キハ10系とキハ20系を語る2
昔の相模線はキハ17系ばかりだったな。本数も1時間に1本走っていたくらいしかなかった。
キハ35系に置き換わって、多少なりともロングシートながら“近郊電車”風情になったと思った。
単にクロスシートだからキハ17系が良かった…なんて思わなかったよ。
あのべコベコシートなんかちっとも快適ではなかった。 非電化時代の八高線と横浜線乗り入れで八王子に遊びに来た相模線で車両の融通や臨時直通って皆無なの? >>34
鉄道総研内で見た。キハ22 299
キハ20やキハ30等もあった。 >>33 登場間もないころデモだか展示発表だかで10(多分こちら)か20?は、東京駅に来たでしょ。
高度経済成長の初期 国鉄が債務や労使問題で泥沼化する前 地方ローカル線近代化に夢を抱いていた時代の出来事。 >>36
走行ルートは知らないけど、青梅線内発着で相模線経由の海水浴臨はあったんでね?
YouTubeで動画があった加藤 八高線と相模線の間で移動した車といえば、相模線電化で転属or借入車が14両あったけど、それ以前にも八高線→相模線だと35-519や904があったし キハ10は南部縦貫にも保存されていますが、あれは今でも動きますか?
この路線、レールバスしか走っているのを見たことがないのですが、キハ10はどのくらいの頻度で走っていたのでしょうか? >>46
運行最終日に行ったらレールバスの続行で動いてたけど。
南縦は1閉塞だったから、よほどの多客が見込めるイベントの時位しか動かなかったんじゃない? >>46
キハ104は近年トルクコンバーターの調子が悪く、すぐにエンストしてしまうそうです。
だから最近は走行していません。
レールバスでは運びきれない乗客に対応するため、昭和55年に八戸機関区から
元国鉄キハ10 45号を譲り受けました。 元常総筑波鉄道のキハ103と入れ替わり
キハ104として運行当初は朝の通勤・通学輸送を中心に活躍しました。
しかし、年々乗客は減り、大型車体であるため燃費が嵩み稼働率が減っていきました。
その後、園児の遠足やお買いもの無料列車など年に数回程度しか走らなくなってしまいました。
縦貫廃止間際になるとレールバスでは運びきれない乗客の為、キハ104がレールバスの続行便として
大活躍しました。 キハ10系は南縦廃線後のGWイベントでアイドリングしていたのと、鉄博と金城ふ頭の
収蔵品でしか縁がない。20系なら水島、茨交・ひたちなか、島原で辛うじて乗れた。
52なら花輪と米坂に大糸での末期に一回ずつ乗ってた。大糸は125号だからいすみへ
逝って再度乗りたいところではあるが。今度タラコに変わるそうだし。
>>48
南縦休止直前はレールバスに乗れるのが40名までにされてましたな。その掲示が
野辺地駅の窓口に手書きで貼ってあったけど、なぜだか緑の国鉄マーク入り用紙
だったと記憶があるんでして…。一枚撮っておくべきだったな。 >< >>49
用紙は国鉄(JR)からの頂き物でしょうね。
いすみのキハ52125がタラコへ塗り替えられるけど
今度は糸魚川駅に展示するキハ52156がタラコから一般色へ変更する予定とか。 いすみ車は、あえて小湊色にしてみたら?
