キハ10系とキハ20系を語る2
>>224
三笠?小樽?
あと、幸福にもありましたっけ? 国鉄キハ20 vs 山陽特急3000系。
面白いレースを見させてもらいました。大昔に >>228
赤字ローカル線廃止時にいくつか保存されたような…その後どうなったかは知らんが >>231
砂線。
加古川橋梁まで山陽特急がリート。
鉄橋上で逆転。キハ20がリード。
キハは砂北口停車の為に減速。
山陽特急がキハを抜いて行く。
ですかね。
その時のキハの運転手さんが、山陽に勝ってやる、と言ってくれてた。 鉄博のキハ11を眺めたら、せっかくレストアしたはずなのに荒れてしまってるね。
燃料ラインからもわずかに漏れてるみたいだし。
あんな寂しい場所に置き去られて可哀想だわ。 水島臨海のキハ350がソロソロ引退するらしいと聞いて訪れた時、車庫見学したよタラコ色のキハ20 がズラリと並んでて壮観だった。因みにキハ350 の乗り心地は最悪の部類だった。 水島に居たキハ20って国鉄払い下げで経年車なのに、何故に更に再譲渡されるケースが多かったの?
島原あたりが買ったのも以外?
機関更新以外に、車体の更新、老化予防保全とかも、他社が国鉄から購入して使い潰したソレと違い格段に行ってきたの? >>237
あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
島原が当時新製増備していたNDCタイプに加えて、わざわざ経年車である
キハ20も買ったのは、既存車と形式が同じで部品の融通が効くからなのと、
経年車で置き換えないとままならないほど既存車(特に路線分断時加津佐で留置していた車両)
がくたびれていたからだよ 茨交のは冷房付なのが買われたんだろ。その時分は車両検査してる親父がNDC認めないタイプだったらしいし。
ってか水島から再譲渡されたキハ20って茨交と島原の他にあったっけ? >>240
ない
たった2例で多いと表現する>>237が単に無知なだけ キハ40は過大な車重と低速域では非効率な変速機設定もあるためか、
起動時の出だしは非常に悪く、エンジンが唸っていてもゆっくりとでしか動き出さない感じだったな。
カミンズ DMF14HZ、N-DW14に換装したキハ40の場合は違うかな。
自重過大という本系列の構造的な弱点を完全に克服するまでには至っていないことから、
キハ28程度の加速性能にとどまる感じだと思う。 >>244
昔RJで曽根悟御大が批判していたな
重装備で乗務員面積が過大とか、走行性能もキハ20に劣るみたいなこと言っていた
反面ベタ褒めだったのはキハ37
しかし実態はキハ40系は大量生産、キハ37と後継のキハ38はマイナー系列で終わった あなたはいつも質問ばかりするのに回答をもらっても反応すらないよね
反応は単に1レス無駄遣いだから不要。 悪い意味での標準化の産物だね
ローカライズできない大艦巨砲主義時代の国鉄の遺産 茨城交通や一時期鹿島臨海鉄道にいたキハ10は窓サッシがアルミだが、国鉄にいたキハ10系列の中にもアルミサッシの車っていたのかな?
