置されてたことになるな すみません、間違いでした
1980年の7月でした
キハ17 27も映っていました
見た目廃車扱いかな、と素直に思っていました そういえば1977年頃拝島にも相模線用だった西ハチにキハ17とキハ16がEF13と一緒に
2休留置されていた。
駅から遠かったが写真撮っておけばよかったよ。 最後に乗った10系は、
キハユニ15、加古川線(これを10系と言っていいならですが)が1980年
キハ51、大糸線、1980年(もしかしたら1981年5月も)
意外とあっさり引退、という印象
同じ大糸線からの引退でも、旧型電車と10系では結構な違いです 関鉄のキハ310系?
今では平日の朝だけですが、でも現役
夏休みでも乗りに行きたくなりました DT19現役はいないんじゃない?
鉄博のキハ11も静態化しちゃったし ひたちなかのキハ20乗ってきた
やっぱりあのエンジン音はカッコ良い! キハ22は最後までDMH17Cで製造されたのが意外
キハ52みたいに途中でDMH17Hに変更されてもおかしくなかったが現場が嫌がった? ぬくぬく客室内から点検・一部整備できるため
おしいことはキハ52 0番台の北海道バージョンが作られなかったことだが、冬季は片方を荷物車代用として利用できた 九州で貫通扉をキハ58と同じのに交換してた変形車があったな
顔つきが明らかに異質 今号ピク誌がキハ20系特集号だが変形貫通扉装備車についてようやく触れた気がする キハ10系列の中間車、組成の制約もあるけど
何より車掌サイドから「これじゃ集札が難しい、不正乗車を黙認するのか」という指摘が多数あったんだろうなと 10系気動車の運転台寄り戸袋が凝ってると思う、窓一個分を2個に分けて
片方だけ戸袋になっていて。現代の感覚だったらまるまる埋めちゃうだろう 近郊車の車端もそうだった
クーラーないし、照明も暗いからできるだけ窓にしようとしてるんだな >>401
小田急の2400形以降の一般電車が非冷房時代、運転室背後の戸袋窓をルーバに
していたことがあった。
当初は夏だけルーバにしていたが、しまいには一年中ルーバのまま、冬場だけ
内側から鉄板で塞ぐやり方に変った。冷房化でガラスに戻ったが。
スレ違い失礼しました。 一般形気動車で運転台のない中間車は馴染まなかったな
他に北海道のキハ201系しかない
キロ28格下げ車は先頭車化改造しないと扱いにくかったはず >>402
あの小田Qのルーバーは時々髪の毛絡まってエラク不快な思いをしたもんだ。
まだ相模線に西ハチのキハ10が走っていて、俺にまだ頭髪というものがあった頃の話だ。 新日本紀行日南市に日南線を走るキハ10系とキハユニ20が映っていた。
昭和42年撮影とは思えないリマスター映像でちょっくら感心した。 >>407
52も同じ運命を辿るんだろうか。。。
52の次の全検っていつなんだろう。 >>407-408
28が先に引退でよかったね。52は両運で単行可能だからね
逆だったら、いすみ現行車と必ず連結しなければならなくなるし 連結器が同じじゃん?ちがうの?
同じなら、引き通ししなけりゃ可能でしょ?
