キハ10系とキハ20系を語る2
今更だけど、水臨HPに「キハ205は 皆さまの心に永遠に」なるタイトルのコメントが載ってるな
ほのぼのというか、ほんとにいい感じの会社だわ 「第三セクターの意地、見せてやるっぺ!」
北三陸鉄道 大向 大吉 西日本のキハ52の無理矢理感は異常だった
DMH17Hに機関直結クーラー取り付けるとか乗務員室と客用ドアが離れてるのにワンマン化改造とかもう滅茶苦茶
車齢が若いキハ53はワンマン化が困難と判断され早々に駆逐されたはず 水島のキハ205、詳報はまだだけど鉄道の日イベントで動くらしいぞ
構内移動程度かもだけど粘るな
意外と調子いいのか会社の執念なのか >>300
憶測だが、あと10年は持ちそう。
それまでマニア相手に一稼ぎ。 交通博物館のハンカチだったか下敷きだったか10系20系のお面だけ印刷されたの見て違いがわからんかった >>301
鳥塚さん、買うならいまのうちでっせ。
キハ52、今市なんでしょ? 1949年から製造され、閑散ローカル線の機関車列車置き換え用だったこのDCは
ひょっとしたら10系の祖先かもしれない。
https://c1.staticflickr.com/1/553/18755327300_83e471bbdd_b.jpg
http://www.monon.monon.org/pix24/06-28Bedford_4-50-RDC.jpg
定員48(合造)-92,長さ23-26m,幅3.06m,重さ51.3t,エンジン300/550ps,最高速137km/h >>306 キハ10系って、このRDCを簡易化、劣化させたようなものだろ。 >>306
信じられない…。
余裕を持たせても、キハ181系に迫るスピードが出せるとは…。
余談にはなるが、ホグワーツ特急をキハ181系、大地の汽笛の陸蒸気をキハ20系に
置き換えた場合でシミュレーションしてみても、陸蒸気よりずいぶん有利となっていることがわかります。 キハ110系の運転室構造がキハ20系に通じるところがあるよな キハ10のあのふにゃふにゃの床をまた踏みたいもんだね。 鉄模ファンはキハ20+キハ20+キハ20よりキハ20+キハ20+キハ25と繋ぐのが好き キハ10は車体幅2.6mしかないのでただでさえ低いホームと隙間が大きく開いて問題になった?
その車体幅の狭さを利用して銚子電鉄に入ったことがある キハ10系列は何といってもオープンエアみたいな仕切りの無い運転台が良かったなぁ。
かぶり付きの解放感や運転士と同じ空気を吸ってる感が良かった。。。。 昭和48年? 東京から福岡筑豊まで家族で里帰り。
岡山までは新幹線、それからボンネット485しおじで多分下関まで小学一年生の
オレは飽きて疲れて怒りまくり。下関から門司で乗り換えたか直通だったか定かでないが折尾まで。この時、常磐線で言う赤電で、かなり不機嫌ながら少しは
気が紛れた、かと思いきや、次が10系気動車で、見た途端チンチクリンな粗末な
つくりと乗車後予想通りの狭さうるささ乗り心地悪さ、そして帰宅ラッシュで
怒り再発!!泣きまくり怒りまくり。宥めるオヤジ。すまんかった。
あれがキハ58ならそうでもなかったろう。キハ20ならまだマシだったろうが
ちゃんと幼児ながら10系気動車とわかってるあたりオレは生粋の鉄なんだなと思う キハ10系は現役時代には乗ったことないからうらやまし。 海水浴シーズンの房総地区でオールキハ17とか罰ゲーム急行あったな
車体幅が狭いとあって座席が小型でしかも枕ばねが防振ゴムで乗り心地最悪だったとかこんなんで急行料金徴収していいのか疑問だった
挙句の果てにはキハ35まで急行に駆り出す有様 相模線のキハ10、クロスに座ると真後ろに座る人が深く座るとこちらの背中が
押されるフニャフニャな背ずりだった。
全然快適じゃなかったよ。 キハ50は幾ら何でもゲテモノ
車体長が22mあってしかもナローボディであるため妙に細長く見える
推進軸を縮めて21.3mにしたキハ51が長いこと気動車標準だった上にブルトレ用客車でも21.3mが波及した