キハ52と京成仕様ライトの小湊車で印象の変わり具合がよく判りそう。 >>51
小湊色も味わいがあり良いですね。
いすみ鉄道にキハ200型の初期製造車を譲って欲しいです。
この車両は五井駅から国鉄千葉駅へ乗り入れた経歴があり
房総西線(内房線)の気動車(キハ10系やキハ30系等)と併結運転しました。 真岡や天竜二俣に保存されているキハ20が復活したら面白いのに。 同一人物じゃあないんだろうけど
サビてボディの脇腹に穴が明いてるようなヤツを走らせろといったり
その一方でこの前まで走ってたものをいきなり静態でとか
節操が無いな
水島のは津山気動車館に行くんじゃねーの 相模線は首都圏色(朱色5号単一)発祥の地。
1975年のキハ10 61が最初(大宮工場)。
当時の相模線専用車はキハ10が主力。
ほかにわずかのキハ16・17・20・30・35・36(八王子機関区)があった。
原当麻〜橋本に単行運転仕業もあり、それ以外は2〜3両編成が主体で、両運転台が好まれた。
10台形式は、白熱灯照明扇風機なしのものも多かったが、上記のキハ10 61は蛍光灯・扇風機装備だった。
一方、昭和52年に七尾から転入したキハ20 281は白熱灯照明扇風機なしだった。
その後、昭和55年までにいったん30台形式への統一がはかられた。
昭和57年になんとバス窓のキハ20 56が転入。
蛍光灯・扇風機装備でテールランプも外ハメ式に換装、前灯も当然ながらシールドビーム2灯化されていたが、DT19C台車はそのままで、半年ほどあとに美濃太田からキハ30が転入してくるまで使われた。
昭和40年代に、夏季に茅ヶ崎〜八王子間に海水浴臨時として主要駅のみ停車の「しらほ」(市販時刻表にも掲載)が運転されたことがあるが、車両は通常どおり八王子機関区の相模線専用車。
相模線専用車は通常は茅ヶ崎に常駐して、1エンジン車のみであり、八王子以西中央線はもちろん不適。
また、方転でしかも中央線をまたがねばならない八高線への直通などは、初めから眼中になかったようだ。
余談ながら、ステンレス車体キハ35の最後の生き残りキハ35 904は、相模線にてJRに継承され、最後はクリーム色に青帯の相模線色にもなった。 首都圏色は退色すると薄紫色になったね。
四国のDCに多くいた。 >>51-52
いすみとひたちなかと並んで首都圏でDML17エンジンのに乗れる唯一の路線だからね。
東京に近い千葉で乗れる自体ある意味貴重。
小湊と言えば五井の車庫にあるキハ5000形も走行不可だがDML17Cはまだ始動できるらしい。 >>59
関東地方はDMH17王国ですね。
小湊さんのキハ5800はエンジン始動できるのですか。
電車の車体にエンジン音聞いてみたいものです。
鹿島さんや那珂川さんのキハ601やTD-2機関車は10系気動車と同じ
DMH17Bエンジンらしいですね。 ひたちなか海浜鉄道のキハ22もどきのディーゼルカーは全て国鉄籍だったことはなかったのに国鉄の線路を走ったことがあるのですね >>61
国鉄との接続駅から主要駅に乗り入れる(国鉄車と併結する関係もある)ため国鉄と同一規格の車両を作りました。
また同一規格ですから保守・点検などコスト削減につながりますね。 羽幌出身のキハ22は運転席窓の旋回窓以外は国鉄車とほぼ同形だったが、留萌出身のキハ2000は二重窓ではなく厠もない準同形車。 >>62 屁理屈
羽幌にはその前に国鉄レールバスキハ03とは別物の富士重レールバスが居た。
留萌には ヘソライト キハ1001,1002 湘南顔キハ1103 が居たそしてこれ等もオマケ(値引き、抱き合わせ)?なのか茨交に来た。 >>60
キハ5800はエンジンを下しちゃって、床下にはラジエータ周りだけが残ってる状態だぞ
キハ200に引っ張ってもらわないと五井車庫の中で動けない >>63 >>64
羽幌炭鉱鉄道のキハ22 1は最初は旋回窓ではなくワイパーだった。
塗装以外 国鉄のキハ22と瓜二つ。このキハ22 1と国鉄キハ03レールバスの凹凸編成がたまらないな。 キハ10系の頃は軸バネを柔らかくして乗り心地を良くしようとしたの多かったな
DT19は枕バネがゴムであったために実際は乗り心地が劣悪だった
京阪では軸バネが空気ばねなんてのもあったし
その後の研究で枕バネを柔らかくすれば乗り心地が良くなることが判明した 元羽幌のキハ22の同型車は埼玉の歯医者にあるんでしたっけ? >>67
国鉄でもキハ10 42のDT19の軸バネを空気バネに改造したものがありましたね。
DT19てブレーキを掛けた時、軸バネがハメ殺し状態になり、車体を支えているのは
枕バネの防振ゴムのみで線路のジョイントを通過するたんびに激しい上下振動が
酷かったのを覚えています。
>>68
電車や機関車のお面と一緒に置いてありますね。 正面スタイルこそ違うが、大分交通のキハ601,602・603,604
(・・・製造時期メーカースタイルで2グループに分かれる)もキハ17系の亜流
また同様に常総筑波鉄道初のトルコン気動車(但し労務問題で当初総括不可)のキハ42802?(後に片運転台2両固定のキハ703?704 どちらかは、顔のみキハ07に取り付け)
も形は大幅に変わり果てたが、大分交通のキハ601,602とメーカーが同じで原型は共通点が多かった・・で、当然コレも元はキハ17系の亜流。 南部縦貫の元キハ10をゴールデンウィークのイベントで見てみたいが、駅から会場が遠いんだよね >>73
七戸の車庫公開は3日だけでしたっけ?