片側をトレーラー扱いにすれば済むわけだし
電源はそれぞれ自車で可能だし キハ40系とキハ150も併結出来なよね?それと同じ 北海道のキハ150はキハ47系と併結運転可能ですが何か キハ10とかキハ20はまことに顔が秀逸
その後のキハ23ときたら >>420
俺は誰が何と言おうとキハユ15の顔推しだ。 個人的にはキハ58モデルチェンジ車が至高
ただ10&20は平窓オンリーだが味がある 湘南顔のキハの前面窓を何故か小さく改造した顔があったが、なんだか目を背けたくなるくらい超不細工で驚いた記憶がある。 >>424
キハ45など、あの顔は登場時は画期的だった
一般向け気動車がようやく電車並みになった印象だった
が、シートピッチや車両重量面で・・・・ キハ53に初めて乗ったときシートピッチにショックを受けた
まさか膝のぶつかり合いになって52に劣るとは思わなかった
そりゃ九州じゃ優先廃車されるわけだわ元々少数派ってこともあったけど そうはいうけど、115の0番台とかと20mmしか変わらないから近郊型はそんなもんでしょ
電気機関車顔だよね、キハ23。間延びしたED75って思ってた 正面も側面もいかにもキハ20系列までの時代からキハ47系列への過渡期という感じがする<キハ23 >>423
キハユ15の顔は一年前に出たキワ90と同じ顔ですかね・・・? >>432
確かにほぼ同じかもね。言われて気がついたワw ただそのままその顔が使えるかは知らないなぁ…
個人的に鉄コレ22弾だったかのケースのオマケ、キハユニ16の素ボディ(使う予定もなし)はあるしキワも予備であるから、側面含め弄くりまくってキハユなりキユニの作製にチャレンジしてみようかな 鉄コレかあ
そんなのあったのね
集め出すと沼にはまりそう >>413
キハ181系は、連結器は同じでも、ジャンパ線に互換性がないため、総括制御ができないというわけ。
簡単に言うと、オープンリールテープのトラックの構成みたいなもの。
片面2トラックステレオで録音したテープを、大いに普及した4トラックステレオのレコーダーで再生すると正常な再生ができない。
4トラックステレオのレコーダーは、片面が終わったら、テープを裏返してB面に録音ができた。 >>437
あった
RPキハ20系特集、1980年代じゃなく、その次のやつ
下関?での、準急色キハ25 200番台の写真がある 昭和59年の今頃、紀勢線のEF58を撮りに
名古屋亀山、紀勢東線から新宮に入った。
紀勢東線ずっとキハ20で、ただでさえ非冷房で暑いのに各駅停車後のエンジンからの熱風が
入って来て、ホント死んだw 暑い中思い出しちまったじゃねぇかよ >>438
あったのか!
だとすればひたちなかの準急色は偽物ではなく本当の意味でのリバイバルと言ってもいい訳だな! キハ10以後中間車製造が取りやめになったのって
気動車を投入する線区で柔軟な組成が求められること、
そうした線区には無人駅が多く車掌による集札業務をより効率良く行うため
運転台のある車両が望ましいといった事情か
四国東海では中間運転台使う車掌結構見かける(てか集札サボってる東日本や西日本がおかしい) >>449
だったらどこで語ればいいんだよ自治原理ハゲ
国鉄の気動車を語れみたいなスレ無いんだぞ?
現行キハ40系ネタも総合/路車/懐し全てに無いし >>445
文末の件、おかしくないし。
価値観は一枚岩ではない
バカみたいに走り回るほうが本来イレギュラー 常時3両編成以上って線区がそもそも少なかったと思うしなあ
ほぼほぼ気動車化しても通勤通学用に客車列車が残った路線も多かったよね 小湊も200だけの頃の連結運転時には車掌は中間が定位置だったな(キハ40が増えてからは知らない)
無人の各駅には「車掌は各列車の最後部に乗務しております」と書いてあるのだが… スレが建って8年
次スレが建つであろう8〜9年後の時は
キハ23や45も追加しとけw 北海道のおふくろの両親の実家の中標津や
祖父の葬儀のとき
まだ標津線もあった頃だった。
道内で乗車したDCは主に急行すずらんがキハ22(釧クシ)27、56(札サウ、函ハコ)だった。
結局特急には一度も乗れずキハ82にもお目にかかれなかった。
キハ12、21にも乗車することはなかった。
キハ21には道内でなく、一関で本州唯一いたグループに乗った。
それから10年後
仙台でその一関の(盛イチ)のキハ21に再会した。
首都圏バーミリオンに塗り替えられて台車はDT22に換装されていた。
なんか顔も忘れていた旧友に再会できたようでうれしかった。 自社発注だとうらぶれた感じはないが、やはり降格みたいな印象になるのか 牧歌的なローカル線をゆくキハ20+キハ20+キハユニ25とか乗りたかった
もうキハ40系世代