電車では381系や651系とか希少 一般色と首都圏色コンビの編成美はキハ17系に限る
同じ組み合わせのキハ20系は近代的過ぎて 1974年夏、米坂線でキハ20系と10系混合の普通に乗った。
10系は編成中間に組み込まれていたが、車体の幅が狭く、蛍光灯でないから20系に比べ夜は薄暗い。
1969年の八高線も、キハ20系と10系の混合、3両くらいの編成だったような。 キハ17、バス窓で喜んだ覚えが。車内の真ん中に排気管とか、あの変な薄緑の車内とか
あの頃だから普通なんだけど、ちょうどキハ40が入って来た頃に連結してたことあって、外観も
車内も40の方が衝撃的だったな あの頃はキハ10に限らずキハ20も111系も153系もシートの周りの床がたばこを
踏み消した三角形の焦げ跡だらけだった。。。 DMH17エンジンってよく整備されてたら音がよく聞こえるのか?
何かエンジンの音がよく聞こえる車両と聞こえない車両があるような気がする >>324 エンジン1個の車両でも、耳障りなほどよく聞こえるよ。 >>324
形式や座る位置でも違うんじゃね。やっぱりキハ58より20や10はうるさかった
デッキないし床が薄いし、排気管が客室を通ってるし。キハ126、おまえのことだ 1983-1
分ノカ キハ20
27 37 41 50 53 69 70 71 90 397 433 434 444
→DT19C…27 37 50 70 71 90 >>313
限界測定せずキハ20に車種変更してガリガリ… >>327
懐かしいな。高千穂線ではJR化後もバス窓が残る快挙だった。
三セク化決まってたから置き換えも考えずに バス窓は10のほうがいいな。
20より数が多いし。 キハ10系、クロスシートがいっぱいで小学生の頃は良い車両と思っていたが、いざ乗車したら座席の幅も間隔も狭くて、これは不評だったなと初めて分かった
加悦鉄道廃止の時で、俺は大学新入生で鉄研入りしたばかりだった キハ17系の首都圏色(タラコ)は哀愁が漂う末期的な雰囲気で似合わなかった
従ってキハ20系の同色以上に毛嫌いしていた鉄道ファンも多かったと思われる >>332
色褪せてくるとその哀愁というか退廃的というか、益々凄くなってたしね。。。 キハ17系のタラコはキハ55系のそれに通じるところがあるね、キハ55系のタラコもなかなかの哀愁車両だった
(スレチだけど)キハ26の400・600番台に乗って見たかったな特に400番台、資料で見ると車内のくたびれ加減と適当改造の座席配置が見事にマッチしている >>334
回転クロスは向かい合わせで固定されしまいクッションの
ウレタンは劣化して意図せざる低反発素材と化していた。 キハ10系は車体幅が2.6mしかなくホームとの隙間が問題になった?
乗り降りに難儀しそう
幅の狭さを活かして銚子電鉄に入線した事がある 南薩鉄道の300型は国鉄キハ17系が基本だが両運としての運行開始はキハ10より僅かに早かった
因みにキハ07ベースの100型(103号)は鹿児島県南さつま市加世田の鹿児島交通バス整備庫にて静態保存 >>337
10cmの差なんて特に問題にはならないと思うが 国鉄で車両限界が小さくて20mで幅2.8m車が入れなかったのは鶴見線の武蔵白石駅大川支線ホーム位か
あれはクモハ12が1996年まで残存してたが老朽化してたので泣く泣くホームを撤去して安善駅まで行って折り返し可能な特例が設けられた
小さすぎてキハ10系必須は国鉄線内では聞いたことが無い 門司港のキハ07も展示ホームから相当隙間があって隙間を木で埋めてある 夏の宵
ぶら下がった裸電球
駄菓子屋の柱の銀玉鉄砲のパッケージ
カーブから走り込んで来る宇品線のキハ04
遠い記憶 >>339
確かキハ17からキハ20に代わって、同じ気分で銚子電鉄に乗り入れたら
車体の裾を擦ったとかいう話を読んだ経験がある >>342
あそこのホームもともと車両に寄せて作ってないじゃん
クハ481とかにも追加してあるし どこかにキハ20保存されているところある?