4、5日は車庫の中は見れないのでしょうか? >>76
全国に3両しか残っていないキハ10。
南部縦貫は唯一走る姿が見れる貴重な存在。 >>77
七戸・大宮・佐原・名古屋・加悦?
動くのは七戸と大宮? >>78
名古屋と大宮はキハ11だってことなんじゃないだろうか 最近実地に見にいった人の話を聞かないが本当に残ってるのかな >>80 >>82
先月に成田線から見たので今も残っているよ!!
キハ10 11は博物館で欲しがっているようだけど、持主はなかなか手放さないだろうな。
キハ48110 帝国車輛 新潟へ新製配置 末期は木更津で久留里線で活躍してから
鹿島臨海鉄道へ払い下げられてキハ1001として活躍した。 キハ10(17?) 系と言う括りで博物館に2両もあれば十分でしょう。
片方は屋根の下だし。
キハ20「系」で屋内で保存されているものはあったかな…
歴史的に果たした役割は非電化線区での旅客車としての居住性向上か。
それより後のになると編成物が多くて何を残すかが問題になるな。
キハ81や181は保存されてる。
キハ58や65も四国が何とかしてくれそうだ。 >>84
キハ20系は津山のキハ52 115と糸魚川駅で保存予定のキハ52 156が屋内に近い状態で保存されてるね。
カットボディーだとキハ20 70が喫茶店の中にある。
スレ違いだけど、四国のキハ28 2002は部品どりされておりヤバイかもな。 ひたちなかのは元国鉄車を除いて元キハ20と呼んで良いのかな? キハ22もどきとか?
そういえば北海道も含めてキハ22とその亜流で上屋の中に保存されているもの
は皆無?
あと20年も経てば跡形もなくなるな… >>89
なるほど。
もどきながらも一応国鉄線走行実績はあるようですね。
北海道にキハ22は何両くらい現存しているのでしょうか?
小樽や三笠のは残りそうな気がします。 海の上に浮かんでる22の生首、最近見ないんだよなぁ… >>90
北海道
キハ22は 52 56 69 120 142 168 202 208 221 224 237 238 239 245 250 251 16両
キハユニ25 1 1両
※過去のデータですので現存しない車輛含みます。
個人的には初期型のキハ22 52 56が好きです。69のツートンカラーも良いですね。
>>93
詳しくありがとうございます。
ぜひ北海道に行ったときに見に行ってみます。 >>93
そのすべてが屋外に放置?
幸福駅のヤツなんかは最近塗り替えたから20年はいける
としても30年後には土と帰すか… キハ35王国の関西線亀山ー名古屋が非電化の時代、名古屋一区の
キハ25のバス窓64〜67の4両が
毎日夕方から奈良まで普通で
来て、折返し加茂行となり加茂
で滞泊、翌朝また奈良から名古屋へ帰る運用があり、これに乗るのが楽しみでした。1974年秋には
このうちキハ2567が車両不足から
キハ55と組んで急行かすがに使用される珍事もありました。 10系やキハ21に付いてた排気管出口の半ガラベン、あれは一般的な半ガラと同じ大きさだったのか思い出せん
微妙に小さい気もしたが気のせいかな >>100
唯一走ることができるキハ10ですので楽しみですね。 キハユニ15、16は床下排気なんだな。
地元には無かったから知らなかったぜ。
同じ床下排気のキテツは結局乗れず終いだったが、
窓を開けてたら客室へ容赦なく排ガスが侵入したんじゃないかと気になる。 今日、南部縦貫のイベントへ行かれた方、キハ10は動いていましたか? 水島に行ってきた
市街地高架区間とキハ20とのアンバランスさがいい >>102
キハユニ15は屋根上排気だよ
ただキハユニ25/26と同じように片側1カ所のみだけど
ttp://drfc-ob.com/wp/wp-content/uploads/2009/07/e382ade3838fe383a6e3838befbc91efbc95efbc93.jpg
ttp://tekkenweb.sakura.ne.jp/70railways/70dc/images/rem1021.jpg
ttp://mazenannpuu.blogzine.jp/photos/uncategorized/2008/11/30/s19681136.jpg >>103
キハ104は不調のようで走らなかったです。次回に期待しましょう。 水戸線で真岡線から直通してきたタラコ色のキハ25に乗ったことがある。
ドアはプレスドアで閉まる時だけ自動。内装の色は緑系統だった。
窓框は211系のボックス席の物みたいに客室側に少し張り出して
いるやつだったな。 イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6609090.html ときめき恋(静止画)
https://www.youtube.com/watch?v=bdt2gddJ2gk
3:00あたり。
122・123は明知線?から長野管内へ来てから、イベント塗色でいることが多かったね。
晩年の122は国鉄一般色に塗られて米坂線で活躍してましたね。 キハ17系は、旧型客車よりもガタガタした乗り心地だったのを覚えている。
でもあの車内灯、バス窓などなど味のある車両だったね。 キハユニ15やキハユニ16の湘南型は、数が少なくて貴重
紀勢線と奈良でキハユニ16を見ただけでついに乗車の機会は無し
加古川線ではキハユニ15が3と6と9になんとか間に合いました
背もたれが特に低く感じました(錯覚か?)