知ってる人いるかい? >>247
その割に、窓だの雨樋だの、図面の数は増える一方で…。 >>232
何度か乗りに行ったことがあるが、そんな光景には遭遇できなかった
羨ましい キハ20系と同じスジで走れた性能なら狙った通り位なんだろう
一般型ディーゼルなのに裾絞りのデザインがモダンでしょぼい旅行感が足りない、と都会者は思った パワー不足はエンジン換装でリカバー。
重いと言われた車体だけど、まだまだ残りそうな耐久性。
サビたとか、腐ったとか、あまり聞かない。
改造種車にも最適な強度みたいだし。 >>232
リアル版「電車でD」だな。
『気動車だからって舐めてたら痛い目みるぜ』なんて呟いてたのかな。 きかんしゃトーマスで言えば、トーマスとエドワードの重連運転で10両編成の客車を牽引している列車と
チャギントンで並走しているみたいな例えだね。 >>252
JR北車の凄まじい老朽化度合いを見れば、
「頑丈さにも限界はある」 >>258
仲間
まあまあマターリしててよかったね。
俺含め「ボッチヲタ集結」独特の空気感はあったがw 水島のキハ205ついに引退発表きたな
休車かけてどうにか残してたみたいだけどさすがに限界か
てかこのニュース見て久々に調べてたら、茨交のキハ205退色酷すぎw 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 10月に初めて乗りに行ったけど、
結果的に最後ではなかったとはいえ
さいご自工前から入区するとき
余韻もなにも全くなかったから、
ラストランの際はもうちょっと考えてほしい…
しばらく停車させるだけでもJRみたいにリレーいじらないと駄目なのか? 水島さん、何とか残して下さい。お願いします。会社には直接言えないのでカキコ。 しんどい社線が最大限残してくれた結果が現在なわけだが。
なかなかないぞ?こんなヲタに優しい社線は
これ以上高望みはかえって失礼。 >>265
自工前に列車が長々停まってるの見たことないなあ。
ま、貴重な車両が平然淡々と走る路線だから、俺はそれも水島らしさのうちだと思ってる。
ここに派手なさよならイベントは似合わないよ。
>>266
ほんとは3年前に全廃、それでも大往生って感じだったんだぞ。
休車かけてよくぞここまで維持してくれたと感謝しなきゃ。 派手にしろとは言ってないじゃん
もうしばらく停車させるだけでいい
着いてハイサイナラ過ぎるって話よ >>168
高千穂線(南延岡機関区持ち)にキハ52はいなかったはず。
キハ11全廃後はキハ20のみ。 鳥塚社長、おたくが買わずに誰が買う!
房総民憧れの気動車準急の雄!
騙し無し、モノホンのキハ20でっせ!
部品は将来隣から大量に補充できるだろうし。 >>271
千葉といえばやっぱりキハ25がいないと… なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
キハ110系などのワンマン構造に通じるとこがある。 >>270
バス窓若番の41番なんてのが民営化後も生きてたよね。
九州色に塗られて、三セク転換まで残ったんだっけ。 >>275
えっ? 何言ってるの??
113系だって折り畳み式… >>275
> なんでキハ10系20系は片隅運転台みたいな構造なんだろう?
あれはどう見てもオープンな構造の全室運転台だろ。 >>279
改造後の姿が原型と思っているでしょうね キハ52の102はアクリル板で塞いでいた
かつての秋田リレー号のキハ110系―3000番台みたいな感じ?
127や137は完全に運転室と客室が隔てられている 貫通路、助手席側が改札ラッチの高さぐらいで仕切られた車?
キハ55の初期車も、それ。 >>283
いや、俺は加古川線とかで原色時代にリアルで乗ってるし
275とかの奴とは別人だよ。
俺がきいた理由は、俺が見て助士側パイプ仕切だけの状態が
すでにそれが原形ではないように読めたから
比較したくて画像ないのって言った 島原に行った国鉄車の写真を調べれば出てくるかと
ネットにあるかは知らん >>284
へー、準急型がそんな構造だったの。
準急ときわの写真で助手席側に乗客らしき人が写っている。 >>24
岡田あーみん先生「お父さんは心配性」に出た親子のやりとり…りぼんの連載マンガ。
スレに関連した話は鳥取でキハ52がキハ58系に繋がれてるのを見たが回送で乗れなかった。
トイレ撤去、ワンマン改造の非冷房だったが2エンジンのお蔭でキハ58の予備に重宝されてたね。 今更だけど、水臨HPに「キハ205は 皆さまの心に永遠に」なるタイトルのコメントが載ってるな
ほのぼのというか、ほんとにいい感じの会社だわ 「第三セクターの意地、見せてやるっぺ!」
北三陸鉄道 大向 大吉 西日本のキハ52の無理矢理感は異常だった
DMH17Hに機関直結クーラー取り付けるとか乗務員室と客用ドアが離れてるのにワンマン化改造とかもう滅茶苦茶
車齢が若いキハ53はワンマン化が困難と判断され早々に駆逐されたはず 水島のキハ205、詳報はまだだけど鉄道の日イベントで動くらしいぞ
構内移動程度かもだけど粘るな
意外と調子いいのか会社の執念なのか >>300
憶測だが、あと10年は持ちそう。
それまでマニア相手に一稼ぎ。 交通博物館のハンカチだったか下敷きだったか10系20系のお面だけ印刷されたの見て違いがわからんかった >>301
鳥塚さん、買うならいまのうちでっせ。
キハ52、今市なんでしょ? 1949年から製造され、閑散ローカル線の機関車列車置き換え用だったこのDCは
ひょっとしたら10系の祖先かもしれない。
https://c1.staticflickr.com/1/553/18755327300_83e471bbdd_b.jpg
http://www.monon.monon.org/pix24/06-28Bedford_4-50-RDC.jpg
定員48(合造)-92,長さ23-26m,幅3.06m,重さ51.3t,エンジン300/550ps,最高速137km/h >>306 キハ10系って、このRDCを簡易化、劣化させたようなものだろ。 >>306
信じられない…。
余裕を持たせても、キハ181系に迫るスピードが出せるとは…。
余談にはなるが、ホグワーツ特急をキハ181系、大地の汽笛の陸蒸気をキハ20系に
置き換えた場合でシミュレーションしてみても、陸蒸気よりずいぶん有利となっていることがわかります。 キハ110系の運転室構造がキハ20系に通じるところがあるよな キハ10のあのふにゃふにゃの床をまた踏みたいもんだね。 鉄模ファンはキハ20+キハ20+キハ20よりキハ20+キハ20+キハ25と繋ぐのが好き キハ10は車体幅2.6mしかないのでただでさえ低いホームと隙間が大きく開いて問題になった?