車内も入られる車 >>347
5年前の話だけど旧大隅線鹿屋駅跡にある鉄道記念館にあったな…今はどうか知らんけど。 あの半室運転室構造というのか、
キハ110系みたいで直ぐにでもワンマン改造できそう。 1954年に日車がインド国鉄向けに製造したディーゼルカーはDMH17系水平型エンジンを搭載していたので
キハ50試作時に試験的にDMH17系水平型エンジン搭載も可能だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/DMH17系エンジン#cite_note-1
その気があればキハ55系、キハ20系にはDMH17系水平型エンジンの採用が可能だった
キハ51と同じ1955年東急製造の小田急キハ5000は車体長20.0mだし
https://ja.wikipedia.org/wiki/小田急キハ5000形気動車
同じく台湾鉄道向けに製造したDR2500はカミンズのNHRBS-600(12.2L 300HP)搭載していた
https://zh.wikipedia.org/wiki/台鐵DR2500型柴油車
外国製のエンジンの本格採用は外貨規制で不可能でも
仮にキハ11なりキハ51なりの一部に新エンジン開発の比較用にNHRBS-600採用されていたら
キハ80系が登場する1960年には日本はまだ技術途上だとしても6気筒15L 200Hpのエンジンが実用出来ていたと思う 戦前のエンジンを改良したDMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
その後の高出力エンジン開発で同じく戦前製のDMF31を改良して
DD31やキハ60に乗せようとした考えが判らない >>352
> DMH17の低出力や不具合に泣かされたのに
縦型DMH17系機関でどの様な不具合があったのか教えて欲しいな。
扱う側として伸びしろは無くとも堅実な機関だったからさ。 >>352 現在も使用されているロシア軍のT72戦車のエンジンは、遡ると1930年代に開発されたイスパノスイザ航空器用ガソリンエンジンが原型なんだけどな 九州でキハ52にキハ58の貫通扉を移植して変な顔になってたのあったな
部品共通化? 当時は水平直列型エンジンは潤滑性能の問題もあり、なかなか改良が進まなかった。
シリンダーを横に寝かせた形状のエンジンは、潤滑する方式をちゃんと作らないと、
偏った方向に潤滑してしまい、シリンダーが偏摩耗して焼き付きを起こすからね。
それは、航空機の水平対向エンジンでも同様の問題点を抱えていました。 うちの田舎の筑豊本線は石炭生産が衰えても割と優遇されてる方なんだろうか?昭和56年頃、
キハ66とか45とか客車で50系とか割と最新のDCが割り当てられてた感じがある。大昔は支線にハイカラ蒸汽動車走ってたしなw。
いや10系気動車いたしキハ20キハ30いたしそうでもないかw >>355
廃車部品の流用だそうな
>>356
航空機の星型エンジンはどうだった?
>>357
門司局はまあまあの扱いだったな
交流電化ということもあって近郊型電車にも新車がコンスタントに入っている
キハ66・67は特別扱いだな >>356
倒立V型12気筒のダイムラーベンツDB601など、昔の航空機用レシプロエンジンはどうだったの?