乗り心地はよくなく、ふらふらした走り?
それに9は確か赤坊主の首都圏塗装、3はバス窓ですらない
1980頃の記憶です
郵便荷物の輸送も普通に行われていました 客車窓はレアだね
湘南顏もいいけど、亀山にいた切妻貫通キユニ19もレアだよ。乗れないが。 >>116
関西線なら、キハユ15 4はいかがでしょう?
非貫通ですが
見たかったですね、残念ながら無理でしたが、乗った方等います? 和歌山ー亀山ー奈良と転属してますが、亀山時代ならわかります。
夕方の湊町行き、最後尾に繋がっていました。
座席はキハ17と同じですよ。
一等室が残っていれば面白かったんですが。 >>118
ロ室が格下げで残っていたら、ぜひ見たかったです
写真で見る限り、26400よりもはるかに一等らしくない感じに思えますね
>>119
多少のローカル線でも、まだ鉄道に頼られていると素直に実感しました
特に通勤客や郵便荷物がごく普通にあって、朝夕はそれなりに活気ありと思いました
だからいい時代と感じていたのではないかと思います
キハユニ以外では、飯田線や身延線のクモハユニ・クハユニ
五能線や鹿児島近辺でのオハユニ(スハユニ)など、合造車が本来の目的で使用されていましたから
加古川線のキハユニ16も、二回目に行ったときからほどなくして廃車
湘南顔の二両(6と9)が交換駅で並んだシーンがいまだに忘れられません >>121
車体はキハ55系だけど、心臓部であるエンジンは従来の車と異なるため単独グループ >>122
キハ60。のちにエンジンは並のDMH17Hに換装されている。晩年は木更津に配置され、久留里・木原線などで使用された。 キハ10系は、昔ボロボロのイメージが強く、乗るのを避けてた記憶があります。
できるだけ急行型の55,58系を選んでた。
でも今になると、なつかしいんですよね。
キハ20系は国鉄時代からなじみでしたが、その終焉は、僕にとって
島原鉄道でした。
加津佐発の最終列車に乗ったのはいい思い出です。 東北に残ったキハ52-100は、平成初期に更新されて十分にきれいだった。
首都圏103系の土崎更新車がいい出来だったが、それらの工法を踏襲したんだな。 キハ20の湘南顔バージョンとか見てみたかった。
キハ10/17量産の段階で気動車の湘南顔はいらね、となったのだろうか。 >>128
電気式試作気動車キハ44000系と液体式試作気動車キハ44500は湘南顔
>>127
地方線区を受け持つ気動車は、電車のような固定編成より1両単位で増解結するほうが便利だと悟った
中間車もキハ18で打ち止めになったし >>124
DMF31HSな。DD13の猿人をベースに横型にした。 結局残った湘南先頭車て
ほとんど郵便荷物車になったんかな
気動車は特急形もほとんど貫通車だしね
80系、183も非貫通で始まったが最後は貫通車 んだ。
3ドアのキハ44000、44500は キハユニ15、2ドアの44100は キハユニ15 になった。運用的、どっちも編成端につなぐ。
さらに事故ったキハユニ15に、使いやすく貫通型に改造されたもあるだ。 すまぬ、44100の改造後は キハユニ16なり。打ち間違い。 単行(両運)、分割・併合用途の多い一般型気動車に非貫通は使い勝手悪すぎでしょ。
湘南顔を、編成の先端もしくは最後尾に位置するユやニに改造して活用した
のは賢明な使い方ですよね。