その車体幅の狭さを利用して銚子電鉄に入ったことがある キハ10系列は何といってもオープンエアみたいな仕切りの無い運転台が良かったなぁ。
かぶり付きの解放感や運転士と同じ空気を吸ってる感が良かった。。。。 昭和48年? 東京から福岡筑豊まで家族で里帰り。
岡山までは新幹線、それからボンネット485しおじで多分下関まで小学一年生の
オレは飽きて疲れて怒りまくり。下関から門司で乗り換えたか直通だったか定かでないが折尾まで。この時、常磐線で言う赤電で、かなり不機嫌ながら少しは
気が紛れた、かと思いきや、次が10系気動車で、見た途端チンチクリンな粗末な
つくりと乗車後予想通りの狭さうるささ乗り心地悪さ、そして帰宅ラッシュで
怒り再発!!泣きまくり怒りまくり。宥めるオヤジ。すまんかった。
あれがキハ58ならそうでもなかったろう。キハ20ならまだマシだったろうが
ちゃんと幼児ながら10系気動車とわかってるあたりオレは生粋の鉄なんだなと思う キハ10系は現役時代には乗ったことないからうらやまし。 海水浴シーズンの房総地区でオールキハ17とか罰ゲーム急行あったな
車体幅が狭いとあって座席が小型でしかも枕ばねが防振ゴムで乗り心地最悪だったとかこんなんで急行料金徴収していいのか疑問だった
挙句の果てにはキハ35まで急行に駆り出す有様 相模線のキハ10、クロスに座ると真後ろに座る人が深く座るとこちらの背中が
押されるフニャフニャな背ずりだった。
全然快適じゃなかったよ。 キハ50は幾ら何でもゲテモノ
車体長が22mあってしかもナローボディであるため妙に細長く見える
推進軸を縮めて21.3mにしたキハ51が長いこと気動車標準だった上にブルトレ用客車でも21.3mが波及した
電車では381系や651系とか希少 一般色と首都圏色コンビの編成美はキハ17系に限る
同じ組み合わせのキハ20系は近代的過ぎて 1974年夏、米坂線でキハ20系と10系混合の普通に乗った。
10系は編成中間に組み込まれていたが、車体の幅が狭く、蛍光灯でないから20系に比べ夜は薄暗い。
1969年の八高線も、キハ20系と10系の混合、3両くらいの編成だったような。 キハ17、バス窓で喜んだ覚えが。車内の真ん中に排気管とか、あの変な薄緑の車内とか
あの頃だから普通なんだけど、ちょうどキハ40が入って来た頃に連結してたことあって、外観も
車内も40の方が衝撃的だったな あの頃はキハ10に限らずキハ20も111系も153系もシートの周りの床がたばこを
踏み消した三角形の焦げ跡だらけだった。。。 DMH17エンジンってよく整備されてたら音がよく聞こえるのか?
何かエンジンの音がよく聞こえる車両と聞こえない車両があるような気がする >>324 エンジン1個の車両でも、耳障りなほどよく聞こえるよ。 >>324
形式や座る位置でも違うんじゃね。やっぱりキハ58より20や10はうるさかった
デッキないし床が薄いし、排気管が客室を通ってるし。キハ126、おまえのことだ 1983-1
分ノカ キハ20
27 37 41 50 53 69 70 71 90 397 433 434 444
→DT19C…27 37 50 70 71 90