このエンジンを国産化した飛燕のハ40の潤滑に問題があったのか
356の理屈に合った回答を熱望する リンク+ ◆BotWjDdBWA
猫娘+ ◆BotWa53rWA
こいつ鉄関連の板で唐突に流れとは関係のないレスを繰り返す頭が足りない奴だから相手にするだけ無駄 356ではないけど、航空エンジンの話があったので
昔の日本のガソリンエンジン(1945年以前)は真円度が平均して低く、最後は熟練整備員が調整してかみ合わせを行っていた
そのため、均等に潤滑油が回らなく、また潤滑油切れを起こして墜落ないし停止を頻発
※航空機のは、欧米に比べて潤滑油タンクの容積が多く、パナイ号事件前後では「日本軍機は油を振り掛けに来ている」とまで書かれた乗客手記もある
ハ40系の話
ニッケルを使うな・ただし大量生産しろとの事で頑張ったけどやはり無理だった
ほぼ同じアツタはそれほど多く求められなかったため、2週間も連続焼き入れを行い(それでも苦情を出される寸前の歩止まり率)、陸軍以上にベアリングの高真円度率のものを使ったため、そこそこまともに前線でも動いた
鉄道用水平シリンダ・ディーゼルエンジン
ちなみにこの時代(1937年前後)に鉄道用ディーゼルエンジンで水平(もしくはほぼ水平)シリンダなのはほぼなく、たぶん日本が世界初ではないか? >>363
最近戦中の名古屋地区における航空産業について調べていて、
アツタとハ40(彗星と飛燕)の差について気になっていました。
有難うございます。 ふと気になったのですが、
キハ22 1って何か外観などに特徴ってあったのでしょうか? 改番してないけど600番台相当の簡易荷物車になってたんだっけ?
ピク誌の特集で形式写真見た気がするがちょっと分からん 天竜二俣に保存されてるキハ20
443、メンテしてるけど屋外だからずいぶん荒れてきたよ 一回だけキハ16の初期型の仕切りの無い運転台でかぶりついたことがある。
あの仕切りが無いだけで解放感は全然違ってた。 >>371
助手席側が解放になっている運転台?
キハ110系のワンマン仕様も同じでは? >>372
10系気動車の初期型は運転席背面の仕切りが助手席側がオープンだったが、大人の腰の高さ
位の仕切りはありか「助手席側解放」にはなっていなかったと思う。 キロハ18にリアルで乗った人居ますか?モケット色が、赤か青か緑色か知りたいのです。格下げせず即郵便荷物車に改造されたので。雑誌のアーカイブモノクロ写真だとサロ85と同構造には見えなく見劣りした記憶。 キロハ18が改造で消滅したのは1961年・昭和36年、60年前よ。
当時中学一年生でも今73歳?
そんな御仁が5chに居るんですかね。 東海道新幹線開業前にクソ高い一等料金でレアもの(製造8両)に乗ったというのは今となっては難しいんじゃね あれ? 二等級化施行おそいから現役当時はほぼ二等料金か失礼
(1960/7二等級制) 南薩キハ300に2回乗ったがキハ10の兄貴分に当たると聞かされるまでは分からなかった キハユニ17 1
廃車留置で、厚狭でみました
22mの長い車両、ということを後で知りました
1986年と思いました 地上設備改修不要が配属の条件だったんだろうがその辺の実情についての逸話は残ってないよねキハユニ17
1の廃車は昭和55(1980)年だそうなので86年が正しいなら随分長期間放置されてたことになるな すみません、間違いでした
1980年の7月でした
キハ17 27も映っていました
見た目廃車扱いかな、と素直に思っていました そういえば1977年頃拝島にも相模線用だった西ハチにキハ17とキハ16がEF13と一緒に
2休留置されていた。
駅から遠かったが写真撮っておけばよかったよ。 最後に乗った10系は、
キハユニ15、加古川線(これを10系と言っていいならですが)が1980年
キハ51、大糸線、1980年(もしかしたら1981年5月も)
意外とあっさり引退、という印象
同じ大糸線からの引退でも、旧型電車と10系では結構な違いです 関鉄のキハ310系?
今では平日の朝だけですが、でも現役
夏休みでも乗りに行きたくなりました DT19現役はいないんじゃない?
鉄博のキハ11も静態化しちゃったし ひたちなかのキハ20乗ってきた
やっぱりあのエンジン音はカッコ